「雪明」(2)
一か月後……
三百トンの圧縮機に押し潰される廃車たちは、金切り声のスキャットを奏でていた。
シェルター都市サーコアの東部、ジホークの解体処理工場。
午前六時二十一分……
まだ朝陽も昇りきらぬ空に、輪っか状の紫煙が漂った。
うず高く積まれた廃タイヤの山頂にひとり、男はぽつんと胡座をかいている。あちこちの看板に明記された〝火気厳禁〟の文字を、くわえタバコの彼に翻訳して伝える者はいない。
「なんじゃこりゃ~???」
縦じわの寄った眉間を、ロック・フォーリングはペンの尻で小突いた。
かぶった中折れ帽に押し込んだ癖毛頭はなお外へはみ出し、CDのような真ん丸のサングラスもその胡散臭さを加速させている。変質者が出没した旨の通報は、もう警察に届いているのだろうか。
手もとのぶ厚いメモ帳には、すでに〝ルカによる福音書第四章〟等と落書きされているが関係ない。ページの片隅に開いた空白に、ロック神父は複雑な計算式を書き込んでいく。
聖書だった。電卓の下に挟まれた領収書の数々は、風にさらわれて宙を舞う。
「食費にスロット、酒代……大赤字じゃん。なんてこった。これじゃあテレビを買い換えるなんてのは夢のまた夢だ。はあ、家庭菜園でも始めるか」
ぶつくさ独りごちながら、足もとへ落としたタバコをさらに一本、ロックは靴底で踏み消した。そこにはすでに、吸い殻の山ができあがっている。
新たなタバコをくわえ、ロックはふと上目遣いになった。
「お、出やがったな。短い付き合いだったが、残念だ。ご覧のとおり、俺は神父さまなのさ。タクシーの運転手なんざをやるのは、もう二度とゴメンだね」
タクシー?
そう。遠くで運搬用のアームに掴まれ、ベルトコンベアに載せられるのは、ところどころ黄色い塗料の剥げたタクシーの成れの果てだ。中央から数本の骨組みを残して千切れかけた車体は、いかなる高熱にあぶられたのか黒焦げになっている。
そちらへ向けて軽く帽子をずらすのが、ロックの別れの挨拶だった。
「あばよポンコツ。こんど生まれ変わるなら、戦闘機あたりが正解だ」
最大まで強められたライターの炎に、ロックの胸もとは輝いた。真っ赤なネクタイに重なるのは、趣味の悪い十字架のネックレスだ。
優雅にタバコの煙を吐き、ロックはつぶやいた。
「空はいいぜぇ」
「ミサイルはフォーリング教会に?」
「そりゃ助かる。ゴキブリが多くて参ってんだ、うちの台所……」
危険信号を察知したアンテナのように、ロックのタバコはぴんと立った。驚いて背後へ振り返る。
いったい、いつの間に?
あるかなきかの風に、別の男がひとり、ネクタイと髪をなびかせている。
刮目したまま、ロックはたずねた。
「ジェイス……いつからいた?」
ロックの質問にも、捜査官の同僚……スティーブ・ジェイスは無言だった。
「…………」
「エワイオ空軍基地じゃ世話んなったな。そっちももう大丈夫なのかい、バナンの廃墟でやられた怪我は?」
小さく自分の後頭部をさするのが、ジェイスの回答だった。
現在も行方不明のとある女弁護士に、強烈な当て身を食らった場所だ。むりやり失神させられさえしなければ、あの地獄の戦場に残っていたのはジェイスのはずだった。うなじをときおり疼かせる痛みには、その悔恨のほうが多く含まれていたのかもしれない。
いままさにコンベアが運ぶタクシーの残骸を、ジェイスは冷たい視線で追っている。それに気づき、ロックは憎たらしく鼻を鳴らした。
「ああ、あれね。いまさら未練もねえだろ、あんなポンコツ……ぐえ!?」
着地に失敗したカエルのようなうめき声が、ロックの喉をついた。
素早く走ったジェイスの手が、ロックのネクタイを掴んだのだ。息ができなくなる強さで首を絞めながら、ジェイスは無表情にロックの目を覗き込んでいる。
「…………」
「お、怒るな。俺はやっちゃいねえ。〝やつら〟だ。やつらの仕業だよ。俺はただ、組織から言われたとおりに、おまえのタクシーをヒノラ森林公園で運転して……」
残り数カットしか寿命のない雑魚役のごとく、ロックは饒舌だった。
「だ・か・ら。UFOの殺人ビームだってば。ジュズの連中、あたり構わずぶっ放してきやがった。俺も死物狂いで戦ったよ。でも……」
ハンカチのような布切れで、ロックはしきりに目尻を拭ってみせた。乾ききったその布を、何気なくジェイスの手に握らせる。
「でも、おまえのタクシーは、ビームの一本から俺を守って盾に……気づいたときにゃ手遅れだった。名誉の戦死ってやつさ」
「…………」
自分の掌に、ジェイスは無感動な眼差しを落としている。
ひらりと広がった布切れは、奇妙なアイマスクだった。その瞳にあたる部分に描かれた間抜けな目玉のおかげで、うるさい上司にも会議中の居眠りはバレない。
一方、ベルトコンベアの出口から現れたのは、一メートル四方の鉄クズだ。もはやわずかな黄色しか生前の面影を留めていない。
リサイクル原料と化したタクシーを、ロックは遠い目つきで眺めた。
「認めたくない気持ちはよ~くわかる。ただそれなら、生きてやれよ。死んだ恋人のぶんまで、明日を」
おごそかに瞑目すると、ロックはタバコの先端で煙の十字を切った。
「それが花向けってもんさ」
産廃の山を転げ落ちた破片が、かすかな音を響かせたのはそのときだった。
いつからいたのだろうか?
せわしなく上下左右に動き回るのは、人外の眼球の軌跡だ。それもひとつやふたつではない。球体状の外骨格どうしを無数に連結させた巨大生物たちは、頂上のロックとジェイスを激しい殺意で叩いている。
単式戦闘型ジュズ〝アヴェリティア〟……
異星人どもの強化装甲だ。
囲まれている。
「可愛いワンちゃんたちだろ?」
ジェイスと背中合わせのまま、ロックはタバコを吐き捨てた。
「目星をつけた車とかには、やつら、しっかりマーカーをつけてくって話だ。見えないニオイみたいなもんか。ところであのオツボネ課長、コーヒーの一杯ぐらいは奢ってくれるよな? 朝っぱらから囮捜査に駆り出されてんだが、俺ら?」
「…………」
ジュズの大群を前にしても、ジェイスは眉ひとつ動かさない。
途端、ふたりの頭上には大きな影が跳躍している。凶器の瞳を灼熱させ、ジュズどもが空中から襲いかかったのだ。
ひるがえした上着の下、ロックが掴んだのはベルトに差した拳銃だった。渇いた音を残して、不可思議な稲妻がほとばしる。
黙って拳の骨を鳴らすジェイスへ、ロックは肩越しに聞いた。
「やるか?」
「ああ」
世界は漂白された。




