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猫より役立つ!!ユニオンバース  作者: がおたん兄丸
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第158話 そして更に迷宮を巡る(迷宮都市を去る者達の出来事)



 迷宮ダンジョンから帰還したナナミ達は依頼を達成してイゾルデが立ち去った後で、すぐに全員に睡魔が襲ってきた。真夜中に迷宮ダンジョンへ行って休憩も軽くで仮眠もなかったので無理はない。


 同じくまったく寝ていないであろうに後処理などの指示を元気にしているガルンド老へ軽く挨拶をして別てからまっすぐに宿へ戻り、そのまま太陽が空の真上に到達する昼間まで宿で仲良く眠りこけたのだ。


 熟睡は午後まで続き、全員同じくらいに目が覚め宿の近くの食堂の外の席で昼食を摂りながら道行く人々を何気なしに眺めていると、そこにクロノスがやってきたのだ。

 

 四人のS級冒険者とパーティーを組み、そこからダンジョン内で別れた彼が、今までどこで何をしていたのかは知らない。だが、おそらくそれは必要なことで彼はそれを成すために尽力を尽くしていたのだろう。何があったのかをだれも尋ねようとはしなかった。


 クロノスと合流したそのあとは、依頼も果たしてしまいダンジョンへ行く用もないので、そのままダンジョン内で手に入れた魔貨を換金して得た金を使い、都市内の店で冒険者活動に全く関係のない嗜好品の買い物をしたり、カジノでギャンブルゲームを遊ぶ勝ったり負けたりして楽しんだ。あまりに夢中になって遊んだためすっかり日が暮れてしまい、遊び疲れてしまったこともあったので宿にもう一泊してからミツユースに帰ることになってしまったが、モンスターの戦いも罠を警戒して神経を集中させることも無い平和な日常を楽しんだことで、ダンジョン探検で蓄積した精神的な疲労の方も吹き飛ばすこともできたため結果的にはよかったと言えるだろう。そして次の日が訪れ、全員ご機嫌で今まさに迷宮都市を発つところだった。



「―――よし、誰も宿屋に忘れ物とかしてないよな?」

「ああ。全部積み終えたぞ。」

「よしよし、それと全員いるか?いないやつは手ぇ挙げろ。」

「わぁお約束。いち、にぃ、さん…はーい、全員いまーす‼」

「荷物よし…メンバーよし…問題なしだな。それじゃあダンツは馬を頼むわ。」

「了解ッス。馬は得意だから任してくれ。それじゃあ出発するぜ…はいよっ‼」


 迷宮都市をぐるりと囲む壁を大門のひとつの前で荷物と人員の確認を終え、メンバー全員が新たに借りた馬と馬車に乗りこむと、御者役を買って出たダンツが手綱で馬へ合図をする。合図を受けた二頭の馬はひひんといななき小走りでまっすぐに進み出した。


「またのお越しを~。」

「ありがとうございます。お仕事お疲れ様でございます。」

「バイバ~イ‼」


 門の警備をしている人員が気さくに手を振ってくれたので、ナナミ達も好意的に挨拶を返していた。入るときは特別な権限がない限り行列に何時間も並び入場の手続きをしなくてはならないが、出ていくのはとてもあっさりだ。開かれていた門を潜り抜け外に飛び出した馬車は、わずか半日かそこら程度のミツユースまでの道のりをゆっくりと行く。


 天気は快晴で雲一つなく、ゆったりとした旅路となるだろう。馬車から身を乗り出して空模様を伺っていたナナミは、そう思ってから顔を引っ込めた。


「行きも帰りも天気が良くてよかったね。雨とかだったら気分最悪だもん。ジメジメするし馬車の中に雨粒が入ってきちゃうし。」

「そうだな。ところで馬車の中がなんか広くないか?来るときにはもっと一人分のスペースは狭かった気がするんだが…」

「あれでしょ。イゾルデさんがいなくなったから…」


 旅路の間に食べようと屋台で買ったスティック状の揚げポテトをさっそく摘まみ、頭から生えた毒々しい色のキノコを風で揺らめかせているヘメヤの疑問に、アレンがポテトをわけてもらいながらそう答えた。


 馬車は来たときに借りていたものとサイズが同じものを選んだが、来る時と違いイゾルデがいなくなったので一人分スペースに余裕ができて心なしか広く感じる。ダンジョンで得た宝や魔貨もほとんど金に換えてしまったのでそれが場所を圧迫することは無い。雇い主がいないのがクエストを終えた証である達成感と同時に、わずかな期間とはいえ仲間としてダンジョンで戦った者がいなくなった喪失感を感じ、アレンは少しだけ寂しく思っていた。


「にゃにゃにゃ?アレン君はキレーなお姉ちゃんとのお別れを得てちょっぴりおセンチになってるのかにゃ?」

「ち、違うよニャルテマ姉ちゃん‼…ただ、やっぱりクエストが終わった途端にお別れってのは寂しいなって…‼」

「アレン君は気にしすぎなのにゃあ。依頼主なんて薄情なもんでクエストが済んだら「ハイさようなら縁があればまたお願いします。でももう会うこともないかもしれません」…なんてよくあるにゃ。クエストはギルドが仲介をするものだから、依頼主が依頼を出して依頼が終わったらその報告を受けるだけで、冒険者と依頼主が最初から最後までお互いの顔を見ないってこともそう珍しくないにゃよ?」

「え、そうなの?雇う側も雇われる側も相手の顔がわからないってのはやりにくくない?」

「逆にゃ逆。冒険者なんて荒くれ者が多いから、むしろ依頼者が直接冒険者と顔なんて会わせようものなら顔を引きつらされてしまうのにゃあ。クエストを依頼する人間が信用しているのは、どちらかと言えば冒険者ギルドの方だからにゃあ…そもそも、冒険者が直接依頼を受けるのは大変だからってギルドが間に入って交渉をするようになったのがクエストの始まりにゃわけにゃし。」

「たしかにおいらがお客さんの方だったら、ちょっと冒険者に頼むのは気が引ける気がする。」

「にゃろ?別れにしても繰り返せばそのうち慣れるにゃあ。それに冒険者にとって出会いと別れは常だしにゃ。今日クエストで一緒になった冒険者が明日よその土地へ何も言わずに行くこともあるし、パーティーを組んだばかりの相手がその日のうちにモンスターとの戦いで死んでしまうことだってあるのにゃ。にゃあも気に入った男の子を見つけたときには日がな付き纏って…ああ‼ちょっとみんにゃ、引かないでにゃ‼にゃあはショタコンではないのにゃあ‼」


 性癖がちらりと影を見せ、ちがうちがうと手を振って誤魔化したニャルテマは、にゃふんと一息ついてから続きを話した。


「ま、まぁにゃあが言いたいのは、いなくなった奴にいつまでもうじうじしてないで、次の出会いに思いを馳せていろってことにゃあ。」

「次の出会い、か…そうだよね。おいらは冒険者になったんだ。これからもいろんな出会いがあるよね。」

「そうにゃあ。次の出会いはもしかしたらイゾルデよりも美人のお姉さんに会えるかもしれないし、男でも惚れちまうようなとびきりのイケメンに会えるかもしれない。それこそ英雄と呼ばれるような大物に会う日が来るかもしれないにゃあ。生きていれば何があるのかわからないからこそ、それを楽しみに生きるのに。もしかしたら今回の件で信用を得たことでまたイゾルデ嬢が依頼を持ってくるかもしれにゃあしね。もぐもぐ…」

「なるほどね。いろんな人との出会いも冒険者の楽しみのひとつ…勉強になるよ。もぐもぐ…」

「いい話しながら二人して俺のポテトつまみ食いしてんじゃねぇよ。高級な芋を使ってるとかでけっこう高かったんだぞ。」

「いいじゃないヘメヤ。そんなにケチケチするもんじゃあないよ。減るもんでもないんだし。教会の説法で聞いた分かち合うことの大切さと尊さを君にも教えてあげようか?もぐもぐ…たしかに塩味がきいていておいしいね。」

「現に減ってるだろうが。つーかお前まで食うなよオルファン…もういい、食われる前にぜんぶ食ってやる‼もぐもぐ…‼」

「あーずるい‼クルロさんも‼もぐもぐ…‼」

「もっとよこせにゃあ‼ぜんぜん足りないのにゃあ‼」


 彼らはずるいずるいとクルロも混ざり、取っ組み合いを初めてしまう。揚げポテトは宙を舞いそれを掴んだ者が己の口へ投げ込んでいく。ポテトはかなりたくさんあったのだがあっと言う間に消えていった。


「なにやってんの…クロノスさんは揚げポテトもらわなくていいの?好きじゃなかったけ。」

「俺は自分の分はもう確保したから。」

「ありゃ、いつの間にとったの。」

「さっきの間に、さ。もぐもぐ…」


 揚げポテトはクロノスの好物であったはずだ。彼の場合人から食べたかった奪い取ってでも手に入れるだろう。ポテトを迫りくる魔の手から死守するヘメヤを流し目に見ながらナナミがクロノスに尋ねたが、彼の水平にされた掌の上には、いつの間にかたくさんのポテトが鎮座していたのだ。それを彼は一本ずつ手に取って口へ運びうまいうまいと味わって食べていた。塩分と油分と指から綺麗に舐めとる仕草がどこか(なま)めかしい。


「ふむ…なかなかの上物だな。揚げポテトは調理の過程と味付けがシンプルだから、素材の良し悪しがもろに出るからな。これは油と塩もいいものだな…百点満点中、八十八点ってところか。」

「でも百点じゃないんだ。」

「ここで百点をあげっちゃったら次にこれよりも美味いポテトに出会った時、点数をつけらんないだろうが。そういったきたるべき未来に期待する意味を込めて、軽はずみに満点はあげてはいけないんだ。」

「そういうときは最高点を百点満点から百二十点満点くらいにするといいんじゃない?今までの評価を変えられないなら上を変えればいいんだよ。」

「その手があったか…‼」


 ナナミの妙案をまるで天の神からのお告げだとばかりに、手に持っていたポテトを落とさないように器用にわなわなと震えたクロノス。そして自分の脳内で様々な人格のクロノスが集まり不定期に開催されている「揚げポテト品評会」の総合得点を百点から百五十点を最高値とすることが委員会の全会一致でここに可決された。よかったよかった。


「もぐもぐ…ポテトもうまいいところに話は変わるが、けっきょくクエスト実行による迷宮都市での滞在期間は計二週間と少しだったわけだが…ごくん。わりと早く終わったな。」

「本当に違う方向に話を捻じ曲げたわね…クロノスさん的には二週間は短い方なんだ。私はけっこうかかったとは思ったけどなぁ。」

「期間としては短い方だぞ。クエスト達成までは現地への移動時間も含められるからな。国を跨ぐ遠征レベルともなれば、移動だけで一か月二か月はザラだしな。そこからダンジョン探索や遺跡の調査なんかをしていたら、ときには年を跨ぐことだってありえる。俺自身も今までやったクエストに、達成まで一年かけたのもあった。それに、とあるダンジョンに挑戦して三年帰ってこずに死亡扱いにされかけた奴を一人知っているしな。君だって旅をしていた時に時間のかかるクエストを受けたことはあっただろう。」

「そりゃあったけど、長くてもせいぜい三日か四日くらいよ。長いのは終わるまで旅が再開できないし報酬がもらえないから失敗したときのリスクへの抵抗があるし…いくつも同時にクエストが受けられたらいいんだけどね。」

「受けれたらいいと君は本当にいいと思うのかな?」

「…思ってません。」


 冒険者は原則として複数のクエストの同時実行、いわゆる掛け持ちを行うことはできない。ひとつのパーティーが条件の良い依頼を独占してしまわないようにするためだ。なにより、いくつものクエストを期日内で達成させようとするために、無茶苦茶なスケジュールを立てたり強行軍で現地へ向かうので、本来の実力ならなにも問題なさそうな難易度の低いクエストでも疲労や油断で容易に失敗してしまう。そうなれば連鎖的に一緒に受けた他のクエストもことごとく失敗してしまい、大量のクエストが未達成になり冒険者の評価を大きく下げてしまうだろう。何人もの冒険者の信用の失墜はそのままギルドの信用にかかわる。


 なので新たに依頼を受けたければ、今やっているクエストをとっとと達成してしまうか、そうでなければ達成の見込み無しと覚悟を決めキャンセルをしてフリーの状態になることだ。クエストのキャンセルにしたって契約に基づいた違約金の発生があることも少なくないので、軽はずみにクエストを受けてやっぱりやめます的な感覚でやってはいられない。その制度を長年続けた結果、冒険者もギルドも依頼主もクエストの掛け持ちは、例えやってもいいのだとしても達成できるはずがないという認識になっている。…実はクエストの受け方にも個人単位やパーティー単位、それにクラン単位で裏穴があったりするのだが、それはまたの機会に説明するとしよう。


「クエストの掛け持ちは今は関係ない。期間の話に戻すが、クエスト期間は長いものは珍しくはない。今回は場所が近いし運も良かったからということもあったんだろうが、まさか本当に手に入るとは思ってなかったし。先にイゾルデ嬢が折れて諦めるとばかり…まぁ、クエストは無事に達成したのだからそれはもういいさ。ミツユースにある猫亭のベッドが恋しいぜ…早く帰って勢いよくそこへダイブしたい。もう疲れた。」


