第130話 そして更に迷宮を巡る(次の日の待ち人待つ広場での出来事)
エリクシールを発見した冒険者が現れたという事件から一夜明け、次の日が訪れた。
挑戦者たちはまずはギルドの発表を聴こうと朝早く一番鶏が鳴き出したのと同じくらいの時間から(朝はうるさいからという理由で時計塔の鐘は鳴らないので早めの起床は鶏と己の体内時計が頼りだ)宿を飛び出して中央広場に詰めかけた。その中にはクロノス達やディアナ達やマーナガルフ達やヘルクレス達ももちろんいたし、昨日話を聞いていた者も聞いていなかった者もいた。おそらくその場には迷宮都市で現在エリクシールを求めるすべての挑戦者が来ていたのではないだろうか?実際には本当に全員はいなかったのかもしれないが、だれもがはっきりとそう断言できるくらいにはいたのだ。
そして広場が人でいっぱいになり、発表をまだかまだかと待つ皆の元に、前日エリクシールを見つけたイグニス達とトーン達、それとそれぞれのパーティーから遅い時間まで聴取を行っていたガルンドが眠い目を擦りながら現れた。
ガルンドは二つのパーティーが持ち帰ったエリクシール…の入っていたボトルが、どちらともこの騒動のきっかけとなった最初に発見された物と同じであったことを正式に発表した。そして同時に二十五階層ではギルドのサポートの元にイグニス達のパーティーが主体となって大規模な攻略チームの結成をすることを伝えた。
ただトーン達がエリクシールを見つけたと言う十階層の方は、二十五階層と並べたら比較的優しいので、そちらは徒党は組まずに自分たちのパーティーだけで探索しようが、二十五階層と同様に大規模な攻略チームを組もうが好きにしろとのことだった。
その後で挑戦者たちは準備のために解散した。そこから時間が経ち今は昼前の十一時である。昼飯時にはまだ少し早く、かといってこれ以上に予定を挟めば昼はあっという間に過ぎてしまうというそんな中途半端な時間帯。中央広場はガルンドやイグニス達はとっくにギルドの支店へと去った後で、ダンジョンにもまだ入れないと言うのに未だに人でごったがえしていた。
「報告します‼広場内で不審な行動をする人物なし‼」
「ゲートへ近づく怪しい者もおりません‼」
「よし‼引き続き周囲を警戒せよ‼解禁時間まで気を抜くな‼」
「「了解‼」」
昨日ガルンドによってダンジョンへのゲートが進入禁止という形で封鎖されてしまい、エリクシールを求める者達はダンジョンへの挑戦が封じられてしまっていた。
現在ゲートはギルドの倉庫で埃をかぶっていた置物たちで作られた簡易的なバリケードで物理的に道を塞がれており、その前には通常時の三倍近い警備の人員が配置されている。その中には武装したギルド職員だけでなくギルドが雇った冒険者も加わっていた。
「…おいあれ。ワルキューレの姉ちゃんどもじゃねぇか。ギルドが警備に雇ったのか?」
「いや、元々この街に来たのもギルドに言われてらしい。今日は一番ピリピリしている時だから街中を巡回してていた連中をゲート前に集中させたんだろう。かーっ‼華があってけっこうなこって。」
「それにあっちのは「厳重な牢守」の団員の冒険者じゃないか?ほらあの守りにかけては随一とか言われている「鋼壁」がリーダーやってるクランの…」
「間違いないな。ギルドが雇ってチャルジレンから連れてきたんだろうよ。どうやらギルドは絶対に期限前に誰も入れない気らしい。」
「ここでこんな入れ込みようなら他のゲートも同じようなもんだろう。大人しく準備しながら待つとしようぜ。」
ダンジョンへは今日の終わりまで入ることができず、ゲートの前も武装したギルドの職員が普段の数倍の人数警備に立っていた。更にそこにギルドが雇ったワルキューレの薔薇翼はじめとするいくつかの有名クランの手の者までいたとなれば、もはや期限が尽きるのを待つ他に道はない。もしや早期に解除されるのではと淡い期待を膨らませてゲート前で動向を見張っていたものは一人また一人と諦めて、早々に見切りをつけて散っていくのだった。
