#03-08 閑話 大海原で出会った少女
私はドルガポー ミクワィア。メルヴィンチ王国の子爵家当主だ。
が、そんなことはどうでもいい。我がミクワィア家は代々商人の家系で、本質はどこまで行っても商人なのだ。
貴族の位など交通手形程度のものでしかない。無論、商売上の手札にはなるから無いよりは有った方が遥かに良い。つまり道具の一つということだ。
私には妻が二人と、息子が四人、そして娘が一人いる。息子三人は既に成人し、次期当主である長男は既に結婚している。妻は主に社交面で、成人している三人は商売の面でそれぞれ私を助けてくれている。家族仲は自慢では無いが良い方だ。
特に、特に末の娘がとても可愛い! 何しろ上の四人は全て男子だったので、五人目にして初めての娘というのは、それはもう目に入れても痛くないという程に可愛かった。
一家揃ってそうだった為、少々溺愛気味だったのは認めざるを得ない事実だ。過保護に、箱入りにしてしまった為に、末っ娘のエミリーは若干人見知りになってしまった。とはいえ、そういうところも可愛いのだが。
が、仮にもミクワィア商会の娘である以上、このまま人見知りでは少々困ったことになる。妻や兄たちのように、自分に出来ることを見つけなくてはならないからだ。
無論、エミリーもいずれは家を出ることになるかもしれないが、その場合でも嫁いだ先で……、嫁いだ……、嫁……
ダメだ、ダメだ、ダメだ! エミリーは嫁になどやらん! ずっと我が家に居ればよいのだ!
ハァ……、ハァ……。いかん、我を忘れてしまった。
…………
まあ嫁にやるやらないの話は置いておこう。息子たちも「お嫁になんて行かなくていいんだよ」と言っているしな。うむ。
それはそれとして人見知りは改善しておくに越したことは無い。
そういう訳で、最近はエミリーをお付きの侍女と共に、私の外交に同行させるようにしている。仕事の手伝いでは無く、エミリーにとっては父のお伴として旅行に行くだけ。先ずは外の世界に慣れるところから始めようというところだ。
今回もそんな旅の一つで、主目的は隣国との貿易だった。タフな交渉ではあったが、双方に利のある結果になったと自負している。
そして帰国する航路上で、我々は彼女と出会ってしまった。
最初に受けた報告は、筏で漂流中の人を発見したというものだった。
周辺に陸地は無く、三日ほど離れた場所に無人島があるだけだ。しかも人が定期的に手入れしていない限り、現代の無人島はほぼ全てが――ごく稀に住人はいないが管理されている島もある――魔物の巣窟となっている。一体その者はどこから漂流しているというのか? しかも筏で。
いずれにせよ見つけたからには救助しなければならない。ミクワィア商会の商船と知って、なにか不埒な目的で近づこうとしている可能性も無くは無いが、それにしては大海原のど真ん中で筏一つというのは奇妙だ。
正直に言えば、人命救助というよりは興味が勝ったと言うべきだろう。二人の妻からは良く窘められるのだが、こればかりは性格――いや、ミクワィアの家系の性とでも言うべきだろう。
そうして出会った彼女は――そう、驚くべきことに少女だったのだ――私の想像を遥かに超えて不可解で、同時に魅力的な人物だった。
全身をすっぽりと覆うローブでフードを被った彼女は、女性だと知った上で見てもやや小柄な体格だった。私がまず注目したのはそのローブだ。
デザインはシンプルそのもので、縫製に関してもどうやら素人の手作りらしく特段見るべき点は無い。が、素材は超一級品だ。毛足の短い毛皮は色も艶も見事で、しかも強い魔力を帯びている。
おそらく強力な魔物の素材を用いたのだろう。低級の魔法程度ならば弾いてしまうほどの性能があるに違いない。ワンポイントに使用されている留め具は宝石か? それとも魔物の骨……いや、まさか、魔法発動体? えっ? そんな高級品を留め具なんかに?
ゴ、ゴホンッ! ま、まあ、そういう無意味なところに使ってこそ、真のお洒落と言えないこともない。――そこまでやるのはハッタリが必要な王族とか大貴族くらいだが。
気を取り直して。
フードを取った彼女――レイナは、見たところ成人前の歳頃に見えた。よく手入れされた艶やかな亜麻色の長い髪。琥珀の瞳。くすみの無い綺麗な肌。
貴族や大商人の子女でもそうはお目にかかれない程に整った容姿もさることながら、驚くべきはその清潔さだろう。筏で漂流していたという話だが、薄汚れた感じが全くない。仄かに柑橘系のいい香りまでする。――いや、意図的に嗅いだわけではないぞ!
