第21話 陽菜が休みの日
翌日から、早起きして学校に行く日も公園に散歩に出かけた。母親が早くに起きてどこに行くんだと聞いてきたから、ジョギングをすると答えた。
「そんな恰好で?」
あ、ジーンズでジョギングはさすがに変か…。
「着替えようと思っていたんだよ」
そう言って、いったん顔を洗いに洗面所に行き、また部屋に戻った。スエットとTシャツに着替え、1階に降りて玄関から出ようとすると、
「いつまで続くのかしらね」
と後ろから母の声が聞こえてきた。
無視して俺は玄関を出た。今日も晴天、雲一つない青空だ。着替えをしていたから少し出るのが遅くなり、本当にジョギングをして公園に行く羽目になった。先輩はまだ来ていなかったから、俺はベンチに座り息を整えた。
クンクン。汗臭くないな?明日からはタオルとか、喉も乾くから水がいるな…。まさか、ジョギングをすることになるとは思ってもみなかったが、先輩に会えるなら毎朝早起きしてジョギングをしてもいいな。
5分後、先輩とセンセイがやってきた。
「おや?春が来る君、土日じゃないのにどうしたの?」
「あ、えっと、ジョギングを始めてみたんです」
「へえ~~。毎朝この時間に来るの?」
「あ、はい。3日坊主にならなければ」
「ふふふ。出欠表でも作る?来たらシールを貼ってあげるよ。そうだなあ。1か月休むことなく続いたら、商品も出そうか?」
「商品…って、いったい何を?」
「飴玉とか?」
俺は少しがっかりした顔をしたらしい。自分ではわからなかったが。
「あれ?不服?じゃあ、もうちょっといいお菓子にしてあげる」
「はは…。お菓子ですか」
「なんで?子どもっぽい?」
「いえ。いいですけど」
っていうか、なんだって俺がジョギングを続けられたら先輩が商品を出すんだ?面白い発想をするなあ。
「クス…」
あ、思わず笑みがこぼれてしまったぞ。
「何?何かおかしかった?」
「いえ、先輩の考えることが面白いなあって思って」
「そうかな?まあ、冗談なんだけどね?」
「あ、そうなんですか。まあ、そりゃそうですよね」
半分本気にした自分が恥ずかしくなった。そんな俺のことをよそに、先輩はセンセイを撫でた。センセイは喜んで尻尾を振っている。
「出欠表は作らないけど、毎朝待ってるね」
先輩は俺に顔を向けほほ笑んだ。
「たいてい先に来ているのは、俺だと思うんですけど」
「あ、そっか。待ってるのは君の方か…」
また、たわいもない話だけをして、今日は学校があるからと先輩は早々と公園を後にした。
俺も先輩の後にすぐ公園を出て、家までの道を軽く走りながら戻っていた。そして、ノブの家の前を通り過ぎようとした時、ちょうどノブが家の門を開け、俺の目の前に現れた。
「あ、びっくりした。ハル、何してんだよ」
「何って……ジョギング……」
この前のこともあって、俺は気まずさがあった。だがノブのほうはケロッとしている様子だ。
「へえ。お前がジョギング?なんでまた…。雨降らなきゃいいけどな」
そう言ってノブは空を見た。俺も見上げたが、やはり雲一つない。
「走りたくなったんだから、別にいいだろ」
そう邪険に返すと、
「ストレス解消とかか?」
とノブが聞いてきた。そしていきなり、
「この前は悪かった。あの時は俺もちょっとおかしくなってた」
と謝ってきた。
なんなんだよ、不意打ちしやがって。いきなり謝られたらこっちが困る。
「べ…別にいいけど。ノブはこんなに早くに学校に行くのか?」
「毎朝この時間。学校まで1時間かかるし…。お前は近くていいよな」
そうか。1時間もかかるのか…。
