#06-13 閑話 嘘つきな二人
ゆる~い関係の二人かと思ってましたか?
高校受験が終わり、中学校に通うのも卒業式までの数日のみとなっていたある日のこと。私は学校帰りに怜那の部屋にお邪魔していました。
その日はポカポカと日差しがとても暖かく、窓を開けて外の空気を入れていました。レースのカーテンがそよ風でふわりと膨らんでいます。
テーブルにはハーブティーのポットと、怜那と私のカップが一つずつ。もう何度となく遊びに来ている怜那の家には、私専用のカップがあります。
私たちは寄り添って、春のレジャーが特集されているムック本を読んでいました。春休みの計画を立てる為です。高校入学の準備もあるのでそこそこ忙しい春休みですけれど、遊びにも行きたいよね――なんて話しながら。
楽しい時間のはずなのに、私は胸の奥にある重いもののせいでどこか上の空でした。
ふと、会話が途切れます。
いつもと様子が違うことに気付いていたのでしょう、怜那が私を見つめていました。
小指と小指が触れていた手を重ねて、そっと握ったのは無意識でした。
怜那の琥珀色の大きな瞳に私の顔が映っています。それが少しずつ大きくなり、お互いに瞼を閉じたところで見えなくなります。
――唇と唇が触れ合いました。
触れ合った柔らかな唇から熱が広がるように、全身が熱くなります。鼓動の音が大きく鳴り響き、怜那の耳にも届いてしまいそうです。
この世の全てを手に入れた。私の欲しいものはこれだったんだ。
そう直感しました。この温もりさえあれば、他には何もいらないと。
こんなにも幸せなことがあるのだと初めて知りました。
そして、こんなにも切ないことがあるだなんて、知りたくありませんでした。
どれくらい唇を重ねていたのでしょう。きっと時間にすれば大したことはなかったと思います。けれどとても長い一瞬でした。
顔を離し、熱い吐息と同時に、目から涙が零れ落ちました。
「話して、舞依。どんなことでも、ちゃんと聴くから」
「怜那……」
言葉が喉につかえます。心臓と肺の辺りが熱く、苦しくて、まるで私の体が話をするのに抵抗しているみたいでした。
でも、これは私の口から話さなければならないことです。
「少し前、お父様に言われたの……。婚約者を決めなさいって」
怜那は真剣な眼差しで耳を傾けていました。
婚約の話はまだ本決まりではなく、候補として四人の男性が挙げられていました。その内の二人は挨拶をした程度ですが面識があり、後の二人もお父様やお爺様との会話の中で出たことのある名前です。
そしてこれからパーティーなどで顔を合わせた時に交流し、一人を選ぶようにと言われました。先方には候補に挙がったことは伏せられているから、素の為人を見極められるし、結果的に三人を落選させてしまうことも気に病むことはないとも。
選択の余地などなく婚約者を決められている知人もいます。そういう意味では、私は家族に愛されているのだな、とは思います。
――でも、私は。
「そう……なんだ……」
たどたどしい私の話を聞き終えた怜那が、ほんの少し目を伏せて言いました。
「それだけ? ねえ、怜那、それだけなの? 私は――」
「だって私たちはっ! 友達……、でしょ?」
「っ!!」
目の前が絶望で真っ黒に染まります。
……友達? ううん、そんなわけない。こんなにも一緒に居て、私の気持ちに気付いてないはずがないのに! 怜那の気持ちだって、私が気付いていないとでも?
キスだって、したのに。
あれは私の気持ちに応えてくれたんじゃないの!?
言い逃れなんてさせないんだから!
「怜那! 私は怜那のことが――」
「舞依!!」
「――んっ!」
思いを告げようとした口をキスで塞がれました。
優しく甘い、最初のキスとは全然違う、荒々しく、噛みつくようなキスです。
離れようにも頭を抱き締められ、唇をこじ開けられて中まで蹂躙されます。
好きという言葉を貪り尽くそうとするかのようでした。
今まで感じたことの無いような多幸感と、気持ち良さと、絶望と、息苦しさと、困惑が次々と襲い掛かり、頭の中はもうぐちゃぐちゃです。
「はぁ……、はぁ……、どう、して……」
ようやく解放された私は、怜那の肩にあごを乗せて喘ぐように息を吸います。
怜那とは肺活量が全然違うんですから、もうちょっと加減をして欲しいです。
「怜那ぁ……」
情けない、縋るような声でした。でも怜那の真意が全然分かりません。こんなにも求めてくれているのに、どうして?
「お願い、聴いて。私たちは、友達だから――」
友達という言葉にビクッと震える身体を、強く抱き締められます。
――怜那の手が震えている?
「一緒に居ても全然変じゃないの。例え舞依に婚約者が出来たとしても、一緒に遊びに行くことも、家に泊まることも、何もおかしなことなんて無い。だって女同士で友達だったら、そのくらいは当たり前でしょ?」
っ! もしかして……、怜那はずっと前から……?
