聖女候補
聖宮ディナール、かって神妃マリーアジュの居所だった場所は今や、彼女無き後レイノス教の本拠地兼聖地となっていた。
「…………」
そんな、聖宮の最奥に位置する一室にて――
「…………くぅ」
「…………すぴー」
「…………ふがぁ」
ベッドの上に横たわる三人の少女の姿があった。
一人は眠りこけている赤髪の少女・ルシルである。そしてもう一人はその隣で静かに寝息を立てている金髪の少女、アイシアだ。
そして最後の一人である銀髪碧眼の美少女・ミューラはというと――
「……ぐぬぬぬぬっ!」
(な、なんでこんなことにぃ~!?)
毛布を頭から被りながら、内心では絶叫していた。
なぜこうなっているのか? それは数刻前に遡る――
***
『いらっしゃいませ! ようこそおいでくださいました!』
そう言って出迎えてくれたのは、この場に似つかわしくない可憐な少女であった。
年の頃はまだ十代前半くらいだろうか。淡い銀色の髪を腰まで伸ばしており、純白の神官衣に身を包んでいる。透き通るような白い肌とぱっちりと大きな瞳が印象的な美少女であり、その姿はまさに"天使"と呼ぶに相応しい容姿をしていた。
だがしかし、そんな可愛らしい少女が口にした言葉に、アイシア達は揃って目を丸くする。
『……えっと』
『あ、あの……もしかして私達、間違えちゃいました?』
『いえいえ! 間違ってはいませんよ!』
慌てて訂正しようとする少女であったが、すぐに笑顔を浮かべる。
『私は聖宮に仕える聖女候補の一人ですけど、お客様をお迎えするのは初めてなのでちょっと緊張しちゃったんです! ごめんなさい!』
ペコリとお辞儀をする姿は本当に愛らしく、こちらまで微笑ましく思ってしまうほどだ。
どうやら彼女が言った通り、ここは彼女の部屋であるようだ。おそらくはこの神殿で最も位の高い者の部屋だろう。
室内にはいくつもの本棚が置かれており、その中には大量の書物が収められている。そして中央にあるテーブルの上には花瓶があり、そこには色とりどりの花々が生けてあった。壁際には天蓋付きのベッドが設置されており、その脇に置かれたサイドボードの上に置かれている小さな時計からは規則正しい音が響いている。
とても質素ながらも清潔感がある空間だった。
だがしかし、そんな部屋の中にあって異彩を放っている存在がいた。
それが彼女――聖女候補としてここに滞在しているという、目の前にいる金髪の少女である。
彼女は一体何なのかというと――
実は――
種族不明なのだそうだ。
エルフの耳を持ち、ドワーフの背丈で精霊のような透き通った肌をしてはいるが、人間族とも獣人族とも違うのだという。
さらに驚くべきはその年齢で、なんとまだ十四歳だというのだ。
ちなみに、外見年齢はアイシアよりも少し下に見えるのだが、実年齢は同じあるとのこと。
つまり彼女は見た目通りの年齢ではないということであり、その事実を知った時はさすがに驚いたものだ。
とはいえ今はそれよりも気になることがある。
アイシア達がここに来た理由とはすなわち――
聖女のことだ。
現在この世界に存在する勇者は3人いるはず。
その中で最も有名な人物といえば間違いなく、この世界の創造主である龍神の直系の子孫と言われる、狆鋒吼と云う中大の武人であろう。
彼は若くして数々の武功を上げ、今では大陸最強の剣士としてその名を轟かせている人物である。
また彼の妹は現皇帝の従兄弟の妃でもあり、皇位継承権第十五位の皇女でもある。
そして残る勇者は、パイノーグの現騎士団長であり剣神の異名を持つ青年――ラフス・レイヴァードと、残る1人は不明である。しかしながらこの2人の名を知らない者はいない。それほどまでに彼らは有名な人物であり、それ故にアイシア達聖女候補の目的はただ一つしかない。
それは即ち、彼らのいずれかに己の願いを託したいということである。
ゆえにアイシア達はこうして、その望みを持つ者達がいるというこの地へとやってきたのだ。だがしかし、ここで問題が発生する。
というのも、その肝心の相手がいないのである。
そもそもこの聖宮は今、とある事情により封鎖されているという話であった。それゆえに本来ならば会うことすら難しい状況なのである。
だがそれでもアイシア達は諦めず、なんとか会えるようにと頼み込んだ結果――
「まさか聖宮に入れるなんて……」
「まぁ、これも何かの縁ということでしょう」
「でも大丈夫かな? 勝手に入っちゃって……」
アイシアは不安そうな表情を浮かべるが、ミューラは平然としている。
「きっとバレなければいいんですよ!」
そう言って胸を張るミューラに、ルシルは苦笑する。
「いや、それはどうかと思うぞ?」
そう言って呆れた視線を向けるのはアイシアの方だ。
ミューラ達がこんな風なやり取りをしていると、奥から年配の女性の声が聞こえてきた。
白衣を着た老齢の女性であった。
どうやら彼女が自分達を呼び出した張本人らしい。
その証拠に彼女はこちらの姿を確認すると、ゆっくりと歩み寄ってきた。
白銀の髪を後ろで束ねた小柄な女性であり、身に纏っている神官服はどこか古めかしい印象を受ける。
おそらくは神官長と呼ばれる立場の人物だろう。
だがしかし――
そんな彼女の姿を目にした瞬間、アイシア達は揃って目を見開いた。
なぜならば、その理由は影がないから。
そう――
彼女の身体は半透明であり、向こう側の景色が透けて見えていたのである。
そんな彼女に、アイシア達は思わず言葉を失う。するとそんなアイシア達の反応に気づいたのか、女性はふわりと柔らかに微笑んだ。
まるで聖母のような優しい微笑みだった。
(あ……れ? なんだろ……なんか……すごく懐かしい感じ……?)