所作もどこか美しく洗練されている。恐らく私たちに見せているのは、彼女にとって無理をせずにできるレベルの余所行きなのだろう。侮られることは無く、同時に相手を不用意に身構えさせることもない所作。それが出来るということは、もっと高度なマナー教育を受けていることも証明している。
そしてさらに驚いたのは彼女の胆力だ。
私は子爵家の当主であり、王国でも五指に入る――ま、まあ年によって十指の時もあるが――商会のトップでもある。王家や大貴族とも取引があるし、直接会って交渉することもある。それなりの修羅場も潜って来た。
レイナはそんな私に対しても全く臆することなく、かといって変に虚勢を張ることも無く、ただただフラットな態度で相対していた。並の賊ならば睨むだけで追い返せると称される私の眼光すら、興味深そうに見つめ返すだけなのだから恐れ入る。
私を初めて見た時にも「これが貴族か」という興味しか感じられなかった。好奇心にキラキラと輝く瞳が魅力的で、好感が持てる。
私の個人的な感情は、取り敢えず置くとしよう。総合的に見て彼女は奇妙過ぎる存在だ。そして危険な存在でもある。
少女が身一つで漂流――旅などしているくらいだ。相応の強さがあると見るべきだろう。魔力を完璧に制御しているのか、レイナから感じる魔力の気配は人並みだ。が、底知れない濃密な存在感がある。それこそ畏怖すら感じる程に。
貴族としての勘が警鐘を鳴らす。彼女とは絶対に敵対してはならないと。
同時に商人としての性が高揚する。彼女を絶対に逃してはならないと。
レイナを救助した――いや、彼女は別段困っていたわけでは無いから、正確には船に招待したと言うべきか。ともあれ、その翌日のこと。朝食を終えた私は、船長とバスティアーノを執務室としている私の船室に呼んだ。
「率直な意見を聞きたい。レイナのことをどう見る?」
二人とはもう長い付き合いで気心が知れている。商売上で共に危険な橋を渡ったこともあれば、意見が衝突することも、諫められることもある。得難い存在だ。
その二人が言葉を発するのを迷っていた。ある意味、興味深い事態だ。
「ん~……、なんつーか、奇妙なお嬢ちゃんですね、ありゃあ。だが良い娘ではある。少なくとも敵じゃないし……、敵にしちゃいけねぇ」
「私も同感です。お人柄は善良なのでしょう。しかし奇妙な娘だとも思います」
「奇妙というのは、具体的には?」
重ねて尋ねると、二人は視線で役割を押し付け合っていたが、やがてバスティアーノの方が折れた。
「では私から先に。レイナ殿は言葉の端々に知性を感じますし、所作も美しい。高い教育を受けていたのでしょう。その割に一般常識が無い。……いえ、部分的にすっぽりと抜け落ちているような印象です」
「例の魔物の素材か……」
「はい。私が詳しい鑑定がしたいと申し出たら、彼女はアッサリと貸し出しました。あれ程の素材をですよ?」
「だからさ。お嬢ちゃんにしたら取り返すくらいなら簡単ってことだ。試されてんのさ、俺たちの方が」
「ええ、そうなんでしょう。他にも彼女は手の内を見せてきました。様々な魔法の技術もそうですが、あの魔法鞄が……」
「あの鞄か。っていうか、魔法鞄なんてレベルの代物じゃないだろ。あの距離でアックスフィッシュをぶん殴ってたぞ?」
確かに。てっきり魔法で攻撃するものと思っていたら、まさかの物理攻撃。鞄が巨大なハンマーに姿を変えるなど、想像を超えている。
ちなみにアックスフィッシュというのは、主に船乗りたちが使うクレセントヘッドツナの俗称だ。頭部が似たような形の魔物は他にも数種いて対処方も同じゆえに、それらの総称として使われている。
「鞄には違いないでしょう。遺物級であろうと、魔法鞄の一種には違いありません。ところで会頭。彼女の鞄の機構……、小さな車輪と伸縮するハンドルを取り入れた鞄を開発してみませんか?」
「確かに中々使い易そうではある。しかし、あれほど小さくて滑らかに動く車輪がな……。まあ、その件はレイナにアイディアを拝借してもいいか相談してから考えてみよう」
「遺物級ってところはスルーで良いのかよ……。まあ突っついて藪蛇になってもつまらんか。しかし相談って言うなら鞄より酒だろ? いや昨夜のワインは本当に美味かった!」
「確かに、素晴らしかった」「そうですね……」
レイナが提供してくれたワインは色も香りも良く、味はまさに絶品だった。我々の中で最もワインに煩いバスティアーノですら、手放しで絶賛していたほどだ。あっと言う間に一本空けてしまい、苦笑した彼女がもう一本追加してくれた。
まあそれすらも空けてしたたかに酔った為に、二人との話し合いが今になっているわけだが。
「しかし自家製で趣味だと言っていたからな。売るほどの数はあるまい。実に残念だが」
「いえ会頭。少ない数でも、ここぞという時の手札には使えます。重要なお客様を招いた時の晩餐に使えば……」
「オイオイ、それじゃあ俺は飲めないじゃないか!」
「私だって飲めませんよ! 一応言っておきますが、彼女に直接頼んで……などと考えないでくださいよ? あれ程のワインですから、オークションに出せば価格は天井知らずです」
「だからそこはこう、上手く言いくるめてさ」
「先ほど私たちが試されていると言ったのは、どの口でしたか?」
「そうだった……。諦めるしかないか……、残念だが……」
船長が溜息を吐くと、バスティアーノもつられたのか小さく溜息を吐いた。
あれ程のワインだからな。私とて日常的に呑めるものならばそうしたい。どうにかならないものか。
……うーむ。すぐには名案など思い浮かばんか。やはり地道に信頼関係を構築するべきだろう。
「いずれにせよ、私は彼女との取引を進めるつもりでいるのだが、二人とも賛成ということで良いのだな?」
「そりゃあもちろん。ここで逃すにゃあデカすぎる大魚だ、あのお嬢ちゃんは」
「ええ。いろいろと秘密のありそうな御仁ですし、敵対しないよう注意深く接する必要はありますが、そんなことは些末な事です」
「うむ。できれば紐と鈴をつけておきたいところではあるが……」
「しかし……、それは少々危険ではありませんか?」
確かに。扱いを間違えばとんでもない爆裂魔法になりかねない。
が、彼女は恐らく好奇心旺盛で、面白そうなことには首を突っ込みたくなる性格だろう。似たタイプだからこそ感じるシンパシーがある。
であるならば、手が無いわけでは無い。
「……考えは、ある」




