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スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第二話「雪明」
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「雪明」(3)

 路地裏の暗闇に、銃声は響き渡った。


 一発、二発、三発……


「ば、化け物……」


 率直な感想を口にして、エマ・ブリッジス警部補は地面にへたり込んだ。


 恐怖の身震いはそのまま、硝煙を残す拳銃の先端に伝わる。中華料理店の換気扇が噴き上げる蒸気の向こう、何事もなく視線を旅させるのは常識離れした外骨格の巨体だ。


 たやすく弾丸を防いだ玉状の装甲は、超硬質なバスケットボールを人型につなぎ合わせたかのようだった。そんな代物が、生きて動いている。こんな未知の兵器の存在は、少なくとも現実の警察の記録には見当たらない。


 悪夢から出張してきたそいつらの数が一匹や二匹で済まないことは、歩くたびに鳴る重い足音を聞けばわかった。真ん丸なヘルメットに穿たれた狂気じみた眼光……


 ある政府の秘密組織は、やつらの存在と目的を中世や原始時代、地球生誕まで遡って探り続けている。どこかの段階で、この機械獣はこう命名された。


 ジュズ、と。


 乾いた拍手の音が、人間のものだったのは幸か不幸か。


「お巡り、お巡り、お巡り♪」


 くたびれた包帯の切れ端が、炎上するパトカーの熱風にゆらめいた。


 肩をぶつけてしまったジュズに手を合わせて謝り、死体の山をうまく飛び越えながら現れた人影がある。頬の返り血も生々しいまま、エマは押し殺した声で叫んだ。


「スコーピオン……!」


「知ってるの!?」


 顔面にこれでもかと巻かれた包帯の隙間、楽しげに目を剥いたのはスコーピオンと呼ばれた怪人だ。国際的な手配書でも大いにPR中のテロリストは、背後へ吠えた。


「だれか! 色紙とペンを持ってないか!?」


 お互いの顔を見合わせ、無言で首を振ったのはジュズたちだった。彼らの仕事はもよりの文具店に立ち寄ることではなく、一方的な殺戮を披露した時点で完了している。


 焼け焦げた首や心臓の断面から、香ばしい白煙をあげる警官が十九名。離れ離れになった胴体と下半身の間から、湯気をたてて臓物をぶちまけるマフィアが十五名。なんの変哲もない麻薬取引の現場だったはずの裏通りは、いまや地獄絵図と化していた。


「お♪」


 嬉しそうに、スコーピオンは唇をすぼめた。雨上がりをスキップする子どもの動きで血溜まりを進んでいた足を、不意に止める。


 包帯だらけのその手が拾い上げたのは、地面に転がる謎のアタッシュケースだ。


 この品物を珍しい麻薬かなにかと勘違いして横取りしたのが、マフィアたちの運の尽きだった。現場に突入した警察ごと、目撃者という目撃者はジュズに抹殺されている。


 吐息で埃を吹き飛ばしたケースの表面へ、スコーピオンは愛しげに頬ずりした。わずかに開いた隙間から見えるこれはいったい?


「こいつぅ。どこ行ってたんだよォ。寂しかったじゃないか、ダリオン?」


「な、なにあれ?」


 おのれの窮地も忘れて、エマはケースの中身に見入った。


 ペットボトル大の容器を満たす液体に、妖しいシルエットが揺れている。


 生物と思われるその全身を埋め尽くすのは、鋭い棘の数々……植物の一種だろうか?


 地獄に咲き乱れる花があるとすれば、きっとこんな姿をしているに違いない。生理的な嫌悪感を誘う血管じみた根と茎の先、その肉厚の花弁は見たこともない歪な形状だ。


 存在そのものが神を舐めきった闇の研究機関において、担当の生物学者はこの花に奇妙な名前を与えた。生存本能からくる怯えと、たっぷりの愛情をこめて。


 ダリオン……


 おお。花の浸かる溶液に、かすかに気泡が立ち上ったではないか。この物体がまだ生きている証拠に他ならない。


 ぴしゃりとケースを閉じると、スコーピオンはエマへつぶやいた。


「さて、そろそろ教えてやろうか。俺が警察官を辞めたわけを?」


「……!?」


 ハンマー投げの要領で、なんといきなり、スコーピオンはアタッシュケースをあさっての方向へぶん投げた。大事な大事な〝ダリオン〟がくるくる回転しながら宙を飛ぶのを尻目に、静かに続ける。


