第5話 策士ミア
ぱちぱちと薪がはぜ割れる。
見上げる空には、たおやかな夜の姫と付き従う無数の眷属たち。
「……フレイ。起きてる?」
「寝ろ」
ぽつりと呟いたエクレアに、そっけない声が返ってきた。
火の番をしているフレイの声は、マントにくるまって横になっているエクレアのそれより、やや高い位置から聞こえる。
「……寝付けなくて」
当たり前だ。
寝台もない野外で地面に寝っ転がって、安眠快適ってほど神経の太い人間はそうそう滅多にいないだろう。
「目を閉じてじっとしていろ。それで少しは疲れが取れる」
フレイの言葉に含まれる苦笑の気配。
べつにエクレアが特別というわけではない。
誰でもそうなのだ。
ミアだってデイジーだって、歴戦の戦士であるガルだって、おとなしくしてはいるものの熟睡しているわけではないのである。
身体を横たえて、体力の消耗を防いでいるだけ。
うとうとすることはあっても、完全に眠りに落ちることはない。
怖いから。
夜の平原は、人間の領域ではないのだ。
焚き火の中に獣除けと虫除けの香を入れてはいるものの、いつ何時、なにが襲いかかってきてもおかしくない。
だからこそ、優れた冒険者になればなるほど野営はしたがらなくなる。
宿場から宿場へと移動し、多少高くついても旅篭に泊まるのだ。
「……あなたは不思議な人ね。頼りないのか頼り甲斐があるのかよく判らない」
「喋ってると、いつまでも眠れないぞ」
「気が高ぶってるのよ。きっと」
おそらくは、生まれてはじめての実戦に。
護衛の冒険者たちの、あまりにも見事な手並みに。
異能偉才を束ねるフレイのリーダーシップに。
「……まさか私が男にすぴー……」
「おとこにすぴー?」
きょとんとする。
が、すぐに気付いた。寝てしまったらしい。
えらく唐突な寝落ちには、もちろん理由がある。
「ミアか」
「いつまでもうだうだ喋られたらめーわくだからね。眠りの精霊にちょっとね」
エクレアの隣あたりから声が聞こえた。
やや怒ったような。
「ナイス判断。すまねえな」
「いいってことよ」
「ミアも寝てくれ。あと二刻ほどしたら起こすから」
焚き火の近くに置いた砂時計に、ちらりと視線を走らせる。
フレイの持ち分は、まだまだたっぷり残っていた。
まったく、野営の夜はやたらと時間の流れがゆっくりである。
「そーする。おやすみ。フレイ」
「おやすみ。ミア」
ごく短い会話の後、フレイはふたたび視線を森に向けた。
襲撃があるとすれば、街道側からのはずがないから。
意識を集中させてゆく。
だから彼は、ぼそりと呟いたミアの言葉には気付かなかった。
「ことっかつもうほまのくゃきうぼ。いなもきすもんだゆ。くたっま」
と。
もちろん、気付いたとしても理解はできなかっただろう。
エルフ語だったので。
「ごめんなさい! まったく申し訳ない!」
エクレアちゃんがひたすら謝っている。
翌朝のことである。
彼女は自分の見張り順番のとき、起きられなかったのだ。
自分からやると言ったくせに、一番らくな夜明け前だったのに。
ちなみに、一番きついのは深夜帯である。
一眠りしたあとに起きて見張りをし、そしてまた一眠りする、というスケジュールになってしまうから。
夜明け前は、たんに少し早起きするだけなので、べつにしんどくもなんともない。
むしろそのくらいの時間になると、仲間もほとんど起きていたりする。
街にいるときとは違うので、緊張の糸を切ってしまうような者もいないのだ。何日も野営が続いているならともかく。
「仕方ないよ仕方ないよ。王子様は野営なんかしたことないだろーしねっ」
気にしないで、と、デイジーが笑う。
なぜかくすくす笑いながら。
ガルも大きく頷いた。
やっぱり笑いながら。
「初めての野営で大いびきとは、某だってそこまで剛胆ではなかった。エクレアは大物になるだろうな」
もちろん、こいつらは事情を知っている。
