第18話 先輩と先生の噂
月曜、曇り空。昼休みは、また屋上に向かった。定位置に先輩がいて、俺は先輩の隣に行き、
「いいっすか?」
と唐突に話しかけてしまった。
「わ。びっくりした」
先輩は本当に驚いたらしい。目を丸くして俺を見てからすぐに、
「どうぞ」
と微笑んだ。俺は先輩の許可が下りたから、少し間を空けてあぐらをかいて座った。
「昨日はお散歩来なかったね」
「え?雨降ってませんでしたっけ?」
「雨でもお散歩に行くんだよ。雪でも行く。台風の時はさすがに行かないけどね」
そう言って先輩はくすっと笑い、
「春が来る君はさすがに、雨でも雪でも散歩には出ないよね」
と俺に聞いてきた。
「あ、はあ、まあ」
先輩がいるのなら行ってもいいんだけどな。と思いながらも曖昧に返事をした。そして、
「犬の散歩も大変ですね」
と弁当を広げながら適当なことを言ってみた。
「うん。大変。動物を飼うのって本当に大変。でも、うちは調子が悪くても、すぐにプロが診てくれるから、その点は安心」
「ああ、ですよね、両親が獣医なんだから」
「獣医に診てもらうのって、案外お金もかかるし。ペットを飼っている人ってみんな大変だよね」
先輩とはそのあとも、本当に何でもない世間話をしていた。だが、突然先輩は俺の後ろの方を見て、
「あ」
と声を上げ、俺にも後ろを見ろと目で合図を送ってきた。
俺はなんだろうと後ろを振り返った。すると、陽菜と五十嵐や他のクラスの女子がこっちを見ていた。そして、何やらヒソヒソと話をしている。ちょっと、嫌な感じだな。
「陽菜ちゃん!屋上に遊びに来たの?」
先輩が大きな声で陽菜に話しかけた。俺はまさか先輩が陽菜に声をかけると思ってもみなかったから、正直驚いて、先輩の方に振り返った。なんだって、陽菜を呼んだりしたんだ。
「あ、はい。屋上来たことなかったから、友達と様子を見に…」
陽菜も大き目の声を出した。そんな陽菜を先輩はなぜか手招きをした。陽菜は五十嵐の方をチラッと見て、なぜか五十嵐の手を引っ張り、俺と先輩の方にやってきた。
なんだってまた、五十嵐まで連れてきたんだ、こいつは。ああ、ほら、五十嵐まで来たから、他のクラスメイトも後ろからついてきただろ…。厄介だな。
「陽菜ちゃんのお友達?」
「はい。クラスメイトなんです」
「そうなんだ。私は図書委員の瀬野です。3年なの」
先輩の言葉に、五十嵐たちは慌てたようにペコっとお辞儀をした。
「図書室で陽菜ちゃんや春…じゃなくって、えっと辻村君と知り合って、辻村君も一人で屋上に来ていたから、一緒に食べようって誘ったんだ。みんなはもうお弁当食べ終わったの?」
「はい。食べ終わってから、屋上ってどんなところか行ってみようって…」
陽菜ではなく五十嵐がそう答えた。
「広いですね。お弁当を食べに来ている生徒もけっこういる」
五十嵐は振り返り、ベンチがある方向を見た。他のやつらも一緒に後ろを向いた。
「たまにはお弁当を持って来てみたら?これからは曇りぐらいがちょうどいいかもね?」
先輩は五十嵐たちにそう言った。だが、俺は冗談じゃないと思っていた。俺と先輩の二人の時間が邪魔される。
「さてと。食べ終わったし、私はそろそろ教室に戻ろうかな。じゃあね、辻村君。また、気が向いたら屋上に来て一緒に食べようよ。陽菜ちゃんもまたね」
先輩は立ち上がり、颯爽と俺らを置いて歩いて行ってしまった。
俺も弁当箱を片付け、黙って立ち上がった。陽菜にも何も言わず、その場に女子たちを残し、黙ってその場を去った。後ろからは、
「陽菜ちゃんも、知り合いだったんだね」
「話しやすい感じの先輩だったね」
そんな声が聞こえてきた。
家に帰ると、陽菜がラインを送ってきた。
「おやつ持ってこれから行くね」
俺が返事をしなくても、2分後にピンポンとチャイムが鳴った。玄関のドアを開けると陽菜だった。
「何?ゲームでもしにきた?」
俺は不愛想にそう陽菜に聞いた。
「ううん。宿題をしに来たの」
