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哀眼の空

作者: Z(ゼット)


《哀眼の空》




はじめに


今、とても綺麗な夕焼けを見ている。

薄い朱色の空に、長く伸びた筋状の雲が空の色をより複雑にしている。

空には無限の力を感じるが、今日の空は哀しく、とても悔しい想いだけが渦巻いた。

眼にはこれ以上溜めて置くことが出来ないほどの哀しみが溜まり、やがてそれはこぼれ落ちた。

私はこの空に『哀眼の空』と名付け、その空に復讐を誓った。





もくじ

はじめに

1.裏切り

2.恩人

3.禰津ねづ

4.太刀

5.調査

6.運命

7.江戸へ

8.偵察

9.成敗







1.裏切り


時は、長く続いた戦国の時代が終わり、平和な生活が見えはじめた江戸初期、越中で神保家に仕える太刀山たちやま 源兵衛げんべいという武士がいた。

世は戦の無い時代となり、武士の仕事と言えば、勘定や測量、警備といったものだが、これでも仕事としてはまだ良い方だ。

源兵衛は勘定担当をしていた。

この頃、神保家は江戸幕府から、江戸に屋敷を構えるようにと御達しがあり、御家はそれに従うため数名の者を選抜して江戸に送ることにしたが、その中に源兵衛が名が入り、同行して屋敷の建築と入居の準備をするように指示された。

出来上がった屋敷に住めるようになれば、しばらくは江戸に住み仕事に就くことになっていたが、源兵衛には結婚を約束している女性が居た。

その女性の名は『お香』と言い、お香を江戸に連れて行くべきか、越中に残すべきかを悩んでいた。

源兵衛は、自分が江戸に行くことをお香に中々伝えることが出来ないまま、出発の三日前を迎えた……

その日は勇気を持ってお香に話しを切り出したが、それに対してお香は笑顔で

「待っとるから、仕事を成功させてね」

心が痛かった……

お香の本当の気持ちは、悲しくて仕方がないはずなのに……

「直ぐにお香を迎えに来るから、待っててな」

源兵衛は、三日後に控えた出発の日まで、可能な限りの時間をお香と一緒に過ごした。

〔出発当日〕

江戸へは源兵衛を入れて四人で向かうことになっていた。

田ノたのやま 悠祐ゆうすけ吉田よしだ 吉右衛門きちえもん稲葉いなば 玉乃輔たまのすけの三人。

田ノ山 悠祐は神保家の遠い親族にあたる人物で、今回の江戸までの道中と、向こうでの工事を仕切る役割りを担っていた。

源兵衛ら一行の江戸へ向けた道中はとても順調で、出発してから五日目の昼頃には、上野国(こうずけのくに、現在の群馬)に入った。

この日はとても暑く、川沿いを歩いていた一行は、景色の良い場所でしばしの休憩をおこなった。

上野国は景色の綺麗な場所が多く、一行はその景色に旅の疲れが癒された。

川では全員、上半身の着物を外し、川の水で手拭いを濡らして身体を拭いたが、川の水はとても冷たく最高の気分だった。

しばらく身体を休め、旅の疲れが少し取れた頃、また歩き出すための準備をしていたが、源兵衛が太刀を腰に吊るしたその時……

源兵衛の背中に熱いものが走った。

源兵衛の背中目掛け、刀を振ってきた者が居た。

悠祐だった。

「何故だ?」

「うるさい、お前が目ざわりだ。

仕事も女も、どちらの株も全部お前が持っていきやがる」

そう叫んだ。

源兵衛は背中を斬られている。

幸い傷は浅いものの、刀の刃は肩から腰まで、源兵衛の身体を斜めに滑り落ちていた。

源兵衛は背中が切れ、痛くて身体を動かすことが出来ず、この場を立ち振舞うことはとても不可能な状態であったことから、この不利な状況を考え自ら川に飛び込んだ……

流れの速い川ではなすすべもなく、あっという間に流されていった……それと同時に意識も薄れ、最後は完全に意識を失ってしまった。



2.恩人


次に目を開けた時は民家に居た。

「目を覚まされましたか。安心して下さいませ、ここで治療をおこない保護しておりました。私の娘が貴方様を見つけてから、数えて三日眠っておりました。私は才蔵と申します」

「ありがとうございます。あっ、痛てえ」

背中に激痛が走った……

「ひどいケガをされておりましたので、手前で縫い付けておきました。あと三日は安静にしていて下さい。あと貴方様の太刀をお預かりしております。お見掛けしたところ、あれは『大典太光世おおでんたみつよ』作の名太刀。貴方様は一体、何者でありますか?」

「私は越中の神保家に仕える、太刀山源兵衛と申します。神保家の者三人と江戸に向かう道中でしたが、仲間の一人、田ノ上 悠祐から突然背中を斬られ、私は自ら川に飛び込み、その場を逃れました。ただ……何故その様なことが起こってしまったのか、未だ解らぬままです」

「そうでありましたか……ここは上野国 上野豊岡藩の敷地内であります。傷が治るまでゆっくりしていってくだされ。何かお手伝いできることがあれば協力させてもらいます。これも何かの縁でございます」

