第22話 陽菜のお父さん
陽菜の家に着き、俺がチャイムを鳴らした。隣にいる五十嵐は緊張しているようだ。顔が強張っている。そこまで陽菜のお父さんを怖がらなくてもいいのに…と、この前会った時のお父さんの様子を思い出し、俺はそう思っていた。
「はい」
インターホン越しに陽菜のお母さんの声が聞こえた。
「あ…。隣の春来です」
五十嵐が黙ったままでいるから、俺が慌ててそうインターホンに向かって話すと、
「あら、春来君、今開けるわね」
とやんわりとしたお母さんの声がして、数秒後にガチャリと玄関のドアが開いた。
「どうも…。陽菜、大丈夫ですか?」
「もしかして、お見舞いに来てくれたの?」
「はい。っていうか、クラスメイトの…」
五十嵐がお見舞いに来たがっていたから、一緒に来たと話すか躊躇すると、
「こんにちは」
と五十嵐が俺の前に進み出た。
「五十嵐さんも来てくれたの?」
「はい」
「昨日、陽菜がお邪魔しちゃって。ありがとうね」
「いえ。遅くまですみませんでした。それで、陽菜ちゃん具合が悪くなっちゃったんですか?」
「違うわよ。陽菜~~~!五十嵐さんと春来君が来てくれたわよ」
お母さんは後ろを振り返り、大きな声でそう陽菜を呼んだ。すると、廊下を小走りに走ってくる陽菜が玄関から見えた。
「わあ!二人して来てくれたの?」
満面の笑み。顔色も悪くないし、具合が悪いわけではなさそうだ。
「病院の定期検診だったのよ。学校の先生には話してあったんだけど」
お母さんはまたこっちに向き直り、そう俺たちに話しかけた。
「定期健診?」
五十嵐がキョトンとすると、
「健康診断みたいなものを、定期的に受けてるんだ」
と陽菜が笑って答えた。
「具合悪くなったわけじゃないのか。良かったな、五十嵐」
「うん」
五十嵐の顔がようやくホッとしたのか笑顔になった。
「イガちゃん、心配してくれたの?ごめんね。ラインしたら良かった」
「ううん。元気で良かった」
五十嵐はそうほほ笑み、ノートやプリントを陽菜に渡した。
「ありがとう」
陽菜も五十嵐も俺のことはどうでもいいのか、こっちを向きもしない。
「じゃ、俺はこれで」
もう役目も終わったなと思いそう言うと、
「え?ハル君、帰っちゃうの?」
と、陽菜がいきなり寂しそうな顔をした。
「………」
いや、何も用事がないわけだし。返事に困っていると、
「今日、おやつにと思って、プリンを作ったの。多めに作っちゃったから食べて行かない?」
と、お母さんに言われ、断りにくくなった。
「じゃ、じゃあ…」
俺と五十嵐は陽菜の家に上がった。
「陽菜ちゃんのお父さんは?」
「2階で仕事してる。だから、声は小さめでね?」
陽菜がそう五十嵐に言うと、五十嵐の顔がまた強張った。五十嵐には陽菜のお父さんは、怖いイメージがあるんだろうな。
いつも元気でデカい声で話す五十嵐が、声を潜めて話し、それも口数もいつもより少なめだった。陽菜の方が積極的に話をしている。俺は隣でそれをただ聞いていた。陽菜のお母さんが近くにいるせいか、話の内容はたわいもない話だった。テレビで見たドラマの話、アイドルの話、学校の話は二人とも避けているのか話さなかった。
陽菜のお母さんは、ダイニングでお茶を飲んでいた。こちらの話が気になるのか、席を立とうとはしなかった。
「私、そろそろ帰るね」
「今日はありがとう。明日は行けるから」
「うん」
五十嵐と同時に俺も席を立つと、
「あ、ハル君は待ってて。お母さんに持って行ってもらいたいものがあるから」
と、陽菜のお母さんに呼び止められてしまった。
仕方なくもう一度、リビングの椅子に腰かけた。五十嵐を見送りに行った後、
「ごめんね。頼まれていたものがあったから。今、持ってくるわ」
と、お母さんはリビングの奥の部屋に入って行った。どうやらそこが、陽菜のお母さんの仕事場のようだ。
「ハル君、少し時間いい?」
「なんで?」
「えっと…。この前気まずくなって、気になってて。本当はもっと早くに話がしたかったんだけど…」
「……。別に俺なら気にしていない」
そこまで言って、ノブの言葉を思い出した。仲直りしろって言ってたな。じゃあ、今がチャンスってことか。
