第107話 引き続き迷宮を巡る・二日目(迷宮ダンジョン内五層目での出来事)
「ギギーギャ!!」
「いくぞ…インパクトスタンプっ!!」
アレンは自分の武器である大嵐一号(クロノスが名付けた訓練用なんたらではあまりにダサいのでアレンが自分で命名した)を大きく横に振って打撃技を繰り出た。そして目の前で不快な鳴き声で威嚇していたゴブリンのような醜い顔立ちをした小さな猿の顔面を大嵐一号のハンマー面で殴りつける。
「ギッ…ギャフッ…!!」
それは威嚇に夢中で攻撃の回避など頭の外にあった小猿の顔面に見事クリーンヒットして、小猿はそのまま後ろにまっすぐ飛ばされて最後に後ろの大木へ激突。そして弱弱しい断末魔を上げて消え、魔貨と小猿の尻から生えていた物と同じ干からびた尻尾をその場に残した。
「…よし!!一撃で倒せた。これで…「ギャギャッギー!!」…うわ!?こっちにも!!戦い足りないって言ったけどこんなにたくさん…いきなりハードすぎだよ!!」
「油断するな!!この「ゴブリンモンキー」は群れで行動するモンスターだ。全部倒すまで終わらないぞ!!おりゃよっと…!!」
「「「ギャ…!!」」」
一匹倒して一安心していたアレンの前に木の上からもう一匹ゴブリンモンキーが降ってきたので、彼は慌てて大嵐一号を構え直して目の前の新たな敵と向き合う。そこに横で戦っていたクロノスが注意を入れながら自分が相手をしていたゴブリンモンキー三匹を一度に剣の横薙ぎで肉片へと変えていた。
「ファイアボール!!」
「ギャギャ…!!」
「これで十四匹目!!もう…対して強くないけどいったい何匹いるのよ?」
「雷衝突!!「ギャ…!!」…このモンスターとは昔に地上での討伐クエストで戦ったことがありますが、数の多さは記憶に残っている通りですね…!!」
アレンのすぐ後ろで後方から来るゴブリンモンキーをナナミが魔術の炎で焼き尽くす。数の多さに前衛や魔術師のナナミだけでは捌き切れず、回復薬のセーヌまでもが戦線に加わってゴブリンモンキーを殲滅していた。
「全然弱いけど数がとにかく多くて…魔力切れちゃいそう…ん?てゆうかセーヌさん今クエストって…」
「…もうおしまいです…私なんて全然だめなんですぅ…」
「あーもう!!こちらセーヌさんが自爆しました!!応援求む!!ほらセーヌさん立って戦って!!敵はまだたくさんいるんだから!!」
「うう…ごめんなさい…ダメダメなんですぅ…」
何匹ものゴブリンモンキーを前にして地面に手を着けてがっくりと項垂れるセーヌにナナミは奮起を促して、近くの仲間に助けを求めたのだった。
そもそもどうしてこんなに大量の猿みたいな容姿のゴブリンに囲まれているかといえばだ。クロノス達は手が忙しくて説明できそうもないので私が代わりに皆に伝えるとしよう。
偶然遭遇した冒険者パーティーの協力を得て、クロノスの大活躍で四層目を突破したイゾルデ一行。彼女達は新たに五層目のマップへ侵入して、ゴールまでの道のりを攻略していた。
五層目のマップは上空で数多の木から伸びた枝が空からの光を奪い合い、下々まで光を遮る薄暗い森の中だった。クロノスが十人手を繋いで取り囲んでも手が届かないほどの太い幹の大樹達の間の道なき道を罠やモンスターに警戒しながら進んでいると、突然上から一匹の醜い顔の小猿が目の前に降ってきたのだ。それに驚いたイゾルデがいつでも攻撃できるようにスカートの中から取り出して持っていた愛剣のパーフェクト・ローズで「敵ですわ!!」と咄嗟に小猿を斬ってしまったのがまずかった。その様子を木の影や上から見ていた小猿の仲間が大挙して襲ってきたのである。そして戦闘が始まり今は五分ほど経過したところか。クロノス達も最初はそこまで強くないゴブリンモンキーを一方的に蹂躙していたのだが数に押されパーティーは少しづつ仲間との距離を離されてしまい、いつの間にか連携も上手くできず各個による個人対集団戦へと持ち込まれていたのだった。