まじかよ。そう言えば、布の袋を下げ、中に教科書やノートが入っているのが見える。ポッキーも入っているようだな。
「今日の数学の宿題、面倒くさそうだから教えてもらおうと思って」
「残念だけど、数学が得意だったのはノブだ。うちで宿題していた時はいつもノブに聞いていただろ?俺じゃ、教えられない」
「だから、一緒に問題を解こうと思って」
「………。は~~、ま、いいけど」
俺がそう言うと、ようやく陽菜は玄関に入ってきた。そう言えば、いつもなら俺を押しのけてでも勝手に家に上がるのに、今日は遠慮がちだったな。
「お邪魔します」
「おふくろはまだ、帰ってきてない。あと30分で帰ってくる」
俺より先に陽菜はリビングに入り込み、ポッキーを出して、
「飲み物はウーロン茶でいいよ」
と指示してきた。はいはい。こういう図々しさはいつもと同じだな。
冷たいウーロン茶をコップに二つ入れ、テーブルに持って行った。陽菜はテーブルの上にノートも教科書も出さず、
「あのね、ハル君、瀬野先輩のことだけど」
と唐突に話し出した。なるほど。宿題は口実で、話があってきたわけか。
俺はテーブルの前にあぐらをかいて座り、ウーロン茶を飲んだ。
「手嶋君が図書委員だから、ハル君が図書室に行くこともあって、そこで知り合って、なんとなく仲良くなって…っていう話をイガちゃんとかにはしておいた」
「……は?」
「だから、えっと…。最初屋上でハル君と先輩が二人でいるのを見つけて、みんな変に勘違いしているみたいに言ってて」
「変に勘違いって?」
「だから、その、付き合っているのかなあとか…」
「ああ…」
あのヒソヒソとしていたのは、そういうことか。
「何か弁解しようとしたんだけど、なんて言ったらいいのか困っている時、瀬野先輩の方から声をかけてきたんだよね。で、あんな風に先輩が言ってくれたから、私も図書室でたまたま知り合っただけ…っていう感じで言っておいたから、安心して」
「………」
安心して?なんだ、それは。いや、俺と先輩が付き合っているという変な噂が流れないようにしておいたってことか。
「別に陽菜が弁解する必要はないだろ。まあ、瀬野先輩があんなふうにちゃんと言ってくれて、変な噂にならないで、先輩も良かったと思うけどな」
「あ…。そっか。ハル君にとっては、単なる知り合いって、あまり良くなかったのか」
「は?単なる知り合い程度なんだから、別に俺はかまわないけど?」
なんだか、無性に腹が立つ。陽菜は俺が先輩を好きで、どうにかしたいとでも思っているってことか?
「ごめん。ハル君。もう陽菜はよけいなこと言わない。言わないけど。でも…」
歯切れがよくないな。何か言いたげだ。陽菜は全部顔に出る。今、自分の中でどうしたらいいか、葛藤が起きているんだろうな。
「はあ…」
俺はため息をつき、
「何か言いたいことがあって来たんだろ?」
と陽菜に仕方なくこっちから聞いてみた。
「う、うん…。あのね」
まだ陽菜は躊躇しているのか、一瞬黙り込んでから口を開いた。
「その…、マグちゃんが言うにはね…」
「マグって誰だ」
「クラスの子だよ。間口さん、わかる?今日も屋上に一緒に来てた、髪が一番長い子」
「ああ、背もひょろっと長い…」
「うん、そう」
「それで?」
俺は特に興味もなかったが、とりあえず聞いてやるか…そんな姿勢でいた。陽菜はそれがわかったのか、最初話づらそうに話し出した。
「マグちゃんにはお姉さんがいて、あ、今、同じ高校の3年生なんだけど」
お姉さんの話?どうでもいいな。適当に聞いてりゃいいか…。
「それで、副担任が古谷先生だってマグちゃんがお姉さんに言ったら、去年、瀬野さんって人が古谷先生と付き合っているって噂になって、古谷先生が教師を辞めさせられる寸前だったとかって…」
「え?」
適当に聞いていたから、半分くらい聞き逃した。今、なんて言った?瀬野先輩と古谷先生が付き合ってた?教師を辞めさせられる?なんだって?