「あ、一応これだけは言わせて。陽菜と仲直りしろよな」
「……喧嘩しているわけじゃないけど」
小さな声でそう言うと、ノブは聞こえていたのかわからないが、
「じゃ、またな」
と門を閉め、足早に歩きだした。
家に帰り、汗をかいたから軽くシャワーを浴びて、それから朝食を食べた。変に食欲があり、あっという間に食べ終わると、
「パンもう1枚焼く?」
と母親に聞かれた。
「いい。バナナ1本食っていくから」
「ジョギングとか始めて、まさかと思うけど運動部にでも入ったの?」
「部活はやるなって言ってただろ?」
バナナをさっさと食べ終え、俺はカバンを持って玄関に向かった。まだ時間は早かったが、母親の小言を聞きたくなかった。
このままいれば勉強はしているのかと、そんな詮索をされられるからな。塾には行っているが、週に1回だけ。もっと行けと言われたらたまったもんじゃない。ようやく受験から解放されたんだ。少しはのんびりしたい。
などと思いながら、学校への道を歩き出した。のんびりしたいとか言ってはいるが、他にやることもないんだ。部活にも入っていないし、委員会にも入っていない。かと言って友達と放課後つるむこともない。俺って、もしやつまらない高校生活を送っているのか?
今は、先輩と会う時だけが喜びになっていて、あとのことはどうでもよくなっていた。
結局、前と変わらない色のない日々…。学校までの道も、道路の灰色しか目に入ってこない。
そして、色のない世界を歩き、学校に着くと、特におはようと挨拶をする友人もいない。黙ってそのまま教室に行き、静かに机に着く。早くに出たからまだ、手嶋も来ていなかった。そして、椅子に座ってボケッとすること5分、五十嵐たちが元気な声で教室に入ってきた。
「あれ?陽菜ちゃん、まだ来ていないんだ」
「待ち合わせの場所にもいなかったし、先に行ったのかと思ったけど休みかな」
そんな話声が聞こえてきた。陽菜は俺より先にいつも学校に行っているようだったが、この時間にはいつもなら、五十嵐たちとどこかで待ち合わせをして登校していたのか。
「ねえ!」
五十嵐がこっちに向かって大声を出した。俺に話しかけているとは思わず、俺は窓の方を見ていた。
「ちょっと!無視しないでよ、辻村君」
え?俺?びっくりして五十嵐を見ると、こっちに向かって歩いて来ていた。
「陽菜ちゃん、今日休むとか聞いていない?」
「聞いていないけど?」
「隣でしょ?陽菜ちゃんのお母さんから聞いているとかしていないの?」
なんなんだ。その思い込みは。
「していない」
ムスッとしてそう答えると、五十嵐も不機嫌そうな顔になった。と思ったら、
「どうしたのかな。昨日うちに来た時は元気そうだったんだけどな」
と心配そうに俯いた。ああ、不機嫌な顔ではなく、心配している顔だったか。
「昨日、五十嵐の家に行ったんだ…」
「うん。遊びに来てくれて、妹とも遊んでくれたんだけど…」
「……」
はしゃぎすぎたとかか?熱でも出したんだろうか。
「ねえ、もし休みだったら、辻村君、陽菜ちゃんちにお見舞いに行ったりする?」
「え?俺?別に…」
「でも、授業のノート取ってあげたりしないの?」
「うん。そういうのは、五十嵐がすれば?俺は字も汚いし…」
「わかった。そうする。帰りに陽菜ちゃんちに行くけど、辻村君も来てね」
「なんで?」
「心配じゃないの?」
「……ま、まあ。でも、あいつ、よく休むし」
「だから、心配でしょ?」
「………」
五十嵐、案外友達思いなんだな。
「それに、お父さんが家にいると、一人じゃ行きにくいって言うか」