「何から何まで、かたじけない……有り難く甘えさせてもらいます」

「はい。おっ、娘が帰ってきたわい」

「ただいま帰りました。今日はイノシシが捕れました。あっ、目を覚まされたのですね、良かった」

源兵衛は、イノシシを引っ張っる娘を見て目が点になり、助けてもらったお礼も言えぬまま固まってしまった。

しばらくして……何故だか大爆笑してしまった。

久しぶりに心から笑えた良い時間だった。

扉の隙間から見えた夕焼けは明るく、子供の頃に見た美しい夕焼けだった。



3.禰津ねづ


翌朝、才蔵は上野豊岡藩の藩主、禰津ねづ 信政のぶまさの下を訪れた。

「信政様、ご報告がございます。私の娘のかえでが、川の渕で気絶している一人の男を発見し、四日間我が家で保護しておりましたが、昨日ようやく目を覚ましました。その男は越中にある神保家で仕えていた、太刀山 源兵衛なる者でした。源兵衛は仲間三人と江戸に向かう道中、いきなり仲間の一人である、田ノ上 悠祐から斬りつけられ、瀕死の状態で川に飛び込んだそうです。斬りつけた田ノ上 悠祐は、神保家の遠い親族にあたる者だそうです。発見時から、あの者の腰には『大典太光世おおでんたみつよ』作の名太刀を下げておりましたが、源兵衛についての詳細はまだわかっておりません。越中には結婚を約束している、お香という者がおるそうです。あの者と何度も会話しておりますが、とても誠実で真っ直ぐな男だと感じており、あの者が嘘を言っているとは思えません。傷が癒えるまで我が家で保護し、傷が癒えたのち信政様にお目通しのあと、上野豊岡藩の家来として、お取りつぎして頂くことは出来ないものでしょうか」

「おっ才蔵、珍しいの! お前が人を信じるとはな。甲賀忍者の重鎮であったお主がの。あいわかった、そのようにいたそう」

「ありがとうございます」

「ただ、才蔵、調べをせねばならん」

「承知しております」

れん、お鈴、居るか」

信政の下に二人が現れた。

「蓮、お鈴、才蔵の話しは聞いておったと思うが、その事を調べて欲しい。二人は越中に忍び入り、神保家を調べてくれ。太刀山源兵衛という者が、このようになった今、越中でどのように扱われているのか。それと源兵衛には、お香という結婚を約束している者がおるから、その者の事も調べてくれ。頼んだぞ」

「承知しました」

二人は直ぐに越中へと向かった。

はやて、おおりん、居るか」

二人が即座に表れた。

「話しは聞いていたとは思うが、お前ら二人には江戸に行ってもらう。

田ノ上悠祐なる者と、その同行者二名の事を調べよ」

「承知しました」

禰津家の禰津信政は、上野豊岡藩の初代藩主である。

禰津家は戦国の時代、真田家を支え続けた甲賀忍者で、その後は甲陽流 禰津忍術として くノ一を、はじめて形成した人物でもある。

才蔵は禰津家に仕えてきた甲賀忍者であり、娘の楓も甲賀忍者のくノ一である。



4.太刀


源兵衛は越中に残しているお香のことがとても心配だったが、今はどうすることも出来ない状態だった。

その後、源兵衛は背中に負った傷は徐々に治り、順調な回復ぶりをみせていた。

「ただいま帰りました。今日はキジと鴨が捕れました」

楓が狩りから帰ってきた。

「楓どのは凄いの。どうやって仕留めているのだ?」

「これでだ」

そう言って小さな剣を見せた。

その剣を腰にたくさん巻き、獲物目掛けて投げて狩りをすると言う、驚きだ。

「私も楓の狩りに連れて行ってはもらえぬか、それを見てみたい」

「いいよ、見せてあげるけど、邪魔はしないでね」

「わかりました、師匠どの」

その夜のキジ鍋は、今まで食べたことのない、最高に美味しい味だった。

翌日、源兵衛は楓の狩りに着いていった。

険しい山道を、楓はすいすいと歩いていくが、山道になれていない源兵衛は全く着いていけない。

「源兵衛どの遅いぞ、キジがいなくなってしまう」

「お――い、こっちは病み上がりだぞ、ちょっとは気を使って欲しいもんだよな」

そんなこんなはあったが、なんとか狩り場に着いた。

楓は早速キジを見つけたようで、腰に手をやり、剣を取り、キジ目掛けて同時に三本も投げて、見事命中した。

「源兵衛どのもやってみるか?」

「いいのか? でも自信はない」

やはり何度投げてもキジには命中せず、楓は頭を抱えたり手で目を覆ったりしていたが、その時、妙な物音に気付いた楓が叫んだ。

「源兵衛どの! 危ない!」

源兵衛の前に熊が現れた。

源兵衛は一瞬びっくりはしたが、その後は冷静さを取り戻し、なんと熊目掛け走って行った。

至近距離まで近づいた所で太刀に手をやり、太刀を抜くと同時に熊のもも辺りから肩に向け、太刀を振り上げ斬り、上げきった所で今度は、熊の首目掛けて太刀を振り下ろした……

