第106話 引き続き迷宮を巡る・二日目(続々・迷宮ダンジョン内四層目での出来事)
「―――というわけだ。今俺たちは休憩と食事をしながらここを通る術を探していたのさ。」
「少しの衝撃で爆発する蝶、超爆蝶とそれで誘爆を起こす花、ユーバッカの花。それに毒か…確かに参ったなぁ…」
火の勢いがすっかり弱まった焚火を囲むようにして腰を下ろしていたイゾルデ一行と後から現れた冒険者の一行。彼らは初めは誰もが目の前に現れた互いを警戒していたが、クロノスとリーダー格の男が代表して話し合いとりあえず相手に敵意がなさそうだと結論を出したことで、警戒心が多少解けたので話し合うことにしたのだ。ちなみに食事の際の道具は既になんでもくんの中へ片付けてある。
迷宮ダンジョンに限らずダンジョン内ではモンスターや罠だけでなく、同じくダンジョンに挑戦する同業者の冒険者も危険の対象に挙げられる。彼らの中には外部の人間の目が無いのをいいことに自分達よりも弱かったりパーティーの人数の少ない冒険者からしばしば強盗紛いの犯罪を行う物もいるのだ。その中でも特にひどい者は碌に荷物を持たずにダンジョンへ入り、出くわした冒険者を襲って食料や道具を調達するという話さえある。
「ダンジョン内での犯罪は目撃者が被害者と加害者以外にいないので、帰ってこない冒険者がいてもモンスターや罠にやられたのだとしらを切ってしまえばいい。何も知らずに油断するバカな同業者が悪いのだ。」とは、過去にダンジョン内で冒険者を食い物にし続けたことで捕まったとあるお尋ね者冒険者の言葉。そういった理由もありダンジョン内で見ず知らずの同業者に会ったら、挨拶よりもまず警戒して互いの素性を露わにすることが暗黙の了解となっている。逆に警戒しないと素人扱いされてしまうこともあり、ダンジョンに挑戦しようと思った冒険者はまず初めに覚えなくてはいけないことの一つになっていたりもする。
「さぁ、俺たちの現状は話したぜ?今度は君達を教えてもらいたいな。…いや、そういえば自己紹介すらまだだったな。俺はクロノス。しがない零細クランの猫の手も借り亭で可愛い団員達の指揮を執っている新米クランリーダーさ。今日はこの迷宮ダンジョンで出たと言うとあるお宝を探し求めて来た次第さ。そんでこっちが団員達と俺らにクエストを出した依頼人。」
「ど~も。」「よろしくだ。」「お初にお見え掛かります。」「こんにちは。」
「…どうもですわ。」
相手の名を知るのにこちらは名乗らないのは失礼だとクロノスはまず自分とナナミ達猫亭の団員。それに依頼主のイゾルデを紹介した。クロノスに紹介されナナミ達は軽く挨拶し、イゾルデも自分を知る者がいないか警戒して帽子で顔を少し隠して会釈した。
「依頼人をダンジョンの中へ連れてきているのか?それに女子どもばっかりとは、変わったクランだな。猫の手も借り亭…知らん名のクランだな。まぁクランなど数多あるしいちいち気にすることも無いか。ギルドから危険視されているクランの中にも無い名だしな。俺の名はイグニスで所属クランはない。それとパーティーの仲間と、これは俺らが雇った運び屋だ。」
「ギースだ。」「ヴァリストだぜ。」「俺はマット…ん?」「…」
イグニスと名乗った男はクロノス達へ仲間の紹介をし返した。そしてイグニスの三人の仲間達も軽く挨拶してきて、それを真似するように小汚い少年が何も言わずに、にへらと笑って見せた。
「男の人ばっかりだね。」
「そりゃあな。元々冒険者は男の方が多いし、女は身を守るために女同士で群れるから大抵の冒険者パーティーなんて俺らみたいにむさ苦しい物さ。」
「そうそう。むしろ女の方が多いお前達のパーティーが珍しいのさ。普通はな、こんな小汚いダンジョンに何日もこもりきりなんてマトモな思考の女にゃ無理だと思うね。おっと、お前さん達がマトモじゃないってわけじゃないぜ?」
「まぁそれは気にしてないけど…」
「ダンジョンは男冒険者が活躍する舞台ってのは冒険者稼業やってりゃなんとなくわかるさ。俺たちゃ健全な方の冒険者だという自覚はあるが、あくまでそれは冒険者基準だ。危ない目を見たくないならなるべく女衆はこっちには近づかないでくれよ?」
「ああ、俺たちは今日は三層目からのスタートで地上を発ってまだそこまで時間が経っていないからこうして話をできているが、命の危険と隣り合わせで地上の娯楽を発ち続けた男は女の匂いを嗅いだだけで襲ってくることもあるからな。特にこの迷宮ダンジョンは冒険者以外にも騎士や傭兵、どこぞの流れ者なんかも来るから、女は男に対して絶対に油断するな。」
「そういうわけでそっちのシスターの姉ちゃんと依頼人の姉ちゃんは特に近づかないでくれ。…マジでかなりの美人だな…二人とも自覚はあるのか?」
「はい…?」「はぁ…?」
