第133話 そして更に迷宮を巡る(それぞれの勢力での出来事)
場面はまたも転換して今度は迷宮都市の外にある空き地である。
ここではマーナガルフ率いる赤獣傭兵団の面々がテントを張り、迷宮都市に滞在するための仮の拠点としていた。彼らは二百人近いクランの人間全員がこの地を訪れていたので、街の中に全員が泊まれるような場所がない。そのために街の外にこのような拠点を作らなくてはならなかったのだ。
しかし冒険者であると同時に戦いを求めて各地を旅する傭兵である彼らにとって空き地を心地よい住処に変えることなど容易であったし、まともに寝られない環境の多い戦場に比べたらはるかに上等な寝床だ。そのため何かしたといってもテントを張り火起こし場をこしらえた程度だったが、彼らにとっては実に快適であった。
「…あちゃー。この辺ぜんぶ刃こぼれしてやがる。昨日亀みたいなモンスターを斬った時にできたんだな。ダンジョンだと薄暗いから気づかなかった。直してもすぐまた壊れそうだし新しいの買おうかな?」
「そんな金あんのかよ。」
「ないな。昨日まではあったんだが全部酒と女に使っちまった。」
「アハハ馬鹿じゃねぇの。…ん?俺のナイフもひびが入ってやがった。こいつの馬鹿がうつったかな?」
「うつるも何も俺達全員元から馬鹿だしな。ギャハハ‼」
「兄貴の言う通りだな‼ギヒャヒャ‼」
テントの中ではマーナガルフがいて、自慢の鍵爪を磨いて昼食後の暇をつぶしながら、同じように武器の手入れをしていた子分たちと今後を話し合っていた。…話し合いと言っても酒や女などくだらない雑談がほとんどを占めていたのだが。彼は自分をこき使う嫌な女ディアナにダンジョン解放まで準備と待機と言われ拠点に戻っていたのだった。
「兄貴よぉ…俺らはこれからどう動けばいいんだ?」
「もたもたしてたらエリクシール取られちまうぜ。そしたら風紀薔薇とあそこの女共に一人残らず殺されちまう。」
「落ち着けよ…どうせダンジョンには夜まで入れねぇんだ。ガルンドの爺さんには感謝だな。俺らは昨日の夜に戻ったからもし封鎖されてなかったら二、三時間後の日付が変わったとたんに風紀薔薇にすぐまたダンジョンにぶちこまれて、それから休む間もなくダンジョン攻略するはめになっただろうからな。今はあの女の命令待ちだが、間違いなく今夜に二十五階にぶっ飛ばされるから覚悟しておけよ。間違いなく十階層よりそっちのがキツイだろうからなぁ。ギャハハ…」
「うわ…一度クリアしたとこをもう一度とかめんどくせぇ。」
「安心しろよ。どうせ違うマップに出るだろうから一から探索のし直しだ。あのくらい深いと地図も殆ど売ってないみたいだしな。」
「うへぇ…この間手を出した女よりめんどくせぇ。」
「お前どんな事故物件に手を出したんだよ‼ぎゃひひ…‼」
作業の手を止めてげんなりとする子分をマーナガルフと他の子分はげらげらぎゃはぎゃはと笑っていた。
「二十五階に行くのは確定として…そこには誰を連れて行く?」
「そりゃ当然前に突破した奴らだろう。つーかそれしかいない。」
「でも下の階層に連れてったのは怪我の完全に治ってないのがけっこういるぜ。そいつらまで連れて行ったら今度こそ死人が出ちまうぞ。」
「だはは。俺もまだ右腕が折れたまんまだぜ‼」
「俺もだ‼足の付け根がなんか変‼」
「お前らなぁ…戦わなくてもいいモンスターにまで突っ込んでいくからそうなるんだ。きちんと体の方も手入れしておかないと後遺症が残るぜ?金やるから後で医者に診てもらえ…やっぱなし。俺が後で直接払うからツケてもらっておけ。お前らに金渡したら碌なことに使わねぇ。」
「俺ら金なんてもらったらたちまち酒か女に変わっちまうからな‼」
「その通り‼俺らを治すのはいつだって女と酒なんだからよ…‼」
「こいつらコストロッターのお嬢がいないのをいいことに好き勝手言いやがって…ホント品性がなくてやんなっちゃうぜ。」
「兄貴って本当にあのお嬢が好きだよな。担当があれになってからずっと担当変わってねぇもんな。」
