第159話 そして更に迷宮を巡る(帰ってきたあとの出来事)
「…というわけで、私たちは迷宮都市の方に行ってたってわけです。クロノスさん抜きでダンジョンに挑戦して守護者と戦ってみたりしてみて、ナナミさん的にはとてもいい経験になったと思いました。まる。」
猫亭のテーブルのひとつで冒険者達に楽しそうに語っているのはナナミだった。彼女は向こうで買ってきたお土産の迷宮都市名物ダンジョンクッキー(どうみてもごく普通のクッキーであるがお土産とはそういうものらしい)を卓上に広げ、それを話を聞く者達に配りながら自分も摘まんで食べていた。というか買ってきた本人の胃に一番多く収まっている気がする。
「へぇ~ナナミちゃん達しばらくいないと思っていたが、迷宮都市の方に行ってたのか。」
「どおりで猫亭に誰もいないと思った。旦那抜きで守護者撃破たぁやるねぇ‼」
「ああ、なんかすごいお宝が出たって話は聞いていたよ。うわさがこっちにも流れてきたんだ。あたしも行けばよかったかな…」
そんなナナミの話をある者は彼女の武勇を嬉しそうに、またある者は羨ましそうに、はたまたある者は別の感情で耳に入れていた。まぁなんにせよ共通するのは、頑張ってきたナナミを褒めていたってことか。彼らはナナミの隣で静かに茶を啜りクッキーを齧っているリリファにも話をふっていた。
「リリファちゃんもさぞ大活躍だったんだろうな?」
「ふん、盗賊としての最低限の仕事はした。しかしそれだけだ。学ぶことはまだまだ多い。」
「またまた~‼」
「照れちゃってかーわいー‼おねーさんぎゅっぎゅしてあげる♡」
「抱き着くな酒臭い…休日だからって酒ばかり飲むな。」
「え~お酒はアタシの恋人だもん~リリファちゃんは第二婦人‼」
「ダメだコイツ。末期だ…」
女冒険者のひとりに抱き着かれリリファはその女の口元から漏れる酒のきつい臭い困り顔だったが、かといってそこまで邪険にもしていない。冒険者として認められているのが素直に嬉しいのだろう。
このように冒険者に土産話を語っているナナミとリリファだったが、残りの団員であるセーヌとアレンは家に帰ったしそれぞれこの街に他のコミュニティに顔を出しているので今はいない。それぞれ用が済んだらやってくるだろう。冒険者は彼女達が来たらそれぞれからまた違った主観で同じ話を聞こうと、今は二人を主役に立てていた。
「二人から嬉しそうな気配が漏れ出ているのは、やはり、クランとして団員全員が出動するの形でのはじめてクエストを完了できたからだろうな。これまではよそのパーティーに混ざったり数人でこなせる小さいクエストばかりだったし。」
「あなたは今回のご活躍を自慢しなくていいのかしら?冒険者ってのはそういう語り聞かせが生きがいみたいなものだと思うけれど。」
「俺はいいの。何もしていないしな。それに話なら見ての通りウチの子猫ちゃん達がたっぷりやってくれてるさ。せっかく楽しそうに話しているのに俺が後ろからああだこうだ言ったらつまらないだろう。」
デスクに肘をかける兎獣人の冒険者ジェニファーにそう尋ねられ、ナナミ達が楽しそうに談笑する光景を眺めていたクロノスは、定位置の建物の入り口近くに構えたデスクにもたれかかりそう答えた。膝にはジェニファーの妹のチェルシーが鎮座して頭部から伸びた長い兎の耳をゆらゆらさせている。
「ふぅん、欲のない人ね。」
「欲なら人並みに、冒険者並みにあるぜ俺は。なにせ冒険者だもの。今も君のような素敵な女性をどうやって口説けばベッドに連れ込めるかを五パターン程考えて、頭の中で並行して実践してみているぞ。」
「へぇ、それなら各プランごとの結果はいかがなものかしら?」
「…全滅。ぜんぶ途中でほっぺをひっぱたかれるか、そうでなければ脛を蹴られて終わっている。」
「あら残念。まだ好感度が少ないのかしら。」
自分が脳内で勝手にあれこれされているというのに、ジェニファーはまるで他人事のようにつぶやいていた。もちろんお互いに冗談とわかったうえでの大人の対応なのでこの話はお終いだ。
「ジェニファーとチェルシーもすまなかったな。勝手に予定を立てて留守を任せてしまって。」
