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スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第二話「雪明」
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「雪明」(1)

 西暦二〇七一年、二月一九日。


 首都サーコアから南へ約五千キロ、ここは廃棄都市バナン。


 午後六時三分……


 朽ち果てたビルを、猛吹雪が叩いていた。


 すでに死んだはずの街にはずっと、かんだかい悲鳴が響き渡っている。無人の路地裏で行き場を失った冷風が、亀裂だらけの外壁を駆け上り、割れた窓を笛代わりにして鳴いているのだ。


 あいつらに、あの生物兵器の餌になった市民たちが、十数年経った今でもすすり泣いているに違いない。闇夜にそびえ立つ廃墟の数々は、やや背は高いが墓標としてはぴったりだ。


 無言で〝この先交差点〟の十字架を示すのは、傾きかけた交通標識だった。深い地割れの走った道路の白線は、ある場所へ続いている。刃物より鋭いダイヤモンドダストの向こう側へ。


 やつらの巣へと。


 轟音とともに、交通標識が爆発したのはそのときだった。


 両腕を顔の前でクロスしたまま、人が流星のように吹き飛んできたのだ。手をついて雪道に急制動をかけた人影のまわりに、裂けた標識の破片が突き刺さる。


 毎秒百メートルを超える突風が吹き、気温もマイナス七十度を下回るのがシェルターに守られない外部の環境だった。ちょっとした宇宙空間である。気づけば息をする肺は凍りつき、つむった瞼も霜が張って開かない。深い雪に足をすくわれ、ふたたび起き上がったとき、目の前には天国のお花畑が広がっている。


 そんな極限の氷河期の世界にも関わらず、なんだ。


 いま飛んできた彼女の格好は。


 スーツにスカート、ハイヒール……とてもこの氷の地獄を耐え抜ける装備ではない。えぐれた上着からは薄い肩が突き出し、ストッキングもすでに穴だらけだ。


 OL?


 いや、見よ。かがみ込んだ彼女の顔、かすかに弾ける漏電の輝きを。半壊した人工皮膚の頬からは、冷たい金属の骨格が覗いているではないか。


 人間ではない。もちろん、人形のように端正なお顔にこんなことをするやつも。


 捜査官エージェントの彼女を、組織ファイアはシヨと名付けた。人型自律兵器アンドロイドとしての型番は、マタドールシステム・タイプ(ブレイド)にあたる。


 とある生物兵器……コードネーム〝ダリオン〟の標本を求めて極秘でバナンに現地入りするも、失敗だった。死骸の発見や、細胞の採取どころではない。もしかしたらシヨたちを送り込んだ政府にとっては、もっともっと理想的な形だっただろうか。


 ダリオンは生きていた。


 完全に死滅したという事前情報も嘘偽りではない。仮死状態という意味では。ある種の微生物がやるのと同じ方法で、ダリオンは待っていたのだ。


 新鮮な獲物がやってくるのを。人も温度もなくなったこの地で、ただひたすらに休眠しながら。


 特別編成の組織ファイアの部隊は、一部を除いてほぼ全滅した。数少ない生き残りが知らせを持って脱出する時間を稼ぐため、シヨは単機でしんがりとして地上に留まったのだ。当て身で気絶させて脱出機に押し込んでいなければ、重傷のスティーブ・ジェイスが特攻兵としてこの場に残っていたのは間違いない。


 猛獣の雄叫びが、吹雪をつんざいたのはそのときだった。


 道にそって整列する無明の街灯は、あちらからこちらへ順番に倒れていく。なぎ倒されているのだ。さっきシヨを吹き飛ばしたのと同じ爪に触れて。いびつな甲殻の巨体にぶつかって。おびただしい唾液から蒸気をあげてシヨへ迫るそれは、雪の流れに遮られて大きな影としか形容できない。


