「雪花」(15)
アイホートの機外、屋根部分……
ここまでくれば、あたりの環境は地獄を通り越して死そのものへ変じる。音速に近いスピードで、絶対零度のコンクリートの壁を突破し続けると例えれば話は早い。
アイホートのジェットエンジンは合計で四基だ。うち二つを除いて、故障したそれは猛烈な炎と煙を吐いている。鳥類の吸い込みなど鼻で嘲笑う最新鋭のターボファンを、ここまで徹底的に破壊する手段とは?
答えは機の胴体上部、いまも繰り広げられる奇妙な光景にあった。
「…………」
「~~~ッ」
怪物の咆哮は、どこか切なげだった。
天高く掲げられて身をよじるのは、ダリオンの雑草ではないか。その喉首をたやすく掴み上げるのは、ただでさえ巨大なこの種をさらに超える太さの腕だ。手をたどれば、機上にそびえ立つ異形の姿が望める。
そのダリオンは、通常のそれとは一線を画す存在だった。
まず、でかい。通常のダリオンより頭一つ、いや二つぶんは。発芽の直後こそ普通だった甲殻の外見も、全体的にずいぶん派手な体色に染まりつつある。
ただ、彼もしくは彼女を別次元たらしめるのは、それだけではない。異次元の頑丈さを備えたその腰の付け根、見よ。第二の口腔とも呼べる尻尾の卵管は、いまや限界まで肥大してそれだけでダリオンの全長を上回る。持ち主の呼吸にともない、毒々しい色彩を開けては閉じるのは先端の大きな花弁だ。
進化論の外側から迷い込んだこの変異種の学名は、ダリオン〝花王〟……
その身体構造は依然、着実に成長を遂げている。
だがどう説明すればよいものか、王が下僕を襲うこの状況を。キングの背後に控えるもう一匹のダリオンにも、捕らえられた仲間を助けるそぶりはない。さっきから順番に同じ洗礼を受ける同胞たちに漏れず、この雑草また運命を悟っているのだろう。
大きく振りかぶるや、キングの腕はかき消えた。
同時に、すさまじい爆発が起きる。計算された角度でキングの投じた雑草が、アイホート主翼のターボファンに吸い込まれたのだ。強力な羽根車が八つ裂きにしたダリオンの死骸は、持ち前の強燃性の血液でエンジン内部をずたずたに焼き溶かした。この限られた条件下で、これほど効果的な爆発物もない。キングは図体だけではなく、頭も冴える。
新たに生じた濃煙の中、キングは残る雑草のうなじに手を這わせた。
ひときわ大輪の花弁が、無事なエンジンへ振り向く。最後の一基だ。この空飛ぶ乗り物を特定の高度まで落とせば勝ちであることは、野性の本能が知っている。
重い風鳴りが、キングの背後に舞い上がったのはそのときだった。
「お取り込み中、失礼します」
とっさに翳された雑草の体を、機銃掃射の雨は削り取った。衝撃でキングの手から滑った肉の盾は、たちまち雪雲のかなたへ落ちていく。
怒りの雄叫びをあげ、キングは見た。流線型の機体が、回転翼を高速で疾走させながら突進してくるのを。
鳥ではない。人間でもない。
ヘリコプターだった。
そう。戦闘ヘリに変形したヘリオだ。
踏ん張られたキングの脚は、火花を散らして後ろへ退った。
戦闘ヘリとすれ違いざま、キングの鉤爪がヘリオの機首を掴んだのだ。ハンマー競技の勢いで旋回するや、アイホートの尾翼のほうへ思いきりヘリオをぶん投げる。腕力も他のダリオンの比ではない。
吹雪を縫って、複雑な金属音は連続した。空中のヘリオが変形を解いたのだ。尾翼を踏み台にして跳躍し、一回転した白衣の姿は、片膝をついて機上に着地している。
威嚇の吠え声を高鳴らせるキングを前に、ヘリオは視線をあげた。弾丸と化して頬を叩く雪粒もなんのその、内部骨格むき出しの顔は笑っている。
「珍しい場所で会いますね。切符を拝見します!」
言葉は暴風に預け、ヘリオは駆け出した。
駆け出すなり、戦闘ヘリに変形。屋根の中央までは一瞬だ。ふたたび人型に戻ったときには、真正面からキングと激突している。
白衣の袖を割って現れた剣状の機関銃は、突き入れられた刹那に光った。即座にキングが跳ね除けた片腕の先から、銃撃はあらぬ方角へ逸れる。お返しにヘリオの横面を痛打したのは、体ごと振り抜かれたキングの尻尾の切っ先だ。損壊の砂嵐を最後に、ヘリオの視界画面の片側半分は闇に閉ざされる。さらにもう一挺、右腕と交叉して火を噴いた左の銃剣ごと、ヘリオの手は掴み取られた。
