第132話 そして更に迷宮を巡る(街の裏通りでの出来事)
「やっと家の前まで着いたぞ…重すぎだろこの籠…‼」
大量の靴が入った大きな籠を抱えて自宅までの道のりを歩いていたゼルはリリファたちと別れた後も特に怪しい者に出くわすこともなく、何とか弟分であるレグとリータと暮らす家の前までたどり着くことができた。
「もう二度と持ち帰りの仕事なんかするもんか…次寄越されたらあのジジイの顔に投げ返してやるぞ…そんなことよりまずは水を一杯飲みたい…リータの奴、水汲んできたかな…ありゃ?家の前に誰かいる。」
後はこの重い靴の山を家の中に入れれば一休みできる。そしたらリータが朝の内に川から汲んで水瓶に溜めたであろう新鮮な水を一杯飲んでそれから昼食を食べて靴の修理の作業に取り掛かろう。午後の予定をそう立てて後ひと踏ん張りだと自らを鼓舞するゼルだったが、家の前に何人かの人がいたことに気づいて足が止まった。
「…お‼帰ってきたかゼル君‼」
「バンさん‼」
ゼルが籠を持って恐る恐る家の前まで近づいていくと、そこにいた男達中の一人がゼルに気づいて手招きしてきた。ゼルもその声と姿で男が知り合いであるとわかったので警戒を解いてその男の名前を呼んだ。
男の名はバン。この辺の裏通りで幅を利かせている男で、同時に浮浪児の運び人を取り仕切っている男だ。年は二十かそこらだそうだが、浮浪児出身ゆえに正確な年齢は本人でも知らないらしい。
彼は運び人になりたい浮浪児に中古の道具を安く売ったり、運び人を雇いたいダンジョンへの挑戦者と引き合わせてその手間賃をもらうことを生業にしている。自身も昔はいち運び人として客の荷物を背負ってダンジョンに潜り道案内をしていたらしいが、本人曰く出世したのでそういうことはもう自分ではしないのだそうだ。
そんなバンだが運び人でない浮浪児とも交流があり、そちらにも食いつなげそうな仕事を持ってきたり困ってるときに飯を恵んでくれたりもするので面倒見の良い男だと浮浪児の間では大変に評判が良い。ゼルもこの街に流れ着いたばかりの時、右も左もわからず野垂れ死になってしまいそうになった際に偶然彼と出会って飯を奢ってもらい、それから靴磨きの先輩への紹介と仕事のための道具をもらった大恩がある。そのためにどんなときでも失礼のできない相手だった。
「留守にしていてすみません。待たせちゃいました?」
「いいや、待ったと言っても俺らもちょうど今来たところでお前の家の扉を開けようとしていたんだが…って、どうしたんだよその靴の山。靴屋でも始めるのか?」
「冒険者の靴っすよ。靴屋のジジイに持ち帰りの仕事押し付けられちまって…」
「あぁ前にお前が通ってるって言ってた…調子はどうなんだ。」
「どうもこうもないですよ。ジジイがいつもいつも厳しくてやんなっちゃうぜまったく…」
ゼルはジジイがうざい、ジジイがキツイ、ジジイがケチ、ジジイが臭い…などとバンに愚痴を聞かせていたが、その顔は不思議と楽しそうだった。
「靴磨きの仕事もそのままやってるみたいだしお前も苦労しているな。そんな真面目に働いたって俺達じゃあ端金でこき使われるだけだぜ。靴磨きを勧めたのは俺だが嫌気がさしたのなら俺らみたいに運び人やったらいい。お前も俺の子分にしてやるよ。運び人は金になるぞ。今なんて特に客が多いから俺もこいつらも休む暇なしさ。…ま、今日はギルドがダンジョンに入れなくしたけど、広場で明日以降の予約をたくさんとれた。しかも相場の倍以上の金で。」
バンはそう言って周りの取り巻きを指刺してそれから指で金を示す丸を作っていた。どうやら一日ダンジョンに入れないくらいでは困らない程度には儲けているらしい。
「エリクシールだかなんだかでしょ?運び人の賃金には案内した日に手に入れたお宝の金額の何割かってのもあるし、そんなもの客が見つければバンさんたちも大儲けだろうな。でも…俺はこの仕事が気に入ってるんですよ。最初は食うために仕方なくって感じだったけどだんだんと面白くなってきてさ…いろんな靴を触って磨くだけでも楽しいですよ。」
