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猫より役立つ!!ユニオンバース  作者: がおたん兄丸
122/163

第122話 そして更に迷宮を巡る(ディアナの執務室での出来事)



「今朝町を巡回中に商店でなかなか良い茶葉が手ごろな値で売っているのを見かけてな。目移りしてつい買ってしまった。ミツユースほどでないにせよここもかなり品揃えがいい。チャルジレンでは下品な酒、高級な酒、甘い酒、強い酒、酒、酒、酒…本当に酒しか売ってなくて嫌になってしまう。」

「冒険者だらけの街だからな。商店がその需要に応える以上しかたのないことだ。」

「冒険都市に住む者としてそれはよく理解しているつもりだが、もう少し茶に興味を持ってくれてもいいのだが。ほら、貴様の分だ。よく味わえよ?」

風紀薔薇(モラル・ローズ)様自ら淹れていただき、至極光栄にございます…っと。…いい香りだ。味も悪くない。」


 クロノスそう言ってからディアナが自分の座る席の前に置いたティーカップを手に取り、まずは立ち昇る香りを楽しみ、それからゆっくりと口に含んだ。それは茶特有の苦みの中にほのかな甘みがあり、実にクロノス好みの味わいだった。


 邸に招かれたクロノスが案内されたのはディアナが執務室として使用している部屋だった。そこのソファに腰を掛けてさっそく話をしようとしたところ、ディアナにまずは落ち着いて一杯だと言われ茶を淹れられてしまったのだ。クロノスは酒は苦手なのでもしそちらを勧められたら大手を振って断ることができたのだが、ディアナとは冒険者の中でも数少ない茶を嗜む者同士である。彼女が形だけとはいえ客である自分に出す茶を断れるはずもない。


「昔からだが、君とは茶の嗜好は一致するな。後は茶菓子が合えば文句はないんだが…俺は甘い菓子は嫌いというわけではないが、かといって喜んで食べるわけでもない。」

「何を言うか。砂糖そのものといえるほどの甘さの菓子を食すことで、茶のほろ苦さがより一層引き立つのだろうが。茶の主役は菓子ではなく茶そのもの…だから菓子には主張の激しい悪徳商人のように悪者になってもらわないと。これだって私の部下が一所懸命選んで買ってきてくれたものなのに…」


 茶菓子に出された白いクリームの乗った薄茶色のカップケーキをクロノスが無言でいらないと皿ごとディアナの方に滑らせらば、彼女はわからないやつめと呟いて元々の自分のケーキを食べ終えて、そのケーキにも手を付け始めた。


「茶菓子談義はどうでもいい。俺が求めるのは情報だ。」

「わかっているとも。それで、貴様の目的は何故マーナガルフとヘルクレスが街の修理をせずにダンジョンに挑戦しているか、だったな?ああもちろん知っている。その許可を出したのは、ほかならぬ私なのだからな。話してやるからもう一杯飲め。」


 カップの中身を飲み干して話を聞く準備をしたクロノス。そんな彼の空いたカップにお代わりの茶を注いでからディアナは話し始めた。



「まずヘルクレスだが…奴は今話題のエリクシールを求めている…というのは言うまでもないか。というのも、奴はとある冒険者のために使いたいらしい。」

「冒険者?クランの団員の誰かか?」

「それなのだが…」


 あえて団員とは言わないことに疑問を覚えたクロノスに、ディアナは自らが行ったヘルクレスの取り調べの場で、彼が発した言葉を思い出しながらそのことを彼の言葉を再現しつつ伝えた。ただし、それでは皆さまにはわかりづらいだろうから、ヘルクレスのその時の言葉をそっくりそのまま伝えよう。


