第8話 冒険者、供に(盗人を追いかけましょう)
ミツユースの闇の部分が一手に集まる裏町、通称の名を暗黒通りと言う。その入り口の手前で1人の子供が息を切らしていた。先ほど子供は仕事を成功させ、裏道を使いながらここまで逃げてきたのである。
「はぁ、はぁ。…よし、追っ手は来てないみたいだな。」
子供は来た道を振り返りそこに誰にもいないことを確認すると、安心して息を整えた。
「さすがにぶっ殺すとか聞こえてきた時はびっくりしたけど、脅しだったみたいだ。暗黒通りに入っちまえばそれ以上はもう追って来くることもないだろう。今度の仕事も無事成功かな。」
そう言って子供は手に持つ財布を開き、その中身を確認する。この財布こそがこの少年の本日の成果だ。彼は子どものスリ師だったのだ。
「おっ、やっぱり結構入ってやがるな。杖を持っていたから冒険者の類だとは思ったけど、自由市で散財でもするつもりだったのか?まぁそんなのどうでもいいか。」
やがて少年は財布の中身を数え終えると、懐の奥深くにそれを仕舞い込んだ。盗みに成功はしたが、帰りの道中を狙うハイエナの様な連中もこの裏町では珍しくない。家に着くまでが仕事というのがルール無用の暗黒街の数少ないルールだった。
暗黒通りは広大で犯罪も多発しており、治安部隊にとっても手痛い存在なのだが、おいそれと手を出すことはできない。いつしか集まった犯罪者や裏組織が独自の自治をしているため、たとえ表の権力者であっても無意味な介入を行えば手痛い仕返しを受ける。時には自分の命ばかりか、その毒牙は家族や親類縁者に及ぶことさえあり、そのことを知っているのでまともな街の人間はこの通りを存在しない物として扱っている。
やがて息を整え終わったのだろうか。スリ師の子供はもう一度来た道を確認して誰もいないことに安堵して歩き出そうとしたが、前方の暗黒通り側から何らかの気配を感じて、懐からナイフを取り出した。
「…誰だっ!?」
自分の後ろ、暗黒街の入り口から物音を感じた子供、ダグは万が一のための護身用の刃こぼれしたナイフを構え、後ろを振り向き気配の持ち主を目に入れることなく切りつけた。
いささか手が早いように思えるが、油断はできない。仕事には成功したがまだそれを自分の棲家に持ち帰ってはいないのだ。もしかしたら自分の稼ぎを横取りしようとしたハイエナの連中かもしれない。暗黒通りは裏社会を取り仕切る者たちによって暴力沙汰が厳しく取り締まられている。そのために取締りの対象外であり、表の警備部隊の来ない通りの入り口手前で襲われることが多々あるのだ。
振り向きざまに凶刃を見舞ったつもりのダグであったが、自分のナイフの刃先が、既に失われていることに気付き腕を降ろす。そして気配の持ち主、自分のナイフを傷つけたであろう犯人に向けて敵意の視線を投げた。
「てめぇ、ファリス。いきなりひどいことしてくれるじゃねぇか…仲間に向かってよぉ。」
「お前のことを仲間だと思ったつもりはない。ただ、これは警告のつもりだ。」
ダグが睨み付けた相手は浮浪児仲間のファリスと呼ばれる子どもだった。恰好はダグのそれと大して変わらず、ボロボロのコートをを羽織っており、帽子は被っていなかったがその代わり、季節外れのマフラーで口元を覆っていた。右手には一本のナイフを持っており、どうやらこれがダグのナイフの刃先を奪った正体であるらしい。
「警告?」
ファリスと呼ばれた子供の発言にダグは眉をひそめた。
「そうだ。お前、最近少しばかり稼ぎすぎじゃないのか?今日のそれも結構な金額だろう?」
ファリスが指をさすようにナイフでダグの持っていた袋を指した。そして問いかけられダグは動揺した。
法にはそれなりに厳しいミツユースであるが、子供の犯罪に関しては比較的寛大である。特に食うに困る浮浪児のスリであれば数も多いこともあり、少額ならば街の警備隊に見逃されることも多々あった。そのためにミツユースではいつしか財布を2つに分け、取出しやすい方に小銭や少額の金を忍ばせる文化ができていた。クロノスが言っていたのはこのことだ。
「いや、これは…」
