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猫より役立つ!!ユニオンバース  作者: がおたん兄丸
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第163話 迷宮都市編短編(夢から覚めて現実を見る)



 ここは北の地方にある、年中白い雪の降り積もるとある山。標高は並みの山よりもはるかに高く、中腹から上は木の一本も生えてやしない死の山だ。ごつごつした鋭い岩の肌は地面と直角に等しい角度で山を覆っていてまるで誰も近づけない無敵の要塞のようだった。


 だがそんな危険な場所を何人もの冒険者たちが登っている。下を見ることは決してしない。見てもそこにあるのは一寸先もわからないくらいに濃く真っ白な霧だけだし、下のことばかり考えているとまるでこれから落ちるかもしれないと思え恐ろしくなるからだ。今も男の冒険者がちらりと下を見たが、ごくりと生唾を飲み込みすぐに崖を登りなおす。


 彼らの目的はこの山の頂上。そこにあるとされる希少な鉱石の鉱床だった。その鉱石は錬金術の素材としても装飾品の材料としても需要が高く高値で取引されており、たとえ手のひら一握り程度の僅かな量であっても、売れば数十年は遊んで暮らせるらしい。しかしその希少性から既存の鉱脈は殆どが掘り尽くされてしまっており、鉱脈が辛うじて残っている場所も国や持ち主が管理して採掘を厳しく制限している。なのでその取引相場は年々上がる一方。そのためその鉱石で一攫千金を狙う冒険者達は、人の立ち入らぬ様々な地へと赴き、まだ誰にも見つけられていない鉱床を探し求めていた。

 

 しかしアテもなく探しまわったところで「希少な」と頭につく鉱石がそうそう見つかるはずがない。だが今こうしてこの山を登る冒険者達には確信があった。確信があったからこそこれだけの人数が地元の十人すら寄り付かない危険な山を登っていたのだ。

 なぜならこの山は、過去にとある冒険者が例の鉱石の鉱脈を見つけ出した場所だったからだ。その冒険者は鉱石を持ち帰れるだけ持ち帰って大金持ちとなり、子孫は彼の死後から百年経った今でも未だに遺産で豪遊三昧の毎日を送っているのだとか。


 当然そんな場所を人に教えるはずもなく、彼が死んでからもこの山の存在は長年不明とされてきた。だがなぜか今になってその秘密の場所が人々に伝わったのだ。なぜ、どこから、だれによって漏れ出たのかはわからない。しかし情報の正確さをギルドが認めたことで、話は冒険者達の間であっという間に広がってしまう。自分達もそれを持ち帰って売れば何十年も遊んで暮らせる。その魅力が、彼らを死地へと掻き立てた。




「うわあぁぁぁぁ‼」

「助けてくれえぇぇ‼」


 だが誰よりも早く早くと勇ましく、険しい崖を元気よく登っていたはずの冒険者達は情けない大声をあげながら、すさまじい速度で登っていたはずの崖を下っていた。大の男達がなんとも情けないが、これは叫ばざるをえない。


 なぜなら彼らは自ら崖を降りていたわけではなく、宙に身を投げ出され奈落の底へ落ちていた途中だったからだ。その原因は登っていた岩場が崩れたこと。長年冷たい風にさらされ続け脆くなっていたそこは、何十人もの人間達の重量を支えきれず、遂に崩壊してしまったのだ。しかもその岩崩れが起きたのが一番上にいた者のところで起きてしまったのがまずかった。落下するそいつ大小さまざまな岩の破片は下にいた全員に等しく理不尽に降り注ぎ、皆が崖から手を放してしまった。


「いやあぁぁぁぁぁ!?」

「…‼」


 人間である彼らに空中でできることは限られていた。できることといえばこの先に起こる未来を少しだけ想像して発狂する程度のこと。何人かは岩の破片で頭を打って既に気を失っていたが、()()()()そうならずしっかりと意識のあった者達は、絶叫を奏で深く白い霧の中に消えていく。姿がとうに見えなくなっていても、彼らの断末魔はいつまでもこちらへ届いてくる。しかしその声も風に吹き飛ばされ徐々に聞こえなくなってゆくのだ。




「…あーあ、みんな落ちちゃったね。残ってるのは私たちだけ、か。」

「…」


 何人もの冒険者が一瞬で姿を消し、風の音以外には元の静寂を取り戻していた崖、そこから一人の少女が目下の白い霧を眺めながらぽつりと間の抜けた声で呟いた。彼女は岩場から落ちなかった一人だった。彼女だけでなく、彼女の仲間とみられる二人が崖にしっかりと捕まって下の方を眺めている。


「ふぅ、全員無事なようだね。落ちた連中は可愛そうだったが…欲に目を眩ませてここまで来た奴らさ。こんな結果はありえたことだ。受け入れてさっさとあの世へ行くべきだね。お前はどこか怪我してない?頭に岩の破片は当たってないかな?」

「…」

 

 少女に続いて口を開いた年長の女が残るもう一人の仲間の少年に尋ねると、彼は声を出すことなく小さくこくりと頷いて、返事を返した。どうやら何事もなさそうだ。口数が少ない彼は自身の不調もあまり伝えてこない。なのでこうして逐次彼に呼び掛けを行い状態の確認を行うのがリーダーである年長の女冒険者の仕事だ。少年が元気であったことに女は安堵した。


 少年と少女、それから二人よりも年上ではあるがまだ二十代にも満たない年若い女。彼女達はどう見てもこの険しい雪山を登る体力などなさそうに見える。だがそんな客観的な見立ては当の本人たちには関係ない。


「でも~これでライバルは全滅ちゃん♪一方で私らのパーティーはひとりも欠けてない。いやー、それもこれも私らの実力が抜きんでている優秀さんだからかな‼」

「む、優秀かどうかには疑問が残るね。そもそも崖を登っていた中で私たちは一番下にいたんだぞ。もし岩場の崩落なんてなくて何事もなく全員が山を登り切っていたら、私たちが頂上へたどり着くころには、既に鉱石をとり尽くされていただろうさ。落石にしたって崩れたのは私たちのちょうど真上、岩の破片のシャワーを浴びる可能性だって一番高かったし、一歩間違えば私たちもあれの仲間入りだったよ。」

「でもでも、こうしてしっかりと生き残っているではございませんかおねーさま。」 


 ライバルが減ったと喜ぶ少女を年長の女が窘める。彼女達とて崩壊に巻き込まれなかったわけではない。というか全員が一度崖から手を放していた。それでも助かったのは、彼女達が崩れる岩場よりも高いところへ向けて鍵爪のついたロープを投げ、鍵爪を崖の岩へ引っかけてロープにしがみついていたからだったのだ。


 彼女達だけが咄嗟の落下に対処して生き残ることができた。年端もいかない紅い目が特徴的な少年が一人、それよりいくらか年上で、若干の幼さを残すがそれでも肉体は大人のそれになり始めている十代半ばの少女が一人、そして女盛りと呼べる十代後半の女。この三人は、冒険者たちが消えていった白い霧の中を静かに見つめていた。



「…さて、」


 落ちていった者の声が最後の一人になり、やがてそれも風の音より小さくなって聞こえなくなったところで、年長の女の冒険者がぽつりと呟いた。しかしそれは自分へ向けた独り言ではなく、仲間の少年への問いかけだった。


「今こうして十人が落ちていった。この高さだ、助かりっこないだろう。彼らと私たちの違いがわかるかい?」

「…」

「わかるかい?」


 女の問いに少年ははじめ答えようとしなかった。彼はとても無口なのだ。仕方ないと女が少し強めの口調で再度少年に問いかけると、彼は冒険者たちが谷底へ完全に消えたのを見届け終えてから、今しがた多くの脱落者(年長の女の言う通りおそらく生きている者はひとりもいない)が出たことに慌てふためくことも無く冷静な態度で少し考えるそぶりを見せてから、まるで家の隙間から漏れる風のように小さな声で女に答えた。


「…あの十人の内、五人は自分に何が起きたかも理解できていなかった。落ちてる最中に、自分を取り巻く状況に気付いて叫んでいた。」

「そうだね。その五人は反応が遅すぎ、単純に実力不足。本来ここに来るべき能力はなかったんだ。たとえ今助かったとしても頂上へ着く前に、もしくは鉱石を手に入れた重い足取りの帰りに、どうせ別のことで死んでいただろうさ。だから気にすることは無い。学ぶことも何もない。むしろ邪魔だったからいなくなってせいせいしているくらいだ。…他は?他の五人はどうだったかな?」


 五人は自らの実力も省みず、大金に目がくらみ碌な準備もせずに来た者達だった。そいつらのことは忘れてしまえと年長の女はまるで虫をうっかり踏みつぶしてしまったかのようにあっさりと語り、残りの五人について少年に答えさせる。少年はまたも少し黙ってから、ぽつりとつぶやいた。


「残りの五人は…落ちることに気付いて何かをしようとした。きっと、こちらと同じように鍵爪を岩にかけて崖にぶら下がろうとしたんだ。」

「正解だ。落ちていく彼らの手には鍵爪があったのを見ていたようだね。でもそれでも…三人は先の五人と同じと考えていいね。遅かった。私たちのように岩にひっかかろうと考えた時には既に手遅れだった。あの時点で岩に引っかかっていないと間に合わない。彼らのことも実力不足だから忘れなさいね。まぁ最初の五人と同じ扱いにしたら流石に可哀そうだから、せめて鉱石回収のクエストのライバルが減ってラッキー程度に覚えとけ。あとの二人は?」


 間違いなく死んだであろう同業者達を憐れむことも無く、女は残りの二人の行動について少年に尋ねる。少年はそれまで淡々と答えていたはずなのに、その二人だけは、正しい答えがわからないようだった。首を傾げながらやがて発言する。


「あとの二人…あの二人は間違っていなかった、と思う。こちらと同じことをしようとしていた。…いや、できていた。二人は岩場が崩れた瞬間、自分に起きたことを咄嗟に理解して、ほぼ本能で鍵爪のロープを投げた。こっちと同じかそれよりも早いタイミングで。遅かったなんて、間に合わなかったなんてありえない。」

「そうだよ。実力としては私たちよりも上かもしれなかったね。でも助からなかった。落ちて、たぶん死んだ。どうしてだい?」

「…わからない。まったく同じことをしたのに。」


 二人は岩が崩れた時点で素早くバッグからいつでも取り出せるようにしていた鍵爪を投げて、岩に引っかけ助かろうとした。成功したのだ。二人の鍵爪は岩にしっかりと食い込んでいた。投げおくれてなどいなかったのだ。だが、なぜか助からず他の八人と同様に白い奈落の底へ真っ逆さまに落ちていった。少年にはそれがわからなかった。自分達とまったく同じことをしたのに、なぜ?納得いかない様子の少年に、質問をしていた方とは別の、もう一人の女が、二人が会話をしていた間ずっと閉じていた口を開いてその答えを教えてくれた。


「おーさむさむ…寒くてしゃべるのも面倒だから余計な口を開けないようにしていたけど、教えてあげようかな。おにーさん知りたい?」

「知りたい…どうして?」

「うむ、知りたがりのいやしんぼなおにーさんには教えてあげよう‼彼らには…運がなかったのさ。」

「運…?」

「そう、運。彼らには運がなかったんだ。」


 真ん中の年頃の女は、少年に二人の冒険者の身に起こった出来事を話した。


 一人は鍵爪をしっかりと引っかけたところの岩がたまたまぽろりと欠けてしまい鍵爪が外れてしまったそうだ。どんなにうまく鍵爪を引っかけたところで、引っかけた岩の方が崖から外れてしまったら意味がない。岩が脆かったのかそいつの狙い目が悪かったか…今となってはわからない。


 そしてもう一人は、岩にはしっかりと鍵爪を引っかけた。岩も脆くなくむしろ引っかけられる範囲で最も丈夫なものだったかもしれない。狙いは悪くないどころか最善だった。だが鍵爪がぱきりと割れて機能が失われてしまい、岩から外れてしまったのだ。少女が見ていた限り爪は寒さに強い寒冷地仕様の物だったから突然割れるなんてことはそうそうありえないし、彼だって手入れも普段からしっかりと行っていたに違いない。だがなぜかここへ来て、信頼して命を預けていたはずのそれが割れてしまったのだ。


「彼らは今頃落ちながら思っていることだろう。いや、もう地面に叩きつけられて死んでしまったかもしれないが…間違いなく思ったはずさ。「どうしてこうなった」とね。」


 真ん中の年頃の少女の言葉を年上の女がうんうんと頷いて聞いてから、少年へ伝えたかったことを教える。


「いいかい?冒険者は、冴えた勘だけでも、正しい知識だけでも、優れた道具だけでも、卓越した経験だけでも…それだけでも足りない。冒険者にはもしもを無くしもしもを手にする絶対的な運が必要なんだ。彼らには、今落ちた二人には、この瞬間のその運がなかった。そして我々にはそれがあったから助かった。それだけの話だ。」

「…わからない。運とはどうすれば鍛えられる。どうすればこんな局面でそれを失わない?」

「知らないよ~ん。私は神様じゃないからね。」

「私も知らないね。知っていたら冒険者稼業なんてやってないね。」


 少年の質問に二人は知らないとだけ返した。ふざけているわけでも彼をからかっているわけでもない。本当に知らないのでそう答えるしかないのだ。それは答えになっていないと少年は心で思ったが、口には出さない。


「冒険者には、運が…必要…」

「うんうん、でも運だけでもダメだからね?私たちが助かったのは、きちんと道具を用意する周到さと、それを扱うだけの実力があったからでもあるんだから。いわば運を引き寄せるための力だね。」

「引き寄せる…力。」

「さぁ、答え合わせも終わったのだしこの話はここらで畳もうか。寒いし早く崖の残りを登ってしまおうね。もうじき頂上だ。そこには今回のクエストの目的である鉱石の床があるはず。死んだ彼らの分まで丸取りして帰ろう。それがせめてもの手向けさ。」

「おにーさん疲れてない?寒くない?私があっためてあげようか?ほーれ、カモンカモン。胸に飛び込んでおいで。」

 

 寒さの中、二人の女は少年に優しく微笑んでいた。少年は二人の顔をよく見ようとしたが、そこに強い風が吹き視界が白く覆われてしまい…



――――――――



「…っ‼」


 がばりと起き上がったクロノス。その拍子にかけていた毛布は吹き飛ばされ、宙を舞う。


「ここはっ…‼さっきまで俺は…俺だけか?」


 彼がいたのはベッドの上だった。先ほどまでと全く違う状況に置かれていたクロノスはベッドから立ち上がりきょろきょろと周囲を見渡して仲間を探す。


「二人はどこに…ん?」


 二人の姿が見当たらずに焦るクロノスだったが、自分がいたのはベッドと机と椅子以外には何もない、褒めるならばシンプルで貶すならば殺風景な部屋で、ここが猫亭の自分の私室であったことことにようやく気付く。それと同時にさっきまでの雪山登山の体験が夢だったことも理解した。


「なんだ夢だったのか…驚かせやがって。」


 命を懸けた雪山登山が夢だったとわかったとたん、見ていたものが理不尽極まりないものだったと思えてきた。クロノスはベッドに腰をかけ、慌てふためて居ていた直前の自分が情けないとため息をつく。


「夢とは本当に非現実的だな。しかも内容がどれだけ支離滅裂だったとしても目を覚ますまでそれに気づくことができない。冷静になってよく考えてみろよ俺…()()()()()()が同じ時代の同じ場所にいるはずがないだろうに。だいたい俺はガキの姿だったのに、それにおにーさんって…君は俺のガキ時代を知らないだろうっつの。そもそも俺は希少な鉱石を求めて雪山登山をしたことなんて一度も…あったな。一度あった、確か。あいつの方は…おにーさん?そうか、リルネも俺を同じように呼んでいたな。最近会ったから似たような記憶から掘り起こされてごちゃまぜになったか。」


 人は深い眠りについているときに、ついでのように記憶を頭の奥底に分類して片付け、その際にそれらが混ざって夢となり見てしまうという話を聞いたことがある。さっきまで見ていた夢の内容をよくよく思い出してみればどれもなんらかの覚えがあった。というか落下していったゲストの冒険者は猫亭に出入りする冒険者達ではなかっただろうか。きっと自分も寝ている間にいらない記憶の整理がされてそれを夢として見てしまったのだろう。雪山登山と年長の女性と自分をおにーさん呼ばわりしてきた少女。この三つに近い出来事や関連する出来事を、最近きっと何か体験していたはずだ。


「雪山はひとりで登ったんだよ。もちろんライバルはいたが全員落ちた。それからどうなったんだっけ…あぁ、思い出した。結局頂上には珍しい鉱石なんてなくて、あったのは絶滅した古代モンスターの糞の化石の山だったんだっけ。あの時の落胆ぶりと言ったらもう…土産にいくつか見繕ってシヴァルにやったら大喜びだったが、それも含め本当にくだらなかった。あまりにくだらなすぎて記憶の奥底にしまい込んでいたが、そうか…いらない記憶か。雪山登山は本当にどうでもいいとして、あの二人のこともいらない記憶になり始めているということかな…」


 納得するとだんだんと腹が立ってきた。夢の中で出会った懐かしい知り合いに責任のすべてを押し付けたうえで悪態を突く。どうせ二人はここにはいないのでこれではまるで空気を殴っているようなものだが少しは気が晴れるだろうか。


「あぁいらないいらない。君たちとの思い出なんかホントどうでもいいですっての。何が悲しくてあの二人と雪山登山せにゃならんのだ。忘れた‼はい、クロノスさんはさっきの夢の内容をもう忘れました‼誰君らってカンジ。つーか登山の夢ならばふつうは落ちるところで目が覚めるもんだと思うけどな‼…喉が渇いたな。」


 「そしたら目を覚ますと体がベッドから転げ落ちて床に伸びているのが相場だ」と言って苦笑してからベッドを離れ、クロノスは机の上に置いてあった水差しから水をコップに注いで寝起きの一杯を頂く。それは何の変哲もないただの汲み置きの水だったか乾いた喉を潤すにはこれで十分だ。むしろ贅沢すぎるくらいである。というか他の冒険者のように起きて早々口内を清めるワインとか気付けの酒とか飲んでらんない。クロノスは酒が苦手なのだ。神聖教会には酒を悪魔の水だと唱えて批判する派閥があるらしいが、それに関してはまさしくその通りだと思う。


「しかし…思えば俺の人生、悪い女に騙されっぱなしだ。」


 コップの中身を飲み干し二杯目を注ぎながら、クロノスは過去をなぞるように振り返る。夢に出てきた二人の女もそうだし、雪山登山にしても全てにおいて共通して悪い女が絡んだ事柄だった。悪いことには必ず女が絡んでいたような気がする。そう考えて二杯目の水もぐびぐびと一飲みにした。


「…ふぅ。もちろん騙されたことを後悔したことは一度もない。騙されなかったら、おそらく自分はどこかで野垂れ死んでいたからな。だから、騙されたことには感謝の念すら覚えているくらいだ。特に一番最初に騙してくれたあの人たちには…それを口に出して本人たちへ言うことは決してないが。だがいくら何でも騙されすぎではなかろうか俺よ。騙されに騙されて、ついにはコレだもんな…」


 三杯目を飲みたかったが寝起きに水っ腹をつくるのもどうかと、結局やめてコップを机に戻し、クロノスはその隣に置いてあった一冊の本に目をやった。その表紙には「クランリーダー用活動報告書~毎日必ず書くこと~」と書かれている。文字の筆跡は見慣れたもので、これは長い付き合いでどの女よりも人生を共にした担当職員のものだ。

 この本は表題にあるとおりクランリーダーであるクロノスがクラン内であったできごとをまとめておく大切な活動報告書だ。日記形式になっていて書いたことを後で確認できるようになっている。猫の手も借り亭が団員を集め本格的に活動を開始した際に担当職員に受け渡されたのだ。

 クロノスとしてはいちいち書くのは面倒だと思っている。だが、愛する彼女は同時に自分にとって恐怖の象徴でもあるので毎日しっかりとその日の出来事を書くことにしている。自慢ではないが受け渡されてから一度も書き忘れたことはない。普段から肌身離さず持ち歩き、時にはダンジョンの中にまで持ち込んではきちんとその日の出来事を人知れず書いているのだ。さっきも眠る前に今日の分のページにイゾルデが団員に加わったことを書いていた。


「まさか俺がいちクランのリーダーになってしまうとは。しかも飽きっぽい俺がそれを放り出すことなく何か月も維持するとは…俺自身が驚きだ。まったく、不測の事態というか、巣から放り出された鳥の卵を無駄だと思いながらも興味本位で温めていたらなんと孵ってしまい、しかも孵ったのはヘビだったようなそんな気分さ。」


 意味不明なたとえ話をしながらもクロノスは思う。夢に出てきたあの二人が今の自分の現状を知ったらどんな顔をするだろうか。二人だけではない。他にもいる厄介な知り合いの面々だってどのような反応をするのやら。


 シヴァルにディアナにマーナガルフにヘルクレス。これまでも知り合いに会うたびこの事実をさんざん驚かれていた。しばらく会っていない連中も彼らと同じような反応をするのだろうか。


「…ふっ、驚かれたってドン引きされたって事実は変わらんよ。今のこれが俺なんだからな。」


 自分以外誰もいない部屋でクロノスはいないはずの誰かに向って呟き、そのあとは黙ってしまう。部屋に唯一いた彼が黙ってしまったことで部屋に静寂が訪れた。階下からは騒ぎ声が聞こえる。




「クロノスさん準備できたよ…ってあれ?部屋真っ暗。」


 しばらく経ってから部屋の扉がノックされ、クロノスの返事も待たずに開かれ外から少女が一人侵入してきた。魔術師の少女ナナミだ。彼女は光もない真っ暗な部屋の中を「そういえばクロノスさんのお部屋入ったのはじめてかも…」とキョロキョロ興味深そうに見渡してから、思ったよりも殺風景だと感想を述べてから部屋の隅で空のコップを手に持ち傾けていたクロノスの姿を見つける。


「寝てた?」

「いや、今起きたところだ。」

「変な時間に寝たら夜の分がなくなっちゃうよ。」

「夜は大人の時間だから起きていていいんだよ。ところで何のようだ?」

「なにって…これからイゾルデさんの入団パーティーするんでしょ‼もうとっくに準備できてるよ。」


 彼女の言葉でクロノスはそういえばと思い出した。今日は新たな団員イゾルデを迎えるパーティーをするとかで、何やらいろいろ準備していたのだ。クロノスにはやることがなかったが暇つぶしに外に出かけたらパーティーが始まるまでに帰ってこれないかもしれないので、大人しく部屋で待っていることにしたのだ。しかし退屈のあまり夢の世界へ逃げてしまっていたというわけだ。


「君が扉を開けたらいい匂いがしてきたな。」

「ふふん。ナナミさんも腕を振るいましたよ?カラアゲ、ポテト、焼き魚に蒸かしパン‼甘さとしょっぱさと油のタコ殴りにしちゃうよ~?」

「それは楽しみだ。とくにポテトが気になる。」

「とにかく、みんな待ってるんだから早く来てよね。急がないとお料理無くなっちゃうからね‼お酒も勝手に開けられちゃっても知らないから‼」


 それだけ言ってナナミはさっさと立ち去り、彼女がどたどたと階段を降りる音が聞こえてきた。


「騒がしいな…よし、楽しい楽しい飲み会にでも行きますか。夢で見た二人のことはひとまず保留だ。考えたところで会えるわけではないのだし。…いや、噂をすれば影とも言うからな。二人でないにせよ誰かが近いうちにひょっこり顔を見せるかも。会いたい時に会えなくて、会いたくないときに会えるのが人の縁というやつだからな。あの二人にしてもその他にしても、今どこで何をしているのか…もしくはあの世に行ったのかはわからんが。まぁ、見ていたまえよ。クランリーダークロノスいっちょやってやるさ。」


 出て行く直前、まるで自分に言い聞かせるかのように、自分以外誰にもいないはずの空間に宣言して、クロノスは今度こそ部屋から出て行った。




話数が多くなったので一回完結して話数リセットします。続きはしばらくしてから書きます。詳しくは活動報告にあげるのでそちらをご覧ください。ここまで読んでくださりありがとうございました。

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