だが広場にいたのは何もダンジョン前の警備の様子を伺いに来たものだけではなかった。ほら、そこかしこで何やら話し合いが行われている。
「おいお前運び人だろ!?予約入れられるか!?今日と明日…ああいや、今日はダンジョンに入れないのはわかってる。もちろん入らなくても同じだけ払うから。報酬はこんくらいで…」
「わりぃなお兄さん。あんたの額の四倍出す気前のいい兄さんに先に予約されてんだよ。よそ当たってくれ。」
「そんな…それなら俺は五倍出すぞ‼」
「…保存食が残らず値上げだと!?しかも干しイモでこの値段…ぼったくりじゃないか‼」
「いやならいいよ。今は幾らでも買ってくれるから生産が間に合わないくらいなんだ。ちなみに干し肉はもう売り切れだよ。」
「ギルドの安い保存食はクソまずいし…しかたないか。買うよ‼買えばいいんだろう!?」
「毎度あり‼物はちゃんとしてるから安心してよ‼」
広場内では物を売りたい商人と物が欲しい挑戦者がそこかしこで売り買いの交渉に勤しんでいた。そう、広場に集まっている人々の正体は彼らだったのだ。
深夜に解禁されるダンジョンまでにできる限りの準備をしておこうと挑戦者たちは街の様々な店舗に押し寄せた。それで商人たちは店舗だけではたくさんの客にとても対応ができないと、広場に臨時の出店を開き、そこで客のいくらかを捌くことにしたのだ。
しかし商人たちはここへ来て、このまたとない機会に儲けようとたくましい商魂を見せつけ、ただでさえも値上がりしていた品々にさらなる値上げを重ねた。特別料金と呼ばれたそれがついた品は常時の二倍三倍の値段は当たり前のぼったくりであり、買おうとしていた者達が口々に文句を言っていた。
「武器の研磨がそんなにすんのかよ!?自分でやった方が安いわい‼…なに?砥石もそんなにするのか!?」
「ちょっと‼ランプの油が高いのは仕方ないとしてもこれ品質最低じゃん‼もっとまともなもの置いとけよ‼」
「なぁ今C級のソロの剣士の臨時加入ってどれくらいで…うそぉ!?そんな額だったら普段なら二十人は雇えるぞ‼」
ダンジョンに挑戦するための準備をしている挑戦者たちの阿鼻叫喚の声が飛びかっている。理由はもちろん急激な需要の増加を起こした探検のための道具や食料の高騰。それと運び人やメンバーに加えるためのソロの冒険者の人手不足などである。なので商売人たちは誰しもさぞ儲けて…というわけでもなく、冷や飯食らいも確かにいた。例えば…
「ねぇそこのワイルドなお兄さん♡みんな忙しいみたいで相手にされなくて退屈してるの。一晩いかが?サービスするわよ♡」
「悪い。俺もアンタの相手はしていられないんだ。今日中に射手一人見つけて加えないと…」
「あら残念…ねぇん♡そちらの逞しいオジさまはどうかしらん?」
「ワシも普段なら大歓迎なんだが、急いで斧の研ぎと楯の修理をしてくれる業者を探さんと。というわけでまたな。」
「…もう‼昨日から一人も釣れやしない‼これじゃおまんま食い上げだよ‼」
このように普段は客など選ぶくらいにいるはずの娼婦などは、忙しいからと珍しく真面目な冒険者に断られ誰にも買ってもらえず寂しい夜を過ごしていたのだ。とにかくエリクシール発見の報は迷宮都市に来ていた人間にもここで商売をしていた人間にも大きな影響を与えていた。
「急な需要の増加による供給との不一致は逆に商売の阻害の要因にもなるわけか…こういうこともあるんだな。勉強になる。」
「情勢の不安定な地域では割と起こる現象のようですけどね。」
「そういやそんな感じだったな。昔行った場所で豆がたった一粒ですごい値段になってたことがあった。だとすると経済的にも情勢的にも安定しているポーラスティアはほんとうにいい国だな。この国にクランを構えて正解だったぜ。」
「祖国をそう言って評価していただけるとあたくしも誇らしく思いますの。お世辞でもうれしいですわ。」
「世辞じゃないさ。…もぐもぐ。食べる?」
「よろしいのですか?ではおひとつ失礼しますの…」