そして熊の首は落ちた。

まさに一瞬の出来事であった。

あまりにも凄い太刀さばきを目にした楓は、その光景が目に焼き付き、その場から身体を動かせない状態になっていた。

「楓どの、熊はどうやって運んだら良いかの」

「二人では無理なので、村の者に手伝ってもらうよ」

楓が村まで走り、村人七人を連れて戻り、熊を村まで運び皆で分けた。

楓は、源兵衛が熊に対しておこなった太刀さばき、その凄まじい残像がいつまでも頭に残っていた。



5.調査


信政が蓮とお鈴に、越中への忍び捜査を依頼して八日目の夕方、二人が信政の屋敷に戻って来た。

「信政様、任務を果たし只今戻りました」

「そうか、無事で良かった。それで越中の様子はどうであった?」

「ご報告申し上げます。はじめに源兵衛どのの件ですが、神保家への報告は全て悠祐がおこなったようですが、源兵衛どのは江戸へ向かう道中、足を滑らせて谷底に落ち、流れの速い川に流され見つからないものの、状況から考え死亡したとの扱いでした。神保家は、剣術にも文学にも優れ、更に町人からの評判も良かった源兵衛どのを失った深い悲しみが続いており、未だ喪に伏しておられました。『大典太光世おおでんたみつよ』作の名太刀を腰にしている件ですが、源兵衛どのが前田家の警護で加賀を訪れた際、危険な状況を源兵衛どのの剣術により、難を逃れたことがあり、前田氏より褒美の品として頂戴している太刀で御座いました。源兵衛どのの実家も深い悲しみの中ではありましたが、実家の生活は神保家が一生見ていく約束になっており、生活には問題は無いご様子。続いてお香のことですが、源兵衛どの死亡により縁談は破談となり、両親は薬問屋を商いとする松吉との新たな縁談を持ってきていました。お香の家も越中では有名な薬屋で、妥当な選択かと思われます。しかし、その縁談に待ったをかける男がいまして……それが悠祐です。悠祐は以前からお香に恋心があったようで、江戸に入ってからというもの、お香に向けて恋文を何通も送り、結婚を迫っていますが、お香の反応は思いのほか薄いようです。報告はこれで以上になります」

「短い時間で、そこまでよう調べてくれた、感謝する。しばらくはゆっくり休むが良い」

この報告は才蔵も一緒に聞いていたが、報告の最中に颯とお凜も江戸からの帰還を果たしていた。

「おう、颯、お凜よう戻った、ご苦労じゃったな、江戸の様子はどうであった?」

「江戸での報告をいたします。先ずは三人が三人とも、普段は源兵衛どののことは全く口にしないということです。なので、三人が寝泊まりしている家に潜入し掴んだ情報ですが、やはり悠祐が斬りつけたことで間違いはないでしょう。他の二人には口止料として、金一両ずつを渡し、その上、屋敷の建築が終わった後は、出世も約束しております。悠祐は神保家の遠い親族であることから、江戸屋敷では重役を担う予定になっており、その約束は簡単に果すことができましょう。悠祐は以前からお香のことが好きであったものの、源兵衛の存在があり、それは叶わぬものでしたが、源兵衛亡き今、毎日お香に向け恋文を書いては越中に送っています」

「よう調べてくれた、ご苦労じゃった、ゆっくり休んでくれ」

「なあ才蔵、明日の朝、源兵衛と楓をここに連れて来てくれ。源兵衛には上野豊岡藩で働いてもらおうと思っておる。悠祐への恨みも、自らの手で晴らさせてやりたいと思っておるがどうだ?」

「それがよろしいかと」

「あまりにも身勝手な話よ、源兵衛には甲賀忍者の手伝いをつけ悠祐を成敗するぞ。しかし、神保家には絶対にバレぬようにな」

その頃 源兵衛は、楓と山菜を取りに行った帰り道であったが、お香と行った花摘みを思い出していた……

その日、眼に映った夕焼けはどこか哀しく、哀眼の空であった。

才蔵は自宅に戻ったのち、三人で夕食を食べながら信政のことを話しはじめた。

「源兵衛どの、上野豊岡藩の藩主 禰津信政様が明日、源兵衛どのに会いたいと申しておる。わしとしては是非会っていただきたいと思っています。源兵衛どのさえ良ければ、このまま上野豊岡藩に残ってもらいたいとも考えておられるようじゃ」

