第64話 小さなチャレンジ・スピリッツ(たぶん助けが来たのでしょう)
「――それが私達がオルファン達とはぐれてから穴に落とされるまでにあった出来事よ。」
ジェニファーはすべてを話し終えて尻に敷いていた上着を穴の下の群れの中に投げ戻し、今度は自分の上着を枕にしてその場に寝転んだ。負傷した利き腕は話の最中に治癒士に手当てを受けて見た目だけはすっかり回復していた。
「まだ少し違和感があるけど…痛みはないわ。」
「ヒールも万能じゃないんだから。今も別の治癒術で痛みと見た目をごまかしてるだけよ。せめてもう少し安静にしてなさい。ここはダンジョンの中らしいからダンジョンポーションでもあればいいんだけど、カメガモ探しでダンジョンを探そうとしていた奴は一人もいないみたいで…」
治癒士の女冒険者はジェニファーの手を取って患部の状態を確認すると残念そうに俯いた。ダンジョンポーションは誰も持っていないと言うことだろう。ならばターナとかいう上級神聖魔術を扱える少女に治してもらえよと思うかもしれないが彼女と言えば…「うう…ぺろぺろしすぎた…ハンカチからセーヌ様の香りが消えてしまった…もうやる気でない…」…このようにすっかり使い物にならなくなっていた。
「他にも負傷者はいるんでしょ。私は打撲程度で済んだのだから贅沢言ってられないわ。あの謎の男が言う通りならしばらく命の心配もないだろうしゆっくり休ませてもらうわ。」
「ジェニファーの言うとおりだ。とりあえず俺らを捕まえた理由がモンスターの餌にするとか邪神復活の生贄にするとかでないことを喜ぶべきだぜ。」
「うんうん。でも冒険者を捕えて一か所に集めておくなんていったい何をするつもりなんだろう。」
「さぁな。俺たちが邪魔な理由があちらさんにはあるんだろうぜ。わかるのは…俺らなんてうろちょろしなけりゃどうでもいいってことさ。良くも悪くもな。」
ナナミ達の会話に怪我の手当てをしてもらった小太りの男セインが加わってきた。ナナミ達は気付かなかったがどうやらジェニファーの話を聞いていたらしい。冒険者のことはどうだっていいと言うのはセインの言う通りだろう。捕え方には粗があるとしか言いようがない。実際けが人続出だったし。下手すれば死者も出たかもしれない。
「とりあえずは無事で済むのか…正直ヒヤッとしてたんだ。」
「あのトロルの慰め者とかにされないでよかった…」
「安心したら眠くなったぜ。ZZZ…」
どうやらセイン以外にもジェニファーの話を聞いていた冒険者はいたようだ。彼らはその話に信憑性があると決め込んでそれぞれ仮眠や休息を取ることにしたらしい。冒険者の中には捕まった自分達がこれからどうなるのか不安に思っていた者もそれなりにいたようだ。
その安らぎは冒険者の隅々まで波及し、それまで張りつめていた周囲の空気が若干和らいで落ち着いたのでナナミ達も一息つくことにした。
「なんだ。命の危険はないのならおびえる必要もないッスね。安心したら喉乾いた。誰か酒持ってないッスか?」
「喉が渇いたなら湧水を飲めばいいじゃない。」
「命の危険はないとはいえ捕まったことでこっちはカメガモ探しを強制的にリタイアさせさせられちまったッス。旦那の言っていたご褒美ももらえないし…今頃誰かが見つけちゃってるかも。こうなりゃ酒でも飲まなきゃやってられないッス。それで誰か酒持ってない?消毒用や気付け用の酒でもいいッスよ?」
「ほれ。」
「お、ありがとッス。」
「あーダンツずるい。僕も僕もー。」
「俺にもくれよ。」
鉄格子のすぐ側面の壁にもたれかかったダンツ。彼が酒を所望すると誰かがダンツに酒瓶を渡してきた。ダンツは蓋を抜き取りその辺に投げ捨てると自分にもくれと言ってきた仲間を無視して酒瓶を逆さに持って勢いよく直飲みした。そして霧のように噴出した。
「ぶふぉっ!?ゲホゲホ…何だコレ。ほぼ酒精じゃねーか!!無味無臭!!」
「ダメ?セーヌがなんでもくんに入れておいた消毒兼気付け用の酒なんだけど。」
「これモノホンの神聖教会や薬屋で売ってるやつじゃないッスか!!ダメッス!!分かってないッスねぇ…いいッスか?冒険者の旅の酒とは!!一に消毒薬として使え!!二に気付けにも使え!!そして三にそのままでもゴクゴク美味しく飲める!!それが冒険者の常識ッス!!」
ダンツが酒瓶をぶんぶん振り回して冒険用の酒とはこうあるべきだと酒瓶を渡した冒険者に語って聞かせると、その横でエティとグザンがうんうんその通りだと同意して頷いていた。
「悪い悪い。そういうのは猫亭の人間は誰も酒を飲まないから知らないんだ。セーヌは真面目な奴だから普通の酒は体に悪いと思ったんだろ。今度セーヌに言い聞かせておくよ。」
「ったく、気を付けてくれッス。」
酒瓶を渡した冒険者が素直に謝罪してきたのでダンツはしょうがないと許すことにした。
「悪かったって。他に酒はないけどこれでも飲んで機嫌を直してくれ。」
冒険者はバスケットの中をまさぐって新たに果実のジュースを手渡してきた。口直しにこれを飲めということなのだろう。ダンツはそれを受け取って蓋を開ける。
「ようは普通の酒でいいッス。それが守れなきゃただの水ッスよ!!飲めない酒はただの水!!まったく気を付けてくださいッス旦那…ってぶうううぅぅぅ!?」
口直しだとジュースをゴクゴクと飲んで…その冒険者に噴きつけた。あてつけとかでは決してない。ダンツは本当に驚いたのだ。なぜなら酒瓶を渡してきた冒険者というのがクロノスだったからだ。しかも柵越しに檻の外から。
頭から酒の水滴をぽたぽたと垂らしてだんまりしているクロノス。そしてなんでもくん
を開いて中からタオルを取り出して顔を拭きながら口を開いた。
「…それなりにマニアックなプレイも経験してきたこの俺だが、男からの逆ぶっかけとは未だ経験したことのない斬新なプレイだうん…」
「だ、旦那…」
「なんだなんだ?」「おい、檻の外に人がいるぞ。」「あれは…クロノスのお兄いさん…?」
ダンツが酒を盛大に噴いて大きな音を立てたので奥で休んでいた冒険者達が何事かと集まってきた。
「クロノスさんなんでここにいるの!?」
「それを聞きたいのは俺の方だ。君達どうしてこんなところに。しかも捕まっているんだ。」
「私達も聞きたいよ!!先に質問したのは私!!質問を質問で返さないで!!」
「お、おう…」
いつしか言った言葉をそっくりそのまま返されてナナミの威圧でつい怯んでしまったクロノス。何故たくさんの冒険者達が檻の中にいるのかも気にはなったがまずは自分の事情から語って聞かせることにした。
「――――と言う訳でダンジョンに飛び込んだ俺は最速踏破目指してダンジョンの中を駆けずり回ったのさ。そしたら出るわ出るわのトロルの大群がこんにちは、だ。あんなに大量のトロルを見たのは生まれて初めてだぜ。多分な。そういやゴブリンも何匹かいたな。どちらかといえばトロルの餌として監禁されていたと言うべきか。外界ではゴブリンも逃げ出して普通のゴブリンの群れに紛れていたのかも。外で戦った連中は不思議に思っているに違いない。なにせ倒したと思ったら消えているのだからな。それにしても武器が無いもんだから少々品に欠けた対応をさせてもらったが…ここがダンジョンでよかった。いやマジで。なにせ死んだモンスターは血の一滴すら残さずドロンだもんな。これが外界だったら俺は猟奇殺人者と勘違いされても言い訳できなかった。」
口角を釣り上げて下手くそな微笑みで語るクロノスだったが、全ての話を終えるとそれを聞いていた冒険者達はわいのわいのと騒ぎ出した。
「ダンジョン核の異常…そんなこともあるんだな。」
「それよりトロルの大群って…考えただけで恐ろしいな。」
「てゆうか聞き捨てならない言葉が聞こえたんですけど!?カメガモ見つけたって!!」
「そうだそうだ!!結局ご褒美ってなんだったんだよ。内容わからんまま出品者の一人勝ちかよ!?ツマンネ!!旦那ツマンネ!!」
冒険者達の興味の大半はクロノスがカメガモを発見したと言う事実だった。それはそうだ。ダンジョンや森の異常なんて彼らには知ったこっちゃない。知るのは目の前の金と酒だけだ。
目の色変えてカメガモはどこにいたのかだとか、まだ他にもいるのかだとか…挙句の果てにはちょっと貸してすぐ返すからいやほんとだってなどとカメガモを奪い取ろうと目論む輩まで現れる始末。
冒険者の勝手極まりなさなど既に知ったるところ。とゆうか俺も冒険者だし。そんなことを呟いてからクロノスは手を叩いて冒険者達を黙らせて注目を集めた。
「俺の経緯は話したぜ。今度は君達の番だ。あと報酬の金貨は猫亭でパーッと飲むのに使うから。」
「「「「マジすか!?わーい!!」」」」
クロノスの救いの一言で一気にハイテンションになって騒ぐ冒険者。いつしかクロノスのご褒美がなんだったのか考えることを止めてしまっていたが冒険者などこんなものだ。クロノスは騒ぐ冒険者を無視してまともでいたジェニファー姉妹とナナミとリリファに彼女たちが捕まった経緯を聞くことにした。
「じゃあ私が話したげる。えーっとね…」
ナナミは代表として自分達の身に起こったことをクロノスに伝えた。もちろんジェニファーとチェルシーが遭遇した謎の男についても。もちろん面倒だからと「魔法の言葉」を使わないで。
「―――というわけなのよ。クロノスさん最後まで聞いてた?寝てない?」
「…ああ。最後まで聞いていたぜ。」
話の間クロノスは黙って聞いていたが全てを聞き終えてからぱちりと目を開いた。どうやら居眠りはしていなかったようだ。
「ジェニファーよ。君達を襲った謎の枯草モヤシ男。彼は髪の色が金ではなかったか?泥をかぶったような煤けた金色。」
「そんな感じだったわ。なんで知っているの?」
「そうか…」
クロノスはジェニファーの質問に答えることなく自分の質問を続けた。
「次に瞳の色はグリーン。グリーンというより緑と青の間…翡翠色とでもいうべきか。そんな色だったろ?」
「ええ…」
「そしてトドメに黒いザコウサギを引き連れその名はブラック君。ああだめだ…フルハウスだな。俺に逆転の手はない。ジェニファー、君の勝ちだ。おとなしく掛け金を払うとするか。」
「えっ?ええ…ありがとう…?」
クロノスが懐から銀貨を取り出して謎にジェニファーに渡すとジェニファーは頭にハテナマークを浮かべながらそれを受け取って財布にしまった。混乱の中でも金銭を受け取れるあたりちゃっかりしている。その横でちゃっかり妹のチェルシーも自分も自分もと銀貨をねだるのでクロノスはお利口さんめと言って銀貨を渡した。
「その茶番はいいとして…クロノスさんはその男を知っているの?」
「…うん。」
ナナミの問いに残念そうに。すごく残念そうにウンと首を縦にふって答えるクロノスだった。
「なんかすごい不服そうだな。顔がそう物語っているぞ。」
「そりゃそうだ。よりにもよってあいつとはな…ジェニファーよ。君が敗れたザコウサギ。そいつはノワール・ヴァイス・シュバルツ・ダークネス・シャドウ・オンブル・ソンブル・ブラスハドゥ・カドヴェイ・ムーン・スリュンナ・マルモーント・ネクロズヴァルド・ステル・エトワール・ミュイナイト・ノーチェナットラスト・ブラックハイラビットだ。君が勝てないのも無理は…ん?なに君達。どうしたの?」
クロノスが柵越しにジェニファーをフォローしているところに一同がちょいちょいちょいとツッコミを入れた。
「いやなによその…ノワール何ちゃらって。」
「ノワール・ヴァイス・シュバルツ・ダークネス・シャドウ・オンブル・ソンブル・ブラスハドゥ・カドヴェイ・ムーン・スリュンナ・マルモーント・ネクロズヴァルド・ステル・エトワール・ミュイナイト・ノーチェナットラスト・ブラックハイラビットな。そのザコウサギの正式名称だ。」
「長くないか?」
「控えめに言って長いと思う。というか俺もオンブルとソンブルのどっちが先だったか自信ない。だがモンスターの名前は発見者に命名の権利が発生するからな。そいつの発見者は四十人にも及ぶ大規模パーティーでな。発見した真っ黒なザコウサギにどんな名を付けるかで揉めに揉めてしかたなしにそれぞれが一番かっこいいと思う黒という意味の言葉を思いつく限り片っ端から付けたんだとか。当時は命名に文字数制限なかったらしいからな。まぁそれ以来文字数に制限付いちゃったんだけど。」
クロノスの話を聞いて一同は当たり前だと思った。
「てゆうかヴァイスとシュヴァルツって…片方白じゃん。」
「実は首元にわずかに白い毛が残っているらしい。これ豆知識な。とにかくだ。そのノワ…黒いザコウサギは高難易度ダンジョン「The Contract Chaos Beast ― 混沌の契約獣」で出現する雑魚モンスターなわけで…今度は何だよ。」
言葉を続けるクロノスに再びちょいちょいちょいとツッコミが入る。クロノスは再び邪魔をされて若干不機嫌になっていた。
「いやおかしいでしょ。ダンジョンの名前なんて今まで「ゴブリンの林」とか「ポチのお部屋」とか超適当な感じだったじゃん。なんでそんなカードゲームのパックタイトルにありそうな張り切った名前なのよ。黒のザコウサギはコモンレアですか?」
「俺に言われても知るか。ダンジョンを踏破した冒険者パーティーに言えよ。あと黒ザコウサギはそこだとレアモンスター扱いだ。」
見つけただけで名前を付けることのできるモンスターと異なりダンジョンは初観測されて仮の名前が付けられた後、一番最初に踏破した冒険者やそのパーティーに正式な名を付ける権利を与えられる。中には新しいダンジョンを誰よりも最速で踏破してその命名権を売って運営しているクランなどもあったりなかったりする。そのせいで一部ダンジョンの名前が「生活にゆとりをハイン商会」や「あなたの街のダイワード不動産」だったりして宣伝に使われていたりするのだが、こればかりは文字数制限以外は卑猥なワードの使用禁止くらいしか命名に制約を付けなかったギルドが悪い。
「冒険者ってのはいい加減という意味での適当が具現化した存在みたいなもんだからな。大抵ダンジョンの特徴を使って名付けるもんだ。内部の特徴とか出現するモンスターとかな。そういや大陸には未だ誰にも踏破されていないから正式名称が無く、仮の名前を使い続けているダンジョンも少なくないと聞く…そのうちそういったダンジョンを踏破して素敵な名前を付けてみたいもんだな。」
「てゆうかクロノスさんそんななっがい名前よく覚えてたね。」
「俺だってこんな面倒な名前覚えたくなかった。しかし以前間違えたらそいつにキレられて名前の書きとり千回させられたんだ。嫌でも覚えてしまう。」
「そいつ?そいつって謎の枯草モヤシごぼう男のこと?」
「…なんか逆に健康的な感じになったな。話が逸れた。とにかく俺はそいつを知っている。ジェニファーとチェルシーは直接戦わなくてよかったな。単にあいつが興味なかっただけかもしれないが。」
よくぞ無事だったとクロノスは鉄格子越しに姉妹の肩を叩いた。
「杖を持っているらしいな。ならそいつは腕利きの魔導師とかなのか?」
「いや。あいつそんなに攻撃魔術使えないぞ。ジェニチェル姉妹に使った脅しも多分ブラフだろ。」
「なら極悪な賞金首とかか?」
「いや違う。」
ならば答えは何なのか。知りたい気持ちの四人にクロノスはこう答えたのだ。
「あいつは俺たちの同業者…つまりは冒険者の一人。しかも超が付くほどの有名人。「神飼い」のシヴァルといえばわかるだろうか。俺と同じS級冒険者の一人だ。」
クロノスがこの場の冒険者全てに聞こえるように話したのは、「神飼い」という二つ名で呼ばれるS級冒険者の名前だった。