「雪球」(9)
ミアク区は、巨大なシェルター内でも有数のオフィス街だ。
午後三時を迎えたスクランブル交差点には、人混みといっしょに妙な倦怠感まで歩き始める。見計らったように青色に微笑む信号機は、仕事に追われる市民たちに立ち止まって一息つく暇も与えない。
ガラス張りの建物ばかりが天を衝く近代の針地獄に、その高層ビルは何食わぬ顔をして紛れ込んでいた。
政府の福祉窓口、というのがこのビルの表向きの顔だ。
無論、違う。この建物こそは、都市に多く隠された組織の極秘施設のひとつに他ならない。一階のロビーに座る受付嬢の接客力がとても優れていることは、カウンターの裏側で彼女が四六時中構える散弾銃を見ればわかるし、これも物腰柔らかいゲリラ部隊出身の清掃員をかわして、そこかしこに膨大な探知機が埋め込まれた通路を越えた先には、息遣いひとつが機密扱いと化す作戦室や、狂気を凝縮したがごとき謎の実験場がひしめいている。
その秘密基地も、こんなゴロツキが大手を振って出入りしていては台無しだった。
「さて! 今週もやってまいりました! 絞め殺してでも弔う……ありがたい供養ライブのお時間ッッ!!」
幾層もの特殊複合金属でできた自動扉が開くなり、その闖入者は叫んだ。
ロック・フォーリングではないか。
色々とおかしい。秒刻みで組み変えられる圧倒的な数のセキュリティに認可されなければ、このクリーンルームには国家主席といえども入れないはずだ。それをこんな、ポケットに手を突っ込んだ黒ずくめの不審人物がどうやって破った?
いちめん真っ白な特別室の中央、棺桶サイズのガラスケージを囲む研究員たちも、ロックに振り向いた姿勢のまま凍っている。研究員たちの装備は当然、宇宙飛行士そっくりな最新鋭の防護スーツだった。
頭頂から爪先まで厳重に対策を鎧う彼らを嘲笑うように、ロックはマスクの一枚も着けていない。無防備と無節操が絶妙のバランスで人型に結実したのが、この神父なのだ。
超硬質ガラスを隔てた隣の観察室から、思わず指示マイクで突っ込みを入れたのは記憶に新しい女上司の声だった。
〈ピザの配達なぞ頼んどらん!〉
「じゃあ中華なんてどうです、中華。たまにゃパーッと騒ぎましょうや、課長?」
好奇心で瞳をいっぱいにしながら、ロックは研究員たちの間に割って入った。特別室の真ん中、大型のガラスケージを覗き込む。
透明の棺桶は、あらゆる細菌や放射性物質を封じ込める特製の素材だ。ケージ外部の挿入口から内側へとつながった機械の腕は、そのまま手を入れることによって実際の手術に近い感触で作業ができる。
問題は、ガラスケージの中身にあった。
ここまで黒焦げになってしまえば、人間もマネキンも大差はない。UFOの墜落現場から回収されたこの焼死体は、いままさに検死にかけられるところだったのだ。
棺桶に眠る遺体が、右肩から先を失っているというウォルター刑事の情報は正しい。その鋭い断面にまで炭化が及んでいるのを見れば、右腕の切断は、未知の高熱にさらされる前に起こったと考えられる。
断末魔を物語るように開け放たれた変死体の口を見据え、ロックも同じくぽかんとなった。
「この男前がうわさのバーベキュー野郎、バーニー・ジョンストンだな。おいだれか、塩コショウを持ってこい。マスタードもだ」
ロックの背後で、ふたたび自動扉は稼動した。
そこに仁王立ちになっていたのは、ネイ・メドーヤ課長だ。研究員たちの動揺はさらに強まった。組織の幹部ともあろうお方が、怒りのあまり我を忘れ、防護スーツをまとうのまで忘れてしまっている。
ただひとりガラスケージに視線釘付けのロックへ、ネイはこれ見よがしに靴音を鳴らして歩み寄った。まな板状の電子端末で、背中からいきなりロックの頭をひっぱたく。中折れ帽がずれて前が見えなくなったロックに、ネイは物凄い剣幕で怒鳴った。
「死者を前にして! 十字のひとつを切る信仰心もないのかね!?」
「信仰? とっくの昔に品切れさ。特別手当でも貰えりゃ応相談だが」
「カラスの行水みたいに短い時間で一体、エワイオ空軍基地のなにを調査してきた? とんぼ返りしてきたからには、さぞや有意義な報告を持ち帰ったのだろうな?」
「燃料臭い原っぱで日向ぼっこなんざ、行き遅れの年増女にこそお似合いだよ。いってらっしゃい。サンドイッチと日傘は忘れんな」
禁句中の禁句を口ずさんだロックの胸倉を、ネイは即座に掴み上げた。怒髪天を衝くネイから、他の研究員たちもおびえて後退っている。
噛み締めた歯の隙間から解読不能な悪罵を漏らすネイを尻目に、ロックは上着の内ポケットに手を入れた。まさか、拳銃を?