―――――――――――


「ディアナよ。この間、西ででっけぇ大規模戦(レイド)クエストがあったのは知ってっか?そう、大規模戦(レイド)ってのはモンスターの大量発生とかで普通の規模の冒険者じゃ叩けなくなった時に発行して冒険者をたくさん集めて討伐させるアレだ。それくらいは知ってるだろうが…それに儂らも参加したんだよ。いやなに、実行地が拠点に近い国だったもんでな。金払いもよかったしこのところ暇で子分も腕が鈍ってたからノリよノリ。クエストはモンスターとの激しい戦いの連続で結構な死傷者も出たんだ。儂のところも死人こそ出なかったが何人もやられた。そんで始まってから何日も経ってモンスターもようやくあらかた片付き、後は掃討戦だなって時によぉ…とんでもなく強力なモンスターが現れたんだ。たぶんあれはモンスターの親玉だったんだろうな。そして首をとって名をあげてやるって挑んだ奴をことごとく肉塊に変えちまったんだ。儂とたまたまクエストに参加していたもう一人のSランクがなんとか討ち取ったんだが…とにかく現場はひどいありさまさ。まぁそっちは関係なかったな…肝心なのは儂らがそいつと戦っていたその時に、別の場所で現れたモンスターの残党が補給と怪我人の治療のためのキャンプ地を襲撃したんだ。まったくの偶然だったんだろうが、その偶然がまずかった。なんせ戦えそうな奴は全員その強力な親玉の方に行ってたからそっちに残っていたのは大して強くない物資の補給要員にされた奴と怪我人だけ。とはいえ儂らが親玉を倒した後キャンプ地の襲撃の話を聞いて駆け付けた時にはそっちも終わっていて、出た重傷者も一人のガキの冒険者だけだったんだ。…前置きが長くなっちまったな。それで儂がエリクシールを使いたいのはそのガキの冒険者なんだよ。…ああ、確かにそいつは儂のクランの子分でも協力関係にあるクランの人間でもない。ガキとはいえ冒険者…モンスターとの戦いで命を落とすならそこまでの奴だった…と、普通なら儂もそう思うんだが…なんとそのガキは他の連中は動けねぇ怪我人置いて尻尾を巻いてモンスターと逃げる中、パーティーの仲間とともに最後まで果敢に戦って怪我人を逃がそうとしていたそうなんだ。その中には怪我を負って治療を受けていた儂の子分もいた。…話じゃ実力は大したことのないEランクのペーペーだったらしいが…そいつ(おとこ)だと思わねぇか!?自分よりも戦える奴がみぃんな逃げる中で、てめぇだって怖かっただろうに。じゃから儂はなんとかしてそいつを助けてやりたいと思ったわけよ‼しかしガキの状態は最悪で、医者はまだ生きているのが奇跡なくらいの瀕死だと言って誰もが匙を投げたんだ。儂も何とかしたかったが命ばかりはどうすることもできない。ガキはどんどん弱っていってとうとう今夜が峠かというところまできた。…ところがだ。そんなときに東のポーラスティアって国にある迷宮都市のダンジョンで、あの幻の秘薬エリクシールが出たっていう話が入ってきたのさ。ダンジョンで珍しい宝が見つかると同じもんが立て続けに見つかるというのはもはや常識だ。これはもう儂自らそこに行ってダンジョンで手に入れてこいっつう神様からの思し召しに違いないって思ったぞ‼それなら急げって情報収集に何人か先に送ってから、残る子分や大規模戦(レイド)に参加した冒険者に向こうの後片付けを任せて、ガキを助けたいっていう儂と同じ考えの子分と一緒にエリクシールを手に入れるために大急ぎで迷宮都市までやってきたってところよ。なのに着いた初日にマーナガルフと大喧嘩するとは儂もまだまだ子供じゃな。…というわけでだ。マーナガルフと喧嘩しちまってあちこち壊したのは謝る‼だから、今だけは、儂だけでも見逃してダンジョンでのエリクシール探しを優先させちゃくれねぇか?ダンジョンに行かせない子分は全部修理に使っていいから‼頼む、この通りだ‼」


―――――――――――


「―――というわけらしい。奴の担当であるバーヴァリアン嬢にも真偽を尋ねたら「嘘ではない。できればジジイの老()心をくみ取ってやってほしい。」と個人的に頼み込まれてしまってな。仕方ないから奴と一部の団員だけ街の修理を免除して自由にさせることにしたんだ。それからこの二週間奴はダンジョンから帰ってきた日を除いて毎日遊びもせずにダンジョン三昧だよ。」

「あの公私混同しないバーヴァリアンさんがそこまで言うのなら本当なんだろうな。普段は尻に敷いているくせに、ヘルクレスがひとたび漢を見せればこれだもんな。なんだかんだあの人も惚れた旦那にゃ弱いぜ。」

「ククク、違いない。私もいつかはあのような人生の伴侶に出会いたいものだ。」

 

 もちろん身の丈三メートルはありそうな巨漢の蛮人のような男という意味ではないぞ?と付け加えてから、ディアナは長文を語り乾いた喉を茶で潤していた。


「ひとつ気になるのが…その大規模戦(レイド)クエストがあったのは最低でも一か月くらい前の話だよな?その時点でガキの冒険者が死にかけなら、もうとっくにそいつの魂は神の御許に還られてらっしゃるんじゃないのか?」


 クロノスが心配していたのは、ヘルクレスがエリクシールを使いたいというモンスターとの戦いで負傷した冒険者の存命であった。


 エリクシールはどんな怪我や病気でも治すことができるが、死人には使えないし使っても生き返ることはない。死人は死んでいるから死人なのである。ヘルクレスがエリクシールを求めるのが死にかけの冒険者のためであるのなら、その対象がこの世からいなくなれば探す理由がないのではないだろうか。


 クロノスの問いにはディアナも同意だったようで、彼女は茶を啜るとこくりと頷いていた。


「私も最初そう思った。だが話に出しただろう?大規模戦(レイド)クエストに参加したSランクはもう一人いたとな。それが誰かわかるか?」

「…死にかけでもどうにかできる人間…まさか、「暗黒令嬢(ダンケルフロライン)」か?」


 ディアナに問い返されクロノスが悩んだ末に出したのは、暗黒令嬢(ダンケルフロライン)という二つ名の冒険者だった。その答えを聞いてディアナは肯定の意味で頷いた。


「ご明察。そう、暗黒令嬢(ダンケルフロライン)だ。奴は昔の貴様と同じく神出鬼没なソロ冒険者だが、その大規模戦(レイド)に偶然参加していたそうだ。ヘルクレスが言うにはクエストも殆ど終わり役目は終えたと帰ろうとしていたところを奴自身が頭を下げて頼み込み、その患者に「ゾンビキープ」なる魔術を使ってもらい肉体を維持して命を繋ぎ止めてくれているらしい。」

