第72話 小さなチャレンジ・スピリッツ(試験を続けましょう)
午後の茶飲み休憩の時間が終わる頃、商店街で働く人々はこれから訪れるであろう客足のために自分達の茶を片付け、もう一仕事だとそれぞれが気合を入れて夕方までの短い時間の働きを再開し始めていた。
「母ちゃん。それじゃあ配達に行ってくるから後は…うおっと!?」
その中の一人である雑貨屋の親父が配達の荷物を台車に積もうと店から出たところで、前から走ってきた少年にぶつかってしまった。幸い少年はぶつかる手前で親父の存在に気づいて勢いを弱めていたので両者とも吹き飛ばされ転ぶことは無かったが、親父は手に持っていた配達の荷物をいくつか落としそうになってしまい、ぶつかられた親父は少年を叱りつけた。
「何しやがるわんぱく坊主…!!おっと、シスターのところのハンスか。前見て歩かないと危ないぞ!!」
「おじさんゴメンよ!!急いでるんだ!!」
ぶつかった少年は知り合いのハンスだった。雑貨屋の親父に注意されてハンスは素直に謝罪すると急いでいるからと再び走って道を急いだ。
学校の放課後にハンナと一緒に再び猫亭へ赴きそこで待っていたハンスは、戻ってきたアレンが猫亭の主クロノスと決闘をすると聞くと猫亭を飛び出して彼の母のべリンダのいるパン屋へ向かった。そしてそこで大量の客と格闘するべリンダを見つけアレンが大変だと告げ、連れて行こうとしたのだ。しかし…
「悪いが客が多くて手が離せないよ!!ったく、珍しく客足を読み間違えるとは…いつもならこの時間は暇な近所の常連しか来ないってのにああ忙しい…!!そもそもあたしはアレンと朝から喧嘩中でね!!…決闘!?ああやれやれ。男ってのは決闘の一つや二つやって大人になるもんさね。命が危なくないのなら自分でなんとかしなって言っといてくれ!!…なに!?三番のパンが切れそう…?あれはウチの看板商品じゃないか!!窯は熱してあるかい?よしきた。あたしが焼くからあんたは接客を…!!」
一人で何人もの客を同時に捌きながら臨時で呼んだ店員たちにパンの陳列や会計を指示を出して忙しそうにするべリンダは、ハンスにそう言って厨房の奥へと消えてしまった。そのパワフルな一連を見ていたハンスは連れて行くのはさすがに申し訳ないと諦めて、もう一人のアレンの下へ連れて行くべき人物を探して何度も街の住人とぶつかり、それを謝りながら街中を走り回っていたのだ。
「ベリンダおばさんってばアレンに似て頑固なんだから…いや逆だ。アレンがべリンダおばさんにそっくりなのか。あの二人間違いなく親子だよ…!!とにかくあいつを探さなきゃ…!!」
ハンスは商店街の角を曲がりミツユースの初代市長のブロンズ像が飾られた広場を通り過ぎてある場所へまっすぐ向かっていた。
「あいつもう家に帰ったのかな…でもあいつの家って…色町の中だよな?」
ハンスが目指していたのは目的の人物の家があるミツユースの歓楽街の中にある色町だった。しかしそこへ向かっているはずのハンスは不安げな様子だ。
「子供の俺じゃ色町なんか入れてもらえないんじゃ。…ダメだったら入り口の見張りのおっさんに頼んで呼んできてもらおう。おっと近道するか。」
とにかくまずは行ってみようとハンスは大通りの交差点を右に曲がってすぐの裏の路地に入っていった。どうやら近道しようと考えたらしい。その裏路地は前は不良がたむろしている危険な路地で有名だったが、どういう訳かここ最近不良の姿がめっきり見られず、近道できて便利だからと街の住人が良く使うようになっていたのでハンスも入るのに躊躇しなかった。
「(今日も不良の兄ちゃんは誰もいないな。この道便利だからもう誰もたむろしないでほしいんだけど…そのうち浮浪者の溜まり場になっちゃうのかなぁ。おっと今はあいつだ…お?あれは…)」