「うう……ごめんなさい……」
知らないのは、真っ赤になっているエクレアちゃんのみだ。
「しかも寝る前に何を話していたかすら思い出せないし……」
不思議である。
そこまでリラックスできていたはずはないのだが。
「エクレア。あなた疲れているのよ」
ぽむぽむと肩を叩いてくれるのはミアだ。
無駄に爽やかな笑顔で。
まさに確信犯である。
「正直にいえば、エクレアの見張りは期待していなかったからな。気にする必要はないさ」
朝食を用意しながら、フレイも笑う。
ひどい言い草だが、こればかりは仕方がない。
王子様だろうと王女様だろうと、実戦経験もないようなやつを戦力として数えるほど、冒険者は甘くも温くもないのである。
役に立ちたい、という意を汲んで、カタチだけ役割を振ったにすぎない。
夜明け前の見張りは、最初からフレイがやるつもりだった。
しかも魔法で眠っちゃってるし。
絶対に起きないだろうから、朝食の仕込みをしながらやればちょうど良いかな、くらいのつもりで。
そして、そう考えていたのは彼だけではなかったようで、デイジーがエクレアを揺すって起きなかったとき、すぐにミアもガルもむくりと起きだした。
で、そのままデイジーも寝なかったため、四人全員で朝食の支度をしながら見張りをすることになった。
猪肉を煮込んだ良い匂いにつられてエクレアが目を醒ましたときには、すっかり日は昇っていたという次第である。
フレイチームの構成員たちの為人を示すような出来事ではあったが、エクレアとしては幾重にも面目を失してしまったため、真っ赤になって小さくなるしかない。
「あぅぅぅ……」
「そんなことより飯にしようぜ。四人で作ったせいで、やたらと豪勢になってしまった」
猪肉と根菜類のワイン煮込み、焼きたてパン、鹿肉のロースト、新鮮野菜の蒸し焼き。
どこのレストランだ、っていうメニューである。
さすがに驚いて目を丸くするエクレアだった。
「保存食とか、そういうのかと思った」
「保存食さ。ちょっと気合いを入れて手を加えただけだな」
「いやいや! この野菜とか!」
あきらかにとれたてっぽいものまで混じってるから。
どうなっているのか、さっぱりである。
「わたしはエルフだからね。植物の精霊にいって提供してもらったのよ」
「エルフ便利すぎか!?」
種明かしをしてくれるミアに、思わずつっこんじゃう。
「まあ、一回限りのことだしね。ちゃんと条件もあるし」
「条件?」
「肥料をあげるって」
言って、森を指さすミア。
首をかしげるエクレアだったが、徐々にその顔に理解が広がってゆく。
目を白黒、顔色を赤青って風情だ。
肥料というのは……。
「ちゃんと穴を掘っておいたから。そのへんで適当にするなよ?」
そして余計なことを言うフレイだった。
「うぎょあーっ!!」
奇声とともに、その頬をエクレアが張る。
当たり前のことを言っただけなのに、ひっぱたかれました。
非常に不本意な状態のフレイを先頭に街道を進む五人である。
まあ、だいたいデリカシーのない発言をしたフレイの自業自得なので、誰も同情してくれなかった。
「フレイってさ。口で身を滅ぼすタイプだよねー」
「いうなデイジー。なんとなくそんな気はしているんだ」
しばらく前、余計なことを言ったせいでミアにオシオキされたし。
「だからごめんって。あやまってるでしょ!」
エクレアちゃんは、ぜっさん逆ギレ中である。
非常に大切なことなのに、ついつい羞恥心が勝ってフレイを叩いちゃった。
「まあまあ。エクレア。フレイはもう怒ってないよ」
「ほんと? ミア」
「引きずるような男じゃないからね。いい男でしょ?」
「ううん。でも私はやっぱり男は好きじゃないかな。フレイが優秀なリーダーなのは認めるけど」
むう、と王女様が腕を組んだ。
昨夜フレイに告白めいたことをしようとした人間とは思えない。
「りおどんさいけ」
にやり、と、ミアが微笑する。