「ゾンビキープ…あれは本来人間の死体を物言わぬ歩く屍、アンデッドにしてしまう闇の使役魔術を闇属性神聖魔術の使い手である彼女がアレンジしたものだ。死にかけだがそれでもまだ生きている人間に使えば、仮のアンデッド状態になるわけだから…まぁ死にはしないだろうな。」

「それなのだが…アンデッド系の使役魔術は禁術指定されていて使えば重罪ではなかったか?」

「うんにゃ、ゾンビキープは状態変化系の神聖魔術だ。だから人前で堂々と使っても大丈夫。それこそ人に使おうとお構いなしだ。」

「そうなのか。名前を聞くだけでおぞましいイメージがあるが…」

「闇属性の神聖魔術はみんなそんなもんだ。気にしてもしかたあるまい。だがあの術は不完全だとも言っていた。()()()の冒険者くんもかわいそうに。あれは肉体を維持するだけで自然回復はストップするから傷はそのまま。おそらく彼は今頃死にたくても死ねないほどの苦痛を味わっていることだろう。」

「うむ…」


 死に瀕した痛みが半永久的に続くとはどれだけの苦しみであろうか。ディアナは自分や可愛がっている団員がその状況に置かれている姿を想像して身を震わせていた。


「だがゾンビキープは術者が常に魔力を供給し続けなくてはならない魔術だと俺はそう聞いている。つまりこの場合、あの(ひと)がその死にかけという冒険者の病床に四六時中付き添わなくてはならない。食事や睡眠ならまだしも風呂もトイレもその場で済ますのは女性には拷問だろうよ。」

「そうだ。そして暗黒令嬢(ダンケルフロライン)はSランクの中でもかなり気まぐれな女だ。明日の朝の朝食は簡単にパンで済ませたいと言って、次の日の朝になると夢で出てきて美味しそうだったからとスパゲティを生地を練るところから始めるくらいのな。そしてそれを茹でている間にアップ―ルの実を捥いできてもうこれでいいと齧って朝食を済ませてしまう…あれはそういう女だ。たとえ人ひとりの命がかかっていたとしても、そのうち飽きて術を切って帰ってしまうだろう。バーヴァリアン嬢が伝えてくれた報告では今は彼女の担当職員が必死に宥めて延命させてはいるそうだが、それもいつまでもつかわからん。もしかしたら今この瞬間にもいなくなって患者は命を落としているやも…」


 ディアナは途中まで呟いて悪い方への考えはよそうと不安げに茶を啜る。


「まぁあっちが持つかは彼女のやる気と現地のギルド職員の努力次第だな、うん。とりあえずヘルクレスの方はわかったぜ。あいつがなかなかの(おとこ)中の(おとこ)であること。そしてやっぱりエリクシールを求めるライバルであるということをな。しかし見知らぬ低ランク冒険者に伝説の秘薬を使おうとはさすがは正義の冒険者の一人だ。Sランクの中でも二番目に年食ってるだけはある。俺がエリクシールを探してなきゃ譲ってやったかもな。後はマーナガルフの方はどうなんだ?ヘルクレスが先に出たということはそれと同等か、それ以上にお涙頂戴な理由なんだろう?」


 ヘルクレスの方は事情を理解したとクロノスは言い、今度はマーナガルフについての話をディアナに求めた。


「いや、奴は…」


 クロノスとしてはどっちの事情を先に聞いてもよかったのだがディアナがヘルクレスの方の話からしたということは、マーナガルフもさぞ酌むべき事情があるのだろう。

 そう期待していたが、ディアナは話すのをなぜか渋っていた。


「なんだよ?もしかしてマーナガルフが好きになった場末の娼婦が不治の病で…みたいな、純情ラヴストーリーだから君の口からは言えないってか?」

「いや、そのような甘酸っぱいものではない。ああ、説明しよう…うん。」


 何かを決心したディアナは、ヘルクレスの後に行ったマーナガルフの取り調べを思い出しながら、なるべく近い形でそれをクロノスに伝えたのだった。皆様にはやっぱりマーナガルフが言っていたことをそのまま教えよう。



―――――――――――


「なんで迷宮都市に来ていたのかって?コストロッターのお嬢のやつが夏風邪拗らせちまってよぉ。もう一週間もケホケホ咳が止まらねぇんだ。煩いったらありゃしねぇよ。幸い俺のクランの子分どもは全員馬鹿だから風邪なんざ感染(うつ)らねぇが…あに?ほっときゃ治る?お前バカかぁ?夏風邪は大変なんだぞ。長引くと肺までやられて息をするのもしゃべるのも痛いし苦しいんだ。冒険者と一緒にするなよ。それなのにお嬢の奴大人しくベッドで寝てりゃあいいのに、「マー君の今週の予定だよ。国や偉い人同士の喧嘩に勝手に入っちゃダメだからね?」なんて言って、顔を真っ赤にして健気にスケジュールを書いて持ってくるんだもんよぉ。額もめちゃくちゃ熱かったぜ。いつも思うんだがあのスケジュールの書き込み量は俺の仕事のサポートしてたら徹夜しなきゃ書く時間なんてないよな?そう思わね?それとも専属担当職員ってみんなあれだけ働いてるのか?あんなガキに夜遅くまで働かせて冒険者ギルドの幹部は一度まじめに人権の勉強したほうがいいんじゃねえの?…ちっ。メスガキ一匹の説明で長くなっちまった。本題に戻すぜ…そんでだな、こいつのために夏風邪によく効く薬草を森に取りに行くか‼ってときにたまたまポーラスティアの迷宮都市でエリクシールとかいう神の秘薬が見つかったって話が入って来てよ。おばあちゃんの知恵袋レベルの効くかわからん薬草よりも、超発展して人間が寿命以外で死ななかったといわれる程の古代文明の英知であるエリクシールの方が確実に効くだろ‼ってことで、やっていたどこぞの貴族同士の領地争いの揉め事は面倒になって両軍の大将をそれぞれ袋叩きにしてアソコと背中に入れ墨で恥ずかしい落書きしてやってから、ハイさよならして一目散に迷宮都市まで来たんだ。最初はこの俺様自ら探してやるんだからエリクシールの方から俺様に会いに来て楽勝かと思ったんだが、まさか一週間の間チームを分けてダンジョンに送り込んでも収穫なしで、しかもヘルクレスのところと喧嘩することになっちまうんだから…やれやれ。ついてないぜ。ギャハハ…」