そう言ってイグニスの仲間達は今迷宮都市にいる女性の中でもトップを争うレベルの美貌を持つセーヌとイゾルデに自分達からは離れるようにと警告を入れたが、二人とも自分の容姿に絶対的な自信を持っていないので頭にハテナを作っていた。
「おいおい…そんなんで大丈夫かよ?他の仲間で守ってやれよ?」
「そうだね。イゾルデさんもセーヌ姉ちゃんも気を付けてね。いざとなったらおいらが盾になってやるよ。」
「まぁそれは…ありがとうございますの小さな騎士さん。」
「いざというときは頼りにさせてもらいますね。」
アレンが得意げに己の胸を拳で打って二人を守ると言ったので、とりあえず二人はアレンを茶化しつつお願いしておくことにした。最も二人はそれなりに腕が立つので生半可な男に襲われても自分で撃退可能だろうが。むしろアレンの方が危ない目に遭いそうである。
「ちょっと。私とリリファちゃんも女なんですけど!!」
「おお悪い悪い。でも流石に子どもに手を出すほど落ちぶれちゃいないから安心していいぜ。お嬢ちゃん達は強盗の方に注意するといい。子どもなんて犯罪者のいい的だからな。」
「これでも私16歳なんですけど?」
「マジ…?ナナミちゃんだっけ?お嬢ちゃんハーフリング族か何かか?それにしちゃ随分とでかいけど…耳も丸耳で尖がってないし…」
「普通の普人族です!!…この大陸基準だと。」
イグニスの仲間の一人がナナミの種族がハーフリングではないかと尋ねると、彼女はそれを勢いよく否定した。ちなみにハーフリングというのは大人でも普人族の成人の半分ほどの身長しかなく、皆子供のような童顔で長く尖った耳が特徴の種族である。
「そうか。お嬢ちゃんみたいなのもいるとは世の中はまだまだ広いな…」
「まぁ一応二人もあんま俺らに近づかないでくれ。何かする気もないが一応な。」
「そういうことにしておくわ。初対面なんだから多少の警戒もしなくちゃね。」
「女性に気を利かせられる冒険者ってのは無条件で質が高いもんさ。逆はアテにならんが…とにかく、彼らに過度な警戒はいらないだろう。危ない臭いもしない健全な冒険者だから安心するといい。」
自分達の評価を下げても女性に対して警告できるあたり質の高い方の冒険者なのだろう。彼らならいきなり襲ってきてお互いに嫌な血を見ることは無いだろうとクロノスは完全には下していなかったイグニスパーティーへの評価をそう確定して、誰にも気づかれないように剣に掛けていた手を離した。
「イグニス…ね。覚えたよ。君がそっちのパーティーのリーダーってことでいいのかな?」
「ああ。これでも一応Bランクでね。メンバーの中で一番ランクが高いから、なし崩し的にリーダーやらせてもらっている。」
「へぇ、Bランクね。君と同じランクだぜセーヌ。」
「まぁそれは…親近感を覚えますね。」
「ほう、シスターのお嬢さんもか。…あんたかなりできるな。戦闘力だけならA級の下の奴と同じくらい…いや、それ以上にあるな。何者だ?」
イグニスはそう言って座り方にもどこか気品を感じさせるセーヌを見て、彼女のシスター姿というダンジョン内では奇天烈な見かけで気付きにくかったセーヌの確かな実力を読み取った。
「何者かと聞かれても私はしがないただのシスターでございます。」
「恍けるなよ?俺はこれでもあんたと同じB級だぜ。だいたいの実力は見ればわかる。…そっちのクランリーダーさんもとんでもない冒険者だってこともな。今の迷宮都市には例の薬をダンジョンから手に入れようとあちこちから来た有象無象ばかりかと思ったが、強者もきちんといるようだ。セーヌか…俺には聞き覚えがない名だが…」
イグニスが自分の冒険者ランクがB級であることを明かすとこちらでも同じBランクのセーヌがそれに答えていた。しかしイグニスはセーヌのことを知らなかったようだ。対するセーヌも冒険者稼業をつい最近まで休止していたので、イグニスのことは知らなかったようだ。
「イグニスよ。単におめぇが知らないだけじゃないのか?」
「そうだぜ。こんな別嬪さんが冒険者していたら絶対耳に聞くし、姿絵の一つや二つ出回るぞ。美人にランクは関係ないからな。滅竜鬼のアティルとか風紀薔薇のディアナとか…あいつらの絵だけでいったい何人の男から搾り取ったんだろうな?財布の中身もアソコの中身もな!!」
「ギースもヴァリストもよせ。女性の前だぞ?それに冒険者ってのはB級になった途端に数が減るから、有名な奴は大体名前が知られているもんだ。俺が知らんのは少しおかしい。失礼だが、お嬢さん姓か二つ名は…ん?どうしたマット…」
「あわわわわ…」
二つ名を聞けば何か心当たりがあるかもとイグニスがそれを聞き出そうとしたところで、隣にいた仲間のマットが震えていたことに気付いた。
「おいおいどーしたマット…うわ!!お前漏らしてるぞ!!汚ね!!」
「いったい何が…」
「あわわわわ…ぐぇぇぇ…」
顔を真っ青にしたマットに仲間のギースが肩に手を掛けた時、彼のズボンに染みができていたことに気付いた。ギースが慌てて肩から手を離すが、今度はマットは地面に手をつけて苦しそうにしていたのだ。