 クロノスはそう言って馬車の後ろで揚げポテトのすっかりなくなった手を乗り出させてぷらぷらさせていた。舐めとったあとの指を風で乾かしていたのかもしれない。ズボンで拭うよりはマシかとナナミも場所を移動してクロノスの隣に座り遠ざかる迷宮都市を眺めていた。


「それは私も思うけど…クロノスさん、なんか枯れてない?」


 ナナミの言う通りで、今のクロノスは体中が真っ白に染まっており、まさに完全燃焼の後に残った消し炭といった具合であった。揚げポテトを食べている時にしたって覇気がなく、「そうかな…そうかも…」と答える様もなんだか弱弱しくて頼りなく見えた。


「きっとダンジョン探索での疲れが今になって出てきたんだろう…君たちはジェネラルゴブリンとやらと戦ったらしいが、こっちはこっちでそれなりの相手だったからな。」

「それだけじゃないでしょ。地上に戻ってからもクロノスさん一人で何かやってたみたいだし。昨日の午前中は何をしていたかは知らないけどさ、あんまり無理とかしないでよ?私たちのクランリーダーなんだから。」

「無理してガタが出るようなか弱い肉体でもないけどな…心配させたようならそうする。」

「そうしてよね。夜も晩御飯のあとでどっかへ行っちゃって朝まで帰ってこなかったし…昨日の夕方に別れる前は元気だったから夜になにかあったんでしょ。」

「いろいろあったのさ。夜のお楽しみがな。」

「お楽しみ…一人でまたカジノにでも行ってきたの?大負けでもした?」

「別にカジノにいったわけでもそこで大負けしたわけでもない…そもそもなんで疲れているんだろう俺?間違いなく極上のひと時だったんだが…」

「…?」


 クロノスになにがあったのかは彼の断片的なつぶやきでは答えを見つけられなかったが、思ったよりも元気そうだったのでこの状態もすぐに戻るだろうとナナミはその話を終わらせることにして、自分もヘメヤから揚げポテトをわけてもらおうと相変わらず騒ぐ仲間の元へ向かった。



「旦那は慣れない冒険者のお守りで疲れたみたいッスね?前はソロで気楽だったんでしょう?」


 ナナミの退いたあとで御者役で馬の操作をしていたダンツが、御者席からクロノスへ話しかけてきた。彼は口もとをごもごと動かしていたが、馬を操るために場を離れられないためヘメヤから揚げポテトを拝借することはできないはずだ。おそらく余った保存食の干し肉でも食べているのだろう。ただ、あまりおいしいものでもないらしく咀嚼の速度はとてもゆっくりだった。


「おう、ダンツ達も今回はありがとうな。いろいろ助かったよ。」

「なんのなんのッスよ旦那。俺もたまにはうざったい仲間から解放されて楽なもんだったぜ。こっちの酒やらカジノを楽しめたし、仲間にいい土産話ができるッス。あいつら俺がめちゃくちゃ楽しんできたってしったら羨ましがるだろうな。」

「そうだね…私たちの方も置いてきた仲間のゴタゴタが片付いてるといいな…ああそうだクロノス。また力を貸して欲しかったら言っていいよ。友情料金で受け付けてあげるから…」

「だな。俺らはクランに属していない冒険者ッスから同盟を結ぶことはできないけど、同じミツユースで活動する冒険者として力を貸してやるッス。どんな頼み事も聞くだけ言うだけならタダってのはミツユース市民の常識ってやつだから、旦那も積極的に声をかけてくれッス。」 


 ダンツは味のしなくなった干し肉を未練もなく道へ投げ捨ててそう言ってきた。話に混じってきたキャルロも何故だか上から目線で協力の申し出をしてくれる。しかし上から目線といっても高圧的な態度はどこにも感じられないので、たんなる軽口だろう。協力の申し出をわざわざ言ってくるのもナナミ達と異なり積極的な交流をしないコミュ障のクロノスを心配してのことなのかもしれない。申し出は素直にありがたいとクロノスは「タダより高いものはないって言うけどな」とだけ言ってダンツとキャルロとの話を終えて、外へ出していた手を引っ込めそれを頭の後ろに組んで枕にして寝転がった。


 荷物の入った道具袋を床に敷いて頭を乗せてみたが、硬いものも柔らかいものもいろいろ入っているのでごつごつして枕には不向きだ。それでも地面の凹凸や石を踏みつけてがたごとと不規則に揺れる馬車の床に直に頭を置くよりはマシだと、クロノスは我慢して使っていた。


「はぁ、のどかだな…見張りはしなくても大丈夫だぞリリファ。ここらの街道に盗賊は出ないからな。」

「…心配せんでも私も本気でやってはいない。この人の賑わいでは、野盗もモンスターの類もやってはこないだろう。」


 昼寝には最高な心地よい風を浴びていたクロノスは一度瞼を開き、馬車の幌の上に陣取って外の見張りをしているリリファへ必要は無いぞと呼び掛ける。彼女は返事をして幌の上から逆さまに顔を覗かせた。


「すれ違う冒険者を見ていただけだ。冒険者の中にはときどき面白い格好や目立つ武器を持っているのもいるからな。それを見るのが面白い。今すれ違った奴なんて帽子にいっぱいの白い鳥の羽をこれでもかとつけていたぞ。視界の妨げになるだろうに、あれでどうやってモンスターと戦うつもりなんだ。」

「特徴的な恰好の理由はずばり名を売るためだ。知名度は重要だ。高額報酬の指名クエストを受けられるかもしれないしそれをこなせば()がつく。そうすることでランクも上げやすくなる。冒険者ってのは多いからな。よほどの実力が無い限り、すぐに他の冒険者の山に埋もれてしまう。見た目だけでも特徴的にして少しでも目立とうとするのさ。だが俺から言わせてもらえば自分の持つ技術が足りないから、装備で誤魔化しているだけだと思うけどね。ああいうのは悪目立ちするだけであまり伸びない。…実際に上のランクになる程、見た目も言動も思考も奇抜な奴は多いから勘違いされることも多いけどな。君も有名になりたいからって、変な恰好はするんじゃないぞ。最初は堅実に行け。」

「わかっている。名誉に興味はない。」


 名誉、というリリファの言葉でクロノスの耳がぴくりと動く。


「…ああそうだ。名誉といえばリリファ。君、イノセンティウスの力を開放できたそうじゃないか。「メイヨヲマモルツルギ」の意味をきちんと理解してくれたようだな。」

「あぁ…だがとてつもなく扱いづらい条件だったぞ。なんだあの条件は。正直いらないくらいだ。」


 リリファはナイフホルダーから家宝のなれの果ての短剣を取り出して太陽に透かしぼやいていた。イノセンティウスは再び光を失っていて元のなまくらな刃に戻っている。そこに迷宮ダンジョンでジェネラルゴブリンへとどめを刺したときの煌めきはまったくなく、リリファはあれが夢であったのではと疑っているくらいだ。 


「宝剣イノセンティウスは「戦う相手の名誉を守る」こと。名誉の損なわれかねない見苦しい行動をとった相手に敬意の必殺を放つ…ダンジョンでは死を恐れなかったジェネラルゴブリンが後で見苦しく生に縋りだしたから力が発動したんだ。今回はたまたま相手にある程度の知性があったから適用されたようだが、本来ならモンスター相手に使える剣ではないということだよな。」

「相手の名誉を守る…そんなもんまだその剣の力のごく一部だ。ヘルクレスから話を聞いただろう?本当のソレの力はそんなもんじゃない。今の君にはそれくらいが限界ということさ。次の段階に進むまでは、困ったときの切り札に取っておきな。あんまり人目に触れさせると悪い輩が盗もうとするかもしれないぜ。」

「イノセンティウスの存在を知っている者など皆無に等しい。そうなるように私の一族は秘匿してきたんだからな。なぜか賊王が知っていたが…」

「あの爺さんは無駄に長生きしているし友人も多いからな。人生エンジョイしている勢の特権さ。」

「そうか。年寄りと言うのも馬鹿にはできないな。」


 リリファはイノセンティウスをナイフホルダーへ戻し、別の話を振ってきた。


「出発する前にゼルの様子を見に行ってきたんだが…あいつ、真面目に働いていたぞ。」

「それがどうした?本人が言っていたじゃないか。まっとうに生きることにしたって。」

「いや…最初にこの街で会った時と目の色が違った。まるで覚悟を決めたような…クロノス、お前何かしたのか?」

「な~んもしていませんよ俺は。君に会って意志を再確認でもしたんじゃないか?それより、ゼル君は逃走した罪人ということではあるが、君さえよければ俺は何も報告しないことにしておくけど?」

「そうしてくれるか?私はあいつに興味もないが、やはり同じ街の浮浪児が堅気でやっていくというのなら、これまでの罪をなかったことにしたとしても見守ってやりたい。」

「なら俺はもう忘れた。ゼルなんて知りません。誰それ、女の子?可愛いの?」

「…ありがとう。」

「なになに?なんの話?」


 ゼルのことを見逃してもらえたことにリリファは礼を言い、また幌を登って冒険者の観察へ戻っていった。それと入れ替わる形で揚げポテトを拝借してきたナナミが再びクロノスの隣を陣取る。


「もぐもぐ…美味しい‼」

「そりゃよかった。買ったヘメヤに感謝だな。それより…君にもう一つ話があった。…これを覚えているか?」


 一度起き上がったクロノスは荷物の塊の中をまさぐって、一冊の古ぼけた書物を取り出してナナミへ投げてよこしてきた。


「…本じゃない。あ、これダンジョンの宝箱に入ってたの…」


 受け取ったナナミはそれに見覚えがあった。これはたしか二回目のダンジョン探索で三階層目の砂漠の迷路を攻略していたときに、そこで遭遇して倒したサンドワームから手に入れた宝箱に入っていたものだ。


「ギルドに預けて鑑定してもらっていたんだが…こちらでもよくわからないと昨日になって返されてしまった。どの時代のどんな物なのかはわかりませんとよ。調べたかったら専門の人間に依頼した方がいいってさ。こういう古代のブツはギルドなら大抵の場合自前の鑑定をする部署に回せば判明するんだが…珍しいことだ。」

「へー、そういうこともあるんだね。でもなんで私に渡したの?」

「これ、君のところの言葉で書いてあるんだろう?」

「え?」


 「どうしてわかったの?」と、彼女は口から食べかけのスティック状の揚げポテトを零してそう言った。


 実はその古書に何が書かれているかをナナミは知っていた。そして、そのことにクロノスも気づいていたのだ。


「最初に見た時の反応さ。他の仲間は宝箱の中から出てきたそれに目が行ってたから誰も気づいていないだろうが俺は見ていたぞ。君は目玉が飛び出そうなほどに目を見開いて驚いていたからすごくわかりやすかった。」

「そうなんだ…でも期待させて悪いけどなんて書いてあるのかは私にもわかんないよ。どういった字で書いてあるのかはわかるけど、意味はわかんない。これ…英語っていう言葉で、私のいた国の言葉じゃないんだよね。えっと、例えばサンキューとかソーリーとかそういう言葉のこと。私が言っている言葉はこっちの一番近い意味の言葉に翻訳されて伝わっているっぽいから、クロノスさんにはどういう言葉で伝わっているかは知らないけど…」

「いや、理解はできている。サンキューはありがとうとかどうもっていう感謝の意味、ソーリーはごめんとかすまないとか謝罪の意味。どちらもまぁ、その意味の別の言い方のようなものだな。使うやつは普通にいる。」

「伝わっているなら大丈夫だね。つまりそういうこと。私だって英語の勉強は向こうでやってたからある程度なら読めないこともないんだろうけど、私向こうで英語の成績2だったしなぁ…うわ、中身も全部英語。こんなん無理。題名にしたってこれなんて書いてあるんだろう…」


 本の内容をページをぺらぺら捲りやはり読めなかったナナミは、一度古書を閉じて表紙の題名の大きく書かれている字の部分を指でなぞり、そっと読み上げようと試みる。


「えと、で、でもん…きんご…すらやー…かな?」

「…何言ってるのかさっぱりわからんってことは、間違いなく読めていないようだな。とりあえず、現状は読めないから意味のない物ってこった。価値はなさそうだな。せっかく珍しい色の宝箱から出てきたのに…」

「ごめんなさい。もし英語が読める日本人に会えたら読んでもらうよ。それにしても神様も意地悪だよね。翻訳の魔術とかやらで私が聞いて喋ったことはお互いに理解できるように翻訳されるのに、文字の読み書きは翻訳できないんだもん。最初の世界に来て師匠に拾ってもらってからは、魔術より文字の勉強の方をたくさんしたんだよ。」

「それは偉いな。読み書きができない冒険者は多いのに。」

「頑張りました。…あーあ。けっこういろんなところから人が来ていたから、一人くらいいると思ったんだけどなぁ…日本人。黒髪の人を見かけるたび声とかかけてみたりしたけど、全員ハズレ。」