そんな広場の市場を端の方のベンチに腰をかけて観察していたのは、クロノスとイゾルデだった。もちろんイゾルデの護衛役に抜擢された二人の騎士も彼女の後ろで目を光らせている。護衛なのでもちろん私語に参加することはないし、クロノスとイゾルデも彼らの真面目さを買って話を振ることはしなかった。
「…美味しいですわ。」
「…お気に召したのならもう一つどうぞ。」
「いいんですの?それでは…」
クロノス達は必要な物資の補給は各自昨日の内に済ませていたので、てんやわんやする人々を眺める余裕があった。高みの見物とはまさにこのことだろう。しかし彼らは高みの見物などしている暇はなく、雑談が出てもすぐに打ち切ってクロノスとイゾルデは売店で買ったスティックポテトの油揚げを食べていた。ちなみにこれも食材がどうのこうのとか油がどうたらこうたらと、あれこれ理由をつけて値上げされていてクロノスは商魂たくましいと屋台のおっちゃんを評価した。
「結局のところ、クロノスさんは十階層と二十五階層のどちらに挑戦する考えをお持ちなのでしょうか?」
「まだ決まってないんだよな。どっちにするべきか…」
ハンカチを取り出して口元を拭うイゾルデの問いかけにクロノスはまだだと残念な答えを返していた。
二人の大事な本題は、ずばりエリクシールが出たというふたつの階層。そのどちらに挑戦するかということである。
昨晩食事をしていた店に戻ったクロノス達はそこに残って帰りを待っていた仲間達に広場での出来事を伝え、これからどうするべきかを話し合った。
ふたつの階層からそれぞれエリクシールがほぼ同時に出たことに関しては反応は以下の通り。
「二十五層目…たしかにシヴァルの旦那が言っていたのと近いッスね。そこならそう簡単にはたどり着けないから今まで見つからなかったのも不思議じゃないし信用はできそうッス。」
「でも十層目の方はなんか胡散臭いよ…?そこまでだったら頑張れば誰でも行けるよ…死ななければ。」
「そうだよね‼今までそこを通った挑戦者の数的に全部のマップが隅々まで見られているはずなのに、今まで誰も見つけなかったのかクルロさん不思議でなりませんよー‼」
「やっぱり十層のはガセじゃないの?情報料欲しさに嘘ついてるとか。二チームともギルドから結構な情報料が支払われるんでしょ?」
「だがオルファンよ。クロノス達によればそのトーンとグロットという冒険者は既に金になりそうな宝を手に入れた後だと言う。欲の皮が張ったのだとしてもわざわざ二人で危険なダンジョンに入りなおすか?それに嘘だとしてどうやってイグニス達の持ち帰ったボトルと同じものを用意するんだ。」
「そうにゃ。ほぼ同じ時間に別の階層で攻略していたのなら、知りようがないのにゃ。」
「そうだな。クロノスが後から聞いたところによると、二人は仲間を失い強くなりたいと修行感覚で潜っていたらしいな。エリクシールに興味はなかったらしい。スキルのオーブは鑑定待ちとはいえ確実に大金になるだろうから金に困るわけではないし、ということは…」
「本物、ということでございますね。」
「じゃあどっちの階層にもエリクシールがあるとしてさ。おいら達はどっちに行けばいいの…?」
――以上が残っていた仲間の反応である。誰が言ったのかは上から順にダンツ、キャルロ、クルロ、オルファン、ヘメヤ、ニャルテマ、リリファ、セーヌ、アレンね。
「そもそもエリクシールは本当にあるのでしょうか…」
「両方本物だと考えて動かなくては意味がない。それを気にしていたら逆に両方偽物という考えも振り切れなくなるぞ?例え仮定の話であってもある程度は信じて動かなくては何もできなくなる。もし無かったらイグニスは明日の朝日を拝めないから嘘を言うわけがないしな。」
エリクシールが偽物かどうかはひとまず両方本物であると仮定して、ならばそのどちらの階層に挑戦するべきかが問題だった。
「やはり前と同じように二組でそれぞれとはいかないのですよね?」
「そもそもダンツたちの方はまだ九層目だ。十階層にもたどり着いていない。あと一階層だけとはいえ時間がかかるから出遅れるな。一応クルキャロは以前に来たときの記録でそれよりも深く潜っているから可能だが…魔法剣士二人ではパーティーにはならん。」