「いったい何が…」
「昔こっぴどくフラれた女に似ていたんじゃないか?」
「こいつがこのシスター程の上玉の女と付き合えるわけないだろ。」
「…セーヌ。君…」
「何でございましょうか?」
苦しむ仲間をからかいつつ心配そうにしていたイグニスたちを見て、クロノスは何かに気付いたようでセーヌにそれを尋ねた。
「あのマットとかいう男に見覚えは?」
「いえ…ミツユースでは会ったことはございませんが。」
「それよりも前。君が冒険者稼業を一時休止する前のことだ。」
「さすがにそれよりも前の話は…何せ五年も前の話ですから。」
「しょうがない。本人に直接聞くか…なぁ君。」
「あわわわ…何?」
「…稲妻。」
「…!?あわっひゃっひゃあ!!」
「…やはり。」
「…まさか。」
クロノスに稲妻という単語を投げかけられたマットはいきなり飛び上がってそのまま後ろへ仰け反ってしまう。確信していたクロノスとそれを見て何かに気付いたイグニス。
「まさか…あの稲妻のセーヌか!?クエスト達成率100%の!!」
「今はもうそうではございませんが…」
クエストというう単語を聞いて少しばつの悪そうにしたセーヌは、イグニスの言葉を肯定したのだった。
「稲妻のセーヌ・ファウンボルト…それならば俺も知っている。雷そのものと言えるくらいの暴れん坊で、子供と侮った奴らをことごとく消し炭にして、そいつらに雷の音を聞けば漏らすくらいの恐怖を残して去っていくと…あんたの伝説はBランク冒険者とは思えないくらいの物が多々あるぞ。」
「そういやマットの奴、昔子供の冒険者に絡んで真っ黒になって帰ってきたことがあったような…」
「こいつ雷雨の日は調子が悪いっていつも宿屋に籠るんだよな。」
「すみません…昔の話は…恥ずかしいので…」
「すまない。だがずっと話を聞かなかったからてっきり死んだか冒険者稼業から足を洗ったとばかり…そうだよな…子供でも年が立てば大人になるか。」
イグニスが自分の知っている話での子供の頃のセーヌと今目の前にいるセーヌとのギャップに絶句していた。なお彼女のおっきな胸元の方にちらちら視線が行っているのは男なので仕方ないか。その間セーヌはイグニスの語る自分の過去を聞き顔を手で覆って隠していた。本当は耳も塞ぎたかったのかもしれないが人間の手は二本しかない。彼女としては真っ赤になった顔を人前で見せる方が恥ずかしかったのだろう。だがわずかに隙間から覗く素肌が真っ赤になっているのが見えたし、覆わなかった耳も真っ赤になっているのであんまり隠せていなかった。
「稲妻…うげげげげげ…!!」
「おいマット大丈夫か?」
「正直悪いのは昔にちょっかい出したお前だぜ?ツケが返ってきたんだ。今ここで過去にしでかしたことを謝ったらどうだ?」
「だって…あいつが子供の癖に生意気だったんでちょっと大人ぶってやろうかと…まさかまた会うなんて…うげぇぇぇ…!!」
「だめだ。こいつ完全に昔のトラウマが顔を出してやがる…」
「セーヌさん昔この人に一体何をしたのさ?」
「セーヌさんの過去…気になるわ。」
「そういえばミツユースにも昔セーヌにちょっかいかけて痛い目を見たやつがいたな。」
リリファが思い出したのはミツユースに留まっていた旅の冒険者の一人だ。彼はセーヌが猫亭の団員になると、何日かしてからズボンが渇く暇がないと猫亭の団員や出入りしている冒険者に暇乞いを告げてミツユースの街を去っていた。
「ごめんなさい…シスターに拾ってもらう前の無教育の私はちょっと自分では…ごめんなさい…」
「気になる…むむむむ…!!」
「セーヌの過去も気になるかもしれないが、今はこのマップをどう攻略するかだ。」
「そうでしたわ。だいぶ話が逸れてしまいましたの。クロノスさんは水を掛ければ蝶も花も対処できると仰っていましたが、そちらでどなたか水属性の魔術が使える方はおりませんの?」
「そうだな。水をかけば超爆蝶もユーバッカの花も対処可能なのは俺も知っているが、俺たち全員魔術は不慣れでな。俺が火属性の下級をいくつか使えるだけだ。水が手に入らないとなると…」
「ちょっと待ってくれよ!!」
ナナミ達が恥ずかしがって頭から煙を上げるセーヌを宥め、イグニスの仲間が今だに苦しそうにして痙攣を起こしているマットを落ち着かせている間に、クロノスとイゾルデとイグニスがこのマップをどう通ろうかと話し合っていると、そこでずっと黙っていた運び屋の少年が初めて口を挟んでいた。
「どうした運び屋よ。ここのマップの攻略手段に何か心当たりがあるのか?」
「そうじゃなくてここを通るつもりなら止めておいた方がいい。旦那、勘弁してくれよ。ここ運び屋仲間の間じゃ超有名なハズレマップなんだよ。爆毒野原なんて言われていて何も知らない初見のバカが当たりのマップだと警戒せずに突っ切ろうとしてみんな爆死しちまってるらしいんだ。まだ浅い方の階層だから油断する奴が多いんだろうぜ。」
