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スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第一話「雪球」
6/61

「雪球」(6)

 ここはシェルター都市サーコアの北部、エワイオ空軍基地。


 正午ジャスト……


 広大な農場地帯において、その基地はひときわ異彩を放つ存在だった。


 まんべんなく金網で囲われた基地の周辺には、緑が濃い。森の向こうにはぽつぽつと民間の屋根もうかがえるが、距離はかなり離れている。のどかなイナカだ。そんなど田舎のど真ん中を切り開いて、巨大な兵器の巣窟がある。違和感があるのも仕方ない。


 流線型の輝きは、ゆっくりと基地の滑走路を進みつつあった。


 空軍の戦闘機だ。


 金網のはるか遠くで助走するその戦闘機に、ていねいに折った紙飛行機をそっと重ねた手がある。


 ロック・フォーリングだ。


 よほど暇らしい。防護柵のすぐ外側、やわらかな芝生の丘にひとり気だるげに寝転がっている。


 なにより、ロックのこの風体を見よ。本場の軍人である警備兵の目にとまったら、反射的に警報のひとつやふたつは鳴るかもしれない。


 喪服じみた黒のスーツに、血のように赤いネクタイ。ひどい寝癖頭を押さえつけるのがこれも漆黒の中折れ帽で、かけた真ん丸のサングラスはまた一段とその胡散臭さに華を添えている。おまけに首からぶら下がっているのが、十字架の首飾りとバカでかい双眼鏡ときた。


 どこをどう考えても不審者……


 いやしかし、こんな格好をしてはいても、ロックはれっきとした政府の刺客なのだ。きっとその強い自覚から、今回もこの完全な変装を目指したのだろう。だとすればだれもロックを〝怪人〟〝変態〟〝覗き魔〟と呼んではならない。


 あたたかい午後の日なたに翳した紙飛行機を、ロックはうつろな眼差しで眺めた。その周囲にかすかに囁いたのは、ロックの声ではない。どこか遠くで忙しく働くネイ・メドーヤ課長からの通信だ。


〈その基地におかしな噂が付きまとうのは、いまに始まったことではない〉


 傍目からは、ロックがただ独り言をつぶやいているようにも見えた。


 晴れ渡る青空の下、のんびり流れる偽物の雲とロックの瞳は完全に一体化している。過労死ぎりぎりの長時間勤務が当たり前の不景気と、心の病の関係は切っても切れない。もちろんロックは年がら年中教会で有給休暇のようなものだし、音声通話で語りかけてくるのも手首の腕時計だ。


 銀色にきらめく時計の向こうからは、ヘリのローター音らしきものが聞こえる。エンジンの音質からすれば、ヘリは政府仕様の戦闘輸送タイプのそれだ。


 ロックの腕時計は、ネイの声で続けた。


〈いわく、基地のすぐそばで家畜の変死体が見つかった。高度なレーザーメスを使ったとしか思えぬ鮮やかさで、体の特定の部位のみをすっぱり切除され、あまつさえ全身の血液を一滴残らず吸い尽くされた牛の死骸が。いわく怪現象の起こる前後には決まって、基地の夜空に奇妙な発行体が目撃される。いわく基地の周辺をときおり徘徊する真っ白な小人は、軍の怪しい実験の産物であるという。いわく……〉


「抜き取った動物の血に、風呂みたいに体を浸けるのがアーモンドアイどもの食事のやり方なんだってな。今回たまたまバーベキューにされたのは、牛じゃなくてカメラマンのフランク・ソロムコだった」


〈人と獣の死を一緒くたにするんじゃない、バチ当たりめ。フォーリング、きみは、遺族が心を沈める火葬場にまでデミグラスソースを持ち込む気かね?〉


「平等主義って呼んでくれ。ステーキハウスでも祈りは欠かさないぜ、俺は」


 肩をすくめたロックの鼓膜を、金属どうしを擦り合わせる爆音が震わせた。


 あの戦闘機が加速し、離陸したのだ。


 手首のスナップを効かせて、ロックも指先の紙飛行機を飛ばした。


 さわやかな風に乗って、しかし紙飛行機ははかなく防護柵の足元へ墜落してしまう。そこには、おお。すでに数えきれない量の紙飛行機が山を作っている。やはり暇なのだ。ぼりぼり頭をかくロックの手もとで、腕時計の中のネイは嘆息した。


