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スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第一話「雪球」
3/61

「雪球」(3)

 雨上がりの朝だった。


 広大な居住用シェルターの天井に映し出される雲行きは、まだあまりパッとしない。四百平方キロにも渡って建設された人工の空は、一週間前に予定された降水を終え、徐々に太陽を復旧させつつあった。いきなり明るくしすぎると、目をくらませた運転手が交通事故を起こす。


 階段を登る足音に気づいて、白鳩の群れは飛び立った。


 羽ばたきのこだまは、おぼろげに遠ざかっていく。水溜まりに波紋を広げたのは、抜け落ちた羽根の一枚だ。くすみのない純白は先端から水を吸い、すぐに街の路地裏と同じ灰色に汚れてしまう。


 スモッグに煙るマーベット市を遠く眺め、長い石造りの階段を登りきった高台にフォーリング教会はあった。静かな場所だ。やや寂れてはいるものの、逆にそれが妙な神聖さを醸し出してもいる。


 教会の扉はすこし開いていた。中に人の姿はない。なかったことにする。朝っぱらから教会の長椅子に寝そべって酒臭いいびきを放つハゲオヤジを、世間は人としてカウントしない。飲んだくれのウォルターだ。そのタチの悪さから、警察が手を焼くことも多い。


 そんな神性のダメ人間は放っておこう。


 問題は祭壇の片隅、薄暗い懺悔室だ。


「仲間はすべて敵に回るでしょう。それでも私は戦わなければならない。守らねばならない。あの娘を……ホーリーを救わねばならないんです」


 懺悔室の椅子に縮こまって告解する男……ダニエル・ピアースの面持ちは暗かった。


 正面で耳を傾ける神父の相貌は、細かい格子戸にさえぎられてよく見えない。七色にほの輝くステンドグラスを背景に、ダニエルは沈んだ声で続けた。


「ほんとうに私は臆病者です。正義の騎士を気取りたいにも関わらず、心の奥底ではすがるべきものを探してばかりだ。おのれの弱さを悟ってから、ようやく私は知りました。神という不思議な存在を。信仰の素晴らしさを。でも神はきっと、いまさら手遅れだとおっしゃってますよね、神父さま?」


 戸に浮かぶ神父のシルエットは、ただひたすらに穏やかだった。怒りも、哀れみの情動すらもない。ダニエルが頭をかかえてから、一分がたち、二分がたつ。ん?


「神父さま?」


 ダニエルは視線をあげた。なにか様子がおかしい。


「あの、神父さま、神父さま?」


 どれだけ呼びかけても応答はなかった。信心に目覚めた者からすれば、この沈黙はけっこうつらい。


「神父さま……失礼」


 ひとこと前置きしてから、ダニエルは懺悔室の戸をノックした。ていねいに、しかしやや強めにだ。


 戸口の向こう側から、なにかの倒れる音が返ってくるのはすぐだった。


 あわせて吐き捨てられたのは、神父のものと思われるかすかな悪態だ。まるで椅子から転げ落ちて強打したどこかを、さすって痛がっているようにも聞こえる。


「あ、う……うおお、お」


 病的なうめき声をひいて、神父の気配は床を這いずった。心配してたずねたのは、思わず固まっていたダニエルだ。


「あの、神父さま? お体の具合でも? ひょっとしていま眠って……」


「うるせえ。そうだ、弱ってんだよ、二日酔いで。察しろ」


 ぽかんとした顔つきのまま、ダニエルは言葉もない。しばらくして、不可視の神父は小さく舌打ちした。


「わぁったよ。懺悔を聞きゃいいんだろ、聞きゃ。で、なにやらかした。盗み? 殺し?」


「言い訳はしません。さきほど申し上げたとおりです」


 神父の席は、ぎしぎし鳴っている。貧乏ゆすりの音だった。


「アンコールだ。とっととリピート再生しなよ、迷えるスピーカー。夢の中で聞いた話なんざ、だれだってすぐに忘れるもんさ。それともあれか。あんたの犯した罪とやらは、たったいっぺんの告白ゲロなんかで許されちゃうのかい? そんな軽いもんなの? なら、俺の仕事もここまでだな」


 椅子を立ちかけた神父の影を、ダニエルは必死に止めた。


「わかりました。もういちど最初から話します。話しますから、どうか……」


「言葉はよく選びな。ったく」


 腰痛をこらえる唸りを漏らし、神父は席に座り直した。


 その手もとで、ぺら、と本のページのめくられる音が響く。神父はようやく聖書を開いてくれたらしい。苦悩の色をよみがえらせ、ダニエルはつぶやいた。


「前々から私は、仲間たちのやり方に疑問を感じていました。吐き気さえ覚えていた。来る日も来る日も、仲間は人道に反した実験ばかりを繰り返す。かくいう私も、傍観を決め込むことしかできません。行われているのが、どれほど残酷なことか知っていながら」


