第135話 そして更に迷宮を巡る(続・夜の時間を待つ間の出来事)
「―――というわけだ。マーナガルフによると、どうやら君はイザーリンデ・カルヴァン・ポーラスティアではないらしい。その辺り何か自己弁護はあるかな?」
「…」
雲一つない空の下、月光が嘘偽りなく大地のすべてを照らしていた。しかし目の前の女性にだけは影があるとクロノスは、黙ったままでこちらをずっと見つめるイゾルデに問いかけた。
「…」
「沈黙が答えになるとでもいうのか…ってところか。どうなんだ?そうなのか、違うのか、はたまたどちらでもない第三の答えがあるのか…なぁ?(自称)イザーリンデ・カルヴァン・ポーラスティアよ。」
「あのお姫サマにはホントはもっと長い名前があるんだけどな。えと…なんつったっけ…」
「今はいいんだよマーナガルフ。あんまり長いと覚えきれん。」
「女の名前を覚えないのは失礼とか言ってシヴァルの黒いザコウサギのフル名称まで覚えてるアンタが言うかよ?」
「女性の名前と言えどあんまり長いと覚えるの大変なんだよ。ディアナのとこのリルネがフルネームなんていうか知ってるか?長すぎて目ん玉飛び出すぞオイ。今でも彼女の名前を書類に記載するギルド職員が可哀そうだと思っている。」
「はっ、なんだよそれくらい。それならウチのロドリコゲルムがなんてフルネームか教えてやろうか?ロドリコゲルムですら略した愛称なんだぜ。アルゲイなんか最初アイツの名前を呼んだ時に舌が攣ったんだぞ。」
「話が逸れてますよお二人とも。」
二人が本筋の節目を折ってそこから知り合いの名前談議の花の蕾を咲かせていると、ヴェラザードが注意を引いて話の軸を元に戻してくれた。このように冒険者は二人いるとしばしば話を脱線して与太話の花を咲かせてしまう。そのため今のようにギルド職員がそばで控えて芽の内に摘み取ってしまうのが一番だ。しかも今回は止めるのに脚も手も出ていない‼これは優しい珍しい‼神様女神様ヴェラザード様様である。
「おっとありがとうヴェラ。」
「いえ、脱線されたら面倒ですから。」
「ヒュウ、その冷めた目がたまんねぇなオイ。…オラ、なんか言えよニセモン。」
脱線した話を戻した二人はイゾルデの方を見る。そこで黙ったままのイゾルデはようやく口を開いた。
「お、おほほ…何を言っているのでしょう?城で眠るあたくしの影武者が本当はあたくしで、あたくしがどこの馬の骨ともわからぬ偽物だと…?なかなか面白い冗談をおっしゃるのですね。ですが残念なことにあたくしは正真正銘イザーリンデでございますわ。偽物呼ばわりは少々筋違いですの。」
彼女の口から出てきたのは自分が紛れもなくイザーリンデであるという断言の言葉だった。その表情は自信たっぷりでそんなことはありえないといった具合だ。
「あんなこと言ってるけどどうすんだ?」
「どうするって言われてもね。彼女がイザーリンデ姫でないことは俺と君とヴェラの中ではほぼ確定だが、本人に自分が違うのだと認めてもらわないと話が進まないんだなこれが。当然それが片付かなくては君を呼んだもう一つの理由の方もまた、いつまでも始まらないしどこまでも終わらない。」
「チッ、さっさと片付けたいのにめんどくせぇな…おいクソアマ‼てめぇがイザーリンデじゃねぇってことは俺様がヴェラザード嬢の似顔絵「人物模写です。」…イイんだよどっちでも。とにかくそれを見てもうわかってんだ‼俺が見間違い?するわきゃねぇだろオォン!?さっさと認めやがれ‼」
「…くっ‼しつこいですわよオオカミさん。あたくしがイザーリンデでないとしたらこのそっくりなわたくしはどこの誰なんですの‼」
「そりゃ決まってんだろ。しかし間近で見るとホントそっくりだなオイ…双子でもこうはならねぇぞ。…もしかして手の込んだ変装マスクか?」
「触らないで無礼者‼」
マーナガルフがイゾルデの顔を触って確かめるために威圧しながらじりじりと彼女に寄っていくと、イゾルデは大剣を取り出してそれを前方のマーナガルフへ向けて威嚇した。しかしそれを見てもマーナガルフはまったく怯む様子もなく、犬歯を剥いて彼女へガンを飛ばし続ける。
