メタプレイは愛の色に似て
「おお勇者よ、魔王討伐の達成を祝福しよう。よくやった!」
「はい、ありがとうございます」
ここはどこかと問われれば、その辺の世界のどっかの大陸にある適当な国家の首都、王城内に配置されている謁見の間としか言いようもなく。
勇者と呼ばれた男の周囲には3人の男女が勇者と同じように跪いており、彼らを祝福している者たちは皆高級な服を着こんでいる。勇者一行を祝福しているのが、この王城の主たちであることは間違いないだろう。
勇者を祝福する言葉を吐き出しているのは、がっしりとした体格をもち口ひげと顎ひげをたっぷりと蓄えた中年の男で、頭には王冠を乗せ真っ赤なマントを羽織っている。
その周囲にいるのは同じく中年の女性が一人と年若い女性が一人。どちらも明るい茶色の長い髪の毛を長く伸ばしており、頭の上にはティアラが載っていて朗らかな笑顔もそっくりで、母娘であることがうかがえる。
「勇者に付き従い使命を果たした三名もご苦労であった。契約に従いパーティーはこれを持って解散とし、三名それぞれに思いのままの褒美を用意しよう。急がずともよい、ゆっくりと考えて欲しい」
「王よ、ありがとうございます!」
王と呼ばれた中年男性は満足そうに頷き、四人に立ち上がるように促す。
「ともかく大仕事を成し遂げたのだ。疲れているところ悪いが、今日は旨いものとうまい酒を好きなだけ食ったり飲んだりして欲しい。多少気疲れする場面も多くなろうが、今日だけは多めに見てやって欲しい」
「もちろんです、われらが王よ!」
三人は笑顔で立ち上がり謁見の間を退出していく。勇者と呼ばれた男も同様に立ち上がるが表情は硬く、その視線は一点に注がれていたが、やがて視線を切ると振り向いて三人の仲間とともに歩き去っていった。
「うむ。勇者はお前のことが気になるようだな?」
「そうですね。王国の王女として、彼とわかり合えればよいと願っております」
「そうだな……」
自らを王女と称したこの年若い乙女は、勇者と同じ年に生まれ同じように育ってきたものだ。
王女は国中に知られた傑物で、その姿は美しく知の才に溢れ品行は方正。年若い上級貴族にありがちな、我儘めいた言動をとったことはこれまで一度もないと言われるほど。
不敬を承知であえて欠点を述べるところがあるとすればそれはただ一つのみ……上半身前面部分のシルエットが非常に平坦であることくらいだろう。
王女とそれ以外の民が同じように育つというものは本来ありえないことだが、勇者という神に祝福されし特別な存在は、自然とその生誕の前から世界中のものが知るところになる――例えば神託。
王は勇者生誕の兆しを察知し、国中をあげ産まれたばかりの勇者を見つけ出し、王国や世界の未来のために育てあげた。その経緯から同じ年の男女として、幼いころから共に学ぶ機会が生まれ、王女と勇者は幼馴染ともいえる間柄だった。
ともかく、王が望んだ国と世界を守るという決意は結ばれることとなったのだ。
「魔王が斃れたのならば、勇者としての役割は終わりゆくだろう。しかしその突出した個人の戦力を捨ておくわけにはいかない。国を守るものとして、見逃す手はないからな」
「心得ております」
王女と呼ばれた平坦な上半身を持つその美しい乙女は、王に向かって了承の言葉と共に優雅な一礼をし、王や王妃と共に魔王討伐の祝宴へと向かっていく。
宴は王城で行われているけれど城下の街でも同様に、それどころか国中を……果ては世界中で行われている。勇者を育て旅立たせた、この王城と城下の祭りは世界一と言っていいほどの盛況ぶりで、まさに歴史の一ページをリアルタイムで経験した人々の熱狂ぶりと言ったら、言葉に言い表しきれないほど。
そのような宴のさなか、王や王妃、そして美しき王女もメインホールへと降りたって、みなと喜びを分かち合っている――王族たちの大仰で長々しく迂遠で壮大すぎる演説の内容を書き記す必要は感じられない。それは歴史書に任せておくべきだろう。