「ふん、運び屋ならマップの情報以外は口出しせずに黙って荷物を運べ。どうせこれ以上重たい荷物を持ちたくなくて口から出まかせを言ってるんだろう。何層歩かせても雇い賃は一定払いの契約だからな。さっさと地上に戻ればお前はその分得をする。」
「そうじゃないよ!!俺死にたくないって言ってんだよ!!頼むよ。このマップは止めておこうぜ?引き返してくれたら次に迷宮ダンジョンに挑戦する時に半値で運び屋引き受けてやるからさ。」
「どうだか。そんな口八丁は地上に戻ってもそんなこと言った覚えないと恍けてお終いだろうに。それか別の運び屋の誰かが言ったことだとはぐらかすだろう。お前達浮浪児は顔の見分けが誰が誰だかわからないからな。」
地上に引き返そうと意見する運び屋の少年に、ややきつめの口調で言い放つイグニス。少々かわいそうかもしれないが、運び屋は所詮雇われの身だ。優しくすると逆に調子に乗って舐めて掛かられてしまうかもしれない。運び屋の中には格マップの罠や危険なモンスターの出現場所を熟知していてカモの雇主をそこに嵌めて荷物を盗んで一人で地上に帰る者もいるらしい。それを見ていたクロノスもイグニスの対応は当然だと思っていたし、彼が少年を武力で脅すような真似をしない限り手出しするつもりも無かった。
「運び屋の彼はそう言っているが、君達も地上に引き返してマップを変えてもらうつもりはないんだろう?」
「ああ、そのつもりはない。」
「そんな…!!」
イゾルデ一行もイグニス一行も一度地上に戻って別のマップに変えてもらう気はさらさらなかった。なぜならこのマップは迷宮ダンジョンの知識がそれなりにあるクロノスとイグニスから見ても当たりの楽なマップに思えるからだ。
「あんたの話通りならこのマップには爆発と毒のモンスターだけでそれ以外のモンスターも罠も無い。素人は危険なマップだと思うだろうが、その程度で済むこのマップは比較的楽な方だ。対処する相手の種類が少ないんだからこれほどやりやすいことはない。それに…引き返すのはヴァリストが認めないだろうからな。」
イグニスが引き返せない理由として出したのはもう収集がつかないとマットを殴って気絶させていたあちらのメンバーのヴァリストだった。彼はマットをギースに預けた後で自分が話に出たことに気付きこちらへ来た。
「その通りだぜ。迷宮ダンジョンへの侵入は一日一回。帰還した日には再挑戦できない。今日だけで入り口に何時間並んだと思ってるんだ?今も地上じゃあの薬を求めてぞろぞろと冒険者やその他が迷宮都市に押し寄せてきているだろうさ。イグニスは有象無象と言ったがこの間だってS級冒険者のレッドウルフが自分のクランの団員と街を歩いていたらしいし、噂じゃ賊王や風紀薔薇まで来たらしいじゃなか?もたもたしていたら他の連中にアレを取られちまう。」
「噂と言うか本当に来てらっしゃいましたの。」
「…マジ?ならなおさら急がねぇと。」
「例の薬…どうせそっちもその口だろうから隠しても意味ないか。エリクシールだが、ヴァリストの奴が大層御執心でな。」
「そうなのか。ヴァリスト、君は誰かにエリクシールを使いたいのか?」
「ああ、故郷の村で暮らす俺の妹がな…火事で顔を火傷しちまって酷い有様なんだ。このままじゃせっかくこないだ決まった村長の息子との縁談もぱぁになったうえ、あのかわいそうな顔で生きて行かなきゃならん。」
「それはお気の毒に…」
「他にも俺と似た理由やもっとひどい理由で誰かのどこかを治したい奴らがいるってのはわかってる。もちろんそっちの雇い主のあんたにもエリクシールを求める理由があるんだろう。だが俺にとってどこの誰よりも妹の方が大事なんだ。俺は妹に村一番の別嬪と言われたあの顔を取り戻してやりてぇ。そんな矢先でエリクシールの噂を聞いて迷宮都市へ隣の国から走って来たんだ。だから…エリクシールは俺の物だ。誰にも譲らねぇ。」
「そういうことなんでな。ヴァリストは俺たちの大事な仲間だ。できるならその望み叶えてやろうって話なのさ。俺たちとしてはエリクシールを売ってその金で妹さんの顔を治せる腕のいい名医に診てもらった方が余った金でもっといろいろできるだろうし、俺らも得できると思うんだがな。」
「それはそうかもしれないが…だがまずはエリクシールを手に入れたい。というわけで悪いがあんたらもライバルだ。遠慮はしないぜ。」
「なるほど…皆エリクシールは欲しいという気持ちは同じか。だがまずはここを進まなければ次の階層へ進めまいよ。やはりここはライバル同士、手を組んでここを突破しようじゃないか。」
クロノスの言葉にセーヌとマットを落ち着かせてこちらへ合流したナナミ達含め全員が同意した。
「そういえばクロノスさん。ここを通る方法の三つ目の手段をまだ聞いていなかったけど…三つ目って何?」