ゼルは地面に置いた籠の中から無造作に靴を一足取り出して、それをじっくり眺めていた。
「それにダンジョンなんて危ないし俺には何の技術もないから入ったところですぐにモンスターに食われちまう。」
「モンスターの戦いは客の仕事さ。俺らは荷物持ちと道案内さえできればいいんだぜ。客が踏み倒してこないように最低限の身の守りはしなくちゃだけどな。」
「それでも俺はこれが性に合っているんです。そのうちあの煩いジジイを超えてやるさ。」
ゼルは街で靴磨きを始めたてだったころに靴屋の店主に会い、その腕をダメ出しをされて反応したのが出会いの始まりだ。口は悪いしすぐ怒鳴る困った爺だがそれも腕は確かでゼルはまだまだ学びたいと思っていた。
「ふぅん…なぁ、そのジジイ俺がなんとかしてやろうか?なに、軽くボコってやればもう少しお前に優しくなるかもしれんぜ。」
「えっ?…い、いやいいですよ。口は悪いけど腕は確かだから学ぶことはいろいろあるし…なにかあったらむしろ俺が困っちゃいますよ。他に浮浪児に靴のあれこれ教えてくれる職人なんて知らないし、バンさんが靴磨きの仕事を紹介してくれてそれが縁で会った相手でもあるからそこまで怨んじゃいませんよ。」
「そうかそうか…まだ腕を上げるのに使える価値があるならしばらくはいいよな。もし一人前になって店が欲しくなったら俺に任せな。その時はジジイが都合よくくたばってそいつの店が継げるかもしれないからよ…‼」
「ハハハ…バンさん面白いことを言うなぁ‼そんときは頼みますよ。」
「おうとも。まぁ俺に任せとけよ。ふふふ…」
バンの言葉を冗談と受け取ってゼルは笑い出した。彼の笑いにつられてバンも笑っていたが、実はゼルの方の笑いは乾いていた。なぜならこの男の冗談はどうしても冗談には聞こえなかったからだ。
貧しく食う物にも困る浮浪児仲間に評判の良いバンだが、その一方で黒いうわさも随分囁かれている。例えば生業の運び人関連にしても商売敵の悪い噂を流したり、名を馳せる有望な者を夜通りで闇討ちして運び人を続けられなくなるような重傷を負わせたり…その他言葉にできぬことを取り巻きを操り裏でしているらしい。しかしその辺りを触れるのはここらの浮浪児にとってタブーに等しい。そんなことをすれば次は自分の番かもしれないからだ。一人一人の力は小さい彼らにとって力のある運び人をまとめ上げるバンはこの裏通りで絶対的な権力者だ。何も言わずただ面倒見の良い兄貴だと持ち上げていれば仕事と飯がもらえる。それだけで十分なのだ。
「兄貴もゼルもげらげら笑うのもいいんだけどよぉ…ゼル君聞いてくれよ。俺、卒業しちゃったんだぜ‼」
「卒業…なにをですか?」
しばらくバンと一緒に笑っていたゼルだったが、それに嫉妬をしたかのようにバンの取り巻きが間に入って話しかけてきた。ゼルとしてはこんな男の話などどうでもいいが、それでもバンの取り巻きだ。ご機嫌をとっておくにこしたことはないとそれを尋ねると、男は得意げに語りだす。
「へへ、童貞だよ童貞‼実はよ…俺、この間初めて女を知ったんだ‼」
「…へぇ、そりゃよかったじゃないですか。先輩前から童貞卒業したいしたいって言ってましたもんね。娼館に行くだけの金を貯めてたんだな。どこの娼館に行ったんですか?」
「あ?違う違う…娼館じゃないよ。俺を雇った冒険者の女とヤッたんだよ。ダンジョンの中で‼いやぁ、女っていいもんなんだな。また是非お願いしたいぜ。」
「へ、へぇ…ダンジョン内でなんて刺激的な初体験でしたね。それで今はその女と付き合ってんですか?」
「いや…彼女とはそれっきりだよ。ダンジョンの中で別れたからその後は会ってない。」
「そ、そりゃ…また会えるといいですね。」