ハンスはそんなことを考えながら路地の中の小さな十字路を突っ切ろうとした…ところで、横の道の壁で行き止まりになっているところにいた人物が目に入った。
「いた!!ウィン…でもあいつら…」
脚を止めたハンスの視線の先にいたのは彼が探していた少女ウィンだった。しかしそこにはウィンだけではなく、朝に彼女をいじめようとしていた学校の問題児ブッセンとコルモンもいた。いきなりの発見だったがハンスはすぐには声を掛けずに角から三人の様子を覗った。
「はぁ…あたしは残り少ない学校生活を静かに過ごしたいのに、あんたらはどうして邪魔ばっかりするのかしら?」
「うるさい!!お前のせいでなぁ、俺とコルモンは登校した矢先に先生に説教されて廊下に立たされた後、昼飯抜きで午後はずっと学校中の掃除をさせれたんだ!!」
「お前がここを通って家のある色町に帰ってるのは知っていたから待ち伏せてたんだ。俺らは廊下に立たされたのと掃除で手と足が疲れちまったんだぞ。どうしてくれる?お前のせいだぞ!!」
ハンスに気付くことなく自分達の目的と行動を語るブッセンとコルモンに聞いていたハンスは呆れてため息をついた。今朝のことを教師に報告したのはハンスだ。おそらく二人も大方の予想はついているだろうが勝ち目のないアレンとハンスに復讐することよりも不完全燃焼で終わったいじめの続きをやることを選んだのだろう。学習しないやつらだとハンスは歩いて背中を向けるブッセンとコルモンに静かに迫る。
「子どもの癖に香水なんてつけやがって。花臭いんだよ!!」
「学校でつけないのも先生に怒られないようにするためだろ!!卑しいやつ!!」
「これはこれからママの店でお手伝いをするからよ。客を取らない手伝いの私でもお客を不快にさせないように努力しなくちゃいけないの。毎日落とすのも大変なんだからね。だから一刻も早く解放してもらえる?お客が来る夜の時間までにいろいろやらなきゃいけないの。あんたたちほど暇じゃないのよあたしは。」
「口答えするな!!娼婦の娘の癖に!!」
「口答えする卑しい口なんてこうして…ぶべっ!!」
「どうしたブッセ…ふぎゃ!!」
ウィンに手を上げようとしていた二人を襲ったのは背後からのハンスの飛び蹴りだった。良い当たりを頭に喰らった二人はそのままウィンの横の壁にぶつかり、頭を打って気絶してしまった。突然の事態にもウィンは怯む様子もなかった。
「相手をしたきゃ俺とアレンがやってやるっていつも言ってるだろ?本当に学習しないやつらだぜ。ウィンも大丈夫か?」
「あらハンス。今朝に続いてどうもありがとう。まだ何もされてないから大丈夫よ。…アレンはいないのかしら?正直なところアンタじゃなくてあたしを買う予定のアレンに助けてもらいたかったけど、贅沢は言えないわね。」
「アレンなら今は…そうだった。それどころじゃねえ!!お前を探してたんだ。実はアレンがおまえのために決闘するんだ!!セーヌ姉ちゃんが働いているところのクロノスって人と!!だから一緒に来てくれ!!」
走っているうちに忘れかけていた目的を思い出してハンスはウィンにアレンの身に起こった出来事を伝えた。するとさっきまで冷静でいたウィンの顔が驚きと不安に包まれた。
「クロノス…!?決闘って嘘でしょ!?大変!!止めないと!!」
「あ、おい。待てって!!」
ハンスから話を聞いたウィンはアレンの居場所も知らないのにハンスより先に裏道の出口を目指して飛んでいき、それをハンスも追いかけるのだった。
―――
「ぜぇ…ぜぇ…」
「あ~欠伸が出そう。これも何もしないルールにノーカンで頼むわ。ふわ~あ…。」
茶飲み休憩を終える時間を迎えた猫亭では、未だクロノスによるアレンの試験が続いていた。肩で息をしているアレンの周囲には見るも無残に砕け散った武器がいくつも散らばっており、それが試験の開始直後と同じくアレンが果敢にクロノスに挑み続けた証拠となっていた。対するクロノスは余裕な表情を保ったまま疲れなどどこへ吹く風といった感じで大きく欠伸をした。彼はアレンと違い攻撃も何も行っていないので当然と言えばそうなのだが。