「オイオイ…じゃじゃ馬娘が危ないモン出してんじゃねぇよ。小娘にそんなものが扱えるかよ。…待てや。ソレ…‼」
「言ってくれますわね‼この剣の…パーフェクト・ローズの使い方は、ポーラスティアの王族であるこのあたくしが最も心得ておりますの‼」
「パーフェクト・ローズ…!?やっぱりソレ、「宝剣パーフェクト・ローズ」だったのかよ‼」
「げ。やっぱり宝剣だったのコレ?たしかに普通の剣にしてはおかしなところがいくつもあったけど…」
イゾルデがこちらへ鋭い刃先を向ける大剣は、マーナガルフによれば宝剣の一つらしい。彼からそれを聞いてクロノスの顔が若干曇った。
「なんだぁ?お前が今さら宝剣の一本にビビるのかよ?もっとヤバいもん今まで何千も殺してぶっ壊してきたくせに。」
「いやぁそれがさ…俺この間宝剣を一生分見ちゃって宝剣は見るのも聞くのもちょっと食傷気味なんだよね。」
「なんじゃそりゃ…それにしてもなんでパーフェクト・ローズが大陸の東にあるんだ?そいつは西の戦争で滅んだ亡国の国宝だったはずだが…」
「これの流れは存じませんが、あたくしが幼き頃に宝物庫に忍び込んだ時からそこの壁に掛けられておりましたわ。えっと…十四、五年前の話でしょうか。それより前にこれがどうであったかなど知りませんの。」
どうもマーナガルフはイゾルデの持っている大剣…もとい宝剣に覚えがあったらしい。その出所をイゾルデに尋ねると彼女はマーナガルフを睨みつけながらも丁寧にそう教えてくれた。それを聞いたマーナガルフは「そんな巡り合わせもあるか…」と少しの間黙って何やら考えていた。
「それにしても詳しいなマーナガルフ?君って武器に拘りとかある人間だったっけ?」
「ん?あぁ…別にマニアってわけじゃねぇけどよ。だいたい俺様の武器は爪だし。ソイツについては昔に縁があってちっと探したことがあってそれでな…まさか東に流れていたなんて思ってもいなかったが。宝剣はいつの世も求める者ではなく相応しき者の元に…か。だったらヤッパリおめぇはイザーリンデ姫じゃねぇよ。」
「なっ…どうしてこの剣を持っているとあたくしがイザーリンデでないと言うのですか‼それこそ納得いきませんわ‼」
先ほどは宝剣の出所を優しく教えてくれたイゾルデだったが、やはり姫ではないとマーナガルフに再度言い切られて激高した。だがマーナガルフはその理由に自信があったようでイゾルデの怒りも適当に流して彼女を冷ややかな目で見るだけだった。
「知らねぇのか?宝剣パーフェクト・ローズは通称「頂点を求める剣」ってんだ。名の通り頂点を求める所有者にそれを見るための力を貸す。だからこそお前がイザーリンデ姫なら持っているのがおかしいって言ってんだろ。」
「なぜおかしいと言うのですか!?その名の通りなら、それこそ王族のあたくしにふさわしい…ぐっ!?」
マーナガルフに噛みつき返すように吠えるイゾルデだったが、突然彼女の言葉がつっかえる。なぜならマーナガルフが彼女の首根っこを引っ掴んで発言を無理やり止めたからだ。おそらく彼の寛容力が限界になって手が出てしまったのだろう。仕方ない。マーくん気が短いからね。
「や…やめなさい…‼あたくしはポーラスティアの…‼」
「だ・か・ら‼そのテメェの身分がおかしいつってんだよ‼その剣が力を貸すのは何かを渇望する…求めなきゃいけねぇモンを持っていない人間にだけ…そもそも生まれつき最初から完璧で頂点な身分である王族には効果を発揮しねぇんだ‼」
「えっ…!?」
「王の持ち物でありながら王は振れぬし触れられぬ剣…それが宝剣パーフェクト・ローズの正体だ。だからテメェが王サマの血縁なら、総重量二百キロオーバーのソイツをテメェみたいな小娘が持って振り回すことなんてできねぇんだよ‼」
「そ…んな…‼」
「淑女の首根っこ引っ掴むなよマーナガルフ‼離してやれ。」
「チッ…‼」
イゾルデはマーナガルフに首から手を離された後で、自身の持つ大剣についての真実を教えられて膝からがっくりと崩れ落ちた。
