#05-16 閑話 できそうなこととできることは(普通)違う
「御子紫はこーんな高さも飛べないのかよ」
いくつかのグループに分かれて自主練習をしている時、クラスメイトの男子グループが怜那と私に話しかけて――いえ、もっとハッキリ言ってしまえばちょっかいを掛けてきました。
グループのリーダー役である男子――仮にA君としましょう――は、私たちが一緒に居ると何かにつけて絡んできていました。ちなみに先生が介入してくるほど、しつこかったり陰湿だったりというほどではありません。ちょっと煩わしいな、面倒臭いな――というくらいですね。
「誰だって得意なこともあれば苦手な事もあるよ。じゃあ訊くけど、一時間目の漢字テスト何点だったの?」
「かっ、漢字テストは今関係ないだろ……。今は体育の時間なんだ!」
「舞依ちゃんは満点だったよ。そっちは体育で満点取れんの?」
怜那の問いかけにA君は「ふふん」と胸を張ります。
「あったりまえだろ。オレは体操を習ってるからな! 教室でも一番なんだから、跳び箱なんてよゆーよゆー」
「えっ、ホント!? 凄いね。プロになるの? オ〇ンピックに出れる?」
A君は目を輝かせる怜那に一瞬笑顔になりますが、直後に固まりました。それはそうです。通っている教室の同世代の中で一番できるからと言って、トップ選手になれる素質があるかと言えば、大概は違いますからね。
言葉を濁すA君に怜那はスンと真顔に戻ります。
「なんだ。それじゃあ私や舞依ちゃんと大差ないじゃない」
「いやっ! 怜那さん、そりゃあちょっと!」
「うーん……、まあ、世界レベルの選手から見れば、運動が苦手な子とカルチャースクールでちょっと出来る子の差なんて五十歩百歩よね。間違っては……いない?」
「まあ、完全に間違いではない……かな。いや、しかし世界レベルの視点から自分たちを評価する小学生とは……。スケールが違うね」
「ちゃうねん。問題はソコやない。教室で一番っちゅうとこにプライドを持っとる純真な男子小学生にそないなことゆうたら、火に油やん」
「「…………」」
そうなんですよね。適当に相槌を打って「すごいね」とでも言えば、それで済んだはず――少なくともこの場では――なんですけれど。
久利栖くんの仰る通り、プライドをいたく傷つけられたA君は空いているマットのところへズンズンと歩いて行き、助走をつけると側転からバク転を連続で行い、最後にバク宙を決めて見せました。
クラスメイト達は大いに盛り上がり、A君は胸を張ります。もっとも直後に授業とはかけ離れたことをしたことを、先生に注意されていましたが。
「ざっとこんなもんだ。すごいだろ」
得意げに言うA君でしたが、怜那の反応は彼が期待したものではありませんでした。
「ふーん。……今のってそんなに難しいの?」
ただでさえ燃え盛っている炎にさらなる燃焼促進剤を注ぎこんだことで、もはや短時間での鎮火は絶望的な状況となりました。
結局、売り言葉に買い言葉、あれよあれよという間に一か月後怜那が同じ演技を披露するという話になってしまいました。
勝負を受けたのは怜那ですけれど、事の発端――最初に絡まれたのは私です。どうにかしなければと思い両親に相談したところ、スポーツクラブで短期間指導してもらえるよう手配してくれました。
そしてその初日。私と怜那はスポーツクラブで準備運動をしつつ時間待ちをしていました。時間外に指導を受けられるよう急に捻じ込んだ話なので、正規の生徒さんが優先です。
ちなみにこの場に浮かないように私も怜那と同じくジャージ姿ですが、運動をするつもりはありません。――そのはずでしたが、怜那の準備運動とストレッチに付き合っていました。
「――怜那ちゃん、聞いてる? 庇ってくれるのは嬉しいけど、もうあんな風にケンカを売ったら駄目だからね」
「えぇー……。別にケンカなんて売ってないよ。ただ思ったことを正直に言っただけで、向こうが勝手に怒っただけじゃん」
私のお説教に怜那はプイっと顔を背けて拗ねて見せます。そういう仕草はちょっと珍しくて可愛い――ではなく。
「でもいつもなら、『上手だったよ』くらい言って適当に流すでしょ?」
「だってさぁー、なんかいい加減面倒臭くなっちゃったんだもん」
うんざりしたように吐き捨てる怜那に、私は内心で深く頷きました。本当にその気持ちはよく分かります。それだけに追及できなくなってしまいました。
「それにあのくらいならできそうだなーって思ったからね」
「もう……。できそうって思ったからって、必ずしもできるようになるわけじゃないでしょう?」
「んっ?」
私は当たり前のことを言ったつもりだったのですが、キョトンとした怜那の琥珀色の大きな目がゆっくりと瞬きます。
無言で何かを考えていた怜那は辺りを見回すと、誰もいない鉄棒の方へ向かって行きました。私たちではジャンプしなければ掴めないくらいの高さがある鉄棒です。
怜那は鉄棒を掴むと体を揺らしたり、足を振り上げたりし始めました。今日は鉄棒をする予定は無いのですが、何をするつもりなのでしょうか?
「っていうかさ、つっかかってくるのってやっぱりアレでしょ? 気になる女子に、自分の方を見て欲しくてちょっかい掛けて来るってヤツ」
「あ……、怜那ちゃんも一応気付いてたん――」
「舞依ちゃんの事が好きなら嫌味なんか言わなきゃいいのに。なんかもう、ムカつくっていうかイラッとするっていうか……」
「ええっ!? そ、それは――」
「よし、なんとなく掴んだ。いくよ? ……せーのっ!」
私の言葉を遮った怜那は、掛け声をかけると足を大きく振り上げ、振り上げた方の逆側にくるんと回って鉄棒の上に昇ってしまいました。後で調べたことですが、鉄棒競技の最初に大体行う“蹴上がり”という技術でした。
以前から練習していたという訳ではないでしょう。ということは、ここに来てからコーチや生徒さんの動きを観察して、できるようになってしまったということで――
怜那はぴょんと鉄棒から飛び降りると、言葉を失う私の傍に来てニッコリ微笑みます。
「私、自分の目で直に見て“できそう”だと思ったことで、できなかったことって一つもないよ」