アレンは最初の一撃が文字通り打ち砕かれた後も新たな武器を手に取り果敢にクロノスに挑んだが、その結果はただ足元に無残な残骸を作りづけただけ…つまりはクロノスにまったく攻撃が通らなかった。そのうち攻撃の仕方に趣向を凝らして肩や足元を狙ったり一度はもういっそとやけになり殺すつもりでクロノスの首元を狙っても見たが、それでもやっぱりクロノスには傷一つつかなかったのだ。
「はぁ…はぁ…。」
「おいおい…もう終わりか?控えめに言って弱すぎてつまらないな。」
「うるさい…今、次を…次はとっておきを味わわせてやる…!!」
「そうか?それは楽しみだ。では同じように何もせず待たせてもらうとしようか。」
疲れ切っていたにも関わらずそれでもクロノスに啖呵を切るアレン。それを見てクロノスは腕を差し出してアレンの攻撃を待っていた。
「そらどうした。おらどうした。まだまだ武器はたくさんあるぜ?…それとも、これが君の全力か?」
「うるさい…!!このっ!!」
クロノスに挑発されたアレンは近くにあった美しい銀の光沢を纏った刃を持つ手投げ斧を手に取ってそれをクロノスに投げつけた。アレンの手元を離れて回転して襲いかかる斧はクロノスの顔面を見事に捕えその鋭利な刃を見せつける。…が、刃がクロノスの顔に当たると同時、木端微塵に砕け散ってしまった。これまでもさんざん試していたのでわかりきって結果にアレンは悔し紛れに舌打ちをした。
「…美しい武器は散り様も美しいな。俺も今度から武器は見てくれだけでも選ぶべきだろうか?それより今のやつがとっておきというのなら俺は失望の感情を見せずにはいられないな。」
「くそっ、いったいどうなってるんだよ!!ここの武器が実は全部見かけ倒しの三流以下じゃないのか!?」
「ふざけるなアレン!!そんなことは無いと元鍛冶職人の儂が保証するぞ!!どれもこれも一級品のものじゃ!!というかもうちょっと優しく扱って!!貴重な物もたくさんあるんで…お願いだから…!!」
クロノスにまったく傷をつけられないアレンが用意された武器のせいにしだした辺りで闘技場の外から涙を流して業物達の最期を見届けていたバレルに叱られてしまった。手元や足元にはアレンが壊した武器の残骸が集められており、どうやら隙を見て闘技場に侵入して拾っていたらしい。
「これなんとか直せないかの…?どこかの鍛冶場を借りて儂の手で…しかし武器の修理なんてもう何年もやっておらんし…。じゃがどれもこれも貴重な…これなんて儂が発売日に3時間並んでも買えなかったのに…!!金庫から全財産持ち出して親にめっちゃ怒られたのに。」
「バレルの爺さんだけずるいぞ!!俺にも寄越せ!!」
「破片とはいえ素材は上質な金属みたいだから売ったらそれなりになりそうだ!!」
「黙れ!!これは儂のもんじゃ!!誰にも渡すものか…!!」
観客の中にはアレンの試験に飽きてバレルの集めた武器の残骸を巡って小競り合いを起こす者がいた。残骸を奪おうと彼らが伸ばす手にバレルは必死で抵抗していた。
「誰の物でもなくこの俺の物に他ならないんだが…。後で全部返せよ!!」
「寄越すものかぁ!!全部儂のじゃあ!!」
自分の大槌を奮って戦うバレルを見てクロノスはそう声を掛けたが、それはバレルには伝わってないようだった。目は既に何かに取りつかれたかのように虚ろになっており、時既に遅しかとクロノスは武器の奪還を諦めた。
「アレン君がんばれーがんばれー!!(パイを食べながら)」
「負けるなアレン!!オレは応援してるぜ!!(茶を啜りながら)」
「兄貴は足元が弱点と見たぜ!!試してみろよ。(酒を飲みながら)」