なぜかはわからない。
けれどもアイシアは不思議とその笑顔を見た時、心の底から安堵するかのような感覚を覚えた。
それは隣にいるミューラやルシルも同じらしく、二人は揃ってぽかんとした顔で見つめてしまっている。
だがしかし、それも無理はないだろう。
なにせ彼女の容姿はあまりにも美しかったからだ。おそらくこの世のものとは思えぬほどの美貌の持ち主であり、それでいて慈愛に満ちたその微笑みはとても優しげな雰囲気を感じさせる。
もしも彼女が女神だと言われても信じてしまえるくらいの美しさである。
だからだろうか――
気がつくとアイシア達は自然とその場に膝をつき、深々と頭を下げてしまっていた。
「揃ったようだね、あたしゃ、ここの聖女をしている、マチルダ・ホワンさ。よろしく頼むよ」
そう言うと、彼女は再びにっこりと笑う。
だがしかし、そんな彼女に対してアイシア達はなかなか言葉を返すことができなかった。
それは何故かというと――
アイシア達は全員、聖女という存在について知っていたからである。
そしてそれは同時に、聖女候補である彼女たちにとって決して無視できない存在でもあった。
なぜならば聖女とは、勇者誕生の際に現れるとされる存在であり、勇者と共に悪しき存在の討伐の旅路を共にするという役目を担っている。
つまりは聖女の加護を受けた勇者とは、そのまま英雄となるということ。
だからこそ勇者の資質がある者は、その可能性を感じた時点で必ずその存在を知ることになる。
つまりは聖女の導きによって勇者として覚醒し、その運命を全うすることになるのである。
だがしかし、勇者には聖女の他にもう1つ、重要な意味がある。
それが――
聖女の選定だ。
これは言わずもがな、勇者として選ばれた者が聖女に相応しいかどうかを判断するための儀式である。
この儀式を経て初めて勇者は聖剣を手にすることができるのだ。
聖女の導きがなければ勇者は生まれない。
逆に言えば、この儀式を経ることでようやく勇者は誕生するのである。
では、ここで話は変わるのだが――勇者がこの世界に誕生した場合、まず最初に行うべきことは何か。
答えは単純明快。
それは――
聖女との邂逅である。
聖女の選定とはすなわち、聖女候補の誰かを選ぶこと。そして、その候補とはすなわち、聖女に最も近いと言われている者のことである。
つまるところ、聖女候補達の中で最も優れた素質を持つ者こそが、聖女に選ばれるということだ。
そして現在、聖宮に集った聖女候補は3人。
アイシア、ミューラ、ルシルの3人である。
だがしかし、そんな聖女候補達は今、聖宮の外で待たされている状態となっていた。
その理由は簡単だ。
今、この聖宮の中には聖女と、この場にいない勇者の2人だけがいる。
聖女と勇者。
この2人が邂逅を果たす。
それがこの聖宮において最も重要な意味を持つのだと、アイシア達は聞かされていた。
それゆえにアイシア達はこうして、大人しく待機しているのだ。
ちなみに何故ここまで詳しい事情を知っているかというと、それは事前に教えられていたからである。
それは昨日の晩のこと。
アイシア達が眠りについた後、突如として部屋の扉が叩かれたのだ。
一体何事だろうと首を傾げながらミューラが部屋を出ると、そこには白衣を着た女性が立っていた。
それがマチルダと名乗る女性であった。
彼女はミューラの姿を確認すると、少しだけ困り顔を浮かべた。どうやら彼女は、こちらに頼み事があるらしい。
それもかなり深刻な問題らしく、彼女はこちらに助けを求めてきた。
なんでも勇者が現れたらしい。
だがしかし、その勇者はとある問題を抱えているらしく、それを解決するために力を貸して欲しいとのことだ。
それを聞いた時、ミューラはもちろん最初は断った。
だってそうだ。
そもそもの話、彼女は聖女という立場にある人物だ。そんな人物がわざわざ自分達のような者に頭を下げるなど普通ではない。
おそらくは相当な事態なのだということはわかる。
けれどもだからといって、自分達にできることなんて限られている。
それになにより、今は大切な時期なのである。
ゆえにミューラはすぐに断るつもりだった。
けれども――
マチルダは言った。
どうしても助けが必要なのだと。
そうしてミューラが困惑した表情でいると、マチルダはふわりと微笑んだ。
そして、優しくこう言ってくれたのである。
あなた達にならきっとできるはず。
ですからお願いします。
どうか、あの子を助けてあげてください。