「私などに勿体無いくらいの話……ありがたい話しではあるが、私にはやらなければならない事が色々あるので難しいかと」

「それも含めて協力していく話しになる、だから会って欲しい」

「わわかりました」

「明日は楓も一緒に来てくれ」

楓は身体を動かすのは好きだが、肩苦しいことが大嫌いな性格で、渋々「は――い」と返事した。

しかし、これでも楓は甲賀忍者のくノ一です。



6.運命


〔翌日の朝〕

才蔵は源兵衛と楓を連れ、信政の屋敷を訪れた。

奥から信政が現れたが、源兵衛としては上野豊岡藩の藩主とは初対面となる為、身体には極度の緊張が走った。

「お主が源兵衛か、噂には聞いておったが、噂通りのいい男じゃなの。楓は源兵衛に惚れてしおるのではないのかのう」

「そんなことはございません」

顔はプィっとしたものの、楓の顔は赤らんでいたところを見ると、まんざらではないということは、誰の目から見ても判った。

「まあ、よかろう。さて源兵衛、実は我が甲賀忍者を、越中と江戸に忍び込ませ、お主のことを少し調べさせてもらった。その内容は……」

信政は調べた内容を源兵衛に細かく伝え聞かせたが、源兵衛はその話を聞きながら、拳を固く固く握りしめ、膝に強く押し込めていた。

「調べた内容は以上だ。源兵衛、悠祐を成敗し、恨みを果たしたくはないか」

「奴を生かして置く訳にはいきません。必ずや成敗します」

「そうだろう、その成敗、上野豊岡藩が手伝おう」

「悠祐成敗は、神保家を相手に戦うことにもなりますので、実際、もどかしいかぎりであったことは、間違いありません。私はいま、大きな後ろ楯を失った身でございます。上野豊岡藩 藩主 禰津信政様から頂いた御言葉は何よりもありがたく、嬉しい言葉です」

「そうか、ならば手助けいたすとしよう。ただ条件がある」

「どのような条件でしょうか?」

「今後は上野豊岡藩の家臣として働くこと、それとお主の名前を替えることじゃ」

「禰津様の家臣として働くことに関しては、ありがたく、何ら問題ありませんが、名前を替えるということはどういうことなのでしょうか? 私には解らず、不思議なことでございます」

「お主は、江戸までの道中で死んだことになっておる。ならば新たな、上野豊岡藩の人間として生きてもらわねばならん」

「それならば、わわかりました。では私は何と名乗ればよろしいのでしょうか?」

「今日のお主は、身体に鳥の赤い羽根を付けておるから、赤羽じゃ」

源兵衛の着物には、楓がいたずらで付けた赤い羽が腰に辺りに付いており、それを見た信政が赤羽とした。

源兵衛はその赤い羽根に気がつくと『楓どの……』との思いで楓を見た。

楓はばつが悪そうに、屋敷の天井を見ていた。

「そうだな、名は……ん……お主! お主の眼にはとても力がある。武士らしい武士の眼をしている。そのような者と、久しぶりに会ったから『久』という字を使いたい。それとお主は、とても音に敏感なようじゃ。屋敷に潜む忍者が一歩踏み出す度に、左手の指先が太刀に向い動いておる。よし決めた、お主の名前は『赤羽あかばね 久音くおん』どうじゃ」

