第93話 初めての依頼で迷宮を巡ろう(宿屋の向こうの大通りでの喧嘩が一収まりした後の出来事)
「…」
「「「…」」」
「…えーと…おい。」
顔を見合わせてしばらく時が止まったかのように固まっていたクロノスと三人のS級冒険者達。このまま永遠に固まったまま…ということは流石になく、最初に声を取り戻したのはマーナガルフだった。彼は固まったままのクロノス話しかけた。
「誰だよてめーは。顔を合わせるなりS級に説教モドキ噛ますなんざいい度胸だな?ふざけやがって…!!」
「…はっ。」
「「…はっ。」」
縛り上げられていたマーナガルフに睨まれ我を取り戻したクロノス。それと同じく未だ固まっていたヘルクレスとディアナもまた、意識を取り戻して戻ってきた。
「俺が誰かだと?いやいやいや…君の方こそふざけるなよ。一度見た人間の顔を絶対に忘れない賢い君の言葉だとは到底思えないぞ。久しぶりに会ったから顔も忘れたなんて言わせない。俺だよおーれー!!」
「オーレ?そんな名前の知り合い俺様にはいねぇし、お前の顔もやっぱり知らないぜ。記憶力には自信があるかと聞かれたらその通りのはずなんだが…お前のことはサッパリ知らねえ。おい、賊王と風紀薔薇はこいつのこと知ってっか?」
「うーむ…」「むむむ…」
「思い出せー!!俺だおーれー!!へーい、るっくみー!!」
マーナガルフにそう尋ねられたヘルクレスとディアナは、クロノスを両の瞳で凝視して頭の中の知り合いの顔と名前を仕舞い込む部屋の中から彼と同じ男を探した。対するクロノスは、手を振ってこの俺をしかと目に焼き付けろとめっちゃアピールしていた。しばらく記憶の部屋を引っ掻き回して目の前の男を探す二人だったが、やがて同時に結論が出たようで二人で頷いた。
「いや、こんな男儂は知らんぞ?」
「すまないが私も知らない。これでも顔が広いという自覚はあるがな…どうしても思い出せん。たぶん記憶の中に最初からいないのだろう。」
「えぇ…なんなの君達。もしかしてこれは新手の嫌がらせか?」
「うわぁ…」
まさか三人ぐるみで自分を陥れようとしているのかとクロノスが思案していると、そこへ後ろの方からとても残念そうな声が聞こえてきた。それはシヴァルとクロノスがストーン君から下りたのを見てこちらへ駆けつけてきたナナミ達だったが、ナナミはなんかもう…すごく呆れていた。
「クロノスさんだっさ…例えるのなら普段よく行くお店に友達と行ってそこで「店長いつもの」ってクールにドヤ顔で常連気取りしたら「えっと…注文をお願いします…」って感じで、あっこれ店長俺の顔覚えてないじゃねーか…って感じの所を友達に横で苦笑されてるみたい…要約するとすっごくだっさい。漏れ出たださいでセンスの川が氾濫を起こしそう。」
「やけに細かいまるで実体験を交えたかのような感想をどうもありがとう。あとそれ以上はもうやめてくださいおねがいしますおれのこころがしんでしまいます。」
「やっぱりこの人S級ではないのでは…」
「にゃあにゃあイゾルデ嬢。心配はご無用にゃ。」
「心配しなくてもミツユースの人間は旦那がちゃんとS級だってことわかってるッスよ。」
ナナミがクロノスを酷評をしているその横で、イゾルデがクロノスをランクの件でを再び疑いの目で見始めていたが、それは大丈夫だとフォローを入れたのはダンツ達ミツユースの冒険者だった。
「ええ、クロノスさんがミツユースに住み着き始めた時に、あの人の担当のヴェラザードさんがミツユース中の冒険者にメッチャ頑張って紹介していましたからね。」
「ああ、確かに挨拶に来ていた。」
「なんだと?それは俺は初耳だ…どおりで俺が最初君達にSランクやってるんでどうぞよろしくって言っても大して疑っていなかったわけだ。…ヴェラありがとう!!愛してる!!」