その言葉に、ミューラはしばらく黙考する。
だがしかし、やはり結論は変わらなかった。
ごめんなさい、私にはできません。
その言葉を口にしようとした時だった。
突然、背後にいたルシルが口を開いた。
そして、こんなことを言ってきたのだ。
――いいだろう。引き受けよう。
だから、お前はここに残れ。
とまあ、そんな感じでルシルが勝手に承諾してしまったのである。もちろんミューラも抗議をした。
だがしかし、結局のところは無駄に終わった。なにせ、相手はこの国の聖女だ。いくら文句を言ったところで聞き入れてもらえるわけがない。
そうして半ば強制的にアイシア達だけが聖女に会うことになり、現在に至るというわけである。
(まさか、こんなことになるとは思わなかった……)
アイシアは心の中でため息をつく。
正直に言うならば、アイシアはあまり聖女に興味はなかった。いや、むしろどちらかと言えば嫌いな部類に入るかもしれない。というのも、アイシアは過去に一度、聖女に会ったことがあるからだ。
それはもう随分と昔の話である。
当時の聖女はとても美しい人だったと記憶している。そして同時に、とても恐ろしい人でもあったのを覚えている。
だからこそ、アイシアは彼女のことが苦手であり、同時に恐怖の対象でもあった。
だがしかし、今回ばかりは勝手が違う。
なぜならば、勇者の資質がある少年を救うことができるのは、この場にいるアイシア達しかいないからである。
(まったく、どうして)
アイシアは内心で愚痴る。
面倒なことになってしまった。
とはいえ、今更嘆いても仕方のないことだ。
なるようにしかならないのである。
そうして、アイシアが諦めの境地に達したその時――
――お待たせいたしました。
部屋の扉がゆっくりと開かれた。
すると、そこから聖女が姿を現した。
その姿を見て、アイシア達は一斉に立ち上がる。そして、彼女達の視線の先にいたのは、聖女の他にもう1人の人間がいた。
その人物は、年の頃は15歳ほどだろうか。
まだ幼さが残る中性的な顔立ちをしている。
そして、彼はアイシア達の姿を目に映すと驚いたように目を見開いた。
そんな彼の姿を見た瞬間、アイシアは思わず息を飲む。
それはミューラも同じであったようで、彼女は小さく口を開けながら呆然としていた。
だがしかし、それも無理はない。
何故なら、そこに現れたのは――
――ど田舎者。
かつて、弱々しく時の呼び名。
だがしかし、今となってはその名前で呼ばれることはなくなった。
その名は、狩人として活動する前の彼を示す言葉である。
つまり、アイシア達が知っているはずのない名前。
なのに、何故? アイシア達は疑問に思う。だが、それはすぐに解消される。
何故なら、その答えは彼の名乗った名が教えてくれた。
「俺は、ユウキ=ルロワと言います」
そう。
彼が口にしたのは、アイシア達がよく知る人物の名前であった。
だが、ミューラは男に異様な気配を感じあとずさりをしてしまう。
対してルシルは、ただじっと目の前の男のことを見つめていた。
だがしかし、それも当然のことだろう。
だって、男は勇者なのだから。
勇者。
聖女によって選ばれし存在。
世界最強の力を有するとされる、人類の希望にして、人々の憧れ。
だが、次の瞬間ルシルの左胸にナイフが突き刺された。
「えっ?」
突然の出来事にミューラは目を丸くする。
だが、そんなミューラをよそに、勇者を名乗る男の身体からは黒い霧のようなものが出現し始めた。
そうして、瞬く間に視界を覆い尽くすほどの濃密な闇へと姿を変えると、マチルダに見えた何かとアイシアの右腕を掴んだのである。
――ッ!? アイシアは慌てて振り払おうとするが、どうにも力が入らない。それどころか、まるで金縛りにあったかのように身動きができなかった。
一体何が起きているのかわからない。
けれども、このままではマズイということだけはわかる。
だからアイシアは全力で抵抗を試みる。
けれども、それでもやはりダメだった。
そして、そのままなすすべもなくアイシアは闇の中に引きずり込まれてしまったのだった。
ミューラは、目の前で起こった出来事に理解が追いつかなかった。
いきなりルシルが倒れたかと思えば、その直後に勇者と名乗る男が自分達に襲いかかろうとしたのだ。
そして、その光景を目の当たりにした時、ミューラは反射的に飛び出していた。
理由は単純だ。
ルシルを傷つけられて黙っていられるわけがなかったからである。
ゆえに、ミューラはすぐに精霊術を発動させた。




