第96話 初めての依頼で迷宮を巡ろう(宿屋に戻って男女別れて解散した後の外での出来事)
「…ふぅ。」
宿屋の下の食堂の外で通りに出されたテーブル。そこの備え付けの二人掛けの椅子を一人で占有して腰かけていたのは男性陣の部屋にいなかったクロノスだった。彼は珍しく普段は滅多に飲まない強めの酒を店じまいの後片付けをしていた美人の店員に声を掛けて無理言って持ってきてもらったのだ。店員の子は最初はもう閉店時間だったので断りを入れようとしたが、クロノスが仲間の食事を全額奢って尚且つ店の売り上げに大いに貢献してくれた冒険者だったことを思い出し、あなたのための特別な一杯だと店の秘蔵の酒を瓶ごと持ってきてくれたのだった。彼女は「コップと瓶は部屋に持ち帰って明日返していただければ結構です。それと私あなたみたいな羽振りの良い男の人大好きなんです。今度どこかへ遊びに行きましょう?」と言って多めのまつ毛が乗った蠱惑的な目でウインクしてから店の中へ戻っていった。
普段のクロノスならばそんな誘惑を受けたなら今度と言わずなんなら今すぐにでも彼女の手を取って夜の街へ二人で消えていくだろう。しかし今日のクロノスは彼女を手を振って見送った後、だんまりを決め込みただひたすら酒瓶の中身をコップに入れて、そしてそのコップを口に運ぶ作業を続けていたのだった。時折仲良さ気な男女が自分と同じ宿屋へ入っていくが、クロノスはこの宿屋が実は連れ込み宿であると言うことは申し訳なさそうに語るキャルロから既に聞いている。寝るときに下や横から嬌声が聞こえてこなければいいがなと、クロノスはそれだけ考えてまたも酒の世界に浸っていた。
「こんなところで何をしているんだクロノス?お前が深酒など珍しいな。」
クロノスが再び空になったコップへ酒を継ぎ足そうとしたところで、不意に何者かの声が掛けられた。クロノスは声の主が上手く隠していた足音と気配を読み取ってその正体にとっくに気づいていたが、一応と目をそちらへ向ければ、そこには予想の通りリリファがいた。
「そんな君こそどうしたんだ?子供は寝る時間だぞ。まさか元孤児の君が枕が違うからという理由で眠れないわけがあるまいに。」
「別に。ただトイレから戻ろうとしたら廊下で出くわしたシヴァルの奴に「寝る前にクロノスが外にいないか見てきて。いたら僕がお休みと言っていたって伝えておいて。」と頼まれただけだ。そうして面倒ながらも宿屋を出て一階へ続く階段を下りてみれば、見事にそこに酒を飲むお前がいただけだ。」
「なるほど…シヴァルわざわざ人に頼まずに自分で見にくればいいのに。人使いの荒い奴…いや、他人なんてどうでもいいと思っているから他人の迷惑なぞ考えないのか。そういう考えもありか…ん…」
「飲みすぎだぞ。はぁ…仕方ないやつめ…ほら、少し横に行け。」
リリファが自分がここへ来た理由を伝えると、クロノスは一人でなにやら呟いてからまた視線を一杯のコップへ向けて中の酒を飲み干すのだった。そんな彼にリリファはため息を一つすると、クロノスの隣に歩いてきてそのまま彼の隣に座った。
「君も飲むか?ここでは子どもの飲酒に規制は無いぞ?ミツユースは一応あるからここで酒の味を覚えると向こうで困るかもしれないけどな。」
「いい。…それよりもクロノス。お前、何か悩んでいないか?」
「悩む…?なんのことだか。」
「恍けるな。お前が酒と呼べるほどに強い酒を飲むなど何かあるんだろう。ほら、私に話してみろ。」
「君に?」
クロノスはそこで空のコップに酒を注ぐ作業を止めてリリファの方を向いた。
「私も悩みがあるんだ。だからお前に聞いてもらいたいから先にお前の悩みを聞く。言ってみろ。」
「…」
クロノスは自身の燃え上がるかのような赤い瞳を光らせて、そこから目を逸らそうともしないリリファの翠色の瞳をただじぃっと見つめていた。
しばらくの時間瞳を合わせていた二人だったが、やがてクロノスがそこから目を背ける。そして彼はまたも酒をコップに注いた。
「君の翠色の瞳は美しいな。きっとそれは母親譲りの物だろう。ファーレンさんは面白味も無いようなブラウンカラーの目だったからな。まぁだからと言ってこの世の全てのブラウンカラーの瞳の女性がつまらないとは言わない。ブラウンも翠もその女性が美しいのなら俺は好きだ。俺は君の母親を知らないが、あのファーレンさんの心を射止めたんだ。きっと顔も性格も体の方もさぞ美しい人だったんだろうな…」
