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スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第一話「雪球」
12/61

「雪球」(12)

 ウォルター警部は覚醒した。


 ここはどこだ?


 かざした手の隙間、光がまぶしい。色とりどりのステンドグラスからは、穏やかな朝陽が差し込んでいる。かすかに耳をくすぐるのは、小鳥のさえずりと教会の鐘の音だ。


 自分が木製の長椅子に寝かされていることを察し、ウォルターの疑問符は深まった。ここは教会ではないか。こんな罰当たりな場所で、なにを呑気に眠りこけていたのだろう。


「よう」


 親しげに挨拶したのは、そばの席に腰掛けた人影だった。


 長椅子の背もたれに肘をつき、足を組んでくつろぐ態度に礼拝者の崇敬さは欠片もない。


 交通事故にでも巻き込まれたのだろうか。その男は体のそこかしこを絆創膏や包帯で飾り、これでもかというほどに怪我だらけだ。


 男……ロック神父は、細めた眼差しで最前列の祭壇を見つめている。


 まだウォルターは状況を把握していない。寝ぼけ眼をこすり、申し訳ない面持ちでフォーリング教会の代表者に謝る。


「清めの場だってのにすいません、こんなザマで。げえ、体じゅうが重い、痺れてる。寝違えたか。たびたび悪いんですが、神父さま。きちんと姿勢を直しますんで、ちょいと肩を貸してもらえませんかね?」


「断る。俺の肩は満員なんだ、恨みつらみの憑き物で。そのまま寝てていいぜ」


 一蹴したロックの手は、なにか尖った輝きを指先に挟んでいた。


 なんだこれは。もしかして、ダーツの矢か?


 心細げに天井の梁を見据えつつ、ウォルターはたずねた。


「こんな寝転んだ格好じゃ、お許しを乞うのもダメですよね?」


 片目はダーツの的に凝らしたまま、ロックは尊大にうなずいた。


「よい。申してみろ、悩める官憲の犬よ」


「ありがとうございます。これは私が、家族に見放されるに至った顛末です。たしかに仕事は忙しかった。ろくに家庭を顧みなかったのも認めます。でも俺は、べつに一人になりたがってたわけじゃない。なのに女房は……」


「見えちまったんだろうな。軒下に停まるカボチャの馬車が」


 不意に、ウォルターの眉根はひそまった。


 聞き覚えのある渋い声に、ようやく気づいたらしい。上掛け代わりのコートを落としながら、ウォルターはなんとか身を起こした。


「てめえ……いつからこの俺様に説教をたれる身分になった、フォーリング?」


「よ~くわかったよ。つまり奥さんには、正しい神の導きがあったってことさ」


 にやついたロックの手、距離を測るように前へ後ろへダーツの矢は動いた。


 円形の的はといえば、ああ。ずっと先の祭壇、十字架の首に引っかけられている。神聖きわまりないその周囲に、奇妙な草のごとく生えるのは外れた無数の矢の残骸だ。


 かたわらに立てた点滴のチューブとつながった状態で、ロックは問うた。


「なんで知ってた? 棺桶に隠してあった高値の酒の在り処を?」


「は? 酒?」


「朝になって見たらスッカラカンになってたが、ウォルターさんよ。人間にはやっていいことと悪いことがある。ひどいじゃねえか。どうして黙って、ひとりでぜんぶ飲み干しちゃうんだい?」


「な、なんのこった???」


「おっと、シラを切るのはよそうや。古臭いSFチックなUFOにさらわれた話が始まったあたりから、あんたの酒のペースは一線を越えた。そんなのはうちの懺悔室なんかじゃなく、いきつけのバーとかで……」


 ぶつくさ愚痴るエセ神父を尻目に、ウォルターは濃くなったヒゲをなでた。この頭痛と体のだるさは、文字どおり馬のように強い酒を飲んだ翌日の反動によく似ている。


 いや、それよりなにより……きつく瞼をつむって、ウォルターは頭を振った。


「なにしてたんだっけ、俺?」


「……聞き飽きたぜ、そのセリフ」


 ささやきは口の中だけに留め、ロックはタバコをくわえた。


 先日、政府の審問会でこっぴどく叱られた帰り道のことである。アーモンドアイに施された生体への処置を取り除かれるウォルターを、ロックは研究室の向こう側に見た。刑事は幸運にも、やつらに〝着られる〟すんでのところで組織ファイアに救われたのだ。


 もっとも、闇の極秘機関の判断には必ず狂気がつきまとう。


 地球外生命体との接触に関するウォルターの記憶は、組織が完全に抹消した。


(いったい何度目だろうな……)


 法の番人としての嗅覚が優秀なあまり、ウォルターは事件の核心に迫りすぎることが多々あった。


 組織に都合よく脳みそをいじられた刑事の捨て場所は、いつもなぜか決まってフォーリング教会だ。真実を知った回数と同じぶんだけ、記憶喪失のウォルターはこの長椅子で眠りから起きる。どうしようもない飲んだくれという彼の烙印は、偽りに他ならない。奪われた幾つかの記憶と引き換えに、貴重な今日を得られるのを果たして対等イーブンと呼べるのかどうか。


 そして、記憶消去の手術には地獄そのものの苦痛がともなう。想像を絶するウォルターの悲鳴と命乞いは、ずっと塞いでいたはずのロックの耳にこびりついて今も離れない。


 しかしどうやら、組織ファイアによる思い出の改ざん技術にも盲点はあるようだ。


 薄暗い教会の闇になにを追ってか、視線をさ迷わせてウォルターはうめいた。


「なんだろうな。頭の中のパズルから、いろいろと抜け落ちてる気がする。とんでもなく大事で、そう、泣くほど恐ろしいことが」


 くわえタバコのまま、ロックはポケットに手を入れた。軽いスナップとともに反対側の指で投じられたダーツの矢は、ちっぽけな放物線を描いて十字架の横へ外れている。


 ライターを探すのをあきらめ、ロックは気の抜けた顔で聞いた。


「火ぃ貸してくんねえか?」

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