「なんだ。そんな力があったんだなその大剣。ヒントはずっと彼女自身がひけらかしていたというわけか。まぁ今までにしても何かおかしいと思ったからこそ、彼女がイザーリンデ姫でないという可能性を考えていたんだがな。」
「あの大剣にそのような力があったのですね。ギルドでは把握しておりませんでした。確かにイゾルデさんがいくら騎士団の人間に鍛えてもらっていたとはいえ、それだけの重さの大剣を軽々振り回せるとは思えませんね。」
「クロノスもヴェラザード嬢も気を落とすなよ。そんなこと俺みたいな詳しい奴以外は知らねぇからよ。…ま、それはそこのニセモンも知らなかったようだが。」
「パーフェクト・ローズが…そんな剣だったなんて…そういえば…ずっと宝物庫にしまわれていて今までに王族の誰かが持ったのを見たのは一度も…‼」
マーナガルフに首を解放されたイゾルデは、膝からがっくりと崩れ落ちて何やらぶつくさと呟いている。それは普通の人間ならば聞こえないくらいに小さな囁きだったが、クロノスたちにはばっちり聞こえていた。
「君にも心当たりがあるようだな。」
「ぐっ…それでもあたくしは…イザーリンデですわ‼」
マーナガルフに自分も知らなかったパーフェクト・ローズの持つ秘密まで教えられて、イゾルデはかなり分が悪くなってしまっていた。だが彼女はそれでも自分がイザーリンデであると強く言い続けていた。
「強情な女だな…おいクロノス、こいつ適当に殴って吐かせていいか?俺様なら女だからって容赦しねぇから効果絶大だぜ?」
「それは最後の手段にもしてほしくはないな。別に追い込んで痛めつけたいわけではないんだから。というか今の君の発言はまさに悪役のそれだな。」
「できるものなら何でもやってみなさいな‼暴力には屈しませんの‼」
「君まで…」
「ですが何をされようともあたくしはイザーリンデであると叫び続けますわ‼誰が何と言おうと…たとえ自分自身がそうでないと言ったとしても…私は…‼」
「止めんかイゾルデ…見苦しいぞ。」
マーナガルフの脅しにも屈しないイゾルデだった。しかしそこにこの場の誰のものでもない声がして彼女へ呼び掛けてきた。それを聞きイゾルデははっと顔をあげて周囲を見渡す。
「マックアイ!?今までどこに…‼」
声のした方にいたのは、イザーリンデ姫の世話役の老人のマックアイだった。彼の顔を見てイゾルデは驚きの表情を浮かべる。
「演技はもういいだろう…イゾルデよ。」
「あなたまで…やめてマックアイ‼あたくしは…‼」
「なぁイゾルデ…」
「あっ…」
マックアイは地に手をついて叫ぶイゾルデの前までやってきて、彼女の両の肩にそっと手を置いた。
するとイゾルデは虚を突かれたかのように黙りこくり、そして涙をぽろぽろと流し出す。そしてマックアイは優しく微笑みこう言った。
「もういいんだ。お前は今まで一人でよくやった。もう楽になりなさい。」
「…マックアイ様‼…無念でございます。うぇぇぇん…‼」
とうとう泣き出して抱き着いてきたイゾルデを、マックアイは優しく抱き返してあげたのだった。
「えぐっ…ぐすっ…‼」
「おぉよしよしイゾルデや…いい子だから泣くんでない…さて、クロノスとか言ったな?」
「なんだよ?見せつけてくれるじゃないか。美人に抱き着かれるなんてさ。」
泣きじゃくるイゾルデをしばらくの間優しくあやすマックアイはそのままクロノスの方にくるりと向き、彼に声をかけた。
「お前、Sランク冒険者の終止符打ちだそうだな?あの紅目の死神と有名な…それにそっちのは同じSランクのレッドウルフか。」
「…違いますぅ。俺は…はいはいそうですよそーみたいですよ‼俺はその二つ名大っ嫌いなんだけどな。なんだよ紅目の死神って。死神とそれに関連する二つ名が何人いると思ってるんだ…超ダサい。」
死神と言われたクロノスは面倒くさそうにやめろと言っていた。そしてそれを隣で聞いていたマーナガルフは考える。
「死神関係の二つ名持ちって何人いたっけか…「絶氷の死神」と「灼熱の死神」…「死神大魔王」、「死の神」、「死神」に「死神喰い」…ぜんぶで五十人くらいだっけ?カッコいいからって自分から名乗る格下の馬鹿が絶えねぇんだよな。」