その件は初耳であったとクロノスは自分がミツユースに住み始めた時にひそかに活動してくれて、なおかつそのことを誇りもしない自分の担当に心から感謝した。S級冒険者は数が少ないがその影響力は絶大で、たまにその名を騙り地方で好き勝手やる他の冒険者や犯罪者がいるのだ。もちろん冒険者ギルドの発行するライセンスが無ければそのうちばれてしまうのだが…ん?そうだクロノス!!冒険者ライセンスだ!!ライセンスを見せれば…!!よし、クロノスに届け私の思い…ムムムーン!!…ふぅ、これで少ししたら彼はきっと閃くだろう。それまで少し見守っておくか…
「おい、何をさっきからごちゃごちゃ言ってやがる?だからお前は誰なんだよ。」
「いや、だから見た通りのまんまだよ。」
「だからそれがわかんねーって言ってんだよ。早く教えないと子分たちに袋叩きにさせるぜ。」
「んな理不尽な…」
「ぷぷ…あはは!!」
S級達に自分が何者か全然分かってもらえないことに苛立つクロノスだったが、その横でシヴァルが爆笑していた。
「くくく…予想通りの回答が頂けたねクロノス。僕も今の君に最初会った時はこうだったよね…!!ぷぷ、だめだ。あの時のことを思い出すね!!アジトでモンスターの研究をしていたら知らない顔が侵入してきて誰かと思ったらそいつが突然俺はクロノスだとか言い出して…めんどくさいから番犬のガブガブ君に食べさせようとしたあの日のことを…!!」
「そういやそんなこともあったなぁ…あの時はまさか君にさえ信じてもらえないとは思わなかったけど。」
「おい待てシヴァル。お前今…この男のことを何と言った?」
当時を振り返り爆笑していたシヴァルと懐かしんでいたクロノス。その話を聞いていたヘルクレスが口を挟んできた。その顔に驚きと焦りの様なものが見てとれ、それは今のは何かの聞き間違いだったかとまるでそう信じたいかのような言いぶりにも取れた。
「くっくっく…見ての通りだよ。彼は…クロノスだよ。君らだってよく知っているだろう?終止符打ちのクロノス・リューゼンさ。」
「…マジか?」
「マジマジ。大マジさ!!」
「お前が他人に興味なさ過ぎて、もはや親友にすら人間の区別のつかない目になっているってことは…」
「しつこいなぁ、さすがに怒るぜ?彼はクロノスだっての。」
シヴァルがはっきりとクロノスの正体を三人に告げると、三人は驚き、もう一度シヴァルに確認を取った。それをシヴァルは面倒な奴らと呟いてから懇切丁寧にもう一度教えたのだった。相変わらず驚いたままの三人だったが、その中でまたもマーナガルフが否定してきたのだった。
「いや待てや!!終止符打ちさんはそんな軽い男じゃねえよ。もっとこう…クールで…無口で…おっかない…ぴったりくる言葉が見つからねぇ…とにかく、あいつがあの人なわけない!!」
「君が自分の目と記憶を信じたい気持ちはわかるんだけどね、彼は正真正銘僕の親友のクロノスさ。」
「嘘だ!!名前を騙った別人なんだろ!?終止符打ちさんはそんなにおしゃべりじゃねえし、なんならこいつがさっき言っていた説教モドキ…あれだけで俺様が今まであの人と話した会話の量を軽く超えてるぜ。あの人は本当に無口だったからな。」
「君こそ嘘つけ。俺はもっと君と話を…話を…あれ?そういえばそのくらいしか話したこと無かったかも…いや別に会話を交わした回数が少ないわけじゃなくて発言量に自信が…君がS級になったとき割と会っていたはずなのに…おかしいな?」
「ガッハッハッハ…そうか偽物ならば納得だな。儂の知るクロノスと全然違うわ!!おい若造。強者の名を借りていい気になるのは気持ちいいかもしれないし、それについては儂はどうでもいいが…このレッドウルフには謝ったほうがいいぞ?なんせこいつは滅多に人を褒めないはずなのに終止符打ちにだけは態度が違うからな。名を騙る輩を許すはずがない。」
クロノスにマーナガルフに謝るように勧めたヘルクレスの横でディアナもまたうんうんと頷いていた。
「そうだな。謝っておいた方が丸く収まるぞ。貴様も不本意で親友の温もりを求めたシヴァルに、金で彼の代わりでもやらされているんだろう?それならば終止符打ちの名を騙ったことも大目に見よう。だから自白するといい。」
「おいおい、僕は代用品で満足する安い男じゃないぜ?」「ぎゅい。」