「最初に斬ったのは群れの斥候役か何かだったんだろうな。普通斥候が死ねば他は警戒して迂闊に近寄ろうとしないものだと思うが…たぁ!!」
「あたくしが迂闊でしたわ…まさかこんなに仲間がいたとは…ピアッシング・ローズ!!」
「ギャッ…!!」
短剣を一匹のゴブリモンキーの喉元に突き刺して仕留めたリリファから少し離れたところで、大剣の切っ先でゴブリンモンキーの首を突き、その勢いで敵の頭部を跳ね飛ばしながらイゾルデが己の迂闊さを反省していたがこればかりは相手が悪い。
ゴブリンモンキーは群れで生活する仲間思いの強いモンスターであり、仲間が一匹死ぬと群れの皆が激高してその原因となったものに一斉に襲い掛かるのだ。現に襲い来るゴブリンモンキーはパーティーのメンバーの中でもイゾルデに集中的に詰めかけており、彼女はその相手をするので休む暇がなかった。今もイゾルデの元には十匹ほどのゴブリンモンキーが集まっていて、今し方一匹首を飛ばされたにも関わらずに怯むことなく怒りの感情を更に高めて攻撃の速度を速めていた。
「「「ギャギャキー!!」」」
「この…お猿さんの分際で…友人のペットの猿はもっと躾がなっていましたわ…!!飼い主がいないのなら、あたくしが代わりに教育してあげますの…ローズ・テンペスト!!」
怒り狂ってどんどんとイゾルデに殺到するゴブリンモンキーに受け手のイゾルデまでもが怒りを覚え、彼女は愛剣の巨大な大剣を振り回してつむじ風を起こす術技を放った。
「「「ギャッギャッ…!!」」」
「反省して弁えなさいですの…!!」
小さく軽いゴブリンモンキーはそのつむじ風に次々と吸い込まれていき、風の中にある斬撃にも似たいくつもの鋭い風に切り裂かれていく。そして遠心力で外へと弾き飛ばされる頃には全匹魔貨へと変わっていた。
「…ふぅ。これで…いかがかしら…?」
やがてつむじ風の斬撃で三十を超えるゴブリンモンキーを仕留めたイゾルデは手を止め、肩で息をして足元の魔貨へ問うていた。もちろん魔貨が人の言葉を理解するわけがないし、イゾルデも聞く者がいるなど最初から期待していない。雇い主に怪我でもあったら大変だとイゾルデの近くに来ていたリリファはイゾルデの出した大技に驚いていた。
「あの数を一人で捌き切るとは…このお姫様何者なんだ…?」
「お姫さまってのは中々に強かなんだぜ?ポーラスティア王国の騎士団長から直々に剣の指導を受けたと言っていたし、自信に実力が伴った稀有な例さ。」
「クロノス!!お前の方は終わったのか?」
「俺を誰だと思っている?俺は君達全員へいつでもフォローを入れられるように立ち回っていただけの話さ。」
自分の受け持っていたイゾルデの次に多かったゴブリンモンキーを相手していたクロノスがいつの間にかリリファの隣にいて、イゾルデの剣技を評価していた。ナナミとセーヌの後衛組の方にはアレンが寡占しており、とりあえず連携の形を元に戻せたようだった。
「大剣を使っての荒々しい戦い方…ポーラスティアの騎士団はもっと大人しい連中だと思っていたが、なかなかどうして過激なところもあるじゃないか。これは貴族のお坊ちゃん連中という今までの俺の中の評価を書き改めておくべきかな?」
「騎士団では大剣を使っておりませんわ。騎士の武器は大昔から剣と槍のみ…大剣へのアレンジはあたくしの我流ですの。それと、騎士団の方々への侮辱は彼らの主である王族として撤回を要求しますわ。」
クロノスは自分の記憶の中のポーラスティアの騎士団とイゾルデの戦い方を見比べていたが、自分に向かってきたゴブリンモンキーをあらかた片付け終えたイゾルデがこちらへ来て、ハンカチを取り出して頬を伝う汗を拭きとりながらそう答えていた。
「それはすまないな。しかし俺は彼らを侮辱したつもりは毛頭の先もない。彼らの気品ある剣捌きへの敬愛の気持ちに嫉妬が入り混じってしまって思わず裏返ってしまったのさ。」
「そうでしたの。それならばよろしいですわ。しかし口は災いの元ですの。ひねくれた発言は以後慎むように。」
