第3話 幼馴染とは何だろう?
陽菜が、また俺の教室に来るようになった。もうお菓子は持ってこなかったが、問題集や参考書を持ってきては俺の隣の席に座り、
「この問題、難しいんだ。一緒に解いてもらってもいい?」
と俺に聞いてきた。
いや、なんだって陽菜より成績の悪い俺に聞いてくるんだ?俺の方が聞きたいぐらいだ。
「えっと…」
陽菜が言う難しい問題は俺にも難しかった。二人で頭を悩ませていると、
「陽菜、どうした?」
と、今まで俺に口もきこうとしなかった暢生が、後ろの席から聞いてきた。
「難しい問題を解いている最中」
「どれ?ああ、数学だったら俺得意」
陽菜は問題集を暢生の机に移動させた。そして俺の肩を突っつくと、
「一緒に教えてもらっちゃおうよ」
とにこりと笑った。
「え?俺は…」
暢生とどう接していいかわからなくて、後ろを向いていいかも躊躇していると、
「これはさあ、ハル、陽菜」
と暢生は淡々とその問題を解く方法を説明しだした。
暢生が数学が得意なのは知っていたが、こんな難解な問題も簡単にスラスラ解けるのに正直びっくりした。だが、それよりも何よりも、暢生が小学生の頃呼んでいた「ハル」という呼び方で俺を呼んだことに驚いていた。
数週間口もきかなかったくせに、なんだって昔みたいに「ハル」って呼ぶんだ?その頃俺も「ノブ」って呼んでいたっけ。中学に入ってから、名前を他の連中が呼び捨てするようになって、俺らも「春来」「暢生」と呼ぶように変わったんだ。
「なるほど!さすがだ、ノブ君。わかりやすかったよ。ねえ、ハル君もそう思わない?ノブ君、先生にもなれる」
「先生?そんなもんなりたいとは思わないよ」
「ノブ君は、ゲームプログラマーになりたいんだっけ」
「うん。俺の従兄がゲームプランナーって仕事していて、俺はプログラマーになりたいって言ったらさ、プログラマーっていうのは数学や物理がわかっていないとなれないんだぞって、中1の時に教えてくれたんだ」
「ゲームプログラマーにお前なりたいの?」
「ハル君、知らなかったの?ゲームを作る人になるって、ノブ君小学生の文集にも書いてあったじゃない」
「そうだっけ。あれ、本気で思っていたんだ。俺、てっきり子どもの浮ついた夢かと思ってたから。そんな簡単にゲーム作れるようになんてなれないだろって思っていたし」
「うわ。そういうやつだよな、お前は」
暢生はそう言うと、暗い顔をして俯いた。
「私、なれると思う!数学も得意なんだし、これから勉強していくらでも夢は叶うと思うよ。そのために、パソコン勉強するんだよね?工業高校行くんだよね?」
「まあね。従兄が高校からそういうのを専門で勉強するところに行くといいって、今年の夏に相談したら、そう言ってくれたから。親も賛成してくれたし、先生も藤井の成績だったら確実に受かるって言ってくれたしさ」
「それで工業高校を志望したのか」
「ハル君、知らなかったの?」
「なんでだろうって思ってはいたけど。なんか、就職に有利だからかな…とか思ってた。うちの親も暢生は工業高校に行くらしいって言ったら、大学受験しないで、高卒で就職するのかもなって…」
「高校出たら、ちゃんとプログラマーになるための専門学校に行くつもりだよ」
「着々と夢を叶えるための計画を立てているんだね。すごいね、ノブ君。私応援する!ノブ君の作ったゲームも真っ先に買う!」
「ははは。陽菜は昔からそうだよね」
「え?何が?」
「俺が夢を語ると、私、応援するって言ってくれる」
暢生はそう言って、嬉しそうに笑った。陽菜もニコニコしていた。
なんだ…。俺だけが疎外感だ。そんな夢の話を暢生は俺にはしたことがない。ゲームの話なら聞いていなくても、横でベラベラ話していたが、本気でゲームプログラマーになりたいだなんて知らなかった。そんなことを従兄に相談していたのも知らなかったし、従兄がゲームプランナーだとか、そんな仕事をしているのも知らなかった。
陽菜には言っていたのか。陽菜だけはそういうのを知っていたのか。陽菜は?陽菜には夢はあるのか?
いや、聞くつもりもない。じゃあ、ハル君は?と聞かれても、俺には夢なんてこれっぽっちもないから。
将来のことを考えても、なんにも見えない。グレイ一色。多分、父親みたいなサラリーマンにでもなって、普通に結婚して子ども生まれて、毎日朝から晩まで働いて、ローン組んで家買って、子供を塾に行かせるために残業でもして、家に帰って来たら奥さんに愚痴られて…。
ああ…。俺の未来を思い描いてみたら、そんなことしか浮かばないなんて、灰色どころか真っ黒だな。未来までモノクロか…。俺の人生には、色ってないのか?