「おおそうだったな。三つ目はイグニス達のような協力的な他の冒険者パーティーがいなければ難しかったんだが…タイミングよく来てくれたから実行できそうだ。たぶんそれなら確実にあの蝶をなんとかできる。」
「なんだ?二つのパーティーで全方位を防御してあちらへ歩いていくとでも?」
「いいや、そうじゃない。ダンジョンに挑戦する冒険者なら誰でも持っていそうなもの…俺らは持ってこなかった物が欲しい。」
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「…で、欲しかったものっていうのが…」
「それ…?」
「ふがふが。」
ナナミとアレンの問いにクロノスはふがふが言いながら返答した。決してふざけているわけではない。彼の口が欲しかったある物で塞がっていたからだ。そのことを目の前で見ていたのでナナミ達もふざけているのかとはあえて口にしなかった。
「確かに持っていたが…」
「それで何とかなるのかよ?」
イグニス達もその声に呆れと不安を混じらせていた。おそらくそれはこの場にいたクロノス以外の全員が思ったことだろう。なぜなら彼が口に咥えていたのは…
「なんで爪楊枝?それもそんなにたくさん咥えて…」
そう。クロノスは口に何十本もの爪楊枝を咥えていたのだ。
「ふがふが、ふがふがふがが、ふがふがふ。」
クロノスは何か言いたげだったが、口に爪楊枝をたくさん咥えていたので上手くしゃべれないようなので私が彼に代わって説明したい。
冒険者の長期間のダンジョン滞在や自然の中での活動において欠かせない物の一つに爪楊枝がある。何に使うのかと言えばそれは爪楊枝の存在意義そのもの…歯の掃除をするためである。
そんなの歯ブラシを使えばいいじゃないかと思うかもしれないが、これがそうもいかない。旅の途中の大自然やダンジョンの中では口に含められる安全な水の確保は難しいか全く手に入らないので安定しない。自然水を煮沸して水を得たり持ってきた飲み水も貴重なのでそれで口を濯ぐのも憚られる。そんなわけで冒険者の街の外での歯の手入れと言えば爪楊枝で最低限の食べカスを除去するか、そうでなければ歯磨きをして濯ぎに使った水をそのまま飲み水としても飲んでしまうことの二つが主流だ。後者は雑で汚い冒険者でも抵抗を覚える物が結構いるので必然的に前者の手法が良く取られ、結果冒険者なら旅の荷物に爪楊枝は必需品であった。冒険者に限らず冒険者でない旅人も結構とる手段である。
「おいらたちは爪楊枝持ってきてなかったもんね。」
「私達は全員歯ブラシだったしね。」
迷宮ダンジョンへ挑戦するためのミツユースでの準備の際、クロノスもこれに則り爪楊枝とそれを入れる木箱を用意していたが、口の中を綺麗にしないのは絶対にノウ!!と、ナナミとイゾルデが強い抵抗を見せたのだ。アレンとセーヌもできれば歯ブラシを使いたいと軽く拒否していたので、やむなく新品の歯ブラシをイゾルデの分含めて全員分購入して、爪楊枝は猫亭に置いてきたのだ。置いてきた爪楊枝は今頃出入りの冒険者がつまみが挟まった口にしーしーやって全部使ってしまっただろう。
「ふがふが。」
「俺たちが来なければ爪楊枝が手に入らなかったのはわかったが…それでいったい何をするつもりなのだ?」
「ふががが…ふが?ふがが…」
要領を全く掴めぬイグニスの問いにクロノスは相変わらずふがふが返していたが、ふと何かに気付き口から爪楊枝を一本取出して手に持った。ちなみに最後のふがは「整った」と言っている。他の誰にもわからぬが、私にはわかるのだ。
爪楊枝を一本だけ取出して何をする気かと見守る一同を背にしてクロノスはスタート地点のモンスターが襲ってこない範囲ぎりぎりの目印に枝を刺した地面まで歩いていき、立ち止って丘の下でひらひらと何食わぬ顔で飛び回っている超爆蝶の一匹をじぃっと見据えたのだった。その蝶はこちらに気付くことなく仲間とダンスを踊っていて、こちらから距離にしておよそ十五メートルといったところか。そんな蝶に向けてクロノスは手に持つ一本の爪楊枝を構えていた。
「…シッ!!」
やがて狙いが定まったのかその一匹に向けて指で挟んだ爪楊枝を投げつけた。軽い木でできた爪楊枝など軌道が安定しないかと思うが、それでも投げられた爪楊枝はまっすぐに逸れることなく狙った蝶の横に向かって行き、蝶がひらひらとそちらへ飛んで行くのと同時に、それの胴体へぶすりと刺さったのだ。
「刺さった…!?」
「あの距離の蝶に!?」
「爪楊枝があれだけ飛ぶのか…?」
クロノスのやった離れ業に誰もが驚いた。爪楊枝が十五メートルも先に飛んだ事実だけではない。ひらひらと不規則に宙を舞う超爆蝶の胴体に正確に爪楊枝を突き刺したクロノスの腕前もだ。十五メートル先の蝶などかなり小さく見えるので腹に刺さったかどうかは全員が見えたわけではないが、目の良くない者も超爆蝶に爪楊枝が当たったことだけははっきりとわかった。