「まさか。もしまた会ったらおっかねぇぜ。なんせ終わった後にずたずたに斬って…おっと、なんでもない。ギヒヒ…‼」
初体験を喜々として語る男にゼルは気が落ちていた。おそらくその行為は対等な関係で行われたものでないとなんとなくわかっているからだった。
バンの取り巻きの運び人は皆浮浪児にしては体格もしっかりしており優秀なのが揃っているがバンと同じく黒いうわさがあった。それは時々自分達を雇った客をダンジョン内で襲い金品を強奪しているといううわさである。その内容は残酷で、降参をして武器や金目のものを差し出し背中を見せて逃げ出した相手に後ろからナイフで突いたり、相手の足を斬って逃げられないようにしてからそれが女なら気が済むまで犯すとか。うわさで聞いた中で一番酷かったのは身ぐるみを下着の一枚残さず奪い取り、モンスターのうろつくダンジョン内に置き去りにするというものだった。
そんなことをすれば被害者も高確率で命を落とし、彼らは殺人犯になる。だが客を殺してしまって自分達だけで帰って来てもダンジョン内では他に誰も見ていないので自分たちが殺しの犯人だと言う証拠は残らない。それに客が帰ってこないとしても「今日一日だけの雇用だった。後は自分達だけで探索するんだって。」とか、「モンスターに襲われてパーティーがバラバラになり一人はぐれたので安全のために自分だけ逃げてきた。」などと一緒にいない理由を適当に言ってゲートの前の門番をはぐらかす。門番も少しは疑うが証拠もないしダンジョンの中で死人が出て帰ってこないのは日常茶飯事…彼らの強盗殺人の数百倍は多いのだ。結局後日に客が戻ってこなくてもダンジョン内の罠やモンスターに殺されたとして扱われ、運び人には何のお咎めもない…まさに文字通り迷宮入りの事件と化すのだ。
さすがに何度も彼らの雇い主がダンジョンから帰ってこず運び人だけが戻ってくれば怪しまれギルドに目を付けられるので、強盗行為はやるにしてもほんの時々、それこそカモになりそうな弱い連中が雇った時だけにしているのだろう。普段は本当に真面目な運び人をやって、時々小遣い稼ぎするのが摘発されない良い運び人である。…以上がゼルが浮浪児仲間からよく聞く彼らのうわさだった。
「(信じるしかない…運び人がそんなことやっているはずがないとしか…それに本当だったとしても浮浪児の傷つけた盗んだ殺したなんて日常だ。バンさんだって舐められないように頑張らなきゃなんだろう。襲われた客も襲われるような弱い奴だったんだろうぜ。どうせ強盗されなくてもモンスターに襲われて死んでいたさ。)」
「それでさゼル君聞いてる?女の肌って柔らかくてさ…それこそナイフを首筋にぶっ刺して…‼」
「おいその辺にしとけ。ゼル君が誤解しちゃうからよ…?」
「あっ、すいません…」
「ったく、素人にぺらぺら話すんじゃねぇよ。すまないなゼル君。こいつその日の興奮がまだ抜けないみたいでな。だからちょっと大げさに…ゼル君?」
男の自慢話をバンが打ち切ってそれからゼルに話しかけたが、ゼルは黙ったままだった。
「(バンさんも現役のころはやっぱりやってたんだろうか…今でもやってるかもしれねぇ。だが俺には関係ないことだ。バンさんと取り巻きがそんなことやってるなんて言いふらしても俺には得にならねぇし、むしろ損しかないぜ。もし言ったらどんなことをされるか…)」
「どうしたゼル?汗なんて掻いて…今日はそんなに暑かったけな。」
「だ、大丈夫だよバンさん…あはは。」
バンの内に秘めたる恐ろしさにゼルは身震いしたが、それをバンに気取られぬように何とか振り切って愛想笑いを取り戻した。
「それでバンさんの用ってなんだったんだい?」
「おおそうだ‼すっかり話が逸れちまったぜ。お前が無駄話に巻き込むから…」
「へへ…すいません…」
ゼルに言われて忘れていたと手をぽんと叩き自慢話をしていた取り巻きを軽く叱ってから、バンは本題を話す。