 ふらりとシヨは立ち上がった。うつむいた顔からは、とめどなく故障の電光がこぼれている。白い魔獣のたてる地響きは、もう目と鼻の先だ。


 ダリオン……


 シヨの髪はひるがえった。その細腕は左右の腰に回る。ふたたび戻された両手の先で響いたのは、鋭い音だ。強く振り絞られたシヨの身が、竜巻のごとく急旋回する。


 シヨが勢いよく投じたのは、ふたつの輝きだった。猛スピードで回転するそれは、突進するダリオンとすれ違うや、風を切ってすぐさまUターンしてくる。


 硬い甲殻に鎧われた脚は、シヨの横をそのまま通り過ぎた。


 通り過ぎた途端、シヨの背後でダリオンはバラけている。そう、文字どおりバラけたのだ。回転する謎の武器に高速で切断され、上半身と下半身、頭部と手足はバラバラになった。いや、それだけではない。はるか頭上を横切るモノレールの路線や、その周囲に連なる廃ビルまでもが斬撃の余波を受け、折り重なって倒壊したではないか。


 体中を白く化粧したまま、シヨは左右いっぱいに両手を広げた。戻ってきた薄い光の回転を、ふたつ同時にキャッチ。シヨ自身も素早くターンを踏むことによって、その恐るべき切れ味を殺す。


 闇にきらめくそれは、拳大の車輪のふちに、まんべんなくナイフを生やした凶悪な兵器だった。


 シヨの上着の脇腹が、煙をあげているのはなぜだろう。ダリオンの返り血をわずかに浴びた場所だった。真っ赤に灼熱する斑状の焦げ穴は、今もじわじわとその領土を拡大しつつある。摂氏六千度にも達する超高温の体液だ。地球の核近くと同じ熱さの血が流れる生物など、四十六億年に渡る地球史のどこにもいない。


 獰猛な吐息は、冷気に白い湯気をあげた。


 激しい衝撃とともに雪原を跳ねたのは、シヨの刃の円盤(レイザーディスク)だ。ギザギザのなにかに背中を強打され、シヨは十メートルも雪をえぐって弾き飛ばされた。錆びた車の残骸へ派手に突っ込み、ようやく止まる。


 着衣ごと張り裂けたシヨの背中は、おびただしい稲妻を走らせた。シミひとつない素肌を割って、特殊複合金属セラミクスチタニウムの背骨が剥き出しになっている。


 もう一匹……


 シヨはとっさに頭をねじった。頬を浅くかすめたダリオンの尻尾は、その槍のような切っ先で車の外装をたやすく貫いている。お返しにダリオンの顎を打ち抜いたのは、ほとんど倒立の姿勢から放たれたシヨの蹴りだ。


 そのまま後転ばくてん後転ばくてん後転ばくてん。体操選手より身軽に跳ね回るシヨを追い、右に左にダリオンの鉤爪は閃いた。ちぎれたスカートの下、白い太ももが見え隠れし、ボタンの飛んだ胸もとから下着があらわになる。


 最後に派手な錐揉み回転を決めると、シヨは降り立った。凍るべき水さえとっくに枯れた噴水の頂上へだ。


 しかし、せわしなく拡大と縮小を続けるシヨの瞳孔、あらゆる項目の分析が飛び交う視界センサー内にダリオンの姿はない。凍結した建物どうしに反響し、ダリオンの顫動音せんどうおんは十にも百にも増幅されて聞こえる。


 ダリオンが降ってくるのは突然だった。


 真横のビルを爬虫類のごとく這い上がり、壁面を蹴って跳躍したのだ。弾かれたようにシヨの見た頭上、醜い爪は吹雪を断って振り下ろされる。


 重心を落として、シヨは静かに身構えた。


 こだましたのは、機械と歯車の噛み合う音だ。シヨが左右に引きつけた手に、金属の割れ目が生じたではないか。スーツの袖を突き破り、腕の装甲が外側へ開く。それぞれ展開した両腕から手の甲に倒れ込んで戦闘配置についたのは、二振りの長大な刃……剣に他ならない。