「ならばお二人をこちらへ加えて八人体制で十階層を攻略し、残りはなんとか十層目まで来ていただいて地上に戻って合流。それから十二人体勢で攻略を再開…ではいかがですの?」
「それが安定なのかもしれないが…おそらく同業者は十層目の方に押し寄せる。八人も十二人も殆ど変わらない戦力だ。」
クロノスの言う通りで、そもそも迷宮ダンジョンで二十五階層というのはかなり下の階層で、そこまで行ける実力者は多くない。もし頑張って目指したとしてもそこにたどり着くまでに命を散らす可能性が高く、現実的に考えるならばそちらより遥かにリスクの少ない十層目を目指した方がいいだろう。
「二十五階層は行くのは大変だけど、その分ライバルが少ないからたどり着いて守護者を倒せさえすれば高い確率で宝を手に入れられる。しかしイグニスと組んだ場合取り分はエリクシールを売って得た金の山分けだから意味がない。行くのならやはりイグニスとは組まん。しかし組まなければ多くの挑戦者がライバルとなる。」
「十階層はあちらよりもはるかに攻略は楽ですが、そこまで行ける人が多すぎるのですよね?」
「ああ、危険に変わりはないが冒険者だったらここにいる四割は行ける。すでにこの時点で攻略済みなら全体の二割というところか。ほとんどはそっちに行くつもりのようだな。」
「楽で入手確立の低い十層と、困難だけどあっちに比べたら確率は高そうな二十五層…」
「どっちにするべきか…」
結局その夜には考えはまとまらず議題は宿屋に持ち帰りとなるがそこでも決まらなかった。というかほとんどはダンジョンから帰ってずっと遊んだり風呂に入ったり食事をしたりで片時も休んでいなかったので疲れて寝落ちしてしまい議論にならなかった。
クロノスはベッドに入った後も一人眠らずにどちらにするべきかずっと悩んでいたが、やがて夢の世界に旅立ってからもそれを考え続けて今になるまでついぞ答えは出てこなかった。ちなみにどちらがいいかは最終的にはこれまで通りイゾルデに決定権があったのだが、彼女は素人の自分ではもう判断がつかない領域にあると最終決定権を雇った冒険者の代表に抜擢されたクロノスに完全に一任していた。ありていにいえば丸投げである。回想終わり。
「これまでどこの階層にエリクシールがあるのかわからなかったから挑戦者たちも各所に分散していた。だが階層が割れた以上全員がそのどちらかか、たどり着いていなければ自分たちの一番近い記録の階層から大急ぎでそこへ向ってくる。虱潰しに探されたら見つかるのも時間の問題だ。解禁した日に手に入れるくらいじゃないとそれ以上は余裕はないぞ。」
「それは何度も言われたのでわかりましたが…」
「なんだ飽きたのか?なら好きなところに行くといい。他も一人二人を除いて待機とは名ばかりの暇つぶしであちこちをうろついているだろうしな。あ、行くならもちろん護衛もセットだぞ。」
「いえ、道行く民を眺めるのは面白いですの。冒険者とは変わった…いえ、個性的な容姿の方が多いことですし。なので飽きたわけではないのですが…」
現在は仲間達は頼みごとをした何人かを除いて宿に待機か街のどこかで自由行動にさせている。本当は全員宿屋に待機してもらいたいところだが冒険の心が疼く冒険者に待機などできるわけがない。仮に待機を命じた場合、真面目なセーヌあたりが一人でずっと宿に残りかねないので、夜まで好きにしてもいいと言ってあったのだ。イゾルデも騎士の護衛がつくことを条件に自由に行動できるようになっており、昨日会ったお目付け役のマックアイは街の警備兵の詰め所でこれからの段取りを残りの騎士と打ち合わせしているそうだ。
「クロノスさんはなぜずっと広場に残っているんですの?」
しかしクロノスは朝ギルドの発表を聞いた後でずっと広場に一人で残っていた。彼は出店でも揚げポテト以外何か買うわけでもないし、情報収集にだれかと話しているわけでもなかった。ここにいてもこれ以上の収穫もないだろうに彼はいつまでも何をしているのだろうか。イゾルデはそれが気になって騎士と一緒にこの場に残っていたのだ。
