第9話 1年C組 新しいクラス
式が終わるとそれぞれの教室に戻り、担任の先生からの挨拶があった。担任は27歳。女性の先生。多分独身。ショートヘアーで、前髪も短く真面目で堅苦しいイメージ。黒のパンツスーツがさらにそれを物語っている。名前も剛田聡美。硬そうな名前だ。確かジャイアンがこの苗字じゃなかったっけ?
「じゃ、しばらくこの出席番号順に座ってもらって、1か月もしたら席替えしますけど、その間に名前覚えてね。では1番から簡単に自己紹介。名前と出身校と趣味くらいでいいよ。あと、抱負とか。このあと親御さんの集まりもあるから、一人3分以内でよろしく」
テキパキと剛田先生はそう言って、端から順に自己紹介をさせた。
ああ、苦手だ。人前で話すこと自体好きじゃない。趣味もないし、抱負ってなんだよ。でも、みんなも特に言っていないから良かった。
「朝日中学校出身、辻村春来です。よろしくお願いします」
それだけ言ってすぐに椅子に座った。特に今まで同様何もみんな反応しない。
後ろの席にいる手嶋が立ち上がると、
「僕も朝日出身です。てじま、手に山がくっ付いた嶋。しょうへいは日が縦に並んで平。っていうつまらない名前のつまらない男です。趣味は、これまたつまらなくって、読書。うっわ~、つまんねえって思った人も多いと思うけど…。えっと。なんちゃって小説とかも書いています。以上。1年間よろしく」
と、最後に眼鏡を指で少しだけ持ち上げ、少しだけ口元を緩ませ、それから椅子に腰かけた。
「つまらなくないわよ。なかなか面白い自己紹介だったわよ。他のみんなも中学と名前以外にも何か言ってほしいな」
剛田先生がそこで、無茶な発言をした。手嶋のせいで、そのあとの生徒はみんな、名前以外に何か言わなければならなくなった。
良かった。手嶋の前で自己紹介出来て。趣味とかスラスラと言えるやつと、何もいう事がなく困っているやつと、特に何もありません!と開き直るやつと、様々いたが、とりあえずさっさと自己紹介の時間は終わった。
「今日は出席番号1番の安藤さんがお休みです。安藤陽菜さんは朝日中学出身。体調を崩してしまったらしいんだけど、出てきたら暖かく迎えてあげてね」
剛田先生はそう言ってから、ホームルームを終えた。
真面目で硬そうなだけではなく、もしかしたら変な理想がある先生かもしれない。みんなと仲良くしたがったり、変にクラスをまとめようと頑張る先生がたまにいるみたいだが、けっこううざがられる。
「ねえ、先生!結婚してる?」
うわ。こういう女子もいるよな。先生と友達みたいにするやつ。ため口だし。
「していないけど?なんで?」
優しそうな口調で先生は答えた。へえ。ため口はいいのか。友達みたいに接しようとする先生か?
「五十嵐さんだったよね?一応私は先生だし、年上なんだから言葉遣いに気をつけて。ため口はよそうか?」
あ、注意したか…。
五十嵐とかいう女子は、ムスッとした顔をして返事もせず、
「どっか寄って帰らない?」
と振り返って後ろにいた女子に聞いた。それを見た剛田先生はムッとした表情を見せ、すぐにため息を吐くと教室を後にした。
なるほど。あの先生は顔に出やすいんだ。あんなにわかりやすくムッとしてため息までつく。なんてな。先生の観察なんてしてもしょうがないけどな。どうでもいいし。
「一緒に帰らない?」
後ろから俺の背中をつっつき、手嶋が話しかけてきた。正直面倒だな。でも、こんな日に別に用事があるって言っても、嘘っぽいだけだろうしな。しょうがない。
「いいけど…」