信政は、微かな物音に即反応している源兵衛の行動を見逃すことなく、それを名前の一文字に入れてきた。

「赤羽久音……私は赤羽久音として、上野豊岡藩にこの身を一生忠誠いたします」

「そうか良かった。久音に二人の忍者を付けよう『蓮』と『楓』だ。蓮おるか」

蓮が現れた。

蓮は楓に忍術を教えた師匠であり、上野豊岡藩の忍者の中で、一番の実力者である。

楓は、その実力者である蓮から厳しい修行を受けたのち、禰津家で最も優秀な『くノ一忍者』となった。

その二人が久音の補助に付き、悠祐成敗を進めることとなったが、この時まで楓は何も聞かされておらず、目を大きく見開きポカーンとした顔で一言

「どういうこと?」

この日から太刀山源兵衛は赤羽久音となり、悠祐ならびに、他二名の成敗に向けた行動がはじまった。

江戸への出発は二日後の朝と決まった。

久音は出発の日まで、剣術の鍛練と、太刀の手入れを念入りおこない、江戸で必ず成果を上げられるように準備した。

楓は屋敷での話しの後、そのまま屋敷に残り、蓮と二人で、武器や火薬を含めた装備の準備と、お互い、更に忍術に磨きをかけ、悠祐成敗に向けしっかりと準備をしていた。

江戸での生活は、上野豊岡藩が所有している屋敷を使うのではなく、それとは別に、新たに民家を借り上げ、そこを拠点にして行動していく。

江戸に常駐している上野豊岡藩の者にも知らせることはなく、あくまでも隠密に行動していくこととなった。

この時、季節は秋を迎えていた。

秋の夕焼けは復讐に向けた哀しみの空『哀眼の空』であった。



7.江戸へ


〔江戸出発当日〕

当日の朝、三人は万全な準備をおこない、屋敷に集まり、信政に出発のあいさつをした。

「殿、これより江戸へ向い、悠祐を成敗して参ります」

「敵の生活状況も日々変わり、戦う敵が増えることも予想される、くれぐれも気をつけて行動してくれ」

「わかりました、行って参ります」

確かに屋敷の建設が進めば、江戸で働く神保家の家臣の数も増え、悠祐らを取り巻く環境も日々変化している可能性があることから、十分に注意する必要があった。

三人が進む江戸までの道中は、全体的には会話が絶えない、楽しい旅となったが、時には山賊が襲いかかって来ることがあった。

そんな時は……

蓮と楓が、久音の斜め左右前に立ち、二人が素早く状況を判断して伝えてくれた。

蓮「見えている敵は五人だが、木の奥には、なにやら潜んでいる者がおる」

楓「落武者から山賊になった者、武器はボロボロの刀のみ」

蓮「私と楓は両横から攻めますので、久音どのは正面に居る者を斬って下さい」

山賊「何をごちゃごちゃ言ってんだい。金目の物と武器置いて行けば助けてやるぞ」

蓮「楓いくぞ」

そう言って二人は疾風の如く、あっという間に山賊の両横に廻り、そこから一気に攻めていった。

それと同時に久音も、正面に立つ山賊目掛けて走り、敵の近くで太刀を抜き斬りつけた。

蓮と楓は、二人ずつ相手にしていたが、もはや二人の敵ではなく、早々に結果は明らかとなった。

木の奥に潜んでいた者は、その様子を見て逃げ出そうとしていた。

久音は一目散に走り、最後は高く飛び上がり、上から斬りつけた。

六人全員の息の根を止め、三人はその場を後にした。

皆殺しだった。

全員を殺したのには訳がある。

この時代は山賊が多く存在した。

長く続いた戦の時代は、多くの落武者を生むことにもなり、中にはそのまま山に籠り、同じ境遇の者同士で団体を形成して、大きな山賊として力をつけていることが多々あった。

一人でも逃がしてしまえば、アジトに逃げ帰り仲間に報告をして、より多くの人数で襲いかかって来るおそれがあったことから、この場は全滅させることとなった。

久音の服装は浪人、蓮は町人、楓は町娘といった格好であったことから、また他の山賊が襲いかかって来る可能性もあったので……

蓮「この辺りは早く通り過ぎた方が良いかと思われます、少し急ぎましょう」

久音らはその場を急いで通過した。

そんなようなことを何度か経験しながら、出発して四日目の夕方、無事 江戸に到着した。

久音「ここが江戸か、先ずは住まいする家に向かおう」

江戸は人も多く活気に溢れていた。

三人は興味から、周りをキョロキョロ見てしまう、いわゆる田舎者にならぬように注意しながら家に向かった。

なんとか家を見つけ中に入った。

借りた家には家財が一通り有り、直ぐに生活が出来る状態で、広さも三人が生活するには充分過ぎる程であった。

久音「信政様、ありがとうございます」

それぞれの荷物をしまい、これからの生活に向け準備を進めたのち、今晩は旅の疲れを癒す目的で、江戸の町に出掛け、美味しい食べ物をたくさん食べた。

江戸の町は食材も豊富で、三人は美味しく、楽しい時間を過ごした。

明日からは、悠祐成敗に向けた行動が、本格的に始まっていく。



8.偵察


翌朝、作戦会議をおこなった。

久音「先ずは偵察だ。現在の悠祐を取り巻く状態がどのようなものなか、全く分かっていない。状況が把握できるまでに時間が掛かるかもしれんが、それまでは夜の行動することは避け、明るい昼間に建設中の屋敷や、悠祐の行動を調べよう。建設中の屋敷の中に潜入出来れば良いのだが、決して無理はしないで欲しい。それと私は面が割れているため、笠を被りながら行動するが、それでも、もしかしたらバレるかも知れん」

蓮「わかりました。先ずは、屋敷の外から様子を見ることとしましょう」

この日は晴天であり、建設中の屋敷の様子がよく見ることができた。

三人は屋敷の周りに散らばり、怪しまれないよう注意しながら様子を伺った。

作業している職人は、江戸で調達している人夫であり、神保家の者とは関係はないが、それ以外の者は神保家の家臣、その数はおよそ十人、しかし悠祐とあの二人の姿はまだ見ていない。

おそらく屋敷の中から指示を出していると思われる。

今日のところは中への侵入を避け、三人が外に出て来る瞬間を待ったが、建設時間中には姿を見せなかった。

三人の帰宅路を付けることも考えたが、やはり危険を伴う為、もう少し先に伸ばした。

この日の夕焼けは、久音の抑えきれぬ『怒り』を象徴するように、太陽は赤く燃え、空は嵐を予兆するかのように真っ赤に染まっていた。

久音ら三人は家に戻り、今日見聞きしたことを話し、明日の計画を立てることにした。

江戸に派遣されている家臣の数は、あくまでも推定だが十三人、悠祐ら以外の者の住まいは未確認、屋敷は一カ月以内に完成、全くといって重要な情報は掴めなかった。

明日の活動は少し踏み込んだものにしていくことにした。

蓮は建築関係者を装い潜入、楓は甘い物を売る売り子として潜入、久音は浴衣に近い軽い着物を纏い、太刀は携行しないが、外からは見えないように小刀を腰に忍ばせ、神保家の家臣に近づいて調査をおこなう。

久音がまだ神保家に居た頃、その時の久音を、源兵衛として認識できる者が、江戸に来ている可能性は非常に高く、たいへん危険を伴うことになるが、気づかれた時は相手に揺さぶりをかけることにした。