「さぁな。私は母親のことを殆ど覚えていない。というか人の母親の体がどうとか娘の前で言うなし。というか誰が私の目を褒めろと言った。誤魔化さないで悩んでいることをさっさと吐け。ほら酒は没収。」
「あ…!!ふぅ…わかったよ。」
リリファは怒りながらもクロノスのコップを引っ手繰った。クロノスは酒瓶を持って直接飲もうとしたが今度はそれすらも引っ手繰られてしまう。今宵の相棒を奪われて、仕方なしにクロノスはリリファに今抱いている胸中を吐露することにした。
「さっきさ…三つのクランが来ていろいろやらかしてくれただろう?」
「ああ、クランリーダーは三人ともお前の知り合いだったようだが。」
「そう…レッドウルフ…賊王…そして風紀薔薇。みんな個性的で愉快な俺のお友達だよ。正直シヴァルなんかよりも彼らの方が会えると嬉しいね。最も、あちらは俺のことあんまりわかってくれて無いようだったが。」
「それは…お前のキャラが違うからだろう?お前の昔のキャラは私もよく知っている。その時も時々遊びに来てくれたからな。」
リリファはクロノスとはかなり長い付き合いだ。彼がミツユースに住み着いたつい最近よりもずっと前からの。
クロノスは元は大陸中をソロで旅した冒険者だ。地方から地方の移動の際に陸路も海路も便利なミツユースに立ち寄ることも多く、その時に向こうからの接触で知り合った彼女の父親のファーレンにも折を見て会っていた。彼と会うときは交わした約束により暗黒街には入れないが、それを破って彼の屋敷へ行き、当時はまだそこで何不自由なく暮らせていた彼の娘のリリファとも会っていた。まだ今よりも更に子供だったリリファにクロノスは様々な地方の旅の思い出を語って聞かせていた。そんな彼の話を聞くたび、リリファも目を輝かせてあれこれ言って楽しんでいたのだ。
「確かにお前は昔よりもその…少々口数が多いと言うか…おしゃべりになった気がする。私だって孤児になって最初にお前と再会した時は普通に名を騙る偽物だと思ったぞ。だからあいつらがお前のことを思い出せなくても仕方ないんじゃないか?それに最後にはこれが今のお前だと全員受け入れていたじゃないか。だからそんなに落ち込むことは…」
おそらくクロノスは自分が知り合いに正体を中々分かってもらえなかったことを落ち込んでいる。そう考えたリリファは自分の過去の体験も交えてクロノスをフォローしようとしたが…それをクロノスは手で制して止めたのだった。
「違う。別に俺が俺であるとわかってもらえなかったことをグダグダ落ち込んでいるわけじゃねぇよ。昔の俺が無口だったことも、今の俺がおしゃべりなことも自覚はある。」
「そうなのか?ならばなにをそんなに…」
「…クランだよ。」
クロノスはそれだけ一言呟くと手元の酒を手に取ろうとしたが、それは先ほどリリファに没収されたままだったことを思い出して、テーブルに肘をついて話を続けた。
「あいつらの運営しているクラン…赤獣庸兵団、バンデッド・カンパニー、それとワルキューレの薔薇翼。あそこの団員達…みんな生き生きしていたなって。」
「クランリーダーではなく団員共の方…?」
「そうだ。みんなが生き生きとして、自分のいるクランは自分が一番楽しく冒険者やれているところだって…そんな顔を全員がしやがる。それを見て俺は思ったわけだよ。俺のクラン…猫の手も借り亭は、君達が楽しくやれているところなのかなって。」
「…」
「ナナミには手伝うと言ったが何をすればいいのかんなんてさっぱりわからないし、セーヌのクエスト恐怖症…あれは今日出ていたのだろうか?彼女が無理して抑えていたのではないのか?…それとアレン。あいつの夢は結局なんだ?ウィンを具体的にどうしたいんだ?それにリリファのイノセンティウスだって君に力の解放の仕方を求めさせておいて結局は放任みたいなものだ。俺は君たちのためになにかできているのか?君達は…果たして猫亭でやりたいことをやれているのか?さっきからそんなことを考えて堂々巡りでこうして酒で思考を混乱させて誤魔化すしかない。」
「…」