金属音とともにヘリオの脇腹へ噛みついたのは、キングの花弁状の顎だ。恐ろしい咬合圧にひしゃげ、しぶいた疑似血液は地面に斑模様を描く。そのままキングは、ヘリオを機体の端まで押しやった。アイホートの表面に刻まれるのは、ヘリオの靴底から伸びた深い爪痕である。マタドールの固定用アンカーがまるで役に立たない。
ヘリオの背中が衝突し、アイホートの尾翼はへこんだ。まだ容赦なくキングの膂力を加えられ、特殊複合金属の脊椎は耳障りな悲鳴を漏らして仰け反っていく。隻眼と化したヘリオの視界に乱れ舞う警告、警告、警告……
食いちぎった大量の配線をたらし、キングの顔は花開いた。研ぎ澄まされた錐のごとく筋繊維を凝縮した尻尾の先端が、ヘリオの眉間に狙いを定める。キングの誇る硬度であれば金属人形の急所を貫くことも可能だし、そこを破壊されたらさすがのヘリオも一巻の終わりだ。
壁に押し付けられたまま、ヘリオは苦悶した。
「機体の損傷率は九十%以上……ちょっと難しそうですね、あなたの生け捕りは」
雁字搦めにされたヘリオの銃剣は、ろくな照準もなく発砲した。傷ついた足と肩の一部から血をほとばしらせ、キングは俊敏に飛び離れている。体液に滑り光るその足跡を起点に、アイホートを見舞ったのは壮絶な燃焼だ。
倒れかかる自機を片手で支え、ヘリオは狼狽した。
「しまった、これでは自滅です。他の兵器を使うにも、角度が足りません」
故障した片目は瞑ったまま、ヘリオはキングを見据えた。体内の安定器の異常で、足もとがふらつくのも止むを得ない。白衣の胸に浴びたダリオンの返り血は、人工皮膚に鎧われた動力源をいまも超高温で蝕んでいる。熱暴走は目の前だ。
強すぎる。
いつしかキングは、四足獣のごとく身をたわめていた。飛びかかる寸前の獅子そのものだ。次の一撃は、確実にヘリオを機外へ叩き落とすだろう。
「動作不良で、ヘリに変形することもできません……ならば!」
ヘリオは腕を薙ぎ払った。
ふいに急ブレーキをかけて止まったのは、床を蹴ったキングだ。二転三転したのも束の間、すぐに飛び起きる。色鮮やかな液体をたたえた注射器が、キングの胸に突き刺さっているではないか。
専用の毒薬〝青虫〟だ。
唸りを放ち、キングはその不快な異物を払い落とした。
かと思いきや、次の瞬間、追加の注射針はこんどはキングの土手っ腹に生えている。それだけではない。その手に、足に、そして頭に、目にも留まらぬスピードで飛来する特効薬の針、針、針、針。
無数の注射器を投じた姿勢で、ヘリオは状況を静観した。全身いたる箇所から、燃料臭い煙と漏電が吹き荒れている。
「…………」
涼しい雰囲気で、キングは一歩前進した。
効いていない!?
粘液の糸を引き、ぼとりと地面に跳ねたものがある。キングの頭部を見れば、花弁がひとつ足りていない。おまけに、手といわず足といわず、キングのけばけばしい体表は、鹿についばまれる樹皮みたいに剥がれ落ちていく。
忘れてはならない。青虫を作った化学者が、モニカ・スチュワートが類稀な天才であることを。
バケツを引っくり返したように胃液を逆流させながら、キングは跳躍した。背後からの追い風をも味方につけ、枯れかかった鉤爪を眼下のヘリオめがけて一閃する。毒が回っているにも関わらず、とんでもない反射神経だった。しかし、角度は十分だ。
ヘリオはささやいた。
「その〝痛み〟……大切です」
鋭い駆動音がこだました。
身構えたヘリオの両の太ももが、膝が、脛が、左右の肩が、背中が、いっせいに外側へ展開したではないか。全開放されたヘリオの機体内部に輝くのは、おびただしい量の超小型ミサイルの砲門だ。およそ蜂の巣を連想させる。
微笑みとともに、ヘリオは叫んだ。
「踊りましょう!」
急旋回したヘリオの周囲を、ミサイルの熾烈な発射炎は駆け抜けた。
続けざまに爆光を咲かせたのは、空中のキングだ。ミサイルは直撃した。それでもなおキングは生きている。だからヘリオは止まらない。華麗なステップを踏みつつ、コマのごとき高速ターンを連続し、情熱的にスピンを切り返しながら、ミサイルを射つ、射つ、射つ、射つ。
スリップ音を響かせ、機械仕掛けの闘牛士は停止した。