「へいへい…あいつらはどうなったかな?」
聞かれてしまった皮肉を咄嗟に思い付いた言い訳で何とか誤魔化せたクロノスはイゾルデに適当に了解の返事を返した後に、向こうで戦っているナナミ達の方を確認したが、あちらもアレンが前衛に加わったことでナナミの詠唱がやりやすくなったようで、ナナミが長い詠唱を唱え始めていた。
「「「ギャギャ!?」」」
「おっと、こっちへは行かせないよ?」
「(アレン君ナーイス!!この間に…)示したり…空翔ける灼熱の竜よ…黙示録の炎は焼き尽くす!!出でよ!!フレイムドラゴン!!」
「GOBAAAAAAAA!!」
ナナミの生み出した炎のドラゴンによくない物を感じたのかゴブリンモンキーがそれを操るナナミの方へ向かおうとしたが、アレンが武器を横に持って進路を塞いだ。その間にナナミが詠唱を終えて中級魔術のフレイムドラゴンを顕現させた。現れたフレイムドラゴンは空へ向かって大きく一吠えしてからナナミの指示を待ち受けた。
「イイコね…それじゃ次にここにしるしるくんを出します!!」
「オヨビデスカななみサマ。」
「呼んだ呼んだ。出力調整よろしくね!!それじゃあ…魔力追加で完全燃焼!!ドラゴンちゃん全部食べちゃってー!!」
「GOBAAAAAAAA!!」
「アレン君避けて!!」
「おっと…」
「「「ギャギーーー!!」」」
追加で杖の先から呼び出した使役魔導獣のしるしるくんに手伝ってもらい魔力を目いっぱいにフレイムドラゴンに注ぎこんだ。そしてフレイムドラゴンを横へ飛んだアレンの先にいたゴブリンモンキーの集団の方へ放ち、残ったゴブリンモンキーを炎で焼き尽くして一掃した。
「ふぅ…おーしまい。」
「そっちも終わったようだな。もういないか?」
「…索敵終了だ。もういない。」
「そうか。わかっていたが再確認は大事だよな。それなら…全員集合だ。」
「はーい。さ、行こうね。」
「ナナミ姉ちゃん。でも…」
「ごめんなさいぃぃぃ…ムリですぅぅぅ…」
「ありゃ?セーヌさんがダメ系みたい。動けませーん!!」
「…というわけだ。イゾルデ嬢もあっちへ行くぞ。」
「わかりましたわ。」
遠くからあちらの戦闘が終了したのを見届けたクロノスはリリファとゴブリンモンキーの生き残りがいないことを確認してから、集合の合図を告げた。しかしあちらはセーヌが未だに動けないでいたので、クロノス達の方が向こうに歩いて合流する形となった。
「連携を絶たれてもなんとかなったか。まぁこの程度の雑魚に手間取ったらそれはそれで問題だが。」
「おいらには結構厳しかったよ。今まではモンスターとの戦いなんて一対一か、そうでなければこっちが多くて有利な状況で戦っていたもん。」
「モンスターとの戦いに絶対なんてないからな。こっちがアウェイで完全不利な状況だってある。今のゴブリンモンキーはただ闇雲に数に任せて向かって来るだけだったが、賢い敵は地形をうまく利用したりこちらのスタミナを推し量って本命を後にとっておくなんてこともする。そんなときイゾルデ嬢の使ったローズ・テンペストのような戦況を一変させる大技があれば劣勢を切り返すことができる。今度一人になった時のためにいくつか覚えさせた方がいいか。」
「うへぇ…あんなのどれだけ練習したら覚えられるのかな…」
「それは実戦の中で見出すといい。それより終わってからなんだが女性陣はよく戦えたな?ゴブリンモンキーを小柄でかわいいとか言い出して戦うのを躊躇するかと思ったぜ。」
「…そんなことありませんわ。モンスターはモンスターですの。」
「確かに普通のお猿さんなら遠慮したかもしれないけど、あんなゴブリン顔に良さを覚える少女はいないっつーの。キモカワを通り越してエグブサよ!!」
「キモカワ…?それは知らない言葉だな。そうか…俺はあれ結構かわいいと思うけどな。尻尾ばかりに気を取られがちだが、広葉樹の葉っぱのように丸く平べったい耳もなかなか…」