盛大なる宴のさなか、神に祝福されし乙女と形容されることもある王女は、一人の女神官に目を止める。
彼女こそが勇者と共に旅立った3人の仲間のうちの一人で、魔王討伐までの苦しい道のりを支えた神の信徒のうちの一人。旅の途中から呼ばれ始めた二つ名があり、その突出した実力と慈愛に満ちた振る舞いから、自然発生的に呼ばれるようになった単語は『聖女』。
この言葉は世界中を駆け巡り、この世界において彼女はまさに生ける伝説で、宴の参加者たちからの人気も非常に高いものとなっている。
王女と聖女、この二人のどちらがより美しいかという議論は出尽くすということを知らない。場合によっては戦争のきっかけにもならないほど均衡しているといってもいい。王女との決定的な差を一つあげるならば、上半身前面部、の上半分に大きな山が二つあることくらいだが、実際にこの二人を前にしてしまえば、そんなものすら些細な違いに過ぎないことは誰にでもわかるほど。
「聖女様、ごきげんよう」
「これは王女様!」
王国史上最高と名高き王女と世界一の聖女が並び立てば、聖女のありがたい説法を聞こうと、群がっていた脂ぎった有象無象も四散して遠巻きになるのも仕方ないというもの。
まるで神聖なオーラを発する魔法円に守られたかのように人だかりが割れて散り、人々ひしめき合うメインホールの一角にかなりの隙間が出来上がり、才媛二人のためだけの空間が一瞬で出来上がる様子は、これまた歴史家や宗教家、当然吟遊詩人にとっても……良質な餌にしか見えないだろう。
「大仕事を成し遂げたばかりだというのに、このようなことをさせて申し訳が立ちません」
「お気遣いありがとうございます。ですが、確かに疲れますね」
王女は王城に数多くいる如才ない優秀な使用人のうちの一人に目配せをし、聖女の手を取って歩き出しながら彼女に囁く。
「メインホールでは落ち着くこともできません。中庭にでも出て、少し休憩しましょう」
一歩踏み出すごとに、彼女らの神聖なる魔法円に自然に押し出されていくのか、まるで聖書の一句かのように人混みが自然と割れていき、二人の乙女が歩くためのスペースを作り出していく。
「ここならば無粋なものは近寄りません。そこの木陰にでも座って、しばらくお休みくださいまし」
「再度のお気遣い、本当にありがとうございます」
「もっとも、聖女様にかかれば王城の不埒者くらい、なんということはないのでしょうけれど」
王女は朗らかに笑い、聖女は苦笑いをする。これは当然のこと。
神官とは、信仰の敵に対しては文字通り、常に最前線で戦うものだ。
魔族や魔王、そしてアンデッドたちと対峙するのに後方で控えて喚きたてるだけの阿呆に付いてくる信者など、魔族や魔物、魔王やアンデッドなどの魑魅魍魎が実際に跋扈するこの世界では誰一人としているはずもない。
その近接戦闘技術は同レベルの戦士や勇者に匹敵し、それでいて回復やアンデッドの滅却なども行うため、"神官"と呼ばれるまでの修練の壁は非常に高い――聖女という嫋やかで耽美な単語からは想像もできないだろうが、事実である。
そしてもちろん信仰の敵とは、同一宗教であっても別宗派であるならば適用されることが多く、人同士の殺し合いに発展することも多いため、神官や神殿騎士たちはいつも血に塗れていると言い切ってもいいほど。
先ほど目配せをした使用人が銀製のトレイを手に近づいてきて、王女にトレイごと手渡してその場をすぐに立ち去る――本来は不敬なことであるが、そこは以心伝心というもの。
王女は聖女に対し、トレイの上に載ったシャンパングラスを一つ手渡し、彼女の肩に手を置いてこう告げる。
「本当にお疲れのよう。しばらくこのままお休みになられてくださいな。ところで、勇者様はどちらへ?」