「いや代用品じゃなくて本人なんだけど…終止符打ちなのは否定したいけど…どうしたら…むっ…?そうだ!!ライセンスを見せれば…なんか突然頭にびびっと来た!!ありがとうどこぞの神様!!」
…よし、私の願いは天啓となり彼に無事届いたようだ。これで話を続けることができる。…おほん。
突然の天啓で何かを閃いたクロノスは自分の上着の内ポケットをまさぐって一枚のボロボロなカードを取り出した。冒険者ギルドのライセンスカードだ。カードは汚れが目立ち中央で折れ曲がっていたが自分の名前とランクはしっかりと読むことができ、これをディアナ達に見せれば己の身分の証明ができ、尚且つ自分の事を思い出してもらえると思ったのだ。クロノスはライセンスを三人のS級にまじまじと見せつけた。
「じゃじゃーん!!おらこれでどうだ!?」
「たしかに…クロノスと書いてあるが…」
「あれ…?なんか反応が芳しくない…」
ライセンスを隅々まで見回して確認していたディアナだったが、その目が納得していないと暗に語っていた。それはヘルクレスとマーナガルフも同じだったようで、二人も同じような目の色をしていた。
「いや、確かにそれはライセンスだしそこにクロノスって名前が書いてあるけどよ…」
「果たしてそれは本物のライセンスなのか?」
「え?あー…」
ヘルクレスの問いにクロノスは答えることができなかった。というかそれはこの場にいる誰にも答えられないんじゃないだろうか。
冒険者ギルドの発行する冒険者個人の情報を記した冒険者ライセンスはギルドお抱えの錬金術士や魔導師の技術者が作る超高性能な魔道具だ。そこには魔術で刻まれた魔力の跡があり、それは偽装が技術上不可能なので偽物を作ることは難しい。
ではそれならばその魔力の跡を調べて真偽を確かめればいいのではないのかと言われれば当然のことで、それをすれば簡単に偽物かどうかわかる。ならそれをさっさと誰かが確かめればいい?…冒険者にはそれができないのだ。魔力の跡を見れるのはギルドの持つ専門の魔道具だけなのだ。なのでここではカード自体が偽物か本物か証明することをどうやったってできない。前にライセンスは身分証明には使いづらいと言ったような気もするが、それはギルドの支店以外ではそもそもカード自体が本物かどうかを証明できる人間が誰もいないからなのだ。…ごめん。私も忘れていた。天啓とかいって無駄な徒労をさせたことを許してほしい。
「確かにこれが本物かどうか証明するのは俺には無理だ。だがこのカードに刻まれた男の勲章でわかるだろ?見ろこのボロボロ加減…何年も持ち続けなければこれほど見事な旨味はそうは出せまい。S級のライセンスをもしどこかの悪党が拾えば何か大変な悪事に使われるかもしれないから、お前は絶対に無くすなって言われてS級になったときに更新してからずっと再発行もしていないんだぞ。」
「だがなぁ…作ったばかりの偽物のカードを劣化させて使用感を作る技術がないってわけでもないし…」
「まだ疑ってるのかよ。なら今からみんなでギルドの支店に行ってそこで「こいつだ!!」…ああ!?誰だ俺の話を邪魔する奴は!?俺は今俺が俺であることの証明をするためにここにいるんだ。外野はグダグダ言わずに黙ってろ!!」
「なんかどっかの歌の歌詞みたいになってるよクロノスさん…」
そんなことを言っているナナミを無視してクロノス達が叫びが聞こえた方を向けば、そこにいたのはディアナの部下によって縄で縛られたまま歩かされていたヘルクレスの子分の一人だった。そのままなら何かそういったプレイにも見えたが彼を連行していた女性団員はめんどくさそうにしていたので二人はそういう関係ではないだろう。その男はぴょんぴょんと跳ねて近づいてきてクロノスと目を合わせてから後ろで縛られた手の指をクロノスに向けた。
「間違いねぇ…こいつだ!!ヘルクレスの親分、こいつが俺たちをやったやつだ!!」
「なんだと…!?それはホントか!!」
子分の必死の叫びを聞いたヘルクレスは驚き、それからクロノスを睨み付けた。
「お前が儂の子分をやったのか…?」
