第6話 温泉の街
ジョボンの街というのはけっこう栄えている。
アンキモ伯爵領ではザブールの次くらいに。
隆盛の理由は温泉だ。
「なかなか良いお湯があるらしいよー!」
デイジーさんノリノリである。
むしろガルは心配しかない。まさか男湯に入ってこないだろうな、と。
入るけどね。
むしろデイジーが女湯に行ったら、そっちのほうが大問題だけどね。
生物学上の男だから! デイジーは!
「美人の湯っていわれてるんだってさ!」
それがどうした。
と、フレイは思った。
男が美人になってどうするというのか。
「デイジーはこれ以上美しくなる必要などなかろう」
歯の浮くようなお世辞を飛ばすガル。
そうじゃねえよ。
まったくそういうことじゃねえよ。
男が美しくなってどうすんだよ。
フレイがジト目で見つめるが、傷だらけのガルの肉体に傷を増やすことはできなかった。
「切り傷とかにもいいらしいよ! ガルの怪我とかも治るといいねっ!」
お世辞はさらっと流してにぱっと笑うデイジー。
あざとい。
まあマリューシャー教の司祭として、お世辞なんか聞き慣れているからね。
基本的に宗教家って、どんな言葉も自分に都合良く解釈するし。
「いやデイジー。この傷は某の誇りであるから」
「知ってるよー? でも、友達が傷だらけで嬉しい人なんかいないんだよ?」
むう、と少し悲しそうな顔で見上げる。
「うぐ……」
この目だ。
これで見つめられたら、ザブールの男どもなんてイチコロである。
「一緒に入ろ? 背中ながしてあげるよっ」
「あ、いや、だが、しかし……」
男湯に入れるのは心配だ、とか思ってたくせに、ガルの鼻の下はべろーんと伸びちゃってる。
だめだめである。
処置無しである。
「せっかくだから少し良い宿をとる? ちょっと疲れを癒した方が良いかもだし」
バカたちのやりとりを眺めやりながら、ミアが提案した。
「その方がいいかもな」
フレイも頷く。
視線を転じれば、とぼとぼと歩くエクレアが目に入った。
あきらかに疲れ切っている。
ザブールからジョボンまで、普通のペースで歩けば二日ほどだ。しかし、その普通がエクレアには無理だった。
出発から、すでに五日が経過している。
その間、野営は三回だ。
宿場から宿場を一日で踏破できないのである。
これは厳しい。
野営では体力の回復ははかれず、疲労はどんどん蓄積してしまう。
つまり、さらに歩くペースが落ちるのだ。
「数日は逗留して疲れを取って、馬車を調達する算段をつけるか」
「仕方ないかも」
ジョボンの温泉で疲れを癒したとしても、それでエクレアの体力そのものが底上げされるわけではない。
移動速度が変わらないのだから、またすぐに疲れ切ってしまうだろう。
だから荷馬車でも良いから購入しようというのがフレイのアイデアだ。
もちろんそれは、けっして安い買い物ではないし、小回りがきかなくなるという欠点もある。
いざとなったら森に逃げ込んで暗殺者をまく、という手もつかえなくなる。
だが結局、エクレアがいるかぎり移動速度は上がらないし、彼女を連れて森越えなど無理だという事実も動かない。
であれば、馬車があってもなくてもたいしてたいして変わらないのだ。
むしろ速度は上がる。
一頭立ての馬車は人間の歩行速度と変わらないが、なにしろエクレアちゃんは普通の人の半分くらいなんだもん。
「ぶっちゃけ、そんなスピードで歩くのは疲れるし」
やれやれとミアが肩をすくめる。
ゆっくり歩くというのも、存外に大変なのだ。
「…………」
エクレアはちらりとミアを見ただけ。
反論すらしない。
もうそんな余裕もない、というところか。
こいつは深刻だな、と、フレイはため息を吐いた。
湯舟に満たされたお湯がゆらゆらと揺れる。
檸檬色の月が、まるで浮かぶように映っている。
「ふう……」
自然に吐息が漏れる。
露天風呂、というらしい。
東方の文化で、ものすごい開放感だ。
囲いがあるとはいえ、屋外で全裸になってお湯に浸かるとか。
「気持ちいい……」
ここ数日の疲れが温泉に溶けてゆくようだ。
このまま眠ってしまいたいが、さすがにそういうわけにはいかない。
だって寝ちゃったら、一緒に入ってるミアは、とくに躊躇いもなく男性陣を呼んで運ばせるだろうからね!