帰りにもどこかで瀬野先輩に会えるかと期待した。でも、どこにも瀬野先輩の姿はなく、俺はトボトボと満開の桜の木の下を、ベラベラとわけのわからないことをずっと喋り続ける手嶋と歩いていた。
人って言うのは見かけによらないもんだ。この手嶋って男子、一見おとなしそうに見えるのに、実はここまでお喋りだとは…。
そう言えば、ノブも俺が黙っていても、返事をしないでもベラベラと話しているっけな。こいつもそういう点がノブに似ている。自分の好きなことを喋り続け、俺が適当にうんとか、ああとか言っていたらそれだけで満足らしい。ま、楽と言えば楽だ。でも正直うるさい。
「辻村って家はどこ?」
「6丁目…。小学校前のバス停のところ右折する…」
「あ、小学校から近いんだ」
「小学校よりも歩くけど、まあ、2分くらい?」
「じゃ、俺の家からはちょっとあるかな。俺は1丁目の方だから」
「そっか」
ホッとした。1丁目ということは、駅に近いあの公園あたりかな。
「駅の近くの商店街あるじゃん?その商店街を抜けたら右に曲がるんだ。その先をまっすぐ行って」
家までの道を詳しく案内し始めた。俺はまた、うんとかああとか適当に相槌をうったけど、ほとんど聞いていなかった。
「じゃあ、ここで。俺本屋寄っていくから」
手嶋は駅に向かう十字路で右に曲がって行った。やれやれ。この調子でずうっと話を聞いていなきゃならないかとうんざりしていたから助かった。
は~~~あ。疲れた。あんなのが後ろの席か…。これからもあれこれ話しかけてきそうだな。
担任も苦手なタイプだ。きっと個人面談でもあれこれ理想を述べだして、アドバイスしたがってくるんだろうな。まあ、1年生のうちは進路のことまでとやかく言ってこないだろうから、受け流しておけばいいか。
家の門を開ける前に、陽菜の家を見た。陽菜の部屋は2階にある。俺の家とは逆向きにあって、もし俺の家の方に陽菜の部屋があれば、その真ん前が俺の部屋になっていた。陽菜は、もしそうだったら、朝起きたら窓を開けて「ハル君、おはよう!」と毎日挨拶できたのにって、残念がっていた。
それはうざいから、逆向きで良かったと俺は言った。陽菜は笑っていた。あいつはいつも元気に笑っていた。
玄関のドアを開けようとすると鍵がかかっていて、ポケットから鍵を取り出してドアを開けた。そう言えば、入学式の後に親が残って役員決めをするとか言ってたな。役員になったらどうしようと、朝から母親がぼやいていたっけな。
家に入り、そのまま階段を上って2階に行った。ドスンとカバンをその辺に放り投げ、上着を脱いでからベッドにダイブした。は~、疲れた。
グルンと仰向けになり、天井を見上げながら俺は小学生時代を思い出していた。陽菜は、俺とノブと一緒にあの階段が何段もある公園にもよく行っていた。そこから見る夕焼けを喜んでいた。
あの頃も体は弱かったってことか?そんなことあるのか?いつでも明るくて元気だったけどな。
あ、熱とか出しやすい体質だったっけ。遠足や運動会の日に限って熱を出して休んでた。そういう行事があると緊張をするのか、熱を出してしまうんだと陽菜から聞いたことがある。
そう言えば、小学校の林間学校も、中学の修学旅行も陽菜は来なかったっけ。あれって、体が丈夫な方じゃないから、参加しなかったのか…。小学生の頃は、ノブと一緒に陽菜のお土産も買って帰った。そして陽菜に渡すと、すごく嬉しそうにしていたな。
「は~~~~あ。なんだよ…」
いつも明るくしていたから、陽菜は元気だけが取り柄だと思っていた。俺、陽菜にも直接そんなこと言ったことあるよな。陽菜も、元気しか取り柄がないのと笑っていたよな。あれってもしかして、陽菜、傷ついていたかもしれないってことか?