「その分の手間賃はもらったから問題ないわ。むしろそのお金があったからしばらく無理してクエストをせずにすんだし、いい休みになった。新しい剣も練習したらだいぶ馴染んだから、これなら兎喰流剣術にも耐えられそう。今度クエストが被ったときにでも見せてあげるわ。…それと部屋を借りているとはいえ、クラン外の人間に拠点の管理を任せる方が問題だと思うけど?」
「そっちがいない間、大変だった…」
「そうみたいだな。人に好き勝手触らせるのは好きな性分じゃなかったんだが、まぁ多少油断してしまったところはあっただろう。随分内装も変えてくれたみたいだ…もう直させたけど。」
そう言ってクロノスは、いつもと変わらぬ猫亭の一階の酒場のような普通の内装を眺めていた。…端の方に転がされていた冒険者のことは無視をして。
迷宮都市でのクエストも無事終わりミツユースへと帰ってきたクロノス達。懐かしき拠点の猫亭の扉を開けるとそこは…地獄だった。自分達が留守にしていた間に地元の冒険者が猫亭に入り浸り、鬼の居ぬ間にヒャッハーだと私物化し中を好き勝手にしてくれていた。その様は帰ったクロノスが猫亭に入るなり、どこか別の建物に入ってしまったかと間違えたほどだ。
しかしそれは帰り道中の馬車で昼寝をたっぷりして元気いっぱいなクロノスの愛と想いの詰まった鉄拳制裁で猛省した冒険者たちによってすぐに片付けられ、元の内装を取り戻していた。いちおうジェニファーに留守番をさせていたはずだが、よくよく考えてみれば彼女がいたからこそ、あの程度で済んだとみるべきだろう。これを受けリーダーであるクロノスはもう絶対に誰かに留守を預けず、出かけるときは素直に鍵をかけることをかたく決意した。
その結果片隅で冒険者だったものが昨日の部屋の片づけでダウンしっぱなしのそれが積み重ねられているが、放っといてもそのうちひょっこり目を覚ますだろう。自分達で起こした責とはいえ一日でアレを戻すとは大したものだと、彼らの働きを評価して酒をふるまってやるかとクロノスは背後の棚の中から、某地方から届けられたかつての自分のクエスト報酬である高級酒を取り出して並べたグラスに注ぐ…あ、高そうな酒の臭いを嗅ぎつけて全員起きてきた。
「高そうな酒のにおい‼」
「俺達では一週間休まずクエストやってもありつけなさそうな高級な酒のにおい‼」
「なんか壁に張り付いた苔みたいなきったない緑色だが、俺にはわかる‼とんでもねぇ上物だ‼」
「勘がいいな君たち。これはイスナール地方の「風緑の天鳥」さ。緑色の変わった色の酒だが、個性的な香りと味わいが深い一品だそうだ。本来なら君たちの稼ぎで口に含める代物ではないと思うが、猫亭に不埒な輩を入れなかったわけだし、その留守番代ということでタダにしておいてやるから飲みな。後で味の感想と合いそうなつまみの組み合わせでも教えてくれ。」
「「「わーい‼」」」
冒険者たちは大喜びでクロノスから酒の入ったグラスと残りのある酒瓶をひったくり、ただ酒をせしめてやったと向こうの席へ飛んでいった。真昼間から酒盛りでクエストをしなくてもいいのかと尋ねたいが、やるかやらないかは彼ら自身で決めることだ。もしクエストをやらないばっかりに財布の中に冬が訪れようと、それはいわゆる自己責任と言うやつである。「ほどほどにしておけよ」と、最低限の礼節にあたる警告だけをして、この場に残るジェニファーとチェルシー、そしてもう二人のために、持っていかれた酒瓶と同じ品の封を開けて、新たに出した四つのグラスに酒を注いだ。チェルシーの分だけはオレンジジュースだったが。
「ここはなんだか冒険者の集会所のようになっていますのね。前来たときはそんなにたくさんはいなかったと記憶しておりますが…」
「今日は休みを決めた冒険者が多い日なんだろう。ここもいつの間にか休みの連中がたむろする場所にされてしまっているようだ。ミツユースには冒険者が集まれる場所がギルドの支店以外であまりないと聞く。酒場に関してはけっこうな数があるが、その多くで冒険者は出禁にされていると聞くからな。過去の先輩が何かやらかすと以後後輩の冒険者にまで出禁がかかるんだと。」
「ギルドとしましてはクエストを探すわけでもないのに、支店内でうろつかれても困りますから、体のいい厄介払いができて大変うれしく思いますね。」
