第17話 センセイの名前の由来
次の土曜の朝、早起きをして公園に行ってみた。正直言えば、かなり緊張をしていた。だけど、きっと先輩はいつものように、サラッと「春が来る君」と呼んでくれて、受け入れてくれるだろう。
例の公園に着くと、先輩の姿はなかった。ベンチに座って待ってみた。5分、10分と経っても先輩は来なかった。俺はただただ、公園の入り口を眺め、時計を見てはため息をついた。あと5分待っても来なかったら諦めよう…。そして、その5分が経ち、ベンチから立ち上がり公園の入り口に行くと、
「あ!春が来る君だ」
と、先輩が遠くから俺を見つけて手を振ってきた。
来た!
素直に喜びが沸き上がった。だが、先輩にそれを悟られないよう、無表情を装った。
「あれ?帰るところだった?」
先輩は俺の真ん前まで来るとそう声をかけた。先輩の隣で犬のセンセイが、ハッハッと嬉しそうに舌を出し俺を見ている。
「えっと…。先輩来そうもなかったから、帰ろうかな~と」
「そうだったの?いつもこの時間なんだけどな」
「あ…、そうっすか」
この前よりも俺が早くに来たってことか。時間、しっかりと覚えておこう。
「センセイがね、時間に正確なの。ちゃんと同じ時刻に散歩に連れて行けって吠えるんだよ」
ね、センセイ…と先輩はセンセイの頭を撫でた。センセイは思い切り嬉しそうに尻尾を振った。
先輩とまた公園の中に入った。そしてベンチに座り、先輩の足元にセンセイは寝転がった。
「センセイ、疲れた?」
先輩はまたセンセイの頭を撫でた。
「なんで、センセイ…」
あ…。思わず、犬の名前の由来を聞きそうになった。慌てて言葉を引っ込めたが、
「なんでセンセイって名前にしたかってこと?」
と先輩に聞かれてしまった。
先輩は人が言わんとしていることを、素早く察知する。俺が嬉しさを隠そうとわざと無表情にしたことも、多分察知しているんじゃなかろうか。
「あのね…、私が中学2年から3年になる春休みにね」
ああ、教えてくれるんだ…。中2ってことは、まだ古谷先生とは会っていないだろうから、古谷先生がらみで名付けたわけじゃなさそうだな。
「この子、空き地に段ボールに入れられて捨てられていたの」
「……」
あ、意外と出会いは重たい感じだったんだな。
「まだ生まれてから何週間かって赤ちゃんだったんだよね。いつ捨てられたのかわからないけど、雨の降る寒い日、衰弱していたこの子を、古谷先生がうちの病院に連れてきたの」
「……。あ、えっと、古谷先生って、あの古谷先生…」
何を言ってるんだ、俺は。だけど、古谷先生がらみじゃないんだって思っていたから、古谷先生の名前が出てきて、正直びっくりして変なことを聞いた。
「そう。あの古谷先生。まだ、当時は大学生だった」
「じゃあ、高校に入る前からの知り合いだったんですか」
「うん。そういうことになるよね」
ふっと先輩はどこか遠くを見て、それから視線を犬のセンセイに向けた。
「でも、なんでまた、古谷先生が教師になる前なのに、この犬がセンセイなんですか」
「するどいね、君」
くすっと先輩は笑った。別に鋭くもないと思うけどな。
「お父さんとお母さんが、この子を病院であずかって、古谷先生はその後もちょくちょく様子を見に来ていたの。私もこの子のことをお父さんから聞いて、気になって様子を見に行っていたから、古谷先生とは顔見知りになったの」
「……」
俺が黙っていると、先輩は話を続けた。
「この子が元気になって来て、古谷先生はアパート暮らしで犬を飼えないから、飼い主を探したんだけどね、引き取り手が見つからなくって、私がこの子を育てたいってお父さんに頼み込んで、お父さんもお母さんも情が移っていたし、我が家で引き取ることになったの」
「そうだったんすか…」
俺もぼけっと犬のセンセイを眺めた。おや?でも、だからってなぜセンセイなんだ?