「だよな。前は十日持てばいい方とかいって何日続くか賭けあって、何とか持ちそうな奴が出たら少ない日数で賭けた連中がこぞってセクハラや風呂の覗きなんかの嫌がらせをして無理やり辞めさせてたもん。」
「そういうの本当はアホらしいからやめろよ。だけどそのくらい耐えらんなかったらどうせ別のことで辞めちまうんだ。痛い目見る前に辞めさせるのも善意ってもんだな。ギャハハ…」
マーナガルフがS級になってから彼の元にはギルドから担当職員が派遣されてきたが、そのいずれもが担当を辞めてギルドに帰還していた。理由はあきらかで赤獣傭兵団という戦闘狂でむさ苦しい男の傭兵しかいない環境に馴染めなかったのだ。
「だけど今の担当のコストロッターお嬢はこれまでの奴らとは違うぜ。ガキだがウマが合うっつーか…ちょうどいい感じがするんだよ。」
「(やっぱ兄貴ってロリコン…)」
「なんか言ったかよ?」
「なんでもねっす…」
「早よお嬢帰ってこねぇかな。あいつは話し相手にゃ本当にちょうどいい。品性がお前ら汚い傭兵とは違うんだよ。俺は頭の良い馬鹿だからたまには品のある話がしてぇんだ。」
担当であるコストロッターは昨晩のダンジョンからの帰還の報告をするために、本日は街の中のギルドの支店で報告書を作成しておりこちらに顔を出していなかった。本当ならば昨晩の内に報告書の作成をするべきなのだが、コストロッターは十歳に満たぬ幼女なのでその時間はお休みの時間だったのである。
「あーヒマヒマ。誰か適当に殴っていい?」
「やめてくれよ兄貴。それやって前に一人頭の形が変わったろ?」
「うるせー。その時の刃後で治してイケメンにしてやったんだから釣りをもらってもいいくらいだ。そんなことよりやることなんかねーのかよ?爪の手入れも飽きてきたぞ…」
「…うーす、兄貴いるか?」
話し相手のコストロッターがいないのでマーナガルフは本当に退屈であった。あまりに退屈なので自分をこき使うディアナを見習い、クランの風紀向上を目指し適当な子分に目を付けてボコってみるかと恐ろしい企てをしていたが、そこにテントの外から誰かが入ってきたので考えを打ち切った。
「アルゲイさんか…いるぞー。」
「おおよかった。テントにいなかったら街の中にまで探しに行かんきゃいけなかったぜ。」
「ラッキーだったなぁ。後五分遅かったらたぶんそうなってたぜ。兄貴ィ、アルゲイさんが用事だってさ。」
「ん?おう。」
外からやってきたのは赤獣傭兵団のサブクランリーダーのアルゲイだった。ナイフを研いでいたダンジョン攻略組の団員がぶっきらぼうに答えてからマーナガルフを呼ぶと、アルゲイはマーナガルフのいた方へ赴き用件を伝えてきた。
「拠点の外に女の子が二人来ているぞ。兄貴に会いたいんだとよ。」
「女ぁ?俺様のファンかよ。モテる男はつらいぜギャハハ‼…なんてな。俺は知らねぇぞ。誰だよこっちに俺の名前で娼婦呼んだのは。ヤりたきゃ街の中へ行ってこいって言ったろうが…それとも俺と友好を深めるために輪姦すプレイでもやりたいってのか?」
「兄貴、俺ら女は大好物だが独り占めするのが好きだぜ。バンデッドの乱痴気野郎どもじゃないんだからそれはない。」
「でひゃひゃ…女に関しては兄貴にも髪の毛一本だってくれてやらねぇ。」
「そりゃよかった。もしいたのならクランでの性病の蔓延を防ぐために当事者のアソコをぶった切ってたぜ。」
「いや、娼婦じゃなくてな…なんでもどっかのクランの使者らしいぞ。」
「使者ぁ?どこのクランだよ一体…」
「女ってこたぁワルキューレのトコじゃないのか?」
「あいつらはオオカミの獣臭いのが移るとかでお高くとまって使者なんか来たことはなかったけどな。俺があっちに行っても追い返されるから報告が面倒だぜ…おっとそうだアルゲイ。クランの名前は?」
マーナガルフにクランの名前を尋ねられたアルゲイは少し考えてそれから答えた。
「えーと…猫の手も借り亭だっけっか。たしかそんなん。」