「それ家主の前で、そしてクランリーダーの前で、さらに君の担当の前で、言う言葉だろうかヴェラよ?」
「さて、どうでしょうね。」
しれっと隣で答えるヴェラザードに口を尖らせて文句を言ってみるが、相変わらずのどこ吹く風といった具合の彼女は、既に自分の分のグラスを持って口をつけていた。この女は酒を飲むとなれば涼しい顔をしてウォッカをジョッキでがぶがぶ飲むこともできるが、今日のようにグラスで大人しく味わって飲む様にはどこか色気を感じる。もしも彼女がドレス姿で場末の酒場で飲んでいようものなら、思わず声をかけて夜の街に二人で消えてしまいたくなる…そんな感想を一瞬だけ抱いたクロノスだった。
「ヴェラはいつものとおりで安心した。貴方も一杯どうだい?ああ、もしかして未成年だったかな。」
「いえ、ご心配なさらずとも、あたくししっかりと成人しておりますの。頂きますわ。」
「どうぞ。どうせもう注いでしまったしな。」
もう一人の彼女もクロノスが緑色の風変わりな色の酒を注いだグラスを受け取って、グラスを揺らして緑というよりは翠の酒の色を目で味わい、次に香りを鼻で味わい、そして口へ運んでようやく舌で味わっていた。その丁寧な所作は、とても自分達お行儀の悪い冒険者達には真似することはできないだろう。クロノスはそう思いながらもうひとつグラスを取り出して、そこに同じ酒を注いでから、眺めて嗅いで…そして自分には酒精が高すぎて飲めないので、早くも飲み干しお代わりを所望しに戻ってきた冒険者のひとりへと飲ませて片付けた。
「美味しいお酒ですわ。きつすぎず、それでいて酒精が薄すぎない…あたくし、このようなお酒にはおつまみはいらないと思いますの。半端な物は舌が濁ってしまいますから。」
「飲む気は起きないが、酒は高いのに限るといことだ。さぁいい酒を味わってもらったところで、本題に入ろうか。…なぁ、イゾルデ嬢。」
グラスを流しの洗い桶に置いてから戻ってきたクロノスは、未だに自分の酒をちびちびと味わう彼女…イゾルデにそう言った。
彼女はすぐにはクロノスに応えず、わずかな量の酒をようやく飲み干してからグラスを置いて答えた。
「言いませんでしたか?縁があればまた会いましょうと。そういえば貴方はおりませんでしたか。」
「それはナナミ伝いに耳にした。しかしいくらなんでも再開と言うにはいささか早すぎではないかな。」
「そうですの?」
「ああ、そうですわい。君はなぜここにいる?先に言っておくが君がエリクシールを持ち帰った後のことの顛末ならギルドの情報網を通じて聞き及んでいるから報告は必要ないぞ。あのお方は無事目を覚ましたそうじゃないか。」
「ええ、何をしても駄目であったというのに、薬を飲ませたら即座にお目をぱちりと…いやはや、古代文明の秘薬とは恐るべしですわ。」
クロノスは人物の名を伏せ自分が伝えられた情報を言う。それは合っていたようで聞かされた彼女はうんうんと頷いていた。ちなみにジェニファーとチェルシーはいつの間にかこの場を離れて向こうに行ってしまっていた。部外者が聞くべき内容でないと察してくれたのだろう。
「だから、わざわざ君が直接結果の報告にいらっしゃらなくてもよかったんだぜ。」
「それはわかっておりますの。マックアイにもそれだけならギルドは知っているだろうからと、必要ないと言われましたわ。あのお方が眠っていることすら極秘にしてあったのに、いったいどんな鼻を持っているのでしょうね冒険者ギルドというものは。」
「それがギルドだ。なんでも知っている末恐ろしい連中さ。」
冒険者ギルドの恐ろしさと便利さを誰よりも知っているつもりのクロノス。彼は変わらず酒を呷る自分の担当職員の方へちらりと目を向けていた。
「ならば君はなにをしに…ああわかったぞ。また依頼でも頼みたいんだな。いいだろう。エリクシールのクエストの報酬は既に支払いを確認しているから次のも問題なく受けれるぞ。君の所は金払いがいいから断る理由もない、さすがは王家の関係者。よしよし、今度は何を手に入れてくればいいんだ?灼熱砂漠の果てにあるオアシスから銀色に輝く秘水でも汲みとってくればいいのか?それとも大樹林の奥深くにある古代遺跡から封じられし禁じの魔術が書かれた巻物でも回収しようか?それとも、実はミツユースの下水道から繋がるポーラスティア王家の歴代王族の眠る古墳への道を探しだして案内しろとか…ふふ、どれもこれもエリクシールを手に入れた後では児戯にも等しいな。もしくは…」
