第134話 そして更に迷宮を巡る(夜の時間を待つ間の出来事)
それからなんやかんやで日は沈んで夜となり、人々はこれが最後の晩餐になるかもしれない夕食を胃に収めてダンジョンへ入るためのゲートの前に集まっていた。皆昼のうちに準備をしっかりと行い、準備万端とはまさにこのような者達のために会ったのだと言えるくらいにベストなコンディションで。
「うおおおぉぉおおぉ‼今日から俺は二刀流になったんだ‼早く新しい剣でモンスターをぶっ殺させろ‼」
「フフフ…俺はすごく丈夫なツルハシを買ってきた…これで道に沿ってチンタラ歩き回る必要はない。ダンジョンの壁をぶっ壊しながらまっすぐに進んでやるぜ‼」
「街の外でイノシシ五匹狩って食い貯めしてきたぞ‼これでダンジョン内で腹が減ることはない‼」
「おい相棒‼今のうちに付与魔術かけやがれ‼」
「おうよ‼テメーの生命を糧に十重くらいにかけてやる‼」
…このように元気百倍ぶっちぎりだ。あと言うまでもないだろうがこんな馬鹿みたいなこと言っているのはもれなく冒険者である。傭兵とか貴族の子飼いの兵士とかはもっと堅実な準備を整えている。
しかし入念な準備をしたところでそれがまったく意味をなさないことがあるのが迷宮ダンジョンの恐ろしいところ。冒険者のアホみたいな行動が不正解であるとは誰にも言えないのだ。大事なのはダンジョンを歩く基本と時に挑み時に引き返す勇気…押すのも引くのも咄嗟の判断が必要なのがダンジョンの真理なのである。
中央広場は各場所のゲートの中でも特に人が多かった。これには理由があり、エリクシールを見つけた二つのパーティーがどちらもこのゲートから出入りしてエリクシールを見つけたので、同じようにここからダンジョンに入れば同じようにエリクシールのあるマップに出るのではないかと、そういう魂胆の者達が押し寄せたためである。
「列は来た順になりますが、慌てず騒がず一列になって後ろから並んでくださーい‼」
「こらそこ‼横並びにならないでください‼パーティー単位でも縦に‼私語は慎め‼」
「一列に並ぶんじゃぞー。列を守らん奴は儂が制裁するでなー。なんなら堂々と割り込んでも構わんぞー?たまには運動したいからな。人の作った伝説なぞ興味もないが、伝説に挑戦したい猛者はおるかの?はっはっは…‼」
そんな元気のいいダンジョンへの挑戦者たちを体を張って誘導して列を整えていたギルド職員たち。そこに混じって誘導を手伝っていたのはガルンドだった。
「こりゃそこ‼儂の剣の血錆になりたいのか?」
「…やべ、ハイドラゴンバスターに睨まれた…おっかねぇ…‼」
「大人しくしてようぜ。どうせダンジョンに入るまでの辛抱だ。」
「同感だね。いくら老いてるとはいえ生ける伝説には勝てないよ…」
ガルンドは冒険者達に相変わらず本物だと思い込まれている相棒の大剣のレプリカを自分のすぐ近くの地面に突き刺して、列を乱す不届き者が出ないか広場の見晴らしのいい場所で目を光らせていた。そんな彼の機嫌を損ねるわけにはいかないと、挑戦者たちも素直に仲良く並んでおり、はったりは効果絶大であった。
「凄い混んでるな…」
「そうだね…俺達がこの騒動の渦中にいるなんて先週の俺には想像もつかないだろうな。実際そんなこと微塵も思ってなかったし。」
そしてこの混雑ぶりに驚いていたのは十階層でエリクシールを発見したトーンとグロットだった。彼らはガルンドの隣で目と口を餌をねだる鯉のように激しくぱちくりとさせて、視覚と聴覚からの情報をなんとか受け入れようとしていた。
「本当にお主らは行かなくてもよいのか?場所はわかってるんじゃし他よりも有利じゃぞ?」
「そりゃ俺達だって売れば孫の代まで遊んで暮らせるお宝が何の苦労もなくもらえるなら遠慮はしないけどさ…」
