#04-15 閑話 王都の事情
レイナを見送った後、私たちはどことなく気の抜けた感じで屋敷に戻った。
彼女は決して賑やかなタイプでは無かったが、とても存在感のある人物だった。それ故に屋敷の中にぽっかりと穴が空いたような、奇妙な静けさを感じる。ほんの数日間滞在しただけだというのに大したものだ。
彼女に良く懐いていたエミリーなどは、少し肩を落としトボトボと頼りない足取りで自室に戻って行った。
う~む、可愛いエミリーを慰めたいとは思うが、どう声を掛けていいものか……
などと迷っていたらエミリー付きのシャーリーが首を横に振り、二人の妻も揃って首を横に振った。……どうやらこういう時、男親は何もしない方がいいらしい。
「行ってしまったな」
居間でお茶を飲み、寛いだところでそんな意味のない言葉がポロリと零れた。
「ええ、行ってしまわれましたね」
「大切な用事があるのでは、引き留めることはできませんものね……」
妻たちが残念そうに小さく溜息を吐く。二人もレイナの事を気に入っていたようだから無理もない。
私も個人的には彼女のような面白い人物には、近くに居て貰いたいと思う。性格的にいつまでも我が家の世話になることは無いだろうが、このままノウアイラに定住してくれれば、というのが本音だ。
ただ一方で商会の会頭として、そして王国貴族の一員としては、レイナは好きなように動いてこそ価値があるとも思う。――いや、むしろ一か所に留まり続けると、こちらが対処しきれなくなるかもしれないという危惧というべきか。
「それにしても一体あの子は何者なのかしら? 自分は庶民だと断言していましたけれど……、ねぇ?」
「ふふっ、そうですわね。貴族ではないという意味では、確かに庶民なのでしょうけれど」
「……ローブの下に着ている服を見た時は衝撃でしたからね」
「ええ、わたくしも驚きました……」
ローブの下? そんなに驚くような服装だっただろうか? 船に乗っている時にチラリと見たが、くすんだ緑色の作業着のような服を着ていたはずだ。――そういえば柔らかそうな生地で、動き易そうな服だった。アレは一体どんな素材だったのだろうか? 聞いておけばよかったかもしれない。
それはさておき。女性が着るには珍しいが衝撃的という程では無いだろう。女性の狩人と会ったこともあるが、彼女たちが防具の下に身に着けているものとさほど違いはない。
そんな私の感想を聞いた妻たちは、顔を見合わせてほっと息を吐いた。
「安心しました。まさか船に乗っている時もあの服を着ていたものかと……」
「本当に。でも不思議ですね。レイナは普段の所作は綺麗でしたし、作法に関してもこの国のものとは文化や流派の違いはあれど、恐らくは正しく学ばれたのでしょう。にも拘らず……」
「あの装いですからね……」
妻たちが苦笑する。一体レイナはどんな服を着ていたというのだろう?
詳しく訊いてみると、なるほど確かに彼女の故郷は我々の常識とは大分異なる文化のようだ。
基本的にこの国の女性は足を見せることは無い。これは庶民も同じで、例外は小さな子供くらいで、それも六歳ごろには脛くらいの丈のスカートを身に着けるようになるものだ。
なお、他国でも巻きスカートだったりワンピースだったりとデザインに違いはあっても、丈に関しては大体共通している。特に貴族階級となると、足を見せるのをはしたないとされるのは世界共通と言っても過言ではない。
にも拘らず、レイナは膝上丈の非常に短いスカートを着ていたらしい。一応素足ではなく“レギンス”なるものを身に着けていたそうだが、脚のラインが完全に露わになるほどぴったりと張り付くデザインで、妻たちは衝撃的だったと口を揃える。
ふむ。それはちょっと見てみたかったような……
ハッ、殺気!?
いやいや、妻たちよ。どんな素材をつかっているのかや、新しいファッションアイテムとしてどうなのかが気になるという話でね。あくまでも商人として、見てみたかったということなのだよ?
…………
コホン。ま、まあなんにしても、だ。
商売上、数多くの国に行ったことのある私ですら、そのようなファッションをしている国を知らない。無論、あらゆる国を網羅したわけでは無いが、傾向が近いものにも全く心当たりがないというのは不自然だろう。
また、あの魔法鞄や地図を一瞬で写し取っていた謎の魔道具などは、明らかに我々の知る魔道具とは隔絶した技術が用いられている遺物級の代物だ。
いったいレイナは何者で、彼女の故郷とはどんなところなのだろうか?