「え?やった?何を?あいつのことなんて俺知らないけど。」
「嘘つけ、俺は覚えているぞ!!お前も知らないふりしているだけだろ!!」
「クロノスさん。こいつ…私をナンパしていた連中の一人だよ。」
「キャルロ…?ああ、あいつらか。顔はよく見ていなかったから気が付かなかった。」
こいつにやられたと喚くヘルクレスの子分だったがクロノスは彼のことをサッパリ知らなかった。しかし先刻ナンパ被害を受けていたキャルロがクロノスに説明したことでクロノスはようやく奴がキャルロをナンパしていた男だったことを思い出せたのだった。そのやりとりを聞いてヘルクレスはキャルロの方に視線を移してじぃっと見ていた。
「ほぉ、なかなかいい女じゃねえか?お前らも結構見る目があるな。儂もあと十五年若ければ飯にでも誘って…なんならこれからでもどうじゃ?」
「生憎だけどご飯ならさっき食べたし男に誘われても嬉しくもないよ。」
「ガッハッハッハ!!儂も振られてしまったか!!というか男に誘われて嬉しくないとは、アンタもしかしてそっちのクチか?」
「別に女が好きってわけじゃないけど…いや、元は女好きだったけど…まあいいや。とにかくおじいさんのお誘いでもお断りだね。」
突然ヘルクレスにナンパをされたキャルロは今度はすぐに断りを入れることができた。さきほど男たちにナンパをされたことで気を付けようと思ったのかもしれないし、単にヘルクレスのナンパが冗談半分だったことを知っていたからかもしれない。キャルロに断られたヘルクレスは頭を抱えて笑っていた。
「ガッハッハッハ…儂に啖呵切れるとは大物じゃな。儂でダメだったんじゃからお前らでもナンパはムリだったろ。あいつ以外はまだ寝ているしここは儂が代わりにアンタに謝っておくとしよう。だが…お前はダメだな。」
「俺?」
ひとしきり笑った後にナンパをした男に代わってキャルロに謝罪をしたヘルクレスだったが、今度はクロノスを大きな目でぎろりと睨んだのだった。
「どんな理由であれ子分を痛めつけてくれたのなら、何かしら落とし前付けてもらわないとバンデッド・カンパニーが舐められてしまう。というわけで…だ。逃げないで落とし前付けてもらいたい。」
「落とし前?なにすればいいんだ?」
「なぁに簡単じゃ…儂に一発殴らせろ。そうすれば子分たちも黙るし、野次馬も悪い噂を流さんじゃろ。お前もそれでいいな?」
「ああ、やっちゃってください親分!!」
「おいやめろ賊王。」
落とし前の内容を聞きたがっていたクロノスへヘルクレスがその内容を伝えて被害者の子分からも了承をとると、二人の間にディアナが割って入ってきた。
「貴様のやり方は正義の冒険者として看過できない。元はと言えば彼の仲間に手を出そうとした貴様の子分が悪いんだろう。落ち度を認めたのだから殴って終わりならそれこそ子分の方を勝手に殴ればいい。」
「止めるなディアナ。これは儂のクランとこいつのためでもある。儂はバンデッド・カンパニー以外のクランでも親しい者がいる。奴らが今回の件を穿った形で聞きつけて、こいつが手打ちにされてなければ儂に代わって報復をこいつとその仲間にしでかすかもしれないぞ。そうなる前に儂が大衆の前で一発落とし前付けておけばいいんじゃ。クランを持つお前ならわかるじゃろう?」
「しかし…さすがに貴様の一発は…」
「俺は別にいいぞ。つーかそろそろ宿に戻りたいからさっさとしてくれ。」
ディアナに落とし前を付けなければいかぬ理由を説明し、彼女をどけようとしたヘルクレス。ディアナはそんな彼を止めようとしていたが、その後ろでクロノスが許可を出してしまった。
「ほう!!度胸があるな。流石は若い男じゃ!!」
「待て!!貴様はS級なんだぞ?それに巨漢の貴様でかい拳で殴ればこいつがどうなるか…!!」
「ディアナ、さっさとして終わらせてほしいから退いてくれないか?俺なら大丈夫だから。」
「ああもう…!!勝手にしろ!!おい貴様…手当はしてやるから精々無事でいろ!!」
「了解りょーかい。」
「スマンのディアナ。すぐ終わるから…」