「猫の手ぇ?なんだよそのふざけた名前のクランは。獣人じゃあるまいし猫に手なんかあるわきゃねぇだろうが。あるのは前の足だけだ。そして俺様に会いたきゃリーダーが自分で来いっつの。…まぁ暇だから気まぐれに特別サービスで顔だけ見ておくか。どれどれ…」
マーナガルフは暇であるからとちょうど手入れの終わったグローブをその辺にぽいと投げて立ち上がり、アルゲイと入れ替わりでテントから出て現場へと向かった。
「おう兄貴。お出かけか?」
「いや、客が来てるらしいから様子を見にな。」
「そうかよ。俺らもいつまでも待機は飽き飽きだぜ。」
「なら街で大工やってこいよ。もう少しで仕上げらしいぞ。」
「それは勘弁だな。」
「だろ?今夜ダンジョンでこき使ってやるから楽しみにしてな。」
テントから出たマーナガルフは、外でカードで遊んだりくだらない雑談をしたり武器の手入れをしたり街の修理の役割り当てを話し合っている子分たちに声を掛けながら、その間を潜り抜けて歩いていった。
「…何人かいねぇな。街の修理以外は基本待機で出かけるなら俺に言ってからっつておいたのに困った子分たちだぜ。どうせ酒か女か喧嘩でもしに行ったんだろうな。俺様だって行きたいってのに…戻ったら適当にボコるか。」
あいつがいないあいつもいないとマーナガルフは見えない団員の顔を頭に描きながら、戻ってきたら気晴らしにリンチしてやろうと心に決めてテント群を抜けていく。
「…あそこか?俺達男だらけのオオカミさんの拠点に女を送るたぁどこのアホクランの連中なんだか…」
拠点の端に来たマーナガルフはそこから少し離れた街側の方で何人かの子分が二人の少女を囲んでいる姿を見つけ、風に乗って流れてくる会話を拾って状況を確かめながら向かった。
「だから兄貴にゃ合わせられねぇって。猫の手もなんちゃらなんてクラン聞いたことねぇ。」
「お前たちがクランからの贈り物だとしても兄貴はもっと幼い子が好みなんだよ。お前らじゃちょっと年を食いすぎてるから。」
「マーナガルフさんがロリコンだとかそういうのはどうでもいいから早く案内してください。無理ならここまで呼んできてよ。」
「一杯お酌に付き合ってくれるなら考えてやってもいいぜ。でも俺らもちょっとお前たちは子供だから対象外。ギャハハ…‼」
「そっちの姉ちゃんならなかなかイケそうだぜ。」
「私は男に興味ないって…」
「なんだぁ?レズかよ。」
「女にも興味は…これ何度やればいいんだろう。早くレッドウルフを呼んでくれない?」
そんな感じで二人の女性はマーナガルフを呼ぶように囲む団員たちに催促してきたが、取り囲む赤獣傭兵団の団員たちはまったく聞き入れてくれなかった。
「…おい。どこの誰かと思ったら見覚えがある女じゃねぇか。…悪いさっきのへぼクランってのなしだ。いい名前だと思うぜ猫の手もナンチャラ。うんそうに違いない…」
「あっ、兄貴。こいつら兄貴に用があるらしいぜ。」
「おうご苦労。二人とも俺の知り合いだから通していいぜ。お前らは戻ってな。」
「なんだ兄貴の知り合いだったのかよ。…二号と三号か?」
「失せろバーカ。」
「ケヒヒ…冗談だっての‼怖い怖い…」
「兄貴の手が出る前に退散退散っと…」
マーナガルフは二人の女がどこの人間かを知っている。なので大丈夫だと囲んでいた子分を散らせて自分が相手をした。
「そっちの団員さんひどくないマーナガルフさん?こーんな美女二人がお願いしているのに聞いてくれないんだもん。」
「あいつらも女を拠点に入れないように気を張ってるんだ。なんせ飢えた獣みたいな男ばっかりだからな…ギャハハ‼それで何の用だナナミよぉ?」
拠点に訪れた使者の女性というのはクロノスの手下のナナミとキャルロだった。彼女達にマーナガルフが用件を尋ねると、ナナミが懐から白い封筒をひとつ取り出して彼に差し出してきたのだ。
「えーと…クロノスさんからお手紙です‼」
「女から渡されたとしてもヤローが書いたラブレターなんざもらってもうれしくないぜ。」
