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ふたりは屋敷の奥にある地下室の入口へとたどり着いた。
その道中に聞いた話だが、この屋敷は元々聖教会の施設が立つ予定だったと言う。
だが、途中で町の中央付近に建てることが決まったようで、彼女の両親が残された土地を買い取って自宅用に改修したそうだ。
地下は聖堂にもできるほどの広さがあり、外部の術から護られるよう、聖なる力を持つ素材で作られているらしい。
「この先に魔導人形が居ます。一定の距離を保ち、攻撃を加えない限りは反応せず襲ってくることもありません。ですがいずれかの条件を破ると、敵と認識して襲ってきます……本当なら敵対認識を外すお守りを作っておいたのですが、以前野盗に奪われてしまって…………」
「なるほど……暗くて見えないから、ひとまずは明るくしてみます」
ノエミが扉のカギを開け、マルコが入る前に扉の隙間から覗いて中を確認する。
とても暗くて静かだが、空気中に漂うマナが肌にひりつき、流れが不安定であることがわかる。
マルコは手を口元に寄せて小さい声で呪文を唱えると、手のひらに仄かな光の粒子が集まる。それを隙間から差し出して息を吹きかけると、粒子は宙を舞って拡散し、部屋はほんのりと明るくなる。
「これくらいの明るさなら大丈夫そうだな」
マルコは改めて部屋の中を覗き込む。
部屋は思ったより広い石造りの大部屋で、物が置かれている様子は無い。
部屋奥にある扉の前で立ちふさがる人形の様子が目に入った瞬間、マルコは腹の底から驚嘆にも似た変な声を出す。そして慌てて扉を閉めてしまった。
その声に背を屈めて部屋の中を覗こうとしていたノエミはビクッと驚いて、何事かと見上げる。
「どうしました……?」
様子を伺うように声を掛けたが、マルコは彼女の言葉に応じない。
自身の口元を塞いで呆然とした表情で虚空を見つめている。
反応が無かったのでもう一度声を掛けようとしたところ、ハッと我に返ったマルコは、か細い声をひねり出す。
「あの魔導人形の姿、小説の…………」
「そうなんです! 『幻想夜の国の眠らない冒険者』という本の主人公である伝説の冒険者、ウィンストンをモデルに制作しました。良くご存知でしたね。もしかして、マルコさんも愛読していらっしゃいました!?」
急に眼の色を変え、ノエミはマルコの顔を覗きこむようにグイグイと迫る。
「あ、いえ……えっと、存在は知っていますが内容までは…………」
マルコはその圧に思わずたじろぎ、一歩後ずさりする。
「そうですか……」
少し残念そうにするノエミ。
マルコはリアクションに困って頬を掻いた。
改めて扉の隙間から覗いて、人形の様子を確認する。
長い襟を持つ漆黒の外套に身を包み、細く長い両腕にはそれぞれ左に鎖を、右に包帯を巻きつけている。真紅の羽根が付いた黒緑色の三角帽子からは、わずかに漆黒の髪が姿を覗かせる。そして鉄の仮面を被って正体を隠すその姿は、どこからどう見てもウィンストンだ。
まるで物語の世界から飛び出してきたかのように。
「もしかして、動きもそっくりに作っているのですか?」
「はい、マルコさんは詳しく存じ上げないようですので、説明させていただきます。まず、主人公のウィンストンの特徴として、右腕の包帯を外すと炎の魔術を、左手の鎖を外すと氷の魔術を使えるようになるんです。それと、半妖化もするんです」
「半妖化!? 人形がですか!?」
「ええ、物語の途中、ヒロインを護って命を落としてしまうのですよ。でも、主人公に封じられていた妖獣の力が発現して蘇り、半妖化するという場面があって。私はこのシリーズの中で最もドキドキした場面でしたので、この魔導人形も半妖化できるように頑張りました。まぁ、あくまで見た目と振る舞いだけですけどね」