エリクシールが欲しいという意志は持っている二人。しかし彼らは十階層のどのマップにあるのかを伝えてから、自分たちは再挑戦するつもりがないことを昨日の聴取の内にガルンドに伝えていた。
「俺達二人だけじゃダンジョン攻略なんてとてもできないよ。仲間が死んだばかりだから新しくパーティー作ったり入れてもらうつもりもしばらくない。」
「もともとまたダンジョンに入ったのも簡単に死なないように特訓していただけなんだし。」
「死にかけて逃げるときにエリクシールを持ち帰れたのも死んだプーハさんとネクシさんがくれたんだろう。二人があの世で俺達に身の丈に合わない無茶はもうすんなって言ってるのさきっと。」
「もったいないのう…この機会に挑戦せねば次の機会など生きている内にまた来るかも怪しいぞ?」
「いいんですって。実力に見合わないお宝を時には諦めるのも冒険者に必要な資質でしょう?」
「それに…またあのマップに出られるかどうかもわかんないし。」
最もらしい理由を述べるトーンの目に他の挑戦者たちのような熱気は既になく、彼らは冷静になったという意味でダンジョンへの熱意が冷めていた。
「そうか…なら儂もこれ以上は引き留めやせんよ。お主の言う通り引き際を見極めるのも冒険者には大事じゃ。それをできん奴は欲張ってすぐに死ぬ。お主たち、きっと良い冒険者になるぞ。」
「ありがとうございます‼あのハイドラゴンバスターにそう言ってもらえると、俺達これからも頑張ろうって思えます‼見ていてくださいね…そのうち二つ名のある冒険者として大陸を騒がせて見せます‼」
「おう頑張れよ。楽しみにしておるぞ。」
向上の意欲を強く見せるグロットに、ガルンドもまた強く激励したのだった。
「でもま、俺達二人とも誰かがエリクシールを持ち帰って栄光を掴む瞬間をぜひとも見ておきたいんだ。だからしばらくはここにいるけどな。」
「それがいいじゃろう。なるべく儂の目の届くところにおれよ。今挑戦しようとしている連中の中には決して良心的な者ばかりではない。お主らがまだ隠し事をしているかもしれないと攫って拷問をする者達がおるかもしれんからのう。」
「わかってますって。俺達だってせっかく助かったこの命、無駄には…「おいグロット‼あっちでどこがエリクシルゲットするか賭けやってるぜ‼有望そうなのを見ておこうぜ‼」…ああ‼それじゃガルンドさん…俺達はこれで…」
「おう、ではな。…誰か手の空いている者はおるか?しばらく彼らといてやってくれ。」
トーンに呼ばれてグロットは去っていく。ガルンドは彼に職員を一人付けて自分の仕事である広場の様子見を再開したのだった。
「どんどんと人が集まってきたのう。イグニス達の二十五層攻略のチームは見当たらんが他のゲートかの?それにしてもいつでもこの盛況ぶりなら迷宮都市の財政管理も楽なのじゃが…普段も挑戦者は多いがそれだけでは意外と金にならんのじゃよ…」
挑戦者達が使う金や彼らが持ち帰る宝を売って動く金で財政面が潤うとギルド本部の幹部としての顔はほくほくであったガルンドだったが、ガルンド・シロイツ個人としての顔にはどこか憂いがあった。
「しかしクロノスの奴、どーこに行ったんじゃ?てっきりあやつも中央広場のゲートから入ると思ったんじゃが…どこにも姿が見えん。」
なぜならば彼が常日頃、目をかけている冒険者のクロノスが未だに広場に姿を見せなかったからだ。
「いや、クロノスだけではない。あやつらも…」
「ガルンド様‼」
「おお、戻ってきたか。して他のゲートの様子はどうじゃった?」
「はい、他のゲートの前でも変わらず挑戦者が押し寄せております。各所なんとか列を作らせていますが、それも持つかどうか…」
「うむ。いざという時は強硬制圧も構わんぞ。なに、挑戦者もここまで来て馬鹿をやらかしはしないじゃろ。ゲートを開放してどんどん送り込めばじきに静まる。そっちの方にもあやつらはおらんかったのかの?」