「どこをどうやったらあのお猿さんがかわいく見えるのですか…?」
「あはは…クロノスさんのセンスはねぇ…?」
ゴブリンモンキーの耳がいいと独自のセンスの片鱗を醸し出すクロノスに呆れ交じりの疑問を持ったイゾルデ。そしてそんな彼女に無駄なことだと諦めるようナナミは乾いた笑いを出した。
「…む。閃いた。丸耳にコンプレックスのあるたれ目のほんわかお嬢さんなんてよくはなかろうか?耳たぶを真っ赤にするまでたぷたぷと摘んで「あたしも姉さんみたいに目も耳もキリっとしていればよかったなぁ…」なんてなんでもこなせる実の姉を羨ましがって…でも実はお姉さんの方は天然でマイペースな妹に憧れていてそんなくだらない悩み紙に包んで捨ててしまいなさい。むしろ私が食べてあげる!!…みたいな…」
「ちょっと…この人何を突然…」
「気にするな。いつもの悪癖だ。」
「えーと…こういう時のためにヴェラさんに教えてもらったのが…どうやって出すんだっけ…?ええと、こうかな…?」
「足の角度はもっと高くするんじゃなかったか?」
「勘弁してよ。パンツ見えちゃう。」
「ナナミさんは何をやっているのですか?淑女ともあろうものがはしたないですわ。」
「(スカート捲って大剣取出しているお姫様に言われたくないかも。てゆうかどうやってしまってるのアレ。)」
「自分で摘まんでいた耳たぶはいつしか惚れた男のことを思うと触ってもいないのに真っ赤になって…それに気づいた姉は妹の心を奪う憎き男を骨まで羨み、しかしこの思いは嫉妬や怨嗟だけでは決してなくあれこれ私もアイツのことが…「ちぇすとー!!」ぐへえぇぇぇ!!」
妄想の思いに火が点いたクロノスは脳内で自分が生み出した架空の姉妹の心を奪っていく男になりきり涎を垂らしていたが、そこへナナミがクロノスを妄想トリップの世界から取り戻すヴェラザード直伝の蹴りを彼の頭に向かって勢いよく放ち、クロノスは横に三回転半して近くの大木に突き刺さって動かなくなった。
「…やったできた。意外と難しくないわコレ。」
「ほう、ギルド職員でなくても使えるもんだな。今度私も教えてもらうか。」
「ええ!?ちょっと…あれ、生きているんですの…!?」
「大丈夫大丈夫。冒険者にはよくあることだから。」
「気にするな。いずれ貴方も馴れる。」
「え、ええ…?」
大木に頭を突き刺して動かないクロノスを見たイゾルデがギルド支店でしばし見受けられるこの光景と同じ物を初めて見た人間と同じように驚いていたが、仲間達は大して気にも留めていない。それどころかそのうち慣れるから今は気にするなと言われる始末。
「…んぐ、ぷはぁ!!俺復活!!」
「ひぃ!!生きてましたの!!」
「ほらね。」
やがてクロノスは大木に突き刺さった頭を自分で引き抜き、妄想の世界から無事帰還した。
「ふむ…いい蹴りのセンスだ。しかもヴェラ並みに繊細で冷酷でどこかに優しさを残した感じ…ナナミは武闘家にクラスチェンジしても冒険者としていい結果を残せそうだな。」
「興味ないわ。素手で戦うなんて痛そうだし、手や足が硬くなっちゃいそう。」
「いやいや、武闘家の全身は柔軟で、女性ともなるとこれがいい抱き心地で…」
「クロノスさんは私に抱き枕になれとでも?変態さんだね。」
「いや抱くってそういう意味じゃなくて…まぁそう受け取ってくれていいや。」
「そんなことよりもさぁ…セーヌさんどうすんのさ?」
「むり…だめだめ…ぺーぺー…」
ふざけていたクロノスにアレンが声をかけて注目を引いた。どうやら彼は未だに立ち直れずにいたセーヌの解放を四人が話をしていた間もずっとしていてくれたらしい。無理だとか駄目だとかぶつぶつ言っているセーヌの背中を擦っていた。
「おっと、セーヌのことがまだだったな。ここまでは全く出てこなかったからもしかしたら最後までやり通せると思ったが遂に顔を出してしまったか…さてどうしたものか。」
「そういえばセーヌさん戦いの最中に急にどうなさったんですの?まさか精神に異常をきたす攻撃をモンスターから受けて…!!」