母親が帰って来たらしい。1階でドアが開く音がした。そして、
「春来~~!帰ってるの?」
と大声で呼ぶ声もした。
「あ~~、帰ってきてる」
「昼ご飯買ってきたから食べちゃって」
どっかでまた弁当でも買ってきたのか。その辺にあったスエットに着替えて1階に降りた。
「やだ、もうそんな恰好しているの?」
「いいじゃん。もう外出る気ないし」
「は~~~~~~あ~~~~~」
うわ。なんだってまた、そんな暗いため息。あ、もしかして…。
「役員になったとか?」
「そうよ。くじ引きでなっちゃったのよ。面倒くさい」
すっげえ嫌そうな顔。
「断ればよかったじゃん。仕事してるとか言って」
「みんな仕事しているのよ。今は専業主婦なんていないの。それもフルで働いている人も多いみたいで、お母さんみたいなパート勤めが仕事をしているって理由で断ったりできないのよ」
「ふうん。じゃ、1年頑張れば」
「1年じゃないのよ?高校って3年も、3年もしなくちゃいけないのよ?冗談じゃないわよ」
ああ、こりゃやばいな。早く飯食って2階に退散しよう。そう思って、バクバクと弁当を食べた。だが、
「あの先生、良さそうね。真面目そうだし。ちょっと若いから、最初大丈夫かなって思ったんだけどね」
といきなり、話が変わった。
「ゴク…」
俺もお茶を飲んで、一息ついた。
「副担任は頼りなさそうね。今年2年目って言っていたから、まだ24歳くらいかしら」
「副担任?そんなのいるの?」
「入学式で挨拶していたわよ。各クラス担任と副担任がいて、副担任は若かったり、逆に定年まじかの先生だったり」
「ふうん。半分寝てたから覚えていない」
「まったく!あんた大丈夫なの?しっかりしてよね。勉強もしっかりして。塾へは1年の時から行きなさい。あ、あんた何か部活とかやるの?」
「別に入る気ない」
「良かったわ。中学校の時みたいに美術部に入りたいとか言い出すかと気が気じゃなかったわよ」
「……絵とかもう描いてないし。それも、画材道具捨てたの母さんだろ」
「嫌だ。まだ根に持ってるの?暗い子ね」
実の息子に言う言葉か?暗い子ってなんだよ。誰のせいでそうなったと思っているんだよ。
貯めた小遣いとお年玉で小学校6年の1月、そう忘れもしない正月明け、俺はワクワクしながら駅近くの本屋に行った。そこは文房具も置いてあった。そこで、絵具から、スケッチブックから絵筆、パステル、色々と買って家に帰った。
そして冬休みの間熱中して絵を描いて、中学に入ってから美術部に入ると言い出したら、親に反対された。ただでさえ、勉強もせず絵ばかり描いて、今後どうする気だと。中学では小学校の頃みたいにテストの点が悪かったら、全部受験に影響が出るんだ。絵なんて描いている場合じゃない。塾に行け。美術部なんか入ってなんの役に立つ。そう父親にも言われた。
父親に歯向かっていたら、父親が母親の教育がなっていないからだとかなんだとかって、親同士の口論になって、その翌朝、母親が部屋に怒鳴り込んできて、画材道具を捨てたんだ。こんなもののせいで、喧嘩になった。親のいう事を聞いておけばいいんだと言って。
姉が家を出て行ってから、風当たりが強くなって、それでも俺だって姉みたいに好き勝手していいだろって思っていて、絵が好きだから、中学入ったら美術部に入るんだと息巻いていた。だけど、貯めた金でようやくそろえた画材道具全部捨てられて、自由奔放だった姉を恨んで、親を恨んで、そのうちにどうでもよくなって、中学校に入ってからは何にもする気がなくなっていたよな。
結局、塾へ行っても勉強する気も起きなかった。友達と遊ぶのもどうでもよくなった。そうか。あれが原因か。絵を描かなくなって、俺の世界から色が失せたのか…。
部屋に戻ってから、ベッドに座り込んで暗い過去を思い出していた。だからと言って、高校生活は明るくしようとか、また絵を描こうとかそんな気にもなれない。特にやりたいことも思い浮かばない。でも、やっと受験が終わり、塾通いから解放されたのに、もう大学受験に向けて勉強しないとならないのか?
高校3年間も、俺はまた暗く塾へと通い、モノクロの世界で生きていくのか?
ふと、桜の花を思い出した。先輩の頭に乗っていた薄いピンク色の桜の花びら…。そうだよ。中学とは違うだろ。1年間は瀬野先輩と同じ学校に通えるんだ。
床に放った制服の上着を拾い、胸についていたリボンを外した。そして机の角に飾った。先輩がつけてくれたリボン…。それを後生大事に取っておこうとしている俺。少し気持ち悪い。少女かよ、俺は…。そんなツッコミを自分に入れたが、やっぱりポイっと捨てる気にはなれなかった。
明日も会えるのかな。3年の教室は3階だった。先輩は何組かな…。それから、委員会に入っているとしたら何委員なんだろう。
突然俺の頭の中は先輩一色になった。赤いマフラーや赤い傘も似合っていたけれど、先輩に一番似合う色って桜色かもしれない…なんて、そんなことまで思ったりした。