「いたのかもしれないぞ?君が会わなかったというだけかもしれない。…あ、そうだ。ナナミ、山といえば。」

「山?んーと、フジサン。」

「…やっぱり。」

「やっぱりって?」

「なんでもない。今回は縁がなかったということにしておこう。悪事をしでかしていたむこうも悪い。」


 考えが当たってしまったとクロノスは「なんのこと?」と首をかしげて何々と聞いてくるナナミの方からばつが悪そうにそっぽを向いて答えた。


「人の運命は巡るものだ。巡るってことはもし今離れていっても、またどこかで戻って来て今度は出会えるかもしれない。必要になればその時に会える。」

「はぁ?いきなり何難しいこと言ってんのよ。」

「君が望めばそのうちの誰かが達者でいるだろう。だから、今は君自身が生き抜け。くだらないことで死ぬんじゃないぞ。ハイ終わり。俺寝るから…」


 話は終わりだとクロノスは昼寝についた。一度寝ると決めたクロノスの就寝は早くこれでは起こそうとしても起きてはこないだろう。リリファにも言っていたように迷宮都市からミツユースまでの道は、チャルジレンを行き来する冒険者も多いので盗賊の類はまったく出ない。なので警戒は必要ないのだ。


「まぁ、ニホンジンとやらがナナミのように食いしん坊な連中なのなら、しぶとく生き抜いてくれるだろう。あんがい美味い物に引き寄せられて、既に誰かの針に食いついているかもしれないしな。」

「ニホンジンを腹ペコのお魚さんといっしょにしないでよ。誇り高き大和魂舐めないでよ。武士は食わねど高楊枝ってやつなの。」


 言い張るナナミにハイハイと返して、今度こそクロノスは眠りについた。馬車の中では未だに揚げポテトの最後の一本を巡って激しい争いが繰り広げられていたが、そんなもの無視だ無視。「クロノスさん。あとでこちらの資料の確認を…」いつの間にかナナミとは反対の隣側にいたヴェラザードが何やら言ってきているがそれも無視だ無視。



――――――



 一方でこちらはディアナ達ワルキューレの薔薇翼の女性冒険者達。


 ルーシェの目を治すためのエリクシールを手に入れるためにいろいろ長居してしまったが、本来ならば彼女達は喧嘩をしていたヘルクレスとマーナガルフをひっ捕らえたらすぐにチャルジレンへ帰還する予定だったのだ。大幅に遅れた予定を取り戻すために今まさに迷宮都市を発とうとしていたところである。クロノス達とは違う、チャルジレンへ続く街道に近い方の大門の前で集まっていた。


「休みを一日もらえてよかったわ。」

「そうですね。おかげで一杯ひっかけて仲間と友好も深められました。」


 冒険者にしては真面目な気質の持ち主の団員が多いクランであるが、真面目とはいえやはり人は人。たまの休息は必要である。ディアナがダンジョンから帰ってきたその日一日は、団員全員が延期された遠征に従事したご褒美として休暇(ディアナのポケットマネーから出されたお小遣いつき)をもらえたのだ。彼女達はそれを遠慮なく使い買い物やら仲間同士の飲み会やらで羽を伸ばしてきていた。


「うぅ…少し頭痛いかも…」

「私も…昨日はアンリッタ先輩に付き合わされたてしこたま飲まされたから…」

「うえぇ…太陽がふたつに見える…」



 団員たちの中に混じっていたのは、セレイン達のパーティーだ。彼女達は昨日は先輩との酒盛りに付き合わされており、断り切れずに酒を大量に飲んだ。飲んでいたその時はよかったのだが、夜に寝て今日になってから、その酔いが二日酔いとなって襲ってきていて、全員ひどくうなされていた。


「ちょっとそこの壁で吐いてきていい?あ、駄目だコレ。もう吐く…おえぇぇぇ…‼」

「大丈夫セレイン?ほら、酔い覚まし…」

「んくんく…はぁ、だいぶ楽になった。」

「なんだお前らだらしないなぁ。二日酔いなんて気合いでぶっ飛ばせよ。」


 セレイン達が頭痛や吐き気で呻いているのに対して、彼女達を付き合わせて自分は倍の量の、倍強い酒精の酒を飲んでいた先輩団員のアンリッタはぴんぴんしていた。


「アンリッタ先輩はなんでそんなに元気なんですか…」

「私だって酒が強いわけじゃないんだぞ?途中で摘まむつまみやペース配分を工夫すれば飲んですぐにアルコールを処理できる。もっと飲む連中とつきあう時のためにいろいろ学んだのさ。私がこうしてお前たちを飲みにつき合わせるのも、そのうちもっと飲む連中と飲む羽目になったときに乗り切れるように今のうちに練習させておこうという先輩心でな…」

「奢りって言っても費用はぜんぶ隊長もちだったじゃないですか…」

「ありがた迷惑です…こっちはなんか変な連中に捕まったその後だったんですよ。それなのにあんなに…おえっぷ…‼」

「ダンジョンで捕まって地上に連れてこられたってやつだろ?それなら昨日酒が入ったお前たちにさんざん聞かされたぞ。

それを忘れさせてやろうと思って奢りで飲ませてやったんだろうが。ひどいことされなかっただけラッキーだと思っとけよ。」

「けっきょく目が見えるようになったときにはギルドの人がたくさん来ていて、一緒に捕まっていた人から話を聞いたり奪われた物の確認とかをしていて、ぜんぶ終わってたのよね。しかもリルネさんもどっかへ行っちゃっていて…」

「なになに?私の話題かなー?」 

「わ‼リルネさん!?」


 「人気者はつらいね」と、話し合うセレイン達の元へやってきたのは、話題の渦中にいるリルネだった。彼女はけだるそうに欠伸をして服越しに腰を掻いていた。


「リルネさんの話をしていたんですよ。ほら、昨日一緒に捕まっていたのにひとりだけどっかへ一っちゃってたから。昨日はいったいどこへ行っていたんですか?」

「昨日?ああ、そういえば目が見えるようになる前に離れたから会ってなかったねー。ごめんごめん。昨日は報告と、あと隊長殿の方に応援に…」

「応援?そういえば隊長、エリクシールを手に入れてダンジョンから戻ったのよね。おかげでルーシェの目は治ったのを本人に教えられたけど、隊長の方には会ってなかったわ。」

「えっとねー実は…」

「その話は終わったことだから知らない者には言わないよう緘口(かんこう)だと言ったはずだ。」

「あっ、隊長‼全員気をつけ‼」

「仕事中でもないし別にいい。楽にしていろ。」


 セレインに問い詰められ昨日の行動を教えようとしたリルネを、やってきたディアナが注意して止めてきた。リーダーの出現にセレイン達は酔いで不調の体に鞭を打って姿勢を整えたが、ディアナが手で制して体勢を崩させた。


「昨日はアンリッタにかなり飲まされたそうだな…苦しくはないか?」

「大丈夫です‼お気遣いありがとうございます‼」

「セレインはホント隊長殿の前だとお堅いねー。」

「リルネが緩すぎるのよ‼もっときちんとしてください‼」

「そうは言われてもー私は入った時からこの態度だからなー。」

「確かに…リルネに真面目を強要しても期待できないな。」

「あはは、隊長も駄目ならお手上げでしょう。」

「ちょっとラウレッタまで…‼」

「…うーん?」

「…どうしたのエーリカ?」


 エーリカが唸っていたのでクレオラが問いかけると彼女はそれを口にした。


「なんかディアナ隊長とリルネさん、やけに元気じゃない?心なしか肌もつやつやしているような…」


 ディアナとリルネがなんだかやけに生き生きとしていい表情なのだ。肌にも艶があり二人の大人の色気に見ていた団員たちは同性ながらに惚れこんでしまいそうだった。


 ディアナとリルネが昨夜どこへ行っていたのかは団員たちの誰も知らなかった。昨夜はほどんど全員が一緒になって酒場の一角を貸し切って飲み会をしていたが、二人ともそこにはいなかったのだ。いったい二人はどこへ行っていたのだろうか?それにはリルネが自信たっぷりに口を開いた。


「ふふふ、隊長殿と楽しい夜を過ごしたよー。羨ましい?」

「え~まさか二人でしっぽり夜の街を…ゴクリ。」

「変な妄想はよせセレイン。私は同性には興味ないぞ。それに私とリルネだけではない。もう一人一緒だった。」

「そうそう。三人で至りの限りを尽くしてきたんだよねー。いやー、あんないいのはひっさしぶりだったよー。」

「いいもの…なにか美味しいものでも食べに行ってたの?隊長の行くお店ってことはきっとめちゃ高くておいしいお店なんだろうな~。いいなー僕も安酒をがぶ飲みするんじゃなくてそっちに行きたかったな。」

「うーん、子供にはまだちょっと早いかなー?それに良かったのはお酒じゃなくて…ね?」

「は?じゃあ何を食べてきたのよ?」

「食べてきた…あながち間違ってはいないか。まぁ他では決して味わえぬ至高の一品と言えばたしかにそうだ…っと、それよりもだ。ルーシェ‼ルーシェはいるか!?」

「…あ、ごめんなさい。隊長が呼んでいるから…はい‼こちらにいます‼」


 話を打ち切ったディアナは思い出したようにある一人の団員の姿を探す。その人物…ルーシェは他の団員と談笑をしおり、ディアナの呼ぶ声に気付いてすぐにこちらへとやってきた。


「見た目は…なんともなさそうだな。目の調子はどうだ?」

「はい‼むしろ調子が良すぎて今まで見えなかったものまで見えるようになったみたいです。」

「そうか。それならよかった…」

 

 元気よく答えるルーシェに、ディアナは安堵した。


 ルーシェはマーナガルフに両目を傷つけられてしまい、視力を失ってしまっていた。しかし昨日彼女はディアナが迷宮ダンジョンで手にして持ち帰ってきたエリクシールを飲まされ、目には光を完全に取り戻していたのだ。彼女は視力が戻り、再び目にした世界のあらゆるものに見れることの幸せを感じてわんわんと泣きじゃくり大変だったのだ。昨日ほとんどの団員が飲み会に参加していたのはルーシェの怪我が完治した祝いも兼ねてのことだった。


「お前にエリクシールを使う前のことも含め昨日は()()()()あったが、とにかく全部片付いてよかった。リューシャも昨日は難儀だったな。」

「ありがとうございます…全部あの人に片づけてもらいましたから…」


 ルーシェの後でやってきたリューシャに何かの働きを労っていた。


「ん?ルーシェとリューシャになにかあったのか?そういや昨日の朝、隊長がダンジョンから帰ってきたの時リューシャが邸に迎えに行ったけど、すぐには広場には来なかったよな?結局隊長が具合を良くしてから一人で様子を見に行って…昨日の飲み会でもそのことについては教えてくれなかったし…」

「ん…いろいろあった…」

「アンリッタ、もう終わったことだ。機会があったら私から話そう。それでは…雑談やめ‼集合‼」

「あ、号令よ‼」「急げ急げ‼」


 知らなくていいことだとディアナが聞き出そうとするアンリッタを止め、それから全員へ号令をかける。(かしま)しくおしゃべりをしていた団員隊はそれを聞き即座に雑談を止め素早くディアナの元へ駆け寄って集まると、一列に並んだ。


「予定通りそろそろ出発するぞ‼先発したロウシェ達の後を追う。あちらは荷物を運ぶ馬車だからもたもたしていたら先にチャルジレンに到着してしまうだろう。私たちは隊列を組んで歩きで…「見つけたわ‼」…む?」


 ディアナが団員を集めたのは迷宮都市を出発する時間になったからだった。手はずを団員たちに伝えていると、甲高い声が響いてくるのが聞こえた。あまりの大声にディアナも団員たちも全員がそちらを振り向くと、都市の門前の所から二人の少年少女がこちらに歩いてくるのが見えたのだ。


「誰だ…?」

「帰るために団員がみんな集まっているって聞いて最後のチャンスだって早起きして来てみたら…や~っと見つけた‼」

「ちょっとリッツ…声が大きいよ。みんなにじろじろ見られているから。もう少し静かに…‼」

 

 黒い髪の少年の方が声を張り上げる金髪の少女の方に注意していたが、彼女はそんなものお構いなしだとばかりに、ずんずんとディアナ達の方へ歩いて行った。少年も慌ててそのあとを追う。やがて少女はディアナ達の前まで辿り着くとディアナの真横を通って進み、そして一人の団員の女性の前で立ち止まる。その女性とはルーシェだった。


「えと、なんでしょうか…?」

「ナイフ、返して。」


 私が何かしたかと見知らぬ少女に首をかしげるルーシェに向けて、彼女は右手をさっと差し出してそう言ってきた。


「ナイフ…?えっ、ああ‼あなたはあの時の…‼」


 ナイフというワードで頭の記憶を巡らせたルーシェは、目の前で手を差し出す彼女が何者であるかをはっとしたように思い出した。彼女は、ワルキューレの薔薇翼の団員が迷宮都市に到着したその日に、マーナガルフ達赤獣傭兵団が喧嘩の見せしめとして捕らえた者達を開放する際に、ナイフを貸してくれた少女だったのだ。