「俺はどうすればいい?正直俺は今までマーナガルフもヘルクレスもディアナも同じS級だが、戦闘力ではどこか実力を下に見ていた。実際に三対一でも少し苦労はするが俺が勝つと思う。しかし彼女たちは違うんだ。そこ以外…たとえばクランの運営なんかの能力は俺よりもずっと上だ。団員のたくさんいる大きなクランであくの強い冒険者をまとめあげて…俺ではとても敵わない。俺は…今まで戦う事しか能がなかった。何でもできる?なんでも知ってる?俺にだって知らないことはある。例えば猫亭の裏庭の池でがぁがぁ言ってるカメガモのことを今まで名前すら知らなかったし、さっき言ったディアナ達がS級冒険者として戦闘以外も含めたら俺よりも格上だってことも「せいっ!!」…ぐへぇ!!」
自らの悩みを語るクロノスの顔面に突然の蹴りが足元から襲った。それをまともに受けたクロノスは椅子から転げ落ちて地面に背中を付ける。そこに蹴りを放ったリリファが立ち上がって、寝転がるクロノスの顔を覗くのだった。
「いってぇ…いきなりなにすんだよリリファ…!!」
「くどい!!いつまでもネチネチネチネチと…お前は分かれた相手を忘れられなくて復縁をしつこく迫る元恋人か!?」
「リリファ…!!」
リリファに文句を言いながら蹴られた顔面を擦っていたクロノスに、彼女は目の前でガツンと叱ってやった。
「お前は私達が楽しくやれているかと聞いたな?ああ楽しくやれているとも!!毎日美味い食事は食えるしこうして可愛らしい服も着れている。裏町でスカート振り振りさせて女アピールしてたらたちまち悪漢に襲われるぞ!!湯の出る風呂に入って体を洗えるしふかふかのベッドで清潔な布団を敷いて寝れる!!そして毎日バカな冒険者共とクエストやダンジョンだ!!少なくとも私は身寄りもない孤児であった昔に比べたらずうっと楽しいね!!」
「…!!」
「それとナナミとセーヌとアレンだが…それは私にはわからん。私はあいつらの全てを知っているわけではないが…だがあいつらだってそれなりに楽しくやっていると思うし、そうでないのなら皆そうなるように団員として頑張っている!!それに…だ。」
リリファはそこまで言ってしゃがみ込むと、クロノスの赤い瞳を己の翠の瞳でしっかりと見つめた。そして話の続きを再開する。
「それに私達はまだ成長中なんだよ!!お前は前に皆の前で言ったな?私達は蒔いた種に芽が出たところだと。芽だけではプロの農家でも実は判別できない。とな…少し違うかもしれないが全部覚えているわけではないからそこは見逃せ。それは皆同じだ。団員もクランも…そしてクランリーダーのお前もな。今日会った三つのクランはいずれも何代も続く歴史あるクランだと聞いたぞ。だが私達はつい一か月前にようやく芽が出たばかりだぞ?お前だって農家数か月目のペーペーだ!!そんな何年も何十年も前からある何代も農家続けてそれを引き継いだところと比べてどうする!?比べればすぐに成長できるのか!?私達は素敵な身をつけるのか!?」
「それは…違うけど…」
「ならもっと悠長に待っていろ。そしてお前も世話して覚えろ!!私達の成長のさせ方をな…そして今お前がやらなくてはならないことはなんだ?自分で言っただろう…初めての依頼を成功させるためにそれに専念すると…!!他のことは後に回せと…!!」
「リリファ…」
「お前は普段から冒険者はバカでいいんだ冒険者はマヌケでいいんだ冒険者はアホでいいんだ冒険者はいい加減のわからんちーでいいんだ…それが冒険者なんだと言っているんだから…お前も悩むなよ。冒険者らしくないぞ…?私が憧れた無口だが冒険の数々を楽しそうに語ってくれた昔のお前はどこに行った…?」
「リリファ…すまない。」
クロノスを叱っていたはずなのに…リリファは泣いていた。翠色の瞳に涙を溜めて溜まりきれない分は雫となって、クロノスの頬に落ちて行った。クロノスはそれを手で拭うと、起き上がって彼女に謝った。
「すまないなどと言わないでくれ…すまないなんて謝る暇があるのなら…!!」
「…そうだな。撤回する。」
起き上がったクロノスは地面に手を着くことなく立ち上がり、そして泣いていたリリファの肩に両の手を置いて見つめ直した。
「…クロノス?」