 噴水は爆発した。剣の軌跡を双翼のごとく残し、シヨが跳んだのだ。


 激突する光と光。


 空中で絡まり合い、熾烈な剣戟を連続しながら、ふたつの影は雪道に落ちた。


 静寂……


 真っ白な紗幕ベールの先、立っていたのはどちらだったろう。


 人形のように宙へぶら下げられるのは、傷だらけのシヨだ。彼女の頭を、ダリオンの巨大な手は鷲掴みにしている。その反対側の鉤爪はといえば、おお。シヨをえぐって、背中からその先端を覗かせているではないか。シヨの腹腔からしたたる即応型衝撃吸収磁性流体は、まるで鮮血のように点々と雪面を汚した。


 だが、どうしてだろう。獲物を仕留めたはずのダリオンはぴくりとも動かない。あと一息でシヨを真っ二つにできるにも関わらず……そう。シヨの両手の隠し剣もまた、ダリオンの頭部と心臓を同時に刺し貫いていたのだ。


 突風が歌う中、ダリオンは地響きを残して倒れ伏した。


 膝から雪に落ちのはシヨだ。左右の白刃はへし折れ、その断面は真っ赤に光って煙を漂わせている。ダリオンの血液をもろに浴びたのだから、ひとたまりもない。


 ひざまずいたままのシヨを、雪粒は孤独に叩いた。


 沈黙とは裏腹に、彼女の視界は数えきれない警告で埋め尽くされている。全身におよぶ重度の破損、両腕から這い上がる熱暴走の気配、限りなく底を示す電力容量バッテリー、他にも、その他にも……もはや武器らしい武器もない。正真正銘、間一髪での勝利だったのだ。


 人類の天敵は倒した。またこの地に開拓者が訪れても大丈夫だ。いつしかここが雪解けを迎え、彼女の第一発見者になるのはだれだろう。間もなく自分は機能を停止するが、政府がきちんと料金を支払って産廃に出してくれれば文句はない。やりがいがあったな、人を救う弁護士の仕事は……


 だしぬけに雪を溶かしたのは、なまぐさい唾液の洪水だ。


 とんでもない威力で、シヨは吹き飛ばされた。電柱を立て続けに背中で砕き、信号機に衝突して前のめりに地面へ頽れる。


 誤作動を起こして痙攣する手を支えに、シヨは半身を起こした。硬く引き結ばれた唇から、疑似血液の線が顎を伝う。


 ああ。焼け焦げた警察署の陰から、新たなダリオンが現れたではないか。


 それだけではない。横倒しになったタンクローリーの上に一匹。破けた本の切れ端を舞い上げる図書館の屋根に一匹。マンホールの穴から一匹。そして、高層ビルの表面を我先にと這い下りてくる一匹、二匹、三匹……あちこちに生物の反応を捉えるシヨの動体センサーも、その総数をうなぎ登りに上昇させていく。


 ガラス球のシヨの瞳に反射したのは、銀色の光だった。


 通話、発信、投映プロジェクター等々を兼ね備えた手首の腕時計だ。いや、本来の使い道はそのどれでもない。その正しい機能は、いままさにこんな状況で発揮されるのにうってつけだった。


 最終兵器。


 自爆装置。


 陶磁器のように美しいシヨの指は、震えながらも時計表面のパネルを打った。ただちに響き始めたのは、電子的な警告音だ。十、九、八、七……


 弾け飛んだ配線と金属片は、雪道を鮮やかなコントラストで彩った。


 ダリオンの足に踏み潰され、シヨの頭は完全に粉砕されたのだ。


 いっせいに他のダリオンたちも群がったそこから、シヨだったものの手足が、血が、内臓めいた部品が、次々にちぎっては食い捨てられる。機械の体がそんなに美味いのだろうか。


 壮絶な饗宴の最中、ダリオンの一匹はふと気づいた。


 気に入らないのは、仲間のくわえるシヨの片腕だ。弛緩した手首に巻かれる腕時計の画面は、いまなおカウントダウンを刻むのをやめない。とうに獲物は息絶えているはずなのに、なぜまだこれだけが元気に生き続けている?


 時計の数字が、ゼロを示して止まったのはその直後だった。


 勝利の咆哮を放ったのはダリオンだ。


 廃墟は爆光に包まれた。

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