「雪球」(10)
ふと、ウォルター・ウィルソン警部は目を覚ました。
降り注ぐ光がまぶしい。
「……?」
だれかが自分を見下ろしている。輪郭はぼやけたままだ。一人、二人、三人……もっといるかもしれない。
ここはどこだ?
いちめん白に満たされた空間は、病院の手術室を彷彿とさせる。仰向けに寝かされたウォルターの背中に、金属製の寝台の感触は冷たい。
可能な限り、ウォルターは過去の記憶をたどった。
ついさっきまで自分は、遠巻きにエワイオ空軍基地の張り込みを続けていたはずだ。それからいいかげん夜も更けて、車に戻ったあと、ああそう。不思議な光が、いきなり目の前に降ってきて……
ウォルターは絶叫した。正確には、全身の麻痺は声帯にまで及んでいて、唇ひとつ動かせない。
ウォルターがむりやり視線だけ移した先、〝彼ら〟は密着するほどの近さにいた。
ラグビー球の形をしたその生物の瞳には、宇宙そのものの暗黒が詰まっている。巨大な頭部がときどき不穏に揺れるのは、仲間どうしで何らかの意思疎通をしているためらしい。
強い恐怖を逃避して、ウォルターはきつく目をつむった。
夢だ。夢に違いない。次にまぶたを開けたときには、仕事に疲れた自分は何事もなく車のシートで目覚めるはず……
〈寝たフリか?〉
ウォルターの祈りを粉々に打ち砕いたのは、性別不明の謎の声だ。化け物の会話と思われる。電波でも受信するように直接、頭の芯に語りかけてくる感覚だった。
〈警察、と言ったな〉
〈スコーピオンによれば、この二十六人目は、地球のあの古典的な捜査機関に属しているらしい〉
〈それは便利だ。脳を取り出し、さっそく記憶を解析する〉
ウォルターは震撼した。
枯れ枝のように細長い化け物の指が、自分の鼻先に鋭利な物体をかざしたのだ。
注射器だった。ああ、さっさと気絶してしまいたい。
〈気絶はできないぞ。実験の性質上、きみは最後まで眠れない。激痛に耐えろ〉
無性にウォルターは、人間の犯罪者が恋しくなった。
〈着させてもらうぞ、その体〉
地獄の幕開けだった。
真夜中の草むらは、湿った風に鳴いていた。
午前零時十二分……
エワイオ空軍基地。
くまなく金網で囲まれた滑走路には、明かりも人影もない。
いや、この巨大な格納庫だけは違った。異世界の昆虫のごとく暗闇に沈むのは、多数の戦闘機の影だ。
庫内の中央には、大勢の人々が整列している。夜間訓練のたぐいだろうか。だが時と場所を考えれば、異様の二文字がこれほど似合う集団もない。
まず、集団は軍人でもなんでもなかった。服装、性別、年齢ともにてんでばらばら。つまりはただの一般市民だ。
が、見る者が見れば……警察や政府の捜査官あたりは、きっと仰天しただろう。なにしろ、ヒノラ森林公園で不可解な失踪を遂げ、連日のニュースで取り沙汰される行方不明者の全員が、ほぼここに揃っているではないか。二十数人それぞれには外傷もなく、生きて息をしているのは間違いない。
では彼らは、何者かの悪意によって監禁されているのか?
いや、それも違う。
彼らは自分自身の意思でここにいた。人々はすでに擬態用の容器にしか過ぎず、その手足を操るのは地球外の存在だ。
見よ。コールタールのような漆黒の物質に覆われた彼らの瞳は、不気味に照り輝きこそすれ、まばたきという生理現象を一切しない。
そんな悪夢めいた集団を前に、ひとり離れて機械的にたたずむ軍服の人影がある。エワイオ空軍基地の責任者、アンドリュー・マイルズ大佐だ。
「よく似合っているぞ、きみたちのその姿」
忠実に再現された市民たちを観察しながら、マイルズ大佐は感嘆した。
「駆除すべき害虫そのものを我々が〝着る〟……スコーピオンの提案は突飛ではあるが画期的だ。私と同様、融合したてのころは皆、吐き気と嫌悪感に悩まされたことだろう。総員、もとの肉体の所有者の記憶、および行動パターン等は完璧に覚えたな?」
マイルズ大佐の質問に、地球人、いやアーモンドアイたちは答えた。
物珍しげに自分の頬を触って抓り、指を蠢かせては、手足の関節をぎこちなく回して試運転し、左右を見渡して視界を確かめる。まさしく生を授かったばかりの操り人形の動きだ。現在の外見を乗っ取って長い分、マイルズ大佐の薄笑いの邪悪さは表現力で一歩リードしていた。
「作戦は説明したとおりだ。これからきみたちには、もとの生活に戻ってもらう。きみたちの声と顔を待ち望む家族のもとへ戻り、親愛なる隣人のふりをして一般社会に潜伏してくれたまえ」