暢生と陽菜が楽しそうに話しているのをぼんやりと眺めながら、そんなことを俺は考えていた。もし、色があるとしたら…。真っ先に浮かぶのは、赤い傘の赤…。そして、春になったら、桜の色満開の坂道を歩いている俺…。その未来だけが、色がつく。
「ハル…」
「?」
突然、真面目な顔で暢生が呼んだ。
「あ、俺のこともノブでいいからさ」
「なんだよ、いきなり」
「いや…。俺も大人げなかったって思って」
「何が?」
「陽菜に怒られた。陽菜のことで二人が仲互いしているのはおかしいって」
そう暢生は言うと、チラッと陽菜の方を見た。
「私、怒ったわけじゃないけど…。でも、二人が仲良くしていないと、困るっていうか、私は3人でわいわいと前みたいに話したりしたかったから」
陽菜は少し困ったようにそう言ってから、ヘラっと笑った。
そっか。この問題を持ってきたのは、最初からノブを巻き込むつもりだったってわけか。それで俺とノブが仲直りするように仕向けたのか。なるほどな。陽菜らしいな。
「俺も大人げなかった」
そうノブに言った。ああ、俺の中ではすでに、暢生から「ノブ」に戻っている。
ノブはまた陽菜をチラッと見た。陽菜はニコニコと嬉しそうに笑っている。その顔を見て、ノブはほっと安堵のため息をついた。
そうか。ノブは俺のためではなく、陽菜のために俺と仲良くする気なんだ。なんとなくそれがうかがえた。
そうだ。小学生の頃にも一度、ノブと喧嘩をした。その時は陽菜はその場にいて、わんわん声を上げて泣き出したっけ。仲良くして。仲良くしてくれなきゃ嫌だと言いながら。
ノブはすぐに俺に謝ってきた。俺もいつも笑っている陽菜が泣き出したから、慌ててノブに謝った気がする。そして二人で、「ほら、仲直りしたからもう泣くな」と、必死に陽菜を慰めた記憶がある。
俺とノブは、陽菜がいなかったらここまでずっとつるんでいたかどうかもわからない。ノブは多分、ゲームが好きな連中といる方が楽しいはずだ。陽菜がいるから、俺のそばにいるだけだろうな。
じゃあ、俺は?
じゃあ、陽菜は?どうしてそんなに、俺とノブといるんだろう。陽菜だって、仲のいい女子はたくさんいるじゃないか。
陽菜が隣の教室に戻ってから、俺は気になりノブにそっと聞いてみた。
「陽菜って、クラスの友達いるよな?」
「いるよ。4~5人の仲間がいて、楽しそうにしているの、見たことない?」
「そうだよな。一緒に帰ったりもしているし、弁当もそういう連中と食べているんだよな」
「うん。2年の頃からの友達もその中に混じっているし、陽菜、あの通り明るくて社交的だし、女子にも好かれているよ」
「そうだよな。俺も去年同じクラスだったけど、陽菜、女子に好かれていたよな」
「一部の男子からもね」
「え?!」
うわ。なんだって俺は、こんな声を張り上げて聞き返したんだ?自分のデカい声にびっくりした。
「陽菜って俺らと違ってモテ組。でも、なぜか女子とばかり話してて、男子で話をするのなんて、俺とハルぐらいだよ」
「なんでだ?」
「陽菜いわく、男子は話しづらいんだとさ」
「俺とノブは男子扱いされていないってこと?」
「子どもの頃からよく一緒にいたし、特にハルはお隣さんだし、今さら男子って感じしないんじゃねえの?」
「…ふうん。まあ、そっか。俺も陽菜は、他の女子と違うっていうか」
「どう違うわけ?」
ノブが前のめりになって聞いてきた。
「いや、だからさ。いても特に問題ないっていうか…。ある意味空気みたいな?ああ、兄妹みたいな?よくわかんねえけど」
「きょうだい?姉と弟?」
「なんで俺が弟なんだ?まあ、同じ年なんだから、兄妹っていうのも変だよな」
「………」
ノブは何か言いたげだった。じとっと俺を見ていたが、そのうち目を逸らし、
「まあ、いわゆる世間でいうところの、幼馴染っていうやつかもね」
と、そんなことを緩い口調で言うと、鼻歌を歌いだした。
幼馴染か。変な関係だな。友達とは別なのか。よくわからない関係性だ。
その日の帰り、偶然にも昇降口で陽菜に出くわした。陽菜の周りには4人の女子がいて、
「陽菜ちゃんちに行くの久しぶり」
とはしゃいでいた。
「ちょっと早いクリスマスだけど、塾のない日って今日くらいだし」
「うん。お母さんも張り切ってケーキ作っているから」
「わあい!陽菜ちゃんもお母さんもお菓子作り上手だもんね」
「私もクッキー焼いたんだ」
「わあ!楽しみ」
5人は楽し気に俺の前を通って行った。5人のうち二人は俺と同じ塾に通っている。そう言えば、塾は今年クリスマスイブも授業があったな。だから、今日クリスマスパーティをするってことか。
クリスマスも受験生にはないよね…とか言っていたくせに、ちゃっかり友達呼んでパーティするわけか。そして、お菓子を手作りするのも飽きたし、とか言ってたくせに作っているわけだ。
そもそも、俺やノブにお菓子を持ってこなくたって、クラスメイトの女子にあげればいいだけのことだよな。なんだって、毎回俺らに持ってきていたんだろう。陽菜もわからない。仲のいい友達がクラスにいるなら、昼休みに俺のところに来ることもしなくていいのに。
そんなことを考えながら、陽菜とそのクラスメイト達と同じ方向に行くのも躊躇して、わざと遠回りをした。そして、寒空の中、いつもは行かない公園の中をとぼとぼと歩いていると、一人ベンチに座り猫を撫でている女性を見つけた。
真っ赤なマフラーを、紺色のブレザーの上に巻いているから、その赤が一際目立って見えた。ああ、また俺の世界に赤い色が現れた。俺は黙って突っ立って、その光景を見ていた。すると、その女性は俺を見つけ、にこりと微笑みかけてきた。
あ…。この人…。赤い傘の人だ!
なぜか、俺はすぐにその人だとわかった。直感めいたものが、今頭上から降りてきた感じがした。