「雪球」(4)
殺人、麻薬、詐欺、窃盗……
マイナス七十度以下の冷気と吹雪が常時支配する死の外地から、シェルター都市サーコアの防御陣に一歩踏み込めばこれだ。一億人ぽっちの市民自身が〝鳥かご〟〝うさぎ小屋〟〝たこ壺〟等々と揶揄して自嘲する狭い居住空間の中でさえ、日夜犯罪は繰り返されている。戦争に負けて疲弊しきっているはずの人類だが、悪事だけは食後のデザートといっしょで別腹らしい。
言うまでもなく、事件の九十九%は愚かな人間の手によるものだった。おや、一%足りない。答えは簡単だ。それは人間のしわざではなかった。
謎めいた誘拐に始まり、航空機の撃墜、臓器の採取、生体へのいかがわしい発信装置の埋め込み他、超常的な事件の背後に〝やつら〟……異星人の存在が絡んでいた例は枚挙にいとまがない。人工の空に穿たれた破壊孔が見つかるのは、いつもアーモンドアイどもが侵入を終えて帰ったあとだ。
事の重大性などつゆ知らず、人々は安穏な毎日を送っていた。その裏側で繰り広げられる暗闘など、彼らは想像もしない。おそろしく遠い昔から、ある政府の秘密機関が、異世界の存在の監視、追跡、殲滅、痕跡の抹消等を極秘裏に行い、真実につきまとう特殊な情報の漏洩を防いでいるのだ。
特殊情報捜査執行局《Feature Intelligence Research Enforcement》
単語それぞれの頭文字をとって通称〝Fire〟
この組織は秘密と闇に包まれすぎて、存在そのものが幽霊に等しい。規模不明、所在不明、構成人員数不明。同じ政府内でさえわかることは一つだけ、すなわちその殺人的なまでの強引さだ。人類の平和と機密保持のためならば、保育園や市民病院の爆破すら辞さないという。
もっとも始末に負えないのは〝裏切り者〟の存在だった。地球人でありながら我が身の可愛さにアーモンドアイ側へ寝返った人間は、少なからず確実にいるのだ。心と体を宇宙に売った内通者どもは、いつもどこかで人類の動向を盗み見ては盗み聞きし、逐一を外敵に耳打ちしている。
ならば、目には目を。一般社会を隠れ蓑としたアーモンドアイの手下へ肉薄するためには、人類側もそれなりの擬装をせねばならない。
組織の捜査官たちは、そう。神父の格好をしたロック・フォーリングを例に、医者、教師、弁護士、コック、学生、あげく街角の散髪屋などに変装して、壁内のあらゆる箇所から侵略者の動向を探っていた。
ロック自身、緊急でタクシーの運転手に〝転職〟させられていたところだ。本来の運び屋が出張したとたんに偶然、その管轄地でアーモンドアイの出没と誘拐が頻発したのはなぜだろう。なぜかと言えば、誠心誠意に代役を努めた自分のもとへ、組織の上司が怒鳴り込んでくるのにも納得がいかない。
沸騰するサイフォン式のコーヒーメーカーに、ロックは仏頂面で豆の匙を運んだ。
「きょうはまた、課長じきじきに礼拝とは珍しい。あんたの罪をぜんぶ聞けるほど深くはないぜ、献金箱も、俺の器も?」
「悔い改めるのはきみのほうだ、エージェント・フォーリング」
こう切り返したスーツの女は、ネイ・メドーヤという。えらくご立腹だった。
ファイアの捜査一課の課長……暗黒の戦闘集団の最前線を取り仕切る彼女の肩書は、さすがダテではない。教会の私室のそこら中に散乱するゴミや、食べ残して傷んだピザ、缶ビン類を可燃不可燃のゴミ袋へ分別する手際は、うっとうしい小姑、いや洗練された淑女のそれだ。窓辺に頬杖をつき、年頃の少女のように青空をながめるロックを、ネイは冷たい眼差しで釘刺した。
「ヒノラ森林公園での囮捜査、ごくろうだった。そこを中心とした居住区画が三月七日の夜、災害レベルの大規模な停電に襲われた件は聞いているな。ああそうだ。ある掃除嫌いの人間電磁加速砲が、周辺一帯の電源をことごとく食い尽くしたせいだよ」
ネイが追求するのは、あの夜、複数体のジュズと交戦した後、逃亡に移ったUFOを撃ち落としたロックについてのことらしい。実験器具のようなフラスコに出来上がったコーヒーを、ネイとじぶんのカップに注ぎつつロックはつぶやいた。
「そうカッカしなさんなって。更年期かい?」
「黙れ。だれの指示でUFOを撃墜した? 日頃から口を酸っぱくして念押ししているはずだがね。能力の使用前には申請を出せと。本件は立派な命令違反だ。始末書の提出期限もとっくに過ぎている」
「ま、コーヒーでも飲んで落ち着けよ。あ、もしかしてマタニティブルー? ならコーヒーはよしといたほうがいいな」
「一瞬、完全にマヒしたんだぞ! 外壁の防衛網が! きみの電力吸収のせいで!」
首をかしげたロックの側頭部をかすめ、丸めた布巾は台所へ吸い込まれた。それまで丁寧に天井ファンを拭いていたそれを、ネイが怒りに任せて投げつけたのだ。
洗っていない食器の山がいっせいに崩れる音に、ネイは思わず飛び上がった。大あくびを放ち、目尻に浮いた涙をこすって反論したのはロックだ。
「ちらかすなよ」
「うるさい。ぜんぶきみの責任だ」
「能力の事前申請だって? 手紙でも書けってのかい? ジュズが殺人ビームをぶっ放しまくってる一大事に? ポストに入れたラブレターが組織に届くまで、アーモンドアイにもコーヒーを入れて待っててもらうか?」
「いい加減にしろ。そういうときのために、その腕時計の通信機能があるのだろう」
「ああ、これね。つい着けてるのを忘れちまってさ。使い心地がよすぎて」
片手に巻かれた腕時計の銀光が、ロックの瞳に反射した。同じ組織の時計は、ネイの腕にも装着されている。
腕時計と手首のわずかな隙間を、ロックはどこからともなく現れた綿棒で神経質に磨き始めた。ホウキとチリトリを手に身をかがめたまま、顔を曇らせたのはネイだ。
「嫌味のつもりかね?」
「皮膚がかぶれて仕方ねえのさ。安上がりなメッキ使っちゃって」
ただの腕時計に見えるこれは、じつに多くの機能を誇っていた。
深海底の水圧や溶岩の超高熱にも耐えうる頑丈さはもちろんのこと、的確に本人の位置情報を明かす発信機に加え、事細かに組織へ伝えられる所有者の生体反応にはプライバシーのかけらもない。何重もの複雑な暗号で保護された超長距離通信は、ネイのいう捜査官どうしの会話を高精度で行えるばかりか、自他の悪口から恋話まで一言一句逃さず捉えて記録する。
その他おびただしい量の仕組みは、しかしただのオプションにしか過ぎない。組織が後生大事にするのは、ある二つの機能だけだった。
ひとつ、絶対に外れない。無理矢理にでも破壊したり、手首ごと切り落とすのは自由だが、その瞬間、政府の本部には特A級の警報が流れる。すなわち〝裏切り者発生〟のメロディが。
そして、裏切り者を待つ最後の機能はあれだ。
自爆装置……
コーヒーのあまりの苦さに咳払いを連発し、ネイはうながした。
「たまには本部へ顔を出せ。不浄な片手が膿んで腐り落ちる前に。何度も言っているだろう。組織の洗浄室に限っては、腕時計の取り外しは許可されている」
「あれだろ。時計を外してる間のエージェントは、となりの部屋から別のエージェントにきつく監視される。暴走したとき、いつでも始末できるようにな。まるで犬の首輪だぜ」
鼻で嘲笑うのが、ネイの答えだった。
「猟犬でなければ、なんだというのかね?」
むっと眉間にしわを寄せたロックへ、ネイが投げよこしたものがある。
正確には、ネイから情報を転送されたロックの腕時計が、超小型プロジェクターで自動的に空中へ写真を投映したのだ。一か所にまとめた古新聞と古雑誌を、力をこめてポリ紐で縛りながらネイは告げた。
「本題だ」
「はあ?」
写真には、おかしなものが写っていた。
その真っ黒な物体は、炭になるまで火であぶられた木材にも見える。もっとも大きな部分を中心にその先端は五方向へ枝分かれし、ある一点だけはボールのように真ん丸だ。触れると動く電子写真を見やすい角度へ傾けつつ、ロックはたずねた。
「人だろ?」
「人の亡骸だとわかっていながら、十字のひとつも切らん神父がいる。写真のそれは、民間のカメラマンだ。奥歯の治療痕から判明した被害者の名は、フランク・ソロムコ。三月八日の早朝、ジョギング中の農場経営者によって発見された」
「健康中毒の早起きヤローに、朝っぱらからバーベキューはきついな。それにこりゃ、焼き加減が普通と違う。ガソリンの燃える風呂に浸かったって、ここまでこんがり黒焦げにゃならねえ。場所は?」
「軍の施設周辺。エワイオ空軍基地だ」
「このバーベキュー、さてはミリタリー好きかなんかかい。ハネとかキャタピラがついただけの鉄の棺桶に、どうしてそう夢をいだくかね。で、バーベキューはとうとう、カメラ片手にジェットエンジンの奥底にでも潜り込んじまったの?」
「ありえん。存在しない」
「なにが?」
意味深な雰囲気が、ネイの舌使いにこもった。
「こんな片田舎の基地はもとより、地球上にはないはずだ。この特有の放射性物質を通常の数億倍も生み出す兵器は。バーベ……おっと失敬、ソロムコの遺体から検出された残留濃度でさえそれだ。実際に彼を焼いた〝なにか〟の出力は、さらにそれを上回るだろう」
「だんだんキナ臭くなってきやがってきたな、話が。それも、地球外のニオイがする」
バーベキューの写真を、ロックは手早く横へスライドして消した。つぎつぎと虚空へ投射される写真を、興味なさげに見ては捨て、見ては捨てる。
背伸びしたネイは、本棚の上に無言でホコリ取りを這わせた。ある写真を境に、ロックの手が止まることを知っていたからだ。
結果はネイの予想どおりだった。あいかわらず眠たげではあったが、ロックはその一枚だけを見つめている。その視線の鋭さは、射抜くと表現したほうが正しい。
「ヘリや飛行機……じゃねえな」
ロックが問うた写真は、真昼の太陽を撮ったものだった。
いや、違う。その強烈な光の周囲、エワイオ空軍基地の景色はあきらかに夜だ。ロックが流した写真を過去にたどれば、ひとつ前に撮影されたそれには、まだ待機中の軍用ジープと暗闇しか写っていない。
光は突然、撮影者の頭上に降って湧いたのだ。
滑走路の誘導灯? サーチライトの写り込み?
そのどれでもない。よく観察すれば、大きな光は、球体にも、三角形にも、あるいは円盤状にも見える。おもむろに宙に円を描き、切れ長の両目を吊り上げてみせたネイは、いったいなにを、なんの乗り物と生物を演じたのだろうか。
掃除と並行して、ネイは続けた。
「ファーストクラスの被曝に見舞われたカメラマンだが、さすがと言うべきか。死後硬直した手は、組織の解剖台に載せられたときでさえカメラを手放さなかった。炭化したフィルムデータから検出されたのが、その写真だ。計算上、ソロムコが撮影した最後の一枚と見て間違いない」
「ジュージュー焼けながら撮ったにしちゃ、うん。写真にいまいち、奇跡ってもんが足りねえな。こんなただ光ってるだけの風景の写真は、いまどきのオカルト雑誌だって買わないぜ。もっとこう、ぶっ飛んだやつはねえのか、ほかに」
「残念ながら、フィルムは壊れて歯抜けだらけだ。復旧にはまだ長い時間がかかる。原子炉のプールに落としたも同然のカメラから、この短期間で、ここまで鮮明なノンフィクションの画像を甦らせたんだぞ。家にも帰らず必死に取り組んだ解析班を、すこしは労ってやってはどうかね?」
「近寄りたかねえよ。そんな、ろくにシャワーも浴びてない連中にゃ」
「さて、ひとつ話をしてやろう。その、忌々しい口も黙る面白い話を」
威圧的に声を低めながら、ネイはなにやら靴を脱ぎ始めた。
両足ともだ。とがったヒールのかかとは、できの悪い部下を指導するのにぴったりに思える。手近なイスの上に登ると、ネイは天井の電灯に手を伸ばした。外した電球は、使い古されて真っ黒だ。ネイが差し込む新品の電球だが、その出どころは家主のロックにもわからない。
「三月七日の夜のことだ。組織の防空部門のレーダーに、都市の内部を高高速で飛行する反応が引っかかった。所属不明、識別不能、無応答の三冠だよ。航路の統計から、この未確認飛行物体が最初に現れたのは、シェルターの防壁ぎりぎりの地点だということも調べがついている」
「じらすじゃねえか、課長。やつらは外から入ってきた。そうだろ? だが、シェルター都市ご自慢の防御機能とやらはどうしたよ?」
「間の悪いことに〝入口〟は修理中の都市天井の〝虫食い穴〟だ。老朽化がひどく、以前にもシールドが崩落を起こしていた。工事の最中は無論、二十四時間態勢で対空兵器と監視員が配備されていたが不十分だったらしい。アーモンドアイの侵入したと思われる経路にそって迎撃網は無残に破壊され、たずさわった人員もすべて行方不明」
「連れてかれた、な」
「いま現在は穴の修繕も終わり、該当箇所は倍の火器とマタドールシステムに堅めさせている。とはいえ……」
ネイの溜息は、やや疲れていた。
電灯のカサの中、幾度かその細腕が回ると、光は唐突に復活する。まぶしさに細まったネイの瞳は、しかし、白く輝くガラスの球体に、なにか別のものを見ているようだった。
「とはいえ、いったんシェルターへの侵入を許したからには、組織は全身全霊をかけてUFOの足取りを追った。だが、ある地域に差し掛かった途端、UFOの反応はぷっつり途絶えてしまう」
「情けねえ。きっとUFOは、コーヒーでも買いにドライブスルーへ寄ったのさ」
「その通りかもしれん」
「えっ?」
「エワイオ空軍基地の上空だ。UFOが消えた場所はそこ。焼死したフランク・ソロムコが最後に〝なにか〟を撮った場所もそこ。興味深いことに、それらの起こった推定時刻はほぼ完全に一致している。そして約十分後、UFOは新たに反応を現した。こんどは都市の最終防壁から内部へ十キロの地点だ。その航路はふたたび、シェルターの外へ向かっている」
「人手不足のピザ屋みたいだな。なにか大事なものを空軍基地に配達して、その帰り道って風にも……ちょっと待てよ。なんでとっとと検挙しないんだ、その基地? どう考えたって怪しいだろ。絶対に〝裏切り者〟が紛れ込んでる。おまけにUFOの航路の記録と写真があって、死人まで出てんだぜ?」
破裂音が、ロックの疑問符をさえぎった。
「証拠不十分だ」
答えたネイの手は、丸めた雑誌を床に振り下ろして止まっている。雑誌の下からのぞいた糸のような触覚は、弱々しく左右に揺れてから動かなくなった。ロックが長年に渡って同居する愛人だ。
「意図は不明だが、UFOはいったんヒノラ森林公園の上空で停滞した。やがてそれは突如、すさまじい勢いで防壁の〝虫食い穴〟へ向かい始める。さながら獲物が捕食者から逃げるように、な。UFOの反応が今度こそ跡形もなく消え、あたり一帯の区画が大停電に見舞われたのは、およそ五秒後のことだ。真相の究明とUFOの捕獲という大任を負った組織の追っ手が着くより早く、大事な証拠を撃ち落としたタクシー運転手、もといエセ神父がいる。おそらくは拳銃一挺で、深い考えもなく」
つまり時系列はこうだ。
あの雲と霧の濃い夜、UFOはまんまとシェルター内部に侵入しおおせた。UFOはなんらかの仕事で極秘裏に、エワイオ空軍基地に着陸。未知の作業を終えたUFOは、しばらくたって基地を離脱しかける。立ち去る間際のUFOに始末されたのは、不幸にも基地の近くに居合わせた目撃者のソロムコだ。
ふたたび壁外へ飛ぶ途中、ヒノラ森林公園の国道に、これまた目撃者になるかもしれない走行中のタクシーを見つけ、UFOは降下。だがタクシーの運転手は運悪く囮捜査中のロックであり、差し向けたジュズも歯が立たない。ほうほうの体で逃げようとしたUFOを、ロックは遠くから電磁加速砲で撃墜してのけた。
「お、俺が撃たなくても、組織の別のチームがUFOを追っかけてたってわけね。撃たなきゃ今頃、アーモンドアイどもを無傷でとっ捕まえ、拷問でもなんでもして基地の裏切り者を白状させてた、と……」
「そうだフォーリング。いまいちど胸に手をあて、おのれの犯した違反の重大さをよく悔いるがいい。やっと黙ったな、いまいましい口が。おもしろい話だったろう?」
にやりとしたネイの鼻先に、洗剤のシャボン玉が漂った。
皿と皿のぶつかる音は、荒れ放題の台所からだ。腕まくりしたネイの手は、積まれた使用済みの食器を次々とスポンジで洗い上げていく。
かたやロックは不満げに、ひょろ長い足をテーブルの角に乗せていた。頭のうしろで手を組んだまま、そっぽを向いて愚痴る。
「じゃ、なんだ。俺がタクシーなんざを転がすはめになった二十五人の蒸発は、ただの誘拐じゃなかったって寸法か。人体実験めあてとかの?」
「拉致は事実だ。被害者たちは、なぜかUFOにどかされた。移動経路の下見にきたアーモンドアイにとって、その存在がどうしても邪魔になる理由があったらしい。そう、たとえばUFOが超危険物……人間を苗床に発芽する〝アレ〟を運び込むため、市民の気配に過敏になっていたり。まあやつらがあの〝天敵〟を欲しがったという例もないから、ありえんことだが。いずれにせよ、用意周到なことだ」
「いつも俺らがやってることだろ。あいかわらず安いカーテンといっしょだな、政府の監視網ってやつは。窓から猫が入るみたいに楽々、侵略者が最後の砦に出入りしやがる」
「空軍長官、参謀長官、エワイオ空軍基地責任者のアンドリュー・マイルズ大佐もふくめて、軍関係者への事情聴取は念入りに行なった。もちろん証言は、いたって当たり障りのないものばかりだ。放射能たっぷりの焼死体? 宇宙人? UFO?」
「うわあ。邪魔しちゃいけないぜ、兵隊さんたちのお仕事?」
「同感だ。ろくすっぽ証拠もなしに、いまどきそんな空想じみた話題を、真顔で語ることになった私の身にもなってみたまえ。案の定あざ笑われて、私はトイレでひとり泣きたい気分だったよ。どこかのダメ神父が撃ち落としたUFOに関連するものは、もう二度と同じ場所には戻らん。ここで警戒を強めないほど、宇宙の常識はイナカではない。エワイオ空軍基地に潜伏する裏切り者と、アーモンドアイの第三種接近遭遇の現場を押さえることはもはや不可能だ」
「だから悪かったって!」
聖なるスイートルームに、呪われた電子音が響いたのはそのときだった。
組織の腕時計が、着信を知らせたのだ。しかめっ面で手首を持ち上げたロックだが、違う。鳴っているのは、泡だらけのネイの手ではないか。
不吉に明滅する時計の表面を、ネイはひとつふたつ触った。歌声は止まる。唇へ寄せた猟犬の首輪に、ネイは押し殺した声で答えた。
「メドーヤだ」
時計に内蔵された超小型スピーカーから、何者かの冷たい声は流れた。
〈エージェント・ジェイス。対象を確保〉
「ごくろう。十分で合流する」
端的に通信を終えた腕時計を下ろし、ネイは洗い終わった食器を水切棚に置いた。濡れた手を丁寧にタオルで拭きつつ、ロックへ告げる。
「きみの撃墜したUFOの墜落現場から、S・K・P・Dがなにかを運び出そうとしたそうだ。非常に神秘的ななにかを、な」
「警察が、組織より早く? やっべ。でもよ、あの高度であの爆発だぜ。手応えからすると、UFOの芯は間違いなくぶち抜いた。現場の残骸も、連中のフシアナの目にゃ、どうせバラバラの鉄クズにしか見えねえって」
「鉄クズ……そう、鉄で焼いてこそのバーベキューだ。残骸の下から見つかった異星人の死体も、さぞやいい具合に焼き上がっているに違いない」
「し、死体ィ?」
瞳を白黒させるばかりか、ロックは喉さえも裏返らせて問うた。
「ジェイスの野郎が動いたってことは……横取りしたんだな、それ?」
「心外な言い方をする。譲り合いの精神に、警察がこころよく応じてくれただけだ。地球外の存在はプロの我々に任せ、警察は人間の犯罪者だけを取り締まっていればいい。世界の矛盾は、政府の闇が覆い隠さねばならん。命拾いしたんじゃないかね、フォーリング?」
「ああ。失敗が積み重なって、これいじょう給料が減ることはなさそうだ」
控えめに十字を切って、ロックはそれとなく腕を伸ばした。伸ばした手の先から、缶ビールが消える。さっき吐き戻したっきり、まだほとんど新品なのに……見せつけるように流し台へ缶の中身を捨てながら、命じたのはネイだ。
「そのまま祈れ、エージェント・フォーリング。ただちにエワイオ空軍基地へ調査に向かうんだ」
「乗らねえな。あいにく午前中と日曜日は仕事しない主義でね。こんだけ真っ黒な基地なんだ。いちゃもんつけて、さっさとガサ入れしちゃえよ。極秘の諜報機関の専売特許ってやつだろ?」
「よくわかってるじゃないか。基地が怪しい動きを見せたら、すぐに一報しろ。組織の判断によっては、さっさと突入してもらうことになる。きみの専売特許だな?」
ネイの薄ら笑いには、有無を言わせぬ迫力がこもっていた。決まりだ。
コートを羽織って出口へ向かう細い背中を、ロックも恨めしげに見送るしかない。給料の上げ下げから暗殺者の派遣まで、およそすべての実権をこの年増女が握っているとはどういうことだ。
「空軍、か。航空ショーに神父の組み合わせたぁ、また縁起のいいことで」
不平をたれつつ、ロックはタバコの箱で机をトントンした。飛び出したタバコの一本を口端にくわえる。ライターの火花が散るのを耳にし、ネイは思わず足を止めた。
「そこに貼られている〝屋内禁煙〟の札の文字……きみの母国語とは違うのかね?」
「隠してくれるさ、政府の闇が」
吹き出された紫煙に、教会の十字架はかすんだ。