「ちょっと人を待っている。さっきは何も言わず帰ってしまったが、邸で方針を考えているのだろう。ここにいればわかりやすいし、向こうもそのうち接触してくる。」
「待ち人ですか。それはいったいどなたですの?」
「ああ、一人じゃないんだ俺が会いたい人物ってのは。希望では三人…俺が飽きる前に会いに来てほしいものだ。いや、全員来る。たぶん来る。というかそうしてくれないと話が先に進まないし俺がいつまでもここにいなくてはならない…俺だって好きでここにいるわけではないんだ。…お?」
クロノスが自分に言い聞かせながら考え、次の揚げポテトに手を伸ばそうとしたところで、突然視界が真っ暗闇になった。そして目元に柔らかい感触とひと肌の熱が伝わってくる。どうやら視界が闇に包まれたのは誰かが手でクロノスの目を覆い隠してきたかららしい。
「だ~れだ?」
「リルネ。」
「な~んだつまんないのー。お、いいもんもってんじゃーん。ひとつちょーだい…もぐもぐ。」
後ろから女性の声が聞こえてきたが、その女性が出したクイズにクロノスは即答する。女性の正体は背後から手でクロノスの目を覆ったワルキューレの薔薇翼の平団員リルネだった。彼女はクロノスの手に持つ揚げポテトをひとつと言っておきながら何本も拳でぐわしと鷲掴みにして、もそもそと食べていた。
「全部食うなよ。」
「許可はもらったよひとつ(かみ)ちょーだいって。それにまだ残ってるんだからいいでしょー。あー塩味がきいてておいしい。でも揚げポテトならラウレッタのが上だね。あの子おやつ作りがとっても上手なんだ。小さいのが可愛くておしゃれだからって量が少ないのが難点だけど。」
「量が少ないからこそ大雑把な味にならないでひとつひとつに手間がかけられるんじゃないのか?」
「それもそうかも。それよりおにーさん腕落ちた?私に背後をとらせるなんてこれが暗殺者だったらおにーさん死んでたよ?」
「あいにく俺を殺したいような暇人は知らないんだ。それに君の接近はあえて無視したの。」
「なんで?」
「…なんでかな。」
実はクロノスはリルネの存在を事前に察知していて彼女の行動を避けることもできたが、あえて無視していた。だってリルネが自分の視界を塞ぐ間、彼女の胸元のやぁらかいばるんばるんが首や後頭部に押し付けられて気持ちよかったんだもん。彼女ならそうしてくるだろうと思っていたし先に避けたら味わえないじゃん。男にはわかっていても喰らわねばならぬ攻撃もあるということだ。
「あの…」
「なんだいおねーさん。なにか用?」
イゾルデはいきなり現れた女性が気になり、クロノスにもたれかかりポテトをもそもそ食べていたリルネが話しかけた。
「その薔薇の模様のある防具…もしやクランワルキューレの薔薇翼の方でしょうか?」
「その通りだよー詳しいね。私、リルネだって言うんだー。」
「はじめまして。イゾルデと申しますわ。」
「わお、これはご丁寧にどもどもー。」
二人は互いに名乗り握手をしていた。
「おにーさんってばまた新しい女の子引っかけて~。い~けないんだ~‼リューシャと隊長殿に言ってやろー。」
「違う。彼女はクエストで俺を雇った依頼人だ。依頼人に手を出してただで済むはずがない。」
「え~結構出してそう。」
「そんなことはないぞ…たぶん、おそらく、きっと、な。それより君はなぜここに?街の警備や巡回はいいのか。」
「これでも真面目にお仕事してますよー。さっきも出店の品が高いって店主の胸ぐら掴んで脅してたあほな冒険者を二人ボコって牢屋にぶち込んできました。それで次の獲物を探しに広場に来たら、女の子と怪しい男が話をしているから事情聴取をしようと思い接近した次第でございます。というわけで任意同行よろよろー。」
「何が任意同行だ。知り合いを不審人物扱いするなし。」
「でもおにーさんは女の子の敵でしょ?いーっぱいいぢめて楽しむんだ。」
「それは否定しない。」
「「AHAHAHAHA‼」」
「は、はぁ…?」
クロノスとリルネは適当なやり取りをしてから二人して爆笑していた。謎の流れにイゾルデは置いてけぼりである。