―――――――――――


「―――というわけだ。マーナガルフはコストロッター嬢の風邪を治すためにエリクシールを求めていたそうだ。」


 長い説明を終えたディアナはそう言ってから今度も喉に潤いを与えるためにカップの茶を飲み干した。


「…なぁディアナ。夏風邪ごときにエリクシールは贅沢では?…というのはこの際置いておいて聞いてほしいことがある。俺はダンジョンでマーナガルフに会った。そしてその隣ではコストロッター嬢もいたぞ。しかもぴんぴんして風邪など患っている気配などどこにも微塵も見られなかった。もっと言えばその前の喧嘩の夜にもコストロッター嬢を一目見たが、その時点からなんともなさそうだった。」

「…ひと月もあればどんなにしつこい風邪でもさすがに治るだろうな。だが奴から話しを聞いてからそれを指摘したら「あんだとフザケンナ‼夏風邪は大変なんだぞ!?一見治ったように見えても無理するとすぐにぶり返すんだ‼これはもうエリクシール飲まして完全に治さねぇとあの小娘に未来はないぜウン…」とか言って熱弁された。」

「…なぁ、あいつやっぱロリコ「それ以上は彼の名誉のために言うな。」…そうしよう。それにどちらかといえばそれは父性の方っぽい。むしろそっちを祈る。」


 マーナガルフを思いしばらく黙り込む二人。数分の沈黙ののちに先に口を開いたのはクロノスだった。


「…それで君はマーナガルフの言い分を認めヘルクレスと同じようにダンジョンを歩く許可を出したのか?」

「まさか。そんなくだらない理由で街の修理をサボらせるものか。奴のエリクシール調達はコストロッター嬢自身が必要ないと取り調べの後でばっさり切っていた。だが私はその廃棄に手数料を取られそうなくらいの無駄なマーナガルフの熱意を買い、ルーシェのために働かせることにしたのだ。」

「ルーシェ?その名前どこかで…ロウシェは君の所のサブリーダーだし、リューシャは平団員だし…君の所の団員はなんか似たような名前の女の子ばっかりで困る。とはいえ女性の名前を間違えるのは失礼だから名前を覚えるいい練習に…ああ、そうか。さっきの…‼」


 クロノスはワルキューレ団員の知っている顔の中から似たような名前をいくつか挙げてから、先ほどこの邸の前にたどり着いたときに邸から出てどこかに行こうとしていた女性がそんな名前でセレイン達に呼ばれていたことを思い出した。


「彼女も君の所の団員なのか?」

「ああそうだ。ルーシェは私の可愛い部下の一人だ。去年冒険者になって我がクランに入ったばかりの新人だぞ。優秀な罠士(トラップマスター)なんだ。」

罠士(トラップマスター)…また随分通好みな職業(クラス)を志したものだな。それであの子に何かあったのか?なんか目がよくなさそうだったが…」

「気づいていたか。まぁあのような拙い歩きをすれば誰にでもわかるか。彼女がああなってしまった原因…それこそあのレッドウルフのせいだ。」


 そのことを話すディアナは静かに怒っていたようだった。


「君は見ていなかったか。私がマーナガルフをあの夜捕らえた時に、奴がそこから脱出して目の前の私の部下の一人に斬りつけたことを。あの時の被害者がルーシェだ。」

「なんか一人やられていたような。けっこうな重傷だったみたいだな。」

「斬られたのは片目だった。だが傷は眼球にまで達しておりすぐに医者に治療させたが…治ったのは形だけで機能はなかった。光をなんとか感じて朝か夜かわかる程度だな。もう片方の目もマーナガルフの爪に仕込まれていた毒で潰れてしまっている。ぼやけて殆ど見えていないそうだ。マーナガルフの糞狼が…嫁入り前の乙女になんてことしてくれたんだ…‼」


 ディアナはその時のことを思い出しぶり返す怒りでわなわなと振える手で茶を飲みなんとかそれを抑圧すると、次に悲しそうに語りだす。


「目が両方殆ど見えず治る見込みもないと聞かされたルーシェはひどく絶望していな…皆の前では大丈夫だと気丈の振舞っていたが、その日の晩に自分の部屋で一晩中わんわんと泣き喚いていた。そして次の日に見えない目で書いた退団の辞表を出して、その目のまま邸を出ていこうとしたんだ。」