自分の名を軽々しく呼ぶこれから被害者になる謎の男の方にまで退けと言われてしまい、ディアナは折れてそこを退いた。彼女の判断に感謝してからヘルクレスは前に出てクロノスと向き合った。
「最初に聞いておくが一発だけなんだな?」
「ああ、一発だけだ。全力で行くから少しでも首に力を入れておけ。上手くやるつもりだが失敗して頭が飛ぶかもしれないからな。」
「へいへい…いつでもどうぞ。」
「クロノスさん大丈夫?」
「もし心配ならばあたくしが名を明かして…」
「それはダメ。君の依頼に関係のないことだし。キャルロも気にするな。さぁどうぞおじいさん。お手柔らかにね?」
「いい度胸じゃな?引き下がるわけにもいかず開き直っているだけかもしれないが…そっちから見て左のこめかみに行くぞ。」
「そう?ならそっち向いているわ。」
「では…!!」
二人が最後に言葉を交わした後、クロノスは殴りやすいように横を向き、対するヘルクレスは左足を前に出して地面を強く降んで上半身裸の肉体に力を込める。そして巨体に見合った巨大な右腕を大きく振りかぶってそこの筋肉を膨張させた。それをここまで来て手を出すわけにもいかず、クロノスの仲間もディアナもマーナガルフも三人のS級の手下も残っていた野次馬も…誰もが息を飲んで見守っていた。
「(なぁに、こんな老いぼれのおじいちゃんでも儂はS級じゃ。全力で死なない程度に殴ることなど造作もない。流石に歯の一本や二本は折れるかもしれないから…そこだけ喰いしばっておけ!!)」
そう考えてから腕の軌道をクロノスへ定めたヘルクレス。全ての力を右腕に込め次の瞬間には腕を放っていた。その拳は余りにも速く余りにも力強い。そんな拳をクロノスの頭めがけて…当てた。そして周囲に衝撃で旋風が巻き起こった。
「…お?」
「「「え…!?」」」
「ハハハ…」「ぎゅいぎゅい。」
現実を目の当たりにして驚きを隠せない一同は揃いも揃って間抜けな声を上げていた。いや一人と一匹…シヴァルとその肩にいたブラック君だけはその光景がさも当然かのようにへらへらと笑ってぎゅいぎゅい鳴いていた。
確かにヘルクレスの拳はクロノスの左のこめかみにしっかりと当たっていた。しかし、それを当てられたクロノスは…しっかりとその拳をこめかみにくっつけたまま、拳を受ける前と同じ場所に何事も無かったかのように立っていたのだ。その状態でクロノスはきょとんとしていた。
「…終わり?」
「お、親分…手を抜いたのか…?」
「そんなことするわけがない…儂は全力でやったぞ…!?」
「…おい風紀薔薇。見てたか?」
「ああ、マーナガルフ…同じことを考えているな?」
「同時に行くぜ…遅れるなよ?」
「…ああ。」
手を抜いたのかと問う子分にヘルクレスは混乱しながら全力だったと真摯に答えた。それを見ていたマーナガルフはいつの間にか縄を切り裂いてまた自由になっており、ディアナに視線を向けてから呼びかけた。彼女もマーナガルフを一度見ると彼の考えを察したようだった。二人はそれから一度だけ言葉を交わすと誰にも気づかれぬようクロノスの方へ歩きだす。その先では未だにヘルクレスとクロノスが何やら言いあっていた。
「おい若造…お前何をした…!?」
「何も。我金剛とか防御技も使ってないぞ。強いて言うのなら…飛ばないように歯は喰いしばっていたけど。大人になると新しくは歯は生えないからな。」
「いや…あれはそんじょそこらの防御技で防げる威力ではないだろう。防御技を使うかもしれんからそれこそ儂は全力で…」
「なに?足が滑って力がうまく乗らなかった?ならもう一回やる?俺はいいぞ。ただできればさっさとしてくれ。」
「親分。あいつはああ言ってるんだから殴らせてもらおうぜ!!なぁに力が入らなくて失敗したのなら気にしないでください。」
「それは…元々一発の約束じゃし…そもそも失敗してはないが…ん?」
「いくぜっ!!」「覚悟!!」
「兄貴なにを!?」「隊長どうして!?」
「破爪竜降斬!!」「速疾鬼突衝!!」