「それよりそっちの具合はどうなんだ?」
「お、聞いてくれちゃいますかー。聞いてよこっちは大変なんだから。十階層目からもエリクシールが出たって聞いてウチの団員がみ~んなダンジョンへ行きたがっちゃってるんだ。そこなら現実的に行けるだろうってね。みんなルーシェの目を治してあげたくてしょうがないんだよ。」
「気持ちはわからなくもないが迷宮ダンジョンは浅い階層でも危険なところは多いぞ?一人のために別の誰かが犠牲になっても得にはならないだろう。」
「うん。私もそう思うし隊長殿もおんなじこと言ってたよー。でもアンリッタもリューシャもロウシェ副隊長殿もルーシェを助けたいって向こうに着いちゃって隊長殿に直談判してくるんだもん。隊長殿と私の二人で宥めるの大変だったんだから。けっきょく隊長殿が隊長命令だー‼って形で何とか抑えて解散させたけどー。私の隊のリーダーのセレインなんて普段は命令は素直に聞くのに珍しく隊長殿に反発しちゃうんだもん。熱血系女子が多くてやんなっちゃうよねーウチのクラン。」
リルネは己の武器である戦棒をくるくると回して遊びながら残りも話してくれた。
「とりあえず危険な二十五階層はレッドウルフの赤獣を犠牲にして放り込めばいいしねー。あいつら昨日二十八階層クリアしたんでしょ?なら生きて帰ってこれるよね。でも十階層はもたもたしていると他の連中に残らず取られるかもしれないってみんな焦ってるんだよ。だから抑えらんないかも。このままだとダンジョン解禁したときにどさくさで何人かこっそり入りかねないよ。というわけで…がばーっ‼」
そこまで言ってからリルネはクロノスに勢いよく抱き着いて耳元に顔を寄せてから、彼の耳だけに続きをひっそりと伝えた。
「(ディアナ隊長殿から伝言だよ。何とかダンジョン解禁と同時に最速でエリクシールを手に入れる手段を考えてくれって。それが街の騒ぎも団員の焦りも収めるのに一番いいからってさ。こっちで一本そっちで一本の計二本…お互いに協力しようってこと。エリクシールはたくさんあるんでしょ?戦力はこっちからもダンジョンで死ななそうな奴だったら誰でも貸すから。もちろん首根っこ掴んでいるレッドウルフと傘下の赤獣含めてね。)」
「(君が言伝役かよ。それにディアナも昨日はライバルだとか言っておいてずいぶんと都合がいいじゃないか?)」
「(隊長殿そんなこと言ってたの?でもでも女なんて都合よく生きる生き物だよー。それともう一つ。エリクシールが手に入ったらお礼は…たっぷりとしてあげるって。私からもいっぱいサービスしちゃうよ♪)」
「(美女二人に奉仕してもらえるなんて男冥利に尽きるね。わかった。その話受けよう。どうせヘルクレスとシヴァルの分含めてどうにかなりそうだからな。)」
「(そうなの?なんか確実に手に入るためのアテでも?)」
「(アテっていうか…まぁ運次第な他と比べたらかなりずるいやり方さ。まだ確実じゃないからそれがどうにかなったらそっちに連絡とるよ。)
「(りょーかい。あ、邸まで言いに来るときはそっちの女の子の誰かににおつかいさせてね。仮拠点とはいえワルキューレの花園に駄男をまた入れてたまるかってセレインが昨日からうるさくてね。おにーさんが入ってきたら問答無用で射られるから。ま、おにーさんなら無傷で済むだろうけど…ルーシェのこともあってセレインかなりプレッシャーを感じちゃってるからこれ以上の心労はかわいそうだし、ここは人生と冒険者と年齢の先輩ってことで折れてくれないかな?)」」
「(わかったよ。さっきも言ったが決まったら誰かをそっちに寄越す。ディアナにはそう言っておいてくれ。)」
「(…あむあむ。)」
「おぉん♡…耳たぶをはむはむするなし‼離れろ‼」
「いやん♪おいしかったのにー。…なーんてね。」
クロノスはねちっこい奇声をあげてからすぐに唇で甘噛みしていたリルネを叱って耳から離したが、彼女は名残惜しそうに指をくわえてこちらを見てきた。しかし冗談だったようですぐに立ち上がり、返事をもらったことに満足して頷きそれから向こうへ歩き出した。
