第24話 絵の世界に再び入る
それから時々、陽菜の家に行きスケッチをするようになった。
最初は庭に咲いている花。そのうち、スケッチブックを持って外にも出るようになった。夕暮れ、先輩と朝会う公園に行き、夕日に暮れていく街を描いたりもした。
そのスケッチブックを家に置いておくわけにもいかないので、陽菜の部屋に置かせてもらった。陽菜は俺が描いた絵を見て喜んでいた。
俺も自分で驚いていた。あんなモノトーンの世界に色があることに。陽菜の庭の花の色も、夕暮れの空も街も美しく見えた。
俺の絵を見て喜んでいる陽菜のことも、なぜだか懐かしく感じた。朧げだが小学生の頃も陽菜はこんなふうに喜んでいたような、そんな記憶が蘇った。
俺もなんとなく嬉しかった。なのに、同時に変な不安に襲われた。この不安はなんだろうか。もしかすると、親に絵を反対されたから、もし絵を描いていることがバレたらまた取り上げられるという不安なんだろうか。
先輩とは朝公園で会っていた。小雨くらいならジョギングに出かけたが、本降りの時はさすがに行かなかった。そんな雨の中でも先輩は傘を差して散歩に行っていたらしい。
翌日、朝先輩に会うと、
「昨日はさすがに来なかったね」
と言われた。
「先輩はあんな雨でも散歩に来たんですか」
「うん」
「うん」といともあっさり答えられ、自分がなんだか軟弱なやつに思えてきた。
図書室に行くこともなくなったが、俺は朝先輩に会えるだけでも満足していた。
そして、放課後はスケッチをしに出掛けたり、雨の日は陽菜の家で絵を描いた。おかげで、陽菜がうちに遊びに来ることは減り、母親に家にいないのはなんでだ?と1か月も過ぎた頃、突然問い詰められた。
「図書室に寄ることも増えたんだ。友達が図書委員をしているのもあって」
咄嗟にそんな言い訳をした後、
「陽菜ちゃんの家にもよく遊びに行っているみたいじゃない」
と母親に言われ、血の気が引いた気がした。
なんだよ。知っていたなら探りを入れるような言い方するなよ。と、次に怒りが湧いた。だが口からは、
「ああ。陽菜の家にも寄ってることもある。べ、勉強っていうか宿題したりとか…。陽菜の体調によってはそんな時も…」
そんな嘘が飛び出ていた。
確かに、宿題を陽菜と一緒にしたこともある。陽菜は友達と帰りにどこかに寄ることもほとんどないし、休みの日に出かけることもなかった。
「そう。陽菜ちゃんと一緒に宿題してあげているのか…」
俺の言葉を母は鵜呑みにし、そうつぶやいた。
「陽菜ちゃん、毎日学校行ってるのね」
「うん、まあ…」
母は特にそのあとは追及してくることもなかったが、俺の顔をじっと見てから、
「さ、夕飯の支度するわ」
とキッチンに向かった。
なんだ?もしかして、俺が嘘をついているのを見抜いたのか?まさかと思うが、俺が陽菜の家で絵を描いていることを知っているのか?
いや、それはないな。知っていたら、絶対にギャースカ言ってくるはずだ。
それから、暑い日が続くと、本当に陽菜が体調を崩し、遅刻したり早退することもあった。早退する時には、俺がまた五十嵐の書いたノートを陽菜に渡しに行ったりすることになった。
なぜか五十嵐は陽菜の家には行かなかった。陽菜のお父さんに遠慮している様子だった。
陽菜のお父さんは俺がいつ陽菜の家に行っても、笑顔で迎え入れてくれた。仕事が一段落ついている時には、一緒にリビングでお茶を飲みながら、絵について話をしてくれた。陽菜のお父さんの話は興味深く、陽菜のお父さんもまた、俺に絵について話せるのが楽しかったようだった。
その横で陽菜はいつも嬉しそうにしていた。陽菜のお母さんも、夕飯の準備をしながら、俺とお父さんの話に耳を傾け、時々笑っていた。
なぜだかわからないが、陽菜の家はいつでも穏やかだった。俺は家に帰るよりも、陽菜の家にいることの方が段々と寛げて、楽しいと感じるようになっていた。
梅雨に入ると、朝公園に行く回数も減った。どんな雨の中でもジョギングをしようと決心したはずが、母の、
「こんな雨の中、走りに行くの?」
という言葉に、出ばなをくじかれ、出かけるのを断念したからだ。
そんな日は、やっぱり行けば良かったと後悔しながら学校に行った。学校で先輩に偶然会えることはほとんどなく、モヤモヤしながら1日を過ごした。
「図書室、最近全然来ないな」
手嶋にそう言われたこともある。雨続きで散歩に行けなかった時、いい加減先輩に会いたくなり、放課後図書室に寄ろうかと思ったこともあった。だが、朝雨だからジョギングしない情けのない奴と思われているかもしれない…と、そんな思いがよぎり、図書室に行く勇気も出なかった。
そのうえ、そんな日に限って陽菜が、体調を崩した。俺はそんな陽菜に付き添って、家まで送ることも多かった。だからか、俺と陽菜は付き合っているんじゃないかと1部で噂されたようだが、さすが五十嵐が、単なる幼馴染だから、そんな勝手に噂するんじゃないと一喝してくれたようだった。
今日も、陽菜に付き添って陽菜の家に来た。
「ごめんね。手嶋君と図書室に行くんだったんだよね?」
家に着くまでの間、陽菜が俺に謝ってきた。
「行くつもりなかったけど?」
「で、でも、瀬野先輩にもずっと会えていないって言ってたじゃない」
「朝、公園に行っていないからね」
「会いたかったんじゃないの?」
「………」