「俺のような凡人には到底理解できないレベルですね……」
「当時は本当に主人公が大好きだと言う一心だけで、その想いを偶々形に出来ただけです。毎日毎日、夜遅くまで素体の部品を作っては組み立てたり、命令術式の記述や動作の調整を行ったりと、この頃の思い出は人形のことばかりですよ。若気の至り、とも言いますけどね」
マルコは弾むように語る彼女の言葉に、戸惑いながらも精一杯に笑みを浮かべていた。
これほどの才能があるのなら、世界に影響を与えることができるのではないかと想像する。
そしてそんな才能が有りながらも、今は人形遣いをやっているようには見えず、不思議で仕方なかった。
黒歴史とやらは、それ程のことなのだろうか、と。
「それではマルコさん。準備は良いですか? 私はいつでも大丈夫です――そうだ、できれば魔導人形をあまり傷つけないようにしていただけるとありがたいです。動力に使われている魔晶石は高価ですので、状態が良ければマルコさんへの報酬もはずめます」
「なるほど、応相談というのはそう言う事でしたか。希望に沿えるように手を尽くします。では、俺が入って魔導人形を引き付けるので、ノエミさんは部屋に入ってすぐ隅に移動してください。そして術を反射させる防御陣を敷いてから術式の発動をお願いします」
ノエミは「はい」と呟いて頷くと、鞄から小さな本を取り出した。
どうやら術式の詠唱に必要な呪文書のようだ。
そして目配せで合図をする彼女に対してマルコは無言で頷くと、懐から取り出した黒い手袋を嵌め、扉を開けて部屋に入って人形と対峙した。
すると、像のように固まっていた人形が動き出し、両腕に巻かれた鎖と包帯を取り外すと、構えを取る。
「はは、凄いや……良く出来ているなぁ」
マルコはその動作に、思わず苦笑いする。
人形は左足を一歩踏み出し、右手を隠すように身体を半身にして相手に向け、左手は口元への視線を遮るように手の甲をこちらに見せて構える姿。
それは炎の術が得意で氷の術が苦手な主人公が、自分なりに考えた末の構えである。
マルコも臨戦態勢を取るべく、右足を一歩引いた。
お互い相対したまま、様子を伺い動きが止まる。
「できれば、このまま時間が稼げれば良いのだけど」
マルコの呟きに反応したかは定かではないが、人形はマルコに襲い掛かる。正面から突っ込むと同時に左手を掲げ、氷の剣を作り出して振り下ろす。マルコはそれを右手から繰り出した炎弾ではじき返す。根元から折れた剣を投げ捨てた人形は、左側に回り込むと同時に右手の平から火球を作りそれを投げつける。
「喰らうかっ!」
即座にマルコは左手を火球に向けて突き出し、氷の壁を作り出す。
しかし接触した火球は爆発して氷壁を破壊し、破片が額を直撃する。
「ぐっ……!」
のけ反るマルコ。
とっさの反応で衝撃は抑えることができたが、鋭い痛みと共に皮膚から赤くぬるい血が眉間を通ってしたたり落ちる。
だが、マルコは気にも留めず相手を睨みつける。そして反撃すべく左手の指先から氷の弾丸を発射。
人形は半身で難なくかわすも、同時にマルコは炎で剣を作り出して斬りかかる。
人形も対抗して氷の剣を再び作り出して、斬り合わせる。
『!!!』
剣が互いに衝突した瞬間、打ち消しあうように互いの剣が消えると同時に、人形はのけ反った。
マルコの放った氷弾がノエミの展開した防御陣によって跳ね返り、人形の背中を直撃する。
「おおおおお!!!!」
人形が体勢を崩して膝をついた瞬間、それを見逃すまいとマルコは左手に右手を重ねて力をこめ、氷の半球を作り出して人形を閉じ込める。
「このまま、このままノエミさんが術を発動するまでおとなしくしてくれ!」
『オオオオオアアアァァッ!!!』