「で、古谷先生はその時大学四年生で、卒業後は高校の教師になる予定だってお母さんが聞いて、私は中3で受験が待っていたし、家庭教師を頼めないかって申し出たんだ。犬の様子もそうしたら、ちょくちょく見れるしって」
「それでセンセイ?」
「ふふ。物分かりが早いね、君は。うちで引き取る予定もなかったから、お父さんとお母さんはチビ。私はワンちゃんって呼んでいたの。古谷先生はチビスケって呼んだりしていたかな。とにかく名前をつけていなかったんだよね。で、家庭教師を引き受けてくれて、それから古谷先生って呼ぶようになって、じゃあ、先生が拾った犬だから、センセイって名前に決めるって私が命名したわけ」
「そんな流れで、センセイですか」
「お母さんには呆れられた。お父さんは面白がっていたけど。くす。だけど、私以外はみんな、この子をセンちゃんとか、センって呼んでる。春が来る君はなんて呼んでみる?」
「俺も、センって呼びます」
「そうなの?センセイって呼ぶの面白くない?」
「えっと…。特には…」
「え~~?もう、春が来る君は正直者だなあ。あはは」
先輩は珍しく声を大きくして笑った。
「それでなんですか…」
「え?何が?」
「すみません、唐突でした」
「ううん。唐突に話が変わったりするの好き。面白いよね。で、何?」
にっこりと微笑みながら先輩は首を傾げた。
「この前屋上で、古谷先生と話していたから…」
「ああ、あれね」
先輩は少し黙ってセンセイを撫でた。センセイは嬉しそうに先輩を見て、クウンと鳴いた。
「古谷先生は心配性なの。私に友達がいないことを気にしているんだよね」
「なんで、そんなこと心配しているのか、よくわかりませんけど」
「いじめにあっているとか、そんなふうに思っているのかも。1年の時はまあまあ、私友達がいたし、それが一人でいるようになっちゃったから」
え?一人でいるのが好きだとか、俺みたいに友達なんかいらないとか、そういうわけじゃなかったのか。
「女子同士って面倒なんだよね。そういうの、中学の頃もあったから、別に私は一人になっても気にしないのに、古谷先生は大げさなの」
「………。女子って、グループとか作りたがるし、面倒くさそうですよね」
「うん。男子の方が楽そうだね」
「そうかな。俺はどっかのグループに入るみたいなのは好きじゃないし、群れるのもつるむのも嫌いだから、そういうのもよくわかんないですけど」
「孤独を愛する青年なのね。くすくす。だけど、手嶋君とかと仲良さそうじゃない」
「あいつは勝手に話しかけてくるだけです」
「そうか…。そんなこと前にも言ってたね。あ、でもほら、あの可愛い子は?陽菜ちゃんって言ったっけ?あ!もしや、あの子、彼女だったり」
「違います!」
「おや?声が大きくなった。怪しい」
「…ほ、本当に違います」
なんだよ。変な勘違いをしないでくれ。
「陽菜は、幼馴染ってやつで。高校もたまたま一緒だっただけで」
「本当?あの子は春が来る君と同じ高校がよくて、桜が丘に来たんだったりして」
「そういうんじゃないです。マジで、そういうのはまったくなくて」
「……」
俺がいきなり冷めた口調になったからか、先輩も黙り込んだ。
「私には幼馴染がいないからわからないけど。幼馴染には幼馴染にしかわからない、そういう関係なのね」
先輩は静かにそう言うと、また遠くを見つめた。
「だけど、羨ましいな。友達でも恋人でもない。幼馴染って関係」
「別に、そんなにたいそうなものじゃないですよ」
「でも、いまだに陽菜って呼んだりして、大事にしているじゃない?」
「別に大事にってわけでも……」
と言いかけて、いや、大事にしないといけないのか…と思い直した。何しろ、陽菜の親にも任せられている。信頼されているのに、大事にしなかったら、その信頼を裏切ることになるのか。