「いえ、そのどれでもございませんの。もちろん、これから出てくるものでも、おそらくございませんわ。あたくしの来訪の理由はお願い、という意味ではあっておりますが、それが依頼に当たることは絶対にございませんの。」
「…なんだ。依頼じゃないのか。」
どうやらイゾルデは新たな依頼を持ち込みにやってきたわけではないらしい。少し新たな冒険の妄想をしてトリップしそうになったクロノスはあっさり戻って少しだけ残念そうにしていた。
「それならばいったいぜんたい何の用だ?」クロノスが再度尋ねれば、彼女は次にこう言ってきたのである。
「あたくしをこのクランへ…猫の手も借り亭へ入れていただけませんの?簡単に言わせていただくのなら、入団希望をさせてくださいな。」
「…へ?」
イゾルデのお願いとは意外な物だった。それにはクロノスも意表を突かれ椅子からがくっと転げ落ちそうになる。
「なんで?冒険者クランに入るということは、それすなわち冒険者になるということだぞ?ああいや、別にクランに所属するだけなら冒険者のライセンスは必要ないんだが…だがまた急にどういうことだ。というか君にはあのお方の影武者の仕事があるだろう。それはどうするつもりだ?」
「実はシンプルにお伝えするのなら…お暇を頂きましたの。その影武者の役を。つい先日に。」
クロノスにそう伝えたイゾルデは、クロノス達と別れ迷宮都市を離れたあとのことを酒の肴をつまむかのように軽く話してくれた。
ナナミ達からエリクシールを受け取ったイゾルデは、迷宮都市を出てすぐさま王都ポーラスティアへと
お連れと共に戻った。そういえば王都は国と同じ名前なので紛らわしいから会話でそちらを指す場合は頭に王都とつける。そこはまあいいか。
城へ帰還したイゾルデは、そのままイゾルデとして眠りにつく本物のイザーリンデ姫へ赴き、手に入れたエリクシールを彼女へ飲ませてみた。眠る姫にエリクシールを飲ませるのは難儀な作業かと思ったが、イゾルデとマックアイの手によって小瓶から慎重にイザーリンデ姫の口へ注がれたそれは、まるで自分の意志で動いているかのようにするりと彼女の喉の奥へ入っていったらしい。そしてなにをしても目を覚まさなかったイザーリンデ姫はあっという間に目を覚ました。問題なくエリクシールは本物だったようだ。
ベッドからそろりと起き上がりきょろきょろしてここがどこかを探るさまを見て、イゾルデは復活したイザーリンデ姫に抱き着きわんわん泣いたそうな。
それから状況を掴めずに混乱するイザーリンデ姫に、イゾルデはここまでの事情をあれこれ話した。すると聡明な彼女はすぐに事態を受け止めてイゾルデの働きを労ったのである。
だが姫も目を覚ましたしこれでめでたしめでたし…ともいかない。情報の共有を終えた二人は次の瞬間にはイゾルデはイザーリンデ姫に、イザーリンデ姫はイゾルデになっていた。つまり、お互いの立場を入れ替わり元の鞘に収まったわけだ。なにせこの場にいる二人とマックアイとごく一部の人間以外の間では、影武者であるイゾルデの方が眠っているということになっているのだ。国王ですらそうだと思っているのならば、それを真実にしなくてはなるまい。
「というわけでお互いに衣服を着替え、あたくしはベッドで眠りましたの。」
「そこまではわかる。いつまでも起きないので処分しようと思っていたのが実は本物でしたなんてあったらえらいことになるからな。」
「あの方が起きたのならその先偽る必要もありませんがね。しかし、可能性は限りなく潰しておくべきと考えましたの。」
「ああ。それで?そこからどうして今の流れになるわけだ?」
「二人で入れ替わった後、あたくし、すなわちイゾルデはカルヴァン陛下に呼ばれましたの。あたくしも病み上がりでまだ体力が戻っていないふりをしながら、陛下の元へ参上いたしましたわ。そしたら既にこれまでの事情をすべて…ああ入れ替わっていたこと以外ですわよ?とにかく、聞きおよんでいた陛下があたくしを叱りつけ…ぶるる。ああおっかなかったですわ…」