「君の言うとおりだ。最近の俺は戦い以外で馴れないことをやりすぎて、少しナーバスになっていたのかもしれない。だから…そんなウジウジしたことを考えるのは止める。それでいいんだ…悩むくらいなら最初から考えない。それが冒険者なんだから。」
「ああ…それでいい…」
実力不足を悩まないし考えない。まだ始まったばかりなのだから。クロノスにそう宣言されたリリファは涙で真っ赤に腫らした目元をぬぐい、クロノスをまっすぐに見つめた。
「シヴァルの奴も気を効かせてリリファを送ったな?他人なんて気にしないとか言うくせにこういうときだけ随分と気が利くんだから。」
「ふん、私に偶然廊下で会わなければ何もせずに寝ていただろうよ。あれの性格が早くもわかった気がする。冒険者中に疫病神扱いされるわけだ。それにしてもこんな少女をこんなつまらないことで泣かせるとは…お前も女の扱いが下手だな。」
「そんなことないぞ?…あーうん。確かに泣いてる女の子を喜ばせる方法は知らない。悦ばせる方法は知っているけど。」
「どう違うんだそれ…まぁいい。そっちの悩みが解消したのなら私のも聞け。」
「そういえばそうだったな。いいぜ?なんでもクロノスさんが聞いていやる。俺は猫の手よりも役に立つ冒険者だからな。」
「だからそれはダサいからやめろと…いい。今は私の悩みを聞いてくれ。」
そう言ってリリファはクロノスに肩を掴まれたまま自らの悩みを話す番に回った。
「今日の飯の時…ゼルに会ったろ?」
「ああ。君の知り合いの孤児か。」
「あの時の私は…正直奴をどうやって捕まえてやろうか、どうやって父さんの敵を討ってやろうか。頭で一杯だったんだ。デビルズとは因縁があるがあいつは父さんの直接の敵じゃないし、そもそも父さんは全然関係ない理由で死んだわけだし…いつまでもデビルズに拘るのはどうかと思ってたんだ。それで…」
「…続けるといい。」
「それで…いい加減にデビルズの残党に会ってもいちいち相手しないようにしようか…それとも野放しにできないからやっぱりとっちめておこうか…そんなことで悩んでいたんだ。小さい女だよな私は。実際そんなことさっきの大喧嘩を見ていたら忘れていたし。それを今寝る前に急に思い出してどうしようかと思っていたんだが…私はどうすればいい?」
自分が悩む理由を話し終えてクロノスをまた見つめたリリファは、彼に悩みをどうすればいいか、先ほどのクロノスと同じように答えた。しかしその目に不安はなく、すでにそんなことわかっているかのようで、まるでクロノスに答え合わせをしてもらうのを待つかのようだった。
「そんなこと決まってる。考えるな。仮に考えたいのなら、今はダメだ。なぜなら…俺たちは依頼の真っ最中だからだ。迷宮都市へはイゾルデの依頼でエリクシールを求めてきたんだぜ?悩むために来たんじゃない。だから…悩むのはイゾルデの依頼がどんな形にせよひと段落ついてからだ。後回しにしろ。それでいいんだよそれが冒険者なんだから。」
「…そう言うと思った。知っていたがお前に言ってほしかった。」
リリファはクロノスが見つけた答え…後回しにして今は考えなくていいということを同じように言われ、わかりきっていたと満足気に答えた。
「…うん。とりあえず悩まない。奴が敵だ屑だなんて考えてもしかたない。この国の王女が捕まえないでおけと言ったんだ。ここにいる間は例えゼルにまた会っても奴をどうこうするつもりはない。」
「それでいい。それにあの少年の顔は俺が覚えた。あいつが迷宮都市でまたミツユースのように悪さをするつもりなら…それは俺の冒険者個人としての仕事だ。」
「それは終止符打ちとしての仕事か?」
「うんにゃ、俺はあの二つ名は捨てた。もうここにいるのはミツユースの陽気なおしゃべり猫さん。あいつはもう…死んだからな。」
「そうか…昔の寡黙なお前も…その…私はす、す、…よかったと思うぞ。例えそれがあらゆる悪に終止符を打つ、絶対的な死の二つ名だったとしてもだ。」
「ありがとう。さ、俺たちももう寝よう。久しぶりの深酒で感覚が適当になって今にも誰かを襲ってしまいそうだ。」
「そうか。なら戻る前に…もうひとついいか?」
「なんだ?クロノスさんになんでもど~んと頼むがいいさ。」
「なら…抱け。」
「えっ?」
その瞬間、クロノスは酔いがすっかり醒めてしまった。今この子なんて言った?抱け?抱けって?抱け…?