「いやそうじゃなくてね。元々これっていうか…」
「うえぇぇぇん…ごめんなさいぃぃぃぃ…」
セーヌは過去になにかあったらしく、クエストが絡むことになるといつものおっとりあらあらうふふな感じがどこかへ隠れてしまい、このようにネガティブな感じになってしまう。自分のふがいなさにどうすることもできずに彼女は泣きながら謝っていた。
「見るのは二回目だけど…やっぱりすごいねこれ…」
アレンも冒険者になってから受けたクエストで彼女や他の冒険者と共にミツユース近くの森に行った時にこの姿を一度見ている。その時はクエストを完了して街へ帰る時に同行していた他の冒険者が放った「さっさとクエストの完了をギルドへ報告して帰って一杯やろうぜ」の言葉でこのような状態になってしまった。アレンは友人のハンスやその妹が姉と慕う大人の女性の変わり様に大変に驚いていたし街まで連れて帰るのに随分な苦労をした。街へ連れ帰ってからはナナミが何やらセーヌへ言い聞かせて元に戻ったが、セーヌにクエストに関することを言わないようにするというのは猫亭に出入りする冒険者なら常識的なことだと聞かされた。その後何度か受けたクエストでは一度もならなかったので、あの時のことはもしかしたら自分の見間違いか何かだとさえ思っていたのだ。
「…ま、そういうわけでセーヌは何やら爆弾を抱えた治癒士というわけさ。」
「聞いたことございませんの。依頼の怖い冒険者なんて。」
結局、今の雇い主に隠し事をするのはかえって不信を持たせるかと、クロノスはセーヌの事情をイゾルデに語って聞かせた。どうせミツユースの冒険者はだいだい知っていることだし。
「あなた方のお仲間の中でこの人だけは礼節を弁えた完璧な女性だと思っておりましたのに…」
「完璧な冒険者などいるはずがないさ。皆理想を求め切磋琢磨する未完全な器なのさ。」
「不完全どころか水を注いだら漏れ出した挙句に割れてしまいそうなくらいに歪ですの。他に治癒士はいなかったのですか?」
「セーヌを仲間にした後で俺も一応探したさ。治癒士としてはセーヌより優秀とはいかなくても大きな問題のなさそうな奴を。探し出して団員に加えられたらセーヌは俺の愛人か何かとして傍に置いておこうってな。」
「欲望が漏れ出ているぞクロノス。」
「うるさいリリファ。セーヌを自分の女にしたいなんて猫亭に出入りする男全員の理想だ。この二つメロンに勝てる男はいない。…話を戻すが結局目ぼしい奴は見つからなくてな。まぁセーヌはセーヌで可愛げがあるし優秀だから別に代用の人間など必要ないじゃないかと今に至る。」
「イゾルデさんごめんね。隠すつもりは無かったんだけど…」
「…まぁいいでしょう。それさえなければ冒険者の中でも上の実力者のようですし、あたくしとしてはエリクシールを手に入れるのに支障が無ければどうでもいいですの。」
「ごめんなさいぃぃ…私ダメな子なんです…」
事情を知ったイゾルデはため息を一つして見せたが、それ以上はセーヌに関して言及する気はないらしい。納得した彼女にセーヌは弱弱しく謝っていた。
「しかし治癒士のセーヌが使えない状態だともしもの時に困るな。」
「どうしよう…一回スタート地点に戻る?」
「いや、このまま次の階層に進もう。」
「進むって、まだゴールは見えないよクロノス兄ちゃん?」
「本来ならそうなんだが…さっきナナミが蹴り飛ばしてくれたおかげでイイ物を運よく見つけることができた。ほらここ見てみろ…」
クロノスが自分の頭が突き刺さっていた大木の幹の穴の開いた場所を皆に見せると、そこには赤いボタンの形をしたスイッチがあったのだ。
「なにこれ?」
「隠しトラップだ。俺が突き刺さったところに偶然あったんだ。」
「トラップ…?なら押しちゃマズイんじゃ…」
「ところがだ。こういう隠された罠のスイッチって挑戦者にメリットとなる効果をもたらすことが多いんだ。ダンジョンポーションが原液で出てきたり、隠しの宝箱が出てきたり…後はゴールまでのショートカットが現れたりとかな。」