「すっかり忘れていました‼ごめんさい…すぐに返しますね。えっと、すみません…私の荷物は…?」

「みんなの荷物ならロウシェ隊がぜんぶ持っていったじゃない。歩きの人の分を少しでも軽くするからって。」

「ええっ!?…そういえばそうでした。自分で預けたんだった…」


 自分の荷物の所在を隣の団員に教えられ、ルーシェはそれがもうこの場にないことを知った。先発するロウシェの隊は徒歩のディアナ達と違い馬車に乗って先にチャルジレンへ帰ってしまった。ついでにとそこに乗るだけの荷物をディアナ達のぶんまで積んでいってしまったので、今の彼女達は身に着けている武器と防具以外は殆ど手ぶらだった。


「なに?ナイフないの?返してもらわないと困るんだけど。」

「えと…大変申し訳ないのですが、新しい物を買って返すというのは…」

「ダメ‼あれはパパの大事なナイフなの‼」

「すっ、すいませんすいません‼」

「ちょっと、ちゃんと説明しないと伝わらないよリッツ。ごめんなさい…あのナイフはリッツのお父さんのものだそうなので、替えが利く物じゃないんですよ。」

「おいルーシェ。彼女達は何者だ?」


 二人のやりとりの様子を見かねてディアナが彼女達の前までやってきた。


「隊長…その、前にこの人からナイフを借りていて…でも間違ってロウシェさん達に私の荷物ごと渡してしまったんです。」

「そうか。そういうことなら…」


 ルーシェに事情を聴かされ少し思案したディアナは、男女二人組へ提案をする。


「あっちは馬車でこちらは徒歩だ。今から急いでも道中では追いつけないだろう。送ってしまったものを呼び戻すことはできないから、すまないが一緒にチャルジレンへ来てもらえないか?そこで借りていたナイフを返させてもらいたい。」

「え~?そりゃあ迷宮都市にもう用はないから、行くのはいいけど…そっちに行くつもりはなかったのよね。本当はミツユースの方に行きたかったのにめんどくさいなぁ…」

「コラあんた‼な~に隊長にそんな失礼な言い方してんのよ‼」


 渋る少女にまた一人の団員がやって来て、彼女に食って掛かる。それはルーシェと同じパーティーでリーダーをするセレインだった。少女のルーシェに対する暴言とディアナへの失礼な態度に腹を立てたようだ。


「な~によ‼もとはと言えばアンタのお仲間が私のナイフ借りパクしたのが悪いんじゃない‼言っておくけどあのナイフはただのナイフじゃないよ。そりゃあ価値があるってわけじゃないけど、私にとっては大切な…‼」

「そんなことよりルーシェに怒鳴り散らすなんてひどいじゃない‼この子は目の調子が良くなってやっと元気になったばっかりなのに、そんなに追い詰めるようなことを言って…それに隊長に対してその物言いはなによ!?隊長はS級冒険者よ‼口の利き方に気を着けなさい‼」

「あ~んたこそなによ‼自分がそうなわけでないくせに‼虎の威を借る狐‼」

「なんですって‼」

「なによ‼」

「「ぐぬぬ…‼」」

「り、リッツ…ナイフの件があったとしてもそんな喧嘩腰にならないでよ…‼」

「まぁまぁ。セレインもお嬢さんも落ち着きつくんだ。」


 おでこをひっつけあいぐりぐりさせて睨みあう二人。その二人を少女の方は一緒にいた少年が。残るセレインの方はディアナが引っぺがす。そしてディアナは少女の方に申し出をした。


「部下の失態は私の失態でもある。帰る途中の村で昼食にするつもりだったんだ。よければお嬢さんも一緒にどうだろうか?ナイフのお礼とお詫びも兼ねてご馳走しよう。そこはチャルジレンへ乳製品を卸すための牧場と農場を村で運営していて、採れるチーズとトマトをふんだんに使ったパスタが絶品なのだ。」

「タダ飯ですって!?…わーい行く行く‼チーズもトマトも大好き‼」

「ちょ、リッツ!?そんなあっさり…うわ!?」


 ディアナの提案に喜び、あっさりと同行を決めた少女に少年の方が驚いて彼女を抑えようとするが、逆に少女の方が少年の肩をがっと掴み彼を押さえつけて顔を近づけ囁くようにこう言ってきた。


「よく考えなさいハヤト?私たち旅する木っ端の低ランク冒険者は常に金欠貧乏症候群なのよ?お昼ご飯一食分のお金だって節約したいの。それを奢ってもらえるなら断る理由がないわ。それにワルキューレの薔薇翼なんて大手のごはん、きっと豪華に違いない…断るなんて選択肢はないわね。」

「そんなお金がないのを病気みたいな言い方しないでよ。でも僕たちはこのあと人の集まるミツユースの方に行くってさっきリッツがそう決めたじゃないか。迷宮都市からチャルジレンじゃ反対方向…」

「チャルジレンにだって人は多くいるわ。むしろ冒険者が多いから冒険者がらみの情報はそっちの方が質がいいと思う。それに、そんなに距離もないからミツユースを後回しにしても問題なし。そっちにはチャルジレンに行ってからでも十分間に合うわよ。」

「さっき自分でめんどうくさいって言ってたくせに…」

「いいのよ。とにかく、ナイフのお礼兼お詫びの申し出ってんならありがたく受けましょう。どのみちついていかなきゃナイフ返してもらえないんだし。それにハヤトだって食べたいでしょ?チーズとトマトたっぷりのスパゲティ…‼私たち朝ごはんだってパン一個だったじゃない。」

「う…そりゃ僕だってお腹空いてるから何か美味しい物を食べたいけどさ…‼てゆうかこっちの世界トマトあるんだ…市場とかじゃぜんぜん見ないから存在しないものと…」

「あるわよ。トマトと言ったら新鮮さが大事でけっこうお高い野菜だから庶民はめったに食べられないけどね。昔おばさんの結婚式の料理ででてきたけど、新鮮な物はフルーツみたいにジューシーでほのかな酸味がたまらないのよ。火に通してケチャップソースにしてパンにつけても絶品で…‼」

「…ごくり。」


 ハヤトと呼ばれた少年の方は理性では納得していないようだったが、リッツの過去を再現しながらの説得で胃と本能は既に了解していたようだ。口にはいっぱいのよだれをため込んでいまにもあふれ出してきそうだった。それを微笑ましくディアナが見ていて二人からは返事をもらうまでもないと判断したらしい。


「決まりのようだな。では一緒に行くとしよう。」

「…わかりました。ご一緒させていただきます。でもでも、私たちたくさん食べるから覚悟しておいてよね。」

「ふふふ、好きなだけ食べるといい。…ああそうだ。そういえばまだ二人の名前を聞いていなかったな。私も名乗っていないしまずは私から名乗るのがマナーだろう。私はディアナ・クラウンだ。僭越ながらワルキューレの薔薇翼でクランリーダーを務めさせてもらっている。」

「私は団員のルーシェ・ナルドナです。改めてこの間はナイフありがとうございました。」

「リリィアーツ・フェンネよ。リッツって呼ばれてるわ。」

「えっと僕は、イチノ…うん。ハヤト・イチノセです。」


 ディアナとルーシェが名を名乗ると、リッツは自信たっぷりに自らの名前を、そして黒目黒髪のハヤトはつっかえながら己の名前を答える。


「リリィアーツさんにハヤト君か…覚えたよ。ハヤト君は女所帯に男一人は慣れないかもしれないが、少しの間だから我慢してくれ。なに、とって食ったりはしないから安心するといい。」

「い、いや…そういうわけでなく…あいた!?」


 赤面で照れるハヤトにリッツが彼の足を思いきり踏んづけた。


「なによ‼大人の女の人にデレデレしちゃって‼」

「誤解だって‼デレデレなんてしてないよ‼」

「目がそう言ってるのよ。ハヤトのエッチ‼」

「目はしゃべらないよ‼完全な冤罪だよ‼」

「うるさいうるさーい‼」

「ふふふ、面白い二人だな。帰路は退屈しなさそうだ。…では今度こそ、出発するとしよう。」

「「「はい‼」」」


 二人組の騒がしいゲストを追加してディアナ達は迷宮都市を出発した。拠点のあるチャルジレンへ。その前に美味しい昼食の待つ村へと向かうために。



――――――――――



「兄貴ぃ、テントの片付け終わったぜ。いつでも発てるぞ。」

「おうそうか‼ならとっとと出るとすっか…こんなクソみたいな迷宮都市とはとっととおさらばだぜ。オラ、全員耳だけこっちに向けろ‼聞いてねぇ奴は後でぶっ飛ばすからな‼」


 ディアナ達がいたのとは別の門の前で、マーナガルフが雑談をしていた血のように真っ赤な色の赤コート姿の子分たちへ呼び掛けていた。彼らも迷宮都市から出て行くようだ。仮拠点にしていた場所から既に道具を片付けており、あとはマーナガルフが言った目的地へ向けて歩き出すだけだ。


「兄貴よぅ、迷宮都市を出て行くっつったって今度はドコさ行くべ?」

「また西へトンボ返りかい?」

「とりあえずチャルジレンだ。せっかくこっちまで来たんだから知り合いのところにも顔出しておこう。()()も配達しなきゃあだしよ。」


 子分の一人に行先を尋ねられたマーナガルフはチャルジレンへ向かうと告げ、手に持っているロープとその先にあるものを指で刺して教える。


「さっさと出るぞ。もうじき風紀薔薇(モラル・ローズ)のとこも出発みたいだ。目的地が一緒だから途中で出くわすようなことがあれば何言われるかわかったモンじゃねぇ…連中、俺様が団員の一人に怪我させたモンだから、街で会うたびにまるで汚物を見るような目で見てきやがるし、暴言吐いてきやがる。俺様が怖くないとは肝っ玉の太い女どもだぜ。」

「お仲間を傷つけられて怒ってるんでしょ?それにもとはといえばマーくんの自業自得じゃない。」

「オォン?怪我した女は持ち帰ったエリクシールで完全に治ったんだからもういいだろう。ちゃんとソイツに直接会って珍しく頭も下げてきたんだぞ俺様は。相手も許してくれたし風紀薔薇(モラル・ローズ)も手打ちと言ったんだからこの件はチャラだ。」

「怖い顔だったからものすごーくビビられていたけどね。あはは。」

「うるせぇ。あのクランと抗争状態にならなくて内心ホッとしてるわ俺様は。…そら、出くわす前にとっとと行くぞ。」

「ねぇ…」

「んだよ?」

「なんで僕は縛られているのさ?」


 マーナガルフはさっきから会話をしていたロープの先にいる…縄でぐるぐる巻きに縛られた…シヴァルにそう尋ねられた。ああそうだ。マーナガルフが運ぶものというのはシヴァルのことだったのだ。彼は縄でぐるぐる巻きにされて体の自由を封じられており、そこから伸びる一本の手綱でマーナガルフに引っ張られながら歩かされていた。腕は縛られているので振って歩けない。なのでシヴァルは難儀しながら歩いていた。


「そりゃあオメェが逃げないようにするためだ。」

「ブラック君たちを取り上げられているのに何かできるわけないじゃない。杖までとるなんてひどいや。」

「オメェの杖にどんな仕掛けが仕掛けられているかわかったモンじゃないからな。詠唱ひとつでモンスターを封じる魔道具のスイッチが作動なんてこともありえるしな。」


 現在のシヴァルは自分の魔杖と連れてきていたブラックくんをはじめとしたモンスター六匹がマーナガルフによって取り上げられており、いっさいの武器を取り上げられた丸腰状態だった。


「ガルンド爺からテメェをチャルジレンへ移送しろって仕事頼まれたんだ。テメェを一人で帰らせると逃げ出すかもしれないからってな。心配しなくてもこの街道に野盗は出ないから武器持ってなくても大丈夫だぜ。」

「友達がまだ捕まってるのに逃げるわけないのになぁ…お爺ちゃんも心配性なんだから。チャルジレンは魔砕の戦士の連中の拠点でもあるんだよ。残していったら皆殺しにされちゃうじゃん。あと移送じゃなくて護送でしょ。そんなまるで人を罪人みたいに扱って失礼しちゃうな。」

「なんでテメェを守らなきゃならないんだよ。テメェなんか罪人扱いで十分だ。ったく、馬に乗ればもっと楽にコイツ運べるのに…」

「うま?マー君馬に乗るの?どこにもいないけど…」

「こっちに来るときに乗ってた馬は売ったからな。俺様の馬の操りはすげぇぜ?どんな暴れ馬も乗りこなすんだ…ドウドウってな。馬に乗る俺様に前から歩かせられるよりマシだと思え。」

「そんなこと言わないでよ。僕たち一緒にダンジョンで戦った仲じゃない。」

「うるせぇ。テメェとの共闘関係はダンジョン出た時点で終了だコラ。あんまうるせぇと転ばせて地面で顔を擦り潰すぞ。生きて届けさえすればなんでもいいんだぞコッチはよぉ。さっさと大人しく歩け。」

「もっとやさしく扱ってよー。ぶーぶー‼」


 口をとんがらせて抗議してくるシヴァルを一発小突いたマーナガルフ。その拍子にシヴァルは転んでしまったが、大して苦にもならないようで顔を泥だらけにしてへらへら笑っていた。