「はい…クロノス様どころか、S級五名全員がどこのゲート前にもおりません。そればかりか街の中にすら姿がないのです。」
他のゲート前の様子を窺いに送った職員からクロノス、シヴァル、ディアナ、マーナガルフ、ヘルクレスの誰もいなかったことを聞かされて、ガルンドは更に疑問を深めた。
「ううむ、五人全員か…いくつかのクランの団員はそこかしこにおるのじゃがの。」
中央広場に列を作る集団の中には、赤獣傭兵団とバンデッドカンパニーのダンジョン挑戦部隊が並んでいた。彼らも雑談こそしているが大人しくゲートの解放を待っている。さらに…
「お主らディアナのところの団員じゃろ?ディアナがどこにいるのか知らんかの?」
「…‼知らない‼知りません‼」
「私たちはクラン「ヴァルキリーの百合羽」です‼ワルキューレの薔薇翼などという私たちのパチモンクラン知りません‼」
「ちなみにヴァルキリーとワルキューレってどっちも戦乙女って意味なんだってー。どっちで呼ぶかは個人の自由だよー。」
「そうよそうよ!ワルキューレ派とヴァルキリー派の溝は南の海の底にあるフッカンゾ大海溝よりも深いのよ‼」
「おおそうじゃったか…すまなかったの。」
否定してきた冒険者たちにガルンドは謝罪して、職員がいたところまで引き返してきた。
「彼女達ワルキューレの薔薇翼の団員なのですか?本人たちは否定していましたし薔薇の模様が見えませんが…」
「やっすい変装をして模様を隠しているが間違いないじゃろ。だいいちにあの背の高い女子はどう見てもリルネじゃし。ディアナも部下を抑えきれないと言っておったし、どうせ彼女が姿を見せないのをいいことにダンジョンに入ろうとしておるのじゃろうて。」
列に並んでいたのは、ディアナの部下のセレイン隊のルーシェを除いた面々だった。彼女たちは自らのダンジョン挑戦をディアナに禁止されていたが、彼女がどこかに消えてしまったことで街の巡回をこっそり放棄して変装までして列に並んでいたのだった。
「(ふふふ…あのハイドラゴンバスターの目すら欺いてやったわ‼変装は完璧ね‼)」
「(ディアナ隊長もどっかに行っちゃったし…これはまたとないチャンスだよ‼)」
「(あとはロウシェ副隊長だけど…街の巡回で忙しいからこうやって列に並ぶ全員を一人一人検めることはできないはず。ダンジョンの中まで入ってしまえば追ってこれないね。)」
なお他のゲートでもセレインに同意したリューシャやアンリッタなどの他の団員が彼女達同様にパーティーを作り変装をして列に並んでダンジョン解放の時を待っていた。命令を忠実に守り街を巡回している団員はもはや指の数しかおらず、仮に何組か見つかっても残りは確実にダンジョンの中へ行けるだろう。勝利を確信するセレインたちだった。
「セレインさー、隊長殿に怒られる前に戻った方がいいんじゃないの?」
「ここまで来たら皿まで食らえよ‼リルネさんにも食べてもらうからね‼リーダー命令よ‼」
「うひゃー、命令なら仕方ないね。でも私がついていくのは渋々だからじゃないよ。みんなの引き際を見極めるためだからねー。」
「好きに言ってなさい‼十階層なんて一日で突破してやるんだから‼」
「(たぶんこのメンバーじゃ三層目くらいが限界だねー。危ないときはセレインの首根っこひっつかんで帰ろうっと。それにしてもギルドすら足取りを補足できないとは…隊長殿も段取りが上手くいっているようだね。セレイン達もここにいる挑戦者もギルド職員も楽しみにしているといいよー。全員すぐに驚くことになるだろうからね。…これ美味しいな。)」
ディアナのいない理由を知っているリルネは、そうやっておやつに買った干し芋を齧りながら仲間に見られぬようにしてにやにやとほくそ笑むのだった。