抜くわけはない。かたわらのガラスケージの上に、ロックが無造作に放ったのは透き通ったジッパーケースだ。中に収められたネックレス状の金属片は、棺桶で沈黙する変死体と似て黒く焼け焦げている。どこかの軍隊の認識票か?
ちらりとそれを一瞥し、ネイはたずねた。
「なんだね、そのゴミは?」
「よっしゃ決まった。あんたの次の誕生日プレゼントは、老眼鏡だ」
いまいちど電子端末を振りかざすネイから首をすくめ、ロックはあわてて訂正した。
「そいつは証拠だよ、事件の証拠」
「ゴミあさりとは、アル中もついに末期に至ったらしい。あわれだな。指先が震えているぞ、フォーリング?」
「物忘れまで始まってるのかい? シラフのくせに、空軍の認識票とゴミの区別もついてねえ。そのススまみれの認識票は、たったいま元の持ち主と再会したばかりだぜ」
「持ち主? 再会?」
不可解なヒントを与えられ、ネイは顔をしかめた。首をしめられて赤→青→黒とみるみる顔色を悪くするロックを、たっぷり時間を置いて解放する。
肩で荒い息をつきながら、ロックは乱れたネクタイを整えた。証拠品袋の中身を訝しげに眺めつつ、ネイは細い指に抗菌素材のゴム手袋をはめている。ビニールケースごとつまんだ認識票を手術台の投光に照らし上げ、ネイはその内容を口にした。
「名はバーニー・ジョンストン。所属は……エワイオ空軍基地だと?」
「そ。それがそこの、バーベキュー野郎の身元さ」
「ありえん。できすぎだ。きみは証拠証拠とのたまうが、この認識票が焼死体の所持品という肝心の証拠が欠けているではないか」
「俺も最初はそう思ってたよ。でも仏さんを初っ端に見つけたのは警察だろ。組織が横取りする前に、死体から認識票を回収したのもその警察なんだ。焼死体と認識票が、もとから一緒にあったのは揺るがぬ事実ってやつだぜ」
ずれた中折れ帽の位置を正しつつ、ロックは語った。
ウォルター刑事から得た情報の数々に加え、エワイオ空軍基地がジョンストン少尉を行方不明扱いにしたタイミングのよさ、ヒノラ森林公園の近くで頻発した宇宙人の目撃談等々……ネイの脳裏で点と点は徐々に線としてつながり、絡まりあった線どうしは疑いの模様を描いてその表情に広がっていく。
したり顔で帽子の鍔を弾き、ロックはつぶやいた。
「こいつは本当に楽しみになってきたぜ、特別ボーナスが。この情報を仕入れるために俺が警察に積んだ賄賂の額は、両手両足の指を使っても数え切れねえぞ?」
「たしかに人間の指は、0フールを数えるようにはできていない。手癖の悪さだけは一級品のきみのことだ。その認識票も大方、どさくさに紛れて掠め盗ったのだろう?」
「うわ、辞表書きてえ」
すべてを見透かされ、ロックは唇をへの字に曲げた。
悩み深そうに腕組みして、首をひねったのはネイだ。
「いよいよ状況は錯綜してきたな。証拠のすべてを鵜呑みにするなら、きみの撃ち落としたUFOの操縦者はバーニー・ジョンストンだったという説さえ浮上してくる。だが、アーモンドアイの技術を操れるのはアーモンドアイのみだ」
「そうだよ。どっからどう見たって人間だもんな、このバーキュー。エワイオ空軍基地にゃまだ怪しさ満載だが、たぶんジョンストンはただ単に巻き込まれただけさ。UFOの墜落に」
「たまに仕事をしたかと思えばこれかね、フォーリング。きみが変に遺体の身元をはっきりさせたせいで、捜査はまた振り出しに戻った」
「うっせえぞ、売れ残り」
「しかし事件の中核となるUFOの残骸から、この変死体が発見されたのも事実だ。ひとたび警察から奪い取った手前、ジョンストン少尉を何事もなく埋葬するわけにはいかん」
八重歯を剥いて唸るロックを完全に無視して、ネイは手近な研究員に指示を飛ばした。
