第1話 モノクロの世界に赤が現れた
この世界は、モノクロもしくは灰色だ。花の色も空の色も、俺の目には映らない。いつも見ている色と言えば、学校までの通学路の灰色。学校の廊下の灰色。教室の黒板の黒。塾へ行く道はほとんど黒に近い。ああ、夜見ている道路だからか。そして、黒板がホワイトボードに変わるだけだ。
たまに雨が降りそうな時、見上げる空はグレイ。最近は、周りの人間がさしている傘も黒か透明。学校までの道、サラリーマンのスーツも紺、グレイ。たまにいる就活のやつらは黒一色。学生服の紺色も混じっているが、どこにも「色」と思えるような色がない。
今朝も、ほとんど色のない世界を俺は歩いていた。中学3年も2学期を終えようとしているこの時期、模試はB判定。親にはなんとか受かってくれないと私立になんて行かせられないと愚痴られ、先生からは公立がダメなら私立もあると慰められ、俺は俺で特に行きたい高校でもなかったから、入れる高校ならどこでもいいと思っていた。思っていたが、せめてこのくらいの高校に入ってくれないと恥ずかしいとか、世間体とか、将来がとか、そんなわけのわかんない理由で、親に強制的に決められた高校。
行く気がないから、勉強にも身が入らない。やりたいこととかないのか?と先生と親との三者面談で聞かれたが、俺がやりたいと思っていることは、ことごとく親に反対されていた。だから、何もないと答えるしかなかった。
父親はごく普通のサラリーマン。なんとか郊外に一軒家を買えたが、定年になるまでローンを払わなくちゃならない。そして、1時間以上かけて通勤をする毎日。家では愚痴しかこぼさない。母親と喧嘩ばかりだ。
母親も父親の給料じゃ、塾にも行かせられないとブツブツ言いながらパート勤めをしている。近所のスーパーのレジ打ち。他に才能もないし、今時パソコンも使えないから、事務仕事にもつけないらしい。いったい、若い時はどんな仕事をしていたんだと飽きれる。だったら、仕事するためにパソコン教室に行くなりなんなりできるだろ?
俺には将来困るからと、小学生時代何かと習い事をさせた。そして、何かと言えばお前のために、どれだけお金をかけたと思っているんだと愚痴られる。俺が頼んで習い事をしたわけでもないのに。それも、役になったかどうかもわからない習い事ばかりだ。
俺は何がしたいんだっけ?小学生の頃はもっと夢があった気がする。何を見て、何を感じて生きていたっけ?世界は今みたいに、モノクロをしていただろうか。
友達と言える友達もいない。学校でつるむやつは、適当に話をする程度。中学を卒業してしまえば、それっきりだろう。小学3年の時、隣に引っ越してきたやけに元気な女子と、小学5年の時、近所に越してきたどこにでもいそうなゲーム好きな男子。その二人がやけに絡んでくるが、やっぱり俺にとっては適当に相槌をうつ程度の関係だ。
ただでさえ、肌寒い日だっていうのに、雨が降ってきてさらに寒さが増した。首に巻いたマフラーを、もう一巻グルっと首に巻いて、少しでも寒さをしのぎ、傘を開いた。とその時、目の前で同時に開かれた傘とぶつかってしまった。
バサッ!その瞬間、赤い傘が俺の足元に降ってきた。俺のモノクロの視界に、真っ赤な色がいきなり現れた。
「ごめんなさい…」
消えそうな女性の声がした。俺はかがんで赤い傘を拾い上げ、目の前にいる女性に渡した。
「ありがと…」
消え入りそうな声の女性は、目から涙を流していた。でも、赤い傘で顔を隠し、長い髪を翻し、そのまま早足で逃げるように去って行った。
俺の思考は止まった。思わず息も止めて彼女の後姿を見ていた。涙を流している女性が、キレイではかなげで美しいと思ったのは生まれて初めてだった。
「はあ…」
息をするのを思い出し、慌てて息をした。心臓がバクバクと音を立てだしたと同時に、俺はなぜか早足で彼女を追っていた。
通学路から大きく外れ、赤い傘を追い続けている俺。いったいなぜなんだ。自分でもわからなかった。赤い傘はどんどん、坂道を登り始めた。坂の上は一応俺の志望校。模試でB判定が出た場所だ。自宅からも歩いて、もしくは自転車で行ける。交通費もかからない。偏差値もそこそこいい。親にここなら行ってもいいと判断された高校だ。
赤い傘の彼女は、ああ、そう言えばこの高校の制服を着ていたかもな。何しろ泣いている顔があまりにもインパクトがありすぎて、他を見る余裕もなかった。
その高校の生徒たちに入り混じり、赤い傘は紺や黒、透明の傘に紛れて見えなくなった。俺は、とぼとぼと来た坂を下りだした。なぜ、追いかけたのか。謎のままだ。
ただ、あの涙を流した彼女の顔と、突然モノクロの世界に現れた赤い色が印象的で、いまだに胸だけがドキドキしている。
中学校に着いたのは、始業のベルがとうに鳴り、校門にも昇降口にもまったく人気のない時間だった。俺は堂々と教室のドアを開けた。静まり返った教室にいるみんなが俺を一斉に見たが、またすぐに興味なさそうに黒板に顔を向けた。
「遅刻か、辻村」
「すみません。寝坊です」
「まあいい。座れ」
朝のホームルームでは、どうやら受験のことで説明をしていたらしい。どうりで、生徒たちがみんな静かなわけだ。
俺は静かに席についた。後ろの席の近所に住むゲームオタクが俺の背中をつっつき、
「春来さあ、朝、いたよね?どこ行ってた?」
と小声で聞いてきた。ああ、近所だから、俺がいつもの時間に家を出たのを知っていたのか。
「どこでもいいだろ」
一言そう言い返し、俺はすぐに前を向いた。そして、机の上にあったプリントを見つめた。
見つめた…と言っても、まったく文字は入ってこなかった。俺の脳裏には、赤い傘の女性のことばかりが浮かび上がる。彼女はあの高校の生徒なんだよな。いったい何年生なんだ?もし、俺があの高校に入学できたら、また会えるのか?