「ちょっと俺達と一緒に仕事しないか?」
「え…でも俺運び人なんてできないぜ。」
「わかってる。ちょっと人手が必要でさ。お前だけじゃなくて他にも片っ端から声を掛けてるんだ。」
「人がいる?バンさん俺に俺に何をさせるつもりなんですか?」
「それを今から話してやるよ。…おい相棒こっちにこいよ‼」
バンは振り向いて向こうの方に呼び掛けた。ゼルは誰に言っているのかと思ったがそれはすぐに理解できた。
「あ、ああ…」
この場にいたのはバンと取り巻きだけかと思ったが、バンが声を立てる方…少し離れたところにもう一人いたのだ。そいつはぼろい上着を着こんで頭はフードを被ってすっぽりと隠していて顔は見ることができない。裏路地の住人など怪しい者だらけだが、そいつはそれに輪をかけて怪しいオーラを体中から垂れ流しにしていた。
「どうした?早く来いよ。」
「あ、うん…」
「大丈夫だって俺を信じろよ。…悪いなゼル。こいつ人見知りが激しくてさ…お前と会うの初めてだからちょっと緊張してるんだよきっと。…早く来いって‼」
「わかってるよ…今行く。」
バンに再度呼ばれてそいつは声を返したが、それは若い男のものだったのでこいつは男なのだろう。しかし男は返事をしてもびくびくとこちらの様子を伺うだけでこちらまで来ようとしない。バンはそれに屈することなく呼び続けてフードの男はやっと折れて何とかこちらまで歩いてきた。
「どうも…」
「え、ああよろしく…バンさん。こいつなんなんだ?」
「俺の相棒さ。これからの出世街道のためのな…‼」
「バン…痛いよ…」
対面したゼルはフードの男を怪しんでいた。フード柄顔はよく見えないとはいえこんな怪しい雰囲気の男はここらで見たことはなかったし、そいつの挙動不審っぷりは傍目に見ても異常だろう。
しかし二人を引き合わせたバンはフードの男を自分の相棒だと言ってゼルに自信満々に語っており、そいつの背中をばんばんと叩いていた。
「出世…ですか?」
「ああそうさ。…俺って浮浪児の中ではだいぶ成功した方だろ?」
「…そうですね。少なくとも食う分だけだったら無理に汗水たらさずとも金が入ってくるのは浮浪児の中であんただけだと思いますよ。」
「ひどいなゼル君。俺だって普段はいっぱい…まぁそんなことはいいや。とにかく俺はこの裏路地で一番成功している人間だと自分でも思っている。ここまで苦労したが儲けのコツを掴んだのが運がよかったんだろう。だけど俺はこれくらいじゃ満足してないのさ…俺さ、商会を持ちたいんだ。」
「商会?こりゃまた大きく出ましたね。でも何を扱う商会なんですか?」
「決まっている…運び人だよ。」
元浮浪児が商会を持つと言うだけでもゼルにとっては前代未聞であったが、それを言ったバンは真面目だったし彼がふざけているとも思えない。そしてゼルの何を商会の商品にするのかという問いにバンはが言ったのは、なんと物ではなく運び人という職業をする人だったのだ。
「人売りでもするんですか…?」
「ちがうちがう。んなことしてもすぐにばれて捕まっちまうよ。そうじゃなくてさ…」
この街に来てからすっかり馴染み深い存在に驚くゼルにそれを答えたバンは続きを語った。
「考えてみろよ。ここでは浮浪児や浮浪者が運び人って仕事をして金を稼いでいるだろ?でも運び人は正式な職業じゃないんだ。この場合の正式ってのはこの街を管理している冒険者ギルドに商売を認められているかどうかってことだな。」
「認められているって…バンさんたちも普通に客をとってるけどギルドに何も言われないじゃないか。俺はここに来てそこまで長いわけじゃないけど、そんな話は一度もなかったですよ。」