「それはまぁ…随分と哀れなことで。気持ちはわからんでもない。目の見えない状態で冒険者なんて続けられないからな。」

「出ていく直前で捕まえてその目でどうやって生きていくつもりだと聞いたら「自ら命を絶つような愚かな真似はしませんのでご安心を。体でも売って生き延びて見せます‼」などと言うものだ。…愚か者が。その目では娼婦としてもろくな扱いを受けないだろうに。なんとか暴走を抑え込んでいるがこの二週間隙を見ては出ていこうとするんだ。ルーシェは皆の前では絶対に何も言わない。悲しいことがあればずっと一人で泣いている。これならいっそ人前で当たり散らしてくれた方が気は楽なのに…正直見るに堪えない。」

「それでエリクシールを使おうってわけか。」

「本来ならばすぐに帰ってルーシェの目を治せそうな者を探すのだが、ちょうどいいことにこの迷宮都市では今エリクシールなる秘薬を探しているとのこと…そこでマーナガルフの奴をこき使いエリクシールを責任取って探させているというわけさ。…本当なら私自らダンジョンに潜り込んで探しに行きたいのだが、今のこの街は人が多すぎる。地上で目を光らせていていないとどんな事件が起こるか知れたものではない。」


 ディアナはダンジョンに行けないことを悔しそうにしていた。ルーシェのことも間違いなく気にかけているが、あくまで彼女の本文は冒険者の風紀を取り締まる者の長。たった一人の団員のために私情で動けば全体が崩壊してしまう。人の上に立つ者としてそのことをよく理解しているのだろう。


「なら赤獣傭兵団を全員ダンジョンに回すか、そうでなきゃワルキューレの団員にダンジョンに行かせればいいじゃないか。」

「気軽に言ってくれるな。赤獣の連中は全員分はギルドが許可を出してはくれなかった。当然だ。バンデッドのところにだけ街の修理をさせて赤獣だけを自由にさせたらギルドが贔屓していると思われてしまうからな。仲間思いの部下たちもルーシェのためにダンジョンに行ってくると言ってくれたが…何が起こるかわからない危険なダンジョンに買い物に行かせる感覚で気軽に送り込めるものか。ミイラ取りがミイラに…という言葉を聞いたことがあるか?ミイラとは砂漠地方のアンデッドモンスターで…」

「それは知っている。どんなに装備を整えてもやられるときはやられる。それがダンジョンだ。怪我人を治すつもりが怪我人を増やす結果に終わるだろう。実際にエリクシールを求めて自分が死人になりまくりらしいからな。」

「この二週間で実力もないのに挑んで強行を行う者が多発してギルドも手を焼いているそうだ。死者は数えられるだけで二百を超えたとか…仲間がダンジョンから死体を持ち帰ったり死亡を報告したものだけでそれだ。パーティ全滅や未報告の分も含めれば倍はいくだろうな。それに私が行けない理由には街の警備もある。この街には各国のやんごとなき身分のお方が来ているから荒くれ者とひと悶着起こしたら大変なんだ。私も部下を全員チャルジレンから連れてきたわけではないから地上のことで手一杯だ。君に攻撃したセレインの隊…ルーシェはそこの隊の一員でな。今は彼女達は邸に待機させて訓練をさせながらルーシェが逃げ出さないようにするための見張りをさせている。セレイン達も私の指示であったとはいえ別行動をとったことをひどく後悔して大人しくそれを受けてくれているよ。…む。入れ‼」

「失礼します‼」「どーもお邪魔しますー。」


 扉からノックの音が聞こえディアナが入室を許可すると、廊下から二人の女性団員が入ってきた。それは今話に出たセレインと、隊の一人であるリルネだった。



「よぉ、リルネともう一人はセレイン…だっけ?さっきぶりだな。」

「やっほさっきぶりおにーさん。会いたくなって来ちゃった♪」

「さっきはよくもやってくれたなリルネよ…あとでお仕置きしてやるからな。全身の穴という穴から変な汗を垂れ流させてやる。」

「わぁそれは楽しみ♪おニューのせくちーな下着探してこようっと‼」

「リルネさん、こんな駄男に構っちゃだめよ‼それと駄男が気安く名を呼ぶな‼駄臭が感染(うつ)る‼それにディアナ隊長と二人でティータイムとは駄男のくせに生意気よ…‼」

「客にあまり突っかかるなセレインよ。それで、用件はなんだ?」

「…失礼しました。えっと…」


 ふざけるリルネに注意してからクロノスにがるるると飢えた野犬のように威嚇を飛ばすセレインだったが、ディアナに窘められて落ち着き、それから彼女に用件を伝えた。


「たったいま街を巡回中のロウシェさんの隊のアンリッタさんが大急ぎで戻って来たんです。なんでも住宅街近くの商店街の裏通りで何人もの浮浪者の惨殺死体が見つかったと。それで現場の保守や封鎖に人手がいると援軍を求めてきたのです。私の隊も向ってよろしいですか?」