「(あの様子じゃハイドラゴンバスター殿も気づいてないみたいだし…)」
「さて、コストロッターにもバーヴァリアンにもヴェラザードにも連絡がつかんし…今になってダンジョンに行かないことにしたというのならそれはそれでよいのじゃが…どうやら一波乱起こりそうじゃて。」
「ガルンド様ー‼あっちで列を巡るトラブルが…‼」
「はっは…両成敗じゃな。…まぁあやつらのことは列を整えながら待つことにしようかの。おそらくこの中央広場に来るじゃろうから。」
リルネに見張られるガルンドはそう口に出して、それからトラブルを収めるために列のその場所まで歩いて行った。
-------
「いやぁ、全員に納得してもらえてよかった。一人でも断られたらどうしようかと内心焦っていたんだよ。ナナミ達が帰ってくるまで心臓バックバクでいつ爆発してもおかしくなかったぞ。」
「血反吐が飛び散らなくてよかったですわね。しかし各クランへ使者を出してまで何をしようと考えているのかはわかりませんが、エリクシールを手に入れるための計画が進められたのならあたくしから言うことは何もありませんわ。」
何かの目的で三つのクランへそれぞれ使者を送ったクロノス。彼は戻ってきた使者達から三人のリーダーが全員自分の提案に同意をしたことを伝えられ、大変に満足げであった。
「今は…十一時ちょうどってところか。ゲート開放まであと一時間…そろそろ中央広場は人でいっぱいに埋まっているだろうな。あそこはイグニス達が出入りしていたところだし。だけど他のゲートだってかなり混んでいるだろう。」
夜空を見上げるクロノスはそんなことを呟いていたが、隣にいたイゾルデは別のことが気になっていたようだ。
「時計もないのにどうやって時間を正確に測っているんですの?」
「そりゃ夜空の星々の位置から割り出すのさ。空の星は正直者だ。種類は季節によって異なるが毎年必ず同じ顔を見ることができる。…いや待て。むしろ天の星々は実は可愛い女の子で俺に会いに来てくれているんじゃないのか!?…全員俺に会いに来てくれる。フフ、モテる男はつらいな…やぁベガ、久しぶり。きれいになったね?君は…まさかアルタイル!?驚いた…とんだ別嬪さんになったじゃいか見違えたよ‼」
「あの…」
「あっと失礼。夢の世界の星の娘々が可愛くてね…オホン。空の星が俺達冒険者にいろいろ教えてくれるのもそうだが、腹が減ったり眠くなれば体内時計も参考になるぞ。人里離れた山奥や森の中なんかで役に立つ能力だよ。優秀な冒険者ならだれでもできることだ。」
「冒険者の技能にはそのようなものもあるのですね。それよりもクロノスさん、皆さまはゲートに並び始めているようですが…あたくし達は行かなくてよろしいんですの?」
広場は人でごった返しているとクロノスは言ったが、それはあくまで彼の予測に過ぎなかった。なぜならクロノスとイゾルデはゲートのある広場にも他のゲートの設置場所にも…とにかく街のどこにもいなかったからだ。
二人(とイゾルデの護衛の騎士二人の計四人)がいたのは、街の外の空き地だった。ここは赤獣傭兵団とバンデッドカンパニーの両方がそれぞれ拠点にしている場所から最も遠く普段から人があまり来ないことに加え、今夜は皆ゲートの前まで行っていることも相まって、周囲には他に誰もいなかった。
「ダンジョンへ向かう前に最後に確認しなきゃいけないことがあるからな。これは人目があるとまずいんだ。この辺なら街のすぐ近くだしモンスターも襲ってこないから大丈夫。」
「最後の連携の確認か何かでもするんですの?しかしナナミさん達はおりませんし…それに急がないと行列に並び損ねてしまうのでは?」
「大丈夫だ。俺を誰だと思っている。」
「そうですね。クロノスさんは特権で並ばなくても入れますから。」