陽菜の家に毎日のように行くようになり、俺と陽菜との距離は縮まっていた。陽菜には特に隠すこともなく先輩とのことを話し、陽菜も俺に遠慮せず、言いたいことを言うようになっている。
「会いたいって言えば会いたいけど…。雨だからジョギングに行かないような軟弱なやつって思われていると思うと、なんか会いづらいし」
俺のこんな弱気な発言に対しても、陽菜は否定もしなければ、バカにすることもなかった。
「そんなこと思っていないよ。案外先輩も、ハル君と会いたいって思っているかもよ?」
「それはわからないな。っていうか、そういう期待をしてあとでガッカリしたくないから、期待しないでおくよ」
そう俺が言えば、陽菜は、「そっか~」とすぐに納得をする。
そして、さらっと話題を変えてくれる。
「今日も絵を描いていく?」
陽菜は陽菜の家に入ると、そう俺に聞いてきた。
「うん…。陽菜のお父さん、仕事一段落ついているんだよね?」
そんな話を玄関でしていると、2階から陽菜のお父さんが降りてきて、
「春来君!この前見せてもらったスケッチ良かったよ。あの絵、完成させないかい?」
と張り切った様子で俺に声をかけてきた。
「絵を…ですか?」
「うん。僕の部屋を使っていいよ。仕事も一段落ついているし、今はのんびりしているんだ。春来君の絵を完成させたところを見てみたいと思ってね」
「はい。じゃあ…」
その日は陽菜の部屋ではなく、お父さんの部屋に直行した。陽菜は俺に付き合って、絵を描いているところを見ていることも多いが、その日は本当に具合が悪かったようで、部屋ですぐ横になったようだった。
「陽菜がね」
お父さんの部屋で二人きりになると、ぼそっとつぶやくようにお父さんが話し出した。
「春来君の絵を楽しみにしているんだ。昔から春来君の絵が好きだったからねえ」
そこまで言うと、どこか遠くを見るような眼差しで俺を見た。
時々、陽菜のお父さんは俺を見ているようで、遠くを見ている。過去を思い出しているのか、未来を見ているのかわからないが、その視線をふっと俺に戻し、まるで我に返ったような表情になると、
「さて。あれこれ言っても邪魔だろうから、僕も一旦部屋を出るよ。下でのんびりしているから、何かあったら呼びに来て」
と、部屋を出て行った。
一人残され、俺はカバンを置いて、Yシャツも脱いだ。Yシャツの下に着ているTシャツだけになり、椅子に腰かけた。パステルでYシャツを汚したら、一目で母親に絵を描いていることがバレるから、絵を描く時にはYシャツを脱ぐようにしている。
「はあ…」
いつまで、親に隠れて絵を描くことをしていくのか、正直わからないが、今は目の前の絵を描くことだけに集中した。陽菜のお父さんがどうして、俺に絵を描かせているのか?疑問に思ったこともあったが、多分、陽菜が喜ぶからだろう。それは、さっきの言葉でもわかったことだ。
それだけ、陽菜は親に大切に思われているという事なのか。俺の親とは、全然違うんだな。うちはなんだってあんなにも、子どものやりたいことを奪うようなことをするのか。そんな恨むような思考も湧いてきた。
陽菜が正直羨ましく思えた。だが、それと同時に、こんなふうに絵を描かせてくれる場をつくってくれた陽菜のお父さんに感謝もした。家で描けなくても、家で反対されても、俺には才能があると言ってくれる。描くことを許してくれる。
それはもしかしたら方便で、陽菜の為だけにそうしてくれているのだとしても、それでも良かった。
そして、俺は徐々に絵を描くことに熱中し始めて行った。
絵を描いている時は無心になれた。親のことも、先輩のことも忘れていた。将来のことも忘れ、ただ今この時に集中した。
色は俺を別世界に運んでくれた。スケッチでは、実際の花や夕日、街並みを描いたが、それをもとに自分の好きな色を塗り、そして俺が思う花や街に変えていくことができた。
用紙の上で、俺は自由に色彩を使うことができ、まるで魔法でも絵にかけているような、異次元に入り込めているような、そんな不思議な感覚にさえなれた。
そこは何の縛りもない、制限もない、自由な世界だった。望むように色を使う。望む世界を描いていく。この世界はモノトーンだったのに、画用紙の上では、色んな色が鮮やかに交差していた。
空には青色だけでなく、黄色も橙も、ピンクも赤もあった。花も、木も、色んな色が混ざり合っていた。こんなにもこの世界は色が満ち溢れていたのか…と、俺の心までが色どり鮮やかになっていくような、そんな不思議な感覚があった。
気が付くと2時間が経過して、
「そろそろ、休憩にしないかい?」
と知らない間に部屋にいた陽菜のお父さんに声をかけられた。
「あ…」
窓の外を見ると薄暗かった。慌てて時計を見ると、17時半を過ぎていた。
「すみません、遅くまで」
「いいんだ。夢中になっていたから、声をかけそびれてしまった。いや、最高の作品に仕上がっていってるね」
お父さんは満面の笑みで俺の絵を見た。
「陽菜はまだ寝ているけど、下にお茶を用意したから、少し休憩するといいよ。奥さんが焼いたクッキーもあるからね」
「はい」
俺はその場でYシャツを着て、カバンも手にしてから、
「陽菜、大丈夫ですか」
と気になりお父さんに聞いた。
「うん。さっき様子を見に行ったら、顔色は良かったよ」
「疲れたんですか?」
「そうだね。蒸し暑かったしね」
少しだけお父さんは心配そうな顔をした。だが、また微笑んで、
「さ、僕も一緒に下に行くから、一緒に休憩にしよう」
と言ってくれた。