「エージェント・ヘリオ。待たせたな。十五時三十三分、検死解剖の時刻だ。さっさと始めてくれたまえ。遠慮はいらん。鬼なり蛇なり、手がかりが躍り出ることを期待するぞ」
「しょ、承知しました」
ヘリオと呼ばれた医者は、勢いよく背筋を伸ばして答えた。
邪悪そのものの炎を瞳に燃やすネイと、むごたらしい焼死体を前にしても、全防ヘルメットの向こう、つねに笑っているようなヘリオの面持ちは崩れない。きっと生まれつきなのだろう。
研究員たちをそれぞれデータ収集の配置へ呼び戻すと、ヘリオ医師は先陣を切ってガラスケージの挿入口に両手を入れた。連動して棺桶内の四方八方で、手術補助用の微細な作業アームが上下し始める。金属製の手腕の先端で乱れ舞うのは、注射器に鉗子、剪刀に回転ノコギリその他……狂気としか言いようがない。一同が鳩首を突き合わせる中、ケージの内側で光圧メスがまばゆい輝きをこぼす。
そしらぬ顔でタバコに火をつけかけた神父は、ネイに強く脚を蹴られることで阻止された。痛むスネを抱えて片足立ちで跳びながら、口惜しげに独りごちたのはロックだ。
「あ~あ。楽しい解体ショーがあるんなら、前もってポップコーンでも買っときゃ……どけ!」
ネイとヘリオが、左右に突き飛ばされるのは唐突だった。
ふたりを救った代償に、ロックはとんでもない勢いで後方へ吹き飛ばされている。多層構造の防疫・放射線遮蔽ガラスをまとめてぶち破り、真横の観察室の壁に激突。建物の破片といっしょにずれ落ち、ロックは中折れ帽で顔を覆って頽れた。重度の複雑骨折か内臓破裂か、いずれにせよ致命傷は避けられまい。尻もちをついたネイの顔面すれすれに、作業アームごと千切れた光圧メスが床を灼いて突き刺さる。
頑丈なガラスの棺桶が破壊されたのだ。
それも内側から。
すくみ上がった研究員たちの視線の先、見よ。
ガラスケージに穿たれた大穴から、黒いものが生えていた。焼け焦げて骨ばった不気味な片腕だ。夢か幻か、死者がひとりでに動いたではないか。それこそが、ガラス越しにロックを殴り飛ばしたものに間違いない。
おまけに、なんだろう。奥底から爆発的に膨張し、棺桶の表面に幾筋もの亀裂を走らせた球状の物質は。
操り人形のように引きつった動きで、ジョンストンの上半身は起きた。鋼と鋼のこすれる響きを残し、その体はたちまち硬く大きな球体に飲み込まれる。カメレオンじみた慌ただしさで辺りをさ迷ったのは、巨人の頭部に生じた眼球だ。
変身の内圧に耐えかね、ガラスの寝床は粉々に砕け散った。鉄塊の落ちてきたような地響きを残し、ジョンストンだったものは、球と球の連結体と化して地面に降り立っている。
宇宙人の強化装甲だった。
その全長はといえば、天井の照明を頭でえぐり潰すほど高い。隆々たる球状の外骨格に包まれた機体だが、しかしなにかが欠けている。
おお、足りない。肩の付け根から切断された右腕は、三月七日のあの夜、ロックに撃ち抜かれたときからそのままだ。
喉を震わせ、ネイは飛び起きた。
「単式戦闘型ジュズ〝アヴェリティア〟……総員、退却ッッ!!」
号令一下、研究員たちは雪崩をうって自動扉から外へ逃げ出した。
血のように赤く室内を染める警告灯の回転と、響き渡る甲高い非常アラームがビル全館に知らせたのは、史上最悪の〝アーモンドアイ侵入〟の事実だ。
「謎だなんだと、難しく考えていた自分が馬鹿らしい……」
押し殺した囁きを漏らしたのは、懐から拳銃を抜いたネイだ。
貴重なエージェントを見捨てて逃げたとあっては、秘密機関の課長の名がすたる。ジュズの反撃から助けられたヘリオが、倒れた超重量の分析機器に挟まれて動けないのも泣きっ面に蜂だ。
