3
人形の部品を取り出し終えたノエミ。それを眺めていたマルコは、そろそろ処分に入るのだと思い立ち上がる。
「ノエミさん、こちらの人形はどう処分するのがご希望でしょうか」
「いえ、私が処分してほしいものは、これではありません」
ノエミは部屋奥の鉄扉の前まで移動すると、クルッと振りかえる。
フワリと広がったスカートが閉じると、どこか憂いを残したような雰囲気を醸し出し、言葉を吐き出す。
「――――この扉の向こうに、私の黒歴史が待っています。この先でお話ししたいと思いますが、できれば話を終えた後も、普通に接していただきたいな、と」
「ええ、わかりました」
思わせぶりな言い回しだが、きっと彼女なりに話しておきたいことなのだろうと考える。
マルコは邪推されないよう簡潔に答えると、ノエミは真剣な面持ちで振りかえった。
「それでは、行きましょう」
重みのある扉がゆっくりと開く。
中は暗く、部屋に施した魔術の光源では光が足りずに様子を伺うことはできない。
マルコは再び手のひらに光を集める術を放つと、部屋の中が淡い光で満たされた。
手前の部屋に比べると随分と小さいが、ここには様々な荷物や家具が置かれている。
前方の壁には木の飾り棚が何段にも打ち付けられ、中央には人が寝られるような大きさの机がある。
その上には大小様々な箱が整理されて積み上げられていた。
部屋の右側には椅子や衣装箪笥に本棚そして木箱と、この狭小空間を圧迫するように家具や物入れが置かれていた――どうやら、ここは工房のようだ。
「ここでノエミさんは人形を作っていたんですか?」
工房の中へと足を踏み入れ、マルコは問いかける。
「はい。私はこの場所で、食事や睡眠も惜しんで人形を作っている時期がありました」
「凄いですね。俺はそこまで何かに打ちこめたことがないので、尊敬します」
「尊敬だなんて、恐縮です――――私は今まで、三体の人形を作りました。ひとつは先ほどの小説の主人公を元にした、生まれて初めて作った人形です。初めてのことで、何も知らないところから手探りでしたが、様々な人に助けてもらいながら作りました。時間はかかりましたが、毎日発見があり、何もかもが新鮮で。それに完成しても満足せず、一生終わらないんじゃないかとすら思う程に改良と修正を何度も何度も加えました。でも、楽しい毎日でした……その後の事件が無ければ、その日々も大切に思えたのでしょうけど」
マルコはあえて何も言わず、彼女の話を静かに聞くことだけを意識する。
が、意外にもノエミは続きを語らず、ゆっくりと歩き出すと、大きくて頑丈そうな木箱の目の前に立った。
「すみません。蓋の箱を開けたいので、手伝ってください」
そう言われたマルコは彼女の反対側へと立ち、タイミングを合わせて木の蓋を開く。
その中に入っていたものに一瞬驚き、蓋から手が外れそうになるも、何とかこらえた。
「これも人形……?」
ノエミはただ黙って頷いた。
その木箱の中には、簡素な服に身を包み目を閉じて横たわる、中年女性の容姿をした人形が入っていた。
まるで棺の中で眠りに就いたまま、時間だけが止まったかのように。
「すみませんマルコさん。この人形をそこの椅子に座らせてあげていただけませんか」
「ああ、はい。わかりました」
協力して木箱から人形を出し、マルコがそれを背負って椅子の元まで運び込んで座らせた。
「こっちにも人形が入っているので、それもお願いします」
もうひとつの木箱には、同じく目を閉じて横たわっている中年男性の容姿をした人形が入っていた。
この人形もノエミに言われ、女性の人形の隣に座らせる。
人形たちは力なく椅子にもたれかかりながらも、互いに寄り添うように座っている。
マルコとノエミは木箱を動かして蓋を閉め、そこに腰を下ろす。人形たちと向かい合うようにして。
「……このふたつの人形は、両親を模して作ったものです」
そう呟くような声で言うノエミにマルコは驚き、表情が引き締まる。
マルコは彼女の様子を伺うと、真剣な面持ちで人形を見据えていた。
「……私たちは普通の、どこにでもいるような幸せな3人家族でした。でも5年前――旅行に向かった両親の乗った船は、海の藻屑となって消えました。最後に見た姿は、お洒落な服装をしてたくさんの荷物を抱え、私に手を振って家を出る姿でした。あの時、私はそれが今生の別れだなんて夢にも思わず、心ここにあらずで見送って、次に作る人形の構想を練るために一目散にこの地下へと向かったのを覚えています。そして、次の日の夜に叔母から船が沈没したことを知らされました。私は毎日毎日港へ出向いて、捜索隊が両親を見つけてくれるのを祈っていました。ですが、ひと月もすると捜索は打ち切られ、亡骸も見つからないまま私の両親は死亡として扱われました」
「…………」
