第8話 桜満開の入学式
春休み、陽菜は遊びに来ることがなくなった。女子の友達と遊んでいるんだろう…くらいしか俺は思わなかった。
そして、高校の入学式が来た。いよいよ、桜が丘高校に通う。瀬野先輩と顔を合わせられる。
春休みの間、何度か先輩と会った公園に行こうかどうか悩んだ。だけど、先輩が散歩をする時間に合わせてわざわざ行くのが、どうしてもわざとらしく感じてしまい、先輩に変な奴と思われないだろうか、ストーカーみたいに思われるかも…と、あれこれ考えて結局行けなかった。
入学してしまえば、いつでも会える。いや、3年と1年じゃ、そうそう会うこともないかもしれないけれど、校舎のどこかで会える可能性はある!
新しい制服を着て、俺はうきうきする心をなんとか親にバレないよう、わざとらしく真顔でいるようにした。すると、
「あんたは入学式もぶすっとして…。もっと晴れやかな顔をしたらどう?校門あたりで写真を撮るけど、その時には笑ってよね」
と母親に指摘された。
父親は中学の卒業式も、今日も仕事で来ない。母親だけが来る。まあ、そうそう両親揃って式にやってくる奴の方が少ないから、別にいいけど…。だが、父親はこういった式に一切出たことがなかった。何かと言えば、仕事が優先だ…、仕事が大変なんだ…とそればかりだった。
小学校の入学式、両親揃って来ている奴らも多かったから、その頃は俺も羨ましく思っていた。でも、今となってはどうでもいいことだ。式に来たからと言って、何があるわけでもないしな。
母親と一緒に家の玄関を出て、しばらく道を歩いていると、
「残念ね、入学式、せっちゃんも楽しみにしていただろうに」
と突然道を振り返りながら母がそう言った。
せっちゃんっていうのは、陽菜のお母さんだ。陽菜が引っ越してきてから、母親同士も仲が良くて、せっちゃん、美枝ちゃんと呼び合っている。ちなみに俺の母親の名は美枝子。陽菜のお母さんの名前はわからない。せっちゃんというくらいだから、せつことかか?聞いたこともないからな。
「陽菜のお母さん、予定でもあるのか?特に外で働いてもいないのに」
一応母親の言葉に反応を示して返事をする。内心、陽菜のお母さんが入学式に行っても行かなくても興味はない。俺も母親が仕事休んでまで来てほしいとは思っていないし、なんなら、仕事に行ってくれた方がせいせいする。
「陽菜ちゃん、春休み中にお友達と無理して遊んで、具合が悪くなったんだって。しばらくは安静にしないとならないみたいで」
「え?陽菜が?」
なんだ、それ。じゃあ、陽菜がうちに遊びに来れなかったのも、それでなのか?
「まさかと思うけど、うちに遊びに来てて具合悪くなったとか」
「違うわよ。うちに来ている間は別に大丈夫だったから、せっちゃんも安心していたんだけど、友達と1日原宿に遊びに行って、洋服買ってってしていたら、具合が悪くなっちゃったみたいで。なんだって、そんな遠出したのかしらね」
「遠出って言っても、電車で1時間もかからないだろ、原宿…。ただ、人は多かったかもな」
「そうよ。人込みもダメだし、電車にそんなに揺られて、それも丸々1日かけて遊んだりしたら…」
「……陽菜、どっか悪いの?」
「どっかって…。もともと丈夫な方じゃないでしょ?それは引っ越してきて挨拶に来た時、せっちゃんが言っていたじゃない。覚えていないわけ?」
「陽菜が丈夫な方じゃない?」
「やだ!あんた本当に覚えていないの?しょうがないわね。それでよく今まで、せっちゃんが陽菜ちゃんとあんたが遊ぶのを許していたわね」
「え?」
「まあいいわ。高校入ってからもあまり陽菜ちゃん無理できないから、あんた、ちゃんと見てあげなさいよ」
「う…うん」
そうか…。なんか、納得。
陽菜のお母さんが、毎日坂道を行き来するのを心配していたのは、陽菜の体を心配していたからで、俺がいたら安心だって言っていたのも、俺が陽菜の体が丈夫じゃないと知っているからだ…と思い込んでいたからなんだな。
じゃあ、もしかして、ノブは知っていたのか?いや、まさかな…。
桜が丘高校までの道、桜は満開だった。薄ピンク色をした桜が舞う中、新しい制服に身を包んだ生徒たちが母親と一緒に歩いていく。その中に俺と母親も紛れ込んだ。紺色だらけの制服に、薄ピンクの桜…。