観客の殆どはクロノスに勇敢に立ち向かうアレンを応援していたがそれも健気に挑み続ける少年を面白がってのことで、皆手には酒やパイを持っていた。それは応援というよりは酒の席の余興を楽しんでいる感じに近かった。それでも自分の戦いを無様だと貶められるよりはマシかとアレンは声援を素直に受け取っていた。
「自分が戦わないからって好き勝手に言うなもう…よし次を喰らえ…。痛っ!!」
クロノスの背後に回りそこにあった大槌を構えてクロノスの後頭部目掛けて振り下ろしたが、アレンは手に痛みを覚え腕を抑えた。振り下ろす途中で手を離してしまったので大槌はくるくると回転して飛んで行き、それはクロノスの後頭部に命中したがやはり粉々に砕け散って木片となった。
「なんかいきなり手を放した気配がしたけどフェイントでもしたのか?うまくはいかなかったようだけど。」
「…そうだよ。これなら来るのを待ち構えらんないと思ったけど、どんだけ丈夫なのさ。」
「嘘つきたまえよ。どうせ意味ないのだから正面から堂々と挑んでもらうとありがたいな。攻撃が見えないと君に対する正当な評価ができないぜ。」
クロノスの問いに強がって虚勢を張ったアレンだったが、クロノスにはそれが嘘であると見抜かれていたようだった。アレンはどうせ後ろもよくわかっている癖にとクロノスの顔を睨んだ。もっともクロノスは後ろを向いていたのでアレンは後頭部を睨むことしかできなかったのだが。
「アレンの奴どうしたんだ?急に腕なんか抑えて。」
「さっきのがフェイント?それは無理があるよね。」
「違うね。アレンに限界が来たんだ。」
武器の闘技場の外からアレンが大槌から手を放した理由をあれこれ模索する観客だったが、その中の一人が正解を答えていた。
「アレンは武器の扱いなんか知らない街の子供だ。握り馴れない武器を何度も振り続けられるわけがない。いくら扱いやすい良い武器とはいえ種類も形も違うものをいろいろ使い続けて疲れないはず無いよ。大人の俺だって疲れるもの。」
「そうだな。それに加えてクロノスの旦那に武器をぶつけた時それがぶっ壊れるくらいの衝撃が腕に返ってくるんだ。持ち手にもそのダメージは計り知れないぜ。」
「そんなことは…痛っ!!…ウソだろ!?」
冒険者達の言葉を片耳に捕えアレンが己の掌を見るとそこには大きく黒ずんだ血豆がいくつもできていた。一つは既に潰れて漏れ出た血でどす黒く染まっており、家の手伝いで薪割を二時間ぶっ続けでやり続けた時もここまでではなかったのにと自分がこの短時間でこれほどの血豆を作ったことに驚くアレンだった。
「ま、グリップ付きの手袋とかしないで素手でやってりゃな。いまから外の奴らに借りても手遅れだ。そろそろ限界だろう?諦めたらどうだ?」
「まだまだ…!!いたた…。」
「その手じゃ武器を満足に握ることも難しいんじゃないか?」
アレンは強がって新たな武器を地面から抜こうとしたが、手に激痛を覚え手を離しその場に座りこんでしまった。
「疲れと痛みによるしばしの休憩時間と言った所か。実際の戦いに休憩なぞ望めないのだから手を休めるのは減点だ。と言いたいところだが、君が諦めていないのなら俺は君に失格を認めることはできないというルールだったしな。また握れるようになるまでゆっくりどうぞ。」
「うぐ…」
アレンが動かないのを見てクロノスも一休憩だとその場に腰を降ろして座りこんだ。
「おい、誰か俺の分のパイくれよ。そういや俺朝からパンとスープ二杯しか食べてなかった。流石に小腹がすいた。後アレンにもやって。」
「クロノスさん甘いの嫌いじゃなかったの?」
「大好きというわけではないが嫌いではないぞ。好き嫌いしないのが良い冒険者というものだ。」
「もうないわよ。いらないのかと思って私とチェルシーが食べちゃったわ。」
「勝手に食べる人の分は倍美味しかった。」