「違う違う。これは親書だよ‼クランリーダー同士の公的なやり取りの証なんだって。できればこの場で読んで返事を私たちにもらいたいんだけど…」
「親書だぁ?開けさせてもらうぜ。どれどれ…」
ナナミが手渡してきた手紙を受け取ったマーナガルフは封筒を閉めていた封蝋の付近を乱暴に破り、中にあった二枚の手紙を取り出してからその中身を読んでみる。
「…なぁるほどね。それなら手っ取り早いか…おいナナミ。お前はこの内容を聞いているのか?二枚ともだぞ。」
「一枚は関係ないからって教えてくれなかったけど、もう片方だけは…ダンジョンの方は聞いてるよ。はじめはびっくりしたけど…」
「ならいい。もう一つはお前に関係ないから安心しろ。お前が聞かされている方は風紀薔薇にも同じ内容が行っているはずだし、あっちも首を縦に振るだろう。…この話受けるぜ。」
「ホント?よかったー。断られたらどうしようかと思ってたよ。」
「よかったねナナミちゃん…こっちだけ同意がとれなかったら大変だったよ…」
「そうだねキャルロさん。」
マーナガルフが手紙の内容に同意したことをナナミに伝えると、彼女はほっと平坦な胸に手を引っかけることなくすぅと撫で下ろした。隣のキャルロとかいう仲間も同じ反応だった。
「それじゃあ来て早々だけどクロノスさんにマーナガルフさんの返事を伝えに行かなきゃだから、私達戻るね。」
「おう、悪いな茶の一杯も出せなくて。どうせ酒くらいしか出ないんだけどよ…ギャハハ‼」
「あはは…それじゃあ失礼します。時間に遅れないようにってクロノスさん言ってたから気を付けてね。」
「失礼しました…」
ナナミとキャルロの二人はぺこりと頭を下げてから、街に戻っていった。
「さぁてと…今夜が楽しみになって来たぜ。爪の手入れをもっとしっかりやっておくか。…足引っ張るわけにはいかねぇからな。それにその前に俺だけ一仕事あるようだし…ま、時間に遅れないようにしないとな。ギャハハ…‼」
今晩に入った予定に気分を高揚させるマーナガルフは、げらげらと下品に笑いの声をあげながら自分のいたテントへ戻っていった。すべては今夜に起こるから、武器の手入れの後はそれまで仮眠でもとっておこうと。
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「十階か二十五階か…」
「どっちにも送れないのか親分?」
「俺らは二十五階までを昨日でちょうど攻略し終えている。だからもう一度そっちに行って十階は街の修理の手が空いた奴を行かせたら…」
「でもそれだと一階からやらせなきゃだから時間が…」
「ぐー…」
「おいコイツ寝てるぞ。」
「誰か水でもぶっかけろ。」
「酒でもいい?ひっく…」
「会議中に酒を飲むなよ。」
「そもそも俺らに会議やれってのが無理な話よぉ…俺にも一杯くれ。」
「そうだな…俺にも一杯くれ。」
「俺にも一杯…」
「へいへい…って親分!?いきなり顔出さないでくれよ。びっくりしちゃったじゃん。無駄に大きいんだからよ…」
「いやぁすまん。ワシも酒でも飲まにゃやってられんよ。」
「そういや親分、ワシか俺かで統一しないんすか?」
「ううん…妻に年寄りの貫録を出せとワシ呼びを強要されてるがなかなか俺呼びも抜けなくてな…どっちも半々で使ってるな。」
マーナガルフがナナミから手紙を受け取っているのと時を同じくして、こちらはヘルクレスのバンデッドカンパニーの拠点だ。ここは赤獣傭兵団の拠点にしている空き地から迷宮都市の外門をぐるっと半周した反対側にあり、彼らは赤獣傭兵団と同じように簡易のテントを空き地に張ってそこを仮拠点にしていた。
「親分。終止符打ちのところから使者だとよ。」
「なに、クロノスだと?」
テントの中でも特に大きめのテントの中でダンジョンを攻略している団員と作戦を考えていた(前述の話のような内容が意義のある会議といえるかは人によるだろうが)ヘルクレスだったが、そこに外から団員が新たに一人やって来て彼に来訪者が来たこと伝えてきた。