「ミツユースの住人は子どもにはそれなりに寛大だ。だからこそオレたちも獲物を狙うなら少額の財布のみと無言の了解でやってきたのに…お前が誰彼かまわずに大金を狙うせいで私たちもすっかり警戒されてしまった。さっきもお前のことを探していたやつがいたぞ?」
ファリスの言葉にダグは押し黙り俯いてしまう。その状態が数分続いたころだろうか。遠くから大声が聞こえてきた。それを聞くとダグは慌ててファリスに懇願する。
「やべ、さっきの奴らだ。俺のこと追ってきた。ファリス、ここを通してくれ。暗黒通りに入っちまえばこっちのもんだ。奴らもこれ以上は追って来れない。」
ダグの進路を遮る形でナイフを握り構えるファリスだったが、やがて大きなため息を一つするとそこを動いて道を空けた。
「誰かが捕まれば他に迷惑がかかるからな…今回は助けてやる。いいか?警告はしたぞ?大金を狙うのはこれきりにして、しばらく大人しくしていろよ?」
「ああ、俺も警備隊に厄介になりたくはないからな。そうさせてもらうさ。」
共犯でお前も捕まるなよと、ダグはファリスに一声かけ、暗黒通りへの道を一目散に駆けて行った。やがてダグの姿が見えなくなったのを確認して声の方を見やったファリスは、そこに2人の男女がいることに気付いた。
「うおらー!!出てこい糞餓鬼!!今ならケツの穴に棒切れ突っ込むだけで勘弁してやる!!」
「ナナミ、さすがにそれはやめてやれよ。」
暗黒通りの入り口手前、スリの犯人を追いかけてクロノスとナナミは走ってきた。疲れからかナナミは最初ほど怒ってはいなかったが、それでも何が何でも自分の財布を盗んだ犯人を捕まえるて罰を与えるつもりでいるようだった。
「後は警備隊に任せてそろそろ帰らないか?もっともスリごときであのグータラ警備団が何か動くとは…ああ、もう着いたか。」
通りの壁にある、赤のペンキか何かで塗り手繰ったような一本の太い縦の線を見つけ、周囲を確認したクロノスは立ち止り、前を歩くナナミに声をかけた。
「さて、ここまで犯人はいなかったが、そろそろ捜すのは終わりだ。帰るぞ。」
「え?まだ道は続いているじゃない?あっちの方に行ったかもよ?」
「いやいや、お前は知らないだろうけどこの先はまずいんだって…」
先を進もうとするナナミをクロノスは必死に引き止める。暗黒通りは決して堅気の人間が容易に足を踏み入れて良い所ではない。クロノスが発見したのはこの先に暗黒通りの入り口があると言う一種の警告状だった。まだ入り口の手間とはいえ、この辺りには街の警備隊もめったに訪れることは無い。暗黒街の中でもないのでそこでのルールも適用されず、ここはできれば長居したくはない場所であった。
「この先に何があると言うんです?財布を盗られてこのままってわけにも…っきゃあ!!」
引き止めるクロノスに納得がいかないナナミだったが、次の瞬間には足を止めていた。正確には彼女の進行方向に数本のナイフが路面の石畳に刺さる形で刺さったので足を止めざるを得なかったのだが。
「強盗!?こんな時に…」
「…!!いや、これは違う。こいつは…」
愛刀を構えナナミの前に出ようとしたクロノスだったが、石畳に刺さるナイフを見て構えを解いた。
「警告。これより先はミツユースの闇、暗黒通りだ。一般人は近づかない方がいい。」
クロノスとナナミが声のする方を見ると、そこにいたのは両手に一本ずつ地面に刺さるナイフと同じ物を持った1人の子供だった。正しく言えばナイフの一本一本はデザインも大きさも微妙に異なり、いくつかは刃こぼれや錆びつきがみられたのだが。
「警告といったがこれは義務ではない。おせっかいというやつだ。今帰るなら…」
「お前、リリファか?」
クロノスの声を聞き子供は一瞬驚きの顔を浮かべたが、すぐに顔を戻した。
「オレをッ!!その名で呼ぶな!!」
リリファと呼ばれた子どもは激高し、手に持つナイフでクロノスに切りかかってきた。その身のこなしの軽さと斬撃の速さに驚きを持ったナナミだったが、その斬撃は次の瞬間にはクロノスによって彼の持つ鞘に納めたままの剣に受け止められていた。