「思わず変な声を出してしまったじゃないか。あと耳たぶがべとべとする…」
「女の子に耳をはむはむしてもらえるなんて幸せ者めー。それじゃ私はパトロールに戻るから、例の話よろしくー。」
「あいよ。」
「ごきげんようですの。」
「イゾルデさんもばいばーい。おにーさんに取って食われないように気を付けてねー。」
クロノスとイゾルデが別れの挨拶をすれば、彼女は後ろ手に手を振って去っていった。
「…行ったか。」
「何を話していらしたんですの?」
「どちらの階層に挑むのかその方針を決定づける判断材料さ。…よし。これでまずはひとつで後はふたつか。いいスタートダッシュだ。ディアナからは一番いい駒ふたつ貸してもらうか…この調子で残りもさっさと来てくんないかなー?」
「そういえばあと二人待っておられましたわね。」
「そう。待っているのは何もワルキューレの使者だけじゃない。これであとは…ヴェラとシヴァルだけか。ヴェラは早くて夕方かな?ここで後ろを振り向けば都合よくいるなんて…」
クロノスが冗談半分を飛び越えて九割ほどの気持ちで振り向くと、そこにはもちろん麗しの担当職員などいるはずもなく…
「ただいま戻りました。」
…いた。普通にいた。ヴェラザードがにっこりと微笑んで控えていた。
「やぁお帰りヴェラ。早かったな。」
「ええ。本当はもっとかかりそうだったんですがクロノスさんが早く帰ってきてほしそうな気配を読み取ったので最速で帰って来てみました。こちらへ戻って来てから耳に入れましたがエリクシール見つかったそうですね。やはり早めの帰還は正解でした。」
「俺のためにありがとう。なんて都合のいい女なんだ君は。」
「誰が都合のいい女ですか。というわけで小腹が空いたのでこれ、いただきますね。」
ヴェラザードはそう言ってクロノスの揚げポテトを容器から一本抜きとって口に入れていた。
「うん…冒険者向けに味が濃すぎますね。私には塩っぽすぎます…と、いつもなら申すべきなのですが、王都からひとっ走りしてこちらまで来て汗を掻いたので塩分補給にちょうどいいくらいでした。」
「そりゃよかった。君なら間違いなく欲しがるだろうと思って一番塩を振りかけていたおっちゃんの屋台から買ったんだよ。王都からはまっすぐ来たのか?」
「はい。もちろんまっすぐ来ましたよ。それが最短経路ですから。…もう一ついただきます。」
まっすぐに帰ってきたとヴェラザードは答えてクロノスから揚げポテトをもうひとつ貰っていた。
「…あの、王都に行ってらしたのですか?」
「ええそうですよイゾルデ様。クロノスさんに請われて面倒ながらも昨日の昼から行っておりました。担当使いの荒いことです。」
「…ここからですと山をふたつ迂回しないといけないので王都まで片道二日かかるはずなのですが。」
「はい。ですから最短経路で山をふたつ突っ切って行って帰ってきました。それなら一日で行って帰ってこれますからね。」
「最短経路…仮に直線距離ならば一日で行って戻ってこれるかもしれませんが…その山は両方我が国は未開発で道も獣道程度しかありませんの。しかも危険なモンスターだらけで地元の猟師ですら入らない土地なのですが…」
「ええ。ですので越えてきましたが何か?」
「…いえ、なんでもございませんわ。」
「そうですか。ならばよかったです。あとこれお土産ですクロノスさん。」
ヴェラザードはイゾルデの質問にしれっと返すと、さっきまで手ぶらだった自分の手にいつの間にか持っていた三本の剣をクロノスに渡した。
「王都の武器屋で使えそうなものを見繕ってきました。さすがにそちらならばまともな品があって安心しました。」
「三本だけかよ。」
「厳選しましたので。それに最速で帰るためにはこれ以上の荷物は持てませんでしたから。一本でも多く運ぶためにその他はみんな置いてきたのです。」
「なら仕方ないか。それよりメインを早よ教えてくれ。…どうだった?」
「わかりました。では…」
ヴェラザードは先ほどのリルネと同じく、剣の具合を鞘を抜いて一本一本確かめるクロノスの耳に顔を寄せて横のイゾルデにも聞こえないように話した。