体験を思い出しイゾルデは震えていた。どうやらしこたま怒られてしまったらしい。そりゃそうだ。なにせ王様も影武者の彼女が眠りそれを助けるため自分の娘である姫の方が迷宮都市へ行ったと思っているのだ。そして姫が危険を顧みず自らダンジョンに潜ったとなればその怒り様はクロノスにも理解できる。八つ当たりなのかもしれない。
「それでお叱りを受けたのち、あたくしは影武者としての役目を解かれたのですわ。当然です。なにせ眠っていた間、姫様の影としての役を果たせないどころか、逆に護衛対象を危険な目に合わせていたのですから。自分の意志ではないとはいえ、影武者として使えない人間をまた使うなどと虫のいい話はございませんもの。」
「実際は逆なのにな。知らないとはいえ王様もひどいことをおっしゃる。」
「そんなことありませんの。ただの放逐で済んだことはむしろ温情ですわ。こうしてあたくしがまだ生きているのが何よりの証拠。影武者の処分など普通なら人知れず闇に葬られるものです。ですが平和な世の中ですから、王もあたくしを追放も物理的に処分もせずにただ影武者であったことを口外しないことを条件に、こうして一人の人間として城外へ出す程度で済ましていただけたのです。生かすにしたって普通はそっくりな顔が城下で悪さをしでかさないよう、形が変わるまで手を加えられますの。」
「…それもそうか。影武者を放逐するならその顔で悪さをされないように、そして影武者であったことを知られないように、叩き潰すなり皮を剥ぐなり、顔を焼くなりして、顔をあの方と似ても似つかぬ形にしなくてはな。顔だけならまだいい。薬や拷問で廃人にするって手もある。」
似ても似つかぬ醜い容姿の女が、自分はポーラスティア王国の姫気味なのだその影武者なのだ、などといっても誰も信じない。狂った精神の持ち主ならなおさらであろう。俺だって信じないとクロノスは冒険者のひとりからもらったナッツを摘まんだ。
「そうですとも。昔の国同士がこぞって戦をしていた時代ならともかく、今はこの辺り一帯は人間同士のいさかいは少なくモンスターや自然の驚異を除けば平和そのもの。こうして五体満足でいさせても平気ということですわ。」
いや、そうではないだろうとクロノスは思った。平和な時代にだって、いや、国同士が武力でぶつからない平和な時代だからこそ「一国の姫に影武者がいて入れ替わって政に関わっていた」という情報は、とんでもない価値がある。そのカードをちらつかせれば何らかの有利な政治交渉ができるかもしれない。これが国同士ならまだいい。もしも悪しき輩が悪用しようと思えば…
カルヴァン国王殿とてそれは十分承知だろう。ならばなぜ…もしかしたら王は気づいていたのかもしれない。自分の娘と影武者が入れ替わっていた事実と影武者が姫のためにエリクシールを手に入れるために活動していたことを、それを評価して体面上は放逐しなければならないが、ひどい目にあわせるようなことをしなかったのかもしれない。あるいは実の娘と同じ顔の年頃の女の顔や心に傷をつける真似はしたくなかっただけなのかも。国王様が何を考えてるのかなど一介の民草であるクロノスにはわからない。どちらにせよこの場に国王様がいるわけないので、その真意を知ることなんてできないのだ。だがそんなことはどうだっていい。結果としてイゾルデは五体満足でこうして平気な顔で酒を飲んでいる。その事実だけで十分である。
「城を追い出された経緯はわかった。だがそれなら、そもそもポーラスティア王国に留まる必要すらないだろう。故郷に帰るとか、そういう道だってある。というかそれが普通だ。何をどうやったここへ来る流れになったんだ。」
「いえ、あたくしに故郷はありませんの。姫の影武者の役に就くときに、あたくし自身が姫になりきるため無理やりに忘れてしまいました。記憶の片隅に隠したというわけでなく、実際に消し去ったから絶対に見つかることはない…そもそも存在すらしていないというくらいの強さでね。魔導士に暗示や魔術を片っ端からかけさせ、高名な錬金術師が製作した記憶を飛ばす薬も使いそれはもう跡形もなく。」
故郷に帰ればいい、そんな誰にでも思いつきそうな案をクロノスも出してみたが、どうやらそれは叶わないことのようだ。なによりも、目の前のイゾルデが望んでいないらしい。
