#00-02 ある意味、こっちが本当のプロローグ
気が付くと私は、一面乳白色の不思議な場所に立っていました。
床も壁も天井も分からない、ただ一色だけの世界です。それなのに足を付けているという感覚はあります。また明るくはありますけれど、眩しさは感じません。
本当に不思議な場所としか言いようがありません。
目が覚める直前のように靄のかかった頭で、そんなことを考えていました。
何故こんなところに居るのでしょうか? 少し整理してみましょう。
――今日は二泊三日の校外学習の初日でした。校外学習というのは私たちの通う高校で行われる行事の一つで、一年の十月にクラス単位で行き先を選択して行う課外授業です。修学旅行と異なるのは、野外活動が主な目的だからです。
私たちのクラスはキャンプを選択しました。テントの立て方や焚火の仕方、森の中で食べられるものの採取や、川での釣りなどを学ぶのです。
このように説明すると、まるでサバイバル訓練をするように聞こえるかもしれませんが、これはあくまでも学校行事です。テントを設営する場所は整えられた場所ですし、基本的な道具や食材、燃料なども用意されています。――それからお手洗いとお風呂もありますしね。ココは結構重要なところです。
総合的に見ると、いわゆるグランピングを楽しみつつ、野外活動の基礎を学ぶという感じでしょうか。
本格的なサバイバルというと敷居が高いですけれど、この位なら運動が苦手な私でもなんとかなりそうです。班分けも仲の良い親友や幼馴染と組めたので、とても楽しみにしていました。
校外学習の初日。私たちは早朝にバスに乗り込み、目的地のキャンプ場へ向けて出発しました。
いつもよりだいぶ早起きだったので少し眠かったのですけれど、隣の席の怜那と話していると眠気なんて吹き飛んでしまいました。自覚は無かったのですが、だいぶテンションが上がっていたようですね。
そして――そう、思い出しました。バスが山に入って少ししたところで、大きな衝撃がバスを襲ったと思ったら、隣の怜那が私を庇うように覆い被さってきて……不謹慎にもドキッとしてしまいました。
そこで、記憶が途切れています。
もしかして、私は――死んでしまったのでしょうか?
ここが死後の世界ということならば、この不思議な感じにも納得できます。
痛かったとか、苦しかったとかの記憶がないのは、むしろ幸いと言うべきかもしれません。
一応それで辻褄は合うような気もしますけれど、死んだという実感――妙な表現かもしれませんが――が全くありません。なんというか、体の感覚が現実的過ぎるのです。胸に手を当てると、心臓の鼓動も感じられます。
それに怜那が居ました。
私たちは恐らく災害に巻き込まれたのでしょう。それは間違いありません。
ですが怜那は無事なはずですし、同行者である私たちも助かる可能性が高いはずです。
とすると、この状況は一体……
改めて周囲を見回して見ると、クラスメイトと引率の先生方の姿があることに気付きます。皆さん表情がどこかぼんやりとしていて、意識がまだはっきりしていない様子です。
それぞれ四~六人くらいのグループで固まっていて、それが校外学習のグループであることはすぐ分かりました。私の近くには鈴音さん、秀くん、久利栖くんが居ます。
――怜那がいない!?
「っ!!」
思わず叫び声を上げそうになって、咄嗟に呑み込みます。
危なかったです。今ではもう身に沁みついている礼儀作法が役に立ちました。何事もやっておいて無駄にはならないものです。――そう言えば、一緒に受講していた怜那が小さい頃に「これはもう修行って言うべきだよ」なんて言ってましたね。ふふっ、懐かしいです。
「なんやこら? 俺らいったいどうなってもうてん?」
久利栖くんがややオーバーにキョロキョロしながら声を上げると、皆さんがザワつき始めます。そして急に不安になったのか、それぞれのグループで寄り添っていきまます。
「死後の世界……とは思えないわ。体の感覚がリアルすぎる。というか、死んだら魂だけの存在になっちゃうんじゃないかしら? ねえ?」
「さあ、どうだろうね? 創作物以外で死後の世界を見たことが無いからなあ……。まあでも死んだとは思えないっていう方に、僕も一票かな」
鈴音さんに意見を求められた秀くんが、いつも通りの落ち着いた口調で答えます。
「もっとも、事故から普通に救助されたっていう感じでもないけど、ね」
「事故? やっぱりあれは事故だったん? えらい衝撃やったのは覚えとるけど」
「この状況では憶測になるけど、事故というよりは災害かな? そんなことより気になるのは怜――」
「秀くん」
怜那がいないことに触れようとした言葉を慌てて遮りました。
「鈴音さん、久利栖くんも……いいですね?」
唇に人差し指を立てて二人と視線を合わせると、二人とも困惑しつつも頷いてくれました。
私の想像が正しければ怜那の不在には意味があります。そして今はまだ、クラスメイトには知られない方がいいでしょう。他人に構っている余裕の無いこの状況では、私たち以外に怜那の不在に気付いている人はいないようですし。
「スマホは……、まあ当然ダメよね。ともかく、何らかの説明は欲しいとこね」
鈴音さんが私たち全員の気持ちを代弁したところで、それに応えるかのように音も無く一人の人物(?)が現れました。
ゆったりと布を巻き付けたような衣服を身に纏ったその存在は、現実味の無いほど美しいということもなく、背中に翼があるわけでもなく、後光が差しているわけでもありません。けれども目が離させなくなるほどの存在感があり、同時に跪きたくなるほどの畏怖を感じます。
『皆さん。難しいかもしれませんが、先ずは落ち着いて。順を追って、状況を説明しましょう』
頭に直接伝わってくるような不思議な響きの声です。
「あの、失礼ですが、あなたは……?」
この状況では引率も何も無いとは思いますが、一応この集団の代表ということで担任の先生が訊ねました。
『私はあなたたちの概念で言うところの神になります。ただ、あなたたちの世界とは異なる世界の神ですが』
結論から言うと、私たちは直下型の地震とそれに伴う大規模な地滑りに巻き込まれて死が確定してしまったその瞬間に、こちらの世界に召喚されてしまったのだそうです。
魂と世界との結びつきというのはとても強いもので、死が確定して世界から切り離され、輪廻の流れに移るその瞬間でなければ世界間を移動することがとても困難なのだとか。
つまり私たちは死ぬ正にその瞬間に召喚されることで助け出された――とも言えます。
では誰に召喚されたのか?