「入学おめでとうございます」
桜が舞うのをなんとなく見て、ぼんやりとしていると、突然元気にそう声をかけてきた人がいた。
「はい、入学祝いのリボン」
俺の制服の胸元に、小さいリボンをつけてくれた人がいた。あ!マジか!瀬野先輩だ!今頃気づくなんて。
「くす。春が来る君、桜に圧倒されてた?」
そう笑った瀬野先輩の頭の上に、桜の花びらが乗っている。
「あ、はい。えっと、頭の上に桜…」
「ん?」
先輩は空を見上げた。
「ここの桜が一番大きいかも。見上げると怖いくらいだよね。桜の花…」
俺も一緒に見上げた。確かに、クラっと眩暈がするくらい奇麗た。しばらく二人で桜を見ていると、
「春来!写真撮るわよ」
と母親に背中を叩かれた。
「え?写真?」
「そこの校門のところで」
「私撮りましょうか?」
「いいんですか?リボンをつける係じゃないんですか?」
母が恐縮そうに言いつつ、もうすでにカメラを渡す準備をしている。
「大丈夫です。実は写真を撮る係でもあるので」
先輩はにこりと母に笑うとカメラを受け取った。そして、俺と母親が校門と、校門にかぶさるように咲いている桜の間に並んで立つと、
「はい、チーズ!笑顔で!」
と先輩は合図をしてから、写真を撮った。
「ありがとうございます。春来、あんたも先輩にお礼を言って!今後世話になるんだから」
余計なこと言うなよ。恥ずかしいな…。
「くす。いいんです。じゃあ、またね」
先輩は俺の方に顔を向け、口だけ「春が来る君」と動かした。母親に気づかれないように。
そんなことでも俺はテンションが上がってしまった。顔が高揚して赤くなったのを自分でもわかった。母親に気づかれないようそっぽを向き、
「俺、一回教室に行かないとならないみたいだから」
と一人でさっさと昇降口に向かった。そして、昇降口の手前でプリントを渡された。
バサバサと受け取ったプリントを開き、俺が何組なのか、教室はどこにあるのかを見た。俺の名前は1年C組の欄に見つかった。あ、女子の一番目に安藤陽菜と書いてある。同じクラスか…。陽菜に言ったら喜びそうだな。
上履きに履き替え、プリントの地図を見ながら階段を上り、廊下を進んだ。1年F組、E組、D組、その先にやっとC組が見えた。後ろのドアから中に入ると、半分くらいの生徒がすでに集まっていた。
知らない顔ばかりだ。あ、一人知った顔がいた。こっちに向かってくる。
「同中だよね?確か…」
眼鏡をかけた真面目そうなやつだ。
「うん」
「俺、中3の時、5組だった手嶋昌平」
「あ、俺は2組の辻村春来」
「あ、もしかして」
手嶋はガサゴソとカバンの中からプリントを引っ張り出して広げると、
「やっぱり。出席番号俺の前だね」
と眼鏡を左手の人差し指であげてそう言った。ほんの少しだけ口元が笑ったような気がする。
「あ、そうなんだ」
俺は特に笑うでもなく、淡々とそう答えた。すると手嶋も口をへの字に戻した。
真面目そうなやつだな。加えて暗そうだ。もしかして、俺と同じ部類なのかもな。友達が少なく、口数も少ない…と思っていたら、とんでもなかった。
入学式は、まず校長の長い話、PTA会長とかいう太ったおばさんの長い話、その日委員会だか部の連中だかわからないが集められただろう在校生での校歌、その後ブラスバンド部がまあまあこの辺りでは有名らしく、ブラスバンド部の演奏があり、すっかり新入生が飽き飽きしたころようやく終わった。
ハッキリ言って初めて聞く校歌も、良く知らないおばさんの話も、ブラスバンドのもしかしたら上手かもしれない演奏も興味がない。それは他の生徒も同じだったらしく、入学式が終わり、体育館を出る時にはみんなダレていた。入学式が始まる前はとりあえず緊張していただろうに。
「来年はあの在校生に混じるのかな」
「何か委員会でもやらなければいいんじゃない?」
そんなことを言っている声も聞こえた。やっぱり、怠かったんだな。俺だけがつまらない思いをしたわけではないようだ。
俺は式の間、瀬野先輩を探した。だが、在校生の椅子は遥か遠く、見つけられなかった。校門の辺りでリボンをつけていたくらいだ。何かの委員会にでも入っているんじゃないのか。
いったい何の委員会なのか…。瀬野先輩がいるなら、その委員会に入ってもいいな…。とそんな考えがふとよぎったりした。