「チッ、コイツどうやったら悔しがらせられるんだろうか…こんどクロノスに聞いてみっか。」

「そういえばマーくん?シヴァルおにいちゃんをチャルジレンへ届けた後はどうするの?」


 シヴァルに苦汁をなめさせる方法を考えるマーナガルフだったが、隣を歩く彼の担当の少女職員のコストロッターに尋ねられてそっちに意識を切り替えた。


「どうすっかな…西の方にまた戻ってどこかの小競り合いに雇われるのがいいんだが、前の戦いはこっちへ来るために途中で放棄してきたから、傭兵としての信用が落ちて目ぇつけられてるんじゃないかと思ってるんだよな。ノコノコ帰っても果たして俺らを雇ってくれるところがあるかどうか…」

「途中ですっぽかすなんて悪い子だねマーくん。」

「うるせぇ。元はといえばお嬢のせいだぞ。」


 西の土地で活躍するマーナガルフがわざわざ団員を引き連れて迷宮都市に来たのは、夏風邪を引いたコストロッターを治すためのエリクシールを手にするためだった。しかしダンジョンに挑戦しているうちに彼女の風邪はすっかり治ってしまっており、もう探索を続ける必要はない。またあのエリクシールがあるマップへ挑戦してもう一度エリクシールを手にしてそれを売って大金を得るのも悪くないが、守護者のモンスターであるタートルスタチューの再出現スピードは異常だった。S級パーティーを解散させた今、マーナガルフと子分たちだけでは倒すのに難儀するだろう。なによりシヴァルによればあのマップは星の配列や月の満ち欠けで出る期間が限られており、もうじき閉じられてしまい次は八百年後くらい先まで出てくることは無いそうなので、今からまた挑戦してもそこに同じようにたどり着けるかどうか…


「前も言ったけど二、三日もしたらあそこはもう行けなくなると思うよ。試してないから確実じゃないけどたぶんそうだよ。」

「だよな。ならヤッパリやめだ。知らずに挑み続ける馬鹿もそのうち気づくだろう。もしくは見かねたギルドが発表するかもな。」


 シヴァルは既にエリクシールのあるマップへ入る手順をギルドに、というかガルンドに伝えており、あまりにも探索を続ける者が多かった場合公表するとガルンドには言われていた。


 というわけで、西の地方に戻るわけにもいかず、これ以上迷宮都市に残る意味もない。彼らはシヴァルをチャルジレンに送り届けたあとの予定が完全になくなってしまっていた。


「予定がないのならマーくんにはチャルジレンにいてほしいな。冒険者ギルドの本部のある街だから大陸中の依頼が集められるの。だから、何かあったときに一度に数を集められる大きいクランや高ランク冒険者が手元にひとりでもいてくれると心強いの。交通の便がいいミツユースに近いからあちこちの現場に素早く送れるしね。」

「そうか…まぁこいつら食わせるために何かやんなくちゃだしな。…よし、とりあえずチャルジレンにいてやらぁ‼お前らもそれでいいよな!?」

「いいねぇチャルジレン‼冒険者だらけだから毎日喧嘩し放題だ。」

「酒と女も一流が集まるって聞くぜ。その二つがあればどこでもいい‼」

「メシ‼メシが食いたい‼」


 マーナガルフが後方からついてくる子分たちに提案をすると、好ましい反応が返ってきた。反対する声はほぼなく、どうやら満場一致で決まりらしい。血のように真っ赤なコートをはためかせて騒ぎ立てる彼らはいつもの調子だった。


「よっしゃよっしゃ…なら居座るなら拠点を探さねぇとな。街に土地とか建物とか余ってるのあるかな?ま、無ければ無いでどこかの雑魚っちゃんのクランの拠点を()()()させてもらおうぜ。そこの連中適当にボコって上下関係分からせてな‼ギャハハ‼」

「お、チャルジレンに着くなりさっそく喧嘩か?腕がなるねぇ…‼」


 マーナガルフに声をかけるのはサブリーダーのアルゲイだった。彼は赤獣傭兵団の中では暴走するマーナガルフや団員を抑え付ける役目だが、やはり彼も三度の飯より戦いが好きな戦闘狂だ。マーナガルフの考えに同調していた。


「それと、金だな。結局エリクシール関連で俺様の取り分はナシだ。それ以外に俺様達が集めた宝や魔貨もこっちへ来るまでの移動費用と滞在費と…喧嘩でぶっ壊した諸々の弁償代でチャラだし、まずは金を稼がねぇとな。お嬢の提案通り珍しく冒険者っぽいことするハメになりそうだぜ。だがこっちの地方は戦争よりもモンスターや指名手配者の討伐がメインだからな…俺様達の得意分野とはちょい違うから最初は苦労しそうだぜ。」

「金か…金といやぁさ兄貴。ズン爺の後釜どうすんだ?」

「…オォン?あ、すっかり忘れていたぜ。まいったな…」

「どういうこと?」


 アルゲイにひょんなことを聞かれたマーナガルフは、それを思い出して悩んでいた。自分達の話題を始めたマーナガルフに置いてけぼりにされたシヴァルは、コストロッターに彼が悩む理由を教えてもらう。


「あのねシヴァルのおにいちゃん。赤獣傭兵団には出費とか収入とか税金とか…お金の管理をするズンっておじいちゃんの団員がいたんだけど…」

「会計役、経理担当、出納管理、金庫番…そんなところかな?」

「そうだ。ようはウチの金回り全部管理していたジイサンがいたんだ。だがそいつは前に雇われた貴族同士の小競り合いの戦で、敵が威嚇で撃った流れ矢にあたって死んじまったんだよ。」


 コストロッターに補足するようにマーナガルフが団員のいなくなった理由を話す。


「そもそもよぉ、なんでジジイが前線に出てやがったんだ?」

「忘れたのかよ?そりゃ兄貴の判断だろ。ズン爺がクランの金をちょろまかして賭け事に使ってたのがバレて、金を返すか戦に出て働きで返すかどちらか選べその後クランを追放だって兄貴が怒って爺さんに言ったら、ズン爺ってば金を返したくないもんだから戦に出たんだろ。」

「そういやそうだった…実際にぶつかりあう戦じゃなかったんだから普通は死人なんて出ないのにな。運の悪いヤツ。」


 自業自得だとマーナガルフは死んだ仲間を気にしていなかった。冒険者たるもの同業者の死は日常茶飯事だ。いちいちしみったれた空気になっていてもいいことなどない。特にマーナガルフたちは傭兵でもあるのでその辺はかなりドライである。


「まぁ横領の問題はもうジジイがくたばったからケジメつけたってことでいいんだ。だが、ジジイが死んだせいでウチには他に金の管理ができる人間がいなくなっちまったってわけ。そんで新しく金の管理ができるやつをどっかで探さなきゃってことだったんだよ。そうしているうちにお嬢が夏風邪で熱出したもんだからすっかり忘れていた。」

「クランってのも大変なんだねぇ。でもそれなら団員の中から新しく会計役を選べばいいんじゃないの?」

「あのなぁ…自慢じゃねぇが俺様の弟共はアホなテメェよりも遥かにアホなんだよ。目が当てられないくらいにな。ほとんどのやつは三十より多い数の計算なんてできないし、字の読み書きももちろんできねぇ。あいつらに帳簿なんてつけさせようモンなら…オォ、夏なのに寒気すら感じる。」


 字の読み書きができない冒険者は珍しくない。もともとが貧しい家や農村の三男四男なんかの出身も多くそういった連中は地元にいた時も家事や親の労働の手伝いに時間をとられ、これまでに学ぶ機会がなかったからだ。今いるポーラスティアでは庶民向けの学校が王都やミツユースにあるので民間人の識字率はだいぶ高い方だが、それでも他国と比べたらマシという程度。それに加えて数字の計算ができるものはもっと少ない。


 マーナガルフの赤獣傭兵団も戦うしか能のない連中の集まりなので、マーナガルフとサブリーダーのアルゲイと今話題の死んだ老人以外はまともな読み書きも数の計算もできないありさまだった。だからこそ、件の老人が横領をして帳簿に数字の細工をしていたことにもなかなか気づかなかったのだが。


「その辺は学がなくて暴力で食ってきた連中だからしかたねぇけどな。俺様だってんなモン教える暇があったら戦いの方を教えていたし…さてどうしたもんか。ま、それも向こうに着いてから探そう…オォン?」

「どうした兄貴?」


 とつぜんマーナガルフが足を止めて、ある一点を見つめていた。そのことを怪訝に思ったアルゲイが尋ねると、彼は道端にはえる木の一本を指さしたのだ。木自体はどう見てもただの木である。ならば何かとアルゲイが思えば、その根元に一人の人間がいた。


「なんだ…ただの浮浪者じゃねぇか。浮浪児というにはちと大きいかな。どっちでも変わんねぇか。」


 その人間は頭にフードを被っていたので顔や性別はここからでは判断できないが、みすぼらしい格好をしていたのでアルゲイはそいつが浮浪者の類であるとすぐにわかった。


「あいつらっていっつも辛気臭いよな。お先真っ暗で人生に希望がないってのもそうか。…俺達も一歩間違えばああして…おい兄貴?」

「どうしたのマーくん?…あ、ちょっとみんなはここにいて‼」

「なんだなんだ?」「気になる…俺もちょっと行ってみてくる。」「オレもいくべ‼」


 荒くれ者の自分達ももし暴力をふるえないような怪我を負えばたちまち彼らの仲間入りだ。少しイヤな想像をしていたアルゲイ。しかし、隣のマーナガルフはアルゲイの話も聞かずにその人間の元へずんずんと歩いて行ったのだ。アルゲイやコストロッターも慌てて彼の後を追った。気になった団員も彼らについていく。





 木陰に座っていたその男は、道行く人々に物乞いをしながら思案にふけっていた。


「(ああクソ。バンはもう駄目だろうな…屑かもしれないが俺を拾って面倒見てくれたいいヤツだったのに…そりゃ僕のチートが目当てだったのかもしれないけど、僕にとってもあいつは使えた。でもああなった今、迷宮都市にバンの力はもうないだろう。そうなればあいつに相棒と呼ばれてた僕がのこのこ戻れば、あいつに恨みのある連中がこれまでのお返しにぼこぼこにしてくるだろうな。バンの奴、僕に会う前からいろいろヤバいことしていたみたいだし…それにしてもだ。迷宮ダンジョンのコアを手に入れて僕がダンジョンマスターになる計画は見事にダメになった。ダンジョンマスターになったら地上で手を組んでいるバンに物資を運ばせながら、挑戦者をダンジョンの罠やモンスターで返り討ちにしてダンジョンポイント稼いでダンジョンを育てる計画だったのに…チートを使うためにはダンジョンの距離内に近づかないとだからまた迷宮都市内に入らないとだけどさっきのとおりで街にはもう戻れないし…なによりあの男にはもう会いたくない…‼いったいなんだったんだあの紅目の男は…生きた心地がしなかった‼…それより腹減ったな。前はバンのおかげで何とか食っていけたけど、これから僕はどうやってこの世界で生きていこう…?)」

「おいガキ。」

「(そもそもどうして僕がこんな目にあわなきゃいけないんだ。僕はただちょっと気分がすぐれなくて学校に行くのがだるいから一、二限をサボっただけじゃないか。途中で頑張って学校に行こうとして電車に乗ったのにこの仕打ちはあんまりだ‼ネット小説を読んで事前に異世界の知識がある僕でさえなんとか生き抜いているんだ。他にいた乗客はもうとっくに全員死んでいるだろうな。それもこれもあのよくわかんないデカい女が…‼)」

「おいクソガキ‼聞けや‼」

「…わぁっ!?え、はいっ‼」


 浮浪者の男は思考の海を泳ぐことに夢中で、目の前にいたマーナガルフにも気づいていなかったが、彼に怒鳴られようやく存在を把握し、すぐにおっかなびっくりの返事を返した。


「人がさっきから話しかけてんのにその態度はなんだコラ。」

「ご、ごめんなさい‼…あ、もしかして恵んでくれるんですか!?昨日から何も食べてないんです‼どうかわずかばかりのお恵みを…‼」

「うぜぇ。」

「あっ何を…ぐえ‼」


 浮浪者の声は男のものだった。彼は横に置いていた欠けた椀を差し出してマーナガルフに恵みを求めてきたが、マーナガルフはそれを蹴飛ばし、それに文句をつけようとした彼の胸ぐらを右手でつかんで彼を片腕で持ち上げた。その拍子に浮浪者の男の被っていたフードがとれ、彼の黒い髪と目が特徴的な顔が現れる。マーナガルフは男の顔を覗き込んだ。


「ひっ…‼」

「いちいちビビんなコラ‼…ほぉ、黒目黒髪たぁ珍しい…なんか最近どこかで会ったような気もするが…それよりも、ちょっと聞きたいことがる。答えろ。答えないとぶつぞ。」

「あっ、はい‼なるべく答えます‼だから暴力はやめて‼暴力反対‼」

「だからビビんなって。何もとって食おうってわけじゃねぇ。…この看板の字、オメェが書いたのか?」


 マーナガルフが手足をばたつかせる浮浪者の男の手前に置かれていた立て看板を空いている手でひっつかんで、表に書かれていた字を指さして男にそう尋ねてきた。看板には「あわれなものごいです。どうかすこしだけおめぐみください。」と綺麗な字で書いてあり、だれがこれを書いたのか知りたかったのらしい。


