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スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第三話「雪花」
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「雪花」(15)

 アイホートの機外、屋根部分……


 ここまでくれば、あたりの環境は地獄を通り越して死そのものへ変じる。音速に近いスピードで、絶対零度のコンクリートの壁を突破し続けると例えれば話は早い。


 アイホートのジェットエンジンは合計で四基だ。うち二つを除いて、故障したそれは猛烈な炎と煙を吐いている。鳥類の吸い込みなど鼻で嘲笑う最新鋭のターボファンを、ここまで徹底的に破壊する手段とは?


 答えは機の胴体上部、いまも繰り広げられる奇妙な光景にあった。


「…………」


「~~~ッ」


 怪物の咆哮は、どこか切なげだった。


 天高く掲げられて身をよじるのは、ダリオンの雑草ウォーリアーではないか。その喉首をたやすく掴み上げるのは、ただでさえ巨大なこの種をさらに超える太さの腕だ。手をたどれば、機上にそびえ立つ異形の姿が望める。


 そのダリオンは、通常のそれとは一線を画す存在だった。


 まず、でかい。通常のダリオンより頭一つ、いや二つぶんは。発芽の直後こそ普通だった甲殻の外見も、全体的にずいぶん派手な体色に染まりつつある。


 ただ、彼もしくは彼女を別次元たらしめるのは、それだけではない。異次元の頑丈さを備えたその腰の付け根、見よ。第二の口腔とも呼べる尻尾の卵管は、いまや限界まで肥大してそれだけでダリオンの全長を上回る。持ち主の呼吸にともない、毒々しい色彩を開けては閉じるのは先端の大きな花弁だ。


 進化論の外側から迷い込んだこの変異種の学名は、ダリオン〝花王キング〟……


 その身体構造は依然、着実に成長を遂げている。


 だがどう説明すればよいものか、王が下僕を襲うこの状況を。キングの背後に控えるもう一匹のダリオンにも、捕らえられた仲間を助けるそぶりはない。さっきから順番に同じ洗礼を受ける同胞たちに漏れず、この雑草ウォーリアーまた運命を悟っているのだろう。


 大きく振りかぶるや、キングの腕はかき消えた。


 同時に、すさまじい爆発が起きる。計算された角度でキングの投じた雑草ウォーリアーが、アイホート主翼のターボファンに吸い込まれたのだ。強力な羽根車タービンが八つ裂きにしたダリオンの死骸は、持ち前の強燃性の血液でエンジン内部をずたずたに焼き溶かした。この限られた条件下で、これほど効果的な爆発物もない。キングは図体だけではなく、頭も冴える。


 新たに生じた濃煙の中、キングは残る雑草ウォーリアーのうなじに手を這わせた。


 ひときわ大輪の花弁が、無事なエンジンへ振り向く。最後の一基だ。この空飛ぶ乗り物を特定の高度まで落とせば勝ちであることは、野性の本能が知っている。


 重い風鳴りが、キングの背後に舞い上がったのはそのときだった。


「お取り込み中、失礼します」


 とっさに翳された雑草ウォーリアーの体を、機銃掃射の雨は削り取った。衝撃でキングの手から滑った肉の盾は、たちまち雪雲のかなたへ落ちていく。


 怒りの雄叫びをあげ、キングは見た。流線型の機体が、回転翼ローターブレードを高速で疾走させながら突進してくるのを。


 鳥ではない。人間でもない。


 ヘリコプターだった。


 そう。戦闘ヘリ(ガンシップ)に変形したヘリオだ。


 踏ん張られたキングの脚は、火花を散らして後ろへ退った。


 戦闘ヘリとすれ違いざま、キングの鉤爪がヘリオの機首を掴んだのだ。ハンマー競技の勢いで旋回するや、アイホートの尾翼のほうへ思いきりヘリオをぶん投げる。腕力も他のダリオンの比ではない。


 吹雪を縫って、複雑な金属音は連続した。空中のヘリオが変形を解いたのだ。尾翼を踏み台にして跳躍し、一回転した白衣の姿は、片膝をついて機上に着地している。


 威嚇の吠え声を高鳴らせるキングを前に、ヘリオは視線をあげた。弾丸と化して頬を叩く雪粒もなんのその、内部骨格むき出しの顔は笑っている。


「珍しい場所で会いますね。切符を拝見します!」


 言葉は暴風に預け、ヘリオは駆け出した。


 駆け出すなり、戦闘ヘリに変形。屋根の中央までは一瞬だ。ふたたび人型に戻ったときには、真正面からキングと激突している。


 白衣の袖を割って現れた剣状の機関銃は、突き入れられた刹那に光った。即座にキングが跳ね除けた片腕の先から、銃撃はあらぬ方角へ逸れる。お返しにヘリオの横面を痛打したのは、体ごと振り抜かれたキングの尻尾の切っ先だ。損壊の砂嵐を最後に、ヘリオの視界画面モニターの片側半分は闇に閉ざされる。さらにもう一挺、右腕と交叉して火を噴いた左の銃剣ごと、ヘリオの手は掴み取られた。


 金属音とともにヘリオの脇腹へ噛みついたのは、キングの花弁状の顎だ。恐ろしい咬合圧にひしゃげ、しぶいた疑似血液は地面に斑模様を描く。そのままキングは、ヘリオを機体の端まで押しやった。アイホートの表面に刻まれるのは、ヘリオの靴底から伸びた深い爪痕である。マタドールの固定用アンカーがまるで役に立たない。


 ヘリオの背中が衝突し、アイホートの尾翼はへこんだ。まだ容赦なくキングの膂力を加えられ、特殊複合金属セラミクスチタニウムの脊椎は耳障りな悲鳴を漏らして仰け反っていく。隻眼と化したヘリオの視界に乱れ舞う警告、警告、警告……


 食いちぎった大量の配線をたらし、キングの顔は花開いた。研ぎ澄まされた錐のごとく筋繊維を凝縮した尻尾の先端が、ヘリオの眉間に狙いを定める。キングの誇る硬度であれば金属人形の急所を貫くことも可能だし、そこを破壊されたらさすがのヘリオも一巻の終わりだ。


 壁に押し付けられたまま、ヘリオは苦悶した。


機体わたしの損傷率は九十%以上……ちょっと難しそうですね、あなたの生け捕りは」


 雁字搦めにされたヘリオの銃剣は、ろくな照準もなく発砲した。傷ついた足と肩の一部から血をほとばしらせ、キングは俊敏に飛び離れている。体液に滑り光るその足跡を起点に、アイホートを見舞ったのは壮絶な燃焼だ。


 倒れかかる自機を片手で支え、ヘリオは狼狽した。


「しまった、これでは自滅です。他の兵器を使うにも、角度が足りません」


 故障した片目は瞑ったまま、ヘリオはキングを見据えた。体内の安定器の異常で、足もとがふらつくのも止むを得ない。白衣の胸に浴びたダリオンの返り血は、人工皮膚に鎧われた動力源をいまも超高温で蝕んでいる。熱暴走は目の前だ。


 強すぎる。


 いつしかキングは、四足獣のごとく身をたわめていた。飛びかかる寸前の獅子そのものだ。次の一撃は、確実にヘリオを機外へ叩き落とすだろう。


「動作不良で、ヘリに変形することもできません……ならば!」


 ヘリオは腕を薙ぎ払った。


 ふいに急ブレーキをかけて止まったのは、床を蹴ったキングだ。二転三転したのも束の間、すぐに飛び起きる。色鮮やかな液体をたたえた注射器が、キングの胸に突き刺さっているではないか。


 専用の毒薬〝青虫ケルタプラ〟だ。


 唸りを放ち、キングはその不快な異物を払い落とした。


 かと思いきや、次の瞬間、追加の注射針はこんどはキングの土手っ腹に生えている。それだけではない。その手に、足に、そして頭に、目にも留まらぬスピードで飛来する特効薬の針、針、針、針。


 無数の注射器を投じた姿勢で、ヘリオは状況を静観した。全身いたる箇所から、燃料臭い煙と漏電が吹き荒れている。


「…………」


 涼しい雰囲気で、キングは一歩前進した。


 効いていない!?


 粘液の糸を引き、ぼとりと地面に跳ねたものがある。キングの頭部を見れば、花弁がひとつ足りていない。おまけに、手といわず足といわず、キングのけばけばしい体表は、鹿についばまれる樹皮みたいに剥がれ落ちていく。


 忘れてはならない。青虫ケルタプラを作った化学者が、モニカ・スチュワートが類稀な天才であることを。


 バケツを引っくり返したように胃液を逆流させながら、キングは跳躍した。背後からの追い風をも味方につけ、枯れかかった鉤爪を眼下のヘリオめがけて一閃する。毒が回っているにも関わらず、とんでもない反射神経だった。しかし、角度は十分だ。


 ヘリオはささやいた。


「その〝痛み〟……大切です」


 鋭い駆動音がこだました。


 身構えたヘリオの両の太ももが、膝が、脛が、左右の肩が、背中が、いっせいに外側へ展開したではないか。全開放されたヘリオの機体内部に輝くのは、おびただしい量の超小型ミサイルの砲門だ。およそ蜂の巣を連想させる。


 微笑みとともに、ヘリオは叫んだ。


「踊りましょう!」


 急旋回したヘリオの周囲を、ミサイルの熾烈な発射炎は駆け抜けた。


 続けざまに爆光を咲かせたのは、空中のキングだ。ミサイルは直撃した。それでもなおキングは生きている。だからヘリオは止まらない。華麗なステップを踏みつつ、コマのごとき高速ターンを連続し、情熱的にスピンを切り返しながら、ミサイルを射つ、射つ、射つ、射つ。


 スリップ音を響かせ、機械仕掛けの闘牛士マタドールは停止した。


 沈黙に流れるのは、吹雪の歌だけだ。


「…………」


 ヘリオの鼻先を、灰色の花弁がかすめた。


 それも、一枚や二枚ではない。何百枚も、何千枚も……青虫ケルタプラを投与されたあげく、マッハの爆撃で袋叩きにされ、かろうじて消し炭と化したキングの破片を、雪風が運んだのだ。


「お大事に」


 つぶやいて、ヘリオはがくりと両膝をついた。機体に絡みつくのは、故障の電光と発煙だ。はち切れんばかりに視界を埋める損害評価報告ダメージリポートは、人型自律兵器アンドロイドの活動限界と修理の必要性を声高に訴えている。


 ヘリオの聴覚センサーと打って変わって、あたりは静かだった。


「動体反応あり」


 うなだれて眠ったかに思われたが、ヘリオの顔が跳ね上がるのは唐突だった。いそがしく拡大と伸縮を繰り返す高解像度の瞳孔で、ぶ厚い雲の層を見上げる。


「型式、未確認。構造、未確認。識別不能の飛行物体が、高高速でアイホートに接近しています。その反応は六、七、八、九……多数」


 雪はやんだ。ぴたり、と。


 音も、風すらも消えた。時が止まったように。


 突如、雲を押しのけて現れたのは、まばゆい発光だ。大きい。飛行機と同じ速度で、しかし吐息ほどの音もなく物体は浮遊していた。奇妙な艶に覆われた外装や、噴射口ばかりか翼ひとつ窺えない形状は、この世界を行くどの乗り物とも異なる。渡り鳥の大群さながらにアイホートを囲む光、光、光……


 UFOたちは、絶え間なく光のリズムを奏でている。赤、青、黄から始まる七色の明滅は美しい。一定でありながら不規則なそのテンポは、まさしく互いに言葉を交わしている証拠だ。


 連れていこう、連れていこう、と。


 彼ら(アーモンドアイ)だった。


「弱りましたね。どうしましょ?」


 途方に暮れるかたわら、ヘリオの腕の銃剣は跳ね上がった。撃つ撃つ撃つ。


 火線の弾道は、立て続けに明後日の方角へねじ曲がった。代わりに、有機物とも無機物ともつかぬUFOの装甲には、発砲の数だけ水のような波紋が広がっている。光どうしが織りなす不可視の障壁バリアに阻まれ、銃撃はこれっぽっちも届かない。


 弾き出された排薬莢たちは、ヘリオの足もとで虚しい鈴音を鳴らした。


「弾数残りゼロ……さて」


 頼みの綱のミサイルはとっくに射ち尽くした。あらゆる容量を機体の安定に割いているため、アイホート自身の堅牢な対UFO迎撃システムも反応しない。同じ景色を眺める操縦席のモニカもまた、いまごろは下で驚愕と絶望に苛まれているはずだ。


 片腕の手首に、ヘリオはそっと指をそえた。


 銀色の反射をこぼすのは、多くの機能を携える組織ファイアの腕時計だ。表面のパネルに、必殺の暗号を打ち込む。これこそがすべての元凶、バナンの廃墟を震撼させた災害の原因に他ならない。


 自爆装置……


 刻まれ始めた警告音カウントダウンを聞き、ヘリオはちょっぴり残念そうに誤魔化し笑いした。


「すいません、スチュワートさん……本当にすいません」


 UFOが爆発したのはそのときだった。


「!?」


 それだけに留まらない。断末魔の炎を吐いたかと思えば、天地、さらには前後左右のUFOさえもが、次々と墜落し始めたではないか。


 はるか彼方から飛来した幾筋もの光の細糸が、UFOどもを正確無比な狙いで射抜いてみせたのだ。


 ヘリオは目を瞠った。


「これは……サーコアの方向から!?」


 慌てて離脱に移った最後のUFOまで撃ち落とすと、魔法じみた狙撃はようやく途絶えた。


 特殊ライフル弾が残した螺旋状の輝きは、ゆっくりほどけていく。幻想的に雪空へ散ったのは、沢山の透き通った羽根だ。いましがた天使でも通り過ぎたに違いない。これほど強力な電磁場に超加速された銃弾には、さしもの異星人アーモンドアイのバリアもお手上げである。


「くくく……」


 小さく拍手し、ヘリオは腕時計の自爆プログラムを取り下げた。ずっと遠くにうっすら滲むシェルター都市サーコアの陰影へ、最大限の称賛を送る。


「ハイスコアですよ、フォーリングさん」



 首都サーコアの、外。


 寒風の厳しい防壁の頂上付近で、ロック・フォーリングは超長距離狙撃ライフルのスコープから静かに瞳を離した。真っ赤に灼けた銃口からは、いまだ牙のごとき硝煙が立ち昇っている。馬上剣のように長く尖ったその銃身にそって、かすかに駆け巡る稲妻……


「五キロ丁度ジャストだ」


 タバコに火をつけると、ロックは身をひるがえした。

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