「猫獣人の女が一人と男女のガキが二人なんだが…通していいか?」
「…わかった連れてこい。お前ら悪いがちっと休憩にしてくれ。」
「ちょうどよかった。便所に行きたかったんだ…」
「お前ちょっと街から飲み物でも買って来いよ。お前の分も金出すからさ。」
「なんでもいいんですかい?酒とか買ってきちゃうぜ。」
「おう。あとジュースでも買ってきてくれや。子供は酒は飲めないだろうからな。」
ヘルクレスは伝えに来た団員に来訪者を連れてくるように指示し、それから他の連中を外に出して一人で来訪者を待った。
「連れてきましたぜ親分。」
「おうご苦労。お前も外してくれや。」
「にゃにゃにゃ…やっぱり大きなお爺ちゃんだにゃ…」
「何を食ったらこうなるんだろうな。」
「二人とも失礼だよ…‼」
しばらくすると先ほどの団員が話に聞いた通り三人の男女を連れてきた。そしてヘルクレスは団員を帰して三人に話しかける。
「おう‼クロノスんとこの…えと、だれとだれとだれだっけ?」
「…リリファだ。」
「アレンです。」
「にゃあはニャルテマにゃ。二人のお守りで着いてきたのにゃ。」
「ガッハッハ…すまんすまん。どうもこの年になると人の名前を覚えるのも一苦労でな…そもそも聞いてないような気もするし…んで、お前らワシに何の用だ。」
「クロノスから手紙だ。読んで返事を聞かせてもらいたい。」
「手紙か?どれどれ…」
リリファが渡してきた手紙をヘルクレスは大きな手を出して指の先でつまむように優しく受け取ると、ルーペを取り出してそれを眼鏡代わりに手紙を読んでいた。
「みみっちくて悪いな。だが字が小さいとこうやらんと読めなんだ…」
「なんか学者みたいにゃ。眼鏡持ってないのかにゃ?」
「母ちゃんもいい加減ジジイなんだから見えなきゃ老眼鏡を買えと言ってうるさいんだが、それこそ年寄り臭くて嫌なんだよ。ふむ…」
そんなことを言いながら、ヘルクレスは指の先の爪で手紙をなぞり読み進める。そして最後まで読み終えたあとにもう一度中身を確認して手紙をしまった。
「あいわかった。受け入れよう。」
「あっさりだな。何か言われると思ったが。」
「これが手っ取り早い方法だから文句もない。どうせマーナガルフやディアナの方にも同じ内容が行っているはずだろうし、そっちでも受け入れているだろうからな。ここでワシだけ断ったら拗れてそれこそ面倒だ。…これは処分するぜ。」
三人に手紙の返事を伝えたヘルクレスは大きな手に乗せた手紙を炎の魔術で燃やす。して残った灰の山を息で吹き飛ばすと、それを見ていた三人に話しかけた。
「ご苦労だったな。今子分が街に飲み物を買いに行ったからゆっくりしていけよ。」
「いや、お前の返事をクロノスへ伝えないとだから私たちはこれで失礼する。」
「えっとごめんなさい。おいら達もういかないと…」
「そうか…ならしかたねぇ。だがそこの…リリファとかいう子ちょい待て。」
「…どうした?」
使命も果たしたので三人が帰ろうと背中を向けると、ヘルクレスがリリファを呼び止めた。
「お前らが聞かされたであろう方は問題ないんだが…一緒に書いてあった方で話がある。」
「私に?私は何も聞いていないが…わかった。」
「それじゃあおいらたちは先に帰ってるよ。」
リリファを残して、アレンとニャルテマは帰っていった。
「それで?私に話とはなんだ?くだらなかったらすぐに帰るぞ。」
「ワシ相手にいい度胸してんなオイ。クロノスもこの威勢を買って団員にしたのかねぇ…?ま、いいか。ちとおめぇのその、脚に装備したナイフ…宝剣について教えることがある。」
「なに…!?ふん、どうやらくだらなくはないようだったな。聞かせてもらおうか…」
リリファはそう言って宝剣を取り出して紅い剣身をヘルクレスに見せたのだった。
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そして最後にもう一か所。こちらはディアナが率いるクラン、ワルキューレの薔薇翼が迷宮都市での拠点に借りている邸の中だ。