「あら…?ヴェラザードさん…いつの間に?」
「こんばんはイゾルデ様。今宵は月が綺麗な夜ですね。満月の二分欠けといったところですか…完全な満月ならば今宵の雲一つない夜空はもっと素敵だったでしょうね。」
問題ないと言い切るクロノスの隣には、いつの間にやら彼の担当のヴェラザードがいて、彼女もまた夜空を見上げてそこにある大きく輝く月を眺め、その月光を全身に浴びていた。
「満月ではないが今回はこの二分欠けが助かる。まぁもう少し待ってくれ。そろそろあいつが来る頃だろうからさ。」
「あいつ…シヴァルさんのことですの?それともナナミさん達…」
「いいや。あいつは最終調整の計算中だ。待っているのはさ…」
「よぉ、俺様が最初か?ギャハハ…」
「あなたは…‼」
クロノスの言葉にかぶせるようにして、物陰から現れたのはマーナガルフだった。彼はこちらへ歩いて着ながらきょろきょろとあたりを見回して、他に誰もいないことを確認してからクロノスに話しかける。
「…来やがったかマーナガルフ。時間ぴったりくらいだったな。」
「オイオイオイ終止符打ちさんよぉ…もしかして他はまだ来てないのかよ。俺が一番の若輩者だからって最初に来させるなんて舐めてくれるなオイ…‼」
「最初も何も君だけ早めの時間を指定していたんだ。他は時間通りに後から来るから。」
「あん?なんでそんなことを?」
「それはな…用意はできたかヴェラ。」
「はい…こちらに。」
自分一人だけ早い時間に来させられた理由がわからず首を捻るマーナガルフに答えようと、クロノスはヴェラザードに指示を出すと彼女はいつの間にか持っていた書をしまうための筒を持っており、その中に入っている丸められた一枚の紙を取り出していた。
「少々お待ちください。今広げて戻しますので…第三者が見ないように手順を踏まずに開くと爆発してしまうのですよ。」
「その紙はなんですの?」
「これをマーナガルフに見てもらいたいのさ。それではっきりさせたいことがある。…おっとその前に…」
そう言って言葉を途中で切ったクロノスは、息を大きく吐き出した瞬間…消えた。
「あら…クロノスさんはどちらに…」
「ぐっ…!?」「ありゃ…!?」
「すまないな…少し寝ていてくれよ。」
「えっ…!?」
クロノスがどこへ消えたのか探すイゾルデだったが、背後から呻き声が聞こえ、そちらを振り返ると、そこには消えたクロノスと気を失いその場に倒れる二人の騎士がいたのだった。
「本当なら呻き声もなく倒れてもらいたかった…さすがは鍛えられた国の守護者だ。」
「どうしたのですかお二人とも‼…貴方の仕業ですのクロノスさん‼」
「ちょっと眠ってもらっただけだ。こうしないと続けられないからな。君も聞かれたら困る内容だろうし。」
「なんですって…?」
イゾルデのためでもあると言うクロノスだったが、彼女にはこれといった心当たりがなかった。だがクロノスはしらばっくれるなとばかりの態度である。
「あたくしにはわかりませんわ。マーナガルフさんにその紙を見てもらうことがなぜ重要なのですか?いったいその紙には何が書かれているんですの?それにどんな情報が…」
「情報…ああ、これには文字が書かれているんじゃあないんだ。ある絵が描いてあるのさ。その前に二人の体勢を整えないと。いやぁ、ごめんな。さっき言った通り全部終わったら色町に遊びに連れてってあげるからなー。」
イゾルデに答えながらクロノスは無造作に倒れる二人の騎士を地面に仰向けの姿勢で寝かしなおして、それから続きを話しだす。
「俺の担当であるヴェラことヴェラザードには俺の担当にふさわしい、いくつかの常人離れした特技が備わっていてな。その中の一つに、似顔絵を描くことがあるんだ。」
「似顔絵…?」