「待てど暮らせど消防車は来なかった。渋滞にでもつかまったんだろ。火事を起こしてたのは寂れた安アパートだったが、建物の価値ってやつは、中に住む人間の質によって決まる。それが警官だった俺の持論さ」


 ジュズの一体は、頭上を飛び越えかけたケースを慌てて両手でキャッチした。一瞬の好判断である。


 これだからこの変人にはついていけない。ひとたび内部の生命体が解き放たれれば、このシェルター都市どころか、惑星全域に今以上の破滅の鐘が響くことは、乱暴に扱ったスコーピオン本人が一番よくわかっているはずだ。


 腰を抜かした女刑事にしゃがみ込み、スコーピオンはいつもの〝あの〟物語を聞かせた。


「三階だったか、四階だったか。窓に子どもの人影が見えた瞬間、俺はとにかく無意識に駆け出してた。手近な家から掻っ払った毛布ひとつ被って、な」


「いや……」


 汚らわしげに顔をそむけるエマの額に、スコーピオンは優しく口づけした。包帯越しのせいで、古い新聞紙があたったような感触だ。


 血で彩られたエマの肌の味に、スコーピオンは舌なめずりした。


「真っ黒な煙を吸って気を失いかけたのは、一度や二度じゃねえ。ススにまみれて火膨れだらけになりながら、それでも俺は死物狂いで階段を上ったよ。ヒーロー願望がなかったと言えば嘘になる。ただそのときの俺のハートは、建物を崩す炎より間違いなく熱かった」


「な、なんでそんな話を……!?」


 エマの悲鳴はくぐもっていた。


 後ろ髪を掴んだエマの顔を、スコーピオンは強引に自分の目線まで吊り上げたのだ。


 剥き出しのエマの首筋に、ひやりとした物体が触れる。緻密な毒サソリが描画された愛用のナイフだ。なにかのリズムでも刻むように、切れ味鋭い刃物の腹で、スコーピオンは幾度となくエマの喉を叩いた。


「聞けよ聞けよ聞けよ……そして俺はとうとう、子どもがひとり残された部屋の前まで辿り着いた。もと来た廊下は面白いほど火に閉ざされてる。それでも構わねえ。手足が消し炭になったって、この子にだけは絶対に外の空気を吸わせてやる。覚悟を決めて、俺は扉を蹴り破った」


 小刻みに歯の根を震わせるエマの瞳から、涙がひとすじ頬を伝った。


 その足もとに跳ねたのは、ちぎれたワイシャツのボタンだ。エマの衣服に残ったボタンを、上から順に、スコーピオンはナイフの切っ先でていねいに飛ばしていった。


「俺の目は間違っちゃいなかった。窓のそばにはたしかに子どもがいたよ。つぶらな瞳でずっとパトカーのライトを眺めてる。放心状態ってやつか……と思ったら、なんと」


「やめて……」


 エマの命乞いは、もはや枯れきって空気に等しい。その耳たぶを噛むように、スコーピオンは昔話にピリオドを打った。


「なんと、ただの熊のぬいぐるみだったよ。ぎゃはッ!」


 笑う笑う笑う。


 背骨が折れるほど仰け反って、スコーピオンは大笑いした。目尻に涙さえ浮かべ、うしろのジュズたちを両手であおる。


「笑え笑え! おまえらも! ぎゃ~はははは!」


「…………」


 当然、ジュズたちは無反応だった。地球人の小難しいユーモアを、彼らに理解しろというほうが無茶だ。


 残念そうに包帯の体をよろめかせ、スコーピオンはささやいた。


「おしまい♪」


 エマが最後に見たのは、下方から跳ね上がる凶刃の輝きだった。

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