「へぇ…でもこのスイッチがどんな罠の物かわからないじゃん。多いってことは普通に外れの危ないトラップってこともあるんでしょ?」
「確かにそうだが、俺はこのスイッチがなんのトラップを作動させるものなのかばっちり知っているんだよね。前に見たことあるから間違いない。これは迷路をショートカットするためのものだ。」
「そうなのか?ならばさっさと作動させてゴールまで行ってセーヌを治そう。」
「慌てるなリリファ。俺が作動させるから君達は俺が指示したところに固まれ。ええと…」
逸るリリファを抑えたクロノスは地面に伏せると、そこを拳でこんこんと叩いきながら移動した。そして他と音を違う場所を見つけ出すと、そこに全員をまとめて並ばせたのだった。
「全員たったな?動くなよ。」
「大丈夫だよ。セーヌ姉ちゃんもおいらとナナミ姉ちゃんで支えているよ。」
「ご迷惑を…うう…」
「まぁまぁ謝んない謝んない。我ら猫亭ダメなところは団員同士で支え合おうってね。」
「クロノスさんは来ないんですの?」
「俺は罠を作動させなくてはならないからな。君達が行ってからそちらへ飛び込む。それじゃあ行くぞ…とりゃあ!!」
クロノスが拳で幹の中の赤いボタンを殴りつけると、ナナミ達の足元からごごごと大きな音が聞こえた。
「お、動いてる…」
「結構揺れるね。」
「スタートとゴールの水晶のような転移の魔術でも作動するんだろう。」
ナナミ達は揺れる足元からそのうち転移機能を持つ水晶が出てくるか、そうでなければ転移の魔法陣が起動するのかと思っていた。やがて足元の揺れが収まり、さぁ準備が終わったのかとクロノスが以外がそう思ったところで…
ぱかり
「…え?」「ん?」「あら?」「なに?」「えっと…」
足元が、突然両開きにぱかりと開いて真っ暗な穴がその姿を現した。足元を失った五人は身に起きたことに互いに目配せをする暇もなく…
「「「「「いやああああああああああ!!」」」」」
奈落へと落っこちて行ってしまった。
「この罠は単純明快なトラップの代表格…落とし穴。ただし底に待ち構えるのは獲物を串刺しにする竹槍や鉄の針でも、すべてを溶かす王の酸毒でもない。下はそのまま次の階層へ繋がっているのさ。いやーいい物を見つけた。さてと…俺も後を追うかね。よっと…」
誰に言う訳でもなく独り言を呟いてから、クロノスは落とし穴の蓋がひとりでに締まる前に五人が消えて行った底の見えない穴の中へ怯むことなく飛び込んで彼女たちの後を追った。
「クロノスさんのアホー!!先に言えー!!」
底の見えない奈落からナナミの恨み混じりの声だけがクロノス元へ届いてきたが、クロノスはそれをよくは聞いていなかった。なぜなら彼は今し方身を投げた落とし穴から繋がる地上をじぃっと見ていたからである。
「…本当にいい物を見つけた。セーヌという回復役が動けない中で彼らが襲ってきたらと思うと…俺は雇い主のイゾルデだけではなくクランの主として可愛い団員も守らなきゃいけないからな。」
またも独り言を呟くクロノスの視界に入っていたのは、小さくなっていく地上の穴からこちらを見つめるいくつもの姿。
「ぐうぅぅぅぅん…!!」
それは緑色の毛色に顔には三つ目を持った身の丈五メートルはありそうな大熊のモンスター
「ギロロロロ…!!」
それは口から紫色の二股に別れた舌をちろちろと見せた黄色と茶色のマーブル模様の体の大蛇。
「ギャウビビビビビ…」
それは鋼でできた肉体にコケが纏わりつき年季が入った大きなゴーレム。
他にもいくつもの危険な目が、獲物を獲り逃したとあちらからまだ辛うじて小さく見えるクロノスを恨みがましく見つめてきていたのだ。
