第79話 初めての依頼で迷宮を巡ろう(ミツユースの中にある、とある裏通りでの出来事)
話は飛んでクロノス達がいるミツユースに戻る。そのミツユースに幾らでもある、とある裏通りでのこと…
「フッ…ハッ…!!」
建物と壁の影になり光の当たらないじめじめした裏通り。道には浮浪者やならず者の捨てたごみが散乱している。その中には硝子の破片や鉄くずも混じっており、ひとたび転べばそれは拷問にも等しき痛みと化すであろう。そんな道を一人のみすぼらしい姿の少年が走っていた。
「ハァ…ハァ…もう追っ手は来てないか…?」
少年は全身を汗まみれにしてしばらく走り続けていたが、やがて裏道の袋小路に突き当たったところでようやく立ち止り息を整えながら恐る恐る後ろを振り返った。しかしそこに少年の恐れていた存在はいなかったようで、少年は一安心とばかりに肺の奥にたまっていた熱い空気を外に吐き出した。
「ふぅ…いないか。やっとまけたみたいだ。ちょっと…休憩…」
少年は汗でびっしょりな顔を服の袖で拭うがその服にも既に多くの水気が染みついており上手く拭き取れない。それどころかそのぬるい水気が顔中に塗り手繰られてしまい、少年はいらつき混じりに腕を振るった。
「ああクソ…!!水路の横を走った時に水が跳ねたな。ずぶ濡れだ。何か拭くものは…」
「使うか?」
「あっと悪いな…ふぅ、冷てぇ。ああ、すっきりした。」
顔を拭くために服を漁って布きれを探していた少年だったが、横から綺麗なタオルを手渡されて礼を言ってからそれを素直に受け取った。タオルは一度水でぬらしてから余分な水を絞り落としていたようで、顔に当てると冷たくて気持ちがいい。少年はたまらないとそのままシャツを捲って体も拭き始めた。
「(ああ、火照った体にひんやり湿ったタオルは最高だ。そういえばしばらく風呂に入っていなかった。臭いがひどいと浮浪のガキだと警戒されて仕事がやりづらくなるから、後でどこがで水浴びを…ちょっと待て。今タオルを渡してきたのは誰だ?)」
そう考えた少年がズボンのポケットに隠していた小さなナイフをタオルを渡してきた人物に向けようとしたところで…手に何かをぶつけられて痛みでナイフを上の方に手放してしまった。
「よっと。投げナイフとは芸達者だな。スリなんてさっさと脚を洗ってしまって観光客向けに大道芸でもして生計でも立てたらどうだ?…なんだかこんなやりとりを他の奴とやったことがあるような気がするな。これがデジャヴというものか。」
ナイフはくるくると宙を舞い、最後にタオルを渡してきた人物の手に収まるのだった。手を庇っていた少年はそこで初めて人物の正体がわかった。そいつは小柄で自分と同じくらいの年ごろの子供だった。小年はその子供に見覚えがあった。
「てめぇ、ファリスか…?スリはてめぇも同じだろうが。」
「ああ、実は私はこの間スリからは脚を洗うことにしたんだ。良い人間に拾われてな。今は冒険者をやっている。あと私の本当の名はリリファだ。今まで隠して済まなかったな。」
少年を今の今まで追いかけ回して彼からナイフを取り上げた子どもはリリファだった。少年は厄介なやつに目を付けられたと道に唾を吐いてからタオルを彼女に投げ返した。
「私…ああ、てめぇ女だったのか?しばらく見ないと思ったら小奇麗になりやがって。釈放されてから見なかったからてっきりよその街へ行ったとばかり思ってた。冒険者と言ってもどうせロリコンの愛人かなんかだろ?あんな野蛮人ども可愛がってくれるのは最初のうちだけだ。そのうちモンスターをおびき寄せる餌にされるか姓奴隷として人間売りに売っぱらわれるのがオチの相場さ。」
「…冒険者になって改めて思うのだが、なぜ浮浪者や荒くれ者ほど冒険者を貶すんだろうな?街の真っ当な人間とは割と良好なのに。確かに見た目も行動も未開の地の野蛮人そのものだが、彼らにもきちんと文化と礼儀はあるぞ。…冒険者なりのな。」
「なにをさっきからごちゃごちゃと…で?一体何の用だよ?なぜ俺を追いかける?」