「悪かったな。ここではファリス、だったな。」
浮浪児の子供ファリスは、大声を上げクロノスを睨み付けた。どうやら2人は知り合いであるようだ。
「あの、2人は知り合いなのかな?…いやそれよりも、こっちにスリの犯人が逃げて来なかった?私、財布を盗まれてしまって。」
ナナミは2人の関係がつい気になったが、盗まれた財布を思い出し今は財布が優先だと自分に言い聞かせ、ファリスに質問した。
怒りの表情を見せながらも地面に刺さるナイフを引き抜き、落ち着きを取り戻したファリス。彼女は手に持った一本以外を残して懐に仕舞い、残った一本をナナミに突き付けマフラーに隠れてよくみえない口元を開いて発言した。
「盗った奴なら確かに通した。ダグ、という奴だ。」
「ああ、やっぱりこちらに…ダグね?すぐに追って…」
すぐにその場を離れようとしたナナミだったが、それは突き付けられるナイフによって阻止された。
「ダメだ。ここから先は通さない。お前のためでもある。」
「えっ、ちょっと待ってよ。ナイフなんて危ない…クロノスさぁん…!!」
ファリスにナイフを突きつけられたまま、ナナミはクロノスに涙目混じりで助けを求めた。しかし、クロノスが首を縦に振ることは無かったのである。
「こいつの警告は素直に受け入れた方がいい。言ったろう?ここから先はまずいんだって。こいつの言うとおり、この先の暗黒通りは一般人が入っちゃいけない。」
「この先ってそんなに良くない所なんですか?もはや名前からして非常にデンジャラスな感じだけど…」
クロノスの引き留めに何かを感じたのだろう。流石のナナミもおとなしくなった。
「ああ、説明が遅れた。この先は暗黒通りと言って、ミツユースの裏社会の縮図そのものみたいなところだ。お前みたいな何も知らない子供が入って3分以内に誘拐されなかったら奇跡くらいのレベルのヤバさだ。」
「帰りましょう。財布は諦めます。」
クロノスの言葉を聞いたナナミはすぐに回れ右して帰還の体勢をとる。彼女は元々ソロ冒険者頃は危険なところに入らないことを信条としていたので、暗黒通りの恐ろしさを知ってしまえば、素直に引き下がるとクロノスは思っていた。
「素直で結構。金がないならさっそくグリジャ達の討伐報酬が役に立つから安心しろ。」
「だから要りませんってば!!」
クロノスとナナミは暗黒通りから離れようと歩き出すが、そこで何か思いついたのかクロノスは立ち止り、ナイフを片付けるファリスに尋ねた。
「そういやダグとかいう奴に関してだが、あきらかに大金を狙っていたのなら問題じゃないのか?」
「そうだな。私たちもあいつには手を焼いている。少し前までは必要な分だけ盗む真っ当なスリ師であったが、ここのところ大金をなりふり構わず集めているようなんだ。」
流石にこれ以上は他の者に迷惑がかかるから、もう同じことが無いようにはしておく。それだけ言ってファリスは立ち去って行った。
「しかし、暗黒通りに入る前にファリスが止めてくれてよかったな。」
「止めるというよりは脅されたような気もするけど…」
「それでも他の奴よりはマシだぜ?他のは普通に金品を要求して、着ている物まではぎ取ってくるからな。」
「そんなにヤバいの…そう考えるとラッキーね。あの門番さんに感謝しないと。」
「あいつは門番じゃないぞ?そもそも暗黒通りは危険とはいえ出入り自体は自由だ。あれはあいつが勝手にやっているだけの事。」
クロノスの答えにナナミは少し驚いた。彼女は幼いながらもそれなりにナイフ裁きは見事なものだった。てっきりその腕を活かした門番が彼女の仕事であると思ったのだが…
「ではファリスさんのお仕事は一体?浮浪児ならゴミ漁りとか盗みとか?」
「いんや、確かにそれもあいつの仕事の内だが。そうさな…防犯アドバイザーってところ?」
「防犯アドバイザー?」
「そう、防犯アドバイザー。」
理解できないクロノスの言葉を耳に入れながらも、ナナミはもう一度ファリスを目に入れようと振り返ってみたが、そこに彼女はもう居らず、あるのは地面に空いたナイフの跡と、そこらに散乱するゴミだけだった。