「雪花」(2)
「この惑星の管理人は、我々人類で七番め。ここ、テストに出ます」
シマーナ国立大学の広い講堂、真っ暗な壇上で女はインカムのマイクに語った。
そこだけ眩しい大型のスクリーンが、多種多様な恐竜から、筋骨隆々の原始人の絵に切り替わる。黒革のツナギを着せて、ハーレーにでも乗せたらよく似合いそうな髭面だった。
「これはクロマニヨン人。私たち共通の祖先です。ただ、ほんの三万年ほど前まで、人類の種類はひとつだけではありませんでした。そのもう一種類がこちら、ネアンデルタール人。旧人類と呼ばれています」
白衣の女……大学講師のモニカ・スチュワートは、手もとのポインターで浅黒い別の原始人を示した。
こっちの彼は強面だが、平日はきちんとネクタイを締めて出社し、家庭に帰れば優しい恋人に戻るタイプに違いない。だとしたら好みだ。酒もタバコもボーリングも禁止しないから、あたしもそんな男前の彼氏が欲しい。
「寒さの厳しい地域を生活圏にするのとは裏腹に、旧人類の気性はとても穏やかだったと言われています。ですが喜怒哀楽に富んだ現代人とは、遺伝子工学の観点からもほとんど結びつきがありません。しかし、徐々に進む雪解けにともない、最終的に生き残ったのはなぜか我々の祖先。一説によれば、旧人類が絶滅した原因は、隕石の衝突でも、火山の爆発でもないそうです」
モニカが投射機のリモコンを押すと、一転、スクリーンは戦争の舞台と化した。
必死に逃げ惑うのは大柄な原始人のほう……ネアンデルタール人である。手にした棍棒らしき枝切れからは、文明のかけらも感じられない。
かたや、彼らを襲うやや小さい人影は、鋭く研ぎ澄まされた石器の槍や、高度な松明で武装していた。クロマニヨン人だ。敵意剥き出しなこちらの方にこそ、街角で職務質問される連中に通ずる雰囲気がある。
投射機の焦点を調節しつつ、モニカは続けた。
「生態系ピラミッドの頂点に立つため、それまでの支配者に対し、新しい種族が必ず起こす行動とはなんでしょう。答えはこの絵にあります。まず、環境への順応。これは現代社会においても肝心なことですね。次に……はい、あなた」
いきなりモニカに指名された小太りな女子大生が、顔を上げるまでにはかなり時間がかかった。宝くじにでも当たったような瞠目ぶりだ。「あたし?」とじぶんを指差す生徒めがけ、モニカはかけたメガネを持ち上げて優しく質問した。
「地球を支配するにはどうすればいいでしょうか?」
「あの、えーと……」
救いを求める眼差しで、女生徒はあたりの闇を見回した。
円形の講堂は、お世辞にも人気が多いとは言えない。もしここががら空きの映画館であれば、持ち込んだポップコーンとコーラの音を立てるのもためらわれる。
フットボール部らしい肩の張ったボーイフレンドは、いちゃつく彼女の首筋からまだ唇を離さない。お互い単位取得だけが目当ての女生徒へ、汗臭い笑い混じりに何事か耳打ちする。
うんうんと首肯し、女生徒はためらいがちに答えた。
「せ……選挙に当選する、とかですか?」
「頭の回転が早いですね。瞬時に現代風に例えてみせるなんて、さすが。放課後のデザートバイキングで、きっちり脳に糖分を蓄えてるだけのことはあります」
「うッ!? あたしのひそかな楽しみをなんで知って……?」
「先生も行きつけだからです。夜道にはやや注意ですけど、中華街の〝福山楼〟。サービスいいですよね、あそこ。でも見てください。先生は太りません。なぜでしょう? 頭を使うからです。どうです、こんどご一緒に?」
悪意たっぷりのモニカの笑顔に対し、女生徒は教科書で赤面を隠すばかりだった。その様子を、例のボーイフレンドはジト目で眺めている。ダイエットするっていうあの堅い宣言はなんだったんだ?