二階にあるディアナの執務室では執務机で腕を組んで顎を乗せているディアナの前に、多くの団員の女性が詰めかけていた。
「隊長‼我々もダンジョンへ行きましょう‼」
「そうです‼エリクシールがどこにあるのか発表されたんだ…もたもたしていたらルーシェを治す分が無くなってしまいますよ‼」
彼女たちがリーダーのディアナに要求していたのは、自分達のダンジョン挑戦の許可だった。
これまではマーナガルフ達に代わりにルーシェを治療するためのエリクシールを探しに行かせていたし、治安の悪化した街の警邏もあったのでディアナの命令によって抑えられていたが、エリクシールの場所がわかったことにより見つけてくるのを赤獣傭兵団だけに任せておけないと気持ちが逸り、こうして集団で要求に来ていたというわけだ。
「お前たち、街の巡回はどうした?商人とダンジョン挑戦者の間で物資の価格や品質を巡ったトラブルが起きていると聞いている。ギルド職員も忙しいし我々も力を貸さねば…」
「精鋭メンバー選出後にそれらでダンジョンに入る許可をいただけるまでお断りします‼」
「隊長が聞いてくれなかったら…炊事担当は今日の晩御飯を作りませんよ‼」
既に彼女たちは警邏に関してはストライキの意志を見せており、ディアナがこちらの要求を受け入れなければそれ以上の仕事の放棄をすると脅していた。ごはん大事だもんね。
「落ち着けお前たち。自分達でエリクシールを手に入れてくるといっても、この中でそこまで十層に行ったことのある者はいるのか?私の記憶ではいなかったはずだが。今探索を一層目からこつこつ始めたところで間に合うのか?」
「それは…問題ありません‼その程度、精鋭を揃えればすぐにたどり着けます‼」
「それがいかんと言っている。お前たちは焦りのあまり既に暗中に片足を突っ込んでいるぞ。ただ闇雲にそこまで目指せばいいというものではない…全員が無事に戻ってこれる保証はないし、一人を助けるためにそれ以上の犠牲が出ることの方が確立はずっと高いのだ。」
「ですが…ルーシェがこのままでいいのですか!?ルーシェの目を治す手段は他にアテがありませんし、このままでは…‼」
「わかっている。」
閉じていた目をぱちりと見開いたディアナは噛みつくように許可を求めている団員…ルーシェの属するチームのリーダーであるセレインに向って話した。
「私だってルーシェは可愛い部下だ。優先順位で切って捨てているわけではない。しかしお前たちもまた私の可愛い部下であることを忘れるな。お前たちの実力が無いと言っているのではない。私はお前たちが危険な目に遭うのを心配して…」
「だからといってこのまま手をこまねいているわけには…‼」
「わかっている。私とて何もしていないわけではない。きちんと策は用意しているからその中の駒にないお前たちはきちんと任務を全うせよと言っているのだ。」
「いったい隊長はおひとりで何を企てていると言うのですか!?それを私たちが納得できるように教えてください‼」
「そうですそうです‼」
「それは…」
ディアナは少し首を上に向けてそこにいるセレインや彼女の隊の仲間のラウレッタ、クレオラ、エーリカ。それに彼女達に賛同して詰めかけていたリューシャやアンリッタといったその他の団員たちに何かを言おうとした。…首を上に向けたのは座っているディアナよりも立っている団員たちの目線が高いから目線を合わせるためではない。それにはわけがあって、それがなんであるのかというと…
「というか隊長…ここから降ろしてください。」
そう言ってディアナに助けを求めるセレインは、天井から伸びた薔薇のツタにぐるぐる巻きにされて空間上に宙ぶらりんになっており、何かを口にするたびくるくると回転していた。
「うぇ~ん‼私縛られるよりも縛りたい女なのに~‼」
「ちょっと誰かナイフ持ってないの?隊長をセレインが引き付けている間にこっそり切ってよ。」
「無理だ…さっきからやっているけど、まったく切れない。さすがはディアナ隊長の魔術だな…」