自分はしっかり服を着たうえでね!
「ん? なに?」
視線を感じたのか、エルフ娘がエクレアに視線を向けた。
「ううん? なんでもないよ」
にへら、と表情がゆるむ。
背も低くスレンダーで、子供にしか見えないミアだが、脱いだらちゃんと女の身体をしている。
出るところはそれなりに出ているし、引っ込むところはちゃんと引っ込んでる。
そしてそれ以上に、白い肌のきれいなことといったら!
それこそ東方の絹みたいにすべすべで、つやつやで。
やばいっすよ。
「私、女で良かったなぁ。だってミアと一緒にお風呂に入れるし」
とは、エクレアの内心の声である。
ずっと男として生きてきたから、恋愛対象としてはやっぱり女の子の方が良い。
その意味では、フレイチームは非常に素晴らしかった。
ミアにデイジーですよ。
個性は違うけど、どっちもとびっきりの美少女で、しかも片方はエルフ。
これで、ときめくなっていう方がどうかしている。
「ミアって、すごく肌きれいだよね」
などと言いながら、近づいたりして。
「てしくそうこ。ウンディーネ」
「あれ?」
進まない。
なんかお湯が急に重くなった感じで、全然まえに進まなくなった。
「わたしよりエクレアの方がきれいよ。さすが王族ってところね」
にやりと笑うミア。
「あれれれ?」
湯舟の中で、両手両足を伸ばされる。
意志によらず。
無理矢理って感じはしないけど、やわらかく拘束されてるような気分だった。
「疲れてるのよ。エクレア。ゆっくりくつろいで」
「そうなのかな?」
「わたしはもうあがるけどね」
ざぶんと、エルフ娘が出て行ってしまう。
小振りなお尻が眩しい。
「あああ……いかないで……」
もみたい。
撫でたい。
「れえかはずれ」
エルフ語で声をかけられた。
もちろんなにを言われたのかは判らない。
エクレアが自由を取り戻したのは、ミアの姿が完全に見えなくなってからである。
逃げられちゃった。
しょんぼりである。
だがまだだ。
心の刃は折れていない。
まだ終わらぬよ。
フレイチームにはもうひとり美少女がいるのだ。
「くくく……。はやくこいデイジー……」
邪悪な笑みを浮かべる王女様であった。
フレイチームは大枚をはたいてコテージを借りた。
庭に露天風呂がある立派なやつである。
もちろん経費は、あとからアンキモ伯爵に請求だ。あの人は、カルパチョが頼んだら絶対に嫌とは言わないからね。
「あれ? ミアひとりか?」
「ん。エクレアは疲れてるんじゃないかな? まだどっぷり浸かってるよ」
お風呂から戻ったミアに、フレイが笑いかけた。
茶色い髪はアップにまとめられており、ものすごく色っぽい。
「なによ。じろじろみて」
「あ、いや。ごめん」
照れて目をそらす。
ここで踏み込めないのがフレイなのである。
「れたへ」
呆れたようにミアが言った。
「明日さ。馬車の調達にいくから付き合ってくれるか?」
「いいわよ」
話題を変えるリーダーに合わせておく。
ほんとね。その付き合うじゃねーだろうがって感じだよ。
「いま戻った」
「食料仕入れてきたよー」
微妙な空気になりかかったとき、ガルとデイジーが戻ってくる。
コテージのため食事はついていない。
自炊しなくてはいけないのだ。
もちろん金を積んで頼めば食事くらい運んでくれるだろうが、そこまでする必要性も感じなかったのである。
毒とか入っている可能性もあるしね。
このあたり、フレイチームはけっして甘くはない。
コテージタイプを借りたのだって、べつに露天風呂とやらを楽しみたかったからではなく、全員が一緒にいるためだ。
「飯の支度でもするか」
「あ、手伝うよ」
ガルから食材を受け取り、厨房へと消えてゆくフレイとミア。
「じゃボクたちはお風呂すませちゃおうか」
「う、うむ。そうであるな」
鼻歌まじりのデイジーと、なぜかどぎまぎしているガルであった。
浴室で悲劇が待っているとも知らずに。