「え、はい。そうですけど…前に、知り合いに教えてもらって…もうソイツいなくなったけど。」

「誰から教わったかなんて、んなこたぁどうでもいい。それより字が書けるのか…それじゃあガキ。次は算数の問題だ。19たすことの38はいくつだ?」

「えっ算数…57かな?」

「42たす74たす7。」

「えっと…123。」

「125たす241。」

「366でしょ?いきなりなに?」

「三桁もいけるのか。なら…653引いて119‼」

「あ…待って。119引くでしょ?んーと、534‼」


 とつぜん浮浪者の男に次々と算数の問題を投げかけ始めたマーナガルフ。足し算、引き算、掛け算、割り算…時にはそれらを混ぜ合わせたり桁を変えたり少数を持ち込んだりした複雑な問題をどんどん出していくが、それを少年は次々と暗算で解いていく。それには遠巻きに見ていた子分たちも舌を巻いていた。


「あいつ、頭いいな…」

「オレ自分の指より多い数無理だわ。」

「そもそも出された問題の数字を覚えてらんねぇ…」

「引き算そのものができないだろうがお前は。」

「いや、それにしてもあの計算は異常だ。あのガキ字も書けるみたいだし…ナニモンだ?」


 マーナガルフの子分たちに見守られながらどんどん問題を解いていく浮浪者の男。同じになってサブリーダーのアルゲイも目を丸めてマーナガルフと男の問答を見ていた。


「なるほどなるほど…オメェの読み書きと計算の能力はだいぶわかった。」

「いつまで続ける気?いったい僕になにをさせたいんですか?」

「次で終わりだ。いくぜ…」


 これで最後だとマーナガルフがにやりと不気味に口角を釣り上げて出した問題は、少年が目を丸くする内容だった。


「1たす1は…100だよなぁ?」

「え、そんなわけないじゃない。引っかけとかじゃないならふつうに2…」

「ひ・ゃ・く・だ・よ・なぁ!?」

「ひぃ!?…はい、そうです‼ひゃくで間違いございません‼」


 マーナガルフの出した超簡単な問題と自ら解いたその答えは、碌な計算のできない子分たちの誰だってわかるくらい明らかに違う。違うと知っているうえでわざと間違えているらしい。浮浪者の男も最初は否定しようとしたが、マーナガルフの睨みつけに気圧されてしまい恐ろしくなって彼の言う通りの数字が正しいのだとはっきり認めた。


「えっぐ、ひゃくです…ひゃくであってます…だからぶたないで…‼」

「理由もなく殴らねぇよ。俺様の気分が悪いっつうのは十分な理由だがな。それより…ほうほう、字が書けて、計算もできる。それに…俺様が白を黒だと言えばその通りですと素直に俺様の命令を聞く。これなら帳簿に細工したりするような太い肝っ玉もねぇだろ。現にわんわん泣いてるくらいだし。」

「ちょっとマーくん‼イジメるのはよくないよ‼」

「やめとけよ兄貴大人げない…」

「んだよ?もうしねぇよ。それより…」


 目から涙を滲ませて謝る男にマーナガルフは大変満足していた。そして止めようとしていたアルゲイとコストロッターへ驚きの報告をする。


「コイツでいいや。コイツ、今日から俺らのクランの会計な。」

「「ええっ!?」」

「あひゃひゃ‼さっすがはマー君。見る目が違うね‼さすがはレッドウルフ‼なにがさすがかは僕も知らない ‼あひゃひゃ‼」


 マーナガルフの発言に、アルゲイとコストロッタ―が驚いていた。無理もない。いきなりであった浮浪者にクランの金を管理させるというのだ。二人はマーナガルフが疲れて頭がおかしくなってしまったのかと思った。シヴァルだけは対岸の火事だとグルグル巻きにされたまま、しこたまへらへら笑っていた。


「考え直せよ兄貴。いくら金の管理するのがすぐにいるからってこんな得体のしれない浮浪者にやらせるなんて…」

「だからこそいいんだよ。他に行く場所もないから真面目にやる。逃げたら野垂れ死ぬだけだしな。大事なのは金をちょとまかそうとする度胸があるかどうかだ。こいつは俺様が押し通した数字をそのまま認めた。それがいい。」

「は?普通は数字の改ざんを絶対に認めない頑固なヤツがいいんじゃないのか?」

「バッカ、それだと俺が金が欲しい時にクランの金をちょろまかせないだろうが。俺様の命令は聞いて他には厳しくするのがいいんだよ。」

「ああそういうことか…」


 しれっとリーダー自ら不正会計をする気満々だとしれっと答えるマーナガルフにアルゲイは彼らしいと呆れていた。


「それにこいつ…今はこんな身なりだが、間違いなくイイとこでイイ教育受けたボンボンだぜ。頬は痩せているが、もともと小太りで脂肪がついていた形跡が皮に残っている。元はイイモン食っていた証だ。」

「そうなのか?俺にゃあわからないぜ。」


 マーナガルフに言われてアルゲイも浮浪者の男の顔を凝視したが、彼の言っていることが本当かまではわからなかった。だがマーナガルフは人の顔の特徴を覚えるのが得意な男なので彼が言うのなら間違いないのだろう。


「まぁボンボンが元の没落した立場だったにせよ、一度身に着けた技術はそのままってことだ。こんな頭のいいの普通に雇ったら幾らかかるかわかったモンじゃねぇ。タダ同然で手に入るなら逃がすなんて選択肢はねぇよ。」

「…それもそうかも。まともな会計の人なんて、赤獣傭兵団みたいな荒くれ者の巣窟に職を求めたりしないもんね。ギルドでも紹介できる自信ないかも…というか無理です。」

「だろ?」

「…たしかに。こんな連中だからズン爺みたいな金の計算はできてもそれ以外は壊滅的な屑しか来なかったわけだし。あのジジイ前の勤め先でも不正会計起こして解雇されたって言われてたじゃねぇか。」

「だろだろ?」

 

 はじめは反対していたコストロッターとアルゲイだったが、マーナガルフの説得で赤獣傭兵団の会計事情を思い出し、彼の提案にだんだんと納得していた。


「それに…生活に困ってそうな人を雇うなんて、弱者救済みたいでマーくんカッコいいかも…‼」

「いや、そんなつもりはまったくないんだが。安月給でコキ使うつもりだぜ。」

「いやいやそんなこと言っちゃって~♪担当職員の私にはわかっちゃうんだよ照れ屋さんめ♪」

「照れ屋さんめ♪」

「うるせぇ。あとハモるなくそシヴァル。さすがにお前のはキモイ。」


 シヴァルはキモかったがそれは別として浮浪者の男の処遇については決まったようだ。マーナガルフは大人しくしていた浮浪者の男の前に再び立って彼に言った。


「おいガキ。オメェをウチの会計に雇ってやんよ。」

「え、会計って…お金の管理!?なんでまた…わっと‼」


 とつぜん訳の分からないことを恐ろしい男に言われ混乱する彼だったが、返事も聞かずに男をマーナガルフは肩に担ぎ、そのまま歩き出した。子分たちにも片付いたからついてこいと言って歩かせる。


「イヤだとは言わせねぇぜ。もう会計探すなんて面倒だからオメェで決まりだ。」

「僕の拒否権は!?」

「んなモンあるわけねぇだろ。それに真面目に仕事やっているなら、飯と寝床の面倒は見てやる。小遣いもやるぞ。」

「ご、ごはん…‼」


 マーナガルフに飯と言われて浮浪者の男のお腹がぐぅと鳴るのを全員が聞いた。しばらく食べていないというのは本当だったらしい。鳴る腹をさすって男は考えていた。


「(いきなりでびっくりしたけど考えてみたら悪く無い話かも…ダンジョンマスターになるまでは食べ物と寝るところは確保しなきゃだし…まさかこんなところで算数の勉強が役に立つなんて…ありがとう義務教育‼)」

「そら、いちおう返事は聞いてやろうか?」

「や、やります‼やらせてください‼」

「おぅいい意気込みじゃねぇか。根性ある奴は好きだぜ俺は。ギャハハ…迷宮都市に来て最後に一番いい拾いモンだったぜ。じゃあ俺様がご機嫌になったところでとっととチャルジレンへ向かうぜ‼そんで適当なクランの拠点を奪ってやれ‼」

「「「「ヒャッハー‼」」」」


 マーナガルフの宣言で、団員たちはいっせいに雄たけびをあげた。


「よっしゃよっしゃ…そういやまだ名前を聞いてなかったな。オメェ名前なんつぅんだ?」

「えっと、僕は…ササ、ヘイタ・ササキです。」

「ササヘイタぁ?変わった名前だなオイ。変わってんのは目と髪だけじゃなくて名前もかよ。」

「いや、ヘイタです。ちょっと緊張して名字の方を先に言いそうになっちゃっただけですよ。」

「ヘイタね。変な奴だな…とにかく来い。その物乞いの道具も置いてけ。どうせもう使わねぇだろうし。」

「は、はい…‼雇ってもらえるんなら、こんなものもういりません。」


 ぼろい床敷きも看板も椀も職と食を得たヘイタにはもう必要のないものだった。放置していても他の浮浪者が有効に使ってくれるだろう。


「(ダンジョンマスターになってチートで生きるのは諦めてないぞ…お前らはどこかの迷宮ダンジョンよりもよさそうなダンジョンを見つけられるまでの仮拠点さ。せいぜい利用させてもらうよ…クックック…‼)」


 黒目黒髪の浮浪者ヘイタは、心の中でそうほくそ笑んでいた。



 しかし彼はまだ知らない。自分を拾った人間がどういう人間か。彼がまとめあげるこの集団はなんであるか…そのことを知りどうあがいても逃げれないことに気付いてヘイタが軽く後悔するのは先の話…



―――――



 さて、ここまで見せておいたのだから残る一勢力の方もどうなったのかを見ておくとしよう。ただし彼だけは少し後の時間軸の話になるのだが。面倒だと言わずに最後まで見てあげてほしい。これで最後だから。




 ここはとある村にあるとある宿屋の一室である。そこのベッドの上に一人の男が眠っていた。


「…」


 まるで死んでいるかのように寝息一つも立てずに寝ているその男は年齢は十代後半から二十代前半といったところ…見た目は黒髪と、今は目を閉じているが瞼を開けばそこには真っ黒な瞳が納められていて、全体的な顔立ちも大陸の人間にしては珍しいものだった。


「耐えろよお前…もうじき、じっちゃんが薬持って帰ってくるからな…‼お前なら大丈夫だ。なんたってこのアタシ、賊王の孫娘のカチヤ様がついているんだからよ‼」


 そんな彼の横で椅子に座り、男の手を自分の手で強く握り励ましの言葉をかけていたのは、一人の女性だった。男と同じくらいの年頃のその女性は、男が眠っている間片時も離れることなく、ただひたすら男に声をかけ、聞こえているかもわからないのに励ましの言葉を投げ続けていたのだ。


 

 女性が男への声掛けを続けていると部屋の入り口のドアからノックをする音が響き、女性が「開いてる。入りなよ。」と入室の了解を告げると、廊下からもう一人女性が入ってきた。その後ろには、幼い少女が一人ついてきている。


「なんだノーレ姉ぇとサリィか。」

「もうお昼よ。食事を持ってきたわ。」

「食事って…どうせこいつは食えないよ。」

「あなたの分よカチヤ。祈ってばかりいないで食べなさいな。」

「いらねぇし。ずっとここで座って動いてないから腹へらない。」

「そんなこと言わないで食べなさい。おじいちゃんが知ったら悲しむわ。」

「チッ、食べりゃあいいんだろ…」


 ノーレと呼んだ女性に諭され、男を励ましていた方の女性のカチヤは舌打ちを一回してから、ノーレが持ってきたパンとスープの乗った盆を受け取り、大人しくそれを食べだした。

 

「その人の調子はどう?」

「別に。良くもならないが、逆にひどくもなっていない。時が止まってるようなもんだから当然だけど。」

「そう…なら良かった、と言うべきなのかしら?」

「さぁてね。」

「ねぇね、こーたん死んじゃったの…?」

「大丈夫よサリィ。この人はきっと生きている…さぁ、あなたもこの人に何か声をかけてあげて。」


 ノーレはそう言って幼い少女のサリィを抱きかかえて、眠る男の傍へ近づけた。サリィは男の頬を触ってみたが、あまりの冷たさにびっくりして手を引っ込めてしまった。


「つめたい…‼」

「そうだな…とても人間の体温とは思えない。いまさらだけど、本当にこいつ生きているんだよな…?」

「生きているに決まっていますわ。そうでなければワタクシがやっていることの意味がありませんもの。」

 