見ればラウレッタ達もセレインと同じように、一人残らず天井から伸びた薔薇のツタにその身をぐるぐる巻きにされて宙ぶらりんであり、この部屋の中でそうなっていないのはディアナのみであった。
このツタはディアナが魔術で呼び出したもので、いろいろ要求してきたセレイン達が暴走して邸を飛び出さぬようにするための処置である。実際話を聞いていくうちにセレイン達は今夜こっそりダンジョンに挑戦する手はずを整えていたことをうっかり漏らしていたので、この対応は間違いでなかっただろう。そう先刻に行動をとった自分を称賛するディアナだった。
「とりあえず隊長。これ切ってください。そうでないと対等な交渉が行えません。」
「駄目だ。お前たちを放ししたら邸を抜け出してダンジョンに行くだろう?」
「行ったところで封鎖されているので意味がありませんので…」
「そう言って夜までどこかに潜伏して、ゲートが解放されたら挑戦者に紛れてダンジョンに侵入する腹積もりなのだろう。そうはいくか。」
ここにいる団員は自らダンジョンに入ろうと試みた連中であり、ディアナの命令も無視しようとした者達だ。ルーシェとエリクシールのために何をしでかすかわからない。ディアナは団員たちの解放を断固として拒否した。
「もういいです‼自分達で切り解いて…んぎぎ~‼」
「逃げようとしても無駄だ。このツタはレッドウルフと賊王を縛ったのと同じものだぞ。夜までこうして拘束させてもらうからな。」
「夜までですか…この体勢けっこうしんどいんですけど…」
「街の巡回を勝手に中止した罰だ。しばらくそうしていろ。」
「あの、トイレいきたいんですけど…」
「ここでしろ。見ていてやる。」
「そんな~‼」
お花を摘みにをダイレクトに頼む団員にディアナは夜まで我慢するかここで見守られてすべてをさらけ出せと非情にも通告した。
「こうしてこんな上級者向けのプレイしている場合じゃないんですよ隊長‼早くダンジョンに行かないと…‼」
「だから言ったろう。ダンジョンの件ならきちんと手は打ってあるさ。」
「手は打ってあるって…って隊長‼ぐるぐる回さないでください…あ~れ~‼」
ディアナは椅子から立ち上がり宙でじたばたともがくセレインをくるくると回して遊んでから、窓の外を眺めていた。
「た~い~ちょ~う~!?い~や~‼」
「ともかく少し待て。こうやってお前を回して遊んでいるうちじきに…」
「たらいまもほりまひた~。ふがふが…」
ディアナそう言ったところで廊下から誰かが入ってきて何かが口に詰まったように帰還を報告してきた。
「戻ったかリルネ。時間がかかったようだが交渉が難航したの…」
「もが…」
待ちわびていたとディアナが振り向き入り口に目をやったが、途中で言葉がつかえてしまう。なぜなら帰ってきた人間の正体であるリルネの口には串に刺した焼き魚が咥えられ、両手はいろんな軽食がいっぱいに詰められた袋で塞がっていたからだ。
「…かと、言いたいところだったのだがなリルネ。その口に咥えたものはなんだ?それと両手に持っている物もだ。」
「ほががむがむが…」
「何を言っているのかぜんぜんわからん。だが遅刻の言い訳を伝えようとしていることだけは理解した。」
「ごくん…いや~帰り道に出店の食べ物がおいしそうだったもんでつい…やっぱり育ち盛りの私にはちょっとの揚げポテトじゃ足りなかったんだね。」
「何が育ちざかりだ。お前は今年で二十五だろうが。昼食はお前が帰ってきたら奢ってやるから後にしろと言っていたのに、それすら忘れて遊んでくるとはいい度胸だな…」
「まあまあ、このリルネお役目はばっちり果たしてきましたよー。」
ディアナが不忠者なリルネを鉄拳制裁するのために握りこぶしを作ったところで、リルネの言葉でその動きをぴたりと止める。
「…そうか。それで返事はどうだった?」
「オッケーですって。目途が付いたら人を寄越すそうです。だからもう来る頃じゃないっすかね?」