「そう、正解は〝食うか食われるか〟です。生存競争に勝ち残るために必要なのは、ひとつ。捕って食べるべき生態系の確保。夢の一人暮らしを始めるにあたって、みなさんもまず、近所に品揃え豊富な食品スーパーを探したはずです。それから次に行うのは、徹底的な天敵の根絶やし。台所の害虫は許せませんよね。これらは人や獣を問わず、およそすべての生命に当てはまる行動原理であり、本能です……あら?」
不意に光の弱まった投影機を、モニカは慌てて手直しした。
どこの教室だ。べらぼうに電力を使って、電磁加速砲の実験でもしているのだろうか。
床のコンセントへしゃがみ込んだモニカの耳に、いやらしい口笛が聞こえた。
しまった、今日はスカートだ。ごく少数とはいえ、授業に皆勤賞の常連がいることは教師の冥利に尽きる。が、なにを見に来ているかと生徒へ聞けば、たぶん、この悩ましい脚線美を見に来ていると答えるに違いない。
ようやく復活したスクリーンを背後に、モニカは機敏に立ち上がった。これ以上は有料コンテンツだ。すまし顔で咳払いし、講義を再開する。
「旧人類と新人類の歴史が交錯した瞬間、そこには異種族間どうしの衝突が起こったと言われています。悲劇の結果、争いを嫌う前者は一方的に滅ぼされ、われわれ血気盛んな後者は新たな文明の担い手となりました。旧人類たちは理不尽に思ったでしょうね。ただ慎ましく穏やかに暮らしていただけなのに、なぜ突然、強引に生命の樹の席を奪われねばならないのか、と。旧人類に対して、我々は侵略者そのものでした……さて」
教壇に置かれた画面に、モニカはタッチペンを走らせた。そのままスクリーンに反映されたのは、書き込んだ文字だ。
〝地球の歴史上、絶滅した生物の数は五百億種を超える〟
「惑星の歩んだ四十六億年を、我々の二十四時間に置き換えてみましょう。人類が繁栄した期間など、まだほんの数十秒にも届きません。そこでです。およそ三十年前の戦争後に立ち去った異星人は別として、もし、シェルター都市の外の氷河期を春風ていどにしか感じず、現在の支配者を、食物連鎖における格好の獲物とみなす天敵が現れたとすれば?」
伏し目がちのモニカの瞳に束の間、うつろな光が駆け抜けた。
暗闇の奥底、粘ついた唾液とともに開く肉色の花びら。足をばたつかせながら、天井裏の亀裂へ素早く引きずり込まれる犠牲者。長い断末魔のこだま。熟れた果実を握り潰すような音を残して、それもじきに止む。
奥歯の震えを噛み殺して、モニカは告げた。
「狩人は、悲鳴であなたの場所を知る……いまの無力な人類など、またたく間に絶滅してしまうかもしれません」
電灯の明かりが、講堂を満たした。授業中の挙手がさっぱりな生徒に限って、固まった体の筋を伸ばす動きだけは一丁前だ。
「本日の講義〝タイトル防衛〟はここまでです。次回のテーマは〝未来喰い〟。レポートの提出は忘れずに」
終礼のベルにスキップさえ踊り、生徒たちは速やかに教室から吐き出されていった。外したインカムを几帳面に折り畳み、数冊の書類や電子端末を小脇に抱えると、モニカは深い溜息をついている。
元気がないのも無理はなかった。愛機のレースレプリカのバイクが白昼堂々、サービスエリアの駐車場で強盗に遭ってからどうも憂鬱だ。あの不審な男はなんだったのだろう。