「影武者の任を解かれてもなお、あたくしの生き方は変わりませんわ。あたくしが願うのは姫様の利益、そしてこのポーラスティアの利益…影ながらそれらをお支えすることですわ。しかしながら政治的にはその役割をもう果たすことはできませんの。…そこであたくし、思いつきました。ポーラスティア王国を拠点とした冒険者として活躍することで、この国に利益をもたらせるのではないのかと。この国が平和でそれなりに豊かな国とはいえ、モンスターの脅威に苦しむ者や様々な理由から生活に困窮する者、そういった存在は後を絶ちませんの。冒険者としてクエストを受けることによって民の助けになればと。」
「…冒険者は一つの国に肩入れしてはいけない決まりなんだがな。」
「それはもちろん重々承知しておりますの。しかし、この国で活動をすれば利益は自然とポーラスティアへと還元されますの。小さな水の一滴でもいつかは大海へ合流するように。そしてこの国で活動をするクランならばなおさらですわ。実のところ、他の方法も考てみたのですが、王都ですと何かとこの顔が…他の街でもやはり活動はし辛いかと。冒険者として活動するにしてもチャルジレンは知り合いもいませんしね。その点ミツユースならば王都から少し離れた国の端。純粋なポーラスティア王国民は人口の半分にも満たず多くは商人や出稼ぎ労働者でこの国の王族を顔まで把握している者は少ないですわ。もし姫様に似ていると言われても良く似た人違いで済みますの。そういうこともあって、「ポーラスティア王国の」、「ミツユースで」、「活動している冒険者クラン」…ほら、ここがぴったり条件に当てはまるでしょう?おまけに貴方がたとは短い間柄とはいえ知己ですし。」
「短い間柄の知己ってなんだよ。…まぁとこかく条件通りならそういうことになるか。この街以外の王国内では君の顔は目立つし、そもそも知り合いがいない。」
「はい。というわけで、そちらに入れてくださいな。」
やっと事情を説明し終え、にっこりと微笑み頼むこんでくるイゾルデ。クロノスは彼女を見てそれがクランにとって利益になるかどうかを考えた。
「(たしかにイゾルデはこう見えて剣に覚えのある腕の立つ女性。冒険者になって大剣士の職にでもつかせれば大活躍しそうだ。というかそれ一択だろう。他をとらせるなどもったいない。猫亭は団員たったの五人の弱小から更に縮んで弱微の小さな小さなクラン。将来的なことも考えて団員が一人でも増えるのはありがたいぞ。つーかウチの戦士がアレンひとりだから前衛が不足してるんだよ。リリファは盾というより遊撃だし、セーヌがいつも前に出るのは違う気がするし、俺が戦いに参加しない場合を考えるともう一人くらいいてくれないとバランスが悪い。男だから女だからというのはこの際考えないことにする。…総合的に考慮して、イゾルデを一般人としてみたら最高の入団希望者である。…しかし‼)」
しかし、それ以上にこの女性を取り巻く環境が問題だ。いくら影響が一番小さな町だからといっても、この国の第一王女とおんなじ顔の女性など置いておいたら間違いなく面倒なことになる。クロノスは己の勘がそう警鐘を鳴らしてくるのを胸の奥底から感じていた。そして思った。言おうと思った。「残念ですが今回はご縁がなかったと言うことで…」と。
「…」
「…実はこちらへ来るまでにヴェラザードさんにひとつ助言をいただいておりまして…それを聞いていただければ、間違いなく雇ってくださると。貴方が素直に首を縦に振らねば、これを提示しなさいと言われておりますわ。」
それはイゾルデも承知のようで、クロノスが返事を出さないでいると次に彼女は交渉材料を取り出してきたのだ。
「ほぉ、交渉材料ね。果たして何が出てくるか…言っておくが、金目の類は俺には効かないぞ?こう見えてけっこう持っているんでね。」
「賄賂ではございませんの。なにより城を放逐され、あたくしあまり持っておりませんわ。…聞くところによると、このクランにはお金の管理をする人間がおらず、そしてそれを必要としていると。」
「そうだけど…今も迷宮都市での収支の計算をいつやろうか悩んでいたところだ。なんだこの量は。十数人かそこらが二週間遠征するとこんなに金が動くとは知らなかったぞ。」