後ずさりして距離を稼ぎながらもリリファへの威圧を続けていたが、彼女の方は実に涼しげな表情だった。そしてスカートを捲ってその下の太股に装備したナイフホルダーから自分の獲物の小さなナイフを一本取出して、それで少年のズボンのポケットを指し示したのだった。
「用も何も私はお前がさっき通りで婦人から盗んだ財布を返してもらいに来ただけだが。」
「…財布?し、知らねえな…?」
「恍けても無駄だ。目撃者も何人もいるんだ。だいたい、覚えがないのになぜ逃げる。自分が犯人だと教えているようなものだ。やるならもっとスマートにやれ。浮浪児のスリは盗りやすい所にある中身が少ないダミーの財布を盗むのが暗黙の了解だっただろう。かわいそうに。お前が無理に懐の奥にある本命の財布の方を盗もうとするからご婦人は転げた拍子に脚を打ったらしい。これは流石に見逃してはもらえないだろうな。」
「…お前には隠せないか。頼むよ。見逃してくれよ。元は同じ浮浪者仲間だろ?腹が減ってたんだ。それつい欲張っちゃって…」
これ以上は隠し通せない。少年はそう察して言い訳を並べながら後ずさりしていつでも逃げ出せるようにしていた。後は目の前のリリファが隙を見せた時に逃げるだけ。そう考えていた少年だったが、リリファはなかなか隙を見せず、少年は次第に焦りの表情を浮かべていた。
「まぁ浮浪児などいつも食うに困る身だからな。つい盗んだというのなら街の人間も諦めるのが暗黙の了解。私も見逃すんだが…」
「だよな!!それじゃあ…」
「だがお前はダメだ。お前、デビルズのメンバーだったろう?放っておけばまた欲望のままに何かしでかすだろう。さっきのがいい例だ。だから見逃さない。」
そう言ってリリファはホルダーからナイフをもう一本取出して開いていた片手に構えた。どうやら少年を逃がす気はさらさらなかったらしい。
「お前達デビルズは私にとっては一応因縁の相手なわけで…お前たち一人一人がデビルズのメンバーとしてどんな悪事を重ねていたかわかる範囲で記録をしているんだ。お前…えっと…そうだ。「シーフォ」だったか。お前、去年の夏に他のメンバーと民家を鍵破りして、そこの住人の夫婦を皆殺しにしただろう?街の警部兵はあの時の犯人の一人だと気付けずに、お前だけを他の大した罪のない下っ端と同じく釈放してしまったようだが…まぁ何百人もの浮浪児の罪状などいちいち確認していられないだろうし、何人か大物の見逃しがいても仕方ないな。」
「げ…確かにそうだけどさ…あの時は上納金のノルマが厳しかったんだ。殺してでも奪って来いって言われたから…払えなきゃ俺が死んでた。」
少年は目に涙を浮かべてあの時は仕方なかった。怖かった。許してくれ。ちゃんと罪は償うから。そんなことを言ってリリファに許しを請うたが、彼女は表情一つ、眉の一辺すら動かさなかった。なぜならシーフォ少年の言っていることが嘘であると元裏の人間として見抜いていたからだった。
「仕方なかった?楽しかったのにか?」
「…え?」
「実は最近あの事件で生き残りがいたことが分かってな。その夫婦の一人娘だ。ベッドの下に隠れていたらしい。そいつからその時のお前達の行動を事細かに聞かされた。お前達、助けてくれと言っていたその家の主人に笑いながらナイフを突きたてていたらしいな。そして妻の方は首を掻っ切ってから事切れるまで順番に犯していたのだとか。それで嫌々やっていましたは少し無理があるのではないか?」
「…」
淡々と語るリリファにシーフォは何も言い返せなかった。楽しむことで感情を誤魔化していた。本当は辛かった。そう言い訳をすればまだ時間が稼げたかもしれないが、稼いだところで助け舟が来るわけでもない。そもそもそこまで自信たっぷりなリリファが見逃すはずはない。あいつは浮浪児の頃からなぜか正義感が変に強かったのだ。生き残りがいたことも証言もおそらく本当だ。なぜならそれらの証言は全て身に覚えがある本当の事だったからだ。ここまで証拠がそろっているなら、奴は必ず自分を警備兵の詰め所に突きだすだろう。そうすれば今度こそ自分はお終いだ。快楽のために盗みと殺しをやったことがばれたら縛り首は間違いない。