その場でモニカは気絶したものの、さいわいにして怪我はない。彼女を発見した政府所属のヘリオ医師が診断するには、昏倒の原因は事故のショックだそうだ。強奪されたバイクはといえば、マーベット中部の高速道路にて大破状態で発見されている。快楽目的のテロ行為だったのだろうか。
盗難保険に入っていたおかげで、無料同然で新車も手に入れた。だが、そばの車線で振られる工事の誘導灯や、集団登校の小学生が横断歩道で元気に片手を掲げるたび、いまもモニカは身がすくんでしまう。ラリアット恐怖症……どうやらPTSDの一種にかかってしまったらしい。
色々と思い悩みつつ、モニカも重い足取りで出口への階段を昇った。
「〝ダリオン〟」
背後からの唐突なささやきに、モニカは歩みを止めた。
凍結したモニカの眼差しは、親の仇でもいるように前方の扉を睨んでいる。
渋い声だけで、男は嘲笑った。
「大学の先生、か。コスプレもののポルノにしちゃ上々だぜ、スチュワート博士?」
「同感ね」
振り返りもせず、モニカはうしろの気配へ返事した。過去に聞いた記憶のある声だ。さっき電源へかがみ込んだときに、口笛を吹いて喜んだやつの正体もわかった。
「でも少なくとも、あんたの擬装よりは奇抜さはマシだわ。神父さま……ロック・フォーリング?」
「心外だな。ま、俺自身、教会勤めと組織のエージェント、どっちが本業かは決めかねてる」
つぶやきとともに、学習椅子の陰から二本、ひょろ長い脚が跳ね上がった。下ろす反動を使って、それまで寝転んでいた上半身が背もたれの向こうへ現れる。
癖毛頭を閉じ込める中折れ帽の角度を正し、男は笑った。
「好きだぜ、ああいう授業は。あんたも相変わらずだな、息でもするみたいにバッドエンドをまき散らすその性分?」
「安いものでしょ。ただ座って大人しく聞いてるだけで、進級の単位や世界の真実が手に入るんだもの」
「じゃ、ほとんど寝てた俺は落第ってわけだ」
際立って真紅のネクタイを整えるのは、闇を塗り込めたようなスーツの男だった。
神父?
にしてはひどい有様だ。廃れた畑のようにちらつく無精髭に、手入れの形跡はない。漆黒のサングラスの奥、隈の濃い藪睨みの半眼は重度の二日酔いによるものと思われる。こんなゴロツキが聖書を片手に呼び鈴を鳴らした日には、玄関越しに散弾銃の点検を急がねばならない。
ロック・フォーリング……政府の特殊情報捜査執行局〝ファイア〟の暗殺者だ。校内への彼の侵入を許したばかりか、教室で平然と居眠りまでさせてしまったことを、大学の警備体制ごときに訴えても仕方ない。こいつの野放しを完全に防ぐには、高威力の核兵器や無糖のコーヒーがいる。
あくび混じりに、ロックは言い放った。
「今日はあれだ。あんたを迎えにきた」
「あら、不躾だこと。断固、お断りよ」
モニカの反発に、ロックの唇は邪悪に吊り上がった。とらえた獲物の命乞いを聞く肉食獣は、きっとこんな笑顔をするに違いない。
「黙って来るか、ひどい目に遭ってから来るか、どっちがいい?」
「寝てもいいわよ、一晩だけなら」
ロックの真ん丸のサングラスに反射するモニカは、まだ背中を向けたままだった。
「その代わり、条件はひとつ。金輪際、あたしの行動圏百キロ以内には踏み込まないで」
「シャワーはお先に、って言いたいとこだが残念だな。今度ばかしは、ちと時間がねえ……バナンの廃墟、って言や話は早いかい?」
「!」
廃棄都市バナン?