〔翌朝〕

三人は計画してた服装で屋敷に向かった。

この日の空も晴天で、秋にしては気温が高かった。

建築をおこなう作業員は江戸に集まって来た大工の寄せ集めであることから、人が増えたり、見馴れない顔がそばに居てもおかしいとは感じない。

蓮は大工を装い早々に屋敷の敷地内に潜入し、更に奥に侵入する為、一瞬の隙を狙っていた。

楓は手ごろな大きさの篭を買い、甘味屋で砂糖菓子を仕入れ、屋敷内に入り、職人らに菓子を販売して回った。

久音は屋敷の周りから様子見をおこない、知った顔がいるか確認していた、その時……

「何をしておる」

屋敷に向かう出勤途中の家臣に声を掛けられた。

「大きなお屋敷を建てていたので、感心しながら見ていました」

声を掛けてきた家臣の顔は見たことがなく安堵した。

「そうか、あまりジロジロ見ていると怪しい奴だと勘違いされるから気をつけろよ。ここは将軍様からの御達しで、越中の神保家が建てている屋敷だからな」

そう言ってその場を去って行った。

その後も、中の様子を見ていたが、その場所から正面に見えている男は、以前の知りあいに似ていたので『まずい』と思い背を向けた時……その男が駆け寄る足音が聞こえた。

『しまった』と思いながらも逃げ出すと怪しまれる為、冷静を装いながら、その場を離れようとしたが……

「待たれ」

久音は呼び止められてしまった。

「お主、ここで何をしている、こちらを向け」

「私は何もしておりません。ただお屋敷の建築作業を見ていただけです」

そう言いながら、呼び止めてきた男の居る方に顔を向けいった。見た瞬間『佐太郎だ!』身体中に電気が走り、冷静状態を保てるか不安であった。

佐太郎は不思議そうな顔で久音の顔を何度も覗き込み

「どこかで見たことあるような顔だ……名を名乗れ」

「私は赤羽久音と申します」

「赤羽久音? んーやっぱりわしの勘違いだったわ。で、お主は建築に興味があるのか? ならばここで働いてみるか?」

「拙者には、他に仕事がありますので無理で御座います」

「そうか残念だ」

そう言って屋敷に戻って行った。

佐太郎と源兵衛は、越中では仕事上の接点は少なかったため、屋敷内でもたまに顔を見る程度であったことから、この場は難を逃れることができた……しかし危ない瞬間であった。

楓が敷地内に持ち込んだ甘いお菓子は、体力を消耗する労働者にとても評判が良く、更に楓は顔が可愛いこともあり、男衆が集り、お菓子は飛ぶように売れた。

男衆は目も、気持ちも、身体も、楓に集中してしまい、その間の警備は手薄になった。

その隙に、蓮が屋敷の内部へと潜入していった。

潜入後は屋根裏へ上り、身を隠しながら探りを入れ、中で仕事をしている三人の男を見つけた。

『もしかしたら、あの三人が久音どのと一緒に居た者達か。奴らの仕事は何だ?』

三人は屋敷建築に掛かる経費の管理や、屋敷完成後の人事、幕府との付き合い方等の資料を作成していた。

仕事振りは真面目であった。

『あの一番偉そうにしているのが悠祐か?』

悠祐「完成に合わせて、殿にお越し頂かなければならないが、式典は二十日後の十月十五日で大丈夫だろうな」

玉乃輔「工事はあと十五日で終わりますので間違いなく間に合います」

悠祐「あの仮住いの家も、あと十五日の辛抱か。途中から同居人が二人増えたが、新たに隣に借りた家では八人が生活しておるから、それよりはまだ良い。吉右衛門、幕府とのやり取りは順調なのか」

吉右衛門「順調でございます」

悠祐「もう少しで我ら三人が、神保家の心臓とも言える重役を担うことになる。後もう少しで我らは大出世を手に入れることになる、抜かるなよ」

『式典まで二十日、屋敷の完成まで十五日、十日以内で始末しなければいけないな』

外に居た者数名が屋敷の中に人が入りはじめてきた……

『もう出ないと危ないな』

蓮は急いで屋敷の屋根裏から出て作業に戻った。

外では、楓が仕入れしたお菓子が完売、予想以上の盛況ぶりに楓は「明日も来てね、と言われた」と苦笑いであった。

その夜もお互いが集めた情報を持ちより話し合った。

久音「五人と八人、やはり全員で十三人か。

蓮、楓、明日は奴等が住いしている二軒の家を、人が居ない昼と、帰宅後の夜、二回忍び込んで欲しい。」

蓮、楓「わかりました」

久音「くれぐれも気をつけてな」

〔翌朝〕

久音は屋敷周辺に出掛け、蓮と楓は出勤して誰も居なくなった神保家の連中らが住む家に侵入した。

まずは悠祐らが住いする家から調べたが、かなり几帳面な性格なようで、家の中は綺麗に整頓されていたこともあり調べやすい状態であった。

完成式典の出席者や式の進行、幕府とのやり取り等の詳細はあるものの、久音に関する記述は全く出てこない。

お香に宛てた悠祐の書きかけの恋文が一通見つかったが、まだ諦めていないことが文章から読み取れた。

午後の十時には就寝が決まっているようで、成敗決行を決める上で参考になるものであった。

蓮「楓、隣の家に行くぞ」

隣の家は、中で繋がってはいないが、直近であり少し大きな声を出せばお互いの声が聞こえる位置だ。

蓮「この距離は危険だな。一度に十三人が相手になる可能性がある。いろんな手段を考え、相手の出方を見た上で判断し、最良の作戦を取っていかなければいけない。楓、これは厳しい闘いになるぞ」