うーむ。興味は尽きない。行けるものならば是非とも行ってみたい。そして交易することが出来れば、その利益は計り知れないものに……
「ところであなた。レイナは王都へ向かうと言っていましたけれど……」
「王都は今、少々厄介なことになっているのではありませんか?」
妻の問いかけに現実に引き戻される。
「ああ。もっとも王都というよりも王宮だがね。政治そのものは今のところは一応安定しているから、街の様子にこれといった変化はない。レイナの仲間探しに支障はあるまい」
現在、王宮は些か不安定な情勢だ。
発端は国王陛下の急逝。不調になられてから逝去されるまでが非常に早かった為に、当初は暗殺の線も疑われたが、あくまでも病であると結論づけられた。
それが一昨年の事。そして未だ新しい王は即位しておらず、ご存命の先代が仮の玉座についている。先代は心身ともにすこぶる健康なので、いまのところ実務面に於いて特に問題はない。
問題は後継者を誰にするのか、だ。
亡くなった陛下は正妃と三人の側妃の間に五人の子を設けたが、全員女児だった。陛下はまだまだお若く問題視されてはいなかったのだが、誰もが予想だにしなかった急逝で混乱に陥っているのである。
メルヴィンチ王国は制度上、女王も可だ。しかし女王が誕生したのは歴史上三例だけ。しかもそれらは中継ぎ的に誕生した代でいずれも在位は非常に短い。つまり実質的な意味での女王による治世が、今回初めて誕生するかもしれないのだ。
長女は正妃の娘で、これは正妃の実家である隣国の王家に嫁ぐことが決まっているので、候補からは外れる。なお、これは婚約が成立した時点でそう決まっていた。
四女と五女は双子で、母親である第三側妃の後ろ盾となる実家の地位も子爵と低いので候補にはなりえない。
余談だが門閥貴族とは言え子爵令嬢が、王の側妃になるのは普通なら有り得ないのだが、陛下のたっての希望で“三番目ならば”と周囲が渋々承知したという話だ。そこからも分かるように、最も寵愛されていたのは第三側妃だった。
ちなみにこの方は人的な接着剤として得難い性格と能力の持ち主で、他の代と比べると正妃と側妃、そして側妃同志の関係は良好で和やかな雰囲気なのだとか。
王家の奥事情はさておき、話を戻そう。
第一側妃と第二側妃は、それぞれ侯爵家と辺境伯家の出身で爵位的には同列。領地の大きさや資産規模は辺境伯家の方が上だが中央の有力貴族との繋がりが弱く、一方の侯爵家は一族が中央の有力ポストを歴任していて宮廷工作にも長けている。
後ろ盾の強さが同列ならば本人の資質はどうかと言うと、第二王女と第三王女はどちらも同じくらいの優秀さと聞いている。というか、第一王女が非常に優秀かつ魔力も大きく、相対的に第二・第三両王女が霞んでしまっている。
各方面からの情報やお茶会などでの噂話も繋ぎ合わせたところによると、今のところ第二王女が順当に玉座につく可能性が高いようだ。もっともこれまで目立った動きを見せなかった辺境伯家が、娘を玉座に着けようと乗り出せばどうなるか分からないという話も聞く。
――要するに、どっちに転んでもおかしくない情勢ということだ。
「王位争いなど珍しくもないですからね。幸いなことに王女殿下同士の仲が良好で、血みどろの宮廷闘争になっていませんし」
「そうですわね。そのせいで決まるものも決まらないという側面もありますけれど、犠牲者が出るよりは遥かにいいですから」
「先代は優れた為政者で、未だご健勝であらせられるからな。第二、第三王女殿下はまだ一三歳で、成人までまだ少しは間がある。急がずに資質を見極めるべきという意見も大きい」
「中継ぎではない、初の女王になるわけですからね」
うむ。盤石な体制で臨まなければ政治が不安定になりかねない。王宮には是非とも慎重に事を運んで欲しいものだ。
政情が安定しなければ経済の発展も望めないからな。それは我が商会としても望むところではない。商売あがったりは御免被りたい。
「けれど旦那様? ミクワィア家としては双子の殿下のいずれかに王位について頂きたいのではありませんか?」
「確かにそうなれば我々にも利があるが……」
ミクワィア家は第三側妃の実家である子爵家とは関係が深い。かの領地には良質の毛皮を持つ魔物が多く生息するダンジョンがあり、ミクワィア家が爵位を賜る以前から取引がある。私の曽祖父の代には正妻を迎えており、こちらからも分家に嫁いでいった者がいる。
そういった繋がりから第三側妃が王宮に入る際には色々と手配して、かなり儲けさせてもらった。しかし――
「ただでさえ双子の王族は扱いが難しい。その上候補者の中で一番幼く、後ろ盾の実家も力不足。仮に我らが資金面で支援したとしても、宮廷工作に勝てる可能性は万に一つも無いな」
「そうですわね。むしろ下手に巻き込まれて、投下した資金が無駄になってしまうよりは最初から候補から外れている方が安全ですわね」
子爵は堅実で野心とは無縁の性格だ。取引相手としては信用できる方だが、怨念渦巻く宮廷で勝ち抜ける才覚は無いだろう。お陰で我々も巻き込まれずに済むという訳だ。
「そういうことだな。……まあ、双子がレイナを味方に付けて、宮廷の魑魅魍魎を纏めて殲滅でもすれば、どうなるか分からんがな。ハハハハ……ハ……?」
「「…………」」
妻たちの笑顔が固まっている。チラリと背後のバスティアーノを見ると、眉間にしわを寄せていた。
待て待て。皆、よく考えるんだ。まさか、いくらなんでもそんな喜劇めいた奇跡が起きる訳が……。
無い……、よな?
「いやいや、今のは冗談だぞ? そもそも王宮に居る殿下たちでは、レイナと出会えるわけが無かろう?」
「普通に考えればそうですけれど、あなたはレイナとどこで知り合ったのですか?」
それはもちろん海の上で。
…………
うむ。レイナならどこで誰と知り合っても不思議ではない気がしてきた。
「バスティアーノ、予定の中で前倒しできるものは全て片づけて王都へ向かう。私でなくてもいい仕事は息子たちに投げよう。飛行船のチケットを手配しておいてくれ」
「旦那様。それは構いませんが、それ程急ぐ必要はありますか? かなりの速さで移動できるそうですが、レイナ殿は陸路ですが……」
「そうだが……、なにが起きるか分からんからな。王都や王城内の情報収集をしておきたい。できれば両殿下と子爵にお会いしたいところだが……」
「……確かに、仰る通りですね。では、そのように手配を」
王都で何が起きるのか、しっかり見届けようじゃないか。きっとそこには商機があるはずだ。
さあ、忙しくなるぞ!