「やっぱり、羨ましいな」
先輩はそう言って、ベンチを立ちあがった。
「センセイ、帰ろうか」
「ワン!」
犬のセンセイは喜んで吠えた。そして、また尻尾を振って先輩と公園を出て行った。
俺はその後姿を見送って、家路についた。そして、俺の家の門の前で佇み、何気に陽菜の家を見た。
いつ頃からだろうか。俺は陽菜のことをあまり気にかけることがなくなっていった。小学生の頃は、陽菜とノブとばかり遊んでいた。
なんでかな。最近、やけに小学生の頃を思い出すな。あの頃は陽菜が風邪を引けば、心配して見舞っていたかもしれない。陽菜の好きなおやつを持って陽菜の家に行ったりもした。
ある時を境に、あまり遊ばなくなって、見舞いに行くこともなくなった。でも、陽菜はノブと俺の家に遊びには来ていたよな。来たら俺も気にすることなく遊んでいたけど、来なかったら来ないで、気にしなかったな。
陽菜が休んでいた時も、遊びに来なくなっても、心配もしなくなった。どんどん何もかもが虚ろになって、どうでもよくなっていった。友達もいらなかったし、幼馴染とかもどうでもよくなった。
だから、陽菜が体が弱いとか知らずにいた。どうして休んでいるのかも、気にしなかったからな…。
なのに、なんで今頃になって、気になりだしたんだろう。陽菜の両親に信頼されて、気にしないといけないような罪悪を感じているからか。
翌日の日曜日は雨。きっと先輩は散歩に来ないだろう。俺は雨の音を聞きながら、ベッドに横になっていた。そのまま、2度寝をして、9時を回った頃起きだして、携帯を見ると、
「昼過ぎ、遊びに行く」
というノブからのラインが来ていた。
ノブは暇だとすぐにうちに来たがるよなあ。俺も暇だからいいけど…。
そして、昼飯を食い終わった頃、ノブと一緒に陽菜もやってきた。
「陽菜も来たのか」
「悪い?」
「いいや、別に」
悪い?と言いながらも陽菜はなぜか嬉しそうだ。
「新しいゲーム買ったから、陽菜も誘ったんだ」
「陽菜、弱いのに…」
俺がそう言うと、陽菜はまた口を尖らせたが、すぐにまた嬉しそうに笑った。なんなんだろうな、こいつは。まあ、陽菜の嬉しそうな顔を見ると、こっちも気分が軽くなってくるから不思議だ。
それはノブも同じだったようで、3人でゲームを楽しみ、陽菜のへたくそ加減に大笑いをして、母が帰宅してからは、おやつと麦茶を持って俺の部屋に移動して、のんびりと漫画を読んだ。
「ノブも、陽菜も、高校入っても変わらないな。つるむやつとかいるんだろ?なんでうちに来るんだか」
「いいだろ。楽なんだよ」
ノブの言葉に陽菜もうんうんと頷いた。
「ノブ、こんなじゃ彼女できないな」
「ブッ!ハルらしくないこと言うなよ。吹き出しただろ」
麦茶を飲んでいる最中にノブは吹き出した。ティッシュで口の周りを拭くと、
「彼女とか、あんまりほしいと思わないしなあ」
とノブは答えた。
「そう言えば、お前は図書委員の先輩とどうなったんだ?」
「………」
俺はジロっと陽菜を見た。何か陽菜がノブに先輩のことを言ったのか?陽菜は慌てたように首を横に振った。
「別に、どうもなってない」
それだけ答えると、
「ま、ハルだったら、どうこうすることも出来ないと思っていたけどね」
とノブに言われてしまった。
「結局、3人とも彼氏も彼女も出来ず、休みの日はここで漫画読んでいるじゃねえの?」
ノブの言葉に、また陽菜は頷くと、
「いつまでも、こうやっていられたら、幸せだなあ」
と、小声で独り言のように呟いた。
俺もノブもその言葉を聞いても、何も答えることはなかった。ただ、ノブは陽菜を見た。その目は優しいような切ないような複雑な目だった。そして、俺もきっとそんな目で陽菜を見ているんだろうと、そんなことを感じていた。