「わかった。しかし使者が来る直全まで買い食いをするのは止めろ。何かが間違ったら使者の方が先に来たかもしれない。そうなったらこいつらの無様なさまを見られてしまうところだった。」
「ちっ、以後気を付けま~す。そういやみんな何してんの~?お土産いる?これとか美味しいよ。」
「ちょっとまて。今舌打ちしなかった?」
「さぁ~?…次はこれにしよっと。」
焼き魚を食べきり新たな袋をがさごそと漁って新たな食べ物を手にするリルネにディアナが問答していると、執務室の扉からノックが聞こえてきた。ディアナが入室の許可を与えると外から邸の入り口の警備を任せていた団員が入ってきて、ディアナに知らせる。
「お客様です隊長。なんでも猫の手も借して…じゃなかった。借り亭というクランからの使者だそうで…通しますか?」
「…ほら見たことか。お前のすぐ後ろから来てしまったではないか。」
「あらあらーこれはうっかりリルネさん。めんごめんごです隊長殿。」
空いた手で申し訳の欠片も見受けられない態度の敬礼のポーズをしたリルネにため息を一つしてから、ディアナは来訪者をこちらまで通すよう門番の団員に伝えた。
「失礼いたします。」
「ほぅ、貴方は…」
数分後、団員に案内されて部屋に入ってきたのは、漆黒のシスター服に下はミニスカートの女性だった。変わった風貌に加え顔と体のある一部分が常人のそれを凌駕しているその女性に、ディアナも団員たちも思わず見とれてしまう。
「わぁ綺麗な人…」「なんて美しい…‼同性ながら憧れを抱かずにはいられないわ…」「な、なんかよだれが…」「汚っ‼こっちに飛ばさないでよ。」「神聖教会のシスターさんかな?あんな人がいるのなら入信したい…‼」「あんな人に懺悔したい…‼」「でか…あんなでっかいと湯船で浮くんだろうなぁ…」「あ、洗うのが大変なだけよ‼街を歩けば男の下品な視線を向けられちゃうんだわ‼羨ましくなんてないんだからねっ‼」
「こらお前たち客人の前だぞ‼…失礼。」
「いえ、大丈夫です。それで私は…」
ディアナが口々に美人だのでっかいだの言い合う団員達を叱ってから現れたシスター服の女性に謝罪した。彼女はそれを受け取ってから、来訪の理由を話しだした。
「私は猫の手も借り亭に所属するセーヌ・ファウンボルトと申します。本日はそちらのクランリーダーのディアナ・クラウン様に、こちらのリーダーのクロノス・リューゼンが書いた書状を持ってまいりました。お手数ではございますが、この場で手紙に目を通して私に返事を頂けないでしょうか?」
「これはどうも…手紙を持ってきたのは貴方一人なのかな?」
「えっと…他にも三人ほど一緒だったのですが、ワルキューレの薔薇翼の拠点に向うと告げたところ「怖い」「食虫植物」「イイコトができない女なんて興味ない」などと言って途中で抜けてしまわれまして…私には理由はよくわからなかったのでございますが…一人だけで申し訳ございません。」
「いや…逃げた三人が言わんとしていることは理解できる。三人とも男だったのだろう?ならば私の想像通りだ。貴方が気にすることではないだろう。返事だな?どれ…」
謝ってくるセーヌを宥めたディアナは、彼女が丁寧に渡してきた手紙をすぐに開けて中身を読んだ。
「ああなるほど…確かにこれが一番手っ取り早いな。なんで気が付かなかったんだろうか。…セーヌさん。この件私も同意した。そちらのリーダーに伝えていただきたい。」
「同意していただき感謝します。ところで…」
「うん?どうしたのかな?」
「あの…天井におられる方々は何をしてらっしゃるのでございましょうか?新手の訓練なのですか…?」
「そうですねー。そう思って大丈夫かとー。隊長殿その手紙、私にも見せて~‼」
「あ、こら…‼」
首をかしげるセーヌに、リルネがそんな感じだと言ってディアナから手紙を奪って目を通していた。
「あーたしかにこりゃ手っ取り早くて確実な方法だね。今夜が楽しみだよー。」
リルネはそう言ってにへらと笑い、手紙を持つ左手とは反対の手に持った焼きとうもろこしを齧るのだった。