「一応聞いておこうか?自首する気はあるか?自首しても罪は軽くならないがな。この国の法律は子どもだからというだけで殺人を許してくれるほど犯罪者に甘くないぞ。事情が事情だと縛り首を避けたとしても炭鉱送りからの一生強制労働が相場だろうな。」
「そうかい…なら遠慮はしねぇ。逃げてやるよ。お前を殺して他の国まで逃げてやる。」
シーフォは生き残るために戦うことを選んだ。そして懐から新たなナイフを取り出してそれをリリファに向けて構えたのだった。
「お前は知らないだろうがな…俺はデビルズにいたころは「赤ナイフのシーフォ」って呼ばれてたんだぜ。ナイフが赤くないって?これから赤くなるんだよ…お前の血でな!!死ねっ!!」
少年はリリファに向かって走り出し、真っすぐにナイフを突きつけた。そのままナイフはリリファの胸に吸い込まれていき、後は皮を突き破って臓物に突きたてるだけ。そう考えて勝利を確信したシーフォ少年だったが…
「そらっ、「アウトウェポン」。」
「えっ…!?ぐえっ!!」
リリファの胸に刺さる前に視界の外から力がかかり先ほどと同じくナイフが弾き飛ばされてしまった。驚くシーフォ少年だったがリリファから顔面に蹴りを入れられて視界が暗転し気を失ってしまった。
「悪いが今の私は冒険者なんでな。おかしな術技でお前のような輩の武装解除など簡単なのだ。…って気絶していたら聞こえるわけないか。」
リリファはシーフォが落としたナイフを拾い上げてから彼の方を向いた。その目は命を賭けた一戦を終えたばかりというよりは単純な作業を終えただけといった感じで、相手に何の感情も持てない冷ややかなものだった。
「さてこいつ…どうしてくれようか?このような屑、裏町にはいくらでも溢れてはいるが溢れるあまりまた表の住人に迷惑を掛けないように間引きでもした方が…」
「それはちょっと勘弁してくれよ。」
後ろから新たな声が聞こえリリファがそちらに振り替えると、そこには一人の銀髪の男がいた。しかしリリファは男にお前は誰だとなど誰何しない。男が何者か知っていたからだ。
「ジムか。監視員の仕事はどうした?」
「いやいや、こういうのパトロールも大事な仕事の一環なんだって。サボるとアトライアさんがうるさいんだ。夜はいろいろ忙しいから昼のうちにやっておくの。」
「お疲れ様とは言っておいてやろう。それで?何か用か?」
「そいつを粛清したいのは分からんでもないがそいつは俺らの仕事だから引き渡してくれ。リリファちゃんはもう足を洗って表を堂々と歩く身だ。殺しなんてするもんじゃない。そういうナイフはモンスターに向けな。」
「粛清というがこいつを殺して同じ様な屑になるつもりはない。ちょっと私刑して同じことを二度とやらないようにしておくだけだ。」
「それもダメ。寄越しなさい。」
ジムにそう諭されてリリファは仕方ないとため息をついてシーフォの二本のナイフをジムに投げてよこした。刀身がむき出しだったがジムは上手くそれの持ち手をキャッチしてしまってから横たわるシーフォの手足を縄で縛り、全身に麻布を被せてからまるで麦袋を持つかのように肩に抱きかかえた。
「…ったく、あの事件の生き残りの娘のことは知られないようにいろいろ情報いじくったのに…誰だ教えてたやつ。」
「アトライアに聞いた。飴二個で手を打ってもらえたぞ。」
「先輩!!あんたベテランなんだからちゃんとして!!」
ジムは空に向かって監視員の先輩でパートナーである青髪の少女のような風貌の女性への恨み辛みを放った。その声は大きく、騒ぎを聞きつけて表通りから誰か来そうなものだが周囲には音消しの結界をジムが張っているのでここに誰か来ることは決してないだろう。
「まぁそういうことは今後やらないことにする。クロノスが悲しむからな。今日は釈放されたデビルズの下っ端がバカをやらかさないか表通りを見張っていたら、たまたま目の前で盗みをした奴が放っておくとまた何かやらかしそうなやつだったから手を打っただけだ。エスコートご苦労様。」