人形を覆う氷の中から人ならざるものの叫び声が聞こえると、ふたつの赤く美しい輝きが氷蓋に映りこむ。
人形は、炎の術で中から氷を溶かそうとしているようだ。
マルコは必死に術を重ねて破られまいと抵抗するも、輝きはより強く鮮やかになってゆく。
さすがに持たないと判断したマルコはその場を離れると、氷が熱に負けて消滅し、水蒸気が拡散する。
周囲が水蒸気に覆われて互いの様子が見えぬ中、先手を取るべく床に左手を当てて術を放つと、扇状に氷が這い、床を覆いつくす。
視界が開けると、そこには獣のように四足で構える人形がいた。
「本当に半妖化するのか……」
両手を塞がれて狼狽する人形を半信半疑で見つめるマルコ。
その時、背後からノエミの声が響き渡る。
「お待たせしました! 離れてくださいッ!!」
マルコはその場を離れながら声の方向を一瞬振りかえる。
そこには防御陣の前に立ったノエミが人差し指を人形に向け、一閃の光を射出する姿が目に映った。
閃光を受けた人形は力が抜けたように、動きを止める。
「…………どうやら、もう大丈夫そうですね」
数秒ほど様子を見て、目的の達成を確信したマルコは、凍りついた床に右手で触れて術を放つ。
氷は溶け、人形は支えを失ってドサリと倒れ込んだ。
人形に近づいて様子を見ようとした瞬間、後ろから服の袖を引っ張られて思わず振り向く。
「マルコさんマルコさん」
「ん?」
「まずは額の傷を手当てしないとです」
言われて怪我をしていたことを思いだしたマルコ。手を煩わせるほどではないと断ろうとする。
が、そんな間もなくノエミは身体を寄せると、腕を伸ばして額に手を当て術での治療を施す。
ふと目が合うと、彼女はニコッと天使のような笑みを浮かべた。
至近距離で向けられたその表情に、マルコは心の中の平静さを揺さぶられたような感じがして、思わず目を逸らした。そのまま治療が終わるまで。
「はいっ、もうこれで大丈夫です」
ノエミが治療を終えると、マルコは心を落ち着けてありがとうございますと謝辞を述べた。
そして動かなくなった人形の様子を確認する為、近づいて腰を落とす。
改めてよく見てみると、人形の出来の良さにマルコは驚く。生身の人間とは違うものの、まるで神に命を吹き込まれたかのような、おとぎ話の生命の存在がそこに有る。
「――魔導人形のことはあまり詳しくないですが、恐らくノエミさんのご期待に添えられたかな、と思います」
そう告げるマルコの隣でノエミは足を揃えてしゃがみこむと、人形の両腕や首元、背中を調べる。マルコは人形の様子を改めてまじまじと見つめ、その出来に関心していた。
「マルコさん完璧です! ほとんど傷なく残っていますよ。よかった……!」
ノエミはそれぞれの部位に埋め込まれた魔晶石を回収しながら、満足そうに声を弾ませる。
依頼主の喜ぶ姿は、いつ見ても嬉しい――マルコは心の中で、安堵と喜びを静かに噛み締めていた。
「魔晶石を売ったお金で、知人が運営する孤児院の費用に充てたいと思っていたのです。本当に助かりました。これなら、マルコさんへの報酬も弾めると思います。そうですね、銀貨九枚で如何でしょうか」
「――それであれば、俺への報酬は必要経費のみで、色付け分は孤児院に寄付させてください」
「はい。えっと、それじゃ――え?」
あまりに唐突で予想していない提案に、一瞬何を言っているかノエミは理解できなかった。
「それは良くないですよ! マルコさんは報酬を受け取るべきです!」
そう告げられたが、マルコはそれを固辞して、移動費と薬代のみ、合計銀貨三枚が経費であると伝えた。
ノエミは戸惑いながらも、しぶしぶそれを受け入れた。
自分も親の居ない子供の気持ちはわかるから、どうかその境遇から少しでも幸せに近づけるように、と。
言葉にはせず、心で祈りながら。