クロノスはけだるげに手元にあった紙の山を見せてきた。それは迷宮都市で宝や魔貨を換金した時の利益や、飲食毎に使った金額、宿屋の宿泊費、払わなくてはならない税金、免除される各種手数料など様々なことが書かれていた。これは金額をまとめてギルドに提出しなくてはならないのだ。そうしないとクランの収支の実態を割り出せないのでギルドにクランの評価をつけてもらえない。
「…あたくし、できましてよ?お金の計算。」
「なに…?」
イゾルデは平均的な大きさの自分の胸に手を当て、己を示して続きを話す。
「あたくしは影とはいえ、姫と同じく民の血税100%で食べていた人間ですわ。そして民の上に立つ姫様と同様にあらゆることを学ばされておりますの。税金や物価、法律などこの国のお金に関する事柄はすべて熟知しておりましてよ。ですので、たかだた数人程度の団体の金銭の管理など、剣を振る傍らでできてしまいますわ。」
「入団、認めよう。ようこそ子猫ちゃん歓迎するぜ。」
「やりましたわ。」
イゾルデの提示した交渉材料を前に、クロノスはあっさりと了承の返事を出してしまった。だってクロノスも金銭の管理とかやりたくなかったんだもん。面倒だし。材料どころか完成品がでてきてしまったという具合ならば食らいつかぬ手も口もあるはずがない。それにクランとしてもそこそこの剣に覚えのあるイゾルデの加入はプラスに働くはずだ。そういったことを総合してしまえば、イザーリンデ姫の顔と同じ人物などということは目の前を横切ったハエくらい些細なことである。クロノスは自称心の広く深い男だ。そういう男はいちいち小さなことを気にしないのだ。「男性の中では割と細かいこと気にするしいつまでも根に持つネチネチ女みたいな方だと思いますけどね私は。」…こらこらヴェラザード嬢。横やりを入れるものではないよ。酒を飲んで酔っ払いの野次オヤジかよっての。
「…あ、でも君の名前、イゾルデ・ベアパージャストは偽名なのだろう。偽名では冒険者に登録できないぞ。」
冒険者のルールに冒険者は偽名を使えないというものがある。偽名を使うとどうなるのかというのはまた別に機会に説明するとして、偽名ではそもそもライセンスの登録が行えないのだ。ひいては冒険者になることもできない。別に冒険者になれなくともクロノスにとっては猫亭の会計をしてもらえれば関係ないが、ポーラスティアを豊かにするために冒険者の活動をしたい彼女にとってはそれは痛手だろう。
「それについては私から。」とグラスを空にしてお代わりをもらいにきたヴェラザードが補足をした。
「イゾルデさんは自らの出自だけでなく、元の名前すら記憶のどこにも残っていないようなんです。当然国の記録にも。本人が知らない以上真名は使えません。新たな真名…すなわちイゾルデ・ベアパージャストを偽名から真名へするという措置は、おそらくできると思います。」
「マジか。ギルドのシステムがばがばだな。」
「あなたがそれを言いますか?…おんなじ事例ですのにね?」
「…そうだったな。もっとも俺は王家云々というわけではないけどな。」
身近で、というか一切の距離なしに、似たような事例を知っている二人はそのことを心配しなかった。ともあれ名前の件はとりあえず問題ないようだ。王家の影武者などという立場も、ヴェラザードがいろいろ手を加え手を回して誤魔化してくれるだろう。間違いなくそのままだと面倒だし。
「子猫ちゃん集合‼ついでに暇な野良猫どもも聞け‼」
「なになに?」
「また酒でも出してくれるのか?」
「今度は甘めのやつがいいなぁ。」
さぁイゾルデの加入は決まったのだ。まずは紹介をするべきだろう。クロノスがいつも通り団員たちへ全員集合の号令をかける。それを聞き談笑していたナナミとリリファ、ついでに暇な出入りの冒険者たちがぞろぞろと集まってきた。
「紹介しよう…このたび、我がクラン猫の手も借り亭に入団が決まった、イゾルデ・ベアパージャストさんだ。」
「宜しくお願い致しますわ‼」
集まった冒険者に向けてイゾルデが元気よく挨拶した。