悲しみに満ち溢れた当時を回顧しながら、ノエミは語る。
「それ以来、私はこの地下に引きこもって毎日を過ごしていました。日々悲しみに暮れ、打ちひしがれ、塞ぎこんでばかりで。それに、家には誰もいないと分かっているのに、階段を上がった時、居間に入った時、窓を開けたとき――ふと生前の両親の姿が一瞬浮かんでは消えて、そのたびに涙を流していました。辛い日々から逃げ出すために、この家を処分しようとも考えました。ですが、私は両親が遺してくれたものを手放す覚悟ができませんでした。家すらも手放したら、両親と過ごした日々まで失ってしまいそうで」
静かに、淡々と、ノエミは語る。
「どうしたらこの悲しみを忘れられるのか。いろいろ考えた末、私は、両親を模した人形を作る考えに至りました。あの時の私は、現実を受け入れるには未熟で、失ってしまったものをどうにか取り戻せないか――そんな妄執がことあるごとに頭をよぎっていました。けれども何かに縋りたくて、縋らなければ心が壊れてしまいそうで…………その結果がどうなるか想像できずに昏い道を進み続けて。二年間、その為だけに日々を過ごしていました」
失って初めて分かる、かけがえのないもの。その物悲しさにひとり共感を覚えるマルコ。
そして、彼女の語りはまだ続く。
「毎日毎日、一心不乱に手を動かし、時々悲しみで手が止まりそうになるのを耐え、そうして作り上げたふたつの人形の素体。そして次に命令術式を書く段階になったのですが、術式は書けませんでした。両親に偽りの命を吹き込むことが、怖くなってしまって――」
息を止め、言葉を溜め、ゆっくり慎重に続きを吐き出す。
「――私はそこで心が折れました。逃げ出すように家を出て、当てどなく彷徨うように歩き続けました。気がつくと、両親が乗った船のある港町に居ました。既に陽は落ちていて、海はとても真っ暗で、月がやけに明るく綺麗で。そして、私は船が停泊する港に向かいました。ありえないと分かっているのに、両親が船から戻ってくるんじゃないか。そう思って、ずっと海を見つめて…………」
一瞬、彼女の声がわずかに震えた。
「…………でも、朝まで待ったけど…………やっぱり帰ってくる訳がなくて……わかってるのに期待して…………馬鹿みたいで…………悲しくて……絶望して…………でも一緒に居たいと……願って……私は…………海へ…………」
ノエミは声を詰まらせ、その小さな手でマルコの視界から顔を隠し、ひとりうなだれる。
身体を小さく震わせ、抑えきれない嗚咽がわずかに漏れ、涙のしずくが零れ落ちてスカートに染み跡が付く。
マルコはハンカチを取り出して彼女に差し出した。
「これ、どうぞ」
「ごめんなさい…………もう5年も前のことなのに、まだ私は……」
「――無理をしなくていいんです。我慢しなくていいんです。少なくとも、今は泣くことを誰にも咎められることはありません」
マルコは優しく穏やかにそう言葉を掛けると、ノエミは身体を縮ませ、心の中に貯めこんでいた想いを解き放つように慟哭した。
それだけで、彼女の両親への想いがどれほどのものかが理解できる。そう考えながら、マルコは静かに彼女を見守っていた。
「…………すみません。もう大丈夫です。もう少し、聞いてほしい話があるので、話を続けさせてください」
声を静め、ハンカチで涙を拭き、顔を上げたノエミの鼻や瞳はそれでも真っ赤に腫れていた。
「わかりました。無理せず、自分のペースで話してください」
彼女は話を続けた。
「私は、知らない部屋の天井で目覚めました。その時、知らない顔の元気そうな子供たちと、顔の知らない優しそうなシスターが、安堵の表情で覗きこんでいるのが見えました。シスターは朝一の定期船を待つために港に居たそうで、私が海に落ちたのを見かけて助けてくれて、孤児院に運んでくれたのです。孤児院の皆は私のことを心配してくれて、子供たちは私を笑わせようと変な顔をしたり、元気に歌をうたってくれました。シスターは何も聞かずに元気になるまで居ていい、そう言ってくれて…………私はその時気づいたんです。私が苦しんでいたのは、両親を失った悲しみだけではなく、誰にも想いを告げられなかった孤独だったということに」
差し伸べられた沢山の優しい手と、大切なことに気付いたひとつの心。どれほど美しいことだろうか。
マルコはそう思いながら、彼女の言葉に優しく微笑んだ。
「その時、私も誰かに手を差し伸べられるようになりたい。そう決意してシスターを目指して、ようやく夢が叶ったんです。だから、私はこれまでの自分と決別するために、この人形たちを処分することを決めて、マルコさんに依頼しました。今の私に、自分を慰めるための人形はもう必要ないですから」
腫らした瞳で、これ以上ない程に誇らしく笑った。
マルコは何も言わず、瞳を合わせてたったひとつ、頷いた。