「そうなの?なら君のパイでもいいや。」
「…それはどっちの意味かしら。返答の次第ではただじゃおかないわよ。」
「三枚おろしにされたくなかったらお姉ちゃんに胸の話は厳禁。」
「おおっと。君の手元に残った食べかけのアップ―ルパイの方だから安心してもう片方の手に持った尖った剣の破片を降ろしてくれたまえよ。…まだ好感度が低かったか。もうちょい親密になってから…というか怖!!ジェニファー怖!!君本当に温厚さで有名なウサギ獣人かよ。」
「どんなに温厚な人でもセクハラされたら怒るって。クロノスさんが悪い。ちょっと待ってて。生地が残ってたからおかわり焼いてくる。こんなの炎魔術があればぱぱっとできるからナナミさんにお任せあれ!!」
「やったぜ。言ってみるもんだな。…魔術なんて使わなくていいからな?じっくりこんがり焼くといい。だから焦がさないでね?きちんと手順通り作れば君の料理はおいしいんだから。」
クロノスはハイハイと手を振って答えるナナミを見送ってから他の観客と喋って暇をつぶしていた。その隙に一撃入れたいアレンだったが、まだ手の痛みが引いておらず体力も回復していないので仕方なくその場で回復を待った。
「くそ、どうしてあんなに硬いんだよ。いったいどうやったら傷をつけられるんだ。…もしかしてなんか特別なやり方があってそれを見つけるのが本当の試練とか言うんじゃないだろうな…?」
「聞こえてるぞ。君が俺に一撃当てれば終わりで間違いない。さっきからいろいろ武器を持たせてるけど、どれも太刀筋はなかなかいいんだよな…もったいない。」
試験の裏を読んでいたアレンを否定と共に腕はいいと評価する声が聞こえ、アレンがそちらを向くとクロノスが休憩を終えて立ち上がっていた。どうやら観客との他愛もない話は終わってしまったらしい。
「もったいないってどういう意味だよ?むしろこれから冒険者になるんだからもったいないなんてことはないだろ。」
「いいやもったいないね。君には宝の持ち腐れさ。…アレン。なんで俺が君に試験をさせようと思ったかわかるか?」
「…それはおいらがトロルを狩ろうとしたのを見て冒険者としてやっていける優秀な素質があると思ったからでしょ?だから母ちゃんに許可がもらえなくても冒険者になれるこの試験をさせてくれたんじゃ…」
「そうかそうか…くくく…はははは!!」
アレンがきょとんと首をかしげそう答えると、クロノスは突然笑い出した。そして腹を抱え笑いの余り背中から地面に倒れて転がった。笑い転げるという言い方がふさわしいくらいに。
「くっひひ…っく、くく…だいいち君はトロル相手に死に掛けたじゃないか。それを優秀な素質だなんて…ぷぷ…ふぅ。やっと落ち着いた。偶には腹抱えて笑い転げると言うのもいいものだな。ありがとう。」
しばらく笑い転げていたクロノスだったが、ひとしきり笑うと一息してやっと起き上がった。見れば待っていたアレンは笑われてお冠の様だ。彼は疲れなど忘れ立ち上がっており、怒りの表情が見て取れた。
「試験の最中にダメ出しならまだしも笑われるなんて初めてだよ。兄ちゃん絶対教育者とかに向いてないよね。」
「悪かったって。怒るなよ。さて、そろっと仕上げかな。」
「仕上げ?」
「君は自分が優れた人間だと思っているようだが…それは違う。君はここにいる誰よりも劣っている。」
「どうしてだよ!!おいらは…!!」
「成績はクラスで一番。力も子どもたちの中では上、だろ?だからどうした?」
「っ…!!」
立ち上がったクロノスはアレンの言おうとしていたことを先に言い、バッサリと否定で斬り捨てた。その口調は至極真面目で今まであった適当さは既にどこかへ飛び去っており、クロノスの紅い二つの瞳に睨まれ怯むアレンだった。