「正確には現時点で二十九名ですよマーナガルフ様。」
「アン?知ってる顔と数が足りねぇな…俺様が知らんうちに何人か死んだか?」
「五十名以上いたのは二年ほど前の話になりますね。そこから現在までに引退者二名、死亡六名、行方不明により死亡扱い十三名の計二十一名が冒険者の許可証を失効しております。実力をつけてもより難易度の高いクエストや冒険をするのが冒険者というもの。二つ名持ちとて油断すれば命を落とすのは当たり前の業界ですからね。」
「ほぉ、引退者より現役死亡のが多いとは実に冒険者らしね。そのうち酒持って墓参りにでも行かねぇとな。しっかし担当でもない冒険者をよく把握しているもんだ。さすがはギルドの職員だな。」
「把握と言っても名前と軽い詳細くらいで顔までは知りません。顔まで憶えているマーナガルフ様の足元にも及びませんよ。」
「謙虚だねぇ。俺様んとこのコストロッター嬢もアンタくらいに謙虚ならな…ギャハハ。」
「おーい、話が逸れているぞ君たち。すまないなお爺さん。冒険者とギルド職員はおしゃべり好きなんだ。多めに見てくれ。」
横で談議をする二人に注意したクロノスは、マックアイから話の続きを聞きなおす体勢に入る。二人もそれにならい大人しく聞く体勢になった。このようにヴェラザードのようなベテランのギルド職員であっても、しばしば脱線に巻き込まれてしまう。今回はクロノスが話をそらさなかったことでこの程度で済んだがもし彼も脱線して全員が本筋から逸れてしまえば、元に戻ってくることは大変に難しい。結果めっちゃ時間がかかってしまうので私もよく目を見張らなくてはならないのだ。
「ふん、冒険者のいい加減さなど知っている。そしてこれが冒険者の頂点だと言うのなら隠し事はするだけ無駄というものだ。」
「ふぅん。その発言ということはイゾルデがイザーリンデ姫でないと君も認めるのかな?てっきり彼女の味方でもしてくれるのかと思ったが…」
「…ぐすん。おっしゃるとおりでございます。あたくし…いえ、私めはイザーリンデ姫様ではございません。お二人にはとっくに看過されていたのに、しつこく否定してしまい申し訳ございませんでした。」
「およ?」「あん?」
ヴェラザードとマーナガルフのおしゃべりに付き合っているうちに、マックアイに慰められていたイゾルデは立ち直ったらしい。彼女は何かを決意したかのようなきりっとした表情でクロノスの目を見て、自分がイザーリンデ姫でないことを遂に認めた。しかし何故か言葉遣いまで変わってしまっており、クロノスとマーナガルフは少し混乱してしまう。
「なんだコイツ…さっきとは態度がエライ違うじゃねぇか。」
「マーナガルフ様にも先ほどの無礼をお詫びいたします。どうかお許しくださいませ。」
「うぇ…俺様こういうすぐへりくだる女もニガテ…」
「女性相手にえずくなよ。だが確かにギャップがあるな…なぁ、俺達を雇った君は誰なんだ?だいたい想像はついているんだけどさ。君の口から、はっきりと教えてほしいんだ。」
クロノスはまるで誰か偉い人に仕える従者のような丁寧な物腰に変わってしまったイゾルデに違和感を感じながらも、彼女が何者であるかを問いかけた。
「私はイゾルデと申します。」
「それじゃ変わんないじゃないか。君の本当の名を教えてほしいんだがな。」
「本当の…ふふ、私に本当の名などありません。幼きころ他国で拾われて…姫さまの代わりになったあの日から、名は捨てました。もう忘れましたしあるとすればこの偽りの名がそうなのでしょう。」
「…やっぱり。君がイザーリンデ姫の影武者なんだな?」
クロノスの質問に彼女はこくりと深く頷いて答えた。それには先ほどのような否定の意志はなく、純粋に肯定の意味でとらえてよいのだろう。
「なんだぁ?あっちが姫でこっちが影武者…ああややこしいぜ。クロノスよぉ、アンタから聞いた話と逆じゃねぇか?」
「そうみたいだな…なぁお嬢さん。ややこしいから今度は本当のことを聞かせてくれないか?」