「あの~リリファさん?なんでもどんとこいと言ったけど…いくらさびしくて慰めてほしいからってそれは流石に君にはまだ早いっていうか…ほら、別のにしよう。ほら見てあそこのカップル。俺の事メッチャ白い目で見てるから。…え?何?警備兵?それは待ってよ俺とこいつはそんなんじゃないんだこっちには数も少ないからこんなくだらないことで呼んじゃだめだって彼らも忙しいんだから…え?ギルドの職員?それも待って彼女達だって今日の後片付けで忙しいからさ。ほら君達見た聞いた?あっちの通りでなんとS級冒険者が二人喧嘩したらしいよ?おかげであっちの通り一帯はめちゃくちゃで今も職員が夜間出動で作業して忙しいから…痛い!!」
変質者がいるぞと人を呼ぼうとしていたカップルに必死に話術で抵抗を試みたクロノスは、突然足に痛みを覚えそちらを見るとリリファが自分の足で踏んづけていた。
「痛いんだけどリリファ!?ついでにこの間のロリコン呼ばわりの心の傷が開いてもうやばい!!」
「アホ!!誰が裸になって男女のまぐわいをしろと言った!?その…抱きしめろ!!」
「え…!?ああ、そういうこと…いいよ。…おいで。」
「…そ、それでは…」
クロノスはリリファがしてもらいたかったことをようやく理解すると、彼女の肩から両の腕を離してそれを思い切り広げて彼女に呼びかけた。それを見たリリファはクロノスの腕一本分のわずかな距離を噛みしめるように数歩歩くと彼の胸に思い切り抱きつく。そんな彼女の腰に腕を回してクロノスは優しく抱きしめたのだ。
「こんなんでいいですかお嬢様?」
「いいから…少し黙ってろ…!!」
「…」
「…私には…もうお前しかいないんだ…他にもいるかもしれないが、今はお前しか…!!…ぐす…おにいちゃん…!!」
クロノスの胸の中で、リリファはまた泣いていた。そして今よりも幼いころにクロノスをそう呼んでいたその言葉で、めいっぱいに甘えていた。そんな彼女に何も言わず、ただクロノスは甘えさせてやるのだった。
「ふふ~んどうだいそこのカップル?これぞ美しい兄妹愛だぜ?これに懲りたら利益の何一つ無い無意味な通報なんてやめてさっさとどっかに…え?血のつながり?そんなのありませんよ?義理ですらないですが何か?…ただ少女にお兄ちゃんって呼ばせるプレイをしているだけ?いや逆なんだけどこっちが俺をお兄ちゃんと呼ぶプレイをしているっていうかまぁそういう方面で捕えられなくもない…あ、止めて!!だから人を呼ぶのはやめて!?ね、ね、ね…あ。そういえばそっちの彼女もしかして神官の冒険者?おいおい彼氏なんて作っちゃって~婚約者が泣いてるぜ~?これからそこの宿でハッスルしちゃうの?…あれ?その手に持ったトゲトゲの鉄の塊を付けた棒は…へーメイスか。彼女珍しい武器を使うね女性にしては。いや女性だからメイスを使っちゃダメってわけではないけど…むしろこれからは性別にかかわらずいろんな武器をいろんな奴が使えればそれは素晴らしいなって…だから、ね?それを思い切り振りかぶってこっちへ向かってくるのは止めて?目が笑ってないから!!ほら、彼氏も腕引っ張って君を止めようとしてるし…え?口封じ?やだなぁさっきのは軽い冗談だって君が婚約者以外の男と付き合ってることは人には言いふらさないし、そもそも俺は君がどこの誰だか知らないし…ねぇ、だからメイスは…ダメだから!!止めて!!ぶたないでこの子に当たっちゃうから…当たらないようにするって当たるからそれは!!そういう武器だから!!トゲトゲが当たるから!!リリファも早く逃げてお兄ちゃんお兄ちゃんって妄想の世界に逃げないで現実を…無視しないで!!ねぇお願いやめて!!あーほら見てメイスでがんがん殴られてるから俺が…!!」
…最後にいろいろ台無しになって、迷宮都市での長い長い一日目はこうしてようやく終わりを迎えるのだった。
一日目終了