「なるほど。遠距離からさっさと爆発させて処理してしまおうと言う訳か。」
「だが爆発させてしまうと周囲に毒の粉が飛ぶ。あそこは通れない。」
「それに奴らすぐ復活しちゃうんだ。ほらあれも…」
超爆蝶は衝撃を受けると自爆する。そして周りの超爆蝶やユーバッカの花も誘爆してついでに毒の蝶や花を巻き込み毒の粉が立ち込める。さらにこのマップでは倒したモンスターが同じところに同じ数だけ即座に復活してしまうようなので、事前に全て爆発させてしまうと言う作戦は不可能である。そのことを先ほど見ていたアレンはあの蝶も爆発してしまうだろうと爪楊枝が腹に刺さったまま地面に落ちていた超爆蝶を見つめたが…
「…あれ?爆発しない?なんで…」
なぜか超爆蝶は爆発する気配を見せずに、地面で脚や羽をぴくぴくと痙攣させていた。アレンはもしかしたらクロノスが違う種類の蝶を射抜いたのかと思って地面の蝶を見直したが、その赤くて大きい蝶はやはり超爆蝶だった。
「クロノス兄ちゃん何やったの?」
「ふが…」
「あ、ちょっとどこへ…」
なぜあの蝶は爆発しないのか?その理由をクロノスに尋ねようとするとクロノスはスタート地点の範囲を示す枝から先へ出て、丘をどんどん下って爆発する蝶の舞う花畑へ向かって行ったのだ。そして丘を完全に下り花畑の中へ入り、足元のユーバッカの花と思わしき色の花を気にするでもなく、むしろ堂々と踏みつけて、口から爪楊枝を取り出して上空の蝶たちへ向けた。
「…シッ!!…シッ!!…シッ!!」
仲間が一匹やられたというのに気にも留めず優雅に飛び回る蝶たちへ、クロノスは次々と爪楊枝を投げつけていく。爪楊枝は全て蝶の腹部に刺さり、それを受けた蝶はへろへろと地面へ落ちて行った。
「…こんなもんか。おい、この辺は来ていいぞ。足元の蝶は踏むなよ。花は別にいい。ユーバッカの花は爆発くらいの衝撃でないと爆発しないからな。踏んだくらいでは爆発しない。」
やがて周囲を飛び回る蝶と口に咥えた爪楊枝が全て無くなると、クロノスはスタートの領域で自分の投げた爪楊枝が蝶を打ち抜くのを見ていた仲間達を呼び寄せた。彼らは最初は蝶を心配して中々スタートから出てこないでいたが、クロノスが早く来いと囃したてるので恐る恐るこちらへ来た。
「うわ…この辺のみんな落ちてる。」
「死んでる…のか?」
「ここにいると他の蝶が来ちゃうんじゃないの?おいら学校で習ったよ。蝶々って適当に飛んでいるように見えて実はテリトリーを持っていて他の蝶を追い払ったり逆にテリトリーを奪ったりするって。」
「それなら大丈夫だ。あっちのやつを見てみろ。」
アレンはクロノスに言われ向こうの方で飛んでいる蝶を見たが、その蝶たちは延々と同じところを飛び回っていて、こちらへ来ることは無かったのだ。
「本当に来ないね。でもどうして他の蝶はこっちへ来ないの?」
「あいつらそれぞれ決まったテリトリー…守る領域があってそれ以外に興味ないみたいなんだよな。自分の縄張り以外では何があろうとそちらには行かない。死んでもすぐ次が出てくるんだから来る必要が無いのさ。」
「へぇ~それで来ないんだ。」
「あいつらは見た目は蝶だが実態はダンジョンが生み出したモンスターだ。見た目で地上の生き物と同じと思わない方がいいぜ。」
クロノスは水を汲みに行く間の道中で飛び回る蝶たちをしっかりと観察して、蝶は自分のテリトリー外へは出ず、また他の蝶が消えてもそのテリトリーを奪いに行くことはしないことに気付いていた。そのことを伝えるとアレンは納得していた。
「蝶の方はわかったけど…どうやったら爪楊枝をあんなに遠くへ飛ばせるのよ。しかもそれを飛んでる蝶のお腹に刺すなんて。」
「そのままなら俺もそんなに正確に飛ばせないさ。口の中で湿らせたり齧ったり舐めたりして飛ばしやすいように形を整えたのさ。飛んでるのも軌道をよく見ればどっちの方へ飛んで行くのか予想するのは簡単だ。」
ナナミの問いにクロノスはさして何も問題が無いかのように答えたが、ナナミにとっては大問題である。何をどうやれば何十本もの爪楊枝を同時に形を整え、それを飛び回る蝶に残らず刺すことができるのか。それに例え形を整えたところで軽い爪楊枝が遠くまで投げ飛ばせるとも思えない。
「もちろん魔力で威力を補正してあるぞ。それにここの野原は無風だから放ってからの軌道もそこまで変わらない。」
「準備してもできないと思いますけどねナナミさんは…」
「そっちは今更だ。こいつがどういう冒険者かわかるだろう。それで?結局どうして蝶は爆発しなかったんだ?」
「活け締め。」
「…活け締め?」
リリファの質問に答えたクロノスの言葉をナナミは疑問混じりに復唱した。活け締め。それは生きた魚麻痺させて脳死させ、生魚としての鮮度を保つ技法である。ナナミは日本人であるためやり方を知らなくても聞き覚えはあったが、まさかこちらの世界にもある技法だとは知らなかった。しかし普通は魚に使う物だが、まさかクロノスはそれを蝶相手に使ってみせたと言うのだろうか。