「はい。ここまできたら隠すつもりもございません。しかし難しいことはありませんよ。先日マックアイ様とした話…あの話で登場した私と姫様が全部逆であっただけでございます。」
そう言ってイゾルデはクロノス達にすべてを白状してくれた。
自分が影武者であると明かしたイゾルデが先日語って聞かせてくれた内容は、実はすべてイゾルデとイザーリンデ姫の立場が逆であり、本当は王命を受けて隣国へ使者として赴くことになったのは影武者であるイゾルデの方ということだった。
そして彼女が前日に体調を崩してしまいこっそり入れ替わり隣国へ行ったのが本物のイザーリンデ姫で、隣国からの帰り道に事故に遭ったのも本物のイザーリンデ姫であったということ。見事に聞いた話と逆だったのだ。
「お恥ずかしい話ですがあたくしは重い風邪を引いて寝込んでしまい、とても他国まで行ける状態ではありませんでした。それを姫様は本来ならば影武者に使命を任せず自分が行くのが筋なのだと、マックアイ様とベッドで寝込む私の制止を押し切って…本当は動けぬ私を気遣ってのことなのです…‼」
「つまり影武者の影武者ってことか。しかし演じるのは自分自身…当然完璧に振舞える。そして不幸にも事故に遭い、今や文字通り眠り姫だと。」
「その通りだ。前にも言った通り入れ替わりのことはここいる儂…二人の面倒見役であるマックアイとイゾルデ以外知らんし、事故のことも知らない。そして影武者であるイゾルデに命じた王は当然影武者が隣国へ行き事故に遭ったのもそっちだと思っている。」
「私は自分の行く末がどうなろうとも構いません。それが影武者の役目なのですから。ですがこのままだと…」
「影武者だと思われている本物の姫サンの方が、影武者として役目を果たせないから人知れず闇に葬られちまうと。影武者の末路なんざそんなモンが相場だろうが、難儀な話だぜ。」
イザーリンデ姫の身に迫る危機を聞いたマーナガルフは呑気に欠伸をひとつして、まるで他人事そのものであるかのような適当な反応を示した。
「今は儂が止めているが時間がかかれば本当に処分されかねない。それだけは絶対に阻止せねばならん。そう考え体調を取り戻したイゾルデと二人でいろいろと手を考えていたが…余計な輩に真実を勘ぐられないようにしなくてはならなかったから使える人員も限られていた。そこに迷宮都市のエリクシール発見の噂が入って来て、それを聞いたイゾルデが飛びつき勝手に出て行って…というわけだ。」
「けっ、助かる見込みも怪しい姫サンのために自分でダンジョンに飛び込むまでするなんて正気じゃねぇぜ。このまま黙ってりゃテメェが姫サマになれるんじゃね?元の立場なんて忘れて楽しく王族ライフすればいいんじゃねぇか。」
「そんなことできるはずがありません‼それに姫様は本当に王族としてふさわしい能力を持ったお方です。武にも学にも優れ私では外見を取り繕うのが精いっぱい…仮に入れ替わったとして王族の責務を完全に全うにできるわけがない…姫様になれるのは姫様だけ。私は姫様の代わりに生きて姫様の名を怪我したくはないのです‼…嘘をついて本当に申し訳ございませんでした。ですが、今なお眠る姫様を助けたいということだけは本当です。これは少ないですが迷惑料として取っておいてください。」
イゾルデはそう言って自分の財布をそのまま渡してきた。クロノスがそれを開けてみれば中には金貨や銀貨がじゃらじゃらとダンスを踊っており、換算すればけっこうな額になるだろう。
「こんなん渡してきて君はこれからどうするつもりなんだ?」
「雇っていた冒険者にもそっぽを向かれてしまったのなら仕方ありません…こうなったら私一人でもこれからダンジョンに行き、エリクシールを取ってまいります。…たとえ命が尽きることになろうとも、地べたを這ってでも必ず持ち帰ります。」
「儂も一緒に行くぞ。一人で行ったところで何ができる。…二人になったところでダンジョンの知識もない素人がどこまでやれるかわからんがな。」
「ありがとうございますマックアイ。…しかしこれは私の問題。ダンジョンは危険ですし貴方にまで迷惑をかけるわけには…」