「惨殺死体だと?それはまた随分な事件じゃないか。ふむ…」

「~♪」


 セレインの報告を聞いたディアナは大げさに驚くこともせず、少し考えをまとめてから、一瞬目を細めてクロノスの方を見ていた。クロノスはそれに気づき目線を彼女から逸らして下手くそな口笛を吹いた。


「そうか、ならばしかたない。向ってくれるか?」

「了解です‼それで申し訳ないのですがルーシェの面倒を見ていていただけませんか?私たちがいなくなるとこの邸には隊長とルーシェしかおりませんから。」


 ほかに誰もいないことをセレイン。クロノスのことは空気扱いしているがどうせ客なのでそのうち帰るだろうし、なによりルーシェを見る役目を見ず知らずの男に任せるわけにはいかない。そう考えての無視なのかもしれない。


「…そうか。それならいっそルーシェも連れていけ。」

「え?しかしルーシェは目が…」

「あの落ち込みはクランのお荷物扱いをされていると思い込んでのことかもしれない。どこかへ行こうとするくらいならいっそ出歩かせて何か仕事をやらせて気を紛らわせたほうがいい。現場には他の者も向っているだろうしお前たちはルーシェとゆっくり向ってくれ。」

「そうですか…了解しました。」

「了解でございます隊長殿。リルネにおまかせあれー。」


 セレインもリルネもディアナの提案を断らなかった。彼女たちも同じ隊のルーシェのことが心配なのだろう。それから二人は退室を告げて入り口の扉まで引き返していく。


「それじゃ行ってくるねクロノスのおにーさん。お仕置きはまた今度会ったときでねー。」

「あんた、私がいない間に隊長に変なことしたらただじゃおかないから‼…それでは隊長、失礼します‼」


 リルネの別れの挨拶の後でセレインがクロノスに警告をして、それから二人は退室していった。


 扉が完全に閉まったことを確認して、仕切り直しただとクロノスはまた茶を飲み始めた。招かれてからこれが三杯目のお代わりだ。これが普通の邸宅でのことなら図々しい客だと思われることだろう。


「俺ランクの差とか気にしないけどさ、一応上から数えた方が早いくらいの実力者と言われているんだけど?それなのにそんな俺に喧嘩売れるってあの子随分と大物じゃね?」

「セレインは部下の中でも大の男嫌いでな。父親と兄と親戚の叔父と従弟。それから故郷にいた時の近所の男衆以外は皆、その辺りの石を転がせばいるようなダンゴムシ以下の役立たずだと思っているのだ。あれでも男嫌いで有名な過激派の部下の中ではまだ穏健な方だぞ。今回は連れてきていない部下の中には男に言葉だけでなくもっとむごい対応をするのもいる。ところで…」


 ルーシェは男が嫌いということを教え、それからクロノスを見習い自分も茶のお代わりを飲んでから、ディアナはぎろりと細い目でクロノスを睨みつけてきた。


「裏通りで見つかったという死体の製作者は…貴様だろう?」

「さぁ?」


 ディアナは嘘は許さないと言わんばかりに、針のように鋭さを持ったきつめの声でクロノスを尋問した。しかしクロノスはそれに恐れをなすことなくすっとぼけたのである。

 もちろん報告にあった浮浪者というのは間違いなく自分が手に掛けた人物であるとわかっている。だが、ここで誤魔化しておかなければまた面倒なことになると思ったし、今度はワルキューレの小娘を相手にすのとは違うのだ。今目の前で目を光らせているのは、冒険者のなかでも屈指の実力者でとびきりの罪を許さない女。相手にすることになれば大変面倒なのだ。


「とぼけるな。黙っていたが貴様から血の臭いがぷんぷんとする。それも一つ二つではない複数の。…七つだな。まだ新しい。事件が貴様の仕業でないのならその血の臭いはなんだ?」

「…昼食は某飲食店の名物「牛、豚、鳥、羊、馬、蛇、店長の気まぐれ日替わりモンスターだった肉塊ダゾ☆彡ミックスセブンステーキ~血合いソースをかけて~」だったんだ。そりゃ全身血の臭いが漂っているだろうな。」


 疑ってやまないディアナにクロノスは適当に考えた嘘で誤魔化しを謀ってみた。もちろんそんな恐ろしいメニューを出す店など迷宮都市中探してもどこにもあるはずがない。

 


 ディアナは無言でクロノスを睨み続けて、クロノスはそれをスルーする。それが数分経った頃、ついに折れたのはクロノスの方だった。



「はいはい認めますー。俺がや~り~ま~し~た~‼せーとーぼーえーで、きーりました‼」

「ようやく認めたか。たくさんの人間が訪れている今の迷宮都市でもそれほどの暴虐ができるのは貴様以外にそうはおるまいよ。」

「それでどうするんだ?俺を捕らえるのか?」

「もちろん捕らえない。捕らえる必要がない。貴様が斬ったということは、斬られて当然の理由がある連中だったのだろう。今さっき貴様自身も正当防衛であると言ったのだし。」

「そうかな?実はそれが真っ赤な嘘で俺がただの気晴らしに手に掛けたのだとしたら?」

「気晴らし…貴様が、気晴らし…ククク、面白い…‼」


 正当防衛であるとディアナが理解してくれているのにわざわざクロノスが悪意の可能性を焚きつけてみれば、ディアナは腹を抱えて笑いだした。そして落ち着いてからそれに答えた。