「エスコートするんならこんな屑じゃなくて未来の嫁さんをお姫様抱っこしたいよ。それじゃあ俺は行くからリリファちゃんはこいつを倒したことを誰にも言うんじゃないぞ?あくまで俺がやったことにしておくんだ。ただでさえも裏町の外に行ったやつは目を付けられやすいんだから。生きる意味を見つけてスリを止めて冒険者になり体力を有り余らせているのは嬉しいことだが…」
そう言って来た道を戻って裏道の奥へ消えていくジムだったが、何かを思い出したようで暗闇の中から
振り返って声を掛けてきた。
「すっかり忘れていたが、こいつが盗んだ財布は俺が持ち主に返しておく。それと体力が有り余ってるなら迷宮都市の迷宮ダンジョンにでも挑戦してみたらどうだ?あんまり危ないのも心配だが、ミツユース周辺のモンスターで退屈するくらいなら一度行ってみるのもいいだろ。ミツユースからなら割と近いし遊びに行くつもりで。終止符打ち…クロノスにも頼んでみろよ。あいつは過保護で自分勝手な奴だが人の意思と考えは割に尊重する方だからさ。じゃあな。」
その言葉を最後にジムが建物の影に消えて気配が無くなった。おそらく追いかけたところでもう会えないだろう。ジムたち監視員ならば街の警備兵では与えられなかった相応の罰を屑のシーフォにきっと与えてくれるだろう。…死んだほうがマシなレベルの物を。追いかける必要もない。それよりもリリファにはジムが帰り際に放った言葉が胸から離れなかった。
「迷宮都市か…確かにこの辺のモンスターはダンジョンの守護者以外ではだいぶ楽になってきた。この際もっと上の相手と組みあっても面白いかもしれないな。そうすればきっとイノセンティウスも…」
リリファは太ももに着けたナイフホルダーに収まっている紅い刃の一本の短刀…かつて宝剣と呼ばれ一族に伝わっていたもののなれの果てをそっと撫でた。
「よし…!!今日の屑狩りはこの辺にしておくか。腹も減ったし帰ってクロノスに打診してみよう。」
リリファは誰も聞いていないのにそう言って、猫亭までの道を急ぐのだった。
――――――
「ならセーヌとアレンはオッケーだな?数に入れておくぞ。」
「はい。明日からは子どもたちの預かりも少ないですし、最近は新たに教会のシスターを派遣してもらえるようになってきましたので大丈夫です。」
「母ちゃんも許可くれたよ。その代わりになんかあった時のためにレターセットを渡されたし、学校で先生に宿題を沢山持たされたんだけど…。ウィンももうすぐミツユースからいなくなるから、おいらその前に何かプレゼントあげたいんだよね。向こうに行っていいアクセサリーがないか見てきたいよ。」
「女に貢物とは男らしいな。宿題については家の手伝いと勉学の両立が冒険者を続ける条件ならば仕方ないさ。向こうでもやる時間を用意してやる。ならあとはリリファだが…」
「…本当に大丈夫ですの?こんな女子供でダンジョンに挑戦なんて。ピクニックではないんですからね!!」
「まぁまぁ。いざというときはクロノスさん一人でも大丈夫ですので。」
「お客さん。この人は冒険者の中でも飛び切りヘンテコに見えるけどちゃんと名のある実力者ッス。ギルドもそう言って紹介してくれただろ?」
「確かにそうですが…心配ですわ。」
猫亭ではクロノス率いるいつもの団員からリリファを引き、そこにダンツとヴェラザードを加えたメンバーがテーブルを一つ占領して何やら話し合っていた。傍らには見慣れぬ女性が一人いて、クロノス達の話にいちいち横槍を入れ、そのたびにダンツとヴェラザードがフォローして宥めていた。。
「後はリリファちゃんが帰ってくるだけだね。」
「そうだな。リリファの奴早く帰ってこないかな。あいつの同意が今あれば午後に準備して明日の朝一番に出られるのに。」
「クロノス!!私は迷宮都市の迷宮ダンジョンに行ってみたいぞ!!」
クロノスが何かそういったところで猫亭の扉が開け放たれてリリファが飛び込んできた。彼女の言葉を聞いたクロノスは「ナイスタイミングだ。気を効かせてくれたのはどいつだろうな?」と猫亭の天井を見上げて呟くのだった。