「なんの。姫様の身に何かあったのにのうのうと生きていれば、姫様の面倒見役失格だからな。この命尽きようととは儂も同じことだ。」
「いえ、あなたにまで何かあれば私は…‼」
「あのさぁ…」
二人でダンジョンに行くだのあなたは地上にいろだの、そんな話にクロノスが割って入ってくる。その表情は不満たっぷりと言った具合で、蚊帳の外にされたことに腹を立てているようだった。
「何を勝手に「散らば花」って感じで悲劇の役者気取ってんだよ?だ~れがもう依頼を続行しないなんて言った?俺か?俺なのか?俺が言ったんか?素性を偽った偽物からの依頼なんてこれ以上続けられませ~んって。俺がそう言ったのか?」
「え…そうではないのですか?」
「違う‼俺は依頼を断りたくて君が本物だとか偽物だとかイゾルデだとかイザーリンデ姫だとかを知りたかったわけじゃない。知りたかったのはこれのためだ。…ヴェラ‼」
「はい。それでしたらこちらに。」
クロノスの命令でヴェラザードが出してイゾルデに見せてきたのは、またもや一枚の紙きれだった。しかし今度の紙切れは先ほどのイザーリンデ姫の顔が描かれた紙とは違い、文章だらけで挿絵のひとつもない。
その文章のびっちりと記載された紙切れはイゾルデにも見覚えがあった。なぜならそれは…
「それは…クエストの依頼書ですか?」
「ええ。そしてこれは貴方がギルドでご記入されたものでございますよイゾルデ様。」
「見ればわかります。これがどうかしたのですか?」
「君の名前のところを見てみな。」
イゾルデがクロノスに言われた通り自分が名前を書いた部分を眺めた。しかしそこには自分が書いた自分の名前があるだけで、他に変わったところはなにもない。
「自分の書いた名前があるだけです。」
「そう。君はギルドの支店でこれに自分の名前を書いた。イザーリンデ姫の方の名前ではなく、イゾルデ・ベアパージャストの名義でな。」
「ですからそれでは依頼は受けれぬと言われたときに名前の変更を…あら?ああっ!?」
そこでイゾルデは大声を出して叫ぶ。それは今までイザーリンデを演じ、そのあとでも物腰丁寧だった彼女からは想像もつかないほどの品性に欠けた賑やかなものであったが、今はそんなことどうだっていいだろう。とにかく彼女は自分がその紙に何をしたか…いや、何をしなかったかに気付いたからだ。
「名前を書き直すのを忘れていました…‼」
そう。旅立ちの前、彼女はミツユースの猫亭でクロノスに偽名を咎められた際、自分はイゾルデという名のこの世に存在しない人物ではなく、演じているイザーリンデであると改めて名乗った。その時に本来であれば、その時点で正体だと思われていたイザーリンデだと依頼書の名義を書き直さなくてはならないはずだったのだが、ごたごたしている間にそれをイゾルデのままにして遂に忘れてしまっていたのだ。
「君がもし本当にイザーリンデ姫だったのなら、依頼をしたのはイザーリンデ。依頼書の名義はイゾルデとなり、嘘をついたと不履行の依頼書となる。しかし、君の正体はイザーリンデ姫ではなくイゾルデ…イゾルデがイゾルデと名を書いて何かおかしいところがあるのか?この依頼書には何の問題もない。」
「えっと…ということはつまり…」
「つまり、この依頼書に不備は一切ない。そして俺達は一度このクエストに同意して依頼を受けたのなら、クエストを最後まで続行しなければならない義務がある。勝手に依頼を下りて罰則もらうのは俺達の方なの。これで俺が言いたいことはわかるか?」
「…このまま依頼を続けてくれるのですか?この、嘘吐きの女のために…」
「だからさっきからそう言っている。」
はっとしてこちらを見るイゾルデに、クロノスは話を続けた。
「俺達冒険者にとってクエストの依頼主が何者かはどうだっていい。…名を偽れない俺達に名を偽らないのならそれで十分だ。そして君は今夜こうしてすべてを話してくれた。ならばもう断る理由がないじゃないか。」
「…‼」