その当然の問いかけに、神様は困惑した表情で――意外と人間味のある表情をすることに少し驚きました――こう答えました。
『今回は誰も召喚の儀式を行っていません。本来有り得ないことなのですが、召喚装置の誤動作が原因です』
私を含めた全員が内心でツッコミを入れた瞬間でした。相手が神々し過ぎて、口には出せませんでしたけれど……
神様の司る世界には魔力というエネルギー源が満ちているそうです。人類が魔力を魔法という現象に変えて利用する一方、魔力は人や動物を襲う魔物という厄介な存在も生み出します。
何事もいいことずくめという訳にはいかない、という事なのだと思います。その点は科学技術にしても同様ですしね。
そしておよそ百年に一度という周期で、魔物が大量に発生するという“暴走”と呼ばれる一種の自然災害が起きてしまうのです。
暴走で生まれる魔物は強力で、大きな被害をもたらします。それを打破するために遥か昔、魔法技術が発達していた国に生まれたとある天才的な魔法使いが中心となって、異世界人を召喚する魔法装置が開発されました。
なんでも世界にも格というものがあるらしく、簡単に言えば上位の神様が創造して長く続いている世界ほど格上になるのだとか。そしてその格上の世界から召喚された存在は例外なく、現地人より遥かに高いポテンシャルを持つそうです。
なお、この召喚魔法は一方通行の落とし穴――漏斗や蟻地獄のようなものだと私は理解しました――のような構造で、格上の世界から落ちてくるのを受け取ることはできても、逆向きに行き先を指定して送ることはできないそうです。従って、私たちは元の世界へ帰ることはできないということになります。
とはいえ、その点についてはくよくよしても仕方がありません。なにしろあちらで死が確定してしまったせいでここに居るのですから、むしろ命を拾ったと前向きに考える方が建設的です。
閑話休題。
異世界人の召還と現地の人々の努力によって暴走に対処することで、危ういながらも安定していた世界でしたが、今からおよそ千年前にこの均衡が崩れます。かつてない規模の巨大な暴走が発生したのです。
結果的にこの暴走はどうにか収束することができましたが、以前に召喚されて存命だった異世界人とこの時に召喚された異世界人の九割と、総人口のおよそ半数が失われるという甚大な被害となりました。また大陸の一つを治めていた国が完全に滅び、その土地は今でも人の踏み入らない不毛の土地になってしまったそうです。
この悲劇的な出来事により、人々は自分たちの世界の問題に異世界人を巻き込むことに、深刻な罪悪感と疑問を抱きました。そして召喚魔法は、現存する装置と全ての研究資料が完全に廃棄されることになりました。
勿論異論もあったそうですが、滅びた国家というのが召喚装置を開発した国であり、かの国は他国への優位性を確保するために、召喚装置の中心部分をブラックボックス化、独占していて、他国では未だ完全には再現できていなかったのです。そして復興を優先しなければ、生き延びることさえ出来ないという現実があります。
幸か不幸かこの大規模な暴走を鎮圧する過程で強大な魔物は大半が斃され、その後の暴走も小規模なものが続き現地人でも十分に対処が可能だったこともあり、実行されたのでした。
正直、私はそれを実行できたことに驚きました。表情から察するに、クラスメイトの皆も同じ気持ちだったと思います。いつまでたっても核兵器を捨てられないどこかの国の為政者には、ぜひとも見習って貰いたいものですね。
さて、ここで当然の疑問が浮かびます。
誤動作したという召喚装置はなぜ存在しているのでしょうか?
すべて廃棄されたのでは?
その答えは――
『千年前に滅びた国。その召喚装置が奇跡的に生きていたのです』
国は滅びて不毛の土地になってしまったものの、召喚装置の本体は辛うじて無事だったのだとか。もっとも魔力供給ユニットが壊れている上、地下にある召喚装置へ至る道が完全に閉ざされてしまっている為、システムとしては機能しない状態です。そのはずでした。
ところが偶然に、それこそ神様すら想像していなかったくらい奇跡的に。
その装置周辺に大きな魔力の偏りが発生してスタンバイ状態になり、かつ近隣で地震が発生した影響で瓦礫が崩れ、その衝撃で装置が稼働してしまったのです。
…………
えー、神様に対して失礼かとは思いますけれど――
「「「そんなバカ(アホ)な……」」」
思わず漏らしてしまった声は、クラスメイトの声に紛れたようです。
皆さん、同じ感想だったみたいですね。
作中でも語られる予定ですが、主人公グループの久利栖の口調は“なんちゃって関西弁”です。なので、本場の方からは変な表現もあるかと思いますがご容赦くださいませ。