ここでマイルズ大佐は、ある極秘組織の潜入捜査官の存在について触れた。
「我々の目下の敵である政府の諜報員は、差し障りのない変装をして都市の各所に隠れている。ならば我々も、さらなる擬装をまとって敵を駆除するまでだ。武器はいらん。きみたちが一分の隙もなく被る害虫の格好そのものが、敵の脅威となる」
くだんの障害要素〝特殊情報捜査執行局〟は、もうすでにこの基地めがけて動き始めているとの情報だ。連中が踏み込んだときには結局、ここはもぬけの殻になっているが。
ごつい両手を腰の後ろで組んだまま、マイルズ大佐は告げた。
「シェルター都市内部からの攻撃は、じきに送る合図を待って行え。本来の姿に戻ったきみたちを、害虫どもは再びこう呼ぶだろう。侵略者、と。以上、作戦開始」
「OK」
だれかの気のない返事に、重火器の装填音が続いた。
一同が天井を見上げたときには、もう遅い。
「とっとと差し出しな! 左の頬を!」
撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ……
轟音を放ち、格納庫内を燃える雨が薙ぎ払った。すさまじい高速回転とともに排薬莢をまき散らすのは、ロックの構えた長大なガトリングガンだ。天井越しの無差別砲火である。
「な、なにが起こっ……!?」
強化装甲を展開しかけ、ある髭面の市民の上半身は消し飛んだ。鮮血の代わりに、粘性の黒い汁が床へ飛び散る。
「総員、戦闘態勢! 戦闘た……ヌひィッ!?」
大爆発を起こしたのは、燃料タンクを蜂の巣にされた戦闘機だ。そのまま辺りの機に誘爆、誘爆、誘爆。押し寄せる炎の波に飲まれ、アーモンドアイの群れはごっそり消えた。
火だるまになって吹き飛んできた仲間をかわし、怒鳴ったのはマイルズ大佐だ。
「出ろ! ジョンストン!」
毎秒百六十六発・直径二十七ミリの業火の洗礼をまともに浴び、マイルズ大佐は肉片と化した。
突風にさらわれ、灼熱と硝煙のベールは晴れていく。
おお。なんとマイルズ大佐は、もとの場所に、以前と変わらぬ姿で傲然と立っているではないか。数えきれない勲章が飾る軍服には、焦げ跡ひとつ見受けられない。
それより、なんだろう。マイルズ大佐の眼前、無数に浮かぶこの鉛色の粒は?
ガトリングガンの弾頭だった。マイルズ大佐を狙った銃弾たちは、見えない投網に絡まったように空中へ縫い止められている。悔しげに螺旋回転だけは続ける機銃弾の表面、ほとばしるのは微かな稲妻の輝きだ。
「やってくれたな」
いまいましげに天井を睥睨しながら、マイルズ大佐はささやいた。
「機関銃の複雑な発射機構と射数に応じて、弾体を加速する電磁波も二割程度に絞っている。質より量、一点突破より面制圧を狙ったか。そんな真似をして、よく武器が故障しないものだ。あるいはその技術は、おそろしく繊細で精密なのかもしれん」
火の海に囲まれてなお、マイルズ大佐は冷静に言い放った。
「だが悲しいかな。きさまの能力はとっくの昔に分析済みだ。付け焼き刃の科学の豆鉄砲ごときでは、呪力を編み込んだこの〝鹿王の盾〟は絶対に抜けんぞ……エージェント・ロック・フォーリング。組織の強化人間!」
ずたぼろの天井裏で、ロックの表情は驚きに転じた。
不可視の障壁に捕らわれた銃弾が、いっせいにマイルズ大佐の足もとに落ちたかと思いきや、床をぶち破って、巨大な影がいきなり空中へ跳躍したのだ。
ジュズだった。
が、ロックの知るものとはやや異なる。
なんの飾りだろうか。たくましい球状の巨体は見慣れたものだが、その両肩に取り付けられるのは奇妙な装甲板だ。計二枚ある装甲板の形状は、さしずめ超大型のサーフボードを思わせる。しいて言えば、もとあったはずの腕の代わりに、別のオプション装備を追加したのに近い。
おや、そういえば、ミアクの政府ビルで大暴れしたジュズの両腕も……
ロックの立つ天井を見据え、マイルズ大佐は酷薄に唇をゆがめた。
「人間電磁加速砲に挨拶がしたいと、しきりに言っていたな、ジョンストン? 両腕を奪われた屈辱と痛み、存分に晴らすがいい!」
新たな力を得たジョンストン……〝鹿王の盾〟と呼ばれたジュズは、両肩をフル稼働させた。天井めがけて鎌首をもたげた大盾の先端が、勢いよく割れる。
大盾の割れ目が光るのと、天井が消し飛ぶのはほぼ同時だった。