「クラスで一番の頭と力。アホか。それなら次は学校で一番を目指せよ。それができたら教師なんかの大人を含めて。その次は近所で一番。そしたら街で一番。地方で一番。国で一番。そうして最後は…大陸で一番か?そんなレベルで力と知識を併せ持つやつなんていたら世の怪力と賢者が泣いてしまうかな。」
「そ、そんなできるわけが…」
「できない?できるかもしれないという考えはないのか?そこが君のダメなところだ。」
そう言ってクロノスはアレンを見つめたまま彼の元までつかつかと歩んでいく。試験が始まってからクロノスが場所を移動すると言うのはさっき転げまわった以外でこれが初めてだ。これはクロノス自身が決めた何もしないというルールに灰色に抵触している気がするが、クロノスにとってはそんなのお構いなしの様だった。
「冒険者ってのはなぁ、非常に欲深な人種だ。何事も貪欲に求める。だからこそ常に上を目指すのさ。自分の実力などお構いなしに。最初に見た夢でも最終的な目的でも今の時点での目標でも…なんであれな。向上心という奴だな。」
アレンのすぐ目の前まで来て歩みを止め、自分よりも背の低いアレンを見下ろした。…否、その紅い目はアレンを見下していた。
「向上心…それって…うわぁ!!」
クロノスがもう半歩片足を前に出すとアレンは後ろに転んで尻もちをついてしまった。だが散らばる武器の脚を引っ掛けてしまったわけではない。原因は前方のクロノスだった。彼の放つ重圧を受けて足が勝手に後ろに逃げてしまいそれでバランスを崩してしまったのだ。
「なに…それ…?」
「ん?ああ、すまない。無意識に出してしまっていた。いやな、少しばかり真面目になると出てくるんだよ。まったく、これではシヴァルを叱れないな…。」
やれやれとクロノスが一呼吸するとアレンは自分を襲う謎の重圧が消えていくのを感じ取った。それで余裕ができたのかクロノスの話にアレンはまるでオオカミが獲物の喉元に喰らいつくかのように強く反論した。
「冒険者だって普段は街の中で酒を飲んだくれているだけじゃないか!!そして金が欲しくなったら仕方なしに金目のクエストを受けるんだ。向上心?そんなの冒険者のどこにあるってんだ!!」
アレンの言葉は至極最もな物であった。冒険者と言えばバカでアホでマヌケでイイカゲンでワカランチー。それが自他ともに認める冒険者共通の特徴だ。確かに中にはジェニファーやヘメヤのようにそれなりに真面目な者もいるがそれは少数派だし、そんな彼らもどこか抜けている。彼らは冒険者の中でも比較的マシというだけだろう。アレンの言葉を観客の冒険者達もそうだまったくその通りだと一様に首を縦に振って恥じることもなく認めていた。それにはクロノスも当然だと呟き話題の冒険者達に一度目をやってから答えた。
「冒険者は君達街の住人も知るとおりグータラでめんどくさがりでいい加減で早い話がバカばっかり。だが、だからこそ大切なことは。大切なことだけは全力だ。大切なのは行動ではない。その志なのさ。」
「志?」
地面に打ち付けた尻を撫でながら立ち上がり、アレンは震える声で尋ねた。
「ようはだな…「いつかはこうしたい!!こうなりたい!!…いつになるかはわかんないけど。」それだけでいいのさ。具体的な計画がなくても、現時点で財布の中が空っぽでも、君にゃあ無理だと酒の席で馬鹿にされても。それでも「うるさい!!誰が何と言おうと俺は絶対に叶えてみせるぞ!!」…そんなことを言えるくらいにはっきりと言えるものだ。」
クロノスは腰を曲げて自分の顔をアレンの顔に近づけた。今までで最も近い場所での視線の交錯。時々視線を外すアレンのとび色の目とは対照的に、クロノスの紅い目はしっかりとアレンから視線を外していなかった。
「それは冒険者の実力や年齢に関係なく一番大切なもの。君にはな…夢がないんだよ。」
そう語るクロノスの紅い瞳は、アレンには爛々と輝いて見えたのだった。