「そう。我々が回収したのは、エワイオ空軍基地から飛び立ったUFOの操縦者……アーモンドアイそのものだった。これほど単純明快な真実もない。ただ、生きたアーモンドアイが組織の探知を突破できるはずが……!?」
銃声、銃声、銃声……
横っ跳びに飛び退きながら、ネイがジュズを撃ったのだ。とっさに身を転がしておらねば今頃、彼女はこんがり焦げた二枚おろしに調理されていたに違いない。美しい軌跡をひいて薙がれたジュズの光線は、代わりに手術器具の詰まった棚をバターのように焼き切っている。弾け飛んだメスの一本は、ネイの頬をかすめて浅い切り傷を残した。
弱々しい声で答えたのは、機械の下敷きになったヘリオだ。
「ぼ、妨害装置の類ではありません。検死を始める寸前まで、その〝アヴェリティア〟は間違いなく地球人の遺体でした。彼らは、彼らは精巧な人間の皮を着ています。これでは施設の探知機も役に立ちません。危険です、至急の脱出を、課長……」
「ヘリオくん!」
がれきの海に横たわったまま、ネイは銃口を跳ね上げた。
引き金を絞ったときには、もう遅い。着弾の衝撃に小揺るぎもせず、ジュズの撃ち放った超高熱の光線は、ヘリオを捕らえる機械の山をひといきに貫いていた。そこだけ覗いていたヘリオの足は、いちど痙攣したあと動かなくなる。
ちりんと音を鳴らして、巨人の足下にちっぽけな光が跳ねた。ネイの見舞った弾丸のことごとくが、ジュズの堅牢な防御にひしゃげて潰れて止められてしまっている。深宇宙の超科学に裏付けされたアーモンドアイの戦闘服に対して、そんじょそこらの近代兵器など歯が立つわけがない。
重い足音で天井からホコリを落としつつ、ジュズは倒れたネイに迫った。
「とうとう手段を選ばなくなってきたな、きさまらアーモンドアイも。害虫と同レベルにまで忌み嫌う人類を、逆に乗り物にしてみせるとは。当の人類は、自身の無力さを、無能さを噛み締めていると言うのに……」
ネイの微苦笑には、あきらめの気配があった。
ああ。咳き込みとともに、その唇から落ちたのは鮮血の塊だ。ネイの胸を、尖った金属片が深々と貫いているではないか。過去にも似たような場所に原因不明の重傷を負い、彼女からは学生時代の一定期間の記憶がすっぽり抜け落ちている。
ジュズの光線に撫でられた機器類の破片が、運悪く飛来したらしい。それがミリ単位で心臓の動脈を外れたことは、果たして幸運と呼べるのかどうか。
とても歩ける傷でないことは、呼吸のたびに走る激痛からわかる。おまけに組織始まって以来の不測の事態を受けて、出口の扉は何重もの隔壁に閉ざされてしまった。逃げ道はない。
だからネイは、手首の時計を使うことを躊躇わなかった。おびただしい機能が搭載された銀色の腕時計。外す行為そのものが死を意味する猟犬の首輪。
時計表面のパネルに、ネイは血に染まった指先で秘密のコードを入力した。まもなく腕時計から、不吉なカウントダウンの電子音が響き始める。十、九、八、七……
そう、自爆。文字どおりの自爆装置だ。
最後にもういちど、ネイは笑った。どこまでも性悪で、すこしだけ悲しげな笑い方だ。
「犠牲になる皆には申し訳ないが……侵略者を倒すためだ」
ただならぬ決意が伝わったのか、ジュズの歩みは早足に加速した。ひざまずいたネイを八つ裂きにするべく、球状の五指をいびつに回転させて打ち込む。無残な結末よりも、ネイが自分のこめかみに拳銃をあてるのは一瞬早い。
「巻き込むぞ。きさまもビルも、この街も」
銃爪にかかったネイの指に、力はこもり……
おかしなことは、そのとき起こった。
しん、と建物が静まり返ったのだ。あれほど耳障りだった全館警報の轟きは、跡形もなく鳴り止んでしまっている。セキュリティの異常か?