 自信なさげに呟いたカチヤへ、ノーレでもサリィでもない女の声が返ってきた。カチヤが部屋の隅に目線を送ると、そこにはもう一人女性がいて椅子に座っていたのだ。


 実は部屋の中にはカチヤのほかにこの女性もおり、彼女は目を瞑り腕を組んで退屈そうにじっとしていた。その静かさはまるでそこに誰もいないかのような気配の消しぶりで、カチヤも声を掛けられたことで、そういえばいたことを思い出したくらいだ。


 その女性はゴシック調の漆黒のドレスを身に纏い、片耳の耳たぶには大きな黒い宝石を使ったイヤリングをつけている。いかにも高価そうなそのイヤリングも見る者の目を引くが、それよりももっと目を引くのは彼女の顔立ちだ。顔は驚くほどに整っていてとても麗しく、それでいて驚くほどに真っ白だ。真っ白どころかまるで死人と見紛うほどに青く白い。


 ドレス姿も相まって、まるで上流階級のパーティーの場から抜け出してきたご婦人なのかと思いきや、そんなことはない。こう見えて彼女も立派な冒険者であったのだ。


「そんなにその木っ端な殿方のことが心配なら、ワタクシが断言してあげますわ。その方は生きております。この、暗黒令嬢(ダンケルフロライン)が魔術を用いて半アンデッド状態にしているのですから。」


 ゴシック調の漆黒のドレスを着こむ女性は、男を心配しているカチヤへそう告げた。


 そう、彼女こそ冒険者の頂点のS級の一人にして、冒険者界隈で暗黒令嬢(ダンケルフロライン)という二つ名で呼ばれ恐れられている女だったのだ。そして、ベッドで眠る男の生命を維持している張本人でもある。


「…というか、このやりとり一体全体何度目になりますでしょうね?アナタが死んでいるのかと心配そうに呟いて、ワタクシが大丈夫だからと念を押し、それで安心してもまたすぐに心配になってワタクシが…気が狂ってしまいそうですわ。こんな不毛なことをいつまでも続けていられると、ワタクシ帰りたくなってきます。もう帰っていいですか?いえ、返事はけっこうですわ。もう帰らせていただきますので。」

「わーちょっと待った‼アンタがこの部屋を出ていったら…‼」


 さっと椅子から立ち上がり、まっすぐに部屋の出口へ向かおうとする暗黒令嬢(ダンケルフロライン)を、カチヤが慌てて飛び出して立ちふさがることで引き留めた。


「アンタがこの部屋を出て行ったら、こいつにかかっているアンタの魔術が解けちゃうだろうが‼」

「知っています。その男はワタクシの魔術によって辛うじて生かされている状態だということは。ワタクシが術を使っているんですからね。」


 カチヤと暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は、ベッドで眠る男に視線を投げかけた。男は毛布を掛けられて見えないが、体のあちこちに見るも無残な痛々しい傷をいくつもつくっているのだ。それこそ放っておけば死につながる危険な怪我である。それは先日、彼が冒険者として大規模なレイドクエストに参加した時にそこでモンスターとの戦いで負ったものだった。


 怪我による大量の出血で男の命はもはや風前の灯火…しかしそれでもなおこの世界に命を繋ぎ止めていられるのは、ほかならぬ暗黒令嬢(ダンケルフロライン)が扱う死霊魔術によって、男が半分アンデッドの状態にさせられ肉体の劣化が完全に止まっているからだった。いわゆる仮死状態というやつである。半分とはいえ生きている人間をアンデッドにするなど、大陸中を探しても死霊魔術に精通した彼女にくらいにしかできない芸当だ。 


「わかってんなら行かないでくれよ‼アンタの魔術が有効なのは、アンタがこの部屋にいる間だけ…一歩でもアンタがこの部屋を出ようものなら、こいつはすぐに死んじまう…‼」

「そうですわね。死ぬギリギリの間際…まさに命の炎が尽きる寸前で魔術をかけたのですから。ワタクシがあと数秒術をかけるのが遅れたら死んでいたでしょう。ですがね…もう退屈なんです‼ワタクシがいったいこの部屋に何十日押し込まれていると思っているの!?こんの狭い宿屋の一室でできることいえばただ本でも読んでアナタの男へかける励ましの声を聞き続けることくらい…いや、それだけなら別にいいです。ワタクシ読書は好きですから。それに他人のイチャイチャもバーのちょっと変わった背景音楽と思えば耐えられないこともないです。」

「なっ、だれがイチャイチャだこのヤロウ‼」

 

 カチヤは顔を真っ赤にして暗黒令嬢(ダンケルフロライン)に怒鳴ったが、彼女はしれっとしていた。


「しかしこの数十日の間、出ようと思えば好きに外に出られるアナタと違い、ワタクシの生活は魔術の維持のためにこの部屋で無理やり完結させられているのですよ‼全部ですよ全部‼食事も体拭きも着替えも…あまつさえ排泄まで‼殿方の前でそれをさせられるワタクシの身にもなってごらんなさい‼これなんて羞恥プレイですか!?ワタクシ変態になった覚えはございませんことよ‼」

「いいだろそんくらい‼こいつどうせ寝てるからアンタのことみてないだろうし着替えでもクソでもなんでもしたらいい。つーかそれならアンタの体を拭いた後の水とか出したクソとかションベンを外に捨てに行かされるアタシやノーレ姉ぇのが苦痛だよ‼」

「気分の問題ですわ‼しかも排泄はそこの少女のおさがりのオマルでさせてそれを他人に捨てに行かせるって…ワタクシに新しい世界の扉でも開かせるおつもり!?…ああもう‼とにかくもう限界です‼ワタクシ帰らせてもらいますので‼木っ端の冒険者ひとり死のうが知ったこっちゃありません…そこをおどきなさい‼」

「わっと…‼」

「ごめんあそばせ…失礼しますわ‼」

「…だめです。」

 

 痺れを切らした暗黒令嬢(ダンケルフロライン)はカチヤを手ではねのけて無理やり道を開けさせ、ドアのノブに手をかけた。しかし今度はノーレが彼女のドアノブを掴む手を包み込むようにして押さえつけたのだった。


「…アナタもその手を放してくださるノーレさん?そうすればワタクシはこの扉を開き外へ出て自由の身になれますから。」

暗黒令嬢(ダンケルフロライン)様。私からもどうかお願いいたします。もう少しだけおじいちゃんたちがエリクシールを持ち帰るのを待っていてください。貴方のお世話の一切は変わらず私とカチヤで続けさせていただきますからどうか…‼」

「…はぁ。待ってください待ってくださいと言われて、いったい何日経ったと思っているのですか。その台詞、いったい何度目だと思っているのですか。もう我慢の限界なのですよワタクシは。だいたいそのエリクシールというのも本当にあるのかどうか…」

 

 暗黒令嬢(ダンケルフロライン)を部屋に押しとどめてカチヤとノーレが待っているのは、自分達の祖父であり偉大なるS級冒険者のひとりである賊王ヘルクレスだった。彼はベッドで眠る男の怪我を治すことができるエリクシールという古代の宝の情報を聞きつけ、子分を引き連れてそれが見つかったというポーラスティア王国にある迷宮都市の迷宮ダンジョンへ向かった。彼らが旅立ってから知らせのひとつも来ることはなかったが、それでも彼女達は祖父の帰りを信じて待っていたのだ。


「断言します。アナタ方のお爺様はエリクシールなぞ手に入れられませんわ。よって、この男を生かし続けても治せる見込みもありません。だからワタクシは術を解いて帰らせてもらいます。というかワタクシが帰るので術は解けます。」

「そんなことはない‼じっちゃんは必ずエリクシールを持って帰ってくるさ‼」

「いいえ。ワタクシだって冒険者ギルドに最頂点たるSの称号を承った冒険者ですわ。経験と勘に基づいて結論を出したにすぎません。アナタのお爺様がいかに優れた冒険者といえど、ダンジョン攻略の技術と宝を手にする運は別ですわ。…その男のことはもう諦めなさい。一見静かに眠っているように見えますがそれは魔術により肉体の時が止まっているだけで、この男は精神の世界で激痛に苦しみ続けています。これ以上みじめに苦しませるくらいならもういっそ楽にしてやった方がこの男のためでもありますよ。」

「そんなこと言わないでください。おじいちゃんはこの人が貴方の術で眠りにつく寸前に、「必ず俺が助けてやるからな‼」と言ったんです。きっとこの人もおじいちゃんの帰りを信じて心の中で苦しみと戦い続けているはず…貴方がいなくなってしまえば、この人にかかっている貴方の魔術が解けてしまいます。そうなったらこの人の命は今度こそ…」

「で・す・か・ら、知ったことではありませんわ。もともとワタクシ、ひとつの場にはとどまらない性分なのです。新鮮な死体は足で探さないとですから。」


 暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は死体を愛する死体愛好家の一面を持っており、有名人などが死ぬとその死体を遺族に金で譲ってもらったり、ときには墓荒らしをして死体を盗み死霊魔術と腐敗防止の処理を行って、コレクションに加え大切に保管しているのだ。見つけた死体には死にたてのうちに素早く防腐処置を行わなくてはならないので、大陸のあちこちを歩き回って死にたての死体を常に探している。それが彼女の趣味でありライフワークなのだ。


 今回彼女がレイドに参加していたのも、モンスターとの戦いで死んだ冒険者の死体を楽に手に入れられるからにほかならなかった。しかし結果はひとりの命を繋ぎ止めるために謹慎を強要され、外へ出られないので死体もほとんど集められなかった。実益を兼ねた趣味を邪魔され彼女は完全におかんむりだったのだ。


「ここまで長期間同じ場所にいるのなど、それこそ何十年ぶりですわ。いえ、もしかしたら生まれてはじめてかも…とにかく、ワタクシは帰るのでその手を放しなさい‼アナタに手を握られていると力がうまく入らなくてノブが回せませんので‼」

「放しません…‼」

「ぐぐぐ…‼こんの…クソ怪力女め…‼言動はおしとやかなのに力はお爺様にそっくりなんですこと…‼」


 ノーレの握力は彼女の華奢な体付きからはとても考えられないくらいに強い。その握力で暗黒令嬢(ダンケルフロライン)をドアから引きはがそうとする。放してなるものかと暗黒令嬢(ダンケルフロライン)も抵抗するがドアノブの付け根ががメキメキと嫌な音を立て始める。


「いいぞノーレ姉ぇ‼アタシも手伝う…ドアから離れろ…‼」

「えいえい離れろー‼」

「アナタたちまで…‼なんという怪力…‼」


 ノーレに加わりカチヤとサリィも暗黒令嬢(ダンケルフロライン)をドアから引き離そうと彼女の体につかみかかった。三人の祖父譲りの女とは思えない異常な怪力を受け、暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は今にもドアからはがされてしまいそうになっていた。


「本当にお爺様に似て強情な姉妹だこと…かくなるうえは暴力には暴力で…あらっ!?」

「あれっ?」「うわぁ‼」「キャッ…‼」


 頭に来た暗黒令嬢(ダンケルフロライン)が魔術を使うという強硬手段に出ようとした矢先、ドアノブが勝手に回る。その勢いで暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は手を放してしまい四人は部屋の片隅まで吹き飛ばされてしまった。


「いたた…もう、手を放すんなら先に言えよ。そうすれば力を弱めたのに…」

「ワタクシではありませんわ。誰かが向こうからドアノブを回したのです。」


 暗黒令嬢(ダンケルフロライン)が回したわけではなく、反対側から別の誰かがノブを回したらしい。では回したのは誰か…



「はいるぞ…‼っと、狭くて体が…」



 ドアが開き外から新たな人物が入室してくる。…しかしその人物は入り口でつかえてしまい入るのに難儀していた。それほどに大きな体の持ち主だったのだ。


「おぅい‼オメェの未来の旦那は無事か!?」

「ばっ!?馬鹿じゃねぇの‼誰がアタシの旦那だコラ‼こいつとは別に…じゃなくて、じっちゃん‼戻ってきたのか‼」


 やっとの思いで部屋に入ってきた大柄の人物の正体に気付き、カチヤが大声で叫ぶ。それは彼女達の祖父であり待ち人のヘルクレスだったのだ。彼は狭い扉に身を潜らせ完全に部屋の中へ入り、ベッドで眠る男と、それを看病していた者達に目をやる。


「こいつはまだ生きているんだろうな?暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は帰ってないか?そろそろ痺れを切らして無理やり出て行こうとする頃だと思ったからよ。」

「…まさに今出て行こうとしたのですわ。」

「おう暗黒令嬢(ダンケルフロライン)‼まだいたか…ってこたぁ、こいつも生きてんな‼よかったよかった…‼」


 孫娘たちに押しつぶされて部屋の隅で不貞腐れていた暗黒令嬢(ダンケルフロライン)の姿を見つけてヘルクレスは安心した。彼女がまだいるということは、懸念の男がまだ生きているということだからだ。