「認められていないってのはなゼル…つまり資料上の話なんだよ。冒険者のサポートに便利だから黙認されているけど、迷宮ダンジョンは冒険者以外も入れることに目を付けた俺達が勝手にやっている仕事という体裁になっている。まぁだからこそ浮浪児がなんの許可もなくできる仕事になったわけだが…だけど浮浪者が好き勝手にやっているから賃金も個人個人で違うしそれも周りの同業者の価格を見てなんとなくで決めている。客が雇ってくれる程度には高くなく自分たちが食っていける程度には安くない…そんな金額をな。さらに言えば料金が運び人の能力にあってないこともけっこうあって客からしたらくじ引き感覚だ。こっちだって無茶な階層に付き合わされたらかなわない。そこで俺は思いついたわけだ。この街の運び人をまとめ上げてしまえばいいってな。」
「はぁ…よくわからないんですけど?」
「難しく考えなくていい。ようは冒険者ギルドと似たようなもんだよ。あそこは冒険者を管理してクエストという形で客から受けた仕事を適切な冒険者に回して、いくらかの金を仲介金や手数料という形でもらうわけだろ。なら運び人も同じように俺が作った組織で全員管理してそれぞれを適切な客に回してやればいい。今までも俺はそういうことをしていたわけだが、ほんの十数人かそこらじゃなくてそれこぞ数十人数百人単位で行うわけさ。それを可能とする組織というのが…商会になるわけだ。それがあれば俺はもっと儲けられるし、運び人も実力に応じた仕事ができて無駄に死ぬこともなく金を得られる。そしてお客様も金さえ払えば自分達の挑戦する階層に見合った実力の運び人を雇える…全員幸せじゃないか?」
「えぇまぁ…それならゼルさんも前に言ってたしなんとなくは…」
「ありゃ?お前にも言ってたっけか。」
わかりやすく冒険者ギルドを参考にバンが説明してくれたことで、ゼルは彼の言いたいことがなんとか理解できた。
「というわけで俺はまず商会を作ろうと思ったわけだが…差し当たって必要なものがある。それは何か…当然金だ。」
やれやれと大げさな振りで金と言い切るバンだった。金を得るために必要なものが金であるとはなんとも本末転倒な話に思えるが、残念ながらそれはこの世の道理なのである。
バンの言う様に商会を作るにしたって作りたいと思えば地面から商会が生えてくるわけではない。まずは土地を買うか借りるかしてそこに商会の拠点を大工を雇って建てる必要がある。しかし建てただけでも意味がない。商会を立ち上げるためには役所に運営の許可をもらい同時に商人のギルドに新たな商会の発足を認めてもらう必要だってあるだろう。
土地を買う(借りる)、店を建てる、許可をもらう。ここまででも金が必要になるし、それからも人間を雇う金、商売道具を買う金、商売道具を手入れするための金、店を維持するための金…数えだしたらキリがない。金はどこの局面でも必要になる一番大事なものだ。
「商会を作るのに金が必要なのは俺でもわかりましたよバンさん。でもその金をどうやって作るんだ?」
バンがいくら成功した人間と言っても所詮は浮浪者の中での話。せいぜい自分の分の衣食住はとりあえず大丈夫程度が関の山で、ゼルには彼が商会を作るだけの大金を用意できるようには思えなかったし、かと言ってそれだけ金を借りるアテもないだろうとゼルは思っていた。
「だよな…俺もこの話を街の冒険者ギルドと商人ギルドにしに行ったら鼻で笑われたよ。案は悪くないが俺にそれができるとは思わないってな。しょせんは浮浪児上がりの不良だもんな俺。」
「じゃあどうやって…まさか俺みたいなやつらに一人一人声をかけてたのはカンパのお願いをするためじゃ…」
「違う。だいたいお前らに金を出せって言って金が集まると思うか?」
「無理です。生活が苦しいので賤貨の一枚も出せません。いくらバンさんの頼みでも無理だ。」
「他の奴らにも冗談で言ったら同じように断られた。安心しろお前たちからもギルドからも金を借りる気はないから。つーか借してもらえない。」