突如として襲った激しい頭痛を、モニカは眉間をしかめるだけで耐えた。
聞こえたのは、金属のひしゃげる音だ。つやを放つ甲殻の腕が、爪が、モニカのうずくまる狭いエレベーターをこじ開けようとしている。地獄と悪夢を、おびただしい鮮血でカクテルした記憶の扉をだ。
歯ぎしりして幻聴や幻覚と戦うモニカへ、ロックは涼しげにたずねた。
「ニュースで見たろ? バナンにぽっかり開いたあの大穴、じつは国家クラスの内緒話なんだが……人型自律兵器のエージェント・シヨが自爆しちまってよ。いったいあんな寒い場所でなにと遊んでたんだろうな、あいつ?」
拳を結んだ手を、ロックはぱっと開いて花火を演じてみせた。その手首に輝くのは、自爆装置も兼ねた銀色の腕時計だ。
思わず振り向いたモニカの表情は、明らかに痙攣している。
「見たわ。また自爆? 呆れた。爆発の原因は、あの女弁護士だったの。親切心から一応聞くけど、バナンに行ったテレビ局の連中、まさかサーコアへ素通しなんてしてないでしょうね?」
ロックを通り越して、モニカの視線はなにもない遠方を眺めていた。
いや、いる。四つん這いのまま天井へ張り付く影は、巨大な蛾とも爬虫類とも思えた。
そいつが漏らしたのは、ガラスとガラスをこすり合わせるような威嚇音だ。視覚らしき器官は認められないが、間違いない。こっちを見ている。
強く頭を振って、モニカはその夢幻を消した。
「〝花〟の遺伝子には、固有の枯死システムをプログラムしてある。やつらがまだ生きて咲いてるなんて、非科学的もいいとこだけど?」
「いくらザルな政府の検査ったって、寄生されてるかもしれない連中を素通しにしたりなんかしねえよ。だってまだ、ひとりも生きて戻ってねえんだぜ、テレビ局のやつら?」
「……!」
こともなげなロックの報告は、モニカを愕然とさせるに十分だった。
肩を並べて廊下を歩く生徒たちの談笑は、孤独な講堂によく響く。キャンバスライフは限りなく平和だった。
せりあがる嘔吐感をなんとか堪え、問うたのはモニカだ。
「バナンからの救難信号は?」
「半月以上も前から鳴りっぱなしさ」
「もしかして、それだけ?」
「それだけだ。なんべん廃墟に呼びかけたって、インタビューどころか、くしゃみひとつ生存者の音沙汰はねえ」
やれやれとロックはお手上げした。
入り口から吹き荒れた突風が、モニカの手から書類をさらう。数枚、いや、すべて。脱力とともに放棄された数百枚の答案が、白衣の周囲でぶつかり合っては竜巻模様を描く。
立ち尽くしたまま、モニカはうなった。
「笑ってられるのも、いまのうちよ」
「そうなのかい。なら、いまのうちに笑っとくか?」
「組織の研究員時代のあたしなら、ナイフで口を裂いてでも従ったでしょうね。あのあと事故で大量のダリオンが研究所から流出し、バナンを破滅させると知ってさえいれば。あの戦場から逃げおおせた〝帰還者〟と軽蔑されて後ろ指差されるだけで、もうあたしにはなにも残ってない。ダリオンに関する研究はまとめて焼き払った。おまけに……」
胸の十字架をいじりながら、ロックはしみじみとセリフを継いだ。
「仕事も知り合いも、帰る故郷すらも捨ててきた……悪くないじゃねえか。過去の味なんて、ただ苦いだけさ」
「おかげで今は、驚くほど苦い向精神剤を三食のデザートにする毎日よ。さて、そんなちっぽけな抜け殻が、次に組織へ差し出すものは?」
「ここだよ、ここ」
自分のこめかみを、ロックは軽く指で叩いた。サングラスに隠された瞳は、もて遊ぶように歪んでいる。
「いまさら悲劇のヒロイン気取りかい? やめな。全部あんたの蒔いた種だ。種? そっから育つ花のヤバさは?」
「惑星まるごと、生贄よ」
「じゃ、花がダリオンに成長して、増え始めるまでの時間は?」
「ここよ、ここ」
とんとんと自分のこめかみを指差すのは、こんどはモニカの番だった。
「時計を気にする暇があったら、迷わず自分の頭を銃で撃ち抜くべきだわ。あたしならそうする。たとえ寄生されていようと、いまいと」
「やっぱ産みの親の意見はタメになるな。組織はいま手分けして、あのときの経験ある帰還者を街中から探し出してる。ま~自殺者や行方不明者が多いのなんのって」
「そんな無意味な過去を洗い出して、いまさら組織はなんのつもり?」