「活け締めというには少し語弊があった。あれは死んでも腐敗し辛くするものだからな。ようは超爆蝶が爆発するのは衝撃が脳に伝わって本能で自爆するからだ。なら脳に死んだことが伝わる前にそこを通る神経を絶って、脳に自分はまだ生きている。何もされていないと思いこませればいい。こいつらは死んでいるよ。そのうち魔貨に変わるさ。だがこいつらは、こいつらの脳は自分が死んだと思っていない。今自分は大空を舞っていると思っている状態で死んでいるのさ。正確には仮死状態だが…ここから助かる術は無いから死んだも同然だ。」
「えぇ…そんなことできるの…?」
「生き物には皆生命のツボ…経穴がある。もちろんモンスターにもだ。超爆蝶の命を一瞬で失う経穴を爪楊枝で射抜いて仮死させた。こいつが爆発しなければ、ユーバッカの花も誘爆しないし、毒を持つ蝶や花も爆発に巻き込まれて毒の粉を散らすことも無い。超爆蝶は死んだ後も爆破性が残るから触ると危ないが…踏みつけないように進めば問題ないだろう。さ、残りもぱぱっとやっちゃうぜ?はい次の爪楊枝くれくれ。」
「あ、ああ…」
何食わぬ顔で説明したクロノスはイグニスに次の爪楊枝を寄越すように催促して、彼から爪楊枝の箱を受け取って中の爪楊枝を最小と同じように次々咥えていくのだった。
超爆蝶とユーバッカの花。それにその他の毒の蝶や花を回避してゴールを目指す三つ目の方法。それはよその冒険者から道具の提供を受けてクロノスが一番の脅威である超爆蝶をなんとかすることだった。
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「はいゴールゴール。これでもう四層目はクリアだ。おめでとう君達。無血突破だぞ?もっと喜んだらどうだ?」
「わ、わーい。」
「嬉しいな…」
たいして心に籠っていないような喜びで、ナナミ達は次の階層へ続く赤い水晶と地上へ戻る青い水晶のあるゴール地点を踏みしめた。
結局、イゾルデ一行とイグニスパーティーはゴールまでの道を塞ぐように飛ぶ蝶にクロノスが爪楊枝を打ち込み、活け締めして無力化させることで最後まで渡りきったのだ。使った爪楊枝の数169本。無力化した蝶169匹。そこに一本のロスも無く百発百中であった。
「ゴールに着いたけど…」
「俺たち何もして無いような…」
「そんなことないぜ?君達は素敵な武器を提供してくれたじゃないか。爪楊枝。あれが無ければ超爆蝶の経穴を突けなかった。他に小さな経穴を突けるたくさん使い捨てできる物は無いからな。戦わないことを気にすることはない。冒険者はいちいち戦わずに無駄な戦いを避けるものさ。大した労力も使わず避けれたんだから喜ぶといい。」
「そうか…そうだな。そういうことにしておく。」
クロノスにそう言われて納得できていないような冒険者の中のイグニスが真っ先に思考を切り替えて、このマップを無傷でゴールできたことを喜んでいた。切り替えの良さはさすがB級冒険者といったところか。
「お前らも素直に喜んでおけよ。」
「…そういうことにしておく。S級冒険者に常識を求めてもいちいち突っ込んでいられないからな。」
クロノスがS級冒険者であることはゴールまでの道すがらにナナミ達によって聞かされていた。それに初めは驚いたイグニス達だったが、あの爪楊枝で蝶を刺し貫いたただならぬ腕前を先に見ていたのでそれならば納得だとその後は驚きもしなかった。
「ま、共同戦線はここまで。ここからはお互いエリクシールを狙うライバルに再び戻るわけだ。」
「その通りだな。迷宮ダンジョン内で出会った人間が同時に水晶に触れても同じマップに出ることはない。偶然一致するかもしれないが…このダンジョン内でまた会うことはないだろう。」
「そうだな。俺達は装備や忘れ物の確認をしてから行くから君達が水晶を先に使うといい。」
「では俺たちから先に行かせてもらう。互いの健闘を祈る。」
「イグニスはああ言ったがまたどっかのマップで会うかもな。」
「地上で会ったら飲みに行こうぜ。」
「短い間だったが有名人の終止符打ちに会えてよかったぜ。」
イグニスの仲間は一声かけて次々と消えて行った。運び屋の少年も消えていき、後に残ったのはイグニスただ一人だ。
「俺で最後だな。それでは失礼…そうだ。セーヌお嬢さん。」
「何でございましょうか?」
仲間達が次々と水晶に触れて消えていき、最後に一人残ったイグニスが水晶に手を触れようとした直前、伸ばした手を止めてセーヌに声をかけた。
「どうしたイグニス?俺たちは忘れ物の確認をしなくてはならないが、終わったらすぐ行くからさっさと行ってほしいんだが。」
「すまない。少しセーヌお嬢さんを貸してくれ。すぐ終わる。」