「トライグリーンベア…危険度B+。イエローアラートスネイク…B+。鉄の巨人兵は…A+だっけ?このメンバーでいちいち相手にしたくはない程度の実力者だな。…そう。賢い敵はこちらが疲弊した後にやってくる。強い敵も同じだ。もたもたゴールを探してもとろとろスタートに戻っても彼らに襲われていただろう。俺に倒せない敵ではないが、今日の目的は君達じゃない。優秀な冒険者は目的を見失わないものさ。回避できる戦闘は、いちいち真正面から挑まない。無駄にダンジョンポーションをつかいたくもないからな。じゃあな!!」
クロノスは早まってこちらに飛び込んでくるモンスターがいないように二つの赤い瞳でモンスター達を威嚇した。そして落とし穴の蓋が完全に閉じきるまで地上を、地上のモンスターをじっと見つめていたのだった。
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種族名:ゴブリンモンキー
基本属性:地
生息地:大陸全土
体長:20~40㎝(尻尾を覗く。尻尾を含めると60~100㎝)
危険度:E
大陸全土の森林地帯に生息するゴブリン種の亜種モンスター。茶色い毛色の全身と体と同じくらいの長さの細長い尻尾の猿のような容姿が特徴的。雑食性で何でも食べるが、通常の餌はもっぱら木の実や昆虫類で、肉も獣の死骸をクマやオオカミが食べ残したものを偶に食す程度。兎などの小型の獣であっても襲ってまで食べるようなことは殆どない大人しいモンスター。長い尻尾は第三の手と呼ばれるくらいに器用で、それを使って木の枝にぶら下がったりもできる。
ゴブリン種の例に漏れず森の中で群れによる集団生活を行っており、群れの規模は大きい物でおよそ二百程度。過去には五百を超える群れが確認されたこともある。個体ごとに群れの中で役割を持っていて、普段外敵と戦ったりするのはその役割に殉じる個体のみ。その他は殆どが棲家の維持や群れで食べる食料の調達などを行っている。病気や飢えで群れの個体数が著しく減少して群れを維持することができなくなった時には、交渉役の個体が他の群れの長と接触してその群れに受け入れてもらう生態を持っているが、この時交渉役の個体が全て死んでいなくなっていると交渉を行わずそのまま群れが全滅、または崩壊する。この性質はゴブリン種を研究している研究者にとって非常に興味深いものであり、作物の被害に悩まされる農場経営者や地域の役人などもゴブリンモンキーを群れから根本的に駆逐する可能性として注目している。
普段はテリトリーの森の中でも斥候役の個体くらいしか人前に姿を見せないが、仲間意識が大変に強いので、外敵に仲間が傷つけられると役職お構いなしに群れ全体で外敵に挑み撃退する。また森の実りが少ない年には群れ全体で人里に下りて畑の作物を荒らすので、ゴブリンモンキーの棲息が確認されている森に面した村や街からはしばしば討伐のクエストが冒険者ギルドに持ち込まれる。
ダンジョンで確認できるゴブリンモンキーは倒すと乾燥した尻尾をドロップアイテムとして稀に落とすことがあり、これは錬金術や薬の素材として希少な価値を持つので冒険者ギルドに高く買い取ってもらえる。ただ落とす確率が非常に低く狙って出せないのでそれを目的にダンジョンでゴブリンモンキーを探すのは得策ではない。地上の個体はもちろんドロップアイテムなど落としてくれないので、欲しい場合には死骸から尻尾を切り落として血を抜いてから日の当たらない所でよく乾燥させること。
一匹一匹は駆け出しの冒険者でも武器があれば無傷で倒せるくらいでそこまで強くないが、集団攻撃による疲弊からの体力負けでの袋叩きや、噛み付かれた際に感染症に陥るケースがあるので、小さく弱いからと決して油断せず、万全の状態でないときは無理に戦わない。そして戦う際は群れの個体数をきっちり把握したうえで群れ全体を相手にするつもりで挑むこと。
ギルドのモンスター資料より抜粋
参考資料「シヴァル・レポート-全然珍しくもないクッソつまんないモンスター編」
参考資料「秋場の作物被害をもたらす害獣たち」
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