「わかった。どうせ帰ったって何もすることないし」
陽菜の顔が少し明るくなった。そこに陽菜のお母さんがやってきて、
「これ、ビーズのアクセサリー頼まれていたの。持って行って」
と、可愛らしい小さめの袋を渡された。
「ああ、はい。えっと、料金とかは?」
「それはあとで貰うから、そこまで春来君は気にしないでも大丈夫よ。ふふ」
あ、陽菜のお母さんに笑われてしまった。
「2階に行こう、ハル君」
「え?2階?」
「うん。私の部屋」
「……」
チラッとお母さんの方を見ると、微笑ましく俺と陽菜を見ていた。そして、
「あとで飲み物でも持っていくわね、陽菜ちゃん」
と声をかけ、キッチンの方に行ってしまった。
なるほど。陽菜のお母さんは俺が陽菜の部屋に入ろうと、別に気にならないのか。それに、確かお父さんの仕事部屋は2階だったはずだが、俺がいても大丈夫だということか…。
ただ、なぜわざわざ、陽菜の部屋なんだ?と、疑問がわいた。だが、もしかすると母親には聞かれたくないからかもな…。いや、先輩の話となれば、俺のことを気遣ってのことかもしれないな…と、すぐに納得できた。
陽菜の部屋に入ると、小学生の頃遊びに来ていた時と変わっていなかった。可愛らしい花柄のカーテン、明るめの白木の家具、ベッドの周りにいたぬいぐるみも変わっていない。いや、前より増えたかもしれない。
そして、勉強机の横に貼られている俺が描いた絵。まだ、こんなものまで取ってあったのか。
チラッとそれを見てから、俺は部屋の入口につったったまま、どうしていいかわからなくなっていた。
「ここに座って」
絨毯の上にある白い四角いテーブルの前にクッションを置いて、陽菜がそこに座れと言ってきた。俺は黙ってそこに座った。陽菜は俺の真向かいにもクッションをポンと置くと、その上に座った。
「えっと…。ああ、そう言えば、検診はどうだった?」
横っちょを向きながら、俺はそう陽菜に聞いた。
「うん。どこも異常なし」
「そう。良かったな」
そこまでで、会話は途切れた。陽菜を見ると、自分の手を見てじっとしている。
「俺さ、ジョギング始めたんだ」
唐突にそう言うと、陽菜はびっくりしたように俺を見た。
「ジョギング?なんで?」
「なんでって…。まあ、普通は健康の為とか?ただ、朝、公園に行くと先輩が犬の散歩に来てて。高台の公園、陽菜も知ってるだろ?」
「うん。あの公園に瀬野先輩が来るの?」
「犬の散歩で毎朝来ているらしい。前に偶然会って…。屋上だと他のやつもいるから、変な噂も立つと先輩に迷惑かけるし。朝早くにあの公園に来るやつはいないだろうから、朝会うくらいならいいかなって思ってさ」
「そうなんだ。それで、朝早くに起きてジョギングすることにしたの?」
「まあ…そんな感じ。朝早くにただ出かけるのも、母親が変に思うだろうから」
「ふうん」
陽菜の目は、何かを期待しているような目だった。
「言っとくけど、前にも言ったけど俺は先輩と付き合いたいとか思っていない。そういうのじゃなくて、ただ、話がしたいとか、そんな感じなだけだから。陽菜に応援してもらうとか、そういうのはいらない」
「うん。わかってる。私もハル君が望んでもいないのに応援するとか言って、自分勝手だったなあって反省したの。ノブ君には、私とハル君が喧嘩でもしたのかって思われたかも。ノブ君、何か言ってた?」
「早く仲直りしろって言われた。喧嘩したわけでもないのに」
「ごめん。私が勝手にうじうじしただけなの。ハル君に嫌われたかもって」
「………」
俺が黙っていると、陽菜が慌てたように俺を見た。
「あの…。もしや、もう嫌いになっちゃった?」
「別に。あんなことぐらいで嫌いにならないし。っていうか、幼馴染って、喧嘩することもあるかもしれないけど、だけど、続いていくんじゃないの?きっと俺とノブもそうだと思う」
陽菜の顔は一気に明るくなった。目にはうっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。こんなことぐらいで、陽菜は泣くのか?そこまで、俺に嫌われたかもって気にしていたのか?
