第9話 不安しかないけど……!
遠くで、花火の音が聞こえた。
シャレットが多少の嫌味を交えた説教をしたやると、アレクはしょんぼりと部屋の隅に座り込んだ。
「まったく、よりによって男装だなんて。殿下にバレたら、どうするおつもりですか」
「男装っていうか、俺は元々男なんだけど……」
小声で抗議しながら、アレクが窓の外に視線を移す。
遠くの夜空で、輝く花火が弾けている。いつもなら、楽しむはずの華やかな空も、このときは暗くくすんで見えることだろう。
「だいたい……なんで、俺がこんなことしなきゃならないんだ。アディはまだ見つからないのかよ。俺、こんなのもうイヤだ……帰りたい……」
「アレク様」
弱音を吐くアレクを見て、シャレットは内心で困惑した。しかし、表情には出さないようにする。そんなシャレットに、アレクがカツラを投げつけた。
「アレク様、アドリアンヌ様のことですが――」
「気休めは聞きたくない。独りにしてくれよ」
不貞腐れて呟くと、シャレットはそれ以上なにも言わず、黙って部屋を出る。しばらく扉の傍に立っていると、中から「まさか、そんなはずはぁぁぁあ!」と、妙な叫び声が聞こえてきた。
どうやら、なにか考え事らしい。自分が言いすぎたので落ち込んでいると思っていたが、大人しい理由は別にもあるようだ。
アレクを部屋に残して、シャレットは黙って考え込んだ。
街で見かけた少女。
見間違えるはずはない。
最初はアレクだと思った。けれども、人違いだとは考えられない。
向こうもシャレットの顔を見て、明らかに動揺していたようだ。
そんな人物は、シャレットの知るところ一人しかいない。あれは、間違いなく姉のアドリアンヌである。
「しかし、何故……?」
駆け落ちしたはずのアドリアンヌがグリューネ国内にいる意味がわからなかった。
「こんなこと、私は聞いていませんよ。まったく……」
話がわからない。自分やアレクが把握していないことが起こっているのではないかと、心配になった。
「困った姉弟だ」
シャレットは深く息を吐きながら、アレクの部屋の扉を振り返った。
† † † † † † †
建国祭の翌日。
それまで、部屋に閉じ篭っていたアドリアンヌから昼食の席を共にしたいと申し入れがあったので、エルは驚いた。そして、嬉しくなる。
婚約者を連れて祭に出かけたことは、ギーゼラが黙っていてくれたので、国王の耳には入っていない。だが、あの後も婚約者は花火の席にすら出席してくれなかった。
強引な誘い方をしてしまったので、気分を害したのではないかと心配していた。到着してから体調も良くなかったようだし、こんなに早く会いに来てくれるとは思わなかったのだ。
エルは笑顔を弾ませて、広いバルコニーに昼食の席を作らせた。
庭から花も摘んできて、出来るだけ可愛らしくテーブルを彩る。クロスも、自分で好きなものを選んだ。
この王宮では、昼食と朝食の部屋が特定の場所に定まっていない。使用人や主の気分で、毎回、食事の場所が決まるのだ。
「うふふ。精が出ますわね、殿下」
昨日は流石に小言を言っていたギーゼラも、嬉しそうにエルを手伝う。
「アドリアンヌ様は喜んでくれるでしょうか」
「勿論です。きっと、可愛らしい図になります。そうですわ、食後のティーセットは如何致します? 丁度、東から入った朱のカップがございますが」
「そうですね……この間買った、ヴェッジヴッドの青でお願いします」
「承知いたしましたわ。令嬢の瞳と同じ色をお選びになったのですね。殿下ったら、本当にお可愛らしくていらっしゃいます」
「バレてしまいましたか……とても、お美しいので」
うふふふふ、と笑いながら、ギーゼラが唇を緩ませた。考えていたことを当てられて、エルは恥ずかしくなって頬を朱に染める。ギーゼラはますます嬉しそうに黄色い声を上げた。
「では、殿下。残りはわたくしが致しますので、お座りになってお待ちください」
陽気に鼻歌を口ずさんで部屋を出るギーゼラの後姿を見送って、エルは浅く息を吐いた。
昨日のことを思い起こす。
アドリアンヌの男装は思いのほか似合っており、まるで、本物の騎士のようだった。
巷で流行っている女性だけの歌劇団で男役を張ってもおかしくはないだろう。もしかすると、ルリスでそのような役をやっていたのかもしれない。あちらは芸術や演劇も盛んだと聞く。エルは舞台を見るのが好きなので、是非とも趣味について話したいと思った。
太陽の下で明るく笑う彼女は、本当に綺麗な人だと思う。
政略結婚で辛いことは多いと思うが、出来れば、なに一つ悩むことなく過ごして欲しい。彼女の憂いは全て、取り払ってやりたかった。
アドリアンヌ様の好きな舞台はなんだろう。こちらの女優も気に入ってもらえるだろうか。それとも、執心の俳優などがいるだろうか。
今日話したい内容を考えながら、エルはテーブルに頬杖をついて令嬢の到着を待った。
† † † † † † †
アレクの髪型を整えながら、シャレットが複雑な表情を浮かべていた。
従者の表情に気づかないまま、アレクは鏡に映った自分を見る。そこには、いつものベルモンド侯爵令嬢アドリアンヌの姿があった。
「本当に行かれるのですか? 殿下にアレク様の女装癖が露見しても、私は知りませんからね」
「好きで女装してるワケじゃないだろ!」
落ち着いた深緑のドレスの裾を摘みあげて、アレクは視線で執事を振り返る。
「たぶん、大丈夫だよ。どうしても確かめたいことがあるんだ」
「左様でございますか。では、私も確かめたいことがございますので、午後から席を外させていただきます。夕食までには戻ります」
「え? なにしに行くんだ?」
てっきり、シャレットも昼食についてくるものと思っていたので、アレクは素っ頓狂な声を上げてしまう。
「野暮用でございます」
「あ、もしかして、デートとか? だったら、いくらでも暇をやるよ? 連れてきて紹介してくれてもいいよ?」
「……アレク様の貧相な頭のことが心配で、恋人など作る暇がございません。私が誠心誠意、何処までもお仕え致しますから、安心してくださいね。身も心も、アレク様に捧げますよ」
「忠実さを装って、さり気なく馬鹿とか言うなよ!」
「おや、ストレートに申し上げた方が良かったですか?」
「より悪いから、それ。っていうか、全く否定しないんだな」
「はい」
直球で馬鹿呼ばわりされて、アレクは脱力した。時々、この執事は良い奴なのか、悪い奴なのか、よくわからなくなる。
「因みに、アレク様。エアハルト殿下になにを確認したいのですか?」
問われて、アレクは口を噤む。
まだ定かではない以上、不用意に口にするのは憚れた。というか、言った瞬間に、また馬鹿呼ばわりされそうな気がする。
勘違いであって欲しいが……。
黙ってしまったアレクを見て、シャレットは少しの間考えを巡らせていた。やがて、困ったように肩を竦めて微笑する。
「そのことは、後ほどお聞かせください。私も、なにかあればお知らせ致しますので」
「ああ」
今日はシャレットの助け舟は期待出来ない。
まるで、戦場へ赴くような気分で、アレクは胸を張って気合を入れ直した。