「じゃ、誰かと行けば?グループの他の奴連れて行けばいいんじゃないの?」
「あまり多勢で押しかけたら、家でお父さん仕事しているんでしょ?迷惑じゃん」
なるほど。陽菜のお父さんに迷惑がられるのが心配なのか。
「迷惑じゃないだろ。心配して行くんだから」
「辻村君って幼馴染なんでしょ?陽菜ちゃんちにも行き慣れているでしょ?一緒に行ってくれてもいいじゃん」
やっぱ、こいつ強引だ。
「どうした?何か揉め事?」
そのタイミングで手嶋がやってきた。手嶋に知れたら、あれこれひやかされそうだな。
「じゃ、頼んだわよ」
五十嵐も手嶋が苦手なのか、手嶋が話しかけたら慌てて逃げるように席に戻って行った。
「なんかあった?」
「別に、たいしたことじゃない」
「ふうん」
手嶋はそれ以上は聞いてこなかった。手嶋はなぜか陽菜のことを気に入っているふしがあるから、見舞いに行く話なんかしたら一緒に行くとしつこく言いそうだよな。見舞いに行く話はこいつにはしないでおこう。
案の定、陽菜はその日休みだった。放課後、手嶋は、
「俺、今日図書委員だけど、辻村来る?今日先輩も当番だよ」
と俺に大きな声で聞いてきた。それを聞いた五十嵐が、こっちを向いた。
「俺はまっすぐ帰る。じゃあな」
そう言うと、手嶋は面倒くさそうに教室を出て行った。手嶋が出て行くのを見計らってから、五十嵐が俺のそばにやってきた。
「図書室に行くかと思ったよ」
五十嵐はそう言うと、俺より先を歩いて教室を出た。俺も、少し距離を置いて教室を出た。廊下もなんとなく距離を置いて歩き、隣に並んで歩くのを避けた。
そして、校門を出るまでなんとなく五十嵐の少し後ろを歩いていたが、校門を出たところで五十嵐が振り返り、
「もしかして、もしかしなくても、辻村君は私が嫌い?」
と唐突に聞いてきた。
「は?」
突然の質問に、面食らった。
「嫌いでもいいけど、今日は陽菜のお見舞い付き合ってよ」
「一人で行けばいいのに」
「……い、行きづらいんだからしょうがないでしょ」
なんでだ?
「陽菜の家には遊びに行ったことあるんだろ?」
「その時は、お父さんが家にいなかったらしくって」
「陽菜のお父さん、そんなに怖くない。それに見舞いに行くって言っても、ノート渡すくらいだろ?」
「もし、昨日うちに遊びに来たことが原因で、具合悪くなったんだったら、怒っているかも」
「陽菜、五十嵐の家で何かした?はしゃいだとか、騒いだとか」
「ううん。でも、遅くまでいたから。陽菜ちゃんのお母さんが心配してうちに迎えに来たの。お父さんも家で心配しているって言ってたから」
「過保護なんだよ。気にするな」
「過保護にならざるを得ないんじゃない?うちの妹のことも、両親は心配するもん」
「……そんなに責任感じなくても平気だろ?大丈夫だよ」
俺がそう言うと、五十嵐は驚いたように俺を見て、
「私のこと嫌いなんでしょ?なんで、そんな優しいこと言うの?」
と目を丸くした。
「別に嫌ってはいないけど。女子全般が苦手ってだけで」
「陽菜ちゃんとは仲いいんでしょ?最近、話していないみたいだけど。あ、屋上では瀬野先輩とも一緒にいたじゃん」
「先輩とも、そんなに仲いいわけじゃないし」
焦ってそう言ってから、慌てて冷静な顔に戻した。
「陽菜とも別に、そうそう話をしたりするだけじゃない。あいつは昔から、女友達と仲いいし」
クールにそう付け加え、俺はそのあと黙って真ん前を向いて歩き出した。
なんとなく、話しかけづらくなったのか五十嵐も黙り込んだ。それからは、少し距離を空けて隣に並び、坂道を下った。