「そうだ。彼女の似顔絵は精巧なんてものじゃなくて、まるで描かれた本人が絵の中に直接埋め込まれたのではないか…そう錯覚するくらいにそっくりに描けるのさ。まぁ彼女は元々その絵の才能で指名手配者の手配書を制作する部署に所属していたようだが…それから受付嬢になったんだっけ?」
「いえ、受付嬢の業務の傍らに作成の仕事を手伝っていただけです。それに絵の才能と言っても風景画は苦手です。それに似顔絵でなく模写と言ってください。」
「そうだっけか。まぁそれはどうでもいいんだ。今は君の才能の方が大事なんだよ。」
「ではその紙に描かれているのは人の絵ですの?いったい誰の…」
ヴェラザードが丸まりを直しているその紙をイゾルデは見つめた。夜の暗がりゆえに月明かりのわずかな光では少し離れたところにいるヴェラザードの持つ紙に描かれた絵を見ることはできない。しかしそれが自分にとって良くないものであるとイゾルデは感じ取っていた。
「イゾルデ嬢。俺がヴェラにポーラスティアの王都にまで向かわせてやらせたのは何だと思う?」
「それは…この流れですもの。似顔絵と関係あることなのでしょう。しかしてっきりあたくしはヴェラザードさんが王都のギルド支店まで何かの情報をとりに行ったものと…」
「私が向かったのは王都のギルド支店ではありませんよイゾルデさん。私が向かったのは…王城の方です。」
「王城に?そこで何を…」
「ですので…ポーラスティアの王城にぱぱっと忍び込み、ちゃちゃっと描いてまいりました。…今なお眠り続けるイザーリンデ姫の影武者さんとやらを。」
「…‼」
しれっと答えたヴェラザードの言葉を聞いて、イゾルデの体に衝撃が走る。そして予想を確信へと変えた。あれは、絶対に、レッドウルフには見せてはいけないものだと。
「…」
しかしそんなこと知るかとばかりにクロノスはヴェラザードが平らに直し終えた紙を受け取り、それを天高く持ち上げてひらひらと振る。
「ここで一つ。とっても絵の上手いヴェラの誠心誠意真心込めて描いた絵を、いろんな国の要人の顔をしっかり覚えているマーナガルフに見せると…果たしてどうなるだろうかな?」
「それではマーナガルフ様。こちらを…」
「アァン…?」
答えを聞いて驚愕するイゾルデを視界の端に捕らえながらヴェラザードはクロノスから紙を返してもらい、それを持ったままマーナガルフの元までてくてくと歩いていき、紙を彼に手渡したのだった。
「ほぉ…こりゃ上手いな。俺様んとこのコストロッターのお嬢の落書きとは大違いだ。マジで人間の首がインクに変換されて埋め込まれてるみたいだぜ…」
「実際のモデルは眠って目を閉じて眠っておいででしたので、目を開けた状態はイメージして描いてみました。瞳の色は無理やり手で開けて確認済みです。」
「強引だな…さぁマーナガルフよ。そこに描かれている絵の女性と目の前にいる本物の女性。どちらがイザーリンデ姫だと思う?」
「何言ってやがる?…オォウ。俺はてっきりこっちの女がそうだと思ってたんだが…両方を見比べりゃ馬鹿でもわかる。」
マーナガルフはクロノスにそう尋ねられて、まずは紙を月明かりに照らしてそこに描かれた女性の顔を見て、それから現実にいるもう一人の女性の顔を見て…二人の顔を見比べたマーナガルフは前置きをしてから、答えを出した。
「こっちの絵の中の女がイザーリンデ公じゃねぇの?どっちかか片方しかいないのなら俺も見間違えるくらいにそっくりだが、二人並んだらどっちが本物か一目瞭然だ。こりゃガキでもわかるぞ。」
「そうか。それなら目の前にいるイゾルデという名を名乗るこの女性は…誰なんだろうなぁ?」
何食わぬ顔で答えるマーナガルフにそう言ったクロノス。そしてマーナガルフから視線を外し、何も言わずにただじっとこちらを見つめるイゾルデに移した彼の目は、紅くぎらぎらと光っているのだった。