未だに納得できていないヘルクレスの拳をこめかみにくっつけたまま黙って沙汰の続きを待っていたクロノス。そこに飛び出す二つの影…それは三本の鍵爪をつけたグローブを装備した左の手を振うマーナガルフと腰に下げた刃の無い刺突専用のレイピアを抜いてクロノスへ向けていたディアナだった。二人はそれに気づいた者達の静止も振り切ってクロノスへマーナガルフは鍵爪から繰り出された斬撃をクロノスの前面に。ディアナはレイピアから繰り出された高速の刺突をクロノスの右の方から。それぞれ同時に放った。全力ではないにせよS級冒険者二人が放つ破壊力と速度を併せ持った二つの攻撃。同時に受ければただでは済まないだろうそれを受けそうになったクロノスは…
「おっとあぶない。さすがに突撃と斬撃を普通に喰らうのは痛い。」
「なぁっ!!」「なん…だと…!!」
「アハハ…」「ぎゅっぎゅーい。」
クロノスはヘルクレスの拳をこめかみに付けたまま、二人の高速と破壊の一撃をマーナガルフの鍵爪はその一本を上げた足に履かせた靴の裏で受け止め、ディアナのレイピアは先端の尖った部分が自分に刺さる前に手を伸ばしてその少し先の刃の無いところを右手の指で摘む。そうしてそれぞれを止めたのだった。それには攻撃を放った二人も含めて皆が今度は声も失っていた。…だがやっぱり一人と一匹だけ…シヴァルとその肩にいるブラック君はへらへら笑ってぎゅいぎゅい鳴いていた。
「おいおい…こいついったい何者だよ…?」
「ヘルクレスの拳を無傷で受け、私とマーナガルフの…S級二人の一撃を同時に止める…それも何事も無いかのように。これができるのは…冒険者では例え同じS級でも何人もいない。ならば…」
レイピアをクロノスに指で摘まれたまま、ディアナは頭の中の人間の顔と名前を覚える部屋の中を片っ端からひっくり返してあれこれ探していた。そして部屋中に散らばった人間の記憶の中から自分とマーナガルフが今やったことと同じことをして同じように返せることができる人間の候補を五人程見つけ出して戻ってきた。それからディアナは体中から汗を流してなにやら呟きだした。
「滅竜鬼のアティル…九重狐のルナ…二人は女だから違う…!!ならば武人と破界坊主…こいつらは男だが、こんなに若くない…ならば後は一人…まさか…まさか…!!」
「おい風紀薔薇。これはちょっと認めざるを得ないんじゃね?少なくとも俺はもう降参するしかないと思うぜ。ギャハ…」
「だから僕は言っているじゃないか。さっきから何度も。」「ぎゅーい。」
ぶつぶつと呟くディアナを差し置いて勝手に両手を上げて降参の意を示すマーナガルフ。その横でシヴァルとブラック君が今更だと言っていた。
最初とは違う形でしばらく固まっていた三人のS級達。それを見たクロノスはため息を大きく一つして足を降ろしてマーナガルフの爪を、指を開いてディアナのレイピアを、そして空いた両手で押してヘルクレスの巨大な拳を、それぞれ介抱するのだった。
「なんか変な乱入があったけど…これで落とし前ってのは付いたのかヘルクレス?」
「あ、ああ…お前もいいか?」
「は、はい…なんかもうどうでもいいっていうか…いいです。気が済みました。他の奴らにも言って聞かせておきます。」
「そうか…戻っていろ。」
「はい…」
クロノスに尋ねられ何とか声を絞り出してキャルロをナンパをした子分に許可を貰うが、彼はあっさりとそれを了承した。どうやらクロノスがマーナガルフとディアナの攻撃まで受け止めたことで毒気と怒りがすっかりどこかへと飛んで行ってしまったらしい。ヘルクレスは子分に引っ込むように伝えると彼は浮いたような返事をしてからふらふらと他の子分の元へ戻っていった。
「さてと…まだ俺がクロノスだって認められないのか?これでダメなら後は何をやればいいんだ?あれか?腹でアソジャニアの茶でも沸かして見せようか?」
「もう何もしなくてもいい…だが…あまりにも雰囲気が…だって全然…」
「…まさか、な。」
「気づくのがおせーよおじいちゃん!!俺様はとっくに気づいていたぜ!!…三十秒くらい前から。」
「わかったよ。公衆の面前で脱ぐのはどうかと思ったが…ひそかに鍛えた一芸…やってやろうじゃないの!!」