「大人になって、いつか結婚してしまったら、流石に今みたいに毎日は会えなくなると思うけど、それでもたまに一緒にランチするくらいはできるよ。もしかしたら年に一度くらいなら一緒に旅行とかも行けるかも。……友達でいれば、それが出来るの」
本当に、怜那はひどい人……ですね。
きっと今私が「好き」と告白してしまったら、怜那は受け入れてくれるのでしょう。怜那は本気で伝えたことに、嘘を返すようなことはしませんから。
そうすれば私たちは恋人同士になれます。
それはこの上なく幸せなことだと思いますけれど、長くは続きません。高校の卒業と同時に婚約が正式に決まる予定ですから、長くても三年余り。いいえ、その前に関係を断つように促されるかもしれません。
怜那は「自分はちょっと器用なだけ」と謙遜しますけれどとても有能なのは確かで、私の両親からも気に入られています。
ですが、家格の差や同性であるというハードルを越えて一緒になるには、今の怜那には――いいえ、私たちには材料が圧倒的に足りません。
御子紫の家に生まれ、家族に愛され、沢山の恩恵を受けてきた以上、義務から逃れることはできません。それは私の意思でもあります。そして怜那はそれをよく理解してくれています。
その上で。二人で嘘を吐こうと、罪を犯そうと、そう言うんですね。
――ずっと一緒にいる為に。
それなら私も、覚悟を決めましょう。
怜那の肩をそっと押して体を離し、目を合わせます。
「分かった。うん……、全部分かったわ、怜那。これからもずっと、私の友達でいてね」
「うん……」
「世界で一番、大切な友達だから」
「うん……」
「だから、もう泣かないで、怜那」
「泣いてるのは舞依の方でしょ?」
お互い泣き笑いのまま顔を寄せ、口づけます。
「友達でもキスは良いの?」
「大丈夫、欧米じゃキスなんて挨拶代わりだよ」
友人や知人同士の挨拶で、唇と唇のキスはしません。あと大抵は頬を寄せ合うくらいで、頬に唇をつけることも無いでしょうに。
本当に今日の怜那は嘘ばっかり。
でもいいです。私も嘘を吐くと決めましたから。
そう決意を新たにしたところで、不意に抱き寄せられました。
「ごめん、舞依。こんな方法しか思いつかなくて」
「いいの、謝らないで。むしろ嬉しいの。怜那が真剣に、ずっと未来のことまで考えてくれてたことが」
「そっか。……でもね、舞依。今はまだ、そこまで深刻に考えないで。もしかしたら、数年で何か状況が変わるかもしれないから」
「状況って?」
「うーん、例えば国連だの国際世論だのの圧力に屈して、同性婚が法律で認められるようになるとか? あとは……そうだなぁ、私がもの凄い影響力を手に入れて、舞依の家族を捻じ伏せられるようになるとか?」
「怜那は一体、何を目指すつもりなの?」
「さあ? 取り敢えず、高校に入ったら手始めにいろいろやってみるつもり。……本音を言えば、誰かが舞依に触れるかと思っただけでハラワタが煮えくり返りそうだから。最期まで、足掻いてみるよ」
「分かった。でもそれは私もだから。一人で背負わないで」
「うん、一緒に」
「そう、一緒に」
だって私たちは、誰よりも大切な友達だから。
恐らく怜那は七五三掛一族の能力さえも利用して、状況を変えようとしていたのでしょうね。高校に入ってからは、自ら切っ掛けを作るように精力的に行動していました。
結果的に誰も予想だにしない形で、怜那の言葉は実現してしまいました。
考えてみると、あのまま怜那が好奇心の赴くままに行動し、様々な技術や教養を身に付け、人脈を広げていったら、その先にはどんな将来があったのでしょうか? 怜那がどんな未来図を描いていたのか、再会したら訊いてみたいですね。
「舞依? どうしたの、急に黙り込んで」
鈴音さんの言葉で、意識が現実に引き戻されます。
「……すみません、ちょっと思い出していました」
「ということは、やっぱり何かあったってこと?」
「いいえ、大したことは何も。何もありませんでした」
そう。だって私たちは友達だと改めて確認しただけですから。普通のことでしかありません。
鈴音さんが訝し気に見つめてきますが、私は微笑んで誤魔化します。
二人で嘘を吐き通すと決めたのですから、その約束を破るわけにはいきません。
でも近い内に、怜那と再会できたその時に、この約束は解けるでしょう。
――あの日封じた“好き”という言葉とともに。
いいえ、割とガチなんです。
少々補足すると、怜那たちは五人とも比較的精神年齢が高いのですが、この時の二人は実際に婚約・結婚した後のことについて、あまり明確に想像できていません。その辺はまだまだ未熟ということでしょう。
ついでに怜那は本気で状況をどうにかできると思っています。こちらは一種の中二病かもしれません(笑)。