「(クロノスさんの予想…その通りでした。実際に私自ら目にしてきましたので間違いないでしょう。)」
「(よしご苦労。…君ははむはむしてくれないの?)」
「(なんのことですか?)」
「(さっきワルキューレのリルネに会ってさ。同じようにこしょこしょ話の最後に耳を甘噛みしてくれたのさ。)」
「(正直ごめんですが私はあなたの担当職員です。あなたがお望みならば逆らえませんね。)」
「(おぉ‼言ってみるもんだな。さぁ、かわいらしく、ぱくりと、赤子が母の乳を求め啄むように優しく‼)」
「(では…がぶり。)」
「…いってぇ!?」
クロノスは突然の痛みを耳に覚えて絶叫した。ヴェラザードがクロノスの耳たぶに唇ではなく歯で思いきり噛みついたのが原因だ。
「なにすんの!?千切れると思ったじゃないか‼」
「千切りたくても千切れませんよあなたの耳は。これはセクハラを要求した際のリスクを身をもって教え込んであげただけです。それと口の中がクロノスさんの耳の油で少しねばっぽいですよ。朝の洗顔はきちんと耳まですすぎなさいと言っているではございませんか。」
「それは俺の油じゃねぇ。君の食べたポテトの油だ。それとリルネの分。君リルネと間接キッスしたんだぞ。」
「そうですか。別に気にしておりません。それよりもガルンド様に報告しておかないと。頼まれたことも伝えましたし一度失礼いたします。なんでもくんはギルドへ預け補充を済ませてもらえたと思うので引き取って夜にお渡しします。それでは…てい。」
「ちょっと待ってそれどうやるの。どうやったらそんな礼とはいえないけど形だけなんとか礼になっているようなお辞儀ができるのヴェラちゃん…」
耳を擦って庇うクロノスにまるで礼儀の欠片もないある意味で見せてもらいたいくらいに無礼極まりない一礼をして、ヴェラザードはポテトをもう一本頂戴してから去っていった。
「大丈夫ですの?」
「おーいて。ヴェラの奴やってくれるぜ…」
「ですがあなたが悪いと思いますわ。婦人に自分の耳を噛ませるなど変態ですの。色好きで有名な貴会の有力人物でさえしませんわ。」
「あれくらいのスキンシップが俺とヴェラにはちょうどいいんだ。今は君と騎士君たちが視界にいたから照れ隠しにやったんだろう。本当に可愛い女だ。あててて…」
目を細めるイゾルデにクロノスは反論するが、すぐに耳を抑えていた。血こそ出ていないし内出血もしていなさそうだったが、それでも痛いものは痛いらしくしばらくうずくまってからようやく復活した。
「ヴェラめ…次会ったら十倍返しだ。もちろん気持ちいい方のな。まぁヴェラのつついて揺らしたい耳たぶことは名残惜しいがひとまずこの辺で置いといて…これであとはシヴァルで終わりだ。ここまで流れが来ているぞ。奴もきっと昼前に来てくれるはず。つーか来い。食堂が混む前に席を確保したい。シヴァルよ自分が俺と友達だと思ってるのなら俺に合わせやがれ。」
「横暴すぎますの…」
クロノスは最後の一人の待ち人であるシヴァルをベンチでどかりと座り込み待つ。イゾルデは飽きれながらもここまで来たら骨まで食らえと一緒に座ってシヴァルを待つことにした。
「はい傷薬売り切れでーす‼」「何っ!?先に買うべきだったか。」「そら硬パン再入荷‼焼きたてほやほやだよ‼」「ほやほやって…焼きたてじゃあ硬くなってないだろ‼ダンジョンの中に持ってくんだから保存できなきゃ意味ないんだよ‼今すぐ天日干しにしろ‼」「あんたが言ってることもめちゃくちゃじゃねぇか…」「高い‼こんな値段で買えるか‼」「仕方ない…ダンジョンの宝箱で見つけた宝石を売ろう。彼女にお土産にしたかったが…」 「それ買った‼」「俺が先だ‼」「多く払ってくれる方に売るよ。」「親父‼靴の修理を頼まぁ‼大急ぎで夜までに‼」「またかよ。これじゃあ俺一人じゃちょっと多いな…まだ早いと思ったがあのクソガキにちっと触らせるか。」
「…」
騒がしい広場の端でベンチに腰をかけてシヴァルを待つ男女二名と後ろで無言で控える騎士二人。太陽はまもなく天の真上に差し掛かろうとしていたのだった。