隣の家は悠祐が住んでいる家よりも小さく、その中で八人もの家臣が生活している。

悠祐の家で異変があれば、直ぐに全員が駆けつけることになる。

一方、久音は江戸に来ている神保家の家臣が誰なのかを探る為、夕焼けが広がる時刻まで屋敷周辺を見ていた。

この時刻まで、神保家の者を五人を確認したが、その中には剣術に優れた者はおらず、久音もやや安堵していた。

『そろそろ屋敷から帰る者が出て来るはずだ……あっ!』

久音と剣術修業で共に競い、汗を流した人物が屋敷から出てきた。

『定松! お前が来ていたか』

定松もお香に恋していた人物で、源兵衛の死亡説が流れた直後から、お香に近づいていたようだ。

今回は悠祐の元で働いており、お香を諦めてなくてはいけない状況だろう。

「源兵衛どの……か?」

まだ定松とは距離があったが、大声で名前を呼んできた。

『やばい』無視をして、その場を立ち去ろうとした久音を、執拗に追いかけ「源兵衛どのではないか」と付いてきた。

久音はこのままでは収まらぬと判断し、振り返り「人違いです」と返した。

「しかしよく似ておるが……そうか人違いであったか、それは申し訳ない。お主、名を何と申す、浪人か?」

「私は赤羽久音と申します。武士を辞め、今は物作りをいたしております。では失礼します」

その場を去ったが、危ないところだった……

夜になり、蓮と楓は昼に侵入した二軒の家に再度潜入した。

奴らの就寝一時間前の潜入でしたが、式典の話しと屋敷完成後、悠祐が本格的な上司なることから、それに向けた話しが多かった。

そして就寝時間を迎えた……

蓮と楓が見たかったのは、全員が就寝する位置。

悠祐の成敗は、奴らの就寝後に押し込む予定であり、誰がどこで就寝しているのかが重要であった。

八人が寝泊まりする家では、八人全員が大広間に布団を敷き寝ていた。

悠祐の家では、悠祐ら三人が大広間で寝て、あとの二人が小さな部屋に寝ていた。

蓮と楓は欲しい情報を入手し、任務完了で家に戻った。


翌朝、三人は集めた情報から、打ち合わせをおこなった。

久音「全体像が見えたな、ありがとう。十三人の中には剣術に優れた者が、最低でも三人は居る、悠祐、玉乃輔、昨日会った定松悠祐と同じ部屋には玉乃輔、隣の家には定松。この襲撃、どのように攻め、どこまで始末していくのが良いのだろうか」