〈外宇宙の業火にさらされた不運なカメラマン。カメラマンの最後の写真と組織ファイアのレーダー網、双方で確認された邪悪な未確認飛行物体。そして、そのUFOを無神経に撃ち落としたエージェント・フォーリング〉


「いい加減にしてくれよ」


〈事件当日のある瞬間、それら三つはたしかに直線上に位置していた。直線のスタート地点は、いまきみのくつろぐエワイオ空軍基地だ。痕跡の線をさらに伸ばした先には、ヒノラ森林公園近くの最終防壁に開いた〝虫食い穴〟がある。それに新たに加わったのは、私とともに現在、ヘリの貨物室で揺られる二人目の焼死体の発見場所だ〉


「UFOの墜落場所からまた見つかったんだってな、別のバーベキューが。こんどの死体の形は地球人かい? それとも?」


〈ふつうの人間、に見える。なぜかその右半身は、ごっそり失われているが〉


「右……」


 ふと思い当たったように、ロックの眉はひそまった。


 頭をよぎったのだ。三月七日のあの夜、銃弾で断ち切ったのもたしか逃げたジュズの右側ではなかったか。だがジュズと人間……紐づけて同一視するのも突拍子がない。


「いや、まさか、な。とにもかくにも、証拠のロイヤルストレートフラッシュだ。ナパームでもなんでも落っことして、とっとと吹き飛ばすのをオススメするね、こんないかがわしい基地は」


〈説明するのもバカバカしいが、いいかね。爆弾を投下するためには戦闘機を飛ばす必要がある。地上からの制圧なら戦車か装甲車だ。そして、そんな戦力を動かせるのは軍か政府しかない。軍を攻撃するということは〝組織ファイア〟の旗を掲げるのと同じだよ〉


「へへ、目にもの見せてやろうぜ」


〈エワイオ空軍基地……仮にもシェルター都市の貴重な防衛線を、我々みずからが攻撃する? 戦火を逃げ惑いながら、市民は思うだろうな。政府の暗部や過激派が、組織がついにクーデターを起こしたと。軍は喜び勇んで、敵勢力に反撃の牙を剥くだろう。テロリストでしかない我々も、いっさい文句を言えない。そして戦争のダメージは、基地はおろか間違いなく都市の防壁にまで及ぶ。つまりフォーリング。きみの意見など笑止ということだ〉


「じゃあ代わりに、俺に十分くれよ」


〈なんだと?〉


「いや、五分でいい。たったの五分間だ。五分ポッキリ。俺がやつらを綺麗に掃除するって意味さ。心配すんな、基地の外には火の粉ひとつ漏らさねえ。アーモンドアイご自慢のキーキーいう鳴き声も、よ。五分もありゃ、きっちりやつらを滅ぼせる。値の張るミサイルとかを飛ばすよか、よっぽど安上がりだろ?」


〈忘れていたよ、きみがアル中の狂犬であることを。きみを抑える鎖が外されるのは、今回の敵の動機がはっきりしてからだ。なぜアーモンドアイは、これだけ多くの足跡を残すのか? いったいなんの目的で? 政府に喧嘩を売るリスクを犯してまで、シェルター都市の内外を行き来する理由は? 組織は目に見える危機の芽より深く、その底へと続く矛盾の根を辿らねばならない〉


 切々となだめるネイをよそに、ロックは派手にくしゃみを放った。


「っくしょい! くそ!」


 農地ならではの花粉にやられたらしい。ずっと枕代わりにしていたハードカバーの辞典を開くや、ロックはそのうち一ページを乱雑に破り取った。


 なんの小説だろう。ページ数がかなり減っているのを見れば、折っては飛ばしていた紙飛行機の材料もこの本だったようだ。その紙切れで思いきり鼻をかむロックへ、ネイも通信機の向こうで顔をしかめている。


〈フォーリング……〉


「あい?」


〈私にはひどく危険なものに感じる。きみを突き動かすその激しい衝動が。〝アーモンドアイへの復讐〟……まだ救えると思っているのか、レジーナのこと?〉


 強い風に、緑の絨毯は波打った。


 舞い上がる草花、たくさんの紙飛行機。飛ばされまいと手で押さえた中折れ帽の下、隠れたロックの瞳には暗い炎が宿っている。ここではない、どこか遠くを睨んで。


 それも束の間、ロックの唇にはいつもどおりの皮肉な笑みが甦った。


「危険? この俺が? よしてくれよ」


 そう。逃がさない。あいつらだけは、絶対に。


「組織を裏切って、長く生きられるなんざ思っちゃいないさ。第一、いつもどこかで目を光らせてるもんなァ。俺専用の始末屋が?」


〈なに? なんのこと……〉


「おっと、迷える子羊を発見だ。切るぜ」


 その人影の接近に、ロックもついに気づいた。


 基地に張り巡らされた防護柵の下、累々と重なる紙飛行機のひとつを拾ったのは、いかめしい中年の男だ。たったいま交通事故に遭いでもしたかのように、その外見は薄汚れている。


 頭痛をこらえて紙飛行機を開き、中に記された本文を目にしたとき、中年男の顔はさらに歪みを増した。破り捨てられているのが、聖書の一ページだと知ったからだ。


「〝だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。マタイ福音書第五章三十九節〟……フォーリング。てめえ、ヤクの売人だってレイプ魔だって、こんな、聖書をちり紙同然に扱うマネはしねえぞ」


 禿頭の中年男……ウォルター・ウィルソン警部が震える声でうなっても、ロックは寝転んだまま無言だった。


 そのひょろ長い両足が大きく上がると、下げる反動でロックは跳ね起きている。脱いだ上着を肩に引っかけ、くわえたタバコに火をともしながらロックは答えた。


「売人、暴漢、殺人鬼……そんな連中に聖書の正しい使い方を教えるのも、神父ってやつの務めさ。ありがたいだろ。鼻がかめりゃ、ケツだって拭ける」


「イカれてやがるな! 完璧に!」


 ひと声吠えるなり、ウォルターはロックのネクタイを締め上げた。


 激しく前後に揺れたのは、そのままロックの背中を押しつけた金網だ。高圧電流でも流れていたら、お互いただでは済まなかった。なぜ刑事は、ここまで怒り心頭なのだろう。


 軋るような戦闘機の飛翔音に顔をしかめつつ、ウォルターはさっさとロックの身体検査を始めた。おとなしくお手上げしたまま、ロックも呆れた笑みを浮かべている。


「やれやれ。今日もまたいっそう敬虔だねぇ、ウォルターのだんな。真っ昼間から神の御使いを恐喝かい?」


「神、神だと? ハッ、バカは起きながら寝言をほざくってのは本当だな。てめえごときが聖職者なら、俺はソプラノの聖歌隊か? ん? 寝ても覚めても香の代わりに、血と硝煙のニオイをプンプンさせてる生臭坊主なんてのは……」


 全身をくまなく粗探しするウォルターの手は、ロックの腰のあたりで止まった。


 引き抜かれた四十五口径の愛銃の光芒は、近ごろ物騒とはいえ、一介の僧侶の護身用にしては過剰なほどよくメンテナンスされている。硬い銃口をぐっとロックの鼻先に押し当て、ウォルターはドスの利いた声で告げた。


「てめえぐらいのもんだ〝ファイア〟」


 鉄砲の安全装置が外されるのを凝視し、ロックは冷や汗混じりに問うた。


「あれ? 審判の日って今日?」

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