「はい。勇者様なら、王城城壁の上の方へ向かわれました」
勇者の仲間は旅立ちの前に、王から王女と勇者の未来の関係については聞かされていて、王女がこう聞けば疑いなくありのままを返答する。世界のヒーローと王女様のロマンスというものは、どのような世界においてもメジャーなものであり、どのような子女にとっても憧れの物語のうちの一つだ。
「ありがとう聖女様。あなたに神の祝福があらんことを」
最後に王女はポンと彼女の肩を軽くたたくと、背を伸ばしシャンパングラスが一つ乗ったままのトレイを持ったまま歩き始める。そうすれば先ほどまでどこかに歩き去っていった使用人が近づいてくる。
「聖女様は非常にお疲れのようです。しばらく不埒者を近寄らせないようにしてくださいね。私は勇者様の元へ向かいます」
使用人たちは王女をあまり一人にはさせたくないようであるが、それもまた無理もないというもの。しかし続けて彼女に「勇者様は我々有象無象の気配にも敏感でいらっしゃいます」などと言われてしまえば従うほかない。
実際に使用人たちが声や態度に出して抗議したわけではない……そのようなことをすれば物理的に首が飛ぶ。それでも良く鍛え上げられた主従間の意思の疎通に齟齬は無いものである。
城下を囲む壁とは別に設けられた王城外延部の城壁の上には、確かに聖女の言う通り勇者が立っており、城下町の宴をじいっと見つめていた。
しかし、王女が勇者の10m後ろあたりまでくると、勇者はビクついたかのように振り返り、王女の姿を認めて深いため息を吐き出した。
「相変わらず嫌われていますのね」
「いえ、そんなことは……」
その返しもいつものこと、と王女は朗らかに笑う。
王女と勇者は近しい位置で共に育ってきた。当然王女が勇者に対して意地悪したりとか、馬鹿にしたりとか、罠にはめたりしたことなどこれまで一度もない。
勇者は神の祝福を得て生まれ育つものであるため、余りにも優秀過ぎる王女に対して引けを取るどころか上回る部分の方が多い。これまた当然の話だが、彼女に対して引け目や嫉妬を感じる部分など一つたりとてない。
しかし勇者は何故か幼少の頃より、王女が近くにいると極度の緊張感に包まれるのだという――彼は神に祝福されたがゆえにとことんまで正直者であり、王女にそれを直接告白している。そしてそれを聞いた王女は、愉快そうに大笑いしたというほほえましいエピソードが国の史書に記されている。
口さがない吟遊詩人などは、天下一の片思いなどと言って喜劇として城下で歌ったりするため、王がそれを止めようとしたこともあった。しかし王女はむしろ歌うことを奨励したため、この国において有名なエピソードのうちの一つである。
「しかしそれは些末なこと。そんなことより魔王討伐、ご苦労様です」
「ありがとうございます」
「この戦いで多くの人が亡くなりましたね……」
二人の間に流れるのは沈黙。互いに沈痛な面持ちで黙とうをささげている。魔王討伐までの間に、本当に数えきれないほどの犠牲があったのだ。
二人は……いや世界中の誰しもが今、夥しい数の屍の上に立って、泣き笑いしながら明るい未来を祝っているのだ。
「聖女様程の方がいらしたのに、やはり死んだ者は生き返らなかったのですね?」
「はい。我々のパーティーの誰かであれば神官たちの復活の呪文は効果を発揮するようなのですが」
「勇者の旅の仲間以外は、それが世界にとってどのような重要人物であれ、勇者や聖女がどれほど強く望んだとしても、生き返ることはなかった!」
王女は吐き捨てるかのように小さく叫ぶ。彼女は今何を思っているのだろうか、彼らひよっこ勇者パーティーを目的地へ送り届けるために命を散らした、王女に個人に対して忠誠を誓っていた騎士団長のことを想っているのだろうか。