まるで見えない砲撃を、千発も食らったような破壊力だ。たったいまガトリング弾を防いだ未知の力場を、今度は攻撃に利用したらしい。これにはUFOの飛行に関する反重力技術や、人類の失った呪力等がふんだんに込められている。常識離れしたとんでもない盾だった。攻防一体の戦闘兵器を前に、ロックの姿はもはや骨のかけらも残っていない。
火災の熱気に汗ひとつ見せず、マイルズ大佐は鼻を鳴らした。
「ふん。痛みもなく死ねたのは、むしろ幸運だ。最後まで見届ける覚悟もあるまい。この惑星が凄まじい地獄と化すのを」
「ああ」
刹那、もうもうたる煙をゴールテープのように千切って現れたのは、ガトリングガンを背負ったロックだ。一回転して逆の手に抜き放たれた拳銃が、マイルズ大佐の眉間にぴたりと触れる。
「すぐ酒に逃げるタチでね」
銃声……
燃え盛る炎を背景に、ロックは銃口を下ろした。
吹き飛んで静かになったマイルズ大佐を目撃し、ジヒュメも唖然としている。紫煙を漏らす銃口で中折れ帽を持ち上げ、ロックは笑って挑発した。
「パーティはお開きかい? どうせシェルターに穴を開けるなら、見せてくれよ」
ロックの体に、まばゆい電光が駆け抜けた。
白昼夢のごとくかき消えたジヒュメの姿は、次の瞬間、ロックの背後に現れている。振り下ろされた呪いの双盾は、あたりの空間すら歪めて出力最大だ。
「見せてくれよ! 本物の空ってやつを!」
激突の風圧に、猛火は逆巻いた。
ロックの体軸にそって棒術のように旋回したガトリングガンが、火花を散らして大盾を受け止めたのだ。鍔迫り合って震えながら、ふたつの武器は硬質の悲鳴をもらす。鋭い力場を帯びた盾は、生身で受ければひとたまりもない。
あっさりジヒュメの勢いは押し勝った。力比べの愚を悟り、ロックが機関銃を手放したではないか。盾の一閃に帽子は飛ばされ、ロックは落下する機関銃を地面すれすれの低位置まで伏せてキャッチした。回転しつつ、横薙ぎに銃撃。とっさに飛び越すことで、ジヒュメは弾丸の濁流を回避している。着地の勢いを殺さず、超重量の盾は拝み打ちにロックを襲った。それを反対方向へ弾いたのは、ロックが力強く空中へ蹴り上げたガトリングガンの銃身だ。仰け反ってがら空きになったジヒュメの顔面を、すかさず抜かれた拳銃が照準した。
撃つ撃つ撃つ。
しかし、鉛の牙が獲物に届くことはなかった。ジヒュメの数ミリ手前の空中、銃弾はやはりその場に留まっている。ジヒュメの大盾、正確にはその発生機が作った重力の触手に絡め取られたのだ。電磁加速投射が効かない。
落ちてきた機関銃を掴むや、ロックはさらに一歩踏み込んだ。見えない壁に、すばやく片足を踏ん張る。靴の裏に返ってきた感触は、液体とも固体ともつかない。ガトリングガンの銃口を、強引に重力場の向こうへ押し込む。そのまま引き金を……
「うおッ!?」
苦鳴とともにでたらめに火線を散らしながら、ロックは吹き飛ばされた。戦闘機の機首を三つ四つ続けざまに背中で叩き折り、格納庫の事務所を破壊して瓦礫に消える。重力場の盾は、高威力のハンマーにも変じるのだ。
静寂……
建物の破片を体中から落とし、ロックは身を起こした。
起こしたときには、ああ。頑丈な屋根を薄紙のように貫き、球状の巨体はロックの眼前に降り立っている。間髪入れず、右と左から突き入れられるジヒュメの盾の切っ先……ここまでか。
感情のないボール型の顔から、かすかに狼狽の気配がこぼれた。
確実に敵手を仕留めるはずだった双盾が、止まってしまっているではないか。ロックの脳天と心臓に届く寸前のところで、まるで見えない壁にぶつかったかのようにだ。
ジヒュメの機体に備わった感知器も、おぞましい計測結果を弾き出している。外宇宙の技術力をもってしても、まだ針が振り切れるレベルの強電磁エネルギー……必殺の盾を紙一重で食い止めたのもまた、ロックの能力が形成した磁場の〝盾〟だった。
ぼそりと侘びたのは、血まみれのロックの唇だ。
「マネして悪いな……使えてこの一回、もってあと一秒ってとこか」
ジヒュメの額に、硬い感触が押し当てられた。拳銃の銃口に、音をたてて電流の波動が集束する。
雷音……
ゼロ距離から発射された超電磁加速弾頭は、ジョンストンの頭部を突き破って、エワイオ空軍基地の夜空へマッハで抜けた。お得意の光線を放つ暇も、重力の障壁を生み出す余地もない。
脱力して正座すると、ロックはたずねた。
「お客さん、どちらまで?」
頭を失って倒れたジュズに、おびただしい光の羽が舞い降りていた。