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スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第二話「雪明」
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「雪明」(2)

 一か月後……


 三百トンの圧縮機プレスに押し潰される廃車たちは、金切り声のスキャットを奏でていた。


 シェルター都市サーコアの東部、ジホークの解体処理工場。


 午前六時二十一分……


 まだ朝陽も昇りきらぬ空に、輪っか状の紫煙が漂った。


 うず高く積まれた廃タイヤの山頂にひとり、男はぽつんと胡座をかいている。あちこちの看板に明記された〝火気厳禁〟の文字を、くわえタバコの彼に翻訳して伝える者はいない。


「なんじゃこりゃ~???」


 縦じわの寄った眉間を、ロック・フォーリングはペンの尻で小突いた。


 かぶった中折れ帽に押し込んだ癖毛頭はなお外へはみ出し、CDのような真ん丸のサングラスもその胡散臭さを加速させている。変質者が出没した旨の通報は、もう警察に届いているのだろうか。


 手もとのぶ厚いメモ帳には、すでに〝ルカによる福音書第四章〟等と落書きされているが関係ない。ページの片隅に開いた空白に、ロック神父は複雑な計算式を書き込んでいく。


 聖書だった。電卓の下に挟まれた領収書の数々は、風にさらわれて宙を舞う。


「食費にスロット、酒代……大赤字じゃん。なんてこった。これじゃあテレビを買い換えるなんてのは夢のまた夢だ。はあ、家庭菜園でも始めるか」


 ぶつくさ独りごちながら、足もとへ落としたタバコをさらに一本、ロックは靴底で踏み消した。そこにはすでに、吸い殻の山ができあがっている。


 新たなタバコをくわえ、ロックはふと上目遣いになった。


「お、出やがったな。短い付き合いだったが、残念だ。ご覧のとおり、俺は神父さまなのさ。タクシーの運転手なんざをやるのは、もう二度とゴメンだね」


 タクシー?


 そう。遠くで運搬用のアームに掴まれ、ベルトコンベアに載せられるのは、ところどころ黄色い塗料の剥げたタクシーの成れの果てだ。中央から数本の骨組みを残して千切れかけた車体は、いかなる高熱にあぶられたのか黒焦げになっている。


 そちらへ向けて軽く帽子をずらすのが、ロックの別れの挨拶だった。


「あばよポンコツ。こんど生まれ変わるなら、戦闘機あたりが正解だ」


 最大まで強められたライターの炎に、ロックの胸もとは輝いた。真っ赤なネクタイに重なるのは、趣味の悪い十字架のネックレスだ。


 優雅にタバコの煙を吐き、ロックはつぶやいた。


「空はいいぜぇ」


「ミサイルはフォーリング教会に?」


「そりゃ助かる。ゴキブリが多くて参ってんだ、うちの台所……」


 危険信号を察知したアンテナのように、ロックのタバコはぴんと立った。驚いて背後へ振り返る。


 いったい、いつの間に?


 あるかなきかの風に、別の男がひとり、ネクタイと髪をなびかせている。


 刮目したまま、ロックはたずねた。


「ジェイス……いつからいた?」


 ロックの質問にも、捜査官エージェントの同僚……スティーブ・ジェイスは無言だった。


「…………」


「エワイオ空軍基地じゃ世話んなったな。そっちももう大丈夫なのかい、バナンの廃墟でやられた怪我は?」


 小さく自分の後頭部をさするのが、ジェイスの回答だった。


 現在も行方不明のとある女弁護士に、強烈な当て身を食らった場所だ。むりやり失神させられさえしなければ、あの地獄の戦場に残っていたのはジェイスのはずだった。うなじをときおり疼かせる痛みには、その悔恨のほうが多く含まれていたのかもしれない。


 いままさにコンベアが運ぶタクシーの残骸を、ジェイスは冷たい視線で追っている。それに気づき、ロックは憎たらしく鼻を鳴らした。


「ああ、あれね。いまさら未練もねえだろ、あんなポンコツ……ぐえ!?」


 着地に失敗したカエルのようなうめき声が、ロックの喉をついた。


 素早く走ったジェイスの手が、ロックのネクタイを掴んだのだ。息ができなくなる強さで首を絞めながら、ジェイスは無表情にロックの目を覗き込んでいる。


「…………」


「お、怒るな。俺はやっちゃいねえ。〝やつら〟だ。やつらの仕業だよ。俺はただ、組織から言われたとおりに、おまえのタクシーをヒノラ森林公園で運転して……」


 残り数カットしか寿命のない雑魚役のごとく、ロックは饒舌だった。


「だ・か・ら。UFOの殺人ビームだってば。ジュズの連中、あたり構わずぶっ放してきやがった。俺も死物狂いで戦ったよ。でも……」


 ハンカチのような布切れで、ロックはしきりに目尻を拭ってみせた。乾ききったその布を、何気なくジェイスの手に握らせる。


「でも、おまえのタクシーは、ビームの一本から俺を守って盾に……気づいたときにゃ手遅れだった。名誉の戦死ってやつさ」


「…………」


 自分の掌に、ジェイスは無感動な眼差しを落としている。


 ひらりと広がった布切れは、奇妙なアイマスクだった。その瞳にあたる部分に描かれた間抜けな目玉のおかげで、うるさい上司にも会議中の居眠りはバレない。


 一方、ベルトコンベアの出口から現れたのは、一メートル四方の鉄クズだ。もはやわずかな黄色しか生前の面影を留めていない。


 リサイクル原料と化したタクシーを、ロックは遠い目つきで眺めた。


「認めたくない気持ちはよ~くわかる。ただそれなら、生きてやれよ。死んだ恋人タクシーのぶんまで、明日を」


 おごそかに瞑目すると、ロックはタバコの先端で煙の十字を切った。


「それが花向けってもんさ」


 産廃の山を転げ落ちた破片が、かすかな音を響かせたのはそのときだった。


 いつからいたのだろうか?


 せわしなく上下左右に動き回るのは、人外の眼球の軌跡だ。それもひとつやふたつではない。球体状の外骨格どうしを無数に連結させた巨大生物たちは、頂上のロックとジェイスを激しい殺意で叩いている。


 単式戦闘型ジュズ〝アヴェリティア〟……


 異星人アーモンドアイどもの強化装甲パワードスーツだ。


 囲まれている。


「可愛いワンちゃんたちだろ?」


 ジェイスと背中合わせのまま、ロックはタバコを吐き捨てた。


「目星をつけた車とかには、やつら、しっかりマーカーをつけてくって話だ。見えないニオイみたいなもんか。ところであのオツボネ課長、コーヒーの一杯ぐらいは奢ってくれるよな? 朝っぱらから囮捜査に駆り出されてんだが、俺ら?」


「…………」


 ジュズの大群を前にしても、ジェイスは眉ひとつ動かさない。


 途端、ふたりの頭上には大きな影が跳躍している。凶器の瞳を灼熱させ、ジュズどもが空中から襲いかかったのだ。


 ひるがえした上着の下、ロックが掴んだのはベルトに差した拳銃だった。渇いた音を残して、不可思議な稲妻がほとばしる。


 黙って拳の骨を鳴らすジェイスへ、ロックは肩越しに聞いた。


「やるか?」


「ああ」


 世界は漂白された。

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