「あんたら負け犬には、まずはバナンへ乗り込んでもらう。仕事はごく簡単なふたつだけさ。怪物の数と正体を知るシヨの絶対領域の回収と、あんたの理論を超える乾眠状態のダリオンの捕獲だ」
「怪物? それもダリオンが、独自に乾眠状態になる能力を進化させたですって? バカバカしい」
「くわしい資料は追って見せるよ。そろそろ行こうぜ、博士?」
「あいにく、安月給のしがない大学講師の仕事が気に入っててね。帰って。そして二度とあたしの前に現れないでちょうだい」
「弱ったな」
手品のように忽然と引き抜いたタバコを、ロックは次々と口にくわえた。
一本、二本、おお、計で五本。ここが学び舎かつ聖職者という立場もあり、ずっと我慢していたらしい。まとめて唇に整列したそれらの先端を、火力最大のライターの炎で右から左へあぶる。病気だ。
「いけないぜ、生徒たちを悲しませちゃ?」
「どういう意味かしら?」
「いやさ、考えてもみな。ある朝会うと、化学の記号どころか、自分たちの顔ひとつ思い出せなくなっちまってるんだ。綺麗で評判の、あのスチュワート先生が」
途端に、モニカの拳はひるがえった。
近くの火災報知器に激突した繊手の下から、割れた透明の破片がこぼれる。警備員と消防士が何人、犠牲になろうと関係ない。神が描き続けた生命の絵に、進化のパズルに、遊び半分で泥を塗るあの実験室に戻るぐらいなら。あの冥府そのものの廃墟にふたたび投入されるぐらいなら。あの激痛で悪名高い記憶消去の手術台に磔にされるぐらいなら……
大学は静かだった。
警報のけの字も聞こえない。傷ついたモニカの拳からしたたる血の珠だけが、床に小さなリズムを刻んでいる。
「手は大事にするこった」
そう言い残して、ロックは指を鳴らした。
同時に、天井の電灯が冗談のように爆発したではないか。端から端へ、ほうき星をひいて火花と電光が乱れ飛ぶ。
「花の世話ができなきゃ、あんたにゃモルモットほどの価値もねえ」
ロックの肩から腕にかけて駆け巡ったのは、かすかな稲妻だった。
千メガジュールを超える指向性の電磁波をもってすれば、報知器をショートさせるなど造作もない。体内のすみずみまで発電機構を編み込んだ人間電磁加速砲……それがエージェント・フォーリングなのだ。
裂けた拳をうつろげに見つめ、モニカはうめいた。
「都市ひとつぶんが死ぬ悲鳴を聞いても、まだわかってないみたいね。あの完全生物の危険さが」
「供養のし過ぎは喉に悪い。だから教会の冷蔵庫は、いつもビールでいっぱいにしてあるのさ」
なぜだろう。
学園の教室という教室は、いまごろ大停電に見舞われているに違いない。派手な騒ぎが起こっても不思議はないはずだが、この沈黙はなんだ。あれほど賑やかだった外のにぎわいも、指揮棒を下ろしたかのごとく途絶えている。
つまりモニカひとりを頷かせるため、校内の人間はすでに全員……
逃げきれない。
血糊が床に落ちる早さは、にわかに増した。激痛にも関わらず、モニカの拳は震えるほど握りしめられている。文字どおり血を戻すように、モニカは吐き捨てた。
「ノコギリみたいな尻尾で串刺しにされながら、なぜか決まって、襲われた生物にはわずかに息が残ってる。ひと思いに死なせてくれなんかしない。考えたことある? ダリオンが本能的に、あえて獲物の急所を外す理由を?」
「まだまだ現役だな、天才スチュワート博士は。喋ってるだけでヘドが出そうになる」
にぶい音がした。
モニカの白衣に散ったのは、真っ赤な斑点だ。
ロックが手首を掴んで止めなければ、報知器を殴り続けるモニカの拳は収拾のつかない事になっていたに違いない。モニカは乱暴に、ロックの束縛を振りほどいた。床にへたり込んだ細身の背中は、地を這うようなすすり泣きを漏らしている。泣いているのか、あるいは笑っているのか。
「殺されるわよ、ひとり残らず」
窓辺の陽射しが形作る埃の柱の下、モニカは震える手で顔を覆った。知的なメガネに残された指の跡は当然、赤い。
ともすれば美しい光景だが、狂っている。どうしようもなく狂っているからこそ、神父は胸もとで十字を切った。
「免罪符のバーゲンセールだぜ、博士。懺悔の続きはアレの客席で、な?」
政府の戦闘輸送ヘリが舞い降りる強風に、樹々の緑はさざめいていた。