「ふぅん、愛の告白とか?」
「違う。確かにセーヌお嬢さんは美人だが俺は故郷に妻がいるのでね。例えどんな美人が目の前にいようと、俺は妻一筋だ。」
「真面目だね。それじゃあ俺らはあっちで道具の確認をしているから終わったら返せよ。」
「すみませんクロノスさん。話が終わったら私もそちらへ行きますので。」
クロノス達はイゾルデを置いて少し離れたところでなんでもくんから昼食に使った道具を取り出して地面に置いてスプーンや器の数などを確認していた。それを少し眺めた後で残ったイグニスとセーヌは話を始めた。
「それで何か私に用でございましょうか?」
「少し伝えたいことがあるんだ。なぁにすぐ終わる。…俺たち高ランク冒険者の間ではあんたは死んだことになっている。前にあんたの姉さんだと名乗る女の冒険者に会ってそれを聞かされたことがあるもんでな。ついさっきそのことを思い出したんだ。」
「…!!それはいつ頃の話でしょうか?」
「もうかれこれ三年も前の話だ。とある街の酒場でな。話を聞いていたみんなが稲妻はどこかで死んだのだと言っていたが、彼女だけは妹はきっと生きていると啖呵を切っていた。もしかしたらまだあんたを探しているかもしれないから連絡がつくのなら生きていたことちゃんと伝えておけよ。」
「姉が…ええ。そういえばずっと連絡を取っておりませんでした。そうですか…まだ探して…」
「どこにいるのかわからないのならギルドで人探しの依頼を出してみるのもいいだろう。あんたが生きていて冒険者を再開したのならそのうち噂が彼女の耳に届くかもしれないが…それではな。」
セーヌに言いたいことを伝えてイグニスは水晶に触れて消えて行った。それをセーヌは見送った後、立ち尽くして呆然とイグニスの言葉を反芻していた。
「…姉さん。」
「セーヌ姉ちゃん」
「…!!は、はいなんでしょうか!?」
「…?どうしたのそんなに驚いて…まぁいいや。こっち終わったよ。」
イグニスの言葉を今一度繰り返すセーヌだったが後ろからの声に振り向くと、そこには道具の確認を終えて肩に武器を背負ったアレンがいた。
「そうですか…話が長くなってそちらを手伝えなくてすみません。」
「別にそんな大変じゃないから大丈夫だよ。そっちはもういいの?」
「ええ。イグニスさんも次の階層へ向かわれました。」
「そうみたいだね。それなら…おおい!!セーヌさんの方も終わったよ!!」
セーヌとイグニスの話が終わったのを確認したアレンは、それを向こうでなんでもくんに食器などを仕舞っている他の仲間へ伝えた。それを聞いた四人はすぐに残りの道具を仕舞いこちらへ歩いてきた。
「ねぇ…食器とか使ったまま仕舞っておくの?洗わなくて大丈夫?」
「ここの川は遠いから洗い物はどこか別のマップで水源を見つけてからな。なんでもくんの中では仕舞った物同士は互いに干渉しないから汚れが移ることも無いから安心して良いぞ。」
「それならまぁ…」
「ナナミは気にしすぎだ。洗い物など数日しなくても平気だ。」
「それはよくないわよ!!リリファちゃん猫亭でも使ったお皿いつも洗わないんだから。」
「それは後で洗うつもりだったんだ。お前が勝手に洗ったんだろ。」
「もう、そんなこと言って…」
「それよりも確認は本当に大丈夫か?」
「ハイハイ。スプーンの一本に至るまで忘れ物落し物無しです!!」
「よく確認したか?後に来た冒険者に見つけられると他の冒険者がゴミを捨てて行ったと報告されることもあるんだ。その時はギルド職員がうるさいのなんの…」
「本当に何もないってば!!」
「そうか。ならいいが…それではイグニス達も行ったことだし俺達も…っと、その前にイゾルデ嬢。」
「なんですの?」
イグニス達がいなくなったことを確認したクロノスは次は自分達の番だと仲間達へ水晶へ触れるよう促そうとしたが、その前にとイゾルデの方を向いて彼女に話しかけた。
「イゾルデ嬢。先ほどの通り君が欲しいお宝は他の誰かも欲しいそれだけの理由がある。それでも君はそんな彼らを差し置いてエリクシールが欲しいのかな?」
「…当然ですわ。ヴァリストさんの妹さんには悪いですが…それでもあたくしはエリクシールを欲する理由がありますの。だからこそ自らこうして馴れないダンジョンへ足を踏み入れたのですわ。」
「意思が変わらぬのなら結構。それならば次の階層へ行こう。イグニス達以外にもライバルは多い。そんなライバルたちに差をつけるためには少しでも下の階層へ行くのが先決だ。」
「わかっておりますの!!立ちはだかるモンスターはあたくしとこのパーフェクト・ローズが斬り倒して見せましてよ!!」
「そうか。なら結構…行くぞ。」
どんな手を使っているのかスカートの下から自分よりも大きな大剣を取り出して、イゾルデは高らかに宣言した。彼女の意思の変わりなさを今一度確認して、クロノス達は赤い水晶に一人ずつ手を触れて次の階層に向かうのだった。