「お母さんに飲み物貰ってくる。何がいいかな。冷たいもの?」
「ああ、うん」
陽菜は泣いているのを誤魔化そうとしたのか、突然立ち上がり、そのまま部屋をバタバタと出て行った。
嫌われたくない…か。
俺はその言葉を聞いて、よくわからないが、陽菜を嫌うことなんてあるんだろうか?とふと疑問に思った。なぜかわからない。この先何があっても、陽菜のことを嫌うことはありえないと、よくわからない確信があったからだ。だから、陽菜が俺に嫌われたくないと思っていること自体が不思議に感じた。
立ち上がり、壁に貼られている俺の絵を見に行った。なんとも幼稚な絵だ、小学4年か5年の時だろうな。だけど、色合いが鮮やかだった。
俺は当時、世界がこんなふうに彩り鮮やかに見えていたんだろうか。
陽菜はドアを半開きにして出て行ったが、そのドアがスウっと開いた。陽菜が戻って来たのかと思い、ドアの方に目を向けると、陽菜のお父さんが立っていた。
「あ!」
とっても静かに佇んでいるので、ものすごくびっくりした。そして、
「すみません。うるさかったですか?」
と思わず謝った。仕事の邪魔をしたから、怒りにきたのだろうと俺が咄嗟に思い、先に謝ってしまったのだが、
「いや、そうじゃないよ」
とお父さんは静かにほほ笑んだ。
「陽菜の明るい声が聞こえて、気になって来てみたら春来君がいたから、嬉しくなったんだ」
「え?!」
嬉しくなった?!
あまりにも、予想もしなかったことを言われ、俺は大きな声で聞き返してしまった。
「昔はよく、陽菜の部屋に春来君も暢生君も来ていたね。特に春来君が来ると陽菜は喜んでいた」
「……」
そうだったっけか?よく覚えていない。
「陽菜は、春来君が描いた絵を気に入っていた」
お父さんは部屋の中へと入って来て、俺の絵を眺めながらそう言うと、
「今はもう、絵を描いていないんだってね?」
と俺に聞いてきた。
「あ、はい。やめました」
「勿体ないなあ。春来君にはセンスがあるのに。僕の絵も、いつも褒めてくれた。あれも嬉しかったなあ」
ええ?
「お、俺、いえ。僕はそんなだいそれたこと、していたんですか?」
「ははは。だいそれたことではないよ。春来君は素直に褒めてくれていた。大人に褒められても、なんとなくお世辞を言われているような気になるけど、子どもは正直だろう?本当に嬉しかったんだ。それに、僕が絵の描き方を教えてあげたら、春来君は目を輝かせて喜んでいたじゃないか。あれも、嬉しかったなあ」
陽菜のお父さんの、嬉しかったなあの連続に、俺は本当に戸惑った。いったい、どうしたと言うんだ?五十嵐があんなにも怖がっていたお父さんが、こんなにも朗らかに優しい声で、嬉しそうに目を細め、俺に話しかけている。何がどうなっているんだ?!