蓮「皆殺ししかありません。問題はどこからどのように攻めていくかです」

久音「蓮、楓と二人で八人が居る家を任せても大丈夫か? 剣術に優れている定松が居るが、交わしながら七人は確実に斬って欲しい。屋根裏からの奇襲攻撃で」

蓮、楓「わかりました」

蓮「久音どのは、どのような戦法を取られますか?」

久音「悠祐が住んでいる家を正面から行く」

楓「大丈夫でございますか? 危険ではないでしょうか」

久音「もう一軒の家を二人が殺ってくれるから大丈夫だ」

江戸までの道中、蓮と楓の働きは見事であり、久音の気持ちに一点の曇り無く、二人に命を預ける覚悟であった。

それと同時に悠祐成敗は、神保家やお香との永遠の決別を意味していた。

あの夕焼け、哀願の空に誓った二つの約束、『悠祐の成敗』と『お香との再会』、お香に会うことは叶わないものとなりそうだ……

久音「明日の夜、悠祐成敗を決行する、今日はゆっくり休もう」

久音の予想からして、明日の天気は雨、襲撃をおこなう上で雨は格好の条件である。

雨音が襲撃の際の声や音を消してくれるから……



9.成敗


久音が予想した通り、当日は激しい雨となった。

夕焼けもなく、人々は家路を急ぎ、雨は町の音を消していた……襲撃は深夜に決行する。

久音らは成功の為、入念に準備をおこない、深夜になるのを待った。

久音「そろそろ行くか」

蓮、楓「はい、参りましょう」

悠祐らが眠る家へと向かった。

蓮と楓は、八人が眠る家の屋根裏に忍び込み、あらかじめ決めてあった配置につき呼吸を合わせた。

天井の板を開け、二人は部屋の中に降りて、最初に狙っていた者の胸に剣を突き刺した。

楓が手にした者が、刺された瞬間大声を上げた。

蓮『まずい』

声を上げた者は直ぐに息絶えたが、寝ていた者らが目を覚ました。

「何者だ」

起き上がり剣を取った。

蓮と楓は、まだ戦闘体勢になりきれていない者二人を素早く斬った。

そこに鋭い動きで刀を振ってくる者が居た。

蓮『こいつが定松か……剣の腕前は凄い』

楓に奴が定松であることを合図し、残る標的四人の内、三人の始末を楓に任せ、蓮は定松に掛かりきりとなった。

蓮は定松の剣を交わしながら、楓の手助けをして三人を斬り、残るは定松のみとなった。

久音は、蓮と楓の襲撃の音を確認したあと、悠祐が居る家の玄関を破り中へと入った。

悠祐「今の音はなんだ!」

久音は悠祐が寝ている部屋とは別の部屋に向い、激しく扉を開け、起き上がった二人を斬った。

その扉の音は隣の家にも届き、定松は悠祐らも襲われていることに気づきはじめた。

定松は、悠祐の家に向かおうとするものの、蓮と楓がそれを阻止、二人は定松の命を狙い続けた。

悠祐、吉右衛門、玉乃輔は、二人が眠っていた部屋に現れた。

悠祐「何者だ」

久音がゆっくり振り返った。

「源兵衛! お前、生きておったか」

「お前を成敗するため地獄から這い上がってきた。ひとつだけ言っておこう、俺の名前は赤羽久音だ」

「ふざけた野郎だ、神保家にこのようなことをしてどうなるか分かっておるのだろうな」

久音「死ね」

そう言って走り出し、先ずは剣術の無い吉右衛門を斬った。

「貴様!」

玉乃輔が刀を振ってきた。

「玉乃輔、久しぶりに剣を交わすか? これが最後の真剣勝負だ」

一方、蓮と楓は苦戦していた。

蓮『なかなか手強い相手だ、隙が全くない、剣の振りも鋭い……そうだ』

「楓、爪だ」

楓が投げる小さな剣を暗号で爪と呼んでいたが、蓮は楓に剣を投げるように指示した。

楓は三本同時に投げ、二本は刀で落とされたが、一本は定松の太腿に深く刺さった。

蓮は透かさず、定松に向け走り、腕を斬りつけた。

楓は更に剣を投げ、背中に三本命中させた。

最後は蓮が、胸に剣を刺しとどめをさした。

「隣の家に行くぞ」

悠祐が住む家では、久音が玉乃輔と剣を交えていた。

「玉乃輔、少しは腕を上げたか?

出世に目が眩み、卑怯なことばかり一生懸命だったのではないか?

そんなお前を斬ることは容易い」

「うるさい、死人が喋るな!

二度と喋れないようにしてやる」

「おう来い!」

玉乃輔が声を上げながら剣を振ってきた。

久音はそれを簡単に交わし、玉乃輔の目を睨んだ。

久音「ぬるま湯に浸かりすぎたか、玉乃輔」

そう言って剣を構え、玉乃輔に向かった。

玉乃輔の剣を交わし、下の方から太刀を振り、玉乃輔の左足を切り落とし、前のめりなった玉乃輔の身体を深く斬った。

残るは悠祐ただ一人となった。

悠祐「悪かった……俺が悪かった。今日のこのことは、山賊に襲われたことにして、源兵衛のことは何も話さない……だから命だけは助けてくれ」

久音「命ごいか。俺は全てを失った。そう、それは全てお前に奪われた。俺は一度死んだ。お前も一度死んでこい。そして……お前は二度と起き上がるな」

そう言って太刀を握り直した。

久音「早く剣を取れ、悠祐」

悠祐は手を震わせながら剣を取った。

久音「来い!」

悠祐「うぉー」

久音に迷いやためらいはなく、一刀で悠祐を終わらせた。

久音「成敗」

久音の中で一つ、区切りがついた。

久音「蓮、楓、ありがとう」

蓮「明日は綺麗な夕焼けが見られましょうぞ」


翌日は朝から騒がしくなった。

完成間近に迫った神保家の屋敷に、重鎮が誰一人出勤しないことから、関係者が家に様子を見に行ったところ、十三人全員が殺されていた。

夕方、空は澄んだ綺麗な夕焼けが広がった。

久音は、真っ赤な空が黒くなるまで、空をじっと眺めていた。

『哀眼の空は消えぬ……』


神保家の皆殺し事件の真相は解らぬまま、それから三日の時が経ち、ようやく越中の神保家に訃報が届いた。

完成式に合わせて出発する予定であった当主は、思わぬ訃報で即日、江戸に向かった。

悠祐成敗成功の情報は、上野豊岡藩に届いていたが、丁度同じ頃、将軍家の使者が上野豊岡藩を訪問してきていた。

使者「将軍、家康公からの書状でございます」

書状には、『上野豊岡藩 禰津信政殿、江戸の治安を守るため隠密で警備をお願いしたい。徳川に反旗を翻す者を見つけ出し、始末して欲しい。それには独自の権限を与えるものとする』

信政「はやて、おおりん居るか」

颯、お凛「はい」

信政「二人には江戸に行ってもらう。久音ら三人と合流して、わしが今から書く書状を渡して欲しい。その後は、久音の指示に従うように」

二人は、信政が書いた書状を預り、即日江戸に向かい、二日後に久音らと合流、久音に信政からの書状を渡した。

久音は書状に目を通した。

久音「みんな聞いてくれ、ここに居る五人は、これから江戸で仕事することになった。将軍家の隠密として、世直しをしていく。命を掛けた仕事になる」

「わかりました」

久音は恨みを果たし、これからはようやく上野豊岡藩の一員として働いていく。

それは隠密として……



おわり


著者:(ゼット)通勤時間作家

【その他の作品】

・昨日の夢

・前世の旅

・もったいぶる青春

・私が結婚させます!

・ニオイが判る男

・幽霊が相棒の刑事




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[良い点] 1話読ませて頂きました! 江戸時代を舞台に1人の侍の生き方を描くシナリオはとても興味深いです。 [一言] 道中で斬られたことに衝撃を受けました。 川に流されてどうなったのか気になります…
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