「…君は名前を書き直すのをつい忘れたと言ったが、本当に君のせいなんだろうか?俺には空の果ての天界に住まう神々がこう言っているのだと思っている。「この依頼はお前たちが果たすべきものなのだ‼そのために我が運命の悪戯をしてやった‼」…とね。もちろん君がやっぱり正体を偽ったのは不義だから依頼はなかったということに…というのならしょうがない。俺達は下りざるを得ない。だってそれが依頼主の命令なのだから。」
再び目に涙を滲ませるイゾルデの元へ歩み寄り、クロノスは膝をつく彼女と同じ目線になるように屈んでからまた口を開いた。あとイゾルデが名前を直していなかったのは本当にただの偶然だ。展開に住まう神々も「そんなことはしていない。やったら越権行為で最高神に罰されてしまう」と言っている。
「さぁ何度でも聞くぜ我らが依頼主イゾルデ様よ…俺達は貴方のためにどうすればいい?」
「…します。」
「あ?なんだって聞こえない?もう一度。」
「お願いします‼姫様のために…私のためにダンジョンからエリクシールを持ってきてください‼」
聞こえないと声を張るよう求めるクロノスに、イゾルデは頭を下げて涙を目から洪水のように流しながら鼻を啜る音を交えて大声で叫んで伝えた。
「…雇い主の命令ならば仕方ない。俺達はこのままエリクシール探しを続けるさ。だから君は雇い主として胸を張って堂々と俺達が帰ってくるのを待っていろ。」
「ありがとうございます…‼ありがとうございます…‼」
彼女の返事を聞いたクロノスは、不器用ににこりと微笑んでイゾルデの肩をしっかりと掴んで彼女の命を承る。それにイゾルデは何度も礼を言っていた。
「というわけでイゾルデ嬢よ。依頼は続けると決まったわけだが、ダンジョンに入る前にいくつかの頼みごとがある。これに同意をもらえれば今度こそ下準備は終わり。俺はダンジョンへ行ってくるだけだ。」
「私は何をすればいいのでしょうか?誠心誠意努めさせていただきます‼なんでも命じてくださいませ‼」
「雇い主に命令ってどんな上級プレイかな?まぁその熱意は後で活かしてもらうとして…こうして広場へ行かずにこんな街はずれに寄ったのはもう一つ理由があったんだ。ちょっとダンジョンへ挑むメンバーの入れ替えについて依頼者の君に許可をもらいたくてね。」
「入れ替え…ですか?ナナミさん達を探索メンバーから外すのですか?」
「ああ。だがナナミ達には別に動いてもらうつもりだ。…お。ちょうど時間だな。奴らも現れたようだし、新しいメンバーを紹介しよう。」
「紹介と言っても他には誰も…」
クロノスが空の星の位置を確認して自分が期待するとおりの時間になっていたことに気付き、イゾルデにそう言った。しかし、イゾルデには彼の言う奴らというのが誰のことなのかさっぱりわからなかった。
ここにいたのはクロノスとイゾルデ。他にはイゾルデの正体を暴く役のマーナガルフとヴェラザード。自分側の人間であるマックアイと横たわる二人の騎士を除いて他にはいない。
「…そこに誰かいるのですか?」
誰もいないと思っていたイゾルデは背後にいくつかの気配を感じて振り返る。そこには確かに新手がいて…
「やぁやぁお待たせ。時間ぴったりでしょ?親友との約束はちゃんと守るよ~。」
「そちらの話は終わったのか?ならば時間が惜しい…すぐに動くぞ。」
「おぉ‼マーナガルフよ。俺らより先に来てるなんて後輩根性けっこうなこって。ガッハッハ‼」
「なんだよ先輩方よぉ…随分と襲いじゃんか‼その生意気な鼻っぷし折り曲げてやろうか!?ギャハハ‼」
「君たち仲良くしてくれよ?なんせこれからこのメンバーでダンジョンに入らなくてはならないんだから。」
聞こえてきたのはそれぞれ個性的な三つの声。若きも老いも男も女も混じっているそこに、更にクロノスとマーナガルフの二人も加わってきてなんとも言えない空間を作りだす。だが、知っている人間は知っているし知らない人間もその雰囲気で気づかされてしまう。その、強者特有の余裕と隠し切れぬ実力の高さを。
「あ、あなたたちは…!?」
月明かりに照らされた声の主たちを目にして、イゾルデには驚くことしかできなかった。