「これは何事ですかクロノスさん?」
戻っていく子分を見送った後でクロノスはディアナに聞いたが、彼女はまるで現実を全て受け入れていないかのようにただ否定の言葉を述べていた。マーナガルフもヘルクレスも話を聞いてくれないしクロノスは本当に茶を沸かしてやろうと上着を脱ごうとしたが、そこで自分に尋ねる声が後ろから聞こえてきたので思いとどまった。そしてクロノスが声の聞こえた向こうを見るとそこには…たくさんのギルド職員と彼らを引き連れた自分の専属担当職員ヴェラザードがいた。
「おっ、ヴェラ!!夕方ぶりじゃないか。夜間出動するとろんとした眠たげな目元で誘惑する夜の蝶な君も素敵だぜ?それにギルド職員もやっと来たか。本来ならマーナガルフの輝が落ちた時点でやってくるかと思ったが…随分と遅いじゃないか。」
「やはりあれはマーナガルフ様の仕業でしたか…。遅れた件について理由を述べさせていただくのなら、砕けた破片がギルドの建物に堕ちて火事になったのですよ。今の今まで職員総動員でバケツリレーで消火をしておりました。そちらは収まったのでご心配なく。それで?これは何事ですかクロノスさん?」
「彼女は…!!」「おい…!!」「むぅ…!!」
クロノスは職員の中の最前列にいたヴェラザードに声を掛けると、彼女は遅れた理由を話してくれた。そしてそのやりとりを間近で見ていた三人のS級は…
「彼女は…ヴェラザード嬢…!!」
「あいつがいるってことは…!!」
「アイツは…本物の終止符打ちさんだ!!」
「…おい。」
クロノスとヴェラザードのやり取りを見ていた三人のS級は、ようやくクロノスがクロノスであると認めることができたのだ。それはまるで長雨がようやく明けた後の晴れた日の素敵な日差しを受けたかのように気持ちよくあっさりと。しかし今度はそれにクロノスが文句を言った。
「おかしいだろ!!君達の判断基準はここにいる麗しき俺の愛すべき素敵なヴェラなのか?俺が担当職員と話をすると俺かどうかわかるのか!?逆にヴェラ抜きだと俺かどうかわからんのか!!」
「いや、それはあまりにも貴様の顔が…終止符打ちと違いすぎて…」
「顔のパーツはそのまんまだよ!!一緒だよ!!何一つ変わってないよ!!昔から!!」
「スマン…言われてみれば顔はまさに終止符打ちそのままなんだが…しかしその…顔というか雰囲気というか…若いモン風に言うのなら「きゃら」が違うというか…なんというかスマン。」
終止符打ちであると認めてもなお…いや、認めてしまったからこそなおさら自分の中の記憶が否定して心を占領する。そんな感じで申し訳なさそうに三メートルの巨大な肉体を縮こませて謝り続けるヘルクレス。正直謝り続ける彼の姿の方が落とし前だなんだと言っていたときよりもクランの評判に関わりそうだったが、彼の後ろに集まっていた気絶から目を覚ましていた子分たちはというと…
「えー?あれが終止符打ち?」「親分の話しで聞いていたのと全然違う。」「俺なんかその人の話で夜中にトイレに行けなかったんだぜ?もう三十なのに。」「そうそう、なんか悪さすれば首を斬りに来るとか…」「浮気をすると夜中にアソコを斬り落としに来るとか…」「ドラゴンを夜な夜な狩っては丸焼きで
頭から食べるとか…」「全然そんな感じじゃねえな…」「お前本当にあれにやられたのかよ?だとしたらよく生きていたな。」「俺だってそうだとは思わなかったんだ。みんなが起きたら謝りに行った方がいいかな?」「明日にしておけ。その前に一緒に折り菓子選んでやるから店に行こう。」「全然違う…」「イメージと違う…」「ねぇこれドッキリ?取材は?」
…みんなそんな感じだった。ヘルクレスがクロノスをクロノスであると認めたことでそれを疑う者は流石にもういなかったが、口々に違うとかまさかとか隣の者と言いあっていた。見ればそれぞれのクランリーダーの元へ集まっていた赤獣庸兵団の赤コートの団員やワルキューレの薔薇翼の女性団員達の反応も皆そのような感じであり、クロノスはもう…なんかいろいろどうでもよくなっていた。