「ただの気晴らしか…確かにその可能性は千に一、万に一程度はあるのかもしれない。人は万能ではないし、昨日で善人でも今日も善人であるという保証はどこにもない。だが貴様は例外だ。貴様は理由なき殺しはしない。否、できないのだ。だから貴様は終止符打ちなのだ。貴様が手に掛けた浮浪者は間違いなく極刑相応の罪を重ねてきているはずだ。…違うか?」

「…少なくとも善良な一市民という感じではなかったよ。見逃した三人を除いてな。 」

「そうか。部下たちが戻ってきたらギルドに報告して死んだ浮浪者の中に指名手配が出ていた者がいないか調べさせよう。おそらく一人はいるだろうからな。」

「たぶんいただろう。一人はいろいろやらかした元冒険者だったらしいし。君には手間を掛けさせるよ。」

「別にいい。ただ…今度から死体は自分で片付けておけ。人間の中には血になれていない者もいるんだ。街を歩いていて死体を見つけたなど心に傷を持たせてしまう。」

「…わかったよ。お目を汚されないようにきちんと片付けておきます。」


 ディアナが優しくそう言うと、クロノスは真面目に返事を返した。そして彼は手に持つカップをテーブルに置くとソファからすくりと立ちあがった。


「話は終わったんだろ?だったら俺は帰らせてもらう。いろいろ教えてくれてありがとうな。それじゃ…」

「ああ待て。話はまだ終わってない。」


 情報は既にもらったのでもう用はなくなったと礼を言ってからクロノスが執務室の入り口の扉を開けて帰ろうとしたら、ディアナも自分のカップをテーブルに置き、クロノスに待ったをかけてから執務室の窓から外を覗いた。そして事件現場に向かったセレイン達がとっくにいないことを確認する。


「さて、今邸には私と貴様以外誰もいなかったのだったな。セレイン達はルーシェを連れて行かせたしリルネも気を利かせて帰りに全員で寄り道でもするように動いてくれるだろうからしばらくは戻ってこないだろう。そして貴様の他に来客の予定もなし、と…これは都合がいい。」

「まだなにか用があるのか?しかもその言い分だと人に聞かれたくないことのような…まさか。」


 何かに気づいたクロノスがばつの悪いような表情で、戸棚に歩いていきそこの引き出しを開けて何かを探していたディアナを目で追った。


「昨日街を巡回していたら雑貨屋の女店主に頂いたのだ。薔薇の優雅でな風格が素敵な貴方にふさわしいとな。」


 引き出しからディアナが取り出してきたのは両手に持てるくらいの大きさの小さな木箱だった。上蓋に彫りで商品名が刻まれているがこちらからではそれを読むことができない。しかし中身がなんであるのか、クロノスにはだいたい予想がついていた。


 ディアナが木箱をクロノスの元まで持ってきてそれの蓋を彼の目の前で開いて見せると、その中には

薄く削られた木のかすをクッションにして薄桃色の四角形型の物体が鎮座していた。そう、それは石鹸だったのだ。何か香料が混ざっているようで薔薇花の心地よい香りが鼻をくすぐった。


「いい香りだ。薔薇の香りの石鹸とはたしかに君にふさわしいといえるだろうが、わざわざ箱入りということはずいぶん高価な品じゃないのか?くれた店主も太っ腹だな。」

「そうだな。これで貴様を洗ってやるから風呂に付き合え。」

「…やっぱり。」


 ディアナはなんとクロノスを入浴に誘ってきたのだ。しかしクロノスの顔に驚きはない。なぜなら予想がずばり的中したからだ。


「貴様どうせダンジョンから戻って来て体を洗ってないのだろう?汗を調整して臭いが出ないようにしたようだが、私には丸わかりだ。こびり付いた血の臭い共々洗い流してやるぞ。」


 ディアナは大の綺麗好きである。自分のことはもちろん、ひとたび何かの汚れを見つけると自分自身の手できれいにしないと気が済まないのだ。

 得意げに語るディアナの上半身は既に上着を脱ぎ去っており下の白地のシャツ姿だった。その際にシャツから透けて見えた彼女の水色の下着がクロノスの目に入り、チラリズムが彼の男としての興奮を呼び起こした。


「…っ‼断る‼君が男と風呂に入ったなんて事実が何かの拍子に君の所の団員に知られたら、俺の命がない‼」

「問題ない。ワルキューレの薔薇翼は女性の冒険者活動の支援を目的としたクランだ。別に男女のどうこうを規制する決まりはない。私だって健全で常識的な範囲の男女の付き合いは反対していないしむしろ推奨している。部下の中にも外に男がいる者もいる。どういうわけか女性絶対主義の百合の花園であると男女ともども勘違いされているがな…というわけで私が男と風呂に入ろうと健全の範囲であれば問題ない。それとも…一緒に入浴するのが私では不服か?おっと、逃がさないぞ。」

「しまった…!?くっ‼」


 ディアナはそう言ってシャツのボタンを上から一つずつ外しながらクロノスの後ろにさっと回って、逃げ出そうとしていた彼の肩をがっしりと掴んで押しとどめた。しょせん女性の腕力であると油断することなかれ。ディアナは体力バカで御馴染みの冒険者の頂点の一人だ。当然握力も常人の比ではない。クロノスだって一度捕まればそう簡単には脱出できないし、無理に外そうとすれば肩の肉と骨が犠牲になる。クロノスは軽く抵抗の意志を見せるが、獲物を逃がすものかとディアナも手に力を入れる。