「ならどうするんですか?商会作れないじゃないですか。」
「落ち着けよ…そこでこいつの出番ってわけだ。」
「どうも…」
バンはそこまで話して自分の横にずっといたフードの男の肩に手を置いてその存在感を示していた。
「結局そいつはなんなんですかバンさん。こいつに金を借りてくるアテでもあるんですか?」
「いや、こいつも俺らと同じごくごく普通の浮浪者だ。…ある一点を除いてな。こいつは最近になってこの街に流れ着いたのをこの間たまたま出会ってな…そんなわけで当然そんなアテなんてないしギルドに行っても俺より相手にされずに門前払いだろう。」
「それならこいつがなんの役に…?」
「だよな。まずは見せないと納得してくんないか…声をかけた他の奴らにもいちいち見せてきたんだがお前にも見せなくちゃだよな。…おい相棒。こいつにも見せてやってくれ。」
「ああ…」
フードの男の正体は浮浪者で何のアテがあるわけでもない。それなのに何の役に立つのだというのか。訝しむゼルにバンはこいつの力を見せてやると言って、それから彼に頼んだ。
「おい、お前らは誰か来ないか見張ってろ。計画の前に見られるとまずいからな。」
「へい。」
「ゼル君って言ったっけ…ちょっとそこ開けて。…いくよ。ダnwkョnZゲ\ト開放…‼」
バンは取り巻きに命令を出して周囲の警戒に散らせた。それからゼルを除けて通りの空き家の壁の前に立ったフードの男は何かを唱えたが、それが何と言っているのかはゼルには聞こえなかった。聞こえなかったと言うよりは意味の分からない単語だった。
フード男が何かを唱えてしばらくすると空き家の壁が光り輝きやがて消える。そして残った壁いっぱいに大きな穴が開いていた。
「なんだ今の…魔術か?でもボロ屋に穴が開くだけじゃあ別にすごくも…」
「ふふふ…その穴を覗いてみろゼル。」
「穴…?覗いてもどうせボロ屋の中だろ…なんだこれ!?」
音もなく壁に穴を開けたことには少し驚いたゼルだったが、それくらいなら攻撃的な魔術が使えるものなら誰でもできそうなことだ。特にこの街にたくさんいる冒険者なら大したことではないだろう。フードの男に更なる懐疑の目を向けるゼルにバンは穴を覗くように言い、渋々ながらもゼルが外から穴の中を覗くと…そこは想像していた何もないボロ屋の内部ではなかったのだ。
「グルル…」
「ピョエーピョエー‼」
「ガウガ…」
穴の中に広がるのは広大な草原だった。そこでは黄金色の長く鋭い角を持つ鹿が群れで野草を食べていて、空には白と黒の縞縞の鳥が何十羽も円を描いて飛び回り、川では緑の巨大な亀が気持ちよさそうに日向ぼっこをしていたのだ。
それはどれもこれも壁の中にあっていい光景ではなくはっきりいって異質だ。それを見たゼルはただ絶句するだけだった。
「…この動物…モンスター?」
「どうだゼル驚いただろ!?俺も最初は驚いたぜ。」
「グルル…‼」
「やべ…見つかった。おい相棒ゲートを閉めろ‼」
「心配しなくてもこいつらは出てこれないよ。ほら…」
バンはゼルの横に並んで一緒に穴の中を見ていたが、そこに穴を見つけたモンスターが勢いよく走って襲ってきた。しかしそのモンスターは穴の手前でぴたりと立ち止まり、すぐに引き返していった。
「…ね。大丈夫だったでしょ。」
「ふぅ…脅かしてくれやがって。大丈夫かゼル君。」
「あ、あぁ。でもこれはなんなんですか…?」
「見ての通りだ。この穴は迷宮ダンジョンに繋がっているのさ。もちろんここから入ることもできるぞ。」
「出入りできるのは人間だけだけどね。モンスターはダンジョンから出られないから…」
「迷宮ダンジョンに…!?でもダンジョンの中には街のゲートからしか入れないんじゃ…‼それくらいは知ってますよ‼」
「そこがこいつのすごいところなのさ。なぁ相棒?」
「ま、魔導士なんだ俺…一族が特別な魔術を代々継承する家の出でね…」