今3年なら、俺が入学しても卒業していて会えないだろう。だが、1年か2年なら会える。そう思うと焦りが出てきた。もし受からなかったら、ブツブツ言いながらも親は私立に行くための金を出すだろう。なんだかんだ言いつつ、貯金くらいあるはずだ。と、俺は暢気に思っていた。だから、B判定だろうが気にしていなかった。
でも、いきなりあの高校に行きたい理由がふってわいてきた。B判定では、受かるかどうかも危うい。俺はいきなり不安と焦りと、そしてもし受かったら、あの彼女と同じ高校に行けるかもしれないというわけのわからない期待で胸が膨らんだ。
昼休み、隣のクラスから今日もまた、隣に住む元気な女子がやってきた。
「はい!これ今日のおやつ」
頼みもしないのに、お菓子を手作りで作って渡しに来る。
「塾行く前にでも食べて~。こっちがハル君ので、こっちがノブ君の分ね」
ノブというのが、ゲームオタクの名前。藤井暢生。暢気に生きるなんて、能天気な名前だが、案外こいつには合っている。ゲームをしていたら幸せだという、将来になんにも不安もなけりゃ、特に悩み事もない人間だからな。
「陽菜、お前さあ、また春来をエコひいきしてない?春来のおやつの方が豪華じゃん」
「そんなことないよ。ノブ君は、あんまり甘いの食べ過ぎると太るってこの前言ってたから、少なめにしてあげたんじゃん」
「あ~~~、確かに言ったかもしれない。でも、多少太っても、この年でダイエットはないよな?なあ、春来もそう思わね?」
「多少ダイエットしたほうが、お前の場合はいいんじゃないの?」
「げ~~~!友達甲斐ないやつ」
友達と思っているのか、こいつは。
「ほらね。今から気を付けないと、女の子にモテなくなるよ」
「どうせ今でもモテないよ。俺も春来もそういうのには無縁なの。昔からね」
「あははははは」
陽菜は大笑いをしながら、教室を出て行った。
「笑うところか?陽菜のやつめっ!」
そう言いつつ、食べ終えた弁当をしまい、今貰ったおやつをベロっと一気に暢生は食べ終えた。
「食わないの?」
口の周りについているクッキーのかけらを手で拭きながら、暢生が聞いてきた。
「塾の前に食べるよ」
「ふうん。いつも、そう言いながら食わないで捨ててたりして」
「なんでそう思うの?」
「なんでって…。お前、いつも貰っても喜んでいないし…。本当は嫌だったりするんじゃないかってさ」
「別に嫌がっていない。今は腹が減っていないってだけだ。あとでちゃんと食ってるよ」
「ふうん。春来はいつもクールで、何考えてるかわからないところあるからなあ。せっかく作っても、作り甲斐ないわ~~って、陽菜も嘆いているんじゃね?」
「じゃあ、作らなければいい」
「う~~わ!何それ?」
暢生はわざとらしく、ドン引きしているように思いきり顔をしかめた。でも、実際はそんなに驚いていない。わざと驚いているように見せているだけだ。
「さ、トイレでも行ってくるか」
そう言って暢生は立ち上がった。ほら、今の会話もどうでもいいんだ。あっさりしたもんだ。
俺は、窓の外を見た。まだ雨は降っていた。どんよりした空は灰色一色。またモノクロの世界が広がる。だけど、朝見た赤い傘。俺のモノクロの世界に現れた赤い色。それが何か俺の世界を変えてくれる、そんな予感がしていた。