魔王が指揮する魔物の軍勢が、卵の殻を割るかのようにひき潰していった小さな村の人々のことを想っているのだろうか……それは誰にもわからない。
「はい、そうです」
同じように勇者も忌々しい思い出をかなぐり捨てるかのように短く言葉を吐き出した。王女は情報を王城で聞いていただけだが、彼と彼の仲間たちは間近で見て触れて、関わった者たちの死に寄り添い続けたのだ。その哀しみと絶望の深さは計り知れないものがある。
「そう。魔王討伐は成され、契約は終わり。もはや……もはや死んだ者は決して生き返らない」
王女は勇者の間近に歩み寄り、トレイごと勇者に手渡す。錆びた鉄の匂い……シャンパングラスの中には真っ赤に濡れた心臓が一つ、ねじ込まれていた。
「――ッ! 雷よ!」
大きく見開かれた勇者の目、恐らく意識の外のこと。反射的に発動された、勇者にのみ許された天罰の魔法が王女に対して降り注ぐ。
王女は悲しげな表情のまま立ち尽くしており、天罰に焼かれて滅されるかと思いきや、勇者の求めによって振り下ろされた雷槌は自ら軌道を変え遠くに落下してしまった。
「勇者よ、あなたは優しい男。勇者の力が皆を巻き込まぬよう、勇者特有の属性に完全耐性のある魔法のアクセサリを大量に作ってパーティーに配布し、更には我々にも送ってくださいましたね」
「馬鹿な、その臓腑に残るオーラの残滓は見間違えるはずもない聖女の物……彼女がそう簡単に斃れるはずが……!」
「忘れましたか勇者よ。どのような重要人物であれ、どのような高レベルの剣神であれ、意識の外からの一撃には耐えられぬというのが世の定め」
「貴様……まさかっ! 本物の王女をどこへやった!」
稀代の美女にして平坦な上半身を持つ乙女は愉快そうに笑う……そう、彼女こそが本物の魔王だったのだ。
「魔術の秘奥、魔を統べるもののみが知る真なる秘奥。リィンカーネイション。肉の器は王と王妃より受け継いだもの。故に本物の王女は私。そして本物の魔王も私。うまくいくかどうかは賭けでしたが、あなたと過ごした短い時間、とてもとてもいとおしいものでした」
「くそっ、王と王妃もまさか仲間だというのか?」
「いいえ、彼らは何も知らず何の罪もなく……国を統べるものとして最善を尽くしているだけのお人好し」
「王は人だ、魔王の癖に随分と情に厚いのだな」
王女は勇者の負け惜しみじみたセリフにクスクスと笑い声をこぼす。
「魔物も魔族も魔王も皆、愛も情もあるこの世の生き物です。それに私は彼らから産まれ愛でられ育てられてきたのよ、愛や情の一つや二つ、沸くのが当然というものです」
「畜生が! 炎よ、舞い上がれえっ!」
突如王女の足元から煉獄の炎が円筒状に沸き上がり、その内部の物を塵すら残さぬほどに焼き尽くした……が、王女は仕立てのいいドレスに焦げ一つつけずに、ただ愉快そうに微笑みながら立っているのみ。
「あなたの戦いはずうっと見ておりました。常にあなたたちが全力を振り絞っても、一歩届かない程度の敵を与えるようにしました。本当に苦しい時、不意を突かれたとき、ルーティンとして行動するとき、あなたが何を見て何を考え何を選択するかを、ずうっと見ておりました」
王女は、頬を染めて、まるで愛するものに対して耳元でささやくかのようなトーンで言葉を続ける。その指には複数の指輪がはめられており、腕輪にも、ネックレスにも、イヤリングにも、ドレスやティアラや靴や手袋一つにも何かしらの魔法の効果を持たせているのは勇者の眼には一目瞭然である。
「あなたが扱う属性全てに耐性を持たせてあります。魔王とは武器を持たずとも最強と奢っておりましたが、人間というものは便利ですのね」
「クソッ、気色悪い声色で気持ちの悪い言葉を吐き出すな!」
「だって、当然でしょう? 真なる殺意というものは、無限の愛に似ているのだから」
――さあ、始めましょう。攻略ならば、既に終わっているのだけれど。