壁に雑に開いたこの穴がダンジョンを行き来できるゲートになっていると教えられ驚くゼルに、フードの男が説明した。
「俺はダンジョンの好きな階層の好きなマップに自由に出入りできる穴をどこにでも作ることができるんだ…もちろん閉じるのも自由。それが俺のスキ…ごほん。魔術なんだよ。しかもこのゲートは街の中のゲートと違って一日に何回でも出入りできるんだ。」
「それ本当か!?そもそもダンジョンのゲートを好きに作れるなんて…そんなすごい魔術が使えるのにあんたはどうしてこんな裏通りにどうしているんだよ?」
「い、いろいろあったんだ…そう、いろいろね…そろそろゲートは閉じるよ?誰かに見られても嫌だし…わっとっと…‼」
何か嫌なことを思い出すかのように呟くフードの男だったが、壁の穴を閉じようとしたところで道端の石に躓いてしまい前のめりに転んでしまった。
「大丈夫かよ相棒?」
「いたた…ホントついてないよ…さて、DaンジyoRTンw$ト閉鎖‼」
男は転んだ拍子に外れたフードを被り直しながらまたも何を言っているのか聞き取れない詠唱を唱える。すると壁の穴が少しずつ閉じていきやがて元の空き家の壁に戻っていた。
「これでよし。でも転んだ上にフードがとれるなんて…変なのに目を付けられたくないからあんまり顔を見られたくないのに。」
「(こいつ黒髪なのか。それに黒目…珍しいな。)」
「気を付けろよ。お前の代わりはいないんだから。…これでわかったろうゼル君。こいつがどれだけ有用で金を得る手段だと言うことが。」
「え?えぇっと…あ、そうか…‼わかりましたよバンさん。」
フードの男の容姿が気になっていたゼルはバンに尋ねられ、はっとなりそれを考えたがそれはすぐにわかった。
「その男の魔術を使って客が行きたい階層の好きなマップに連れて行って、そこまでの運び代で金を稼ぐってわけですね。ようは運び人の延長だ。いや、延長っていうのは失礼か。これだけの魔術見たことも聞いたこともない‼」
迷宮ダンジョンは下の階層に行くためにはまずその上の階層を攻略しなくてはならない。初めての挑戦者に至っては一階層からこつこつと攻略して下へと向かう。更に階層ごとに何十も確認されているマップがあり、それのどこに出るかは完全にランダムなので攻略には大変に手間がかかる。だがこの男のダンジョンゲートがあればどうだろうか?それらをすっとばしていきなり目的の階層の目的のマップへ出ることが可能になるのだ。
「今なんてエリクシールのある階層とマップがわかったからみんなそこへ行きたがっている。十階と二十五階だっけ?この魔術があればそこまでの階層の攻略ができてない奴でも一発で行けるし、本当ならランダムなマップも選ぶことができる。しかも一日に何度でも‼そんなゲートがあったら挑戦者はいくらでも金を払いますよ‼」
「…ああそうだぞゼル君。それなら楽に大金を稼げる。」
このフードの男の力があれば商会を作るだけの金を用意するのは容易にできるだろう。なんならこの魔術をうまく隠してそんな侵入法ができる秘密の方法だとアピールできれば将来性を見込んで金を貸してくれるところも出てくるかもしれない。
「そんなわけでこれを使った道案内をする前に運び人だけでダンジョンに入ってみようってなったんだ。こいつは好きな階層の好きなマップの好きな場所にゲートを開ける。だからゲート越しに危険な罠やモンスターを把握してそれを避けながら、まだ地図になってない場所の地図を作れば今後の案内もしやすくなるからな…未攻略の場所の地図は高く売れるからそれを売っただけでも十分な金は作れるかもな。」
「なるほど…でもいくらモンスターを避けたりいつでも帰れるからって、俺ダンジョンはやっぱり怖いなぁ…」
「それは承知だ。さっきも言った通りダンジョンに入るのは運び人だけ。でもゲートの前で物資の補給とか連絡役とかをやる人手が要るんだよ。だから運び人でないお前らにも声をかけてきたわけだ。わかってくれたかゼル君?靴屋が忙しいのはわかっているが少しでいいから手を貸してくれよ。」