「あ、ちょっと聞いてなかった。もう1回言って…」
俺は内心焦っていた。そんな話が飛び出してくるとは思ってもみなかったから。どうせ、たいしたことないことを言ってくるんだろうと高を括っていた。だが、焦っているのをバレないよう、冷静な声で陽菜に聞いた。
「えっと…。マグちゃんがお姉さんに」
「古谷先生が副担任だって言ったんだろ?それで、瀬野先輩と噂になってって、どういうこと?」
あ、やばい。焦りが出た。つい、先走った。俺が焦っているのがわかったのか、陽菜は俺の顔をうかがった。
「あ…。いや…。なんか、単なる噂だけで、問題になったんだったら、先輩も嫌な思いをしたんだろうなって、ちょっと、そんなことを思って」
変な言い訳をした。いや、言い訳じゃない。先輩は古谷先生が好きなのは確実だ。付き合うだのどうのはわからないが、それが原因で古谷先生が辞めさせられるような状況になったら、先輩が傷つくのは決まっている。いったい、どうしてそんなことになったんだ…。すごく気になる。
「マグちゃんのお姉さんも、真相を知っているわけじゃないと思う。ただ、付き合っているみたいだって噂になって、生徒よりも保護者の方がうるさく問い質してきて、生徒に手を出すような教師は辞めるべきだとか言ってきた親がいるらしくって」
「ああ、そういう、うるせえやつがいるんだよな」
俺は無性に腹が立った。きっと、真相も知らずにぎゃあぎゃあ言ってくる連中だ。
「でも、結局古谷先生は辞めさせられなかったんだけど…。そんなことがあったから、えっと…」
「俺に陽菜は結局、何が言いたかったんだ?」
俺の声も言葉も冷たかったかもしれない。陽菜はビクッと肩をすくめ、俯いた。
「私は、瀬野先輩はいい人だと思う」
「………」
何が言いたいんだ?わからなくて俺はじっと陽菜を見た。陽菜は俺の視線に気が付き、一度こっちを見たが、また視線を外した。
「古谷先生は優しいし、女子生徒に人気があって、先輩は奇麗で他の男子生徒からも好かれていたから、女子生徒が一方的に瀬野先輩が古谷先生を振り回して、古谷先生は被害者だ…みたいに瀬野先輩を悪者扱いしたみたい…で…」
もしかして、友達がいたのにいなくなったっていうのは、それが原因だったのか?
「変な話じゃないか?先輩が男子から人気があるだけで、どうして悪者になるんだよ」
「そうなんだよね。そんなの、おかしな話なんだけど…。私も瀬野先輩は、親しみやすくって優しくって、いい先輩だと思う。だから、悪者扱いされるの、おかしいって思う」
「……それで?」
俺はいつの間にか真剣な声に変わっていた。顔つきも真剣になっていただろう。陽菜はようやく俺をちゃんと見て話し出した。
「それで、うまく言えないけど、そんなことがあったからって、先輩とハル君が付き合っているって噂になって、先輩が悪く言われたりしないかって心配になったり…」
なるほど。俺と付き合っているって噂になったら、例えば今度は年下のそれも、入ったばかりの高校1年の男子を弄んで…みたいな噂になるかもしれないと、陽菜は心配しているのか。
「それに、瀬野先輩はもしかしたら、友達がいなくなって寂しかったり、辛かったりしないかなって…」
「………」
なんとなく、陽菜の言いたいこともわかった。陽菜には友達のいない寂しさとかわかるんだろうな。陽菜には友達がいる。だけど、一緒になんでも楽しめるわけじゃないからな。いつももしかしたら、孤独を感じているのかもしれない。