同時に、なんだろう。室内の電源という電源は、またたく間にショートし始めた。そこかしこの計器類も、天井の照明も、警告灯の真っ赤な光も、ネイの懐の携帯電話も。
アーモンドアイの仕業ではない。その証拠にジュズ自身、火花を放つ研究室を驚いたように見回している。目と鼻の先で止まった連球の掌を見返し、ネイは固唾を飲んだ。
「これはいったい……まさか」
ふと湧き上がった希望も信用できず、ネイは頭の銃口を下ろさなかった。
電気系統の多くはおそらく、ただショートしているだけではない。いまごろはビル全体が大規模な停電を訴えているはずだ。隣の建物も、そのさらに隣の建物も。あるいは下界の信号機はいっせいに機能不全に陥り、大事故を起こしている可能性すらある。
そしていまこの瞬間、それらの取り分だった電力は、別のある一点に集中しつつあった。
そう。
食っているのだ……電力を。
やつが。あの男が。政府の暗部最高のスナイパーが。
世界はまだ戦えと言っている。組織に。
腕時計に秘められた最終兵器の鼓動を、ネイの手は我知らず止めていた。爆発までの残り時間は、わずか0.2秒と表示されている。
「できれば神を呪う前に、どうにかして欲しかったものだがね……一杯おごろう」
だれにともなく告げたネイの瞳と、ジュズの視線はふたたびぶつかった。思い出したように錐揉み回転を再開した球手が、死に損ないの獲物めがけて落下する。
ネイは怒号した。
「ここの電力はすべてきみのものだ! フォーリング!」
気づいたときには、光の一閃はジュズを射抜いていた。
わずかに遅れて、どす黒い血液めいた汁が床へぶちまけられる。ジュズに残された左腕が、木っ端微塵の破片と化して吹き飛んだのだ。隣の観察室の壁を貫いてスタートした銃弾は、ジュズを食い破り、そのまま背後の強固な隔壁にまで大穴を穿った。シェルター都市の最果てに余裕で届く電磁加速投射だから、仮に旅客機等が軌道上に飛んでいればひとたまりもない。
停電後の闇に舞い散ったのは、ほのかに光る羽だった。
弾丸の駆け抜けた道にそって輝く羽は、一枚や二枚では済まない。その数、およそ千枚以上……種明かしをすれば、美しいそれは、驚異的な電気抵抗の生んだプラズマ熱によって剥離・蒸発した特殊弾頭の外装だった。つまりは強烈な電磁加速をかけられ、それに耐えきれなかった銃弾のかけらだ。
羽の嵐の向こう、ロックの構えた拳銃から硝煙があがっていた。
最初に攻撃を浴びた彼の顔は、とっくに血まみれだ。くたびれたタバコを口端にくわえているが、煙は出ていない。
「火がねえぞ、コノヤロウ」
渋い声を叩きつけるや、ロックはジュズめがけて前進した。
稲妻の波紋を次々と背後へ残しながら、撃つ、撃つ、撃つ。
続けざまに地球外の装甲を撃ち抜かれ、ジュズは後退した。だが、それだけだ。銃弾に威力が足りない。再充電にかかる時間は意外と馬鹿にならないし、周辺一帯に通電が甦るまでにもあと数秒はかかる。
連続する銃声の中、ジュズのどこかで硬い音がひび割れた。頭部の眼球に、とうとう亀裂が走ったのだ。蜂の巣へと変じた機体の各所から、墨汁めいた液体を噴きつつ巨体がよろける。
あと一撃……
「くそ!」
ロックは毒づいた。弾切れだ。それを知り、急いで拳銃をもたげたのはネイだった。出血多量で小刻みに震える彼女の手だが、照準に誤りはない。
轟音……
紙一重でかわされた火線は、ジュズの側頭部を浅く掠めるに留まった。
ぼろぼろのジュズはといえば、壁の大穴から研究室の外へ身を投げ出している。一矢めの電磁加速砲で、ロックが破壊した場所ではないか。廊下から順番に聞こえたのは、政府の救助隊が叫んだ怒声、悲鳴、発砲音、そして……勢いよく窓ガラスの割れる音だ。
失血したネイの顔色は、また一段と蒼白になった。
「急げ! フォーリング!」
「火がねえ!」
ロックの駆け出したあとに、煙をひいて落ちたのは空の弾倉だ。新たな弾倉を拳銃に装填しながら、ロックは壁の穴をくぐった。
廊下にジュズの姿はない。右の道にも、左の道にも。いやな予感がした。他の捜査官たちの銃口も、なぜか揃って窓の外を狙うばかりだ。
気まずい顔つきの同僚たちを擦り抜け、ロックは割れた窓の枠に片足をかけた。素早く下方を照準した銃口には、すでに激しい電光が満ちている。
そのまま一秒が過ぎ、二秒が過ぎた。
「……ちッ」
舌打ちして、ロックは拳銃を下ろした。
オフィス街の交差点には、気だるげに人工の夕焼けが降り注いでいる。風に乗って耳に届く市民の混乱は、近隣を襲った停電が原因のようだ。
ジュズはさいわい、無差別な殺戮よりも逃走を優先したらしい。この高さから飛び降りるのみならず、生きて夕闇に姿を隠すとは凄まじい生命力だ。
駆けつけた救助隊に大急ぎで手当を施されつつ、ネイは酸素マスク越しにうめいた。
「完全に……やられたな」
「いや」
ビルの強風に真っ赤なネクタイをはためかせ、ロックは首を振った。
「ガラスの靴は届けるぜ」
血の滲んだタバコを横に吐き捨てると、ロックは身をひるがえした。