「別に君と風呂に入りたくないわけじゃない。君は美しい。肉体はよく引き締まっているし、そのシャツの下に見える下品に大きくもないしかといって卑屈に小さくもないちょうどいい半球型の胸も俺好みだ。尻は小ぶりだがそれもまたそそる。それに高身長なのも高評価。…そんな君と湯船を共にすればそれは金貨千枚に値するのだろうが、俺の不逞(ふしょう)な息子が暴走して君に粗相を働きかねない。ここんとこミツユースでクランやら冒険者の面倒見やらですっかり女を一切抱いてなかったからな。その、女性の前でこんなこと言ってセクハラ魔と呼ばれたくはないが…有り体に言えば溜まっている。」

「それなら私がついでに処理してやろう。顔でも口でも胸でも尻でも手でも脇でも足の裏でも指の間でも…なんでも好きに使え。…ああ、何でもと言ったが髮はダメだ。かかると痛むからな。」

「髪でしてもらうのもそこにぶっかける趣味もない‼くそ、帰るから、帰りに公衆入浴に入ってくるから、だから放せ‼」

「断る。なぁに、貴様の言う通りこれでも自分の肉体には自信がある。汚れも穢れも何から何まで吐き出させてやるから。」

「…風紀薔薇(モラル・ローズ)がそんなこと言ったのが知られたら、君の所の団員は悶死するんじゃないのか。」

 

 会話の間にもクロノスを脱がせようと試みるディアナは、器用に片手でクロノスを無理やり押さえつけてもう片方の手で彼の上着を取り払う。そして次に腰のベルトを取り去って腰の締め付けを弱め、ズボンにしまわれた中着のシャツを狙う。


「それだけ貴様を男の中でも信用しているということだ。安心しろ。いくら私が綺麗好きといっても一緒に風呂に入って洗おうなどという男は貴様くらいのものだ。とにかく入るぞ。私も昨日は忙しくてシャワーだけだったんだ。…フフフ、あの石鹸を一個使った泡風呂はさぞ気持ちがよいだろうな…‼」

「相変わらずだな。君の泡風呂好きは。」


 完璧超人に見えるディアナだが、数少なくとも弱点はたしかにある。その数少ないうちの二つが毎日風呂に入らないと落ち着かないということと、それが石鹸まるまる一つを使った泡まみれの泡風呂でないと気が済まないということだ。


「いいだろう私の数少ない贅沢の一つなのだから。部下たちは泡風呂があまり好きでないからか、はたまた私に遠慮しているのか誘ってもなかなか一緒に入ってくれないのだ。この邸は金持ちの住む邸と同じような造りになっていてな。風呂場は主と使用人の使うものの二つに分かれている。どちらでも好きに使えと部下には言ってあるのに、あいつらは遠慮して風呂も寝床も使用人用のしか使ってないんだ。おかげで私は一人で風呂に入り寝床で夜を過ごさねばならない…ようは寂しいんだ‼私だって可愛い部下ときゃあきゃあガールズトークに勤しんで、美味しいスイーツの話題とか気になる異性のこととか腹を割って話したい‼」

「知るかよ自分から正直に言えよきっとその思いは伝わるから‼」

「断る‼せっかく今まで積み上げてきた私のイメージが瓦解するだろうが‼」


 真面目でお堅い振る舞いのディアナの本質は実は可愛らしいもので、一人で風呂に入れないし夜も誰かと一緒かひと一人のサイズのあるクマのぬいぐるみを抱かないとなかなか寝ることができないのだ。しかし体裁を気にしてそのことを部下に言えないでいる。

 団員たちはディアナが入浴や就寝に誘ってきてもそれがクランリーダーとして団員と深く交流したがっているのだと思ってるし、妄想たくましい者はディアナにソッチの気があって同伴にお誘いされているのだと思っているほどだ。しかし彼女にそんな気は一切ない。ただ寂しがりなだけなのだ。


「いいから入るぞ‼実は貴様が邸に来た時点で既に浴槽に水を張りさっきの隙に沸かしてきた。きっと今頃四十前後の温度でちょうどいいぞ。風呂は熱めがいいよな?お互い団員を束ねるクランリーダー同士だしそっちの話でも愚痴をこぼしあおう。それと最近会っていなかったから貴様の最近も教えてくれ。」

「…わかったよ。入ってやるから、だから脱がせんのやめろ‼君も既に上下で下着だけになってるんじゃねぇ‼せめて前を隠せ隠させろ‼おい聞いてんのかー!?」

「はっはっは、お互いの裸など今更の仲だろう。初心(ウブ)な乙女ではあるまいし、明かりを消せだのタオルを巻けだの女々しいぞ‼」

「だから反応しちゃうんだって‼そして君もせめて脱衣場まで着いてから脱げそして脱がせろ…‼」


 下着姿でクロノスを引っ張るディアナと、最後の壁は越えさせぬと自分の下着に手をかけ必死の抵抗を試みるクロノス。二人はきゃいきゃい言い合いながら風呂までの道を歩くのだった。




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