「ちょっとタンマ」


「はい?」


「とりあえず、あんたが勘違いしてることはわかった。ふたつだ」


「おお、ぜひお聞かせください」


 間仕切りに食いついたダニエルは、ありがたい説教を確信した。影絵と化した指を折りながら、告げたのは神父だ。


「ひとつめ。あんたの安い月給を、会社が見直す可能性はゼロだ。たとえ特大の十字架のかわりに〝待遇改善〟の横断幕をかかげた我らが神が、大通りを行進したところでよ。これはあんたがダメだから、ってことだけでもねえ。労働組合ってのがただのハリボテにすぎないのは俺もよく知ってる。時勢が悪いね、時勢が」


「は、はあ、月給? では、あやまちの二つめは?」


「ふたつめな。そんな鉄道員じみた世迷い言は、いきつけのバーでたれるこった。神父さまならそうしてるね」


 格子戸の隙間から、神父はダニエルへなにかを投げてよこした。カウンターの上をひらりと舞って落ちたのは、くしゃくしゃのチラシだ。そこに記された〝職業安定所〟の連絡先を眺めつつ、ダニエルは喉を鳴らした。


「転職、ですか……考えたこともありませんでした。頂いておきます」


「石みたいに我慢してアリみたいに働いたって結局、増えるのは女房の愚痴と抜け毛だけだぜ。さ、納得したならそろそろ帰れ。免罪符な、これ」


 ダニエルめがけて、ふたたび机を滑ってくる物体があった。なんだろう。毒々しいピンク色のライターだ。表面に描かれたモデル体型の美女は、あやしい流し目で料金表を示している。夜の店に間違いない。


「札付きのワルにも悪徳知事にも、そいつがいわゆる神の与えた平等ってやつさ。スッキリしなきゃな。天国で待ってろ。神父さまもあとで追いつく」


 神父はそう勧めたが、ダニエルの顔色はいっこうに晴れない。どんよりした瞳は、いまも手もとのライターに落ちたままだ。いったんは収まった神父の貧乏ゆすりも、いつの間にか再開してしまっている。イライライライラ……


「言ったはずだぜ。()()()って」


「最後に、最後にもうひとつ、私を罰してください。罰とは、これから私が犯そうとしている罪に対してです」


「盗みか? 殺しか? 小物臭さがプンプンするぜ」


「なんとでもおっしゃってください。これ以上、仲間の悪事を黙って見過ごすことはできません。ひとつやつらには、思い知らせてやるつもりです。この身を挺してでも」


 間仕切りを挟んではいても、神父が身を乗り出す気配ははっきり伝わった。ダニエルの言葉にふくまれる真剣さ、危険さ等を嗅ぎ取ったらしい。野次馬根性に血走る神父の眼差しは、ダニエルを遠慮なく舐め回している。


「心配しなさんな。この取り調べは、へへ。ポリ公どもの垢のつまった耳になんざ届いちゃいねえ。さあ吐け。吐いて楽になっちまえ。密告? 裁判ざた? ウヒヒ。あんたにできると言や、そこいらが関の山かな?」


 毅然とダニエルは言い放った。


「仲間と殺し合って、実験内容を盗みます」


「いよっ、男前!」


 また一枚、神父は机にチラシを置いた。ひかえめな動きで手もとまで流れてきたそれを眼下に、首をかしげたのはダニエルだ。


「花屋、ですか?」


「花束がいるだろ。マシンガンを隠す真っ赤なバラが。俺があんたなら、ついでに自分の墓に供える用のも買っとくがね」


「はい、頂いておきます。しかし……」


 ダニエルは声を押し殺した。


 教会の入口に、いくつかの来客を認めたためだ。三人いる。ほとんどが制服姿の警官というのは間が悪い。だが彼らの目的はあくまで、あちらの長椅子に寝転がる飲んだくれのウォルターだった。いったいだれが通報したのだろう。


 幸せそうなウォルターの寝顔に、一同は腰に手をあてて呆れ返った。それも残りのひとり、刑事らしき若い女が合図するまでだ。筋骨隆々の警官たちに両脇を掴まれ、なかば引きずられる形で、悪質な酔っ払いは教会の外へ連れて行かれてしまった。野犬そっくりのウォルターの寝言だけが尾を引き、やがてそれも消える。いつものことだ。


 教会には静寂が戻った。


 ひとつふたつ左右を見回して秘匿性を確かめたのは、一部始終を横目で見守っていたダニエルだ。カウンターに置いた手を震えるほど固く握り、白状を再開する。


「しかし仲間の実験は、政府……いや世界そのものが覆るにふさわしい内容です。暴露したあかつきには、人々の混乱は避けられません。そんな罪深い行為を、神は、はたして私や、仲間の命だけでお許しになられるのでしょうか?」