「おかえりなさいおじいちゃん‼」

「おかえりじいじ‼」

「おう、カワイイ孫娘たちよ‼オメェらも元気そうだな。」

「…あら?おじいちゃん一人だけ?他の人たちは…?」

「迷宮都市から強行軍で休まず走ってきたからな…一人ずつ途中で落ちていって、けっきょく俺以外は全員脱落した。後から遅れて来るだろ。」

「スズランばっちゃんとオヤジもか?」

「あぁ、母ちゃんとイドールの二人は最後まで一緒にいたんだがよ…いい年な母ちゃんはともかく、イドールはそれでも俺の長男かっての。だらしねぇ奴よ。」

「跡取り息子に何言ってんだ。オヤジきっと泣いてるぜ。」

「へん‼この程度でへばるような根性ナシにゃあ、まだまだクランリーダーの座は譲れねぇなぁ‼」

「そんなことより、じいじ‼アレは手に入ったの!?」

「おうそうだった‼へへ…誰に持たせておくかで悩んだが、けっきょく俺が持っていて正解だったな。ちょっとまて…瓶が割れないようにぐるぐる巻きにしてきたんだ…‼」


 サリィに尋ねられヘルクレスは慌てて懐から布の塊を取り出した。そしてそれを大事そうに、けれども急いで剥いていくと、そこから小瓶がひとつ出てきたのだ。それを見て孫娘たちの目が輝きだす。


「そら、これがエリクシールだぁ‼」

「これが…エリクシール…‼」

「そうともよ‼これがありゃあ、こいつもすっかり元通りってな。」

「やったぜじっちゃん‼さすがはS級冒険者賊王様だ‼」

「よせやいよせやい…俺一人の力じゃねぇよ。協力してくれたのがいたからな。」


 孫娘たちに褒められ囃され得意げになるヘルクレス。そんな彼と手に持った小さなエリクシールの小瓶を、暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は目を細めてまじまじと見つめていた。


「ふぅん、それがエリクシール…まさか本当にあったとは驚きですわ。それをアナタが手に入れてくることもね…計算外は冒険の常識、ですか。手に入れられっこないと言ったことは訂正させていただきますわ。」

「なんのことだ?」

「さっきちょっと言い争いになっちゃって…なんでもないよ。」

「ま、ワタクシには興味のないものです。生き人を生き返すなど面白くもない…勇者もイチコロ死体に早変わりとかなら興味がありますが。」


 そう言って暗黒令嬢(ダンケルフロライン)はヘルクレスの孫娘たちをどけて立ち上がり、ドレスについたごみを払っていた。


「ワタクシなんとか我慢して、見事にここに居続けましたわ。褒めてくれてもよろしいんですのよ?」

「さんざん帰る帰るって喚いてたくせに…」

「それは認めます。じっさい賊王が入ってくるのがあと一分遅ければ、ワタクシは出て行きましたわ。」

「ガッハッハ‼いやホントにおめぇさんには感謝してるんだぜ。なんせおめぇさんの魔術がなければ、こいつはとうの昔に完全に死んでいたんだからよ。」

「フン…さて、このワタクシがレイドも終わったのに、死体も集めずにずうっっっっっとおなじ場所へ、わざわざ木っ端の冒険者一人の命を繋ぎ止めていたのには、アナタとの約束があってのことですわ。まさか忘れてはいませんよね?」

「おうとも…最初に約束した通り、この俺がこの先死んだときには、この肉体はオメェさんにくれてやらぁ‼」

「ちょっ、じっちゃん‼こいつとそんな約束していたのかよ!?」


 カチヤはヘルクレスと暗黒令嬢(ダンケルフロライン)がしていた約束とやらを耳にして大変驚いていた。暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は死者を操る死霊魔術の使い手だ。そんな彼女に自らの死体を渡すなど悪いことに使ってくれと言っているようなものだからだ。


「仕方ねぇだろ。こうでも言わなけりゃ暗黒令嬢(ダンケルフロライン)が言うことを聞いてくれるはずがないんだし…もう約束しちまったんだから取り消しはできないだろう。それに、死んだ後の自分の体なんてどうなろうと俺は知らん。」

「体が無けりゃ死んだときに葬式あげらんないだろうが。若い女に自分を捧げたなんて聞かされたら、スズランばっちゃん泣いちゃうぞ。」

「あいつはそこまで弱い女じゃねぇよ。葬式なんて肉体が無くてもやることはできる。どうせ死ねば土に還るだけ…だったら使いたい奴が好きに使えばいいさ。」

「オホホホホ‼さすがは賊王‼自らの肉体にも関心が無いとは、ワタクシ関心致しますわ‼」

「言っとくがいくら死体をやると約束したからって、その引き渡しの日にちまでは保証できないからな?今日明日死ぬかもしれないし、もしかしたら何十年と先までぴんぴんとしてるかもしれんしな。見ての通り俺は病気も怪我もないし。」

「構いませんわ。本人から確約を取り付けたのですもの。何年先、何十年先だって待ちますわ。待つのには慣れておりますから…レイドのおかげで少しだけとはいえ冒険者の死体も手に入りましたので、しばらくは困りませんわ。高ランクは少ないしぼろぼろのが多いけど、それは仕方ないです。」

「んだよ?ちゃっかり集めていたのかよ。」

「もちろんこの宿に引きこもる前のレイド中の話ですわ。ここに入ってからは一歩も外に出ていないのでご安心を。」

「冒険者の死体をどうこうしようが俺は知らんが、あんましおおっぴらにするんじゃねぇぞ?神聖教会に目をつけられたらギルドだって庇い立てしてくんねぇだろうしな。」

「それは了解をしています。しかしワタクシ、死体に魅入られた魔の女ですから‼オホホホホ‼さて…」


 ヘルクレスの忠告に高笑いをひとつしてから、暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は部屋の扉へ向っていく。


「エリクシールを手に入れたアナタが帰ってきたことですし、この男も治せるでしょう。ならばワタクシがここにとどまる理由ももうありませんね。」

「おう‼すぐに使うからもういいぞ‼…あぁそうだ。帰る前にひとつおまえさんに土産話があった。すぐに出て行かず聞いてくれないか?」

「土産話?」


 暗黒令嬢(ダンケルフロライン)が立ち去ろうとする間際、ヘルクレスが土産話を聞いて行けと彼女に最後の残留を求める。それが気になった暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は、足を止めくるりと振りかえって彼の話を聞いてみた。


「迷宮都市に言ってきたわけだが、そこでレッドウルフと神飼いと…それと終止符打ちに会ったぞ。」

「…なっ!?」

「そこに風紀薔薇(モラル・ローズ)もいてな…いろいろあって全員エリクシール目当てだったから、五人でパーティー組んでダンジョンに潜ったのよ。」

「なんだって!?全員S級の超有名人じゃん‼しかもパーティー組んだって…とんでもないドリームパーティーだぞ‼」

「すごーい‼サリィも見たかったなー。」


 ヘルクレスの話を聞いた暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は驚愕する。一緒に聞いていた孫娘たちもS級冒険者のビッグネームの数々に驚き興奮していた。


 しかし暗黒令嬢(ダンケルフロライン)の方はカチヤ達のように単にS級の冒険者の話で興奮していたわけではない。別の理由で全身を震え上がらせて興奮していたのだ。


「なんですって…!?あの大陸をぶらぶらしている根無し草三人が!?子分を引き連れているレッドウルフはともかくとして、終止符打ちと神飼いが一か所にいるなんて天文学的な確率ですわ‼ワタクシをからかってるのではないですよね?」

「嘘じゃねぇさ。おまけに終止符打ちはクランを作ったんだとよ。」

「クラン!?え、あれが、クランですって!?…いたた。夢じゃありませんわね…うわーマジですわ…」


 ヘルクレスの言ったことが嘘でないのなら、そもそも今は自分が夢の中にいるのではないかと、暗黒令嬢(ダンケルフロライン)はほっぺたをつねりここが現実であると確かめ、しかも自分で現実と認めたのにはしたなくドン引きしていた。


「そんな面白いもの是非ともこの目で見なくては…こうしちゃいられない。早く行かねば‼そしてあわよくばその中の誰か死んでその死体がもらえれば…いえ、いっそ全員まとめて死んでくれたら…ああたまらない‼迷宮都市はポーラスティアでしたわね?クインケはいますか!?」

「はい、こちらに…」


 彼女が手を叩き大声で呼ぶ。するとどこからともなく一人の男がさっと目前に現れた。男は眼鏡をかけており、服装は燕尾服に改造されたギルド職員の制服を着ていた。その風貌はまさに貴人に仕える若執事といった具合だ。彼は彼女の担当職員のクインケである。


「ワタクシの次の目的地は決まりましたわ。すぐに馬車の手配を‼」

「御意。」


 暗黒令嬢(ダンケルフロライン)の命を聞き入れ、クインケはすぐに立ち去った。馬車の手配をするためだろう。足で探すとは言ったが、彼女の移動手段はもっぱら馬車だ。しかもかなり豪華な装飾を好むので移動の前にクインケに探させるのはいつものことだった。


「それではワタクシは失礼しますわ。死体をくださる約束、どうか果てるその時までお忘れの無いように。綺麗な状態で欲しいのでせいぜい健康でいてくださいね。あ、お酒はしこたま飲んでよろしいのですわ。腐敗防止になりますから。」

「おう、たくさん飲ませてもらうわ‼ガッハッハ‼」

「では今度こそ失礼して…あ、ワタクシが部屋を出た後、きっかり一分後に術は解けますので。それでは‼」


 ヘルクレスに最後の忠告と術の解除について教えた後、彼女は開けたままの扉をくぐってさっさと部屋から出て行ってしまった。それから廊下をどたどたと走る音が聞こえ、それが外の方からも聞こえてくきたのでノーレとカチヤが部屋の窓から外を覗くと、そこにはすごい勢いで走って飛んでいく暗黒令嬢(ダンケルフロライン)の姿があった。どんだけ速いんだよと二人は心の中で突っ込んでいた。



「ふぅ…おっと今になって喉が…」

「大丈夫かじっちゃん…」


 暗黒令嬢(ダンケルフロライン)を見送ったあとでヘルクレスは急に喉の渇きを覚え、部屋の水差を手に取りそこからコップに注ぐことなく直飲みでがぶがぶと水を飲む。大きな体の彼にはそれでも足りず、水差しをひっくり返して残るわずかな水滴まで嘗め回していた。


「ありがとよカチヤ。喉も潤ったぜ。さぁて、それじゃあ飲ませるぜ‼」


 暗黒令嬢(ダンケルフロライン)は去ってしまった。彼女の言う通りもうじき男に掛けてある術が解ける。その前にとヘルクレスは孫娘たちと相槌を打ってエリクシールの小瓶の蓋を開け、男にいつでも飲ませられるようにしたのだった。





「…あ、あれ?ここは…」

「…起きた‼じっちゃん起きたぞ‼」

「おぅ、わかっている…‼」

 

 エリクシールを飲まされて数分後、男は目を覚まして口を開いた。それに驚いたカチヤは皆がそれを見ているのにわざわざ伝えるように叫ぶ。


「すごい…あれだけひどかった傷も全部治ってる…‼」

「ぴかぴかのきれいきれいだー‼」


 ノーレが毛布と衣服をめくり男が負っていた傷を確認するが、そこには傷一つない綺麗な肉体があった。


「よかった…よかった…‼」

「…カチヤ…サリィ…それにノーレさんとヘルクレスさんも…‼」


 カチヤは泣きじゃくり男に抱き着いて何度もよかったと呟いている。三人も目に玉のような涙を浮かべてはぽろぽろとこぼしていた。男は彼らと自分の身を確かめてようやく状況を掴んだようだ。


「…私は、生きているんですね。」

「おうともよ‼言ったろう…オメェは俺が助けるってよ‼さて…こうして約束通り助けたんだ。お前が寝る前に俺が言ったことの返事を改めて聞かせてくれ。」


 男の肩を掴み、ヘルクレスは真剣なまなざしで男と向き合い、一息ついてから言葉を続けた。


「お前、俺のクランに入れ‼俺はお前のような漢が欲しい‼俺はお前が気に入った‼もう死んでも離さねぇぞ‼」

「…なんか、ソッチの趣味がある人みたいな言い方だよね…」

「…ガッハッハ‼そういう意味じゃねぇよ‼それにお前にはお熱なのが一人、ここにいるじゃねぇか‼」

「ちょ、アタシは別に…‼」

「まぁまぁ‼」

「ひゅーひゅーお熱いねー‼」

「ノーレ姉ぇもサリィもからかうんじゃない‼」

「ガッハッハ…‼なぁ、返事を聞かせてくれや…コーノスケ・ミヤザキよぉ‼」


 ヘルクレスは男の名を呼び、彼からの返事を待った。しかし「あの…」と男は前置きしてヘルクレスが予想だにしていなかったことを言ったのだ。


「その前に…何か食べさせてくれませんか?なにせ随分前から食べていないような気がして…」

「…ぷはっ‼おうそうかい‼そうだよな…ずっと食べてなかったんだから腹ペコだよなぁ‼おいノーレ、飯の準備だ‼まずはコイツの完治祝いだをするぞ‼大熊でも大猪でもなんでも仕留めてきてやらぁ‼」

「そんなにたいそれたものでなくてもいいので、今すぐ食べれる物をくださいよ。それと…」


 「コーノスケじゃなくて私の名前はコウノスケですよ。」と、男はクスリと微笑んでいた。




今回は長くなってしまった…でも一話でまとめたかったんです。次回で迷宮都市編は終わりになります。

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