「バンさんにそんなに頼まれたんじゃ断れないですよ。…わかりました。」
バンに頭を下げられてしまいゼルは思わず協力を了承してしまったが、それを取り消すつもりはなかった。
「(俺にも仕事を回してくれるなんて…取り巻きは怪しいと思ってたけどバンさんはやっぱりまっとうないい人だったんだ。うわさはうわさか…‼俺にもそれなりに金が入ることは確かだし俺が直接ダンジョンに入るわけじゃない…バンさんには世話になってることだし小遣い稼ぎだと思って手伝ってやるか‼)」
「ありがとうゼル君‼実は準備はもうだいぶ終えていてな。後は君みたいな奴らに声をかけるだけだったんだ。お前で人数もだいたい目星がついたしもう十分だ。記念すべき一回目の侵入は今夜の零時に決行するつもりなんだが…」
「今夜?それはまた急な…」
「すまんな。今は客がたくさんいるから少しでも早く挑戦者の案内をできるようにしたいんだ。本当はもっと早くダンジョンが封鎖されているうちにやりたかったんだが…準備に時間がかかってな。その靴もあるんだろうがやってくれるか?」
「大丈夫です‼こんなの頑張って終わらせて…いざという時にはジジイに投げ返してやる‼だから俺への報酬は弾んでくださいよ‼」
「はっはっは‼心強いなゼル君‼働きに期待するぜ。」
「ちょ…バンさん力強すぎ…‼」
声を張ったゼルだったが喜ぶバンが両肩をばんばんと強く叩いてきたので、彼は痛そうにしていた。
「…というわけで今夜は忙しくなるぜ。すまないな相棒。」
「いいよ…俺もある程度の立場を手に入れてさっさとこんな不名誉な身分とはおさらばしたいんだ。金もこれからいくらあっても足りないし…バンにはいくらでも力を貸すよ。」
「おう‼お前は最高のビジネスパートナーにして最高の相棒だぜ‼はっはっは…‼おいお前ら帰るぞ‼じゃあゼル君今夜よろしくな‼場所は俺らの普段集まってるところだから‼それまで誰にも言うなよ!?」
「はいバンさん‼じゃあ今夜に頼むぜ‼」
バンは取り巻きを呼び戻してゼルに他言をしないよう念を押して帰っていく。ゼルは彼を見えなくなるまで手を振って見送った。
「…よし、夜は頑張らなきゃだからさっさと飯食って…」
「…ゼル兄ちゃん?」
バン達の姿が完全に見えなくなり自分も家に入ろうとゼルは靴が入った籠を持ち上げると、そこで家の扉が開き、中から妹分のリータが顔を出してゼルに声をかけてきた。
「あ、ああリータただいま。」
「おかえり。さっき話声が外から聞こえてきたら終わるまで待ってたけどなんの話だったの?」
「う、うん…ちょっと知り合いにあってさ。なんでもないよ。レグの具合はどうだった?」
「またちょっと熱が出てきたから寝ているよ。寝込んでからだいぶたったね…お薬が買えればいいんだけどそんなお金ないし…」
「リータ…大丈夫だ‼近いうちに…早ければ明日のうちに金が入るからそれで風邪薬でも買いに行こうぜ。」
「お金って…靴屋さんの給金はまだ先だよね?靴磨きのお金はご飯とクリームとかの消耗品にほとんど使から残らないし…どこにそんなお金があるの?」
「臨時収入だよ。俺、今夜臨時の仕事があるからそれの収入さ‼」
「そうなの?なら助かるけど…」
「任せとけ‼だからこれもさっさと終わらせなきゃな。」
「わぁ、すごい靴だね。兄ちゃん靴屋さんみたい‼」
「そ、そうかな…ははは…‼」
「それじゃあ入りにくいよね…先に入って。早くご飯にしようよ。今日はいい食材貰ったからスープも豪華だよ。口に入りきらないミートボールが入ってるんだ‼」
「そうなのか?楽しみだな…‼」
金の心配をする妹分に問題ないと胸を叩いたゼルは、扉を開けておいてくれたリータよりも先に籠を持ってうきうきと家に入っていった。