沈黙に流れるのは、吹雪の歌だけだ。
「…………」
ヘリオの鼻先を、灰色の花弁がかすめた。
それも、一枚や二枚ではない。何百枚も、何千枚も……青虫を投与されたあげく、マッハの爆撃で袋叩きにされ、かろうじて消し炭と化したキングの破片を、雪風が運んだのだ。
「お大事に」
つぶやいて、ヘリオはがくりと両膝をついた。機体に絡みつくのは、故障の電光と発煙だ。はち切れんばかりに視界を埋める損害評価報告は、人型自律兵器の活動限界と修理の必要性を声高に訴えている。
ヘリオの聴覚と打って変わって、あたりは静かだった。
「動体反応あり」
うなだれて眠ったかに思われたが、ヘリオの顔が跳ね上がるのは唐突だった。いそがしく拡大と伸縮を繰り返す高解像度の瞳孔で、ぶ厚い雲の層を見上げる。
「型式、未確認。構造、未確認。識別不能の飛行物体が、高高速でアイホートに接近しています。その反応は六、七、八、九……多数」
雪はやんだ。ぴたり、と。
音も、風すらも消えた。時が止まったように。
突如、雲を押しのけて現れたのは、まばゆい発光だ。大きい。飛行機と同じ速度で、しかし吐息ほどの音もなく物体は浮遊していた。奇妙な艶に覆われた外装や、噴射口ばかりか翼ひとつ窺えない形状は、この世界を行くどの乗り物とも異なる。渡り鳥の大群さながらにアイホートを囲む光、光、光……
UFOたちは、絶え間なく光のリズムを奏でている。赤、青、黄から始まる七色の明滅は美しい。一定でありながら不規則なそのテンポは、まさしく互いに言葉を交わしている証拠だ。
連れていこう、連れていこう、と。
彼らだった。
「弱りましたね。どうしましょ?」
途方に暮れるかたわら、ヘリオの腕の銃剣は跳ね上がった。撃つ撃つ撃つ。
火線の弾道は、立て続けに明後日の方角へねじ曲がった。代わりに、有機物とも無機物ともつかぬUFOの装甲には、発砲の数だけ水のような波紋が広がっている。光どうしが織りなす不可視の障壁に阻まれ、銃撃はこれっぽっちも届かない。
弾き出された排薬莢たちは、ヘリオの足もとで虚しい鈴音を鳴らした。
「弾数残りゼロ……さて」
頼みの綱のミサイルはとっくに射ち尽くした。あらゆる容量を機体の安定に割いているため、アイホート自身の堅牢な対UFO迎撃システムも反応しない。同じ景色を眺める操縦席のモニカもまた、いまごろは下で驚愕と絶望に苛まれているはずだ。
片腕の手首に、ヘリオはそっと指をそえた。
銀色の反射をこぼすのは、多くの機能を携える組織の腕時計だ。表面のパネルに、必殺の暗号を打ち込む。これこそがすべての元凶、バナンの廃墟を震撼させた災害の原因に他ならない。
自爆装置……
刻まれ始めた警告音を聞き、ヘリオはちょっぴり残念そうに誤魔化し笑いした。
「すいません、スチュワートさん……本当にすいません」
UFOが爆発したのはそのときだった。
「!?」
それだけに留まらない。断末魔の炎を吐いたかと思えば、天地、さらには前後左右のUFOさえもが、次々と墜落し始めたではないか。
はるか彼方から飛来した幾筋もの光の細糸が、UFOどもを正確無比な狙いで射抜いてみせたのだ。
ヘリオは目を瞠った。
「これは……サーコアの方向から!?」
慌てて離脱に移った最後のUFOまで撃ち落とすと、魔法じみた狙撃はようやく途絶えた。
特殊ライフル弾が残した螺旋状の輝きは、ゆっくりほどけていく。幻想的に雪空へ散ったのは、沢山の透き通った羽根だ。いましがた天使でも通り過ぎたに違いない。これほど強力な電磁場に超加速された銃弾には、さしもの異星人のバリアもお手上げである。
「くくく……」
小さく拍手し、ヘリオは腕時計の自爆プログラムを取り下げた。ずっと遠くにうっすら滲むシェルター都市サーコアの陰影へ、最大限の称賛を送る。
「ハイスコアですよ、フォーリングさん」
首都サーコアの、外。
寒風の厳しい防壁の頂上付近で、ロック・フォーリングは超長距離狙撃ライフルのスコープから静かに瞳を離した。真っ赤に灼けた銃口からは、いまだ牙のごとき硝煙が立ち昇っている。馬上剣のように長く尖ったその銃身にそって、かすかに駆け巡る稲妻……
「五キロ丁度だ」
タバコに火をつけると、ロックは身をひるがえした。