「わお‼ここへ来て新団員かよ‼」「しかも女‼旦那もやるべ‼」「…なかなかいい尻の女だ。後ろに回って触ってみたい。」「これだから男は…」「でも美人ね。胸もそこそこ…」「しかもああいうタイプの女は猫亭にまだいないタイプだ。ああいう強気な女を尻にしいてみたいものだ…」「よく言うよ。いっつも彼女に尻に敷かれているくせに。」「猫亭が下手なクラブより女の幅が広くなっちまうー‼これで旦那が実は女でしたってんなら最高なのに‼」「実はワンチャンあるんでね?顔は女っぽいし体も女みたいにひょろいし…」「今度風呂に誘ってみようぜ。ダンツと込みで。実は大穴で二人とも実は…とか‼」「イイね‼」
「「「「えっ…!?」」」」
ほとんどは余計な話をしながらイゾルデを暖かく迎えてくれたが、しかし何人かはまるで確認するように素っ頓狂な声を出した。誰かと思えばそれは迷宮都市に着いてきた何名かの無所属の冒険者とリリファだった。
「どうした君たち。彼女のあまりの美貌に思わず声を失ったのかな?」
「いやいやいや旦那‼だってあれポーラスティア王国のイザーリ…」
抗議しようとしたダンツの肩をクロノスががっと掴んでその声を遮った。そして他の連中にもわかるようににっこりとへったくそに微笑みそっと囁く。
「いいか?彼女はイゾルデ・ベアパージャストさんだ。決して、断じて、断固としても、この国のお姫様のイザーリンデ姫とかではない。顔がそっくりの別人だ。そうなんだそうに違いないんだ君たちさえ認めればそれが通るんだからいいんだよ。だから、わかるよな?」
「「「「は、はい…」」」」
クロノスの威圧で彼らはあっさりとイゾルデが某お姫様とはぜんぜん関係ない人物だと認めてしまう。しょうがないのだ。彼らは小物の冒険者。仮にもS級のクロノスに口答えして勝てるはずがないのだ。それに実際彼女はイザーリンデ姫でもなんでもないのでウソは言っていない。これはただ彼らがかってに勘違いをしただけなので、クロノスはその誤解を解いたイイ人なのだ。それに冒険者とはいい加減という意味での適当な人間の集まりなので、おそらく来週くらいには誰も気にしなくなってるだろう。長年の冒険者稼業でのある種の信頼を持っていたクロノスだった。
「えーイゾルデさん冒険者になるの?そんで猫亭に入るとか…これで団員六人目だね。クロノスさんやったじゃん。」
「…ナナミちゃんはびっくりしないッスか?」
「そう?お姫様が冒険者になるなんてよくあるよくある。少なくとも私がいたところの小説ではよくあるよくある。」
「お前がいたところはいったいどんなところだったんだ…」
「ぜんぜんふつうのところだよリリファちゃん。」
人が挨拶をしているところにクッキーを齧って聞いていたナナミだけはなんか心配だったが、気にはしていないようだったし大丈夫だろう。全員が納得をしたところでクロノスは酒の代わりに用意した茶を飲みはじめ、挨拶の続きをイゾルデ本人にさせることにする。
「クランリーダーよりご紹介にあずかりました…イゾルデ・ベアパージャストと申しますの。これから冒険者になりますが、クランの方もそうでない方もどうぞよしなに。職は大剣士を予定しておりますわ。このパーフェクト・ローズに釣り合う働きはしましてよ?」
「…ぶーっ!?」
そう言ってイゾルデがどこからともなく取り出したのは、彼女がさんざん使っていた巨剣にして宝剣であるパーフェクト・ローズだった。それにはクロノスも飲んでいたお茶を吹きだす。
「…はしたないですわよ。」
「ゲホッ、ゲホッ…‼それ、持ってきたのかよ!?ポーラスティアの国宝じゃないのかよ‼」
「餞別にと王より賜りましたわ。どうせ王家の人間は誰も持てないし国庫の肥やしになるだけだからと気前よくくださりましたの。」
「だからって宝剣あげるとか…カルヴァン王…娘のそっくりさんに撃甘すぎじゃないか…‼王とか興味なかったが逆に一周して会いたくなってきたぞ…‼今度会いに行くか‼」
「おはようございます。」
「そこでセーヌ姉ちゃんに会ったから一緒に来たけど…なんの騒ぎ?まぁいつものことか。」
おや、ちょうどセーヌとアレンもやってきた。改めて二人にもイゾルデを紹介せねばなるまい。クロノスは指定席から立ち上がり彼女達を出迎えるのだった。
猫の手も借り亭団員数―――――六名
迷宮都市編おわり。短編何個か挟みます。