「許した。許したぜ、神父さまが。気の済むまで暴れてきな」


「あの……」


「男になってこい、って言ってんだよ。つまりあれだ。じぶんの会社が気に入らねえんだろ、あんた。めちゃくちゃにぶっ潰したいぐらいに。その気持ち、よ~くわかる。だからこそあんたは、前もって神の家に申請に来た。ドンパチの事前申請にな。そういうクソ真面目なとこが、会社のイヌなんざに成り下がってる原因さ。違うかい?」


「おっしゃるとおりです……」


「そうシケたツラしなさんなって。俺もだんだん、あんたのことが好きになってきた。教会を会社に例えりゃだな、社長はそこの十字架でポールダンスを踊ってる人だ。でもいまの廃れきった世間にゃ、どう考えたって社長不在だぜ。監督不行き届きもいいとこさ。なら、社長の代行はだれがやる。俺だよ、神父さまだよ。その神がかった俺様が、全身全霊でGOサインを出してんだぜ。あんたにゃもう、神のご加護が満タンじゃねえか」 


 ぐっと親指を立て、神父の人影は事の成功を祈った。


「テロの段取りが決まったら、俺にも連絡ちょうだいよ。祭りの当日ばかりは、教会のシャッターを下ろして見物に駆けつけなきゃなんねえ。ほら、聖書のマニュアルにもあるだろ。男を殺せ、女を殺せ、乳飲子を殺せ、牛も羊もラクダもロバも、殺せ、殺せ、ぶっ殺せ、ってな」


 いきおいよく、ダニエルは立ち上がった。


 風変わりな神父に、とうとう物申す気になったらしい。懺悔室を見つめるダニエルの表情は、なんと、さっきまでの陰気臭さがうそのように澄み渡っている。


「あ、ありがとうございます……なんだか、本当に心が軽くなったようです。決心が固まったというか、その」


「いいってことよ。生きてたらまた、気軽に懺悔しにこいや。もし生きてなかったら、死体袋越しに会おう。あ、そうそう、そこの献金箱、飾りじゃないからよろしくね」


「感謝します、お導きに」


 献金箱になにかを差し、ダニエルはふたたび神父に一礼した。きびすを返し、懺悔室をあとにする。聞こえたのは、寄付された札束にうひょおと興奮した神父の声だ。


 ダニエルが気づいたのは、教会の出口へ向かっているときだった。


 いつの間にか、新たな参拝者が長椅子に腰掛けているではないか。


 来客は、糊の効いたスーツを着こなす妙齢の女だった。スカートの膝に載せた薄型軽量のノートパソコンで、なにやら事務にいそしんでいる。神と仕事を同時信仰だ。その落ち着き払った雰囲気は、豊かな教養と若干の疲れを含み、かと思えば、いかにも切れ者風の美貌は、彼女を信じられないほど若くも見せていた。つまりは何歳かよくわからない。


 そんなキャリアウーマンの視線は、ちらと上がった。ダニエルへ軽く会釈した面持ちには、なぜか同情の気配がある。


 一方、陽光へ消えたダニエルを追って、おざなりに十字を切ったのは神父だ。


「いまの話……なんかの冗談、だよな。うん、そうだよ、そうに決まってる。くそ、サイコヤローが。ゲームと現実の区別もついてやがらねえ。ヤバいったらありゃしない」


 グッドラックとささやいて、神父はなにかの缶を開けた。


 同時にいきなり、懺悔室の戸も何者かが開け放っている。


「!?」


 見よ。あらわになった間仕切りの向こう、驚いて背筋を正した神父を。缶ビールの中身を毒霧のように噴き出した男……ロック・フォーリングを。


 行儀悪くテーブルに乗っけられたロックの膝には、聖書が置かれている。聖書だ。水着姿の美女ばかりが色んなポーズを取るカラー版のそれは、不信心な者にはただのグラビア雑誌にしか見えない。


 何本も飲み散らかされた酒の空き缶の上、つもったタバコの吸い殻はいまにも崩れそうだ。その耳にかかったバカでかいヘッドホンも、大音量の聖歌を垂れ流している。聖歌の曲調はやけにヘビーで現代風だが、気合が入ることに違いはない。


「エージェント・フォーリング……」


 ひきつった顔で相手の名を呼んだのは、いましがたのスーツの女だった。聖域の扉をちょっと開けてみれば、この無法地帯だ。たたまれたノートパソコンは怒りのあまり小刻みに震え、いつ角のとがった凶器に変じてもおかしくはない。こめかみに走った青筋を深呼吸で落ち着けるも、上司である女はやはり質問せずにはいられなかった。


「ここは田舎のガソリンスタンドかね? フォーリング?」


 変なところにビールの入った喉を激しく咳き込み、唇を拭いながらロックは答えた。


「か、神のご加護